ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にあるセルフビルドを取り入れたデザイン注文住宅を作る会社です。
 
  2013/07/15  

 

ゆれる寝床

最近、物凄い猛暑が続いています。

これだけ暑い日が続くのも希な事らしくニュースでは千年猛暑などと呼ばれているようで、
もちろん熱帯夜が多くなり寝付きづらい夜も有ります。

さらにアパートの僕の住んでいる部屋のエアコンは故障しているようで、上手く作動しないのです。
治してしまえば良いのですが、使いすぎて仕舞う気がしますし、電気代もかさむし、エコじゃないなと何と無く思っていました。

そんな時、先日ぶらりと寄ったアウトドアのお店でハンモックを見かけました。
そこでコレを寝床にして暑い夜を涼やかに楽しく切り抜けられるのでは、と思い
衝動買いしてしまいました。
ハンモックで過ごす生活も非現実的で刺激的な気がしてワクワクしました。

が、しかしアパートではハンモックを取り付けられる箇所が無いとの事に気づいてしまいました。
何とかできるだろうと思っていましたが、何ともなりませんでした。

楽しく涼しい夏の寝床プロジェクトはハンモックスタンドを作る所から始まる事となりそうです。

柳沢 和孝

 
  2013/07/06  

地鎮祭

先週末、「榛松の家」の地鎮祭を行いました.
前日までの梅雨空とは打って変わり、気持ちのよい快晴に恵まれ良いスタートを切ることができたと思います。

敷地中央に盛られた「立砂」に鍬を入れる儀式「鍬入れの儀」には、御施主様にも参加して頂きます。
神主さんの長いお祓いに少し飽きてきた様子の二人の男の子も、今回は特別参加。
青空の下に元気な「えい!えい!えい!」の声が響きました。

「榛松の家」はいよいよ今週から工事着工となります。
これからの工事の安全と、良い家の完成に向けて、気持ちも新たに取り組んで行きたいと思います。

田部井





 
  2013/06/29  



ますいい生活。

四月入社、新人スタッフの土田です。
現在、夏に向けますます暑くなってきた三階の先端部分で師匠と先生に挟まれ確認申請の準備をしています。

働き始めてそろそろ三ヶ月になりますが、今まで味わったことのないスピードで過ぎていきました。
やれることはまだ少なく、覚えることは山積み状態です。

その中でも図面やお見積りをしてきた物件の模型が出来上がったときにはかなりテンションがあがりました。
これから現場で作業していく中で厳しいことも出てくるでしょうが、竣工して引渡しをしたときのお施主様の嬉しそうな顔と達成感を楽しみにして一つ一つのことを着実に仕上げていこうと思います。

土田未優



 

 

      



2013/5/21

設計進行中

 

現在、中青木事務所でいくつかの物件が進行中です。私も世田谷区下馬、埼玉県久喜市の住宅を設計しています。
両方とも実施設計を進めている最中なのですが、土地の状況は大きく違います。
世田谷区の方は、代表的な都心部の狭小地となっており、必要な床面積を確保する為に
あの手この手を使って最大限の広がりを確保出来る様にしています。
一方、久喜市の住宅は、そこまで面積的な縛りはありません。その代わりに土地に対してどんな配置にしたら良いのか悩みながら設計してきました。

住宅は住む人によって、土地の状況によって、方角によって、、、いろんな条件が絡み合い、一つとして同じ家にはなりません。
クライアントと打ち合わせを重ねていき、どうしたら一番良い家になるか考えながら設計しています。
自分の考えと、クライアントの考えが一致して設計が進んで行くと、とても心地よくなります。

クライアントが喜んでもらえるように、じっくりと考えて設計していく気持ちを忘れないようにしたいと思います。

 

池上

 

 

2012/12/28

辻 邦生 『安土往還記』 読了

 

本書は、織田信長を主人公にした歴史小説です。

タイトルの「アヅチオウカンキ」という響きが気に入ったので、読み始めました。

信長が居を構えた岐阜の安土城を舞台に、戦乱の模様が描かれています。
物語の語り手はイタリア人のキリスト教徒に設定され、異文化・異国人の視点から信長像が綴れています。


その信長像は「事の成ること」に、集中してエネルギーをかけるという人物像です。

自己に課した掟に一貫して忠実であろうとし、その掟とは「理に適う」ということであった。
事の道理に適わなければ、決して事は成らない、と信じていた。
それまでの考えが、もし「理に適わなければ」、躊躇なくそれを捨て去った。

中途半端な無駄口は叩かず、起床や就寝時間、馬術の訓練、執務、戦術研究など寸刻も狂うことなく続けられる日課。
たとえどんなに興が乗ろうと、一定の時間がくれば、なんの未練もなくその日課をやめ、規則正しい簡素な生活を貫く。
野山を疾駆して作戦を指揮し、飾りの無い単純な衣服を着用するのも、それが、ただ、「事が成る」のに適していたからだ。

他方で、新規の技術には柔軟な理解力と好奇心をもち、数理的な明晰さを好んだ。
空疎な空念仏ではなく、実際に物事を動かしうるような知識を求め、事を成すために、理に従うことに徹する。

本書を読んで思い浮かんだのは、「克己」という言葉でした。
虚飾を排し、絶えず自己を駆り立てる、その直線的な生き方は、決して真似することは出来ませんが、簡潔明瞭な力強さを感じます。

近世に生きた、近代人を描いたような1冊でした。

佐野

 
 
  2012/12/20  



篠山紀信展 写真力
東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「篠山紀信展 写真力」に行って来ました。
写真家の中で恐らく日本では最も名の知れた存在のひとりでありながら、「美術館は作品の墓場のようで嫌い」との理由から日本では展覧会を開かなかった巨匠の、国内初の美術館での展覧会です。
展覧会は、「GOD」(鬼籍に入られた人々)→「STAR」(すべての人々に知られる有名人)→「SPECTACLE」(私たちを異次元に連れ出す夢の世界)→「BODY」(裸の肉体、美とエロスと闘い)→「ACCIDENTS」(東日本大震災で被災された人々の肖像)と、5つのテーマで構成されていました。
「STAR」には山口百恵からAKBまで、篠山紀信の真骨頂である、アイドル写真、スター写真が展示されています。
自身の解説によれば、彼女らの知られざる内面を表現したり、真実の姿を見せる、といったことには興味はなく、時代を写すイコンとしての彼ら/彼女らの輝くエネルギーやパワーを写真に封じ込め、世界に発散させることが自分の写真の目的であるとのことでした。
天井高6mの展示空間に大伸ばしにされて展示されるそれらの作品は、「STAR」のキラキラとしたポジティブなエネルギーを会場全体に充満させ、余計な批評や理屈を寄せ付けない絶対的なオーラを発していました。
続く「SPECTACLE」「BODY」の展示からは、巨大パノラマ写真の圧巻もさることながら、他の商業写真家の後追いを、圧倒的なスピードとエネルギーで置き去りにしてきた篠山紀信の作品史を一覧することができ、そのリアルとファンタジーが入り混じった作品群の「写真力」にただひたすら圧倒されます。
会場の出口には、篠山紀信による「写真力って何?」というお言葉が。
なんだか元気の出る文章なので一部抜粋します。

「写真力」? 写真の力が漲った写真ね。
写された方も、撮った者も、それを見る人々も、唖然とするような尊い写真。
特に、人の顔の写真ってすごいよね。いろいろなことを思い起こすし、あの頃、あの子と付き合ってたとか、でもグラビアの子に随分お世話になったとか(笑)、あの時代貧乏だったけど今より幸せだったかも・・・とか。時空や虚実を超えて、脳裏に強くインプットするイメージの力が、写真力ってわけだ。
そんな写真ってどうやったら撮れるかって?
そりゃ大変なんだよ。めったにそんな写真は写らない。
だって人知を超えた写真の神様が降りて来なくちゃ、すごい瞬間は立ち現れないんだもの。
その為にはあらゆる努力をする。被写体へのリスペクト、その場の空気を正しく読み、自分の感性を最大限にヒートアップさせる。すると本当に偶に神様が降臨する。そりゃ、すごいぞ。そこで撮れた一枚は、その人への想いはもちろん、時代や自分史をも思い起こさせる力になってしまうんだから。
で、この展覧会は、50年間にわたって撮ってきた写真の中から、飛び切り写真力のある写真ばかりをえらんでみたものなんだ。
よりすぐりの顔、顔、顔・・・・・・。写真ってスゴイぜ!

田部井俊介



 

 

      



     
  2012/12/11

自然と庇を


最近、庇の出の浅いモダンな建築を多く見るようになりました。
現代的でスタイリッシュでシャープな印象で格好良いと思います。

が、自分がそこで生活するのを考えると私はどうも庇が恋しくなってしまいます。
私は庇がもたらす景色と機能性が好きです。

そこで先日、以前からずっと気になっていた根津美術館に行ってきました。
2m近く庇が跳ね出し物凄いインパクトでした。どこを見てもワクワクしました。

モダン建築であり日本の建築風潮を共存させた和モダン建築。お互いの美味しい所を絶妙に織り交ぜて造り上げられているなと感じました。

この建築からヒントを貰い、将来自分の理想とする設計のアイディアとなればと密かに思いました。

ランドスケープも素晴らしく都心とは感じさせない庭園に癒されました。もし、建築に興味が無い人でも楽しめる場だと感じました。

大好きな自然と庇を一度に味わえた素晴らしい一日でした。

柳沢 和孝

 

 

 
 




 
  2012/12/1  



興味あるものVol.2 〜ほぼ日手帳〜

私は社会人になってから初めて手帳というものを持ちました。学生時代はバイトの予定と友人と遊ぶ予定しかなかったようなものですから必要なかったのだと思います。(ちゃんと学校には通っていました。)会社に入ってからはいろいろな人への連絡、指示を受けたときに忘れないようメモすること、一週間の中でどんなことをいつするべきか等々、さまざまな情報を処理しなければなりません。

最初こだわりなどはなかったのですが、使い慣れてくるとこんな欄があったらいいなとか思い始めてきました。一週間の予定だけでなく、打ち合わせしているときのノートにも使えたらいいなとか、ペンを止められたらいいな、などといった感じです。

2009年の暮れに初めて「ほぼ日手帳」というものに出会いました。何気なくどんな手帳がいいかなーなどと検索していたら目に付いたのです。ほぼ日手帳は著名なコピーライターである糸井重里氏の運営する「ほぼ日刊イトイ新聞」というWEBサイトで生まれたものです。紙質、製本方法等の細部までこだわった製品で、年間手帳売り上げのNo1に何度も輝いています。

一番の特徴は一日一ページでしょう。これがとても使いやすく、ノートにもなり、メモ代わりにもなり、ちょっとした図面スケッチも書き込めます。そして豊富なカバーラインナップも魅力です。私は「世界の伝統柄シリーズ」を毎年購入しています。各国の伝統的な文様などをアレンジしてプリントしたカバーです。少し派手な年もあるのですが、それも面白いかなと思っています。

いろんなことを正確にこなすためにも手帳は手放せません。日々の生活に必要なものがとても満足できる製品であること。小さなことですが、そんなことの積み重ねが日々の充実につながっていくと思っています。

池上


 

 

      

手帳カバー 左から 2011年 2012年 2013年 世界の伝統絵柄シリーズの中から毎年違うものを選んでいます。

 

2012/11/17

先日、散歩がてらに谷中銀座に遊びに行きました。
谷中銀座は日暮里駅をおりて歩いて10分くらいのところですが、
雰囲気のよい、なんとも懐かしいような商店街です。

観光地でもありますが、地元の人々の中心であり、スーパーやクリーニング屋さん、お肉屋さんなどいろいろなお店が並んでいます。
近年、シャッター商店街と呼ばれてしまうような寂しい商店街もある中で、これだけの活気がある場所は今後も残っていって欲しいと思うばかりです。

僕の地元では帰省するたびに少しずつ、閉まっていく商店街も見受けられます。
駅前再開発の波におされ、小さな商店が無くなってしまう光景は寂しいばかりです。
時代の流れと考えればそれまでですが、建築を通して、少しでも活気溢れる商店が出来ないか、建築によって少しでも活気が生まれるような空間が出来ないか。
そんなことを考えさせられた散歩でもありました。

鈴木

 
 
 

2012/11/07

レコードカバー


この間ニュースで知ったのですが、日本人の音楽離れが深刻化し、実に7割の人が音楽にお金を掛ないとのこと。

音楽離れというよりも、ネットを通じ簡単に音楽が聞けたりと 、扱いが、お金のかからない消耗品として扱われているかららしい
です。

今から15年位前、高校生の頃北浦和のディスクユニオンで見たこともないジャケットのレコードを買っては失敗し、バイトで稼いだなけなしのお金を失うことを繰り返していたことを思い出すと、今の時代がうらやましくもあり、 少し寂しくも思います。

もはや「ジャケ買い」と言う言葉も死語に近づきつつあり、中身以上に、それを飾る写真やイラストに心を躍らされることもこの先なくなってしまうのでしょう。

音楽性もさることながら、名盤としてのこるアルバムはそのジャケットも素晴らしく、曲よりも、そのジャケットの絵が強烈に頭の中に残るものが多いように思います。

ヒプノシスというデザイングループは、1970年代にレッドツェッペリンや ピンクフロイドのカバージャケットを手掛け、語り継がれる名作を 残しました。

牛が一頭青空の下にいるだけだったり、不気味な発電所の写真をそのままジャケットに使用したりと、本人たちの「見るものに考えさせる」という押し付けの無責任なコンセプトをもっともらしく語るという高等テクニックで、一アーティストとして芸術を完成させました

手に取った人が見ているだけで面白く、ムフッと笑って、ちょっとだけ聞いてみたくなる、その衝動が当時の音楽業界の一部を支えていたのかもしれません。

音楽を大衆文化として考えた時に、昔は間違いなく大衆文化が経済を牽引していました。その頃は文化と経済は絶妙なバランスお互いを支えあいながらも同時に発展しあう関係にあったように思います

音楽がビジネスとして成熟しすぎ、その上情報がほぼ無料化する中、その均衡が崩れ一つの文化が消えてなくなる危機にあるのが今なのだと思います。

岸田壮史



 
     
  2012/10/30

浄土寺浄土堂

 

兵庫県小野市にある国宝、浄土堂を訪れました。

鎌倉時代の僧侶、俊乗坊・重源により建てられたお堂です。

浄土堂へは2度目になります。
学生時代に見た時は、あまりピンと来ませんでした。
その後、設計実務、造ることに携わるにつれ、その凄みに気づき、徐々に好きになっていきました。

構造的な特性は広く伝えられています。
6mという通常の倍のスパンが跳んだ梁間。それを可能にした遊離尾垂木による、天秤棒のようにバランスのとれた軸組み。
柱数を極端に省略し、天井を張らない構成より、丈6の阿弥陀仏が3尊安置された大空間。その強い垂直性と闇。
落日の西日が蔀戸から透過し、床を反射して阿弥陀仏の光背を天井から照らします。

また、総合者としての重源も魅力的な人物です。
重源が源平の争乱で消失した東大寺再建の大勧進職に任命されたのは、60歳を過ぎてから。
老境から本格的に人生が輝き出します。

頼朝という権力者への売り込み。
目的貫遂の為には手段を選ばないしたたかさ。
しぶとく全体をまとめていく実務能力。
1輪車を押して、全国を勧進してのし歩く、タフな行動力。
職人の為の湯屋を真っ先に整える、人間の機微を読み取る慈悲。

重源の遺構は、奈良・東大寺南大門、同法華堂、同大湯屋など、不世出の傑作が残ります。
が、気の利いたディテールや柔らかな表現はありません。
全て、直裁で合理的な技術の集積です。

時間を超えた素晴らしい建築に触れると、精神が蘇生されます。
建築に励まされ、それでも尚、掻きたてられるのは、造ることへの恐れとあこがれでしょうか。

佐野

浄土堂外観

 

浄土堂内観1

 

浄土堂内観2

東大寺・大湯屋

 
 

2012/10/20

休日

先日、土日の休みを利用して湯河原に温泉旅行に行って来ました。

古くから知られた温泉街ですが、両隣にある箱根や熱海ほどの「観光地」的な賑やかさはなく、こじんまりとした静かな佇まいでした。この風情に惹かれ、多くの作家や画家達が逗留し、創作をおこなっていたとのことです。市営の足湯や浴場も多く、地元の人達が普段の交流の場として温泉を利用しているのが印象的でした。

湯河原からの帰り道、少し足をのばして真鶴半島に寄り道をしていくことになり、立ち寄ったのが、「マダム・ケイ」というカフェ。元々は旅館として建てられた純和風の建物で、取り壊しの予定であったのを、地元の有志が保存のために買い取り、共同で改修を行い、カフェ兼ミュージアムとして再生させたそうです。

風情ある和室にちゃぶ台と座布団、外に見えるのは相模湾の絶景。まさに「マダム」といった感じの上品な奥様の淹れてくれるコーヒーをいただきながら、数時間贅沢な時間を過ごすことができました。

田部井


相模湾の絶景

 
     
  2012/10/13

谷川岳を登ってみて。

先週の土曜日、谷川岳を登ってきました。
アクセスは車で群馬県の水上インターから20分ほどの所に登り口があります。ロープウェイ乗り場もあるので、紅葉を見に来た軽装備の年配の方などもいて意外と賑わっていました。
やはり標高が高いだけあり登り始める前から気温が少し低く、埼玉より肌寒く感じました。

気温は15°で天候は少し霧がかっていました。10月にしては少し厚着でしたが、丁度良い気温と思いました。が、いざ登り始めると鎖を伝ったりと激しい道のりで体温が上がり汗ばむほどでした。
休憩ポイントが各所に有るので休憩すると、汗が冷やされて一気に体温が奪われます。山用のウウェアが高かったので渋って買わなかったのですが、少し後悔しました。山を舐めてた・・・

1時間程登ると紅葉がより深くなり始め秋を感じる美しい景色を楽しめます。さらに1時間程登ると、今度は背丈の高い木が無くなり見晴らしが良くなります。丁度霧も晴れだし、近くの山たちが顔を覗かせ荘厳な風景を見ることが出来ました。さらに1時間程で頂上に到着しました。険しい岩場でしたが、山鳥がいたり植物が力強く生えていたりと自然の力が満ちているように感じました。

下りは早く1時間半ほどで下山できました。帰りに水上温泉でゆっくり疲れを癒しとても充実した登山となりました。

次回登山する時は頂上でコーヒーやカップ麺を楽しめるように、お湯を沸かすバーナーや鍋を準備して登りたいと思います。

柳沢 和孝

 

 

 
 

 
登り口の写真少し霧がかっている。中腹からの写真雲の上まで来たかのよう。


紅葉の景色。
 
 
 

2012/10/05

今、挑戦したいこと。

最近猛暑日も無くなりすごし易い日が多くなった気がします。
夜も涼しく、かけ布団をかけて眠ることも多くなりました。コンビにの店頭で良くおでんを見かけます。
秋が始まりました。
私の地元の群馬県は山々に囲まれています。
何処にいたって山に囲まれている為、道に迷っても見えている山の形で大抵の方角がわかるので便利だったりします。それほど常に山が見えているのです。
今の時期だと序所に紅葉で山に色がつき始めます。冬になれば雪化粧で白く染まります。季節の移り変わりをパノラマで伝えてくれるのです。そうして季節の移り変わりを毎日の中で何気なく体感し生活してきました。

今、私は戸田市に住んでいます。さすがに山は見えません。自然も無くは無いのですが山に囲まれた生活に馴れた私は、季節の移り変わりを今一つ実感できずにいます。何か物足りない・・・

群馬県水上市に谷川岳という山があります。標高1977m日本三大岩場の一つで、険しい道のりと激しい自然で遭難率はギネス認定されるほどです。しかし美しい風景をと自然が有名で危険と知りつつも人を魅了する山なのです。
以前から本格的な登山に興味があった私はこの山に挑戦し、秋を体感し自然を満喫したいと思います。険しい山なので万全な準備と心構えでケガなど無いよう挑戦したいと思います。

柳沢 和孝


紅葉の始まる谷川岳。

 
     
 

2012/9/28


興味あるものVol.1 〜浮世絵〜

私は学生時代を王子界隈で過ごしました。近くには飛鳥山や名主の滝公園など緑の多い場所があり、長野出身の私は親しみやすさを感じたのを覚えています。学校の近くに、葛餅がおいしい和菓子屋さんがあります。たまに寄って店内で食べるのですが、そこには王子界隈の浮世絵が多く飾られていて、美しい色合いにとても興味を持ちました。

その時から、ふと思い出しては浮世絵のことについて調べるようになりました。さまざまな浮世絵がありますが、私は風景を題材にした名所絵が好きです。江戸の町並を描いた歌川広重作「江戸名所百景」、東海道の名所旧跡が多い「東海道五十三次」、各地から見える富士山を描いた葛飾北斎作「富嶽三十六景」は眺めていて飽きません。(単純ですが…)

名所絵を含め浮世絵は当時、庶民の楽しみの一つでした。現代には娯楽はさまざまな種類がありますが、江戸時代はそう多くはなかったのでしょう。しかも今でいうフルカラー印刷です。美しく描かれる名所絵を見ながら、庶民は旅行した気分を味わっていたのではないでしょうか。

当時の素朴な町並や人々、風景を美しく切り取った名所絵に、今後も興味を持ち続けていくと思います。名所絵の今を歩いてみるのも楽しいかもしれません。現在でも数少ないですが浮世絵を職としている方々もいます。こんな美しい文化がずっと続いていくのを祈るばかりです。

池上


東海道五十三次 品川宿

 
 

 
富嶽三十六景 信州諏訪湖



名所江戸百景 飛鳥山・北の眺望
 
 

2012/9/22

先日、雨のち曇りと予報が出ている中、ちょっとしたドライブにと思い、千葉県にあるホキ美術館に行ってきました。建物を見に行くような感覚でいたのですが、作品に目を奪われてしまいました。

ホキ美術館は写実専門の美術館となっていますが、「写実」という言葉も知らなかった私は作品に圧倒されました。髪の毛一本一本まで描かれ、写真のように美しい絵は写真以上に表情豊かな作品で、女性のたたずむ姿や子供が遊んでいる作品など、絵に引き込まれる感覚でした。

写実を辞書で調べると「物事をありのままに描写すること」という意味になるようですが、描き上げられた作品からは作者の思いなどいろいろなことを想像させる力があるように感じます。

帰り際には、館長である保木さんとすれ違いました。館内に保木さんの画があり、気が付いたのですが、作品から受けた印象と同じように、とても優しそうで、力強い雰囲気のある方で、写実美術のすばらしさを感じることができたよい機会となりました。

鈴木


休日/森本草介
(ホキ美術館HPより)

 
     
  2012/9/15


いま事務所で現場がいくつか 進行しています。基礎にはじまり、棟上、屋根外壁 床、天井、壁、家具など、現場の進行を確認するたびに建築は部分部分の集まりが全体を作り上げているのだなと今更ながら実感をします。

見た目に美しい建築や使い勝手のよい建築は、この一つ一つ の部分に、作り手が並々ならぬ労力を費やし、形にしていった 結果なのです。

「神は細部に宿る」という言葉が有名ですが、これは細部のことではなく 形として現れる全体を決めるのが、部分なのだといっているのでしょう。

なにも先程の言葉は当然建築だけにいえることではなく、人の琴線 にふれるほとんどの物事はこの事が言えるのではないかと思います。

優れた芸術の中にもこの相関関係が見て取れるかと思います。

ポピュラー音楽の中でも特異な造り故、見る影もなくなってしまった
プログレッシブロックですが、このカテゴリーこそ作り手の(ほぼ作り手本意の)こだわりが見える 作品が数多くあるように思います。

一曲49分ととても人に聞かせる気があるのかと疑ってしまうような曲 がプログレッシブロックにはあります。

マイクオールドフィールドの「チューブラーベルズ」という曲です。

イントロはたぶん聞いたことがあると思います。 ただそこからが長く、ひたすらインストを我慢をして聞くことになります。 何度も辛い思いをしながら聞いていくと曲のよさがなんとなく分かってきます。

ベースにある音楽の上にコーラスやピアノ、サックス、アコースティックギター などの何種類もの楽器の音を重ね曲として作り上げているのです。

こんなことを50分もやっているのです。

当時2トラックしか録音できないレコーダーを改造し、何重もの音をダビングし この曲を作ったそうです。2300回ほどダビングを繰り返し、完成する頃には ダビングのし過ぎで、茶色いテープが、真っ白になっていたそうです。

ここまで構成がはっきりと分かる作品も少ないと思いますが、部分が 全体を作りながら1つの作品となっている好例かと思います。 優れた建築に出会ったような1曲かと思います。

岸田壮史

 

チューブラーベルズ

 
 

 

建築家

  2012/9/6  
  ■鉄筋の詩


現場監理で、楽しみにしている工程があります。

そのひとつが、鉄筋の配筋チェックです。

木造住宅では、基礎のコンクリートを流し込む前に行います。

基礎はコンクリートと鉄筋から出来ています。
コンクリートは圧縮に強く、鉄筋は引っ張りに強い為、鉄筋コンクリートは両者の性質を補う形で成り立っています。

だいたい現場には、鉄筋が組み終わった後に行くことが多いです。
チェックをしながら、「きれいだな」と思います。

配筋、まさに鉄を配っています。
くもの巣のように、力の分布、疎密、流れが見えてきます。

鉄筋は見えなくなりますが、非常に大切な要素です。
定着、かぶり、継ぎ手長さなど、チェック項目は沢山あります。

整然と組まれた鉄筋からは、職人の矜持を感じます。
鉄筋職人は究極の裏方ではないでしょうか。
隠れる部分に精魂込めて組んでいきます。

打設時にはアノニマスなコンクリートに呑み込まれていきます。
しかし、見えなくなった鉄筋は生きているのです。
そして、堅牢な基礎が出来上ります。

現場を訪れたクライアントの「見えないところに手がかかっているんですね」という言葉を聞くと、救われた気持ちになります。


佐野

 
 
 
 
  2012/8/28  
  「生きるための家」展について

先日、上野の東京都美術館に「Arts&Life生きるための家」展を観に行って来ました。

リニューアルされた東京都美術館の初の企画展とのこと。
同じ建物内で開催中のマウリッツハイス美術館展「真珠の耳飾りの少女」を観るために長蛇の列をつくる人達の横をすり抜け、静かな地下の会場へ。
美しいプレゼンボードと模型で、若手建築家の方々が提案する、あるいは妄想する「家の可能性」「住まい方の可能性」が展示されていました。
圧巻だったのは、やはり会場入口に設置された最優秀賞山田紗子さんの原寸大模型。
一見「ありえない」と思えるほど奇抜で大胆な案なのに、しばらく見ているうちにそこで生活している自分を想像できるようなリアリティーもある。
建物の内と外をつなぎ街と家の関係をつくる、個人の居場所をまもりながら家族ともつながる生活の場をつくる、といったような家づくりの大きなテーマが、地面から太く生えた柱と斜めに横たわる床のみの単純な構成で大胆に表現されていました。
見る人の想像力をかきたて、ワクワクさせてくれる原始的な楽しさと、現実の設計活動にも大事なことを問いかけてくれる提案性を持った、刺激的な展示でした。


田部井







 
 
2011/10/16
 

■北海道の思い出

お客様のSさんにお会いしに北海道に行ってきました。

近代化が進む札幌市や、昔の町並が色濃く残る小樽市などに足を運び、北海道の建築を見てきました。札幌や小樽の都市部はオフィスビルを中心とした近代ビルの林立する街の中に、ぽつぽつと明治時代の、装飾の施された歴史の重みを感じる建築が建っています。発展する街に 残されるその姿が、北海道の歴史をより際立たせているといった感じです。

北海道の発展は、明治維新後に北海道開拓使(北海道の中央官庁)が設置される事から始まります。鉄道の開発や、ビールを中心とした農産加工や木工、鉄工などの産業を官営で行い、近代化を急ピッチで進めました。(ちなみにサッポロビールの星マークは、開拓使を表すシンボルから取ったとのことです。)

その頃の建築はというと近代化=西欧化という流れがあったようで、実際のモデルはその時代の歴史主義建築でした。簡単に言うと西洋の過去の様式美を取り入れた建築です。

特にその中でも印象に残ったのが 日本郵船株式会社の小樽支店です。

札幌が北海道の都市機能が移転される前に、小樽は北海道開拓の拠点だったそうです。海に隣接する当時の小樽は商業港湾機能を充実しつつあり、港には石造りの倉庫が多く建てられました。その中で日本郵船は小樽の産業を支える中心として設置されたのだと思います。

設計は佐立七次郎で、東京駅を設計した辰野金吾ととともに明治時代に活躍した建築家です。 建物はルネサンス様式、石造りの重厚な建築です。細部に装飾が施され、内装の豪華さは 小樽発展の拠点とすべくこの建物を造った開拓使の心意気が伺えます。一見の価値ありです。

今回、建築や自然に触れながら、北海道の歴史を伺い知るという贅沢な時間を過ごせました。 限られた時間の中だったため、広大な北海道の一部を見ることしかできませんでしたが ぜひとも今度は時間をとって、都心では見られない風景に出会ってみたいと思います。


岸田壮史

 


 

 
 

2011/9/30

 

■芹沢_介の家



芹沢_介(せりざわ けいすけ)は大正、昭和期の染色家です。

柳宗悦、棟方志功、浜田庄司、河井寛次郎らと共に民藝運動を進めた芸術家でもあります。

作風は明るく朗らかで、動物、植物、人物、風景など身近なモチーフを図柄にしています。



静岡市の登呂遺跡公園内に、建築家・白井晟一設計の芹沢_介美術館があります。

そのちょっと奥に、
芹沢_介の家が保存されています。
東北地方の農家の板倉を、住居として移築したそうです。



ここには実家に帰った際に、必ず寄ります。

美術館も素晴らしいのですが、この家が目的なのです。



もともとの家のしつらえは簡素ですが、芹沢の手によってリノベーションされています。

土間は一部残し、床は松材の朝鮮張りとしています。
間仕切り壁は取り払われ、ワンルームになっています。
天井は梁があらわしですが、ピッチや成はまちまちです。
柳宗悦のアドバイスを受け、南の庭に面して出窓を設け、採光が確保さ れています。
漆喰壁は白と鶯色に塗り分けられ、調度品が選定され、建具もお手製です。

所々に実験的な試みが施され、新しい息吹きが吹き込まれています。



私はここの静かな机まわりが好きです。



「この家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です」という芹沢のコメントが印象的でした。

 

佐野

 

 


 

 
 

2011/6/27

 

■牧野さんのこと

 

東京都練馬区にある牧野記念庭園に行ってきました。
植物学者、牧野富太郎博士が晩年を過ごした場所が、植物庭園になっています。

都内に出た際に、時々フラ〜っと寄ります。

園内は300種あまりの植物、高さのある木々に囲まれ、薄明るくて静かです。
庭はきれいに手入れされていますが、コジンマリしていません。
植物達が適度に野放図にされている感じが、逆に気持ちよいです。

 

展示中の牧野さんの言葉に「跋渉(ばっしょう)の労を厭わない」というのがありました。
植物の新種は、山に登り、森林に分け入り、川を渡り、沼に入り、原野を歩き廻って発見できるのであって、しんどい事は避けては駄目だとの事です。

ただ、そこに写っている牧野さんの顔はいつもニコニコしています。
野外採集でも、フロックコートを着て、胴らんを袈裟懸けにして、笑顔でみんなの先頭を歩いている。
口元に笑みを浮かべながら、一心にルーペをのぞいている。
植物に囲まれていつも笑っている。笑みがこぼれる。

ここまで気持ちよく笑っているって、なんなんだろう。

植物の美しさ、豊かさ、おもしろさ、ありがたさ、それらを楽しんでいるのでしょうか。
研究が、楽しくて楽しくて、しょうがないのでしょうか。
多分、仕事と私生活の境界は無く、そんなこと別に気にしなかったのか・・・。

牧野博士の独特のユーモラスな雰囲気が好きです。

 

展示室の設計は建築家・内藤廣。

建築は伸びやかでおおらかでありながら、チャラついていません。
奥へ奥へとシークエンスが広がり、包含される広がりに引き込まれていきます。

高知県にある本館もすばらしい建物です。

 

佐野

 

 

 


 

 

 

 


2011/5/25  
 

■基本設計

 

北区で計画中の住宅の基本設計を行なっています。

この計画では、現在客間として使っている築80年近い歴史がある和室部分を居間として保存し、新築する母屋のほうにダイニングキッチン、水周りとそれぞれの個室を作る予定です。そんな2つの箱がうまれる、この住宅ならではの魅力的な生活ができるようなプランを検討しています。

模型製作をしていますが、2つの箱がそれぞれの特徴を生かしながら、保存する居間部分と新築するダイニングキッチンが一つの空間のように繋がりある場ができ、この計画ならではのプランが出来たと思います。

 

鈴木 

 
保存する和室


   


2011/5/24  
  ■街の力

GW、旅行に出かける。旅行の予定は、香川の友人と会って、丸亀、直島、金比羅をめぐること。東京から向かう途中に岡山を通るので、少し回り道になるが倉敷に寄る

見所はなんといっても、美観地区の、白壁が続くレトロな街並みだろう。駅前の近代的な街並みが続く目貫通りから一本路地を入ると、周りの土地の文脈から切り離された蔵造りの商店街が現れる。江戸時代からのこの地区は商店が居並んでおり、中身は変わりながら、町のハードはそのまま大事に使われてきているようだ。(商店は観光に特化したものでなくて、飲食店や、衣料品店、など形態は様々なものだった)

 GWということもあり、観光目的らしき人たちで街に賑わいがあり、この街並みが今と変わらず保存され続ければ街の活気も衰えることはないのだろう。

旅行に行くといつも感じることがあって、倉敷にしろ、川越、京都にしろ歴史を観光資源とした街にこぞって人が集まるのか。きっと日常とは切り離されたレトロな雰囲気に惹かれそこに足を運びたいと思うのだろう。

 ただ僕が不思議に思うのは、この根源的な欲求とは切り離された心の揺らぎが何に引起されるかだ。 観光地は、突き詰めればこの心の揺らぎによって維持され続けるわけだから、揺らぎを起こす原因を考えれば街を動かす原動力が実体として見えてくるはずだと思う。


観光が産業化され出したのが1960年代以降。日本では右肩上がりの高度経済成長も落ち着き始めた時期だ。それ以前は戦後の物の欠乏が、そのまま欲望になって、人間を組み立てる。。
ほしいものはみんな同じで、大衆の購買力が経済を引っ張るマスマーケットが成立した時代だ。

国民が一丸となって、豊かさを未来のビジョンとして思い描くわけだから、物質的にも、精神的にも画一化が、経済の成長と共に進んでいく。空っぽの豊かさの箱はものすごいスピードでいつの間にが満たされ、そこからあふれ出た。満たされる前は上向きの一方方向の豊かさのベクトルが、箱からあふれ出ることで四方八方に散らばった。高度経済成長の囲われた豊かさが終わったときだ。

物的に十分に満たされた日本人が次に求めたのは精神の豊かさだ。
豊かさの指標が物から、精神へと変革を遂げた。言い換えれば大衆の想いが知覚できる「モノ」から脱知覚化「思い」へと変わったのだ。ユメ、ファンタジー、憧れ・・・思いを構成する渦が、モノを飲み込んで日本を席捲したのだと思う。

ものの資本主義の殻を破って、思いの資本主義が生まれたのだ、主要な売り物が気分になるのだ。
思いを造るのは差異だ。
「きのうと違う私」これを、思いの資本主義のフィルターのかければ、主語は私でなく、「気分」やその「場」になり、その気分・場を購入する私がいて、昨日との私の差異を造るのだ。

募る思いは天井知らず。差異がなくなれば、そこにまた差異をつくればよい。
思いの資本主義は無限に続くのだ。

最初に話に出た心の揺らぎは、気分が永遠と市場にあふれ出る、思いの資本主義によって造られているのだ。文明の進歩は、差異の輪郭をよりはっきりさせるだろう。歴史をもつ街のエネルギーは時間の流れと共にいつまでも耐えることはないのだ。


岸田 壮史

 


倉敷の街並み

 
 


2011/5/23  
  ■震災後に思うこと


東日本大震災から2ヶ月余り経ちました。
埼玉で働いている私達を取り巻く環境は、淡々としています。

停電や放射能に恐れおののくことなく、日々の業務が進んで行きます。
現場では、機器や外壁材の納期が遅れたりと、多少の影響はありましたが、なんとか収めている状況です。

地震発生の2週間後、事務所の有志と共に現地でのボランティア活動に参加しました。
私自身、ボランティアは初めての体験でした。
まちづくりに関わる者として、被災地の状況を自分の目で見ておきたく、行動しました。

私達が向かった宮城県亘理町は都市部から離れ、津波の被害にあった地域であり、支援ボランティア組織の手もまだまだ行き届いていない状況でした。

10人程度のチームが編成され、あるお宅のゴミや泥出しのお手伝いをすることになりました。海岸線から6〜7kmにあるそのお宅は、1.5mほど津波による浸水があり、庭や家の中一面に泥が5cmほど堆積していました。

各自、スコップや一輪車を使い、1日かけて手作業で泥を外に出していきます。
被害を受けた家族の方が黙々と泥を掻き出す姿が、妙に心に痛みをもって覚えています。

そのお宅から、更に海岸線に近づくと、そこはまさにTVで映されている光景が広がっていました。全壊した家々、横転した車やショベルカー、線路を塞ぐゴミの塊、なぎ倒されて流された防波林の松、散乱するゴミやヘドロなど・・・。

その被害が現在どのくらい改善されているのか。薄れていく視覚的な記憶と共に、時々ふと思い出す泥の感触があります。

私自身の微妙な変化として実感していることは、建築単体として家づくりに従事するだけでなく、少し範囲を広げた地域レベルでの活動に興味を持ちつつあるということです。
人間生活を支える分野で、これから先何が出来るのか?想像するばかりです。

私達は、日々、忘れ、慣れ、生きています。

停電で本当に真っ暗になった街を歩いて帰ったこと。食料品や飲料水が店舗から一斉に消えたこと。被災地で見た惨状、瓦礫の埃、ヘドロの匂い。
それら雑多な記憶の断片や、それぞれに反応する人々の心の有り様を、決して忘れないこと。

今はそれが何よりも大切なのではないかと思っています。

佐野

 
 
   

  
 
 
2011/1/8
 

■閑谷学校に行ってきました。

閑谷学校は岡山県の山間にある、江戸時代につくられた庶民教育のための学校です。
JR吉永駅を降りて、閑谷学校ゆきのバスを探しましたが、一日に朝と夕方の3本しか出ていないようです。
タクシーで目の前まで行くのも味気ないので、歩いて行くことにしました。

山道を徒歩でとぼとぼ50分程、トンネルを抜けると閑谷学校をぐるりと囲む石塀の脇に出ました。施設全体を囲む石塀は、山間を切り開いた高低差に沿って蛇行しています。
低く抑えられた塀は、「切り込み接ぎ式」という工法で形の違う石を石工が組み上げています。また角はすべてRになっており、塀としての威圧感は無く、施設全体を柔らかく包んでいます。

建物のメインは、生徒たちが儒教を学んでいた講堂です。備前焼の手法が使われたどっしりとした瓦屋根は、雨が入りやすい焼き物を瓦として使っているため、屋根下地の上に通気層を設け、また軒先には入ってきた水を抜くための穴を設けるなど、様々な工夫がされています。

しかし、一番驚いたのは現在においても黒光りしている床板です。磨きこまれた床板に座り、開口から光が注がれる床板を眺めていると、儒教の講義の前に、雑巾がけをしている学究の姿さえ浮かんでくるようです。

田村

 
 
 
2010/12/24
 

■色、素材について

普段設計や現場管理をしていると白や木(木造が多いので)の素材感をそのまま生かした仕上げを多用する。
これにはコストの影響が大きいという理由ともうひとつ、建築の専門雑誌に載っている家の多くが白を基調としたものが沢山載っていて、たしかにその家は格好良い。そういう家が格好良いという教育も受けてきたのでついそう思ってしまう。

でも、たまには違うようなこともやってみたいという欲求にかられる。
そこで普段使わないような色や素材をこちらから提案して、仕上がりが良くなかったらと思って怯んでしまう。
それを旨くまとめるのが専門家だろうと言われてしまうかもしれないけど、それだけ色や素材感のバランスというのは難しい。

そこで、頼りというか勇気をもらえるのがお客さんのイメージ像になる。1つの例を挙げると所沢のリフォームがある。

この家のお施主さんは、北欧に在住していた過去を持っていて、リフォームイメージとしてそのときに経験したようなものを教えてくれた。使った材料は普段ますいいで使用しているフッラトバーの手摺、パイン材の床にオスモ塗装などで、職人さんも普段と変わらない。記憶やイメージを頼りにする設計や現場は楽しいし、思いもよらない収穫がある。

中村

 
 

 

2010/8/5    
  ■マイルスデイビス

ニューオリンズで生まれてから100年余り、いまや多様なスタイルやジャンルに枝分かれし、
その分類も難しくなってしまったジャズですが、その中でモダンジャズの代名詞として語り継がれるのが帝王マイルスデイビスです。

マイルスデイビスがジャズの歴史を作ったというよりも、ジャズのそのものといったほうが正しいと思える
程の偉業を彼は成し遂げました。

1940年代にジャズの主流だったスタイル、ビバップ(ライブハウスなどでアドリブ主体で演奏するスタイル)
から構成重視、理知的なクールジャズを生み出し、今まで黒人だけの音楽だったジャズに白人層も
取り込む革命を起こしました。

さらに先駆的な活動を続け1950年代にはハードバップ、60年代モードジャズを完成させます。
凄いのはマイルスデイビスの造ったスタイルは、決して独自のものではなく、その時代のジャズのスタイル の根幹になっているところです。一時代の流行ではなく歴史にしっかりと足跡を残しながら変革を続けて
いったのです。(門下生だったジョンコルトレーンや、ハービーハンコックの活躍を見ればそれも納得がいくと 思います。)

ここからの活動がさらに面白く、多彩な楽器を使い、他ジャンルとの融合を試みます。
いまや音楽の1ジャンルとなったフュージョンも、もともとはロックとジャスのの融合を試みた マイルスの活動の賜物といえます。さらに晩年はヒップホップとジャズの融合を試みるなど 最期までその音楽に対する探究心は衰えることはなかったようです。

マイルスの名盤は、模索と進化の過程なのです。作り出した音楽はもとより, この稀有な存在こそジャズの歴史なのです。

岸田

 

  

    In A Silent Wayのジャケット写真

       眼力が半端じゃない

 
 
     
  2010/4/30  
  光の渦

先日、建築家の伊東豊雄さんが設計された、座・高円寺を見に行きました。

座・高円寺は2008年に東京都杉並区に建設された、本格的な舞台芸術のための劇場です。
高円寺は阿波踊りが有名ですが、地域に根ざした文化活動を支える為に、ホール、稽古場、演劇資料室、カフェなどで構成されています。

伊東さんは現代日本を代表する気鋭の建築家です。
以前から建築雑誌で気になっていたのですが、特に階段とカフェは見応えがありました。

階段は濃いえんじと白のコントラストが鮮やかです。
ここに円形の窓から入った光と照明とが重なりあって、光の濃淡が流動的に展開しています。
観劇までのアプローチ空間が、ドラスティックに演出されています。

また、カフェは深海にたゆたうような…。
孔のような無数の窓から、光の束が速射砲のように注ぎ込まれています。
それでいて、不思議に落ち着くのです。

伊東さんは中世のテント小屋のイメージを持たれていたそうです。
想像するにその頃は、まだまだ娯楽も素朴で、皆が闇に浸り、闇と共存し、ただただおおらかな広がり下で劇を共有していたのでしょうか。

伊東さんは60歳を過ぎられて、建築家としてますます円熟味を増しています。
その一方で特定の作風には停滞せず、自分の殻を意識して破って、挑戦的な試みを続けています。
その尖がった設計姿勢とスピリットにはしびれます。

建築家もここまで振り切れていると、快い笑いが腹の底からこみ上げて、清々しい気持ちで満たされました。

伊東さんはどこまでいくんだろう…。


佐野

 
 
  

  
 
 
 

 

2010/3/30    
 


先日、ちょっとしたメンテナンスと点検を兼ねて所沢のリフォームの家へ伺いました。

工務店ということもあり、竣工後に点検やメンテナンスでお伺いする機会はわりと多いのですが、こうした際にお施主さんと住宅について話すことや、生活ぶりを見させていただくことは多くの発見があり、今後の設計のヒントになることも多くあります。

設計という行為は、今まで見たり聞いたりしたことなど様々な体験がベースとなっているような気がするのですが、なかなか自分の設計した建物で過ごす機会はありません。

そのような中で「こういう部分が良かったよ」とか、時には「この辺りはもう少しこうした方が使いやすかったかな」などと、実際に私の設計した住宅に住まわれているお施主さんにアドバイスを頂くことや、思いがけない使われ方をされている場合を見たときなど、すごく良い経験になります。

今回伺った所沢のリフォームの家では新しく作った大きな吹き抜けを利用して、白い漆喰の壁にプロジェクターから映像を写していました。吹き抜けに面した階段に座って子供たちがアニメを見ているそうです。

設計当初はそのような予定はなかったのですが、吹抜けやそれに面する階段など、出来上がった空間をうまく使っていただいている様子をみると、空間から出来事が生まれたような、またこの住宅の可能性の広がりを見たような気がしてすごく幸せな気分になりました。

田村

      
 
 
     
 

 

2010/3/2    
  ■イージーライダー

冒頭でピーターフォンダ演じるキャプテンアメリカが
自分の腕時計を投げ捨てる。この映画の芯を成す  「自由」の表現だ。
ハーレーで決まった目的もなく無人の道を突き進む。
気ままな旅を描いたその映画は衝撃のラストを迎える



道で偶然でくわしたトラック乗り達になんの前触れもなく突然ライフルで撃たれて死んでしまう。
身なりから生き方まで異端な2人の青年が手にした自由はそのシーンで幻想である事に気づかされる。
社会のしがらみから解放されようと奔放に生きるその姿が、外から見れば非難や排斥の対象でしかない。


この「イージーライダー」に代表されるような反体制的な人物を描きながら、結末はハッピーエンドではない。主役が無力に体制に押しつぶされるような、今のハリウッド映画から見れば考えられない不条理な展開。
これがアメリカンニューシネマという映画作品群の特徴だ。


共産主義の熱狂が、夢や理想でしかないと気づき始めた60年代後半にこの映画のムーブメントはピークを迎え70年代に入り消えてなくなった

夢や現実を実直に描きながらもただひたすらにカッコいい。そんな映画が僕は好きだ。アメリカンニューシネマと、作品「イージーライダー」は映画史に残り続けるだろう。何度見てもその魅力は色褪せない。

岸田

        
 
     
 

2010/2/9

 
  実験生活

私事で恐縮ですが、引越しを行いました。
ますいい不動産部のご好意もあり、快適な部屋に移ることが出来ました。

女優の麻生久美子さんは引越しが趣味だそうで、「物が減って環境も新鮮になり、生活が軽くなります」と書かれていたのをどこかで読み、恥ずかしながら大いに共感してしまったのです。

この際、今までの生活の澱は思い切って処分しました。
古くなったTV、冷蔵庫、家電製品、雑誌や衣類を徹底的に整理。
あるのは本とベッドと小さいテーブルと植物…。

カーテンも取り払い、朝日と共に目を覚ましています。

物の少ないシンプルな生活を実践してみようという具合です。

今回の行動の一端は、私の過去の体験的な部分にも拠っています。
それは学生時代に訪れた、ル・コルビジェ設計のラトゥーレット修道院(フランス)での一泊です。
必要最少限のものしかない清々しさ。コンクリートの荒々しくも研ぎ澄まされた空間。
そこに身を浸した時の、何とも言えない心地よさ。包まれている安心感がありました。

いつか再び、そう、いつか再びあのような空間に身を置きたいと思い続けてきました。
そして引越しを契機に、あのなつかしい感覚がふつふつと蘇ってきたのです。

引越してみて、本を読む時間が増えました。
集中して物を考える時間も増えました。
周囲からは、「大丈夫か?」という温かい励ましも頂きました。

捨てることによって始まることもあると、最近は実感しています。
自身の身の廻りの密度を質高く、濃くしていきたいと考えています。

佐野

 
                 
                 旅先のラトゥーレット修道院 僧房内部
 
 
 

2010/1/5

 
 

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末、年始の休暇中、島根の実家へ帰ってきました。
私はいつも電車を使っての最短ルートである、出雲から岡山間を在来線(特急)、岡山・東京間を新幹線という山陽側を通って帰省しているのですが、今回は山陰本線で鳥取・兵庫を抜けて京都まで行く山陰(日本海側)のルートで帰ってきました。
以前より、そのルートを一度通ってみたかったのですが、時間もかかる(鳥取から城崎温泉間は特急がなく各駅停車しかありません)ということでなかなか機会がありませんでしたが今回初めて通ってきました。その目的はふたつです。

ひとつは架け替えが決まっている、余部橋梁を見てみたいと思ったからです。
余部橋梁は兵庫県浜坂町に明治時代に作られた鉄橋で、山陰の厳しい山岳地帯の集落をまたぐ形で作られている珍しい形の鉄道橋です。
このような橋でも、現在の技術ではコンクリートで簡単に作ってしまえると思いますが、写真を見るだけでも、当時の工事の大変さが垣間見え、その技術と知恵と努力の結晶であるこの橋は非常に美しい姿をしています。
残念ながら今回は時間の関係上、降りてみることは出来なかったのですが、電車で渡るとまるで天空を走っているような感覚でした。

ふたつ目の目的は、兵庫県日高町にある植村直己冒険館に行くことです。
実は植村直己については、名前と冒険をしていた人ということくらいしか知らなかったのですが、年末に事務所の佐野さんに
『青春を山にかけて』 植村直己、著
の本を教えてもらって、読んでいるうちに植村直己に惹かれてしまい、帰省のついでもあったので行って来ました。

私は登山はやったことがないのですが、この本や冒険館に行って気づいたことは、登山家は誰に強制されたわけでもなく山に登り、自分で与えた困難を乗り越え、次の目標(困難)をたて、また克服する。そしてそこは常に死と隣あわせで、何かマゾヒズムにも近い感覚だと思います。
しかしそれと同時に、実は私達の日常の社会もそこまで極端ではないけれど、同じようなものなのでしょう。困難は誰かから与えられるものではなく、常に自分の選択の結果のように思います。
そしてそのような生き方をストレートに実行したのが植村直己であって、日常社会にあってなかなか自由に実行できない私達が、植村直己という人物に惹かれるのはなんとなくそういう理由のような気がします。

田村
 
 
  
 
写真:余部橋梁(左) 植村直己冒険館(右)  
 
  2009/12/3  
 

先日、ビートルズのオリジナルアルバムがすべてリマスターされました。

僕もよくビートルズをよく聴くのですが、ビートルズの飽きの来ない魅力とは、ポップな楽曲の裏にある、実験的な試みにあると思います。

日本に来たアイドルだった頃を抜け、スタジオで作られた数枚のアルバムはどれも先進的で、特に「サージェントペッパーロンリーハーツクラブバンド」はジャンルを問わず、世界のミュージックシーンに衝撃を与えました。

最新の機器を用い、新しいサウンドをつくり上げながら、架空のバンドによる擬似ライブ仕立てにするという試みは、今のコンセプトアルバムの走りだといわれています。

さらに音楽の中だけでなく、架空の世界にビートルズの4人が登場し、サージェントペッパー等の楽曲を演奏するアニメ映画「イエローサブマリン」は当時では珍しいメディアミックスを行うことで商業的にも成功したようです。

今なお時代を超え多くのファンを引き付け続けるビートルズですが、その楽曲はメンバーの才能と、音楽を超え前衛的な活動として作品を世に送ろうとするモチベーションが形となって現れているように思います。


数多くの音楽が生まれては消えるなか、その先進性ゆえビートルズは、時間の流れとともにその魅力が際立っていく数少ないアーティストだと思います。


岸田





若き日のリンゴ・スター


 
 
 
 
  2009/11/18  
  エジソンが好きだ

最近たて続けにエジソンの本を買った。
以前よりぼんやりと気になっていたのだが、掲載されていた写真に魅せられてしまったのだ。

「発明は99%のパースピレーションと1%のインスピレーションである」

あまりに有名な言葉だ。

パースピレーションは試行錯誤のことだと思う。
しかも嫌々やっているのではなく、好きで好きで止まらないような状態だと思う。夢中なのである。

発明のアイデアは、そのひたすらな試行錯誤の中から搾り出される様に、記憶や経験がない交ぜになって一瞬にして生まれるのだ。設計と似ているところがある。

エジソンは不撓不屈。
蓄音機を発明した本人が、耳が不自由だった。靴を履いたまま実験室で眠り、ぼさぼさの髪のままコーヒーをがぶ飲みして仕事を続ける。いくつものプロジェクトを抱え、同時並列的に進めていく。徹夜明けの自身の写真を好んで撮らせる。自分の工場が燃えてしまっているのを、こんな体験は滅多にないからとポジティブに凝視する。

どんな時でも、どんな時でもポジティブマインド。

その溢れるバイタリティに憧れる。

佐野





徹夜明けのエジソン肖像


 
 
 
 
  2009/11/2  
  さいたま市北区の現場の足場がはずれました。

現場の管理をしていて、楽しみな瞬間がふたつあります。
ひとつは床などを保護している養生を撤去するときで、もうひとつは建物の外周部を囲む足場が取れるときです。

床の養生を撤去するときは、自分達で作業することや竣工前で今まで隠れていた内観の全体像が見えてくるということで、プレゼントのパッケージを開けるようなワクワク感と期待感があります。
一方、足場の解体は少し違った感傷にひたります。
現場での作業や職人さんと打合せなどをしていると、その囲いは現実の社会と現場を仕切る結界のように僕には思われます。その中と外では、時間の流れが全く違うように感じられるのです。住宅という小さい建築物ですが、そこには多くの職人さんの技術や時間がかけられ、様々なやりとりが存在しています。
そして足場をはずすときは結界が破られ、なんだかそんなやりとりまでが、現実の社会、人目にさらされるような感じがして、少し気恥ずかしい気分になります。

しかし、まるで以前からそこに存在していたかのようにどーんと建っている建物を見ていると、建てぬしだけではなく、地域の人たちにも愛されるような建物になればいいなーといつも思います。


田村







 
   
 
  2009/10/20  
 
サッシについて

住宅設計をしながら常々感じているのですが、コストや施工性を考慮すると均質な工業製品を使うのはやむ得ないとしても、その中で、合理性とは別の、人の手の跡が感じられる工夫やデザインを何とか設計に盛り込めないかと、日々頭を悩ませています。

住宅の表情を一変させる部位としてサッシがあります。CGなどでスタディするとよくわかるのですが、サッシの種類を変える(たとえば木製からアルミサッシに変える)だけで奥行きがなく味気のないデザインになったり、かと思えば、見附の細いスチールサッシを使うだけで、風景と部屋内部に連続感が生まれ、面積以上の広がりが空間に生まれたりもします。

どうしてここまで、住宅の表情がサッシに支配されているのかと考えてみると、開口部の内外で住宅特有の 境界を作っているからだと思います。換気、採光などの住環境作り出す境界、プライバシーの高低を作り出す境界を作り出すなど、その境界があるからこそ住宅が住宅として定義されたり、機能するのであり、サッシはその重責を担っているのです。そしてその重責を私たちは無意識に感じ、注目するからそれがあたかも住宅の表情として捉えられているのだと思います。

岸田

 
 
  2009/10/8  
  身辺雑記

帰郷した際についつい足を運んでしまう場所がある。

富士山本宮浅間大社だ。
浅間は「せんげん」と読む。

浅間大社は浅間造と呼ばれる二層の楼閣建築。拝殿の後方上部に本殿がある。様式は流造り、総朱塗り、屋根は檜皮葺き。日本で唯一、二階に本殿がある神社建築とされている。
神体山は富士山であり、本殿の開口部は富士山に向けた軸線が通っている。

富士は不死、不二ともされ、古来より富士曼荼羅なども描かれ信仰の深い山である。江戸時代には冨士講が盛んになり、富士山に魅せられた人は多かった。武将からも尊崇を受け、社内には坂上田村麻呂、源頼朝、足利尊氏、武田信玄・勝頼父子、徳川家康などによる寄進が残る。

私は冬の富士山が好きだ。空気の澄んだ冬の日に見る富士山は、恐ろしくも美しい。山は父性の象徴とされるが、厳しい姿に心を打たれる。

静寂である。いずれにせよ浅間大社では、改めて自分の生まれた場所を認識することとなる。

佐野

 
 

  

 
 
  2009/9/30  
  あるお施主さんの敷地を調べていると、面白い写真を見つけました。

左下写真は航空写真ですが、規則正しくグリッド区画された田園地帯に円弧を描くように宅地(集落)が形成されています。方眼用紙に、子供が落書きしたような光景です。宇宙人の仕業でしょうか。
よくよく地図を見てみると、どうやら円弧を描いた水路沿いに宅地が形成されているようですが、なぜ円弧なのか詳しいことはわかりません。

私が大学時代に住んでいた大阪の南部でも似たような光景を見たことがあります。
そこでは、古墳によって計画道路が大きくカーブしていたり、不自然に円弧を描いた道路が、実は無くなった(破壊された)古墳の外形をトレースしたものだったりしていました。

こうした不自然なものたちは、普段の何気ない生活では気に止めないのですが、よくよくその形成プロセスを調べてみるとその所以は面白いことが多く、私たちの生活に奥行きを与えてくれているもののような気がします。

田村
 
 
  
 
写真右 : 円弧の道路が前方後円墳の円形部分です
 
  2009/9/2  

正月など、年に一度や二度神社に参拝される方は多いかと思いますが、小さな神社にも必ずといっていいほど、参道空間があり、そこまで意識して来訪する人はなかなかいないのではないでしょうか。

参道は鳥居や山門から神社までの通路を普通は示しますが、本来は街道など人通りの多いところから、神社に至る道のすべてを意味するようです。
年中人通りが絶えなく、参道を含めた神社全体が街の中心になっている場所に、香川県琴平町の象頭山に位置するこんぴらさんがあります。私も何度か足を運んだことがあるのですが、ただの社殿にいたるまでの登り口の石段の道に、多くの空間演出のための仕掛けがなされています。

鳥居を抜け、緩やかなカーブを描く階段を登っていると、少しずつゆっくり社殿が現れたり、かと思えば、上方に木々の茂った暗く急勾配の階段を抜けると、明るい本殿の広場に出くわし、琴平町全体の町並みが眺望できたりと、自然の作り出す空間演出とともに象頭山の豊かな地形を、たった785段の石段を登ることで感じることができます。

琴平町が今もなお観光地として賑わいを見せるのは象頭山の自然に最小限の人間の手入れによってできた、人と自然の歩み寄った特異な場に人が魅力を感じるのであり、利便性と経済性が軸となる都市機能の発達が、相反するその魅力と非日常の場の価値を高め人を呼び込んでいるのだと思います。

岸田

 
  2009/8/24  
 

読書雑記
藤森照信・著 『藤森照信 素材の旅』を読んで

 著者は東京大学生産技術研究所の教授である。
 『明治の都市計画』、擬洋風建築の研究など建築史家としてスタートし、現在では野性味ある素材追及に取り組む建築家としても著名である。
 '薄く軽く'がもてはやされる建築界にあって、その存在はしばしば異端視されてきた。

本書は藤森自身が日本各地に足をはこび、失われつつある味わい深い自然素材について、そのルーツを遡行し現代に掘り起こす旅が、豊富な写真と読みやすい文章で綴られている。
 とりあげられた素材は、聚楽土、土佐漆喰、青森ヒバ、ナラ、漆、茅、貝灰、千年釘、柿渋、焼杉、島瓦など構造材、仕上げ材を問わない。なかでも著者の故郷、信州諏訪の
鉄平石についての思いは深い。

 鉄平石は輝石安山岩。ノミを入れてはぐ平たく不正形な形が特徴で、古くは古墳の天井石、民家の屋根材などに使われてきた。藤森はこの鉄平石を、自身の設計「神長官守矢史料館」の屋根において40年ぶりに復活させた。自邸「タンポポハウス」では屋根・外壁ともに文字通り鉄平石で覆われている。私が訪れた「秋野不矩美術館」でも屋根材として用いられていた。鈍い色合いではあるが、鋭く攻撃的な形に強く魅了されたことを憶えている。決して回顧的な印象ではなく、荒々しい素材感を現代技術と共存させていた。

 抽象化、優しさの進みすぎた現代のデザイン潮流において、文化的縄文人、藤森の設計する作品は、「このままでいいのか?」と我々の心を揺り動かすエネルギーに満ちている。原始時代から潜在的に残る人間のどうしようもない根源的感性に訴えかけてくる。

 その視座は本当に異端なのかと考えてしまう。

佐野


藤森照信・著 
『藤森照信 素材の旅』

 

 
秋野不矩美術館

 
 
  2009/8/20  

 

 

 

 

お盆休みを利用して、帰省していた島根の実家から三時間程車を走らせ、三仏寺に行ってきました。
三仏寺は、鳥取県東伯郡三朝町の山間に小さな寺院郡が展開する、めずらしいかたちの仏教寺院です。そのメインは、奥の院「投入堂」ですが、そこにたどり着くまでには、受付で入山許可証をもらい、そこから険しい山道をはい上がってゆきます。大きな岩山や崖から突き出した木の根っこをよじ登り、50分程かけてようやくたどり着きました。
投入堂の特徴は「懸け造り」と言われる、山崖や岩山に張り出して作られる工法ですが、その様子はまるで鳥が岩陰で羽根を休めているような、絶妙なバランスで存在しています。今にも飛び立ってしまいそうな、なんとも言えない浮遊感がそこにはありました。
投入堂までの途中にある、文殊堂も見事な建物でした。こちらも大きな岩にもたれかかって造られた懸け造りの建築で、四方にめぐらされた縁側が空中に浮いているような構成になっていました。
時間をかけてたどり着く、それぞれの建築は風景の一部の様でもあり日常生活では味わえない貴重な体験となりました。

田村

 

 

 

 
 

 

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