2011/10/16
 

■北海道の思い出

お客様のSさんにお会いしに北海道に行ってきました。

近代化が進む札幌市や、昔の町並が色濃く残る小樽市などに足を運び、北海道の建築を見てきました。札幌や小樽の都市部はオフィスビルを中心とした近代ビルの林立する街の中に、ぽつぽつと明治時代の、装飾の施された歴史の重みを感じる建築が建っています。発展する街に 残されるその姿が、北海道の歴史をより際立たせているといった感じです。

北海道の発展は、明治維新後に北海道開拓使(北海道の中央官庁)が設置される事から始まります。鉄道の開発や、ビールを中心とした農産加工や木工、鉄工などの産業を官営で行い、近代化を急ピッチで進めました。(ちなみにサッポロビールの星マークは、開拓使を表すシンボルから取ったとのことです。)

その頃の建築はというと近代化=西欧化という流れがあったようで、実際のモデルはその時代の歴史主義建築でした。簡単に言うと西洋の過去の様式美を取り入れた建築です。

特にその中でも印象に残ったのが 日本郵船株式会社の小樽支店です。

札幌が北海道の都市機能が移転される前に、小樽は北海道開拓の拠点だったそうです。海に隣接する当時の小樽は商業港湾機能を充実しつつあり、港には石造りの倉庫が多く建てられました。その中で日本郵船は小樽の産業を支える中心として設置されたのだと思います。

設計は佐立七次郎で、東京駅を設計した辰野金吾ととともに明治時代に活躍した建築家です。 建物はルネサンス様式、石造りの重厚な建築です。細部に装飾が施され、内装の豪華さは 小樽発展の拠点とすべくこの建物を造った開拓使の心意気が伺えます。一見の価値ありです。

今回、建築や自然に触れながら、北海道の歴史を伺い知るという贅沢な時間を過ごせました。 限られた時間の中だったため、広大な北海道の一部を見ることしかできませんでしたが ぜひとも今度は時間をとって、都心では見られない風景に出会ってみたいと思います。


岸田壮史

 


 

 
 

2011/9/30

 

■芹沢_介の家



芹沢_介(せりざわ けいすけ)は大正、昭和期の染色家です。

柳宗悦、棟方志功、浜田庄司、河井寛次郎らと共に民藝運動を進めた芸術家でもあります。

作風は明るく朗らかで、動物、植物、人物、風景など身近なモチーフを図柄にしています。



静岡市の登呂遺跡公園内に、建築家・白井晟一設計の芹沢_介美術館があります。

そのちょっと奥に、
芹沢_介の家が保存されています。
東北地方の農家の板倉を、住居として移築したそうです。



ここには実家に帰った際に、必ず寄ります。

美術館も素晴らしいのですが、この家が目的なのです。



もともとの家のしつらえは簡素ですが、芹沢の手によってリノベーションされています。

土間は一部残し、床は松材の朝鮮張りとしています。
間仕切り壁は取り払われ、ワンルームになっています。
天井は梁があらわしですが、ピッチや成はまちまちです。
柳宗悦のアドバイスを受け、南の庭に面して出窓を設け、採光が確保さ れています。
漆喰壁は白と鶯色に塗り分けられ、調度品が選定され、建具もお手製です。

所々に実験的な試みが施され、新しい息吹きが吹き込まれています。



私はここの静かな机まわりが好きです。



「この家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です」という芹沢のコメントが印象的でした。

 

佐野

 

 


 

 
 

2011/6/27

 

■牧野さんのこと

 

東京都練馬区にある牧野記念庭園に行ってきました。
植物学者、牧野富太郎博士が晩年を過ごした場所が、植物庭園になっています。

都内に出た際に、時々フラ〜っと寄ります。

園内は300種あまりの植物、高さのある木々に囲まれ、薄明るくて静かです。
庭はきれいに手入れされていますが、コジンマリしていません。
植物達が適度に野放図にされている感じが、逆に気持ちよいです。

 

展示中の牧野さんの言葉に「跋渉(ばっしょう)の労を厭わない」というのがありました。
植物の新種は、山に登り、森林に分け入り、川を渡り、沼に入り、原野を歩き廻って発見できるのであって、しんどい事は避けては駄目だとの事です。

ただ、そこに写っている牧野さんの顔はいつもニコニコしています。
野外採集でも、フロックコートを着て、胴らんを袈裟懸けにして、笑顔でみんなの先頭を歩いている。
口元に笑みを浮かべながら、一心にルーペをのぞいている。
植物に囲まれていつも笑っている。笑みがこぼれる。

ここまで気持ちよく笑っているって、なんなんだろう。

植物の美しさ、豊かさ、おもしろさ、ありがたさ、それらを楽しんでいるのでしょうか。
研究が、楽しくて楽しくて、しょうがないのでしょうか。
多分、仕事と私生活の境界は無く、そんなこと別に気にしなかったのか・・・。

牧野博士の独特のユーモラスな雰囲気が好きです。

 

展示室の設計は建築家・内藤廣。

建築は伸びやかでおおらかでありながら、チャラついていません。
奥へ奥へとシークエンスが広がり、包含される広がりに引き込まれていきます。

高知県にある本館もすばらしい建物です。

 

佐野

 

 

 


 

 

 

 


2011/5/25  
 

■基本設計

 

北区で計画中の住宅の基本設計を行なっています。

この計画では、現在客間として使っている築80年近い歴史がある和室部分を居間として保存し、新築する母屋のほうにダイニングキッチン、水周りとそれぞれの個室を作る予定です。そんな2つの箱がうまれる、この住宅ならではの魅力的な生活ができるようなプランを検討しています。

模型製作をしていますが、2つの箱がそれぞれの特徴を生かしながら、保存する居間部分と新築するダイニングキッチンが一つの空間のように繋がりある場ができ、この計画ならではのプランが出来たと思います。

 

鈴木 

 
保存する和室


   


2011/5/24  
  ■街の力

GW、旅行に出かける。旅行の予定は、香川の友人と会って、丸亀、直島、金比羅をめぐること。東京から向かう途中に岡山を通るので、少し回り道になるが倉敷に寄る

見所はなんといっても、美観地区の、白壁が続くレトロな街並みだろう。駅前の近代的な街並みが続く目貫通りから一本路地を入ると、周りの土地の文脈から切り離された蔵造りの商店街が現れる。江戸時代からのこの地区は商店が居並んでおり、中身は変わりながら、町のハードはそのまま大事に使われてきているようだ。(商店は観光に特化したものでなくて、飲食店や、衣料品店、など形態は様々なものだった)

 GWということもあり、観光目的らしき人たちで街に賑わいがあり、この街並みが今と変わらず保存され続ければ街の活気も衰えることはないのだろう。

旅行に行くといつも感じることがあって、倉敷にしろ、川越、京都にしろ歴史を観光資源とした街にこぞって人が集まるのか。きっと日常とは切り離されたレトロな雰囲気に惹かれそこに足を運びたいと思うのだろう。

 ただ僕が不思議に思うのは、この根源的な欲求とは切り離された心の揺らぎが何に引起されるかだ。 観光地は、突き詰めればこの心の揺らぎによって維持され続けるわけだから、揺らぎを起こす原因を考えれば街を動かす原動力が実体として見えてくるはずだと思う。


観光が産業化され出したのが1960年代以降。日本では右肩上がりの高度経済成長も落ち着き始めた時期だ。それ以前は戦後の物の欠乏が、そのまま欲望になって、人間を組み立てる。。
ほしいものはみんな同じで、大衆の購買力が経済を引っ張るマスマーケットが成立した時代だ。

国民が一丸となって、豊かさを未来のビジョンとして思い描くわけだから、物質的にも、精神的にも画一化が、経済の成長と共に進んでいく。空っぽの豊かさの箱はものすごいスピードでいつの間にが満たされ、そこからあふれ出た。満たされる前は上向きの一方方向の豊かさのベクトルが、箱からあふれ出ることで四方八方に散らばった。高度経済成長の囲われた豊かさが終わったときだ。

物的に十分に満たされた日本人が次に求めたのは精神の豊かさだ。
豊かさの指標が物から、精神へと変革を遂げた。言い換えれば大衆の想いが知覚できる「モノ」から脱知覚化「思い」へと変わったのだ。ユメ、ファンタジー、憧れ・・・思いを構成する渦が、モノを飲み込んで日本を席捲したのだと思う。

ものの資本主義の殻を破って、思いの資本主義が生まれたのだ、主要な売り物が気分になるのだ。
思いを造るのは差異だ。
「きのうと違う私」これを、思いの資本主義のフィルターのかければ、主語は私でなく、「気分」やその「場」になり、その気分・場を購入する私がいて、昨日との私の差異を造るのだ。

募る思いは天井知らず。差異がなくなれば、そこにまた差異をつくればよい。
思いの資本主義は無限に続くのだ。

最初に話に出た心の揺らぎは、気分が永遠と市場にあふれ出る、思いの資本主義によって造られているのだ。文明の進歩は、差異の輪郭をよりはっきりさせるだろう。歴史をもつ街のエネルギーは時間の流れと共にいつまでも耐えることはないのだ。


岸田 壮史

 


倉敷の街並み

 
 


2011/5/23  
  ■震災後に思うこと


東日本大震災から2ヶ月余り経ちました。
埼玉で働いている私達を取り巻く環境は、淡々としています。

停電や放射能に恐れおののくことなく、日々の業務が進んで行きます。
現場では、機器や外壁材の納期が遅れたりと、多少の影響はありましたが、なんとか収めている状況です。

地震発生の2週間後、事務所の有志と共に現地でのボランティア活動に参加しました。
私自身、ボランティアは初めての体験でした。
まちづくりに関わる者として、被災地の状況を自分の目で見ておきたく、行動しました。

私達が向かった宮城県亘理町は都市部から離れ、津波の被害にあった地域であり、支援ボランティア組織の手もまだまだ行き届いていない状況でした。

10人程度のチームが編成され、あるお宅のゴミや泥出しのお手伝いをすることになりました。海岸線から6〜7kmにあるそのお宅は、1.5mほど津波による浸水があり、庭や家の中一面に泥が5cmほど堆積していました。

各自、スコップや一輪車を使い、1日かけて手作業で泥を外に出していきます。
被害を受けた家族の方が黙々と泥を掻き出す姿が、妙に心に痛みをもって覚えています。

そのお宅から、更に海岸線に近づくと、そこはまさにTVで映されている光景が広がっていました。全壊した家々、横転した車やショベルカー、線路を塞ぐゴミの塊、なぎ倒されて流された防波林の松、散乱するゴミやヘドロなど・・・。

その被害が現在どのくらい改善されているのか。薄れていく視覚的な記憶と共に、時々ふと思い出す泥の感触があります。

私自身の微妙な変化として実感していることは、建築単体として家づくりに従事するだけでなく、少し範囲を広げた地域レベルでの活動に興味を持ちつつあるということです。
人間生活を支える分野で、これから先何が出来るのか?想像するばかりです。

私達は、日々、忘れ、慣れ、生きています。

停電で本当に真っ暗になった街を歩いて帰ったこと。食料品や飲料水が店舗から一斉に消えたこと。被災地で見た惨状、瓦礫の埃、ヘドロの匂い。
それら雑多な記憶の断片や、それぞれに反応する人々の心の有り様を、決して忘れないこと。

今はそれが何よりも大切なのではないかと思っています。

佐野

 
 
   

  
 
 
2011/1/8
 

■閑谷学校に行ってきました。

閑谷学校は岡山県の山間にある、江戸時代につくられた庶民教育のための学校です。
JR吉永駅を降りて、閑谷学校ゆきのバスを探しましたが、一日に朝と夕方の3本しか出ていないようです。
タクシーで目の前まで行くのも味気ないので、歩いて行くことにしました。

山道を徒歩でとぼとぼ50分程、トンネルを抜けると閑谷学校をぐるりと囲む石塀の脇に出ました。施設全体を囲む石塀は、山間を切り開いた高低差に沿って蛇行しています。
低く抑えられた塀は、「切り込み接ぎ式」という工法で形の違う石を石工が組み上げています。また角はすべてRになっており、塀としての威圧感は無く、施設全体を柔らかく包んでいます。

建物のメインは、生徒たちが儒教を学んでいた講堂です。備前焼の手法が使われたどっしりとした瓦屋根は、雨が入りやすい焼き物を瓦として使っているため、屋根下地の上に通気層を設け、また軒先には入ってきた水を抜くための穴を設けるなど、様々な工夫がされています。

しかし、一番驚いたのは現在においても黒光りしている床板です。磨きこまれた床板に座り、開口から光が注がれる床板を眺めていると、儒教の講義の前に、雑巾がけをしている学究の姿さえ浮かんでくるようです。

田村

 
 
 
2010/12/24
 

■色、素材について

普段設計や現場管理をしていると白や木(木造が多いので)の素材感をそのまま生かした仕上げを多用する。
これにはコストの影響が大きいという理由ともうひとつ、建築の専門雑誌に載っている家の多くが白を基調としたものが沢山載っていて、たしかにその家は格好良い。そういう家が格好良いという教育も受けてきたのでついそう思ってしまう。

でも、たまには違うようなこともやってみたいという欲求にかられる。
そこで普段使わないような色や素材をこちらから提案して、仕上がりが良くなかったらと思って怯んでしまう。
それを旨くまとめるのが専門家だろうと言われてしまうかもしれないけど、それだけ色や素材感のバランスというのは難しい。

そこで、頼りというか勇気をもらえるのがお客さんのイメージ像になる。1つの例を挙げると所沢のリフォームがある。

この家のお施主さんは、北欧に在住していた過去を持っていて、リフォームイメージとしてそのときに経験したようなものを教えてくれた。使った材料は普段ますいいで使用しているフッラトバーの手摺、パイン材の床にオスモ塗装などで、職人さんも普段と変わらない。記憶やイメージを頼りにする設計や現場は楽しいし、思いもよらない収穫がある。

中村

 
 

 

2010/8/5    
  ■マイルスデイビス

ニューオリンズで生まれてから100年余り、いまや多様なスタイルやジャンルに枝分かれし、
その分類も難しくなってしまったジャズですが、その中でモダンジャズの代名詞として語り継がれるのが帝王マイルスデイビスです。

マイルスデイビスがジャズの歴史を作ったというよりも、ジャズのそのものといったほうが正しいと思える
程の偉業を彼は成し遂げました。

1940年代にジャズの主流だったスタイル、ビバップ(ライブハウスなどでアドリブ主体で演奏するスタイル)
から構成重視、理知的なクールジャズを生み出し、今まで黒人だけの音楽だったジャズに白人層も
取り込む革命を起こしました。

さらに先駆的な活動を続け1950年代にはハードバップ、60年代モードジャズを完成させます。
凄いのはマイルスデイビスの造ったスタイルは、決して独自のものではなく、その時代のジャズのスタイル の根幹になっているところです。一時代の流行ではなく歴史にしっかりと足跡を残しながら変革を続けて
いったのです。(門下生だったジョンコルトレーンや、ハービーハンコックの活躍を見ればそれも納得がいくと 思います。)

ここからの活動がさらに面白く、多彩な楽器を使い、他ジャンルとの融合を試みます。
いまや音楽の1ジャンルとなったフュージョンも、もともとはロックとジャスのの融合を試みた マイルスの活動の賜物といえます。さらに晩年はヒップホップとジャズの融合を試みるなど 最期までその音楽に対する探究心は衰えることはなかったようです。

マイルスの名盤は、模索と進化の過程なのです。作り出した音楽はもとより, この稀有な存在こそジャズの歴史なのです。

岸田

 

  

    In A Silent Wayのジャケット写真

       眼力が半端じゃない

 
 
     
  2010/4/30  
  光の渦

先日、建築家の伊東豊雄さんが設計された、座・高円寺を見に行きました。

座・高円寺は2008年に東京都杉並区に建設された、本格的な舞台芸術のための劇場です。
高円寺は阿波踊りが有名ですが、地域に根ざした文化活動を支える為に、ホール、稽古場、演劇資料室、カフェなどで構成されています。

伊東さんは現代日本を代表する気鋭の建築家です。
以前から建築雑誌で気になっていたのですが、特に階段とカフェは見応えがありました。

階段は濃いえんじと白のコントラストが鮮やかです。
ここに円形の窓から入った光と照明とが重なりあって、光の濃淡が流動的に展開しています。
観劇までのアプローチ空間が、ドラスティックに演出されています。

また、カフェは深海にたゆたうような…。
孔のような無数の窓から、光の束が速射砲のように注ぎ込まれています。
それでいて、不思議に落ち着くのです。

伊東さんは中世のテント小屋のイメージを持たれていたそうです。
想像するにその頃は、まだまだ娯楽も素朴で、皆が闇に浸り、闇と共存し、ただただおおらかな広がり下で劇を共有していたのでしょうか。

伊東さんは60歳を過ぎられて、建築家としてますます円熟味を増しています。
その一方で特定の作風には停滞せず、自分の殻を意識して破って、挑戦的な試みを続けています。
その尖がった設計姿勢とスピリットにはしびれます。

建築家もここまで振り切れていると、快い笑いが腹の底からこみ上げて、清々しい気持ちで満たされました。

伊東さんはどこまでいくんだろう…。


佐野

 
 
  

  
 
 
 

 

2010/3/30    
 


先日、ちょっとしたメンテナンスと点検を兼ねて所沢のリフォームの家へ伺いました。

工務店ということもあり、竣工後に点検やメンテナンスでお伺いする機会はわりと多いのですが、こうした際にお施主さんと住宅について話すことや、生活ぶりを見させていただくことは多くの発見があり、今後の設計のヒントになることも多くあります。

設計という行為は、今まで見たり聞いたりしたことなど様々な体験がベースとなっているような気がするのですが、なかなか自分の設計した建物で過ごす機会はありません。

そのような中で「こういう部分が良かったよ」とか、時には「この辺りはもう少しこうした方が使いやすかったかな」などと、実際に私の設計した住宅に住まわれているお施主さんにアドバイスを頂くことや、思いがけない使われ方をされている場合を見たときなど、すごく良い経験になります。

今回伺った所沢のリフォームの家では新しく作った大きな吹き抜けを利用して、白い漆喰の壁にプロジェクターから映像を写していました。吹き抜けに面した階段に座って子供たちがアニメを見ているそうです。

設計当初はそのような予定はなかったのですが、吹抜けやそれに面する階段など、出来上がった空間をうまく使っていただいている様子をみると、空間から出来事が生まれたような、またこの住宅の可能性の広がりを見たような気がしてすごく幸せな気分になりました。

田村

      
 
 
     
 

 

2010/3/2    
  ■イージーライダー

冒頭でピーターフォンダ演じるキャプテンアメリカが
自分の腕時計を投げ捨てる。この映画の芯を成す  「自由」の表現だ。
ハーレーで決まった目的もなく無人の道を突き進む。
気ままな旅を描いたその映画は衝撃のラストを迎える



道で偶然でくわしたトラック乗り達になんの前触れもなく突然ライフルで撃たれて死んでしまう。
身なりから生き方まで異端な2人の青年が手にした自由はそのシーンで幻想である事に気づかされる。
社会のしがらみから解放されようと奔放に生きるその姿が、外から見れば非難や排斥の対象でしかない。


この「イージーライダー」に代表されるような反体制的な人物を描きながら、結末はハッピーエンドではない。主役が無力に体制に押しつぶされるような、今のハリウッド映画から見れば考えられない不条理な展開。
これがアメリカンニューシネマという映画作品群の特徴だ。


共産主義の熱狂が、夢や理想でしかないと気づき始めた60年代後半にこの映画のムーブメントはピークを迎え70年代に入り消えてなくなった

夢や現実を実直に描きながらもただひたすらにカッコいい。そんな映画が僕は好きだ。アメリカンニューシネマと、作品「イージーライダー」は映画史に残り続けるだろう。何度見てもその魅力は色褪せない。

岸田

        
 
     
 

2010/2/9

 
  実験生活

私事で恐縮ですが、引越しを行いました。
ますいい不動産部のご好意もあり、快適な部屋に移ることが出来ました。

女優の麻生久美子さんは引越しが趣味だそうで、「物が減って環境も新鮮になり、生活が軽くなります」と書かれていたのをどこかで読み、恥ずかしながら大いに共感してしまったのです。

この際、今までの生活の澱は思い切って処分しました。
古くなったTV、冷蔵庫、家電製品、雑誌や衣類を徹底的に整理。
あるのは本とベッドと小さいテーブルと植物…。

カーテンも取り払い、朝日と共に目を覚ましています。

物の少ないシンプルな生活を実践してみようという具合です。

今回の行動の一端は、私の過去の体験的な部分にも拠っています。
それは学生時代に訪れた、ル・コルビジェ設計のラトゥーレット修道院(フランス)での一泊です。
必要最少限のものしかない清々しさ。コンクリートの荒々しくも研ぎ澄まされた空間。
そこに身を浸した時の、何とも言えない心地よさ。包まれている安心感がありました。

いつか再び、そう、いつか再びあのような空間に身を置きたいと思い続けてきました。
そして引越しを契機に、あのなつかしい感覚がふつふつと蘇ってきたのです。

引越してみて、本を読む時間が増えました。
集中して物を考える時間も増えました。
周囲からは、「大丈夫か?」という温かい励ましも頂きました。

捨てることによって始まることもあると、最近は実感しています。
自身の身の廻りの密度を質高く、濃くしていきたいと考えています。

佐野

 
                 
                 旅先のラトゥーレット修道院 僧房内部
 
 
 

2010/1/5

 
 

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末、年始の休暇中、島根の実家へ帰ってきました。
私はいつも電車を使っての最短ルートである、出雲から岡山間を在来線(特急)、岡山・東京間を新幹線という山陽側を通って帰省しているのですが、今回は山陰本線で鳥取・兵庫を抜けて京都まで行く山陰(日本海側)のルートで帰ってきました。
以前より、そのルートを一度通ってみたかったのですが、時間もかかる(鳥取から城崎温泉間は特急がなく各駅停車しかありません)ということでなかなか機会がありませんでしたが今回初めて通ってきました。その目的はふたつです。

ひとつは架け替えが決まっている、余部橋梁を見てみたいと思ったからです。
余部橋梁は兵庫県浜坂町に明治時代に作られた鉄橋で、山陰の厳しい山岳地帯の集落をまたぐ形で作られている珍しい形の鉄道橋です。
このような橋でも、現在の技術ではコンクリートで簡単に作ってしまえると思いますが、写真を見るだけでも、当時の工事の大変さが垣間見え、その技術と知恵と努力の結晶であるこの橋は非常に美しい姿をしています。
残念ながら今回は時間の関係上、降りてみることは出来なかったのですが、電車で渡るとまるで天空を走っているような感覚でした。

ふたつ目の目的は、兵庫県日高町にある植村直己冒険館に行くことです。
実は植村直己については、名前と冒険をしていた人ということくらいしか知らなかったのですが、年末に事務所の佐野さんに
『青春を山にかけて』 植村直己、著
の本を教えてもらって、読んでいるうちに植村直己に惹かれてしまい、帰省のついでもあったので行って来ました。

私は登山はやったことがないのですが、この本や冒険館に行って気づいたことは、登山家は誰に強制されたわけでもなく山に登り、自分で与えた困難を乗り越え、次の目標(困難)をたて、また克服する。そしてそこは常に死と隣あわせで、何かマゾヒズムにも近い感覚だと思います。
しかしそれと同時に、実は私達の日常の社会もそこまで極端ではないけれど、同じようなものなのでしょう。困難は誰かから与えられるものではなく、常に自分の選択の結果のように思います。
そしてそのような生き方をストレートに実行したのが植村直己であって、日常社会にあってなかなか自由に実行できない私達が、植村直己という人物に惹かれるのはなんとなくそういう理由のような気がします。

田村
 
 
  
 
写真:余部橋梁(左) 植村直己冒険館(右)  
 
  2009/12/3  
 

先日、ビートルズのオリジナルアルバムがすべてリマスターされました。

僕もよくビートルズをよく聴くのですが、ビートルズの飽きの来ない魅力とは、ポップな楽曲の裏にある、実験的な試みにあると思います。

日本に来たアイドルだった頃を抜け、スタジオで作られた数枚のアルバムはどれも先進的で、特に「サージェントペッパーロンリーハーツクラブバンド」はジャンルを問わず、世界のミュージックシーンに衝撃を与えました。

最新の機器を用い、新しいサウンドをつくり上げながら、架空のバンドによる擬似ライブ仕立てにするという試みは、今のコンセプトアルバムの走りだといわれています。

さらに音楽の中だけでなく、架空の世界にビートルズの4人が登場し、サージェントペッパー等の楽曲を演奏するアニメ映画「イエローサブマリン」は当時では珍しいメディアミックスを行うことで商業的にも成功したようです。

今なお時代を超え多くのファンを引き付け続けるビートルズですが、その楽曲はメンバーの才能と、音楽を超え前衛的な活動として作品を世に送ろうとするモチベーションが形となって現れているように思います。


数多くの音楽が生まれては消えるなか、その先進性ゆえビートルズは、時間の流れとともにその魅力が際立っていく数少ないアーティストだと思います。


岸田





若き日のリンゴ・スター


 
 
 
 
  2009/11/18  
  エジソンが好きだ

最近たて続けにエジソンの本を買った。
以前よりぼんやりと気になっていたのだが、掲載されていた写真に魅せられてしまったのだ。

「発明は99%のパースピレーションと1%のインスピレーションである」

あまりに有名な言葉だ。

パースピレーションは試行錯誤のことだと思う。
しかも嫌々やっているのではなく、好きで好きで止まらないような状態だと思う。夢中なのである。

発明のアイデアは、そのひたすらな試行錯誤の中から搾り出される様に、記憶や経験がない交ぜになって一瞬にして生まれるのだ。設計と似ているところがある。

エジソンは不撓不屈。
蓄音機を発明した本人が、耳が不自由だった。靴を履いたまま実験室で眠り、ぼさぼさの髪のままコーヒーをがぶ飲みして仕事を続ける。いくつものプロジェクトを抱え、同時並列的に進めていく。徹夜明けの自身の写真を好んで撮らせる。自分の工場が燃えてしまっているのを、こんな体験は滅多にないからとポジティブに凝視する。

どんな時でも、どんな時でもポジティブマインド。

その溢れるバイタリティに憧れる。

佐野





徹夜明けのエジソン肖像


 
 
 
 
  2009/11/2  
  さいたま市北区の現場の足場がはずれました。

現場の管理をしていて、楽しみな瞬間がふたつあります。
ひとつは床などを保護している養生を撤去するときで、もうひとつは建物の外周部を囲む足場が取れるときです。

床の養生を撤去するときは、自分達で作業することや竣工前で今まで隠れていた内観の全体像が見えてくるということで、プレゼントのパッケージを開けるようなワクワク感と期待感があります。
一方、足場の解体は少し違った感傷にひたります。
現場での作業や職人さんと打合せなどをしていると、その囲いは現実の社会と現場を仕切る結界のように僕には思われます。その中と外では、時間の流れが全く違うように感じられるのです。住宅という小さい建築物ですが、そこには多くの職人さんの技術や時間がかけられ、様々なやりとりが存在しています。
そして足場をはずすときは結界が破られ、なんだかそんなやりとりまでが、現実の社会、人目にさらされるような感じがして、少し気恥ずかしい気分になります。

しかし、まるで以前からそこに存在していたかのようにどーんと建っている建物を見ていると、建てぬしだけではなく、地域の人たちにも愛されるような建物になればいいなーといつも思います。


田村







 
   
 
  2009/10/20  
 
サッシについて

住宅設計をしながら常々感じているのですが、コストや施工性を考慮すると均質な工業製品を使うのはやむ得ないとしても、その中で、合理性とは別の、人の手の跡が感じられる工夫やデザインを何とか設計に盛り込めないかと、日々頭を悩ませています。

住宅の表情を一変させる部位としてサッシがあります。CGなどでスタディするとよくわかるのですが、サッシの種類を変える(たとえば木製からアルミサッシに変える)だけで奥行きがなく味気のないデザインになったり、かと思えば、見附の細いスチールサッシを使うだけで、風景と部屋内部に連続感が生まれ、面積以上の広がりが空間に生まれたりもします。

どうしてここまで、住宅の表情がサッシに支配されているのかと考えてみると、開口部の内外で住宅特有の 境界を作っているからだと思います。換気、採光などの住環境作り出す境界、プライバシーの高低を作り出す境界を作り出すなど、その境界があるからこそ住宅が住宅として定義されたり、機能するのであり、サッシはその重責を担っているのです。そしてその重責を私たちは無意識に感じ、注目するからそれがあたかも住宅の表情として捉えられているのだと思います。

岸田

 
 
  2009/10/8  
  身辺雑記

帰郷した際についつい足を運んでしまう場所がある。

富士山本宮浅間大社だ。
浅間は「せんげん」と読む。

浅間大社は浅間造と呼ばれる二層の楼閣建築。拝殿の後方上部に本殿がある。様式は流造り、総朱塗り、屋根は檜皮葺き。日本で唯一、二階に本殿がある神社建築とされている。
神体山は富士山であり、本殿の開口部は富士山に向けた軸線が通っている。

富士は不死、不二ともされ、古来より富士曼荼羅なども描かれ信仰の深い山である。江戸時代には冨士講が盛んになり、富士山に魅せられた人は多かった。武将からも尊崇を受け、社内には坂上田村麻呂、源頼朝、足利尊氏、武田信玄・勝頼父子、徳川家康などによる寄進が残る。

私は冬の富士山が好きだ。空気の澄んだ冬の日に見る富士山は、恐ろしくも美しい。山は父性の象徴とされるが、厳しい姿に心を打たれる。

静寂である。いずれにせよ浅間大社では、改めて自分の生まれた場所を認識することとなる。

佐野

 
 

  

 
 
  2009/9/30  
  あるお施主さんの敷地を調べていると、面白い写真を見つけました。

左下写真は航空写真ですが、規則正しくグリッド区画された田園地帯に円弧を描くように宅地(集落)が形成されています。方眼用紙に、子供が落書きしたような光景です。宇宙人の仕業でしょうか。
よくよく地図を見てみると、どうやら円弧を描いた水路沿いに宅地が形成されているようですが、なぜ円弧なのか詳しいことはわかりません。

私が大学時代に住んでいた大阪の南部でも似たような光景を見たことがあります。
そこでは、古墳によって計画道路が大きくカーブしていたり、不自然に円弧を描いた道路が、実は無くなった(破壊された)古墳の外形をトレースしたものだったりしていました。

こうした不自然なものたちは、普段の何気ない生活では気に止めないのですが、よくよくその形成プロセスを調べてみるとその所以は面白いことが多く、私たちの生活に奥行きを与えてくれているもののような気がします。

田村
 
 
  
 
写真右 : 円弧の道路が前方後円墳の円形部分です
 
  2009/9/2  

正月など、年に一度や二度神社に参拝される方は多いかと思いますが、小さな神社にも必ずといっていいほど、参道空間があり、そこまで意識して来訪する人はなかなかいないのではないでしょうか。

参道は鳥居や山門から神社までの通路を普通は示しますが、本来は街道など人通りの多いところから、神社に至る道のすべてを意味するようです。
年中人通りが絶えなく、参道を含めた神社全体が街の中心になっている場所に、香川県琴平町の象頭山に位置するこんぴらさんがあります。私も何度か足を運んだことがあるのですが、ただの社殿にいたるまでの登り口の石段の道に、多くの空間演出のための仕掛けがなされています。

鳥居を抜け、緩やかなカーブを描く階段を登っていると、少しずつゆっくり社殿が現れたり、かと思えば、上方に木々の茂った暗く急勾配の階段を抜けると、明るい本殿の広場に出くわし、琴平町全体の町並みが眺望できたりと、自然の作り出す空間演出とともに象頭山の豊かな地形を、たった785段の石段を登ることで感じることができます。

琴平町が今もなお観光地として賑わいを見せるのは象頭山の自然に最小限の人間の手入れによってできた、人と自然の歩み寄った特異な場に人が魅力を感じるのであり、利便性と経済性が軸となる都市機能の発達が、相反するその魅力と非日常の場の価値を高め人を呼び込んでいるのだと思います。

岸田

 
  2009/8/24  
 

読書雑記
藤森照信・著 『藤森照信 素材の旅』を読んで

 著者は東京大学生産技術研究所の教授である。
 『明治の都市計画』、擬洋風建築の研究など建築史家としてスタートし、現在では野性味ある素材追及に取り組む建築家としても著名である。
 '薄く軽く'がもてはやされる建築界にあって、その存在はしばしば異端視されてきた。

本書は藤森自身が日本各地に足をはこび、失われつつある味わい深い自然素材について、そのルーツを遡行し現代に掘り起こす旅が、豊富な写真と読みやすい文章で綴られている。
 とりあげられた素材は、聚楽土、土佐漆喰、青森ヒバ、ナラ、漆、茅、貝灰、千年釘、柿渋、焼杉、島瓦など構造材、仕上げ材を問わない。なかでも著者の故郷、信州諏訪の
鉄平石についての思いは深い。

 鉄平石は輝石安山岩。ノミを入れてはぐ平たく不正形な形が特徴で、古くは古墳の天井石、民家の屋根材などに使われてきた。藤森はこの鉄平石を、自身の設計「神長官守矢史料館」の屋根において40年ぶりに復活させた。自邸「タンポポハウス」では屋根・外壁ともに文字通り鉄平石で覆われている。私が訪れた「秋野不矩美術館」でも屋根材として用いられていた。鈍い色合いではあるが、鋭く攻撃的な形に強く魅了されたことを憶えている。決して回顧的な印象ではなく、荒々しい素材感を現代技術と共存させていた。

 抽象化、優しさの進みすぎた現代のデザイン潮流において、文化的縄文人、藤森の設計する作品は、「このままでいいのか?」と我々の心を揺り動かすエネルギーに満ちている。原始時代から潜在的に残る人間のどうしようもない根源的感性に訴えかけてくる。

 その視座は本当に異端なのかと考えてしまう。

佐野


藤森照信・著 
『藤森照信 素材の旅』

 

 
秋野不矩美術館

 
 
  2009/8/20  

 

 

 

 

お盆休みを利用して、帰省していた島根の実家から三時間程車を走らせ、三仏寺に行ってきました。
三仏寺は、鳥取県東伯郡三朝町の山間に小さな寺院郡が展開する、めずらしいかたちの仏教寺院です。そのメインは、奥の院「投入堂」ですが、そこにたどり着くまでには、受付で入山許可証をもらい、そこから険しい山道をはい上がってゆきます。大きな岩山や崖から突き出した木の根っこをよじ登り、50分程かけてようやくたどり着きました。
投入堂の特徴は「懸け造り」と言われる、山崖や岩山に張り出して作られる工法ですが、その様子はまるで鳥が岩陰で羽根を休めているような、絶妙なバランスで存在しています。今にも飛び立ってしまいそうな、なんとも言えない浮遊感がそこにはありました。
投入堂までの途中にある、文殊堂も見事な建物でした。こちらも大きな岩にもたれかかって造られた懸け造りの建築で、四方にめぐらされた縁側が空中に浮いているような構成になっていました。
時間をかけてたどり着く、それぞれの建築は風景の一部の様でもあり日常生活では味わえない貴重な体験となりました。

田村

 

 

 

 
 

 

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