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2010/3/2 | ||
| ■イージーライダー
冒頭でピーターフォンダ演じるキャプテンアメリカが
夢や現実を実直に描きながらもただひたすらにカッコいい。そんな映画が僕は好きだ。アメリカンニューシネマと、作品「イージーライダー」は映画史に残り続けるだろう。何度見てもその魅力は色褪せない。 岸田 |
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2010/2/9 |
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| 実験生活
私事で恐縮ですが、引越しを行いました。 女優の麻生久美子さんは引越しが趣味だそうで、「物が減って環境も新鮮になり、生活が軽くなります」と書かれていたのをどこかで読み、恥ずかしながら大いに共感してしまったのです。 この際、今までの生活の澱は思い切って処分しました。 今回の行動の一端は、私の過去の体験的な部分にも拠っています。 いつか再び、そう、いつか再びあのような空間に身を置きたいと思い続けてきました。 引越してみて、本を読む時間が増えました。 捨てることによって始まることもあると、最近は実感しています。 佐野 |
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| 旅先のラトゥーレット修道院 僧房内部 | |||
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2010/1/5 |
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新年明けましておめでとうございます。 |
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写真:余部橋梁(左) 植村直己冒険館(右)
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| 2009/12/3 | |||
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先日、ビートルズのオリジナルアルバムがすべてリマスターされました。 |
![]() 若き日のリンゴ・スター |
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| 2009/11/18 | |||
| エジソンが好きだ
最近たて続けにエジソンの本を買った。 「発明は99%のパースピレーションと1%のインスピレーションである」 あまりに有名な言葉だ。 パースピレーションは試行錯誤のことだと思う。 発明のアイデアは、そのひたすらな試行錯誤の中から搾り出される様に、記憶や経験がない交ぜになって一瞬にして生まれるのだ。設計と似ているところがある。 エジソンは不撓不屈。 どんな時でも、どんな時でもポジティブマインド。 その溢れるバイタリティに憧れる。 佐野 |
![]() 徹夜明けのエジソン肖像 |
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| 2009/11/2 | |||
| さいたま市北区の現場の足場がはずれました。 現場の管理をしていて、楽しみな瞬間がふたつあります。 ひとつは床などを保護している養生を撤去するときで、もうひとつは建物の外周部を囲む足場が取れるときです。 床の養生を撤去するときは、自分達で作業することや竣工前で今まで隠れていた内観の全体像が見えてくるということで、プレゼントのパッケージを開けるようなワクワク感と期待感があります。 一方、足場の解体は少し違った感傷にひたります。 現場での作業や職人さんと打合せなどをしていると、その囲いは現実の社会と現場を仕切る結界のように僕には思われます。その中と外では、時間の流れが全く違うように感じられるのです。住宅という小さい建築物ですが、そこには多くの職人さんの技術や時間がかけられ、様々なやりとりが存在しています。 そして足場をはずすときは結界が破られ、なんだかそんなやりとりまでが、現実の社会、人目にさらされるような感じがして、少し気恥ずかしい気分になります。 しかし、まるで以前からそこに存在していたかのようにどーんと建っている建物を見ていると、建てぬしだけではなく、地域の人たちにも愛されるような建物になればいいなーといつも思います。 田村 |
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| 2009/10/20 | |||
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サッシについて
住宅設計をしながら常々感じているのですが、コストや施工性を考慮すると均質な工業製品を使うのはやむ得ないとしても、その中で、合理性とは別の、人の手の跡が感じられる工夫やデザインを何とか設計に盛り込めないかと、日々頭を悩ませています。 住宅の表情を一変させる部位としてサッシがあります。CGなどでスタディするとよくわかるのですが、サッシの種類を変える(たとえば木製からアルミサッシに変える)だけで奥行きがなく味気のないデザインになったり、かと思えば、見附の細いスチールサッシを使うだけで、風景と部屋内部に連続感が生まれ、面積以上の広がりが空間に生まれたりもします。 どうしてここまで、住宅の表情がサッシに支配されているのかと考えてみると、開口部の内外で住宅特有の 境界を作っているからだと思います。換気、採光などの住環境作り出す境界、プライバシーの高低を作り出す境界を作り出すなど、その境界があるからこそ住宅が住宅として定義されたり、機能するのであり、サッシはその重責を担っているのです。そしてその重責を私たちは無意識に感じ、注目するからそれがあたかも住宅の表情として捉えられているのだと思います。 |
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| 2009/10/8 | |||
| 身辺雑記
帰郷した際についつい足を運んでしまう場所がある。 富士山本宮浅間大社だ。 浅間大社は浅間造と呼ばれる二層の楼閣建築。拝殿の後方上部に本殿がある。様式は流造り、総朱塗り、屋根は檜皮葺き。日本で唯一、二階に本殿がある神社建築とされている。 富士は不死、不二ともされ、古来より富士曼荼羅なども描かれ信仰の深い山である。江戸時代には冨士講が盛んになり、富士山に魅せられた人は多かった。武将からも尊崇を受け、社内には坂上田村麻呂、源頼朝、足利尊氏、武田信玄・勝頼父子、徳川家康などによる寄進が残る。 私は冬の富士山が好きだ。空気の澄んだ冬の日に見る富士山は、恐ろしくも美しい。山は父性の象徴とされるが、厳しい姿に心を打たれる。 静寂である。いずれにせよ浅間大社では、改めて自分の生まれた場所を認識することとなる。 佐野 |
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| 2009/9/30 | |||
| あるお施主さんの敷地を調べていると、面白い写真を見つけました。 左下写真は航空写真ですが、規則正しくグリッド区画された田園地帯に円弧を描くように宅地(集落)が形成されています。方眼用紙に、子供が落書きしたような光景です。宇宙人の仕業でしょうか。 よくよく地図を見てみると、どうやら円弧を描いた水路沿いに宅地が形成されているようですが、なぜ円弧なのか詳しいことはわかりません。 私が大学時代に住んでいた大阪の南部でも似たような光景を見たことがあります。 そこでは、古墳によって計画道路が大きくカーブしていたり、不自然に円弧を描いた道路が、実は無くなった(破壊された)古墳の外形をトレースしたものだったりしていました。 こうした不自然なものたちは、普段の何気ない生活では気に止めないのですが、よくよくその形成プロセスを調べてみるとその所以は面白いことが多く、私たちの生活に奥行きを与えてくれているもののような気がします。 田村 |
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写真右 : 円弧の道路が前方後円墳の円形部分です
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| 2009/9/2 | |||
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正月など、年に一度や二度神社に参拝される方は多いかと思いますが、小さな神社にも必ずといっていいほど、参道空間があり、そこまで意識して来訪する人はなかなかいないのではないでしょうか。 参道は鳥居や山門から神社までの通路を普通は示しますが、本来は街道など人通りの多いところから、神社に至る道のすべてを意味するようです。 鳥居を抜け、緩やかなカーブを描く階段を登っていると、少しずつゆっくり社殿が現れたり、かと思えば、上方に木々の茂った暗く急勾配の階段を抜けると、明るい本殿の広場に出くわし、琴平町全体の町並みが眺望できたりと、自然の作り出す空間演出とともに象頭山の豊かな地形を、たった785段の石段を登ることで感じることができます。 琴平町が今もなお観光地として賑わいを見せるのは象頭山の自然に最小限の人間の手入れによってできた、人と自然の歩み寄った特異な場に人が魅力を感じるのであり、利便性と経済性が軸となる都市機能の発達が、相反するその魅力と非日常の場の価値を高め人を呼び込んでいるのだと思います。 岸田 |
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| 2009/8/24 | |||
| 読書雑記 藤森照信・著 『藤森照信 素材の旅』を読んで 著者は東京大学生産技術研究所の教授である。 佐野 |
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| 2009/8/20 | |||
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お盆休みを利用して、帰省していた島根の実家から三時間程車を走らせ、三仏寺に行ってきました。 田村 |
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