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現場進行中

カンボジア紀行

広島ハウスINカンボジア紀行

1DAY

朝5時30、カンボジアに向けて出発。今回のカンボジアツアーは大学の恩師に当たる石山修武氏の広島ハウス完成記念式典に参加することが主な目的。空港に着くと石山研究室の学生さんや雑誌「室内」の編集スタッフの永井さん塩野さん山本さん三砂さんなどの面々が続々と集合してきた。カンボジアまではベトナムのホーチミンで乗り換えて約8時間ほどの行程。愛煙家としてはアジアのいまだにルーズな感覚がヒジョウに心地よくなかなかリラックスできる良い旅だった。

2DAY

昨日はラッフルズホテルのレストランで夕食をとりゆっくりと休むことが出来た。朝起きるとなんとなく空気が日本と違う感じがした。朝食をとり広島ハウスに向けてタクシーに乗る。広島ハウスはウナローム寺院というお寺の境内の中にある。わずか1.5キロメートルの距離で20ドル。ちなみに帰りの三輪タクシーの値段は3ドルだったので値段はあってないようなものであるということは夕方には判明したのだがこれがアジアの発展途上国というものなのだろうか。寺院の境内に入ると突然手足のない子供が車椅子に乗ってこちらに向かってきた。町にいるときには気がつかなかったのだがこの国には地雷によって手足を失った人がたくさんいる。話としては知っていたのだけれど実際に目にするとなんとも言えない気持ちになる。シャッターを切ることも話しかけることも出来ず、なんとなく目を背けてしまった。さらに奥へと進むと道端にしゃがんで大便をしている子供がいる。その脇では井戸水で水浴びをしている子供もいる。この光景を見ただけでもうすでに何が何だがわからない、自分中の常識が崩れていくような感覚を覚えた。

会場にはすでに早稲田大学教授の石山氏や大阪市立大学教授の中谷氏などが集合していてそのほかにも広島市からのたくさんの参加者がいた。朝のオープニングセレモニーに引き続いて関係者からのレクチャーが行われた。途中の昼食をはさんでレクチャーは夕方6時ごろまで続いた。この建物はカンボジアのポルポト派による悲劇からの復興に向け、広島市が、そしてそのほかの多くのボランティアの人たちが協力をして建てたものだ。完成までには13年の歳月を要した。RCの華奢な躯体のなかにレンガの壁が積まれている。そのレンガはたくさんのボランティアの人々の手によって積まれている。建築についてこれ以上のことを私の口からあれこれと語るつもりはない。いずれ多くのメディアに取り上げられるだろうから興味のある方はそちらを読んでみてほしい。
タダ強く感じたこと、それは建築家をやっている以上、というより人間である以上このような社会的悲劇や歴史的出来事から目をそむけてはいけないということだ。そしてそれは頭でわかっているだけではあまり意味がない。実際に自分の目で見たときにこそ初めて感じるものがある。そういうことをいつもいつも考えながら生活していくのも難しいけれど、一日の生活のどこかでまたは一年の生活のどこかで考えることは誰にとっても必要なことだと思う。
夕食はホテルに帰ってレストラン。先ほど目にした世界とは180度違うラッフルズホテルのビュッフェ。ワインを飲みながらおいしいものを食べているときには先ほどの気持ちがどこかに吹っ飛んでしまう。所詮はそんな程度の人間である。
夜時差がほとんどないにもかかわらずどうしても眠ることが出来なかった。浅い眠りにつくと5歳になる息子が誰かに連れ去られようとするのを必死に防いでいる夢を見た。それから何度も目覚めては眠りそしてまたその夢をみては目覚めた。広島ハウスで見た母と子の収容所での写真が目に焼きついて離れない。

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3DAY

移動日。午前中は少し時間があったので山崎と一緒にプノンペン郊外のキリングフィールドとトゥールスレン博物館を見学に行った。キリングフィールドまでの道のりは三輪タクシーで約30分。市内を出るとすぐに舗装されていないでこぼこみちになりたくさんのバイクや車が行きかうたびにものすごいほこりが舞い上がっている。土は赤レンガの色をしていて、そのほこりが舞い上がるものだからまるで町全体が赤茶けた古い映画の世界のようだ。そこにある町並みも生活している人の姿も、古い映画の中から飛び出してきたようだから余計にそう思うのかもしれない。ドライバーさんが途中でマスクを買ってくれたのだけれどなんとなくつける気になれずに胸のポケットにしまった。キリングフィールドに着くとそこにはたくさんの見学客がいて当時の殺戮の様子などはまったく感じられないものであった。慰霊塔の中のたくさんの頭蓋骨、ところどころの看板に書いてある当時の様子などだけがかろうじて当時の様子を思わせる。その場所は小学校の校庭ほどの大きさで周りを簡単な柵でおおわれている。一周するのにそれほどの時間はかからない。出口の近くに小さな女の子とお母さんらしき2人組みがいた。また物乞いされるのかと思っていたらこの子はそれほどしつこくいってこない。ただただこちらに向かって微笑んでいる。この子は毎日ここで何をしているのだろう。なぜかここで野菜を売っているらしきお母さんにつられて毎日ここで物乞いをしているのだろうか。

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 キリングフィールドを後にすると、ガイドさんがニコニコ顔で「トゥールスレン博物館に行きたいか」と聞いてきたのでせっかくだから連れて行ってもらうことにした。ここはもともと学校として利用されていたようで一見普通のモダンな建築に感じられる。当時は知識階級の人々がここに収容されて拷問を受けたり、じっと死を待っていたりしたということである。教室には鉄製のベッドと当時の写真がおかれている。次の教室にも、その次の教室にも同じようなベッドが置いてあった。L字型の教室郡の反対側に行くとこの場所で殺害された人々の記録写真が展示されていた。ニュアンスはちょっと違うけれど靖国神社の遊就館に展示されている戦死者たちの顔写真を思い出した。タダ大きく違うことはここに展示されている写真には子供の数がものすごく多いということだ。ここでは多くの少年兵が殺戮をしていた。そして殺された側にも多くの子供が含まれている。もちろん大人もたくさんいる。同じ民族間でこのようにひどい殺し合いが行えるのか、そんな思いが頭に浮かんだがきっとそれが戦争というものなのだろう。少なくともここで殺人を行った子供たちにも殺された子供たちにもその善悪を判断することは出来なかったのだろうし、またその善悪の判断自体が禁止されていたのである。

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 予定の時間にホテルに戻る。空港まで移動してプノンペンからプロペラ機に乗ってシェリムアップへ。シェリムアップ到着後、琵琶湖の3倍もある湖で小さな屋形船程度の大きさの船に乗って水上生活者の生活の様子やそこに広がる大自然を眺めた。この湖は雨季になると大きさが約3倍になるらしい。だから人々の生活している家はその変化に耐えられるように出来ている。要するに船の上に住んでいるようなものだ。筏状に組み上げられた丸太の上にやはり質素な丸太で小さな家が作られている。人々はそこで洗濯をし、糞を垂れ流して、食器を洗って、その水を沸かして飲み水にし、そしてそこに飛び込んで体を洗う。いつかインドのそんな風景を雑誌で目にしたことがあったが実際に目にするとやはりこれもまたなんともいえない感覚を覚えた。こんな程度で人は暮らしていけるのか、私たちの祖先もこんな生活をしていたのだろうか、彼らはもっとリッチな生活がしたいのだろうか、エアコンの聞いた部屋でベッドの上で贅沢をして、そんな生活を彼らが知ったら、もしできるとしたらきっとそちらを選ぶだろう。大量生産、大量消費を否定するわれわれが一番大量消費していて、ここで貧しい生活をしている今目の前にいるこの人たちの発展の行く末をコントロールしようとしている。この人たちのこれからの姿を変えていくことの出来るまるで神の手のような道具、「マネー」の力をまざまざと思い知らされたような気がした。
水遊びをしている子供たちの笑顔はそんなことをまったく感じさせない屈託のないものだった。小さな手漕ぎの船の上から何度も何度も飛び込んではこちらに向かって手を振っていた。
船を止めて景色を眺めていると別の小さな手漕ぎ舟が近づいてくる。船にはお母さんとお父さんそして小さな子供が乗っていて、私たちの船に横付けするとコカコーラとビールの缶を取り出しこちらに向かって差し出してきた。そして必死な声でワンダラー、ワンダラーと繰り返していた。28人中タダ一人そのビールを買って口にする。みなが心配そうに眺めていたそのビールを飲み干すと、いつも飲んでるのとおんなじビールの味がした。差し出されたウエットティッシュをそんなもの必要かと押しのけながら、それでも少し心配している自分、飲み口が汚れてはいないかと感じる気持ち、そんなことを考える自分が少しいやになった。
水上生活者の見学を終えアンコールセンチュリーホテルにチェックイン。シャワーを浴びて汗を流した後再び全員集合して町のレストランで食事をした。2時間くらいしてホテルに戻ったのだがまだ眠る気分ではなかったのでホテルのバーにて少々遊戯。12時過ぎ就寝。

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4DAY

今日は朝から遺跡の見学に出かけた。シェリムアップ郊外には多くの遺跡群がありその中でも特に中心的な3つの遺跡を見学。下の写真を見てもらえばどれも一度はテレビの特集番組などで目にしたことのあるものばかりだろう。13世紀のものとしてはかなり荒廃している印象を受けたがそれも内戦などの影響なのだろう。早稲田大学の中川研究室で修復した書庫なども見せていただいたのだが、小さな書庫の修復に何年もの歳月をかけるその地道な作業には感服する。

一日中遺跡見学をしていたのでさすがに疲れた。夕食後ホテルに戻り就寝。

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5DAY

最終日、市内で時間をつぶすかのような観光。マーケットの中に入ってみやげ物を買ったりの行動にもいささか疲れてきた。途中小さな職業訓練学校に入った。ここは欧米の企業資本によって作られた学校でたくさんの子供たちを選抜して1年間の訓練を与える。そしてすぐれた技術を身につけることが出来たものだけそのままこの学校の会社で作品を作り続けることになる。そしてその作品は世界中で販売される。この学校の敷地内にもショップがあったのだが日本での価格の半分くらいの印象だった。つまりカンボジアにしては結構高い。さらに驚いたことにはここの作品は日本の三越でも売っているらしい。学校というと良い印象を受けるのだが要するにこの構図は製造業の工場の海外進出というものだった。ベトナムで車を作ってアメリカで売るのとなんら代わりがない。

ガイドさんが言っていたのだがこの国では働けない人がたくさんいるそうだ。そして働ける人は大体100ドルくらいは一月でもらえるらしい。この金額は結構なものだ。ここで認められて作品作りをしている職人さんたちもたぶんそれくらいの給料はもらっているのだろう。今回のカンボジアでのたびの中でそこを走るバイクや車の多さに驚いた。日本車が多いことにも驚いた。都市部での生活は建築などを見てみてもそれほど日本と変わらないと思う。それだけ国としての成長を強く望んでいるということなのだろうしまた実際に成長もしているからだろう。しかし、ある局面では国家という主権が確立してはいるものの物価の安い途上国はいまだに先進国の植民地のような状態を抜け出してはいない部分もある。そしてそうなるようにコントロールする唯一の力がやはり「マネー」なのだろう。当たり前の理論だが、実際に見ると気持ち悪さを感じてしまう。
今、中国やインドでは凄まじい経済発展を遂げている。いずれベトナムやタイにもそういう変化が訪れるだろう。今建築の世界ではチークなどの堅木を東南アジアから大量に輸入している。ベニヤなどの製品もそうだ。しかしここに来て中国の大量消費のせいでそういった書湯品が雛不足に陥り価格が急騰してきている。ベニヤなどは3ヶ月くらいの間に550円も値上がりした。1250円が1800円になったのだからその変化は大きい。そして来年からはチークなどの製品も一律値上げされるらしい。中国だけでこの状況だ。インドやタイ、ベトナム、カンボジアがもし経済成長を遂げたら日本はどうなるのだろうか。食料自給率40%の日本はもう少し考えながら生きていかなければいけない時代が必ず来る。きっとそれは津波のように押し寄せている。ここで働く少年たちを見ていると彼らの熱意の大きさがその時代の到来を早めているような気がした。そしてそうさせているのもまたわれわれ先進国の人間だ。エネルギー、食料、課題はたくさんあるがその中で建築で解決できるものもたくさんある。日本という国の行く末を本当に真剣に考え、それらのことに対処していきたいと思う。

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