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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
ローコスト・セルフビルドでよい素材を上手に使い家族が幸せになる、そんな建築を目指しています。

ますいいリビングカンパニー|埼玉県川口市

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増井真也日記

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2017/08/28

朝一番で埼玉県川口市にて検討中のTさんの家のリフォーム打ち合わせ。今日は第1回目のご提案ということで、リフォーム後のプランと主要な展開図のご説明、そして概算の見積金額についてのご説明をさせていただいた。打ち合わせ終了後、小屋裏空間に潜っての調査を少々。クライアントも一緒に潜って、どんな工事ができるかの検討を行った。小屋裏空間というのは、リフォーム工事の時に最も利用価値のある空間だと思う。古い家の場合は通常は平らな天井で隠されているけれど、ひとたび天井の上をのぞいてみるとそこにはとても広い空間が広がっていることが多いのである。小屋裏から屋根のほうを見てみると、そこには屋根を支える野地板という材料が見える。その野地板を支える垂木という材料も見える。その垂木は母屋という角材の上に乗っかており、その母屋は束という垂直な柱のような材木で支えられている。そして束は梁の上に誇らし気に立っているのだ。

下の写真は以前両国で行ったリフォームの様子である。古い木造住宅の2階部分をリビングに変更し、小屋裏空間の魅力を存分に表現している。Tさんの家は三井系列の会社が作ったいわゆるハウスメーカー住宅である。今では考えられないような特殊な工法を採用していて、柱を両側から鉄骨の部材で抱き込んだ梁が小屋組みを支えていたり、水平剛性を鉄筋ブレースで確保していたりの面白い構造なのだけれど、これらをうまくデザインに取り込むことができればと考えている。

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2017/08/25

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。最近はなぜかリフォームのお問い合わせが増えているようで、しかも2世帯で暮らすためのリフォームという形態が多い。このようなケースの場合は1階と2階でゾーンを分けて、なるべく生活動線や設備器具の使用状況が被らないように配慮する場合が多く、つまりは2世帯住宅という名前の集合住宅のような、上下階に分かれた長屋のような形態をとることになる。

一つの家を長く住み続けて、次の世代まで受け継ぐというのはまるで農家の住宅のごとき、ちょっとノスタルジックな感覚を思わせる。でも行き過ぎた核家族化の状態を元に戻したいという思考が都市部においても働いているわけだから、なんとなく正常な状態に戻っているような気もするのである。僕が仕事を始めた頃、今からほんの15年ほど前にはこんな要求はほとんどなかったこともまた面白い現実である。如実に変化が現れたのは、東日本大震災である。人が集まることの意味を思い出させるのは、やはり生命の危機のごとき現状が最も強い力を持つのかもしれない。人も所詮は動物である。孤高のトラのような動物もいるが、集団を作ることに意味はやはり大きいのだ。

2017/08/23

午前中、東京都豊島区にて設計中の本納寺 屋根葺き替え工事に伴う耐震診断のための現地調査立ち合い。岐阜県から来てくれた構造診断を行うための調査員さんたちと一緒にお寺の隅々までを見て回る。お寺は築年数が約100年である。古い割にはとてもしっかりとしており、不動沈下などの不具合もほとんどない。床下に潜ってみると、なんとべた基礎である。普通お寺の柱は外回りが土台の上にのっていて、中通りは土間の上に置いてある石にのっていることが多い。柱の足元が固定されていないから、それを固定する補強工事を行うことが一般的だが、その補強工事がすでに行われている状況である。住職さんにお話を聞くと今から十数年前、先代の時代に補強工事を行ったそうだ。床下に入れられている断熱材が伝統建築に似合わずちょっと面白い。

瓦は本葺きである。通常は土を乗せた上に瓦を重ね置き、瓦と瓦の隙間を丸い形をした瓦でカバーする。一部を外して確認するとなんと土が部分的にしたのっていない。通常は全面にのせられた土で固定する瓦が、引っかけ桟瓦のように固定されており、さらに重なりしろもほとんどない。つまりは軽量化を図るための工夫がされているのである。軽量瓦を使用していないのに軽量瓦のごとき施工をしているあたり、100年近く前の大工さんの強い意志を感じるのである。調査は二日間続く予定である。明日も引き続き行う予定だ。

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2017/08/22

午前中、埼玉県川口市にて計画中のIさんの家の敷地調査。司法書士の平野さんと一緒に土地の形状変更に関する確認を行った。昔の土地である。本当の敷地境界線をはみ出して既存の住宅が建っていたり、昔の敷地境界線をはみ出して隣の倉庫が建っていたりの摩訶不思議が当たり前にある。今回は住宅の建て替えに伴って、現状の建物に合わせる形で土地の形状を変更すし、新しく作る住宅を現状の形と同じようにするつもり。家づくりの準備は念入りにしておかないと後が大変なのである。

2017/08/20

今日は早稲田大学創造理工学部建築学科の渡辺大志先生が、新築の住宅作品のお披露目会を開催するというのでお邪魔した。

実は、ますいいリビングカンパニーは2001年に早稲田大学の教授をしていた建築家・石山修武氏のアドバイスのもとでスタートした会社である。僕がまだ戸田建設というゼネコンで勤務していたころ、2か月に一度くらいの頻度で新しい「家づくりを行う組織」の可能性を探るためのゼミのごときものを開催していただき、設計事務所が工務店機能を兼ね備えるという現在の仕組みを考案した。当時の工務店は相次ぐ手抜き工事などにより社会的信頼を失い、設計力などというものは皆無であったのだけれど、建築家が住宅を扱うのならば工務店機能まで行うべきであるという石山氏の考えのもとで生み出されたのである。

建築家が住宅設計を行うのであれば工務店機能も兼ね備えるべき。当時は建築家がいわゆる普通の規模の住宅を扱いだしたスタートのころで、様々な建築家によるアート作品のごとき住宅がたくさん作られていた時でもあった。ともすると意匠的な操作に寄りすぎた結果の問題作も多くあらわれ、裁判の一つくらい持っていないと一人前の建築家ではないなどと強がるものまでいた時代である。そんな時代の中で、住宅を扱う以上は施工まできちんと管理し、責任を負い、将来にわたる保証までをも含めて建築家が行うべきという考えは非常に説得力のあるものであった。そしてますいいがスタートしたのである。

渡邊先生はその石山先生の研究室を継いだいわゆる後継者だ。僕も長いお付き合いをさせていただいているわけだけれど、こうして初めての新築作品をお披露目する機会を得ることができたということで本当に嬉しい思いである。大学の学年では後輩にあたるわけだけれど、僕が心から尊敬できる建築家の一人になりつつあると思っていた。作品を見て、彼の建築に対する姿勢を生々しく感じることができ、その思いは確信に変わった。多くの敬愛すべき師が年齢とともに活動を縮小する中で、今の時代だからこそ貴重だと思える魂のこもった建築を見て、とても幸せな気分になった。帰り道、一緒に見学に行った妻と町田分室の田村君と一緒に吉祥寺の駅前にあるハモニカ横丁にて楽しい建築談義の時間を過ごした。2時ごろからスタートして、17時ごろまでの長丁場である。まるで学生の頃のごとき熱い建築に対する思いがふつふつと湧き上がる、そんな一日であった。

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2017/08/19

朝10時、埼玉県川口市にて新築住宅を検討中のKさんご夫妻打ち合わせ。会社から車で15分ほどのところでの計画である。もともと水路だったところに人が通れるように蓋をして整備された緑道に面する土地で、普通の道路に面しているのではないけれどちょっと特殊な確認申請を行うことで建築確認申請が取れるという特殊な事情を持つ敷地に建つ専用住宅を計画している。今日は敷地に関する事前の役所調査の結果をご報告させていただくとともに、家づくりのご希望を伺うための打ち合わせを行った。次回のプレゼンに向けて準備を進めていきたいと思う。

夕方、猛烈な雨が降る。川口市は想定される洪水時の水位を電柱に赤いラインで明示しているのだけれど、それによると僕の会社があるところは約3mほどの水位になるという。今のところ川口市では何の規制もないのだけれど、妻の実家のある滋賀県などでは、平成15年に「流域治水の推進に関する条例」を定め、建築や都市計画側の治水対策を進めているようだ。それによると200年に一度の発生確率で3m以上の浸水深が生じる恐れのある地域では、新築時に想定水位以上の高さに居室や避難空間を確保できない建築を建てられないようにしたそうだ。

この考え方は僕の水門の家と同じで、要するに水害の時に困らないように高いところに住居を作りましょうというものである。昔の日本では高床式の倉庫なるものが普通に作られていたわけだから、自然の中で暮らすスキルとしては決して目新しいものではないはずだ。写真はカンボジアのトレンサップ湖にある住宅の様子である。今の日本がこうはなることはないだろうけれど、でもなんとなく未来の姿の要素を含んでいるような気もするのである。

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2017/08/16

朝4時滋賀県の実家を出発。6時間のドライブを経て9時川口市に到着である。片付け、仕事の準備、そして今日もプールに行く。いよいよ明後日から仕事である。今回の旅で学んだことを早速生かしていきたいと思う。

2017/08/15

京都二日目。今日は妻と二人である。朝10時ごろ京都について、早速目的地「白沙村荘」に向かう。ここは日本画家「橋本関雪」が芸術拠点として作った建物群と庭園である。現在は二つのレストランと、公開されている庭園部分に分かれている。どのように運営されているのかはわからないけれど、何度も焼け落ちて再建築を繰り返された有名な寺院建築よりも、造られた当時の作り手の思いがダイレクトに伝わってくるような感じがして何ともパワフルな建築群であった。

まずはじめに、レストランNOANOAにてランチを食す。メニューは無難にハンバーグ定食。このレストランがある建物は橋本関雪が1929年に建てたスパニッシュ様式の洋館を1970年にレストランとして改装したもので、当時の建築がそのまま残っているところで食事をすることが出来る。食事をしているのか、建築の実測をしているのかの区別がつかないような状態での昼食タイムであったが、まだほかの客がいない貸切状態のお店の中を自由に歩き回りながら思う存分楽しむことが出来た。

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食後、いよいよ白沙村荘に入る。住居、茶室、持仏堂など多くの建築がちりばめられた庭園を順路に沿って歩く。庭のあちらこちらには国内外から集めた石が置かれている。「離合反復常なき人事の中にあって、一木一石は私の唯一の伴侶であったともいえる。私にとっては庭を造ることも、画を描くことも一如不二のものであった。」「樹を植え、石をすえ、水をうった後の気持は法悦に浸って居る心持ちであり、芸術家の所謂三昧境である。」と自ら言っているように、30年間の歳月を費やしてこだわりにこだわった庭や建築を作り続けている。しかも設計は自分自身、まるでますいいのクライアントのごときセルフビルドの思想なのだ。


明日は五山の送り火である。白沙村荘にある画室・存古楼は8月16日の大文字送り火の際に、目の前の池に送り火を映して鑑賞するように構成されているそうだ。そしてその数分間がこの庭園のクライマックスであるという。何とも贅沢な話ではないか。

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病に倒れた妻のために作ったという茶室。その目の前には蓮の花が咲き乱れる池がある。まるで絵画の中を眺めているような光景である。1時間ほどの散策の後、抹茶をいただき白沙村荘を後にした。建築を訪れて再び来たいと思うことは少ない。ここは数少ないそんな場所になりそうである。

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庭園を後にして、曼殊院と詩仙堂を訪問した。この二つの場所は十数年前に大学時代の級友と訪れた後これで3回目となる。なんとなく5年に一度くらい来たくなる、そんな場所だ。その中でも今回は特に曼殊院の八窓軒なる3畳台目の茶室を見学した。またもやガイドさん付である。しかしながら今回のガイドさんはとても親切な女性で感じがよい。狭い茶室の中で初老の男性の話を聞くより、やはり女性の方がありがたいのである。この八窓軒、字のごとく窓が8個ある。①躙り口上の連子窓②その左の下地窓③連子窓④化粧屋根裏の突き上げ窓⑤客座南側の下地窓⑥点前座の風炉先にある下地窓⑦⑧色紙窓の二つ、これら合わせて合計8個の窓が開けられているとても珍しい茶室だ。遠州好みなどの伝えがあるけれど、確証はない。茶道をやっているといろいろな茶室に入る。その多くは大勢の人を入れることが出来る広間であり、そういう広間に入っても建築的に何かを感じることはとても難しい。そしてまれに小間に招かれることがある。小間は4畳半だったり、3畳だったり、とにかく狭い。狭い茶室は入った瞬間、どことなく息が詰まるような感覚になる。閉所に閉じ込められたような、なんとなく落ち着かない感覚である。子供のころに押入れに入った感覚であろうか、はたまた土管の遊具に入った感覚ともいえる。しかしそれから先が違う。土管も押入れもそのまま変わらないけれど、茶室の場合は、穿たれた窓、掛込天井などの工夫、床の間、中柱、中柱に着く袖壁、畳の敷かれ方、常識外に細い柱など多くの工夫によって、次第に空間に身体的感覚があってくる。そして初めに入った時とは比べ物にならないくらいの広がりを感じるのだ。この感覚は面白い。そしていつか作ってみたいと思うものでもあるのだ。
二日間にわたる京都自由時間、とても楽しいひと時であった。この感覚を次の仕事に生かしていきたいと思う。

2017/08/14

朝から京都に向けて出発。どうせ道が混んでいるだろうと予想して、車を近江八幡駅の前にあるコインパーキングに止めて、琵琶湖線で京都駅まで移動した。京都駅に着くと予想通りすごい人である。あんまり盆休みには関係ないであろう外国人の観光客もたくさんいる。この町は日本の暦に関係なく常に世界中の人を集め続けているようだ。

早速タクシーに乗り込み、最初の目的地である裏千家本部に移動した。ここは、利休を祖父に持つ三代宗旦が建てた茶室「今日庵」があるだけでなく、茶道資料館や裏千家学院などの、つまりは裏千家にまつわることを学ぶことが出来る施設もある場所だ。僕は何度も来たことがあるのだけれど、一緒に茶道を習っている妻は来たことがない。というわけで一度は見てみようとの訪問である。あいにくの月曜日で、中には入ることが出来なかったけれどなんとなくの雰囲気は味わってもらえたと思う。そういえばこの今日庵がある小川通りという小道は、数年前に無電柱化の工事が完成してとてもすっきりとした状態になっている。電柱などというものあって当たり前の見慣れた景色になってしまっているけれど、ひとたびなくなってみるとどれだけ邪魔な存在であったかがわかる。電柱と言っても今の電柱は電気だけを運んでいるのではない。電話にケーブルテレビなどなど、新しい技術の普及に伴って無計画に増やされた電線のまるで蜘蛛の巣のごとき様子というのは、安全面のことを考えても何とかしなければいけない問題であるようにも思うのだ。

続いて、石塀小路に移動。ここは高台寺の周りにある石塀の残された雰囲気の良い小道で、京都に来たら一度は歩いてみたい場所だ。料理屋さんや、隠れ家的なカフェなどがあるかと思えば、THE SODO HIGASIYAMAのように古い日本建築を利用したレストランなどもある魅力的な場所である。ここに来たらわざと細い道を探して歩かないと意味がない。幅が1mほどの小道を歩くこと30分ほどであろうか、いつの間にか八坂神社の南門にたどり着く。高台寺から南門までのほんの一瞬のタイムスリップ、景観が保存された区間はとても短いのである。

そのまま八坂神社を抜けて、祇園でうどんを食す。なぜか祇園界隈にはカレーうどんのお店が多い。カレーうどんと言えば早稲田にある三朝庵が発祥というから、別に祇園が発祥ということもないのであろうが、きっと流行るからにはそれなりの理由があるのであろう。

最後に西本願寺、東本願寺を眺め、特別に公開されている東本願寺の飛地境内地である渉成園を拝観した。この庭園は、宣如上人が三代将軍家光から東本願寺の東側の土地を寄進され、自らの隠居所を作ったことから始まっている。庭園は池泉回遊式庭園で、詩仙堂を開いた石川丈山の作庭と言われているそうだ。今日は2階建ての茶室「蘆庵」が公開されていた。建物の中には初老のボランティアの男性が各階に一人ずつ陣取っている。こういう人がいるとたいていちょっとしつこいくらいの解説がついてくると構えていると、案の定であった。知ったかぶりの解説は家族に任せ、僕はなるべく建物の空間を体感することに集中する。解説などは後で知りたければ本を読めばよいのだ。建物を訪れるということは中に入ってじっと体感し、その空間をどう感じるかを吟味することであって、決してうんちくを聞くことではないのである。

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2017/08/13

二日目。午前中は昨日に続いて布引体育館のプールへ。午後は義理の妹の家族が来て皆でバーベキューを食す。池の上に作られた縁側にバーベキューのセットを並べて、家の裏に広がる広大な空き地を見ながらのバーベキューはここでしか味わうことが出来ない最高の贅沢である。事前に買っておいたみずかかみという滋賀県で採れる米で作った日本酒を飲み、気分よく酩酊。お休み二日目終了である。

2017/08/12

11日から12日に日付けが変わる頃、妻と二人の娘を乗せて出発。今年の連休は、一年ぶりに妻の実家の滋賀県に帰郷である。僕にとっては故郷ではないのだけれど、まだ社会人2年目だった24歳の頃に、戸田建設というゼネコンの社員として滋賀県の村田製作所の工場を整備する現場に派遣され、そこで通っていた1級建築士を取得するための日建学園で当時ミサワホームの社員だった妻と出会い、結婚して・・・の結果、僕にとっては第2の故郷という感覚なのだ。

途中で発生していた事故やら故障車やらのアクシデントを何とか通り過ぎ、約7時間のドライブで滋賀県到着である。このくらいの時間であれば、まあまあの出来だ。ひどい事故にあってしまうと平気で10時間くらいかかることもある。朝7時頃、滋賀県東近江市蒲生郡にある実家に着くと、早速お義父さんとお義母さんが出迎えてくれた。

ほぼ徹夜でのドライブである。さすがに眠いので、朝食をとってから朝寝をする。昼ごろ眼をさまし、近所にある布引体育館のプールへ行く。ここは滋賀県で働いていたころからのお気に入りスポットで、たまに泳ぎに来ていた。今日も30往復、1.5キロほどをゆっくりと泳ぎ体をほぐす。娘たちも久しぶりのプールを楽しんでいるようだ。

夜はみんなで食事。久しぶりの滋賀県なので、滋賀県名物の鮒ずしを購入し、日本酒と共にいただくと何とも言えない美味である。最後に、そのままでは食べることが出来ない頭としっぽをほかほかの御飯に埋めて、そこにお茶をかける。滋賀県の人なら知らない人はいないであろう、鮒ずしの茶漬けである。とろけそうに柔らかくなった鮒ずしとご飯が何とも言えなく絡み合う最高の一品だ。

何とも幸せな気分で早めの就寝。なぜか滋賀県に来るとテレビを見ないのだけれど、今回の旅には先日高校の同級生に勧められて購入した「宇宙兄弟・1~28巻」がついてきている。眠くなるまで読みながらしばしの時を過ごした。

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2017/08/10

午前中は埼玉県川口市にて設計中のIさんの家の打ち合わせ。今日は1回目のプレゼンテーションということで、3階建ての木造住宅のプランのご説明をさせていただいた。Iさんの家は僕の会社のすぐ近く、川口駅から10分ほどのところに建つ予定だ。現在はお父様がおひとりで暮らしているところに、息子さんご夫妻が同居して3人で集まって暮らすこととなる。1階にはガレージと弟さんが泊まりに来た時の部屋、2階にはお風呂などの水回りと個室が二つ、3階にはリビングと息子さんが寝ることができるスペースを配置していて、延べ床面積34坪ほどの総3階建ての建築を想定している。プランの説明後、皆で敷地に向かう。お隣の敷地との境界確認や現在のお住まいを拝見させていただき打ち合わせを終了した。次回に向けて第2案を考えていきたいと思う。

明日から1週間の夏季休暇である。一部の現場は作業を行うところもあるが、大体の現場ではお休みとなる。私はというと妻の実家の滋賀県に帰省予定で、今年は京都や奈良を闊歩してこようと考えている。日本建築の原点ともいえる寺院に足を運んでみようと思う。

2017/08/07

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。台風の影響で今日予定していた工事が明日に伸びたなどの報告を受ける。今回の台風も全国各地で大きな被害を出しているようだ。特に滋賀県などでは姉川が氾濫し、これまで経験したことが無いような・・・という本当に最近よく耳にする言葉とともにその洪水の状況が報道されていた。たまたま関東地方には大きな被害が出ていないようだけれど、これはあくまでたまたまである。気まぐれな台風がどこに行くかなど誰にもコントロールできないのだ。

僕が会社に着くころにはすでに雨もやんでいた。台風一過のすがすがしさというよりはあまりの暑さに心が折れる。

夕方は、埼玉県川口市にて設計中のHさんの家の打ち合わせを行った。全部で6区画の土地の一番奥に建つ住宅である。今日で2回目の打ち合わせ。プランを若干変更してのプレゼンテーションを行った。この住宅は司法書士事務所を1階に配置し、2階と3階に住宅を配置している。3階建ての住宅はどことなく縦方向に間延びする傾向があるけれど、今回はこのような倉庫のごときビル型建築とならぬよう、プロポーションを整えつつ住宅らしい優しい設えとすることを心掛けて設計を進めていきたいと考えている。

2017/08/06

今日は朝から成田山にて裏千家の行事に参加した。成田山は初めての訪問である。なんとなく大きなお寺なのだろうくらいの印象しかなかったのだけれど、行ってみると本当に大きなお寺である。歴史を聞いてみると、平安時代の平将門の乱を納めるために開かれたお寺だそうだ。想像をはるかに超える歴史に心から驚いた。そういえば僕の周りの会社経営者の方々の中にも毎年成田山にお参りをしているという話をよく聞く。関東地方を納めるために造られたとても古くからある霊場ということで、足を運ぶ人が多いのであろう。

行事は、子供たちに茶道を伝えるためのものである。茶会の体験をしてもらったり、菓子器を作る体験をしたりの行事を行う中で、参加している大人たちにとってもなかなかの学びの場であることがわかる。茶道なるものが何なのかは僕にもよくわからない。ただ茶を飲むだけの行為をそこまで仰々しくアレンジし、道と名付けて伝えていくに至った本当の理由もわからない。

僕が感じるところでは、日本文化の集大成であるし、ある決まったマナーを身に着ける機会でもある。これまでの人生で着ることが無かった着物とも出会ったし、行ったことが無い成田山に行く機会も与えてくれた。なんとなく京都や鎌倉などの歴史の深い都市との距離が近くなったし、唐津焼や楽焼、萩焼といった伝統工芸にも詳しくなった。花の名前だけはいまだにあんまり覚えることができないのは単純に興味の方向性の問題であるが、四季の移ろいを感じる喜びはこれまで以上に強く感じる。

そして僕にとって何よりもうれしいのは、なかなか体験することができない茶室を直に体感できることである。写真集ではなかなかわからない日本建築の持つ光と影、特に暗い部分の魅力というのは体感したものにしかわからないだろう。光が少しだけ入り込む状態のうす暗い茶室の床に、一輪の椿がおかれている様子などは、明るい光の中で見る椿よりも数倍の生命力を感じる。黒楽のつややかな肌の色も光の中で見るよりもうす暗い中で見るためにあるような気もする。深い軒、縁側、そういう設えの奥にある茶室だからこその陰翳がいかに大切かの気づきは茶室に入ったものにしかわからないのである。

日本を知らない日本人が子供を育てている現代社会である。日本を知ること、つまりは日本人であるというアイデンティティーを感じることが難しい世の中である。観光客向けに無理やりに作られたJAPANではなく、本当の日本の魅力とは何かを知ることは、これからの世界を生きていく何かを身に着ける事でもあると思う。子供たちにそんな機会を提供する事業の意義深さを感じる一日を有意義に過ごすことができた。

2017/08/05

午前中、埼玉県川口市にて新築住宅を検討中のKさんご夫妻打ち合わせ。今日が初めての顔合わせである。なんでも購入した土地が用水路をカバーした遊歩道に面しているところで、その遊歩道を利用して工事をしたり、確認申請を行ったりの変わった土地であるとのこと。しかも他の住宅会社さんがそれらの手続きが困難な状況であるとの説明をしていたりの中で、ますいいならばなんとかなるのではないかということでご相談いただいたわけである。

よろず相談やのごときますいいでは、このようにちょっと困った状況でのご相談が来ることが多い。そういえば埼玉県の川島町に造ったアスタリスクカフェのクライアントが初めてますいいを訪れたときも、1200万円でカフェ兼住宅を作りたいというご要望を様々な住宅会社に相談したけれど、ことごとく断られて、最後の最後にますいいに来てくれたという事であった。このアスタリスクカフェのクライアントのHさんご夫妻は、僕たちが設計を始める前からこういう建築にしたいという理想を描いていた。その理想をスケッチにもしていた。でもその金額でその理想を実現してくれる会社が存在しなかったのである。

僕はそんな相談に弱い。ここで僕が断ったら誰がやるの?誰もやらなければ目の前にいる人たちはどうなるの?そんな状況を目にすると何とか解決策を探して、建築を作ってあげたい、そしてその歩みを前に進めてあげたいと思ってしまう癖がある。そしてアスタリスクカフェも「何とかする」、つまりはセルフビルドを取り入れてコストを調整しながら理想のカフェづくりに協力することになったのである。

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さてさて、川口市のKさんご夫妻の家づくり、まずは土地の状況の調査からスタートである。地元川口で僕ができなければ誰も出来ないと思いつつ、しっかりと調査していきたいと思う。

夜、スタッフの田部井君、和順君、吉村さんの3名を連れて川口グリンセンタービアガーデンへ。ここは、現在工事をさせていただいているシャトー赤柴という施設がある川口市の公園である。シャトー赤柴では、50年ほど前に現在の天皇陛下ご夫妻がお泊りになった部屋を、公開展示できる状態にリニューアルするための工事を行っている。基本的には現状維持、美化という内容の小さな工事だけれど、ますいいが行う初めての設計施工プロポーザルコンペの成果ということでしっかりと進めていきたいと考えている次第である。

建築家の仕事の一つには、「街を作る」という大切な一面がある。「街」とは、単なる構造物のことだけではなく、コミュニティー等も含めた大きな意味での街を示す。だからますいいでは商店街の活性化プロジェクトにも参加し続けている。ますいいで運営しているRDRギャラリーも、そこを拠点に魅力的な街づくりの一端を担いたいという思いでスタートした活動だ。そんな仕事の意義など語りながら、ワインを飲みすすめるうちにみな上機嫌で酩酊である。21時過ぎ自宅に戻る。

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