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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
ローコスト・セルフビルドでよい素材を上手に使い家族が幸せになる、そんな建築を目指しています。

ますいいリビングカンパニー|埼玉県川口市

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増井真也日記

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2018/11/08

午前中、埼玉県川口市にて鋳物屋さんを代々営んでいるモリチュウの森社長来社。今後ますいいの造る家に対して取り付ける表札のデザインについての打ち合わせを行った。川口市というのは昔から鋳物の街として有名で、吉永小百合さんのキューポラのある町という映画が撮影されたような過去がある。僕が子供のころはまだ町のあちらこちらに鋳物屋さんがあって、街の空気はいつも黄色く濁っていた。夏場はすぐに光化学スモッグ注意報が発令されて、でも子供たちはそんなことには慣れっこだからまったく気にしないで外で遊んでいる、そんな町であった。僕ぼ父も昔は機械工場を営んでいた。小学生時代のぼくの夏休みといえば、父の工場でボール盤で穴あけをしたりの単純作業を一つ50円くらいでやらせてもたっていたので、鋳物とか鉄の加工品とかはとても親しみのあるものなのである。今回は、モリチュウさんと協力してますいいの住宅に取り付けるためのオリジナルのデザインの表札を作っていただく予定である。今日のところは下打ち合わせ、デザイン案がまとまったらHPでもご紹介したいと思っている。

2018/11/06

昼間はお付き合いで雑務。

終了後、久しぶりに畑で収穫作業である。秋は収穫の時期、夏の終わりに種をまいた小松菜やかぶ、水菜や春菊といった野菜がたくさん採れる。春に植え替えをしたネギもだいぶ太ってきた。里芋を掘り返してみると、これまた丸々と太っておりとっても美味しそうな状態である。夏野菜のしし唐やナスはもう株の力も尽きて終わりを迎えてしまった。数か月にわたって美味しい野菜を提供してくれた株たちには感謝感謝である。写真には採れたてのしょうがとレタスも映っている。こういう野菜は採れたてが本当においしいものだ。瑞々しいだけでなく、なんとなく甘さも感じるから不思議である。虫が美味しそうに食べるのもうなづけるのだ。

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2018/11/05

午前中は埼玉県川口市にて設計を行ったS社新社屋工事の定例打合せに参加。先日の工事請負契約を経て、今日は敷地のレベル測定とベンチマークの設定などを行った。そのあとはS社さんの事務所にて詳細打ち合わせなどを行い終了。工事のスタートは来週末の予定である。

夕方、埼玉県川口市にて進行中のK邸リフォーム工事の現場確認。築十数年の古いハウスメーカーの住宅をリフォームしている。今日で作業終了かと思いきや・・・、養生テープを剥がすときになんとなんと古い仕上げ面の木調シートまで一緒にはがれてしまったではないか。やはり古い建材の表面材はだいぶ弱くなっているのであろう。しかたがないのでリペア業者さんに来ていただくことにした。

それにしても・・・木調シート仕上げの建材は表面がはがれるとその下から白い紙みたいな面が現れてしまうのである。もしこれが無垢材だったらこんなことはない。そもそも表面がはがれるなんてこともないけれど、たとえはがれたってその下にあるのもやっぱり無垢の木である。無垢材が良い・・・そんな当たり前のことを改めて思った出来事であった。

2018/11/04

今日は朝9時過ぎに北品川駅で待ち合わせをして、江戸の外堀巡りなる行事に参加した。この行事は東京芸術大学の前野先生が20年にわたって行ってきたものを、早稲田大学の渡辺先生が引き継いだもので、今回はその御縁でお誘いいただいたというわけである。時間になると箱の家の設計で有名な難波和彦先生も来た。なんだかとても懐かしい雰囲気である。

出発地点は新芝浦運河、そこで平井さんという船に乗せていただく。芝浦運河をさかのぼり、東京都湾に一瞬出ると、浜離宮の前を通り過ぎて築地方面に向かう。佃島を通り過ぎて左に折れると、皇居の外堀方面に向かって日本橋川という小さな川をさかのぼる。川から都会を見る、これはなかなか面白い経験だ。芝浦エリアではタワーマンションやらの開発に伴って作られたテラスなどが軒を連ね、ウォーターフロントの魅力を演出するエリアなどが生まれているが、この日本橋川まで来てしまうと川はあくまで建物の裏の顔を向けられているようだ。それでもところどころにはオープンテラスなどもあり少しずつ変化しているのかもしれない。

飯田橋のあたりで右に折れると今度は隅田川に向かて進路を取る。水道橋、万世橋と進み隅田川とぶつかったら左に曲がるとそこは浅草だ。P・スタルクの設計したアサヒスーパードライホールの前で船を降りて終了。約2時間ほどの船の旅であった。

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2018/11/02

11時、すごく久しぶりに会う知人が尼崎から会社に来てくれた。防水材料のメーカーを経営していて、赤羽にも支店があるのですぐ近くで活動しているわけだけれど、直接的な仕事の関係があるわけでもないので数年ぶりの再会であった。約1時間ほどして打ち合わせは終了したが、「頭の良い子が育つ家」なる考え方を広める活動に関して、感想を求められた次第である。内容をすべて理解することはできなかったが、設計に関するブランディングを地域の工務店に対して行おうとする商社的活動であることは解釈した。そしてその手のブランディングはますいいには不要であることもお話をした。とにかくいろいろあるのだ。

帰りがけにますいいの事務所の話になった。この事務所は2001年に工務店機能を兼ね備える設計事務所として活動を開始する際に建築したものである。この建物には建築家集団としての設計に対する挑戦的な意思、そしてそれを実現するための工務店としての施工に対する挑戦的な意志が込められている。

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下の写真は工事中の様子である。鉄骨が7.5m跳ねだしている先端を、触れ止めの鉄筋で引っ張っている様子がよくわかる。やじろべえ型の構造形式である。中央の3本の柱はやじろべえの荷重を支える中心の柱である。この鉄骨造の人工地盤の上に、木造の平屋を建てることで上の写真のような建築となっている。自分の事務所の建築について改めて話をする機会などなかなかないが、良い機会をもらったような気がした。

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夕方新宿にあるリビングデザインセンターオゾンにて展示会の後の打ち上げに参加。

2018/10/30

午前中は病院にて検査。特に悪いとこなし。最近は運動不足が気になるところだから、またジョギングでも始めようかと思う。

夕方、アトリエ設計事務所を経営されていた60代半ばの國井さんが、ますいいで設計をしたいということで面接に来てくれた。人生100年の時代である。60代半ばで完全にリタイアをすることは社会も許してくれない厳しい時代だ。政府だって年金の受給開始年齢を引き上げようと必死で、本当は70歳までは年金を払いたくないというのはありありと見えている。働きたいし、働ける経験も技量もあるなかで、でも親の介護とかいろいろな状況がこれまで通りの仕事の仕方を許さない障害となったりもするわけだ。若い者と同じようにやる必要はないと思う。若者も高齢者も共に手を取り合って、超高齢化社会を乗り越えていかなければいけないのである。高齢者は経験を生かして若者の仕事のレベルを引き上げてくれるような、そんな働き方もあって良いと思う。前向きにとらえれば、なんとも楽しみなことであるのだ。

2018/10/29

午前中は事務所にて雑務。

午後、各プロジェクト打ち合わせ。

建築の世界とその時代は固く結びついている。いま世界のマネーがどこに集まっているのかはよくわからないけれど、日本の建築が世界をリードしていると思えた時代はだいぶ昔のこととなってしまった。例えばドバイなどでは空飛ぶバイクが警察に導入されたなどという話を聞くが、こうした先進技術がいち早く取り入れられるにはそれ相応の経済状況が背景にあるのだろうと思う。

1920年代、日本は近代建築の活動が盛んになった。それまでの伝統模写的な近代建築運動から、より自由を求める方向へと向かい、堀口捨己の分離派建築界のごときグループが前衛的な建築を造り始めた。1930年代になると右派的な建築が次第に多くなるわけだけれど、それまでの期間は伝統から飛び出す力がわっと生み出されたような時代であった。西洋では・・・1910年ごろに、ウィーンのゼゼッションが始まり、イタリアのアントニオサンテリアによる未来派が新しい都市像を描き出したりしたから、日本は10年ほどかけて西洋の動きを取り入れていたという状況だろう。

これからの世界の建築はどこへ向かうのか。産業革命後のごとき劇的な変化が起きているのだろうか。急激なグローバル化への犯行は各地で続いていると思っていたら、なんだかアメリカまでもがグローバリズムというよりは自国主義的な方向へ舵を切ってしまった。そしてイギリスやブラジルなどのほかの国々もなんとなくそういう方向へ向かっているような気がする。急激なテクノロジーの発展によるグローバリズムとそこに反抗するかのような大国の動きの中で、日本はなんとなく自国の行く先を定められないでいる感がある。こういう社会の動きと建築は連動している。そして方向性が定まりつつあるとき、建築が社会を造る要素となるのだと思う。

2018/10/27

10時過ぎ、リビングデザインセンターオゾンにて東京都杉並区にて設計中のUさんご家族と打ち合わせ。今日は見積もり調整作業の最終段階の打ち合わせである。この作業を終えて金額をある程度固めたらいよいよ確認申請作業に移行する予定だ。それにしても土曜日午前中のこのビルは人が少ない。新宿のど真ん中にこんなにもひっさりとした場所があるという奇跡・・・、なんだか不思議な感覚になる。

午後、事務所にて東京都杉並区にて住宅の建て替えを検討中のAさん打ち合わせ。母屋の解体に先立って行う離れのリフォーム工事について内容を確認した。

今日はとても良い天気だけれど、なぜか娘の運動会は明日に延期になった。お天気の判断は難しいものである。6年生、最後の思い出に良い会になればと祈るばかりである。

2018/10/26

今日から川口市産品フェアが始まった。この事業は川口市内の様々な業種の企業が約300社ほど集まって、事業内容をPRするというお祭りのごときイベントである。会場には行政の方や政治家、そして一般の人も結構足を運んでくれる。ますいいはここに出店したからといってどうこうというわけではないのだけれど、でも生まれ育った地元のイベントなので少しでも町をよくするきっかっけになればという思いで参加している。
 
町を少しでも良くする・・・、町に対して何らかの提案をしようということで、今年は事務所の目の前の中青木公園に保育園を設計することにした。川口市というのは駅の近くと遠いエリアでだいぶ状況に差があって、駅に近い都市部の保育園はとても狭い敷地に無理やり感のある保育園を設置している場合が多い。そこで、公園の中に保育園をつくることで駅の近いエリアの子供たちものびのびと育つことができる場を提供しようという思いである。

共働きは必須、労働人口は減る一方、利便性は大事だから駅近に住む、だからといって子供たちが健やかに育つことができないのでは、この国に明るい未来はない。転んだら骨折をする子供がいるという話を聞いたことがある。それは子供が悪いのか・・・僕はそうは思わない。適正量の運動や遊び、そういうことをやる場を奪って育てている環境を何とかしなければ、そういう子供の数は増える一方だろう。都市公園は何のためにあるのか、老人のゲートボールは確かに大切だが、未来を作る子供たちを狭い保育園に閉じ込める国に未来はないという思いを表現してみた次第である。

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2018/10/24

午前中は事務所にて雑務。

10時、小学生向けの職業体験フェアに協力してほしいというHさん来社。なんでも11月4日に開始されるイベントの中で小学生の職業体験イベントを開催するらしく、そのなかで4年生から6年生までの10名の生徒たちに約40分間の職業体験をさせてほしいという。体験といっても実際の設計ができるわけではないけれど、さてさてどうしようか。検討の結果設計業務をたったの40分で行うことは無理があるので、自由に書いたプランの中にベッドやらキッチンやらの切り抜きを配置していくという作業をしてもらうことにした。

下の写真は実際にやってみたときの様子である。

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13時、埼玉県草加市にて新築住宅を検討中のYさん打ち合わせ。今回は土地購入のご相談である。土地との出会いというのは運命みたいなもので、気に入ったエリア、雰囲気、そしてもちろん価格などなどぴったりと条件の合う土地との出会いは、例えるならば結婚相手との出会いのようなものであるような気がする。この出会いが無事に実ることを祈るばかりである。

2018/10/23

11時、事務所の設計を進行中のSさん打ち合わせ。この現場では不動産会社を営むSさんの依頼で埼玉県川口市に鉄骨造2階建ての事務所の設計を行っている。延べ床面積は80坪ほど、町の事務所としてはなかなか大きな事務所である。

17時より、スタッフメンバーによるテニス練習会。今日で3回目だろうか、スタッフの希望で始めたレクチャーだが秋も深まるこの時期にはだいぶ体を動かしやすくなってきた。2時間ほどテニスを楽しみ、懇親会に移動。体を動かした後の懇親会は自然と会話も弾むのである。

2018/10/20

子供室についてのスタディーをしていると、どこまでの広さ、プライバシーの確保をするかで悩む人がいる。

子供というのは個室がないならないでその環境に合わせて成長していくものだ。個室がある環境だったらそれを当たり前として個室を使うし、完全に分けられた個室がなくってもそれはそれで何とかなるものである。僕はすでに18年間で200軒近い住宅を造っているけれど、あとから個室を造ってほしいと言われた事例はほとんどない。もしどうしても心配ならば、将来的に間仕切り壁を取り付けることが出来る様に工夫しておけばよいが、こうしておいてもなかなか間仕切りを作ることが無いのが現実だ。

下の写真は伊奈の家の子供スペースである。広い解放されたスペースは二人のお子様のために造られた。勉強のためのスタディーコーナーは吹き抜けの反対側に配置してる。吹き抜けを介してすべての部屋がつながることで一体感のある暮らし方が実現しているのである。

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基本設計段階で大切なことは、答えは一つではないということだと思う。僕はいつもクライアントの家族像を眺め、どんな暮らし方が理想的かの創造を膨らませるようにしている。趣味は、普段の家での過ごし方は、お子さんとの関係は、などなどの様々な条件からふくらませる想像の中から、既成概念にとらわれない楽しい空間が生まれると思うのである。

そして、この作業は建て主自身が自分でもできる作業だとも思う。構造的に成立するかどうかのなどの難しいことは考えなくともよい。建築の世界で皆さんが想像するようなことは、すでに土木などそのほかの世界ではすでに実現していることがほとんどだ。もしも建て主がつり橋のごとき住宅の姿を思いついたとしても、それは容易に実現できる技術である。もしも搭のごとき建築の姿を思いついた場合も同様だ。それ相応のコストは必要となるであろうが、それが建て主の暮らしにとってどうしても必要なものであるならば、それを実現するためにそのほかの部分のコストを削ってでも実現すればよいと思うのである。

2018/10/18

10時、埼玉県坂戸市にて新築住宅を検討中のYさん打ち合わせ。住宅ローン関係の手続きなどについて。

16時、東京都杉並区にて新築住宅を設計中のUさん打ち合わせ。場所は新宿にあるリビングデザインセンターオゾンである。オゾンさんのおかげでこういう場所で打ち合わせができるのはとても便利でよい。今日は見積もり調整の最終段階ということで変更項目に対する増減の説明を中心に行った。

2018/10/16

10時、埼玉県川口市にて10坪ほどの仕事小屋を作りたいというSさん打ち合わせ。今日はプラン・断面図などを作成して、大きさ・形状・開口部の位置や大きさなどについての確認作業を行った。

打ち合わせをしていて気が付いたことがある。住宅の打ち合わせではこの基本設計段階で最低でも2か月ほどの時間をかけて、いろいろなプランを造ったりの検討を行うけれど、小屋ということになるとそれが1回で終了した。小屋ならではの屋根形状、大きさ・・・なんとなく共通の意識というものがあるからだと思うがこれはちょっと面白い。小屋というとシンプルな平面形状となる。屋根も片流れか切妻だ。玄関がって、窓がいくつかはつくがそれほどこてこてと飾りつけはしない。とにかくシンプルなのである。このシンプルさが僕はとても面白いと思うのだ。

住宅は色々な情報が氾濫しすぎてなんだか複雑になりすぎているような気がする。雨風しのいで人が暮らす場である初元的な思いが、だんだんと断熱性能が・・・とか火災報知器が・・・とか、サッシの防火性能が・・・とか耐震性能が・・・とか、とにかくいろいろなことがとりついて複雑化している。そして値段も高くなっている。

土地に余裕がある平屋の小屋は地震でつぶれようがないが、狭い土地に3階建てを無理に建てれば耐震等級3にしても倒れてしまうかもしれない。平屋でも屋根の上の重い瓦があればつぶれてしまうかもしれないけれど、屋根が軽いガルバリウムだったらますますつぶれようがない。空き家が問題になる時代である。10年もたつと土地はだいぶ余ってくるだろう。隣が空いたから土地がくっついて倍になって、今までは3階建てだった家が2階建てになる、そんな現象も起こってくると思う。

小屋のような家、そんな家はとても魅力的だと思う。余分なものをそぎ落とすこと、余分なものっていったい何?そんなことを考えながら家について考えてみる。

2018/10/15

ここのところとても過ごしやすい日々が続いている。夏の暑さ、台風、とにかく異常気象といわれ続けた一年だったが、やはり秋も深まるとだいぶ落ち着いてくるようだ。

ある記事を読んでいたら、今のような状況に近いのは元禄江戸地震(1703)に始まって1707年に南海トラフ巨大地震と富士山の噴火が相次いだ18世紀初頭であるという。富士山噴火では関東一円に火山灰が降り積もって農業は大打撃を受けた。元禄江戸地震では直後に元禄から宝永に改元された。そのあとの宝永大地震では約2万人の人的被害が出たという。元禄という時代は好景気の代名詞で使われるような時代だけれど、これはたまたま大災害が起こらない中で羽を伸ばせた時代だとも考えられる。宝永がスタートして、日本は人口増加が停滞し、耕作面積も増えなくなった。だがこの時期に米本位政策から商品経済へ転換を果たし、流通の発展、食料の安定化を果たした。読み書きを学ばせるなどの教育も普及し、浮世絵などの文化にもつながった。祭りなどの神事が、地域活動化し、地域防災活動などが普及したりもした。つまりは一度ひどい目にあって単なる発展から、強い社会の構築に転換した時期が江戸時代にもあったというのである。

さてさて、僕たちの時代に起こりうる様々なことに対して僕たちは何ができるだろうか。簡単に個人が実現することができる住宅に関していえば相当改善されているような気がする。建築の強度は建築基準法をかなり上回るレベルで実現しているし、保険制度などもだいぶ整っている。だが高速道路や電車、地下鉄などの都市インフラに関してはだいぶ不安が残る。特に都市部は余りの密集度合いにいったいどうなるのかの想像もつかない。こういう大きなことは最終的には政治が決めるわけだけれど、そこにいたるまではいわゆる技術者によって方針が示されるわけだから、僕たち建築にかかわるものは様々な活動を通して声を出していかなければいけないのだと思う。

川口市の消防団の車庫の設計をしていてなんとなく思ったことである。

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