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増井真也日記

2017年4月アーカイブ

2017/04/22

午前中は東京都豊島区にてマンションのリフォームを検討中のWさん打ち合わせ。山手線の大塚駅にほど近い築15年ほどのマンソンで新しい生活のイメージを膨らませる。あらかじめご希望のリフォーム案のごときものはいただいていたので、まずはそのご希望を伺う。お話を一通り伺った後は、マンションのリフォームの事例をまとめた事例集を見ながらの事例紹介である。限られたスペースの中で何ができるかの工夫は、多くの建築家によって試行錯誤が繰り返され、その作品事例は多岐にわたっている。ますいいではその事例をスタディーし、クライアントが自分のマンションのリフォームの手法を自ら選択できるカタログのごときものを作成しているので、まずはそれをご覧いただきながらご詩人の家のリフォームについて夢を膨らませていただくことにした。

終了後、スタッフの柳沢君の結婚式に参列するために群馬県高崎市へ。高崎というのはなんとなくご縁がある場所で、裏千家の関係の知人も多くいる町である。この町はレーモンドの建築群があることでも知られており、その中でも僕は旧井上房一郎邸が特に好きな建築であり、これまでも住宅の設計で悩んだ時などには何度か足を運んだことがあるのである。

式は夕方4時よりスムーズに進行。多くの仲間と大切なご家族に囲まれながら幸せそうな二人を見ることができた。

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2017/04/21

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。まずは、茨城県古河市にて計画中のTさんの家のスタディー。Tさんの家は、商店街の中にある道路に面する敷地で、間口が狭くて奥行きがとても長い土地に計画している住宅である。とても長い奥行きをどのように扱うかのイメージを膨らませることがまず初めの段階だ。こういう敷地は建築家にとってなかなかの好材料である。普通ではないという条件が、建築にどのような魅力となって返ってくるかがとても楽しみなところだ。

続いて、埼玉県東松山市にて計画中のKさんの家の見積もり調整作業。渡邊君との二人三脚の作業である。こういう作業は毎日少しづつ進めていくとよい。新しい項目を発見しては、減額の計算をしたり価格の調査をしたりの雑作業が必要となる。そしてまた明日・・・、なかなか終わりの見えない作業なのだ。

夕方より、懐石料理のいただき方講座を主催。地元の若手経営者さんたちで構成している茶道の会のイベントとして講座を開講した次第である。先生には普段からお世話になっている松田先生をお招きし、総勢14名で新宿柿傳の元料理長さんのお料理を堪能した。

懐石料理は、普通の料理屋さんなどで食す会席とは少々違う。まず初めに、向付と飯椀、そして汁椀が載せられたお盆が運ばれてきて、そこにいる人が一斉に箸を取り、ご飯と味噌汁だけを食べるところからスタートする。二つの椀の蓋は両方の手で同時にとり、重ねてわきに置く。ここまでを聞いても知らない人には少々異様な作法である。この料理、じつは茶を飲む前の腹ごしらえである。料理が主役なのではなく、あくまで濃茶といただくための準備であり、豪華すぎる食事は逆に茶の邪魔となってしまう。今日は一汁五采の豪華バージョンであったが、いただき方講座ということで濃茶のほうを省略したので問題はなかった。こういうものも現代の社会の中で自然と失われていく文化の一つであるが、細々とでもよいので受け継いでいきたいものだと切に願う。

2017/04/20

セルフビルドについて考えるときには、必ず石山修武氏の開放系技術を思い出す。石山氏は川合健二という人物を師と仰ぎ、自らの建築を作っている。その石山氏が川合健二の何にそこまでほれ込んだのか。その点についてはこんな風に書かれたことがある。

「どうしても継承できぬことがある。下がりっぱなしの頭が上がらぬことがある。孤立して、しかもあれほど自由に生き抜いた生き方のスタイル、そのものである。川合の生き方の全体は一つの巨大な劇場として表現されていた。管理された組織社会に対して構えられた知覚の劇場である。これは同時にある種の理想的な単独者の尊厳を指示していた。・・・・川合の生き方の全うの仕方、その一部始終を眺め終えて、私が再び学ばねばならぬと考えたのは、単純な一つのことである。川合は、まことに川合らしく、その資質を損なうことなく生き抜いたという事実なのだ。一般論、普遍解の俗論を超えて、川合は川合の私性の尊厳を生き抜いた。

別の言い方に直すと、我々のごとき凡才やら、誰の役にも立つことになる。

建築は、あるいは建築家とはという俗論を超えて、それぞれの人間に固有な私性の具体の中に問題を見続けることの可能性。そのことを彼は示唆し続けてくれていたのではないか。それぞれの人間が、それぞれの私性の中の最大の可能性を発見しようとする努力。それもまた、社会組織の中に合理的に過不足なく生きようとすることと同じに、大事な意味を持ちうるのだということの再認識とでもいおうか。

内的な自由の中にこそ生きよ、と川合は言い残している。生きることの全体こそが最大の表現で、それはほかの何物もはるかに超えて大きいのだと川合は教えた。」


 


さらにこんな記述。
「良き時代のアメリカを代表している思想家に、ヘンリー・ディヴィッド・ソローがいます。森の中に一人で入って、小屋を自分で建てる。さらに、これを建てるのに何円何十銭かかったというような記録を残しながら、2年2か月間をそこで暮らす。その記録からアメリカでよく読まれている「ウォールデン 森の生活」を書いた人です。アメリカの良き時代の精神、開拓者の精神、自立の精神、そういうものを表現しています。」

ますいいリビングカンパニーでセルフビルドをやりたい人たちは少なからず、ソローや川合健二のような自立の精神の持ち主であると思う。決まり切ったハウスメーカーの提供する住宅を買い、一生を縛られる人生なんてまっぴらだという考え、そういうものを持っている人々である。

16年前、この事務所を作るときに資金が底をつき、作り上げた枕木階段。このアイデアはますいい本社を設計してくれた石山先生の事務所の担当者である土谷氏によって生み出された。当時JRに勤めていた土谷氏のお父さんからいただいた枕木を26歳のころの僕と1歳違いの僕とで積み上げ、どうしたら階段になるかの検討を重ねたことを覚えている。

セルフビルド・・・この可能性は追及することをやめてしまえば広がりようのないものだと思う。ますいいで家づくりをする人々が自分自身と向き合うことができるような場面を、私性の尊厳を生き抜けるような場面をもっと考えていきたいと思う。

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2017/04/18

朝礼終了後、埼玉県東松山市にて設計中のKさんの家の見積もり作業。前回作成した見積もり金額から、減額できそうな項目を探し出す作業である。担当スタッフの渡辺君と一緒に約2時間ほどの検討を重ね、その後の価格調査や積算の作業を指示した。

2017/04/15

10時より、埼玉県富士見市にて設計中のMさんの家の打ち合わせ。今回の打ち合わせでは自分の家のプランをクライアント自身が自分で書いてみるという、実験的な試みをしてみた。ご主人は最後までプランの作成をしてくれたけれど、奥様はお任せの模様であった。やっぱり家づくりで、とことんセルフビルドなどの部分にはまり込むのは男性のほうが多いのかな・・・などと考えながら、僕自身や担当スタッフの和順君が造ったプランと合わせて比較検討をしてみた。結果は3者3様、でもよくよく見てみるとどことどことを入れ替えると誰のプランになるというようなアレンジの法則が見えてくるというものであった。次回は今回のプランに基づいて一つのプランを作成してみることとした。

15時、家づくりを検討中のOさんご家族来社。まだまだ土地探し中ということで、しかも奥様のご実家のある千葉県から東京都までの広範囲での土地探しとのことだったので、ますいいでの家づくりについての一般的な流れを説明させていただいた。

土地探しというのはとても時間がかかる場合がある。特にOさんのように範囲が広い中で検索する場合には、余計かもしれない。これまでもいろいろな土地探しに付き合ってきた。一番遠いところでは、当時世田谷に住んでいたクライアントと一緒に屋久島に一緒に出向いたこともあった。さんかくの家では、三角形の土地と出会う前からいくつかの土地探しを一緒に行い、最終的に三角形の土地を購入する決定をするところまでを行った。

北の常緑ハウスでは、クライアントのKさんが足立区内の河川敷の近くの土地を探してくると、それを見に行ってコメントをするということを繰り返した。最終的に購入した土地も川のほとりの土地で、その河川敷の緑をふんだんに取り込むプランを実現することとなった。担当者の岸田君が基本設計段階からとても気持ちのこもった設計を貫き通し、素晴らしい建築が出来上がることとなった。すべての始まりの土地探し、Oさんの土地探しもうまく進んでくれればよいと思う。

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2017/04/14

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。埼玉県富士見市にて設計中のMさんの家のスタディーなど。Mさんの家ではセルフビルドをふんだんに取り入れた超ローコストでの家づくりを行いたいということで計画を進めている。セルフビルドをふんだんに取り入れるための設計を行う上で、どのような工夫を取り入れ得るのか?ということを悩んだ挙句に、今回はプランを作成するのではなく、
・どのような箱、つまり家の外と中を区切る外壁を作るか?
・その箱の中にどのように設備を作っておくか?
・その箱はどのような間仕切りを作って、暮らしに合わせたカスタマイズを行うことができるか?
の検討を行うこととしてみた。プランを作成しないので、プレゼン図面は外壁ラインしか入っていない。でも設備だけはなんとなく記載されている。そういう状況で、クライアントと一緒に内部の間仕切り例を考えてみて、その中から何かのアイデアが生まれないかの実験をしてみたいと思っている。果たしてどうなることやら、和順君に指示をして準備を進める。

午後、青山3丁目のギャラリー「ときの忘れ物」にて石山修武先生の展覧会にお邪魔する。会場には石山先生と東京都豊島区の教会の牧師さんである芳賀さん、そしてその息子さんがいらっしゃった。石山さん、仏教の寺院はすでに広島ハウスINカンボジアで、ご自身が最高傑作といわれるほどの建築を造ったから、次はキリスト教に興味を持っているのかもしれない。コルビジェのロンシャンを以前フランスで見学したことがあったが、この建築は確実に見る人の心を打つものであった。そして歴史になる建築であるのだとも思った。宗教建築は最も寿命が長くなる可能性がある。スクラップアンドビルドを繰り返す日本でも、寺院だけはそうそう壊されることはない。すでに70歳を超えた石山先生が将来どんな建築を作るのか、とても楽しみである。

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2017/04/12

朝礼終了後、すぐに埼玉県東松山市にて設計中のKさんの家の打ち合わせ。今日は第1回目の見積もり提示である。1回目の見積もり提示というのは、これまでの打ち合わせでクライアントからうかがってきたご希望がほぼすべて取り入れられた場合の価格が積算されているので、たいていの場合は予算金額をオーバーする。そして今日もそうである。ここからどのように金額を落としていくかの提案を繰り返すことが、実施設計最終段階におけるとても大切な作業となる。そして少々時間のかかる部分でもある。これからの作業では、「自分の家は自分で建てる」の感覚的な部分を満たす、つまり自分の家のお金の使い方を自分で考えたという状況になるためのお手伝いをしていきたいと思う。

2017/04/11

10時より、東京都北区にて新築住宅を検討中のKさん打ち合わせ。今日が初めての顔合わせということで、家づくりの流れなどについてのお話をさせていただく。

終了後モルタルのキッチンについてのスタディー。僕が初めてモルタルでキッチンを作ったのは2004年ごろに造ったさんかくの家である。この住宅は三角形の狭小地に建っていて、平面形状は30度、60度の直角三角形をしている。ゆえに普通のプランは収まらないわけで、おのずとここで暮らすためのアイデアが浮かんでくる。お風呂なんて頂点に配置したから三角形のモルタル製だし、キッチンも1:2:√3の1の辺にモルタルで作った。こんなものは売っているはずもないので、大工さんと左官屋さんの手作りである。

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この時に造ったモルタルのキッチンを見て、ますいいリビングカンパニーに家づくりを依頼してくれたのが浜田山の家のクライアントのTさんだ。モルタルの素材の感じが好きだというTさんの家では、無垢の木の面材や杉の床板などとも調和するキッチンを作ることができた。おさまりや仕上げの手法は経験として積み上げられていく。結果、今では10個ほどのモルタルキッチンを作ったであろうか。少ないけれどなんとなく受け継がれるキッチンの形、ちょっと面白いので考えてみた。

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終了後、埼玉県川越市にて設計中のSさんの家の見積もり調整作業など。減額案の作成作業を一つ一つ細かく進めていくこと数時間。担当者と一緒に頭を悩ますひと時である。

2017/04/10

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。埼玉県東松山市にて設計中のKさんの家の見積もり書チェックなどを行う。今回が初めての見積もりのまとめ作業ということで、午後までかかる大仕事である。住宅1棟分の見積もり項目を一つ一つくみ上げる作業は結構大変なのだ。

4日ほど前にアメリカがいきなりシリアを攻撃したというニュースが流れた。シリアで何が起きているのかということに日常的に興味を持つことはないけれど、なぜかアメリカが攻撃をしたという話を聞くと突然身近な出来事に感じるから不思議である。シリアが毒ガスを使用したことへの制裁という話が語られもするし、それを否定的に言うロシアの話も聞こえてくる。結果、日本にいる僕たちには全くよくわからない話のままだ。

それで次は北朝鮮である。アメリカの空母が派遣されるという話が報道され始めると、突然これまで見たこともなかった軍事の専門家という肩書の人がニュースに出始めて、空母とかミサイルの話をし始めたりする。だんだん日本に近づいていることは感じるけれど、でもまだ対岸の火事である。少なくとも僕みたいに国防とかに全く関係のない仕事をしている人たちは同じような感覚だと思う。

僕にはよくわからないけれど、昔も戦争があった。それも日本はそのど真ん中にいた。日本が戦う相手はアジアの国かロシアなのかと思っていたら、いつの間にかアメリカとも戦争をしていた。どの戦争でもそれをを始めるにあたって、全国民に意思を確認してなどということが行われるはずもなく、結局は全くそんな気のない個人であり普通の民間人であり、子育てをしていたり普通に働いていたりする、つまりは僕たちと変わらない人々が、いつの間にか巻き込まれるように、そして自らの意志では抜けることができないような形ではまり込んで行くのだろうと思う。

そしてひとたびそういう状況が始まってしまうと、シリアの現状を見ていても、結局はどちらかの勢力の軍事関係組織とそのリーダーが完膚なきまでにされない限りは終わることはできないのだろうという気がする。そしてそんなことになったら、僕たちが知っている日本という素晴らしい国は終わりを迎え、また別の形に姿を変えてしまうような気もするのである。

江戸時代、平和な日本には文化が栄えたが、諸外国の圧力により政変が起き、帝国主義国家へと形を変えた。国の形態の変化は必ずしも自国の意志によるものだけではない。周りの状態に呼応するように自らの形態を変えていく結果の成れの果てがどこへ向かうのか。過去を忘れつつある僕たちが作る未来が、津波の時みたいに、大きな被害があった後に過去の教訓を生かせなかった反省をするような未来にだけはしたくない、子供を育てる親としてつくづくそう思うのである。

2017/04/08

10時、埼玉県富士見市にて設計中のMさんの家の打ち合わせに担当の和順君と一緒に参加。今日は2回目の基本設計である。前回プレゼンさせていただいた1階リビング案から変更して、今回は2階にリビングがあるプランを考えた。

1階リビングと2階リビング、これは基本設計の初期段階で家の様相を大きく変える要素としてとても大切な部分である。昔ながらの住宅は1階に居間があることが当然だった。僕もそういう家で育ったし、逆にそうでない家というのは、例えば1階に作業場があるとか、床屋さんがあるとかのちょっと特殊な事情がある家だったと思う。(僕の一番の親友だった向かいの家のあやちゃんは椅子の張替公房の2階に住んでいたし、その隣の家のしげるくんは1階が床屋さんだった。)

でも近年の住宅街では、すぐ目の前に道路があったり周りを住宅に囲まれていたりの理由などから、光や開放感を求めて2階にリビングを配置せざるを得ないケースというのが増えている。下の写真は埼玉県の蕨市に造った住宅である。写真のごとく狭小地に建つ住宅で、目の前はすぐに道路となっている。2階のリビングのプライバシーを配慮して外壁には木製格子を施工し、さらに2階リビングには吹き抜けを設けて、屋上からの光を取り込むことができるように工夫を施している。

さてさて、今回の敷地では前面に緑地帯のような公園があり、しかも敷地よりも1mほど下がったところに地面があるので1階リビング案でも眺めがなかなか良い。もちろん2階にリビングを設ければさらに眺めがよくなるけれど、生活導線の利便性などを考えるととても悩ましいところでもある。悩むことができるだけ幸せ、なのだけれどどちらにしようか。次回も両案を変更させる形でアレンジしてみて検討を重ねることとしようと思う。

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午後、東京都練馬区にて設計を進めているKさんの家の打ち合わせ。いよいよ基本設計がまとまりつつあり実施設計にコマを進めようという段階である。スケールアップした図面や模型を作成していくだけにこの先の作業が楽しみなところだ。

2017/04/07

10時、東京都の根津でギャラリーの計画をしているOさん打ち合わせ。今日は息子さんとお二人でのご来社で、1/30の模型を見ながらのギャラリーの使い方などについてのご相談を行った。

ギャラリーに関しては、かれこれ10年ほどであろうか、ますいいRDRギャラリーなる小さな私設ギャラリーを運営している。このギャラリーは僕の妹が運営しており、現代アートやクラフトの作家さんたちの企画展や貸しギャラリーとして活動を行ってきた。もともとは古い公団の貸店舗で、1階がシャッターで外部と仕切られた10坪弱のお店、2階が4畳半二間のお風呂の無い住宅、いわゆる職場と住居が一体となった昔ながらのスタイルで貸し出されていたのだけれど、原状復帰の義務にもめげずほとんどを解体して写真のようなモダンな空間にアレンジしてしまったのである。こうして改めて写真を見ると当時の様子を思い出す。古い公団の1階に突如として現れたガラスのファサード、結構インパクトがあった出来事であったし、今でもこの場所を言えばたいていの川口市民が知ってくれているスポットでもあるのだ。

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埼玉県伊奈町にて進行中のWさんの家では、約1ヵ月半ほどの地盤改良や基礎の工事を終えて、いよいよ木造の構造体の上棟工事が行われた。この先は筋交いなどの構造金物を取り付ける工事へと入っていく。ここから2か月ほどで材木の加工やら取り付けやらのいわゆる大工工事が進められることとなる。現場の進行がとても楽しみな時期である。

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2017/04/04

朝礼終了後、東京都豊島区にある本納寺さんへ。今日は屋根の吹き替えをする場合に必要となる、建物をすっぽりと包みこむような大屋根の足場について現場にて鳶さんとの打ち合わせを行った。普通の住宅の屋根の吹き替えの時などは、決してこんなお金のかかることはしない。ブルーシートをかけて水の侵入を防ぐ程度の処置で済ませる。しかし寺の本堂となると、たかが屋根の葺き替えとはいえ期間は半年ほどかかってしまうわけで、それなりの仮設工事が必要となってしまうのである。今日の打ち合わせでは足場をかける位置、その際に足場がかぶさるようになってしまうお墓の位置などについて把握することができた。これで何となく工事中の様子が思い描けることとなるだろう。

13時、茶道稽古。4月のお稽古ということで、最後の炉を使っての炭点前を行った。以前茶事をしてからの数か月ぶりの炭点前である。少々記憶が飛んでいるところはあるけれど、都度都度のアドバイスを聞きながらなんとか無事に終了することができた。一度覚えたことは完全に記憶から抹消されることもなく、すぐに呼び戻されるものなのかもしれない。続いて濃茶の棚のお点前。こちらは普通のお点前でスムーズに進行。お稽古仲間にふるまうとおいしそうに飲んでいただき満足である。

2017/04/03

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。今週も週末にはいろいろな打ち合わせが控えているので、それぞれの検討事項について的確なアドバイスをしていかなければならない。

気が付けば陽気もだいぶ暖かくなってきて、庭の桜もほぼ満開、週末は関東地方がお花見日和とのことである。畑のほうもだいぶ春らしくなってきていて、じゃがいもが小さな芽を出したり、エンドウ豆などもすくすくと育ち始めたりの様子である。冬に育てていた大根や水菜の収穫は終わりを迎えて、その代わりに種をまけば40日ほどで葉物の野菜を収穫できる時期になってきた。5月になったら夏野菜の苗を植えたりの作業に入る。毎年毎年同じようなことを同じ時期にやるのだけれど、でも少しずつどこかを変えてみて、その変化を楽しんでいたりもする。

そういえば一年目のこの時期にはスズメバチを駆除するためのわなを仕掛けてみた。構造はとても単純。ウェブで検索すればすぐに出てくる。ペットボトルに「はちみつ」やら「お酢」やらの好物を入れて、ちょうど蜂の入り口になりそうな穴をあけておくとどんどんその罠にスズメバチが入るというものだ。
が・・・・10月の最もスズメバチが好戦的になる時期にまるでその罠に誘われてしまったかのように、わなを仕掛けたすぐ近くの木に大きな巣を作られてしまった。ある日作業をしていると頭の上にスズメバチがたくさん飛んでいるのである。妻は平気でその下で作業、傍らには小学生の娘、そして僕。しばらくすると娘があそこに蜂さんの家があるよ・・・といった時には唖然とした記憶がある。
それ以来蜂のわなは仕掛けていない。そしてハチの巣も出来ていない。自然とはそんなものである。

自然の世界はなんでも思い通りになると思いがちだけれど、たいていのことはそうでもない。そうでもないもののほうが多いということはわかっておいたほうが良いと思う。それでも色々と工夫をしながらあれこれ試しているときはとても楽しい。これは建築の仕事も同じような気がするのである。

2017/04/01

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

14時、東京都練馬区にて計画中のKさんの家の打ち合わせ。今日は数回目の基本設計打ち合わせだ。現在のところは、細かい変更も含めると10案以上ご提案していることになるので、計画の方針もだいぶ固まりつつあるという段階である。

Kさんは建築系の大学をご卒業されているので、まさに自分で自分の家を設計することができるタイプのクライアントだ。お話を聞くと住宅とは分野は違うが、現在も設計のお仕事をされているということである。今回もご自身で作ったプランを1案持ってきてくれた。前に造ったプランと比べるとだいぶ腕を上げてきた印象がある。きっと何度も何度も自分でプランを描いているのだろう。ということで、次回打ち合わせまでにKさんご自身が書いたプランをCADに落としこみ、設計上の問題点がないかどうかの検討をすることとした。

一つの文章を紹介したい。これは僕が作った本に書いた文章で、津田寛治さんという俳優さんの家づくりをした数年後に、その家づくりについてインタビューをしたものである。家づくりはクライアントのためにある、という当たり前のことをあっらためてわかりやすく考えさせてくれる言葉が込められている。そしてそれはますいいリビングカンパニーという会社が存在する意義でもある。
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建築家をやっているといろいろな人と出会う。年齢も職種もそれぞれで、打ち合わせをしていると、いろいろなお話が聞けてとても楽しいし為にもなる。時には有名人もやってくる。7年ほど前に俳優、津田寛治さんのご自宅を建てた。映画やテレビドラマなどで活躍されている方でご存知の方も多いだろう。津田さんとの出会いは、奥様がさんかくの家が掲載されている雑誌「住まいの設計」をご覧になった時に、モルタルで作ったキッチンやお風呂の写真を見て気に入ってくれて、ご連絡してくれたところから始まった。

土地を購入して、不動産屋さんに紹介してもらった設計士さんに図面を書いてもらうところまで進んでいる状態だったのであるが、その設計士さんに塗り壁で仕上げをして欲しいと依頼したところ、「この土地では地盤が悪いから塗り壁の仕上げは無理です。クロスを貼らなければ仕上がりません」と言われて決別してしまった時に、たまたま新宿パークタワーにあるリビングデザインセンターオゾンのライブラリーで雑誌を見つけて、ますいいに来ていただいたというわけである。

津田さんは当時のますいいとの出会い、印象をこのように話してくれた。

「僕の家づくりには、設計を押し付けるような建築家は絶対に入れたくないと思っていました。そういう建築家って他人の住む住宅を自分の作品としてとらえているじゃないですか。でもそれは傲慢なことでしかないと思うんです。住宅は決して建築家の作品ではないと思います。住宅はあくまでそこで暮らす人のものなんですね。だからこそ、住む人の希望とか使いやすさとかをないがしろにして作品性を高めることに偏りすぎてしまうことは傲慢だと思います。
建築家の人がもしクライアントの希望を聞いていて、でもやっぱり後々後悔するよって思っても、お客さんがそう望むのであれば思うようにやらせてあげればよいと思います。それで、どうしても嫌になったらやり直せばいいと思います。
僕たちは、デザインを押し付ける建築家ではなく、工務店なんだけれどセンスのわかるところを探していたんですね。その考えにぴったり合う会社を見つけたのが、たまたま(ますいいリビングカンパニー)さんだったんですね。はじめての打ち合わせで、妻がこれまで依頼しようと考えていた他の設計事務所が書いた図面を見せて「これでお願いします」というようなことを言ってしまったときに、さすがに失礼だろって思ったのですが、増井さんが「わかりました」と言ったんですね。あの時の増井さんを見て、クライアントの要望を寛容に受け入れるところと、それでも自分を崩さないところを持っているなあと、つまりとても自然体だなと思いました。施主の思いを実現するという設計手法は、ともすると設計という行為に対してモチベーションが感じられなくなる場合もあると思います。でもそこをうまくバランスをとって、それを楽しんでくれるのがすごくよかったんです。」

津田寛治さんは僕の印象では、芸能人と呼ばれる人が持つであろうとイメージされる派手さとか、傲慢さとかとは無縁の人である。むしろ普通の人よりも自然体かもしれない。乗っている車などぼろぼろのワゴン車にニコちゃんマークのペイントを施しているような車だし、服装だってセンスの良い普通の大学生のようなもの。とにかく見栄を張るような行為とは無縁の人だ。そんな津田さんにとっての住宅とはどのようなものだったのかを聞いてみた。

「俳優って特殊な仕事のように思われるけど、実は普通の仕事と変わらないんです。一部のスターは違うかもしれないけれど、僕たちのような役者は現場に行って、衣装に着替えて、せりふをしゃべって、お疲れ様でしたと、まるで大工さんみたいに働いています。
日本中のいろんな現場に行って、その現場の仕事をします。だから僕が家を建てる時も特別なことを考えていたのではなく、ただただそこで育つ子供のことを考えていました。僕の中では児童館みたいな家にしたいと思っていたんです。決してファッショナブルなものではなくどちらかというと暖かいもの。家という物はその場だけの完成作品ではない。住んで何十年もたって完成する。すごくきれいだけれど20年たってみすぼらしくなるものではなく、時間がたった時に魅力があるようなものが良い。先日も通りすがりの人がこの家を建てた人を紹介してほしいと言ってきた。」
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