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増井真也日記

2017/03/08

朝礼終了後、現場関係打ち合わせ。ますいいリビングカンパニーは工務店機能を兼ね備えた設計事務所である。2000年当時、僕がこの組織をスタートさせた頃このような体制は他にはなく先進的なものだった。近年建設会社が設計事務所出身者を採用するなどの工夫をして、だんだんと似たような組織が増えてきたようではあるが、「僕の組織作りは一味違うんだよ」、の自負がある。合理化を目指す現代社会ではちょっと大変なのだけれど、僕にしかないこだわりがある。それは、設計者がそのまま現場において家づくりの陣頭指揮を執るということである。

クライアントと初めて出会い、住宅に対する希望などの設計条件となる諸事情を伺い、そこにふさわしい建築とはの想像を膨らませて、建築の姿を描き出す。時にはスケッチを行い、スタイロフォームなどの材料を使っていくつものボリューム模型を作り、プランを描き、また模型を作製する。このような作業の繰り返しによって基本設計を終えると、今度は基本設計で考えた理想の住宅を現実のものへと昇華させるための実施設計に入る。構造的な検討を進めながら、実際に使用する部材を選定し、寸法、材種などの情報を整理して作図を進める。当然コストの検討もこの段階で行う。定められた予算におさまっているか、オーバーしているとしたらどこをどのように変更すれば治めることができるかの検討の末に一つの形を導き出していくのである。確認申請を終え、いよいよ工事請負契約を締結する。いよいよ工事である。設計担当者は、そのまま現場工事段階に突入するとそこでは現場監督の業務を行うことになる。これは簡単なようで難しい。大体人間のタイプが違うのである。

設計者になるような人間は大体おっとりしている。そしてまじめだ。僕とは違って大学では設計演習の作品作りに明け暮れてきたいわゆるエリート集団である。デザインをすることが好きで、建築を見たり旅行に行ったりのことに明け暮れた若い時期を過ごしている人が多い。反面車の運転などは苦手で免許証は持っているけど運転したことはほとんどない、人と激しくぶつかるよりはパソコンに向かっていたほうが楽、というようなタイプが多い。

それに対して現場監督になろうというような人間はいわゆる体育会系が多い。設計という作業があまり好きではなく、デザインに対する理解も浅い。ともするとデザインは社会の悪のように思っている節もあり、奇抜なデザインの建築を設計する建築家も同じく悪のように思っている節もある。職人さんと付き合って時には激しくぶつかりながら、現場を進めるわけであるので、人当たりが強く、デザインよりはモノづくりの現場にいることを生きがいとするようなタイプである。

ますいいリビングカンパニーは、工務店機能を有する設計事務所である。この定義はとても大切にしている。ただ単に設計事務所出身の人間を雇って、工事部とは別物の設計部を組織している建設会社ではないのである。なぜこの体制をとるのか、設計者と工事管理者がもし別々の人だとすれば、設計者はたとえ同じ会社の人間だとしても、無責任な線を引くことができてしまう。どうやって作ればよいかはあとで現場担当者が考えてくれるであろう、どうやって指定された予算内で収めるかの工夫は所詮現場担当者の仕事であろうという他人任せの考えで、図面を作成することができてしまうのである。僕はこういう無責任な線を引く体制下で、良いものが作れるはずはないと考えている。一本一本の線に責任を持つ、設計者としては当たり前のこのことが分業制の中ではできなくなってしまうのである。

皆さんはスペインのバルセロナにあるサクラダファミリアを設計したガウディを御存じだろう。彼は、設計者としてこの建築を設計する中で、このような言葉を残している。「私の唯一の長所は私のもとで働いている人々の一人ひとりが仕事を十分に出来るよう、彼らの能力を引き出すことにある」。

ここに一つのエピソードが残っている。ガウディは大きな鍛鉄細工の仕事にほとんど慣れていない小さな町のこじんまりとした錠前屋に手すりの仕事を任せるときに、それを原寸大の図面に書いて見せた。ガウディは初めにこの手すりの最も簡単な要素を示し、次に段々とその他の鍛鉄細工の要素をたくさん加えて、図面を書き上げていった。それにつれてその錠前屋もだんだんとその作業に引き込まれていった。それは、彼が紙の上に現れてくる形態を理解した時に、彼の顔一面に広がった満足感に現れていた。しかしこの同じ図面の上に完全な球が現れた時、彼は非常に困った顔をした。というのは、彼はその球を鍛鉄で作り上げることが実に骨の折れる仕事であるのを十分に知っていたからである。ガウディは職人の表情を見ても顔色一つ変えずに、彼に次のように説明した。これらの球の取り付けられる高さが決まれば鍛鉄を曲げたり、冷やしてたたき伸ばしたりして、望みどおりの薄さになった手すりの上面と下面によってこれらの球は得られるだろう。つまり球面の印象を与える面と面同志を極接近させられさえすれば、と。ガウディのこの説明を聞いて、錠前屋は肩の荷を下ろしたように、彼の顔には再び満足げな表情が蘇った。(アントニオガウディ、その新しいヴィジョン)

こういう話をすると、そんなのは時代が違うと思う人がいるかもしれない。でも考えてみてほしい。建築なんで時代が変わっても、機能はそれほど変わっていない。別に動くわけでもないし、飛ぶわけでもない。確かに地震に対して強い建築を作るために免震工法や制震工法などの開発がなされたり、超高層を建てるための構造技術が発達したり、はたまた3次元曲面で成立する有機的な建築の構造解析ができるようになったりの技術進歩はある。でもそんな高度な技術を仕込まなければ建たない住宅なんてないのだ。もっと言えば、高すぎる超高層建築、だからこその免震技術、その一方の増え続ける空き家問題なんて言う順番で考えを進めていくと、本当にそんな技術が必要なのかもちょっと怪しい気もするわけである。

僕たちは工業化という幻想に目がくらんで、あたかもそれが現代社会の標準仕様で正しいもののように思いこまされながらも、その一方で時間の流れを感じる過去から受け継がれた素晴らしいものたちを求めて旅行に行ったりする。そして今の時代にそういうものを作ろうとすると、あまりにもカタログから物を探すという行動に慣れてしまった人たちは、カタログに載っていない過去の自由なモノづくりの中で生まれたようなものを、いったいどこで手に入れたらよいか、いったい誰に作ってもらったらよいかの検討をつけることも出来なくなってしまっている。これは何もクライアントの側だけに言えることではなくって、設計者の側にも浸透してしまっている現代病である。

特にCADを利用して設計をすることに慣れている世代の建築家には、自由な曲線を引くことはとてつもなく難しい作業であると同時に、それをしてしまえば建築コストがとてつもなく上がってしまうとの恐怖感すら感じるのである。僕はそういう環境を少しでも何とかしたいと思っている。だからこそ手仕事を大切にしている作家さん達とも交流しているし、川口の街工場の社長さん達とも交流している。実は、モノづくりの精神を持った人たちは身近にいるのだ。その人たちとの交流の中で自由な家づくりを進めるためにも、建築家が工務店機能を兼ね備える、つまりデザインする人と作り手が近くにいることが大切だと思うのである。


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