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増井真也日記
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増井真也日記

2016年4月アーカイブ

2016/04/30

11時、東京都の両国駅の近くに建つ住宅のリフォームのご相談。今日は現地にて打ち合わせである。前回の打ち合わせに続き、設計の細部を決めるためのお話を2時間ほど行った。

現場は1世代前の古い住宅である。でも天井の高さはとても高かったり、小壁の意匠が妙にかっこよかったりの特徴を持つ、これはきっと同業者の手が入った、つまりは建築家によって設計されている感覚を思い起こさせる建物である。居間におかれたお仏壇には、何人ものご位牌が収められていた。その下には写真も飾られている。そういえば僕のおばあさんの家にもこれと同じような状態が作られていたのを思い出した。それに引き替え、僕の家にはお仏壇すらない。打ち合わせの最中に意味の分からない反省をしつつ、ちょうど話が途切れたところでお線香をあげさせていただいた。

聞けばこの家を設計したのは、昭和48年に40代の若さで亡くなられたお父さんということである。そしてお父さんは、大手ゼネコンにお勤めの後、独立してますいいリビングカンパニーのごとき会社を営まれていたということであった。そしてそれから43年後に、今度は僕がこの家をリフォームすることになったのである。こだわりぬかれた2階には、茶室のごとき部屋も設えられていた。いくつかの茶道具もある。なんだか、怖いくらいに今の僕に近いのである。

夕方、埼玉県吉川市にて新築住宅の建築を検討中のOさん親子打ち合わせ。今日は2回目のプレゼンテーションということで、二つのプランをご説明させていただいた。17時頃終了。

2016/04/28

5月17日からのますいい建築圏の展示に向けた準備を進めている。とはいっても皆仕事の合間を縫うようにして行っているので、学生時代のように架空のプロジェクトだけに没頭できた頃のようには作業も進んで行かないわけだけれど、そこは経験で埋め合わせていくしかないのであろう。
展示に際しての全体説明文を考えた。以下がその内容である。

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<ますいい建築圏>
現在は大量生産大量消費の時代が終わりを迎え、有り余る社会ストックをどのように利用するか、乱開発の傷跡をどのように自然に戻して行くかの時代である。人間はもう少し謙虚に、自然に調和しながら生きていくことが必要だと気が付き始めている時代である。

このような時代に、多額の個人資産を投じて、新たに住宅を建築しようとする意志とは何なのであろうか。その意思に建築家はどのように答えるべきであろうか。

自分自身の家を建築する意思は、個性の実現を目指す意思である。

個性の実現を行うためには、「もっと自由な家づくり」を実現することが必要である。そしてその実現を小規模建築の中で目指す場合、建築家は工務店機能も兼ね備えるべきである。この建築家・石山修武先生の意思のもと、「工務店機能を兼ね備えている建築家集団」としてこれまで歩んできた。

今回の展示では、これまでの歩みを振り返るとともに、これから先の10年間の目指す道を示すことを目指している。

10年間の目指す道について、早稲田大学創造理工学部 渡邊大志研究室によってますいい建築圏マップとして表現されている。このマップを手始めにぜひますいいの今後の歩みをご覧いただきたいと思う。

<建物に棲む>
ますいいリビングカンパニーでは、10年間にわたりギャラリーますいいRDRを運営してきた。このギャラリーでは現代アートやクラフトを中心とした作家の個展や企画展を行っている。こうしたアーティストとの連携は、もっと自由に家を作るという目的に対して寄与するものと考えている。

「建物に棲む」のコーナーでは、本企画に賛同していただいた作家による展示が行われている。実際の家づくりの中にアーティストが有機的に絡み合うということ、つまり壁画を描いてもらったり、ロートアイアンの手すりや門扉が取り付けられたり、彫刻家によるレリーフが壁に埋め込まれたり、はたまた和紙作家さんの手による和紙を壁に張ったりの可能性を感じながら、それぞれの作品をご覧いただきたいと思う。

2016/04/26

11時、埼玉県川口市にてリフォームを計画中のkさんのご自宅を訪問。計画中といってもまだ本当に悩んでいる段階である。すでに数社の見積もりなどはお持ちであるが、いまだ決断が出来なくて、ますいいで以前建てた戸塚のスタジオのクライントであるSさんにご紹介されて、僕のところにご相談に来ていただいた。耐震診断もすでに済んでいて、その耐震強度はあまり強くは無いようである。

Kさんはお母さんと二人暮らしをしている。お父さんはすでに亡くなり、弟さんは長らく海外にいる。二人で50坪ほどの大きな家を使っているなかで、
・耐震性の向上
・断熱性の向上
・いくつかの利便性の向上
を計画したいということであった。

お話を伺っていると、
洗面所が狭いので増築したい・・・
1階にピロティ―部分を内部にできないか・・・
等の増やす方向での質問が出てきた。家を見渡せば、何年間もそこから動かされていないようなものがたくさんあるし、広さも二人で暮らすには広すぎるくらいであるのだけれど、それでも家を増築する方向で物を考えていることに大きな疑問を感じた。

こういうことを感じると僕はとても正直に意見を述べることにしている。遠慮をしてもクライアントのためにはならない。
・お母さんが亡くなられた後は娘さんひとりでこの家の維持をしなければならない事。
・それには大きくすれば大きくしただけの費用が必要であること。
・何年間も動かさないものを整理することで、魅力的な空間が確保できる可能性が十分にあること。
(ここでは具体的にロフトの上の箱や食器棚の中の食器の量といったものを指摘させていただいた)
・整理整頓ができないのであれば、ますいいのスタッフにお手伝いさせるという提案。
・1か月間コンテナを駐車場において、いつでも不要なものを捨てられるように出来るという提案。
今日のところはこれらの話をして終了した。ここから先はクライアントが考える時間が必要である。何事もあせってはダメなのである。

午後、畑紗作業。2時間ほど。


2016/04/24

日曜日。今日は僕が所属している裏千家のお茶会である。会場は川口市にある旧田中邸というところ。この建物は川口市で古くから味噌問屋を営む田中家の旧宅であったものを、川口市が買い取って文化施設として利用しているものである。先日ご紹介した旧岩崎邸の小規模バージョンといったところで、とても味わい深い建築として市民から親しまれている。この庭園の一角に、みそ蔵を改造した茶室があり、今回はこの茶室を利用して茶会を開催した次第である。

茶会の話はさておき、今回は十牛図という面白い絵について学ぶことが出来たのでご紹介したい。

この十牛図は禅の悟りを追い求める様子を、牛を求める様に例え絵で表している。以下ウィキペギアの説明文を掲載するのでご一読いただきたい。

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十牛図は以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。

1.尋牛 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2.見跡 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3.見牛 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
4.得牛 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
5.牧牛 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
6.騎牛帰家 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
7.忘牛存人 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
8.人牛倶忘 すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
9.返本還源 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
10.入鄽垂手 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
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お恥ずかしながら僕は今回の茶会に際して初めてこの図を知ることが出来た。悟り=牛を仕事上の功績やら立場やらに例えてみたり、はたまたなにか別の追い求めているものに例えてみたりしてみるとこれはなかなか奥が深い。果たして自分は今どこに??そんなことが明確にわかるわけもないのであるが、それでもいろいろと考えてしまう。人生は学びの連続なのである。

2016/04/22

朝礼終了後、打ち合わせ。

埼玉県吉川市にて設計中のOさんの家では、第2回目のプラン作成を行っている。Oさんとの1回目の打ち合わせの時に要望として提示されたことの中に、ちょっと面白い項目があったのでご紹介したい。内容は収納計画についてである。通常の家では、収納を分散して設けるのが普通だ。今回の計画でも女性の一人暮らしのための住宅を造るということで、以下のような収納を計画した。

・玄関わきの納戸(2畳くらいでいろいろなものを入れることが出来るスペース)
・寝室の押入れとクローゼット
・2階の客間の押入れ
・リビング内の収納棚
・その他洗面室やキッチン収納など

通常の収納量としては十分と思える提案である。しかしながらOさんはそういう収納ではなく、6畳ほどの廊下のような細長いスペースをご希望された。6畳の細長い収納スペース、納戸というような部屋でもなく、幅が1800㎜程で長さが6mほどの太い廊下のような場所、両側に箪笥を置いたり、棚を作ったりすることが出来て、真ん中を人が通ることが出来る、そんな収納スペースをご希望されているのである。

僕はこれまで200戸近い家を作っているのだけれど、こういう収納を作った事はまだない。納戸部屋を作ることはあっても、太い廊下のような場所は初めての経験である。この太い廊下は通り過ぎると、そのままキッチンにつながっており、洗面所などの水廻りにもつながっている。重たい荷物を持って家に帰ってきたら、リビングの方を通らなくともそのまま収納部屋に入って片付けることができるし、そのままキッチンに行けば食材を冷蔵庫に仕舞うこともできる。何とも便利な場所なのである。

今回はこの太い廊下収納を配したプランを作成している。模型の作成が楽しみである。


2016/04/21

11時ごろまで事務所にて各プロジェクト打ち合わせなど。

12時、上野駅にほど近い旧岩崎邸庭園を見学。台東区池之端一丁目にある都立庭園で、三菱財閥岩崎家の本邸だった建物とその庭園を見ることが出来る。今日はわざわざここに来たわけではなく、たまたま用事がある方がここのすぐ近くにお住まいで、ついでに足を運んだ次第である。

入口の坂を上ると、受け付けを経て洋館が正面に現れる。この洋館はジョサイア・コンドルといういわゆる明治初期のお雇い外国人建築家による設計だ。コンドルはイギリス出身の建築家で、有名な所でいうと鹿鳴館などを設計している。現・東京大学工学部建築学科の教授として辰野金吾等の日本人建築家を育成したことでも知られている。中に入ると洋館と和室の二手に分かれる。今日は時間に限りがあったので和室の方に入って、御菓子と薄茶を一服いただいて帰ることにした。

それにしても素晴らしい和室である。こんな建築を必要とする個人が今の日本にいるのであろうかと考えてみても、その答えは見当たらない。おそらくいないのであろうと思う。文化が発展するときには、ある程度の富の集中が必要であり、それは必ずしも多くの人にとって幸せな状況ではない。今の日本という国はみんなで幸せになりましょうという国家であるのだから、個人資産としての建築ではなくみんなで使うことが出来る文化施設の充実が図られるべきなのであろうが、なかなかこういうところには予算が割かれないのが現実である。

上野ということろはとても楽しいところである。僕は日本で一番好きな所だと思っている。移りゆく文化を肌で感じることが出来るかどうかでいえば、六本木や青山などのほうが適しているのかもそれないけれど、もともと僕はあんまり移りゆかない文化の方に興味があるので、国立博物館があったり、美術館があったり、根津や千駄木の町があったり、アメ横の喧騒があったりの上野のほうが性に合うのだ。パリのルーブル、イギリスの大英博物館には及ばないけれど、でも上野は確かに頑張っているのである。

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2016/04/19

午前中は各プロジェクト打ち合わせ。

14時より、川口市民ギャラリーアトリアを早稲田大学僧都理工学部建築学科の渡邊大志先生と一緒に視察した。5月18日からの開催に合わせていよいよ準備も大詰めを迎えようとしている。今日は会場の視察をして展示方法の最終確認をした。終了後事務所にて打ち合わせ。17時ごろまで。

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2016/04/17

午前中、埼玉県吉川市にて住宅の建て替えを検討中のOさんご家族打ち合わせ。今回は1回目のプレゼンテーションということで、ほとんど平屋に近いご提案をさせて頂いた。いろいろとご意見を伺ったので、それを反映させた第2回目のご提案につなげていきたいと思う。

午後、大相撲川口場所見学。川口市に巡業がやってくるのは22年ぶりということである。会場となった芝スポーツセンターは大勢の人でにぎわっていた。今回は知人の会社が取り仕切っているということで、ますいいリビングカンパニーでも協賛をさせて頂いた。多くの知人とも出会い、とても楽しいひと時を過ごすことが出来た。

夜、岡倉天心「茶の本」読了。この本は岡倉天心が明治39年に西洋文明一辺倒の日本の状態に対する警鐘を込めて、茶の文化への思いを綴ったものである。第4章「茶室」の部分にはこんな記載がある。
「茶室は単なる小屋で、それ以上を望むものではない。いわゆる藁家にすぎない。数寄屋という漢字のもとの意味は、好きの家である。後になってさまざまの茶の宗匠が茶室に対する自分の考えに応じた様々の漢字を当てたので、数寄屋という用語は空家または数奇家を意味することもある。・・・」とあった。
好き=ファンシー
空=ヴェイカンシー
数奇=アンシンメトリカル
という3つの意味を茶室という空間に当てている点がとても興味深い。そして
「空家という用語は、万物を包有するという道教の説を伝えるだけでなく、装飾上の主題が絶えず変化する必要があるという考えを意味している。茶室は、何らかの審美的気分を満足させるために一時的に飾られるものを別にすれば、まったく空虚である。場合によっては何か特別な美術品が持ち込まれることがあるが、それを別にすれば、あらゆるものが中心主題の美しさをたかめるために選ばれ、並べられる。・・・」と続き、空であるからこその変化の可能性を説いている。

続いて、
「茶室は見かけは印象的ではない。それは一等小さい日本家屋よりも小さく、その建築に使われた材料は気品のある貧しさを暗示する意図が込められている。しかも、すべてこのことは深い芸術的先慮から出たものであり・・・」という記載もあった。

こういう記載を読んでいると、いつもクライアントから言われる言葉、つまり今の人が住宅に対して望んでいる事柄ととても近いような気がしてならない。
好き=こだわり
空=暮らしながら自分流のスタイルにしていくことが出来る
数奇=完全ではないこと、時間による変化やセルフビルドなどを取り入れる楽しさ
と置き換えるとわかりやすいかもしれない。
茶の本を読んでいてこんなことを考えるとは思いもしなかったけれど、意外な思考の展開であった。

2016/04/15

朝9時、友人の弁護士である西村さん来社。この度めでたく自分の事務所を開くということで、ご挨拶に来ていただいた。数年来の地元団体での知人なのだけれど、人数が増えてなかなか仕事をやっていくのが厳しい職業だけに、良い弁護士としてしっかりと営業をして欲しいと思う。建築士と同じくいわゆる士が付く、サムライ業などと呼ばれる類の職業は、資格を取得するだけで職を得ることはとても難しい。建築士などは「足の裏の米粒」=とっても食えない・・・などと揶揄されることも多い資格であるのだけれど、他の資格も似たようなものである。だからこそ、こういう資格を取得した人は倫理観とか理想を持つことといったことが大切であると思うのである。

資格とは、ただ単にこういう仕事をしてもよいですよと言う、政府から与えられた許可に過ぎない。(まあ資格もないのにその業を営んでいるような人は論外であるが・・・)そして、その許可があるからと言って、良い仕事ができるとも限らないものである。つまり資格以前の問題、あくまでその資格を生かしてある理想を実現させようという理念を持つことがとても大切であると思うのである。とにかく西村君には頑張ってもらいたいものである。

終了後各プロジェクト打ち合わせ。

まずは明日打ち合わせの両国の家について。1/30模型の作成と図面の訂正作業を進めているのだけれど、その内容について確認をした。模型の方はなかなかの出来栄えである。これならば気に入っていただけるのではないかと思う。

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続いて、スタッフの土田君とスケジュール確認など。

昼食後、日曜日に打ち合わせを行う予定の吉川の家のプランスタディー。そろそろ打ち合わせに向けて最終案を決定しなければいけない段階ということで、スケッチを書き進める。

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2016/04/13

朝礼終了後、昨日に引き続きますいい建築圏の打ち合わせ。今日はますいい農園のプレゼンを担当している田部井君と話をした。

僕は数年前より畑をやっている。2年前に始めた時は30平米を1年間18500円で借りるという、言わゆる家庭菜園でスタートした。30平米というとても小さい畑ではあるが、初めはこの程度でも十分楽しめた。2月から借り出したその畑に実際に種をまき、ホウレンソウが出来たり、小松菜が出来たりした時はとても感動したものである。時期が進み春野菜、夏野菜と変わってくると、ナスやトマト、ピーマンシシトウ、大葉にオクラなどなど、とにかくいろいろなものを少しずつ作ってみた。生まれてからこれまでまともに畑作業などやったことが無い人間にとっては、それこそトマトがなっている姿を見ては驚き、ナスがなっている姿を見ては驚きといった具合であった。ジャガイモやサツマイモも少しずつ植えてみた。この時はうれしくてポテトを作ってみたり、大学芋を作ってみたりした。

1シーズンやってみて、30平米では物足りなくなった。もっとたくさん作ってみたいという思いで、川口市内の耕作放棄地を探したら、ちょうど昔は植木屋さんの植木を育てる場所に使われていて、今では耕作放棄地として荒れ放題の土地を紹介してもらうことが出来た。あまりにも荒れ放題だったので、ダンプ屋さんをやっている友人に60センチくらいの深さで土地をすべてひっくり返してもらい、畑として利用できるようにしてもらった。

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今はこの畑を始めてから2年目の春である。作業にもだいぶ慣れてきて、思ったような野菜が取れることが多くなってきたけれど、もちろん失敗することもある。特に難しいのは春の始まりの寒い時期に苗を育てることで、こればかりはまだまだ失敗ばかりである。野菜作りは苗半生と言うらしく、苗の時期の育成状況がその後の育ちを大きく左右するというのであるけれど、小さな種から大きな苗を作るまでの過程はとても難しいのである。

街を車で走っていると耕作放棄地をたくさん見かける。本当は農地なのに梅の木が数本植わっているだけで実際は何も育てていない土地、資材置き場や駐車場などに利用してしまってすでに農地の姿をなくしてしまっている土地、とにかくひどいものである。都市における農家の跡取りは、農家を作業をまじめにやるという選択をする人と、そうではなくその土地を人に貸してお金を得ようとする人に分かれる。そして悲しいことに後者の方が多いのである。川口市近郊の農地も、本当だったら豊かな畑の風景が広がるであろう所に、建築現場で使う仮囲いが建てられていたり、建設重機が置かれていたり、産業廃棄物の分別が行われていたり、・・・こんな悲しくなるような風景をとても多く見かけるのである。本来であれば農地の利用方法に関しては農業委員会の厳正なる審査や管理があるはずなのに、なぜこういう状況になってしまうのか。それらは許可を与えたりする農業委員会という組織もまた、そういった行為によって利益を得ている農家さんによって運営されているという理由によるのであろう。

一方で僕が真面目に農家をやると言っても僕は農家にはなれないという現実がある。農家をやると言っただけで農家になれてしまったら、うそつき農家がたくさん現れて、つまり安い価格で農地を購入した後に、農業以外のことに利用してしまう様な輩が現れるからである。こんなことになってしまっては土地の農家などすぐになくなってしまう。だから今の制度はとても大切なのである。

これを防ぐための制度なのは十分に理解している。でも、この制度のせいで農家になれない事もまた事実である。やりたい人が農家になれない、農家の家に生まれたからと言って本当はやりたくない人が、持っている土地を遊ばせておくわけにもいかないから仕方なく駐車場や資材置き場に転用してしまっている、そんな現状がある。そしてその現状が悲惨な都市農業の実態を作ってしまっているのである。ちなみに川口市の場合、5反の農地(1500坪程度)をいっぺんに取得すること、そして農家としての実績があることという条件が求められる。この条件、なかなか厳しい。だから僕はその実績を今つくっているのだ。

僕がやっていることはたった2反(600坪)の耕作放棄地を畑に戻すという行為である。なぜやっているかと言えばそういうことが好きだから、これに尽きる。農家をやりたい人、こういう人種が確実に存在する。でも今の農政ではこういう人種が農家になることに大きなハードルがある。特に川口市のような都会においてはその困難さは顕著で、つまりその農地が農地以外にお金を生んでしまうような土地であると、より困難であるという状況があるのだ。

一方で飯能市のように人口が著しく減少しているような地域では、この基準を低くすることで移住者を集めようというような動きもある。こうした地域では、地域に必要とされ迎え入れられる形で農業を始めることが出来る。

食料自給率の向上、都市農業の再生を訴える自治体は多いが、その実態はまだまだ再生することが困難である。やりたい人がやれないというこの状況を変えないことには、きっと事態は好転しないであろう。僕の畑が5反を超えて、川口市でとてもまじめに農家をやっている一人になって、資材置き場の様なところが少しずつ畑に戻って、そんな未来を期待している。土地のスプロール的な発展に従って日本人は国土を乱開発しすぎたと思う。人口が減少している今、戻せるところから戻すことが大切であり、そういうことに心と体を向けている建築家がいることもまた重要なことに思えるのである。

2016/04/12

夕方より、ますいい建築圏についての全体ミーティング。町田からも4人のスタッフがやってきて、にぎやかに打ち合わせを行った。打ち合わせ終了後、今回展示される創作茶室についての考察。

今回の展示のために作られたこの茶室は、間伐材の杉細材を束ねることによって構造体としての強度を与えられた柱と、同じく杉細材の胴縁材の組み合わせで出来上がった空間である。

利休の時代、つまり戦国の世の中、茶室は今のような文化的サロンを開催する場ではなく、人と人とが会合するための単なる「囲い」であった。仮設的な囲いをその時代に無理なく手に入る素材によって、一時的に作成し、そこで人が集い一期一会の時を過ごしたのである。しかしながら利休はそのただの囲いに、「美」という命を吹き込んだ。そしてその時に作られた美が、今の時代でもいわゆる経典的なものとして受け継がれているのである。

本展示では、間伐材の杉というどこにでもある国産材を使用し、現代的な感覚を持って「美しい囲い」によって生み出される空間を作成したものである。囲いには鶴が舞っている。皆さんもぜひこの空間で心の平安を祈ってほしいと思う。

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2016/04/09

午前中、埼玉県富士見市にて設計中のTさんの家の打ち合わせ。Tさんの家では擁壁を造り替えて、その上に新築住宅の建て替えを計画している。今回の打ち合わせでは前回の見積もり提示からの減額案をご提示し、今後の方針を決定した。

同じく午前中、千葉県流山市にて計画中のSさんの家の打ち合わせ。基本設計の申し込みをいただいてから初めての打ち合わせ、これから数回の基本設計のご提示の中でプランが決定していく大切な時期である。担当のスタッフが柳沢君だからきっと魅力的なプランへと発展していくことであろう。

夕方、倉敷意匠研究室なる雑貨ブランドで販売しているデスクスタンドが届いた。この会社は以下のようなコンセプトを表明している会社である。なんだかちょっとますいいに似ているそんな気がするのである。

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江戸時代から続く美しい町並みで知られる岡山県倉敷市。「倉敷意匠計画室」と「倉敷意匠分室」は、今も手仕事の伝統が残る倉敷を拠点に活動する雑貨メーカーのブランドネームです。
日用品として日々使われることで、より美しく育っていくような、誰かにとってのかけがえのないモノを送りだしていけるよう願う、小さな小さなブランドです。

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2016/04/08

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。埼玉県川口市にて進行中のKさんの家工程管理について。Kさんの家は小さな土地に建つ木造3階建て住宅である。今回の担当スタッフは和順君、まずは全体工程表を作成し壁に貼り、ホワイトボードに記載されている現状工程との比較をしながら今後の進度について話をした。現在は大工さんによる構造の金物取り付けや筋違取付やらの工事をしている。この段階が終わると外壁の下地を作りサッシを取り付け、いよいよ内装の工事に入ることになるわけだ。

工事の進行に合わせて図面を作成し、細部の納まりを決め、材料を発注していく作業というのは簡単そうに見えてなかなか難しい。段取りを間違えると、大工さんの手が止まってしまったりの無駄な時間を作ることにつながってしまうわけである。まあこういう部分こそが経験を要するところなのである。

9時、RDRを運営している妹の真理子さんが来てますいい建築圏についての打ち合わせ。

9時30分、川口市役所都市計画課の方々来社。川口の町おこしのための建築デザインのサッシが完成したということでお持ちいただいた。この中には石山修武先生に設計していただいた、ますいいの本社が紹介されている。ますいいリビングカンパニーという会社を作るに当たって、どのような会社を作るかの段階からご相談に乗っていただいたのが石山先生である。建築家が住宅を扱うのであれば工務店機能を兼ね備えるべきである、という先生の持論を実現するべく誕生したこのますいいリビングカンパニーの象徴となる本社は一本下駄の弥次郎兵衛のような構造をしたとても特徴のある建築だ。会社を作るのであれば、まずは俺が設計してやるということで生まれたこの事務所が、誕生から15年もして改めてこのように取り上げられることに心より感謝したいと思う。

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2016/04/07

昨日、早稲田大学創造理工学部建築学科の渡邊先生より送られてきたチェスボードアーキテクチャーの詳細を拝読。英語の表記だったので明治大学文学部出身の照君に単語を訳してもらいながら読み進めた。渡辺先生から私への質問が記載されていた。その内容は木質パネルの接合方法の可能性に関することそそのサイズ、そして成果物の可能性であった。これらの内容についてはスタッフの意見も集約しながら考えていきたいと思う。

以下に渡邊先生のチェスボードアーキテクチャーに関する文章を転載する。

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ますいいリビングカンパニー20周年記念展覧会にあたり、ますいさんと協同して意味のあるプロジェクトを1つ作ることにした。
 ますいさんは自分で設計デザインをする工務店であり、その多くは木造住宅である。年間20-100戸程度の中量の住宅供給能力を持っている。
 日本の木造住宅の要は規格化された構造用合板である。三尺六尺板と四尺八尺板の構造用合板の規格が、柱間や階高、間柱などの割り付けを規定し、ひいては住宅のサイズを決定する。日本の木造住宅には壁量計算による耐震性能の確保が建築基準法で義務付けられているが、ブレースに比較して構造用合板は2.5倍や5倍の壁量を貼り方によって有することができるというように定められている。
 現在の木造住宅における構法のほとんどが1950年代に東大内田研究室の系譜によって考案された。その要が木の土台を基礎に緊結する金属製のアンカーボルトと、これらの構造用合板である。
 1950年代当時の日本は未だ戦後の住宅不足の時代にあり、工業化住宅を含めて様々な住宅供給の仕組みが考案され、実行されていった。ハウスメーカーを含む現在の商品住宅の大半はその残滓である。
 個別のデザインを付加することによって中量の高質な木造住宅の供給を心がけてきたますいいリビングカンパニーの住宅ではあるが、その一方でその要は構造用合板であり続けている現実もある。
 構造用合板を用いた構法はそれだけ根本的な問題であり、しかも、その重要性にも関わらずこの70年近くの間、一間間隔の木柱の間を片面貼りするか太鼓貼りするかでしかの認定構法しか考案されていない。

 そこで、ますいいリビングカンパニーとの協同にあたり、認定耐震構法の提案を見据えた新たな構造用合板の使い方を提案したいと考えた。具体的には、構造用合板同士を溶着する接着剤などが重要になるだろう。
 こうして考えられた新たな構造用合板の構法を「MASUI式」と名付け、中量生産のための独自の物流網をも組織してみせる。それらの仕組みをパッケージとして、外部に輸出していく。
 私はドイツの「国民住宅」のように、1950年代に考案された日本の国土全体への供給を見据えた住宅供給システムにはヴィジョンがあったと考えているため、その歴史を踏まえていない住宅への考えに本質的な価値を見出すことができない。そのため構造用合板が作り上げた住宅産業の仕組みを受け入れた上で、その使い方にアイデアを出すことで現在の住宅産業の外に別の体系を作れないかと考えたのである。

 これもまた1950年代の同時代に、アメリカの建築家であるピーター・アイゼンマンが「カードボード・アーキテクチャー」というプロジェクトを作った。実現された住宅はわずかではあったが、カードボードという子供のお絵描きやメモに用いる厚紙をモデュールに見立て、それを彼特有の知性によって精緻に組み立てられた数学的理論を骨格とした建築的ヴィジョンであった。彼も若りし頃であったからそのスケールは住宅であり、ル・コルビュジェの思想へのオマージュと、アメリカのプラグマティズムが折衷していた。
 「チェスボード・アーキテクチャー」のアイデアはこのカードボードを構造用合板に置き換えて考えたものである。
 チェスは8マス×8マスの明確なフレームを持つヨーロッパから来たゲームである。戦場が枠で限定されている点が日本の碁と根本的に異なる。その歴史は碁と同様に重厚であり、歴史的な名局がいくつもある。その譜面をいくつかピックアップし、駒の配置やそれぞれの駒の動きを数字で表現する。その上で、その瞬間にだけXYZ座標に成立する立体を見立ててこれに当て嵌まるように三尺六尺板と四尺八尺板の組み合わせの公倍数で板を組んでいく。
 つまり、アラビア数字はヨーロッパから明治期にその思想ごと輸入せざるを得ななかった建築という概念へのオマージュであり、漢数字はそれに対して日本の畳の大きさから転じた構造用合板のシステムを表す、これもまた折衷である。
 「チェスボード・アーキテクチャー」はその折衷によって構築される点において、従来の日本の住宅の歴史と構法を引き継いでいるが、それが作り出す住宅世界は現在の住宅世界の外にある。

 それこそが「チェスボード・アーキテクチャー」の狙いである。

2016年1月22日 渡邊大志

2016/04/04

ますいい建築圏のリーフレットが出来上がってきた。細材でくみ上げた茶室こそ出来上がったものの、そのほかの展示作品については未だ製作途中である。毎晩のように作品の内容についてのスタディーを繰り返す作業はとても楽しいひと時である。通常の仕事から少しだけ離れて、近未来の日本の暮らしを豊かにする仕事の可能性を模索するということの大切さと、純粋なる楽しさを感じながらあとひと月の工程を進めていきたいと思う。

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午後、神奈川県川崎市に建つご実家の建て替え工事についてのご相談。お相手はますいいRDRギャラリーの作家さんである。ご相談と言っても、直接的にどんな家を建てたらよいですかの内容ではなく、その一歩手前、どんなふうにこれからの建て替え計画を進めていくことが出来るのであろうかの可能性を考えるための打ち合わせであった。家の建て替えなる事業は個人にとっておそらくもっとも大きな事業の一つである。その方針を決める過程では慎重なる見当が必要になるわけなので、そのためのお手伝いもまた大切な仕事なのである。

夕方より、埼玉県川口市にて住宅の建て替えを検討中のKさんご家族打ち合わせ。今日が第2回目のプレゼンテーションである。今回は僕と柳沢君の二人が考えた全く別の形のプランをご提案することにした。1時間ほどで終了。

2016/04/03

日曜日。午前中は家で掃除など。

11時ごろ、上野にある国際子ども図書館へ。読書の好きな娘を連れていくという、いたって単純な目的のためである。この建築は旧帝国図書館として利用されていたいわゆる明治時代の擬洋風建築の一つで、2002年に安藤忠雄氏が改修工事を手掛けたものである。改修工事は当時の歴史的な建築を極力残すという方針で行われており、その結果ガラスのカーテンウォールの内側に当時の石造の外壁があるというようなとても興味深い状態が出来上がっている。この手の状態はヨーロッパを旅しているときにはとてもよく見かける手法で、でも日本ではなかなか目にすることはないのではないだろうか。建築を壊してしまうことが当たり前のこの国において、古い建築をガラスの壁で覆ってまで保存するという発想自体を実現するだけでも、関係者の非常に多くな努力が隠されているのだろうと思う。

途中子供たちを図書館において妻と二人で谷中の街を散策。街を歩いていると、ブロック塀の中心線に立つ木の根っこが工事現場の向こう側に露出しているという、何とも珍しい状況を目にする。ここに家が建ってしまったらもう何十年も見ることのない偶然の状態だけれど、とても面白い状態なので写真に撮ってみた。知り合いの営む平井さんという下駄屋さんで妻の下駄を買い求め、和菓子屋さんでお菓子を買った後に図書館へ戻ると、子供たちも世界の絵本をたくさん読んで満足した様子であった。

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帰り道、上野公園の桜の下を歩いて帰る。宴会日和の中で、皆楽しそうに過ごしている。少々飲み過ぎの人も多いようだが、とても平和な光景に心が和む。

17時ごろ帰宅。

2016/04/02

朝10時、埼玉県吉川市にて新築住宅を検討中のOさん、敷地調査。計画地は吉川駅からほど近い静かな住宅地の中にある。御嬢さんご家族が住んでいるすごく古い家と、お母さんが住んでいる新しい家が2件の家が並んでいるのだが、今回は、すごく古い家を取り壊してお母さんのための小さな家を造り、お母さんが住んでいる新しいほうの家に御嬢さんのご家族が移住するという計画を立てている。いわゆる家の交換である。

この交換という発想は、とても良いアイデアだと思う。だって、一人暮らしのお母さんにはそんなに大きな家は必要ないわけで、現状を言えば50坪はあろうかという広い家のほんの一部分だけを利用して、そのほかの部分は物置状態となってしまっている。しかもお母さんが小さな家を作ってそちらに移住してくれたら、御嬢さんのご家族は最低限のリフォーム費用だけで50坪の広い家に移り住むことが出来るのである。本当に一石二鳥、とても良いアイデアなのである。

広い敷地のどこに家を作るかなどについての検討を行い、敷地図面をかけるだけの材料を測量して帰・事務所。

昨日から新人の林君がスタッフメンバーに加わった。社会人1年目というのは本当に自由を手に入れたというか、自分の意志で自分の暮らしを造り始めるというとてもわくわくする瞬間であると思う。ぜひ頑張ってもらいたいものである。

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