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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
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増井真也日記

2015年12月アーカイブ

2015/12/29

今日から年末年始の休暇である。ということで、長年の懸案であった子供室のリフォームを手掛けることにした。昨日のうちに中学一年生と小学三年生の娘たちの手によって荷物の整理は終わっている。作業の内容は、壁と収納家具の天板のペンキ塗りと、一部のタイル貼りである。タイルは、絵の具を使って自分で色を付けるタイプのもので、それをボンドで壁に貼るというもの。どちらも簡単なDIYだ。

まずは養生作業である。ペンキを塗る予定の壁を残して、そのほかの部分は丁寧にペンキがつかぬようにしていく作業である。マスキングテープを貼った後に、マスカ―というビニルの付いたテープを貼って、そのあとに養生用のビニルで床などを覆っていくのだけれど、なかなか大変な作業だ。この作業は実に地味だけれど、でもとても大切なもので、ここで手を抜くとあとで、あちこちについたペンキを落とすという膨大な掃除の仕事をしなければいけないことになってしまう。

昼過ぎ、養生作業終了。昼食を食べて14時過ぎよりいよいよペンキ塗り開始。これは一番楽しい作業なのでほとんどの部分を子供たちに任せる。ちょっと汚れた壁が、淡いピンク色に染められていく。初めての経験なのでとても楽しそうだ。顔中にペンキをつけながら、でもとても楽しそうに作業を進めていく。17時ごろ終了。

続いて、タイルの色付け作業である。これは工作みたいなものだから1時間ほどで終了。それを乾かして壁に貼る作業がまた楽しい。外部のタイルはなかなか大変だけれど、内装のタイルはいたって簡単である。とにかくくっついていればよいのだ。

20時ごろすべての作業を終了したころにはどっと疲れが出てきた。でもまあ子供たちの満足な笑顔を見ることができて本当によかった。たまにはよいパパをしないとだめだなあの感なのである。

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2015/12/28

仕事納めの今日は、毎年恒例の本納寺餅つき大会に参加した。大学の先輩からのご縁でメンテナンスなどの仕事をさせていただいている本納寺さんのお餅つきに参加するのは昨年に次いで2回目であるけれど、初めての時と比べると一連の作業にも慣れてきて、だいぶスムーズに事を運ぶことができるようになっている。全部で12臼、寄り集まってくる大勢の檀家さんたちにお餅をふるまうわけだけれど、これにはたくさんの人手が必要になる。何でもますいいの前に工事の担当に入っていた大工さんの棟梁が始めた行事とのことなので、やっぱり僕たちが一生懸命に取り組まなければいけないの感があるのである。

作業は二つの場所で火を起こして進められる。一か所では大きな窯で湯を沸かし、もう一か所では3段重ねでもち米を蒸かす。まずはじめにまっすぐの4本の木棒を使って、もち米をこねる作業からスタート。それが終わるといよいよ餅つきだ。スタッフの鈴木君は返しの担当。これも2年目ということでだいぶ手慣れた様相になっている。年末のお餅つきというと、鏡餅を作って新たな年の神様をお迎えするというような意味もあるということだけれど、そもそもお餅つき自体がかなりレアな行事になっているのであるから、こういうことをお寺で定期的に体験させてあげるということもとても大切なことのように思える。檀家さんのお子様たちが恐る恐る杵を振り下ろす姿を見ていると、お寺という存在のこれからのあるべき姿のようなものを感じるのである。

お葬式にまつわる収益だけでこれだけたくさんあるお寺が存在できる時代ではない。何せ今の時代たくさんの企業が、葬式にまつわるビジネスに参入しているのである。普段からお寺とつながりを持たない人たちにとってみれば、料金表のあるセレモニーハウスの類のほうがよほど近寄りやすいであろうし、こうした企業たちは死人が出る病院への営業も抜かりない。人が死ぬと病院から知らせの電話が入り、最期をみとった家族の前にはいつの間にやら葬儀屋さんが現れるというのが世の常となっているのである。お墓に関しても様々なスタイルができた。大きな木の下にある巨大な穴に何百人分の遺骨をいっぺんに納めてしまうスタイルもあるほどだ。

まあ、時代は変わるということなのであろうが、そんな時代の中だからこそ、僕は本納寺さんのようなお寺があることがとても良いことだと思う。そしてもっと増えればよいとも思う。僕たちのように建築を扱うものは、そうした中で少しでも文化的な行事の支えになれればよいと思うのである。

2015/12/26

今日は会社全員で大掃除である。一年の汚れをおとすべく、ますいいではこの大掃除をとても大切にしている。会社というのは、物がどんどん増えるところではあるのだけれど、捨てるという行為に対してはなかなかだれも責任をとれない傾向がある。だからこういう機会にものを捨てることをしないと、会社にはよくわからない膿がたまってしまうかのようにいろいろなものがどんどんとたまっていく。特に普段あまり入らない倉庫の中などには、何年間も使わないようなものがあったりするもので、やっぱり定期的に整理整頓をしなければならないのである。

朝礼終了後より各持ち場に分かれて、掃除をスタート。僕たちは1階の荷物をすべて庭に出して、事務所の床にAUコートというクリア塗装をした。この塗料は、モルタルの土間仕上げのコーティング剤として塗装するためのもので、仕上げた後には光沢のある床が出来上がるというもの。2年に一度ほどで十分きれいな状態を保つことができる、なかなか便利な材料なのである。

2015/12/24

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。ますいい展示に合わせて作成する茶室のデザインについての打ち合わせなど。茶室といっても、いわゆる伝統的な形式に基づくものではなく、新しい形の茶室と呼ばれるような空間を作りたいと考えている。こういうことを考え始めると現代における茶室の本質的な意味というようなところを、形を決めるうえでの起点としたくなるものだ。

利休の時代に作られた茶室は、利休より前の時代に一般的であった書院造の建築における荘厳な建築から一転して、わびさびと呼ばれる質素な空間を作る方向へと転換した。時代は戦国である。いつ死ぬかもわからないような世の中で、せめて茶を飲むときくらいはそうした俗世を離れて隔離された世界観の中で過ごすというような意味で、極端に小さな空間を作ったりもした。素材はどこでも手に入れることができるようなものを使っている。決して豪華ではない、とても素朴な空間である。だって花入れなどはただ単に竹を切っただけのものだってあるのだ。ビール瓶に花を挿す?とまでは言わないけれど、そこに心から「美」を感じることができるの出れば、それでも良いといえるような行為なのだとも思うのである。

現代においてそれをコピーしようと思えば、そこで使うような材料は銘木というような称号が与えられていることが多い。そして高価であることも多い。当時はどこでも手に入れることができた網代のようなただの木の皮を編み込んだようなものでも、今では最高級の仕上げ材料の部類となる。こうしたものは伝統を次の時代に継承することを義務付けられるような場面においては、とても重要なものであると思う。でも、一般の人が何かを感じて自分自身の茶の空間、つまり自分を見つめ直したりのための空間を造ろうとした場合には、十分予算のある一部の人を除いては、こうしたものの縛られることで身動きができなくなる必要は無いと思うのである。ますいいはローコストを目指す建築集団だ。だから高価なコピーを作るようなことはしない。心を落ち着けることができる茶飲み部屋、そんな風に考えれば面白いものができるのではないかと思う。

2015/12/22

朝礼終了後事務所にて雑務。

僕は今小さな家について考えている。ますいいでは年に一度くらいだけれど、とても知佐内絵を作ってほしいと頼まれることがある。事情はいろいろで、土地の広さが15坪しかないとか、土地は広いけれど家は小さいほうが良いとか、とにかく小さな家を設計する機会がある。

こういう小さな家を作る時には、30坪程度の普通の広さの家を作る時とはちょっと違う感覚が必要になる。極端に言うと家具を作るような感覚。家として必要な要素が減るわけではなく、それぞれのパーツが小さくなる、でも心地良い、そんな設えを作ることが求められるのである。

下の写真は、9坪の建築面積の2階建て、いわゆる9坪ハウスを作った時のものである。LDKに隣接する和室から撮影したものだが、LDKは大きな吹き抜けを持ち、そこには南側に面した大きな窓が配置されている。写真を見ればわかるけれど階段も普通よりも小さい。まるで梯子のような階段である。キッチンもしかり、玄関などは独立した部屋にはなっていない。でも、とても心地よい、家族が暮らすには十分な空間を作ることができたと思う。次もこんな豊かな空間を造れればよい、そう思って考えているのである。

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2015/12/19

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

10時より、千葉県流山市にて新築住宅を検討中のSさんご夫妻打ち合わせ。Sさんご夫妻は野田市の貸農園を借りて畑をやっているということである。流山の土地に家を建てたら、今度はその敷地の一角に作る庭で畑作業をやりたいという。土地は普通よりちょっと広めだから、家族が食べる野菜を作るくらいの小さな畑は十分に確保することができることだろう。家の前の畑、何ともうらやましい限りなのだが、最近ではこのような形態を実現する計画を多く設計しているのである。

僕自身も畑をやっている。なんでかわからないけれど、数年前から畑をやり始めた。今では2反のスペースに野菜を育てているのだけれど、何も考えずに野菜を作る作業をしていると、逆にいろいろなことを考えることができる、そんな貴重な時間となっている。土をいじったり、草を抜いたりの作業はそんなに楽しいものではない。特に暑い夏や寒い冬はとてもつらい。どれくらいつらいかというと、真夏に水分補給をしないで半日作業していた時などは、熱中症になって倒れそうになったほどである。でも、自分で考えて、肥料をまいたり畝を作ったりの作業の果てに、一粒の種から食べ物ができるという本当に純粋な出来事を目の前にすると、なんとなく人生における大切なものを再認識できるような気がするのである。

今年の夏はスズメバチに邪魔をされた。畑の隣の木に大きな蜂の巣があったのだけれど、それに気が付くまでは平気で作業をしていたのである。なんか今日は蜂が多いね・・・、などと寝ぼけたことを言いながら、頭の上にぶんぶんスズメバチが飛んでいる中で2時間ほどの作業をしていたら、3年生の娘が「あそこに蜂さんの巣があるよ」と。何気なくそちらを見てみると、なんと大きな蜂の巣が頭の先にあるではないかとなったわけだ。一度気が付いたらもう作業などできるはずもない。蜂の巣に5m以内に近づくと危ないとは世間の常識である。その危ない中で2時間も作業をしていたのだからぞっとする。

とまあ、こんな具合に、普通に生活しているだけだとどうしても忘れてしまうようなことが畑にはあるような気がする。今の時期は、白菜に大根、法蓮草や小松菜、にんじんにじゃがいも、春菊にかぶ、こんな野菜が元気に育っている。冬になると鍋がおいしい、こんな事だって冬になると鍋に入れるおいしい野菜がとれるのであって、鍋が先ではなく、野菜が先なのである。

2015/12/18

午前中は、東京都豊島区の池袋駅にほど近い東京建築カレッジなる職業訓練校を訪問。ここは金曜日と土曜日を利用して、週に二日間、合計2年間をかけて大工技術の基礎を学ぶことができる学校であり、働きながら技術力をつけることのできる珍しい場所である。しかも、厚生労働省の助成金を利用して、学校に行っている間の賃金を助成してくれるというからとてもありがたい。学費も入学金が10万円、月額が38000円ほどということで、ほぼ東京土建組合のボランティアで成り立っているかのごとき貴重な学校なのである。学校では人学年20人ほどが学んでいる。その中には外人さんもいれば、女性の大工さんもいる。とても東京らしい、やる気に満ち溢れた場所であった。


お父さんの失敗

去年の夏休みのある日、健太がお父さんから一枚の地図をもらった。お父さんは「これはお父さんが宝島に行ったときに手に入れた地図だ。これを見ながら宝探しをしてきなさい。」と言った。

健太は大喜びで宝島に行った。お父さんはお母さんに小声で言った。「あれは嘘なんだ」お母さんは「うそをついたらばちが当たりますよ。」と言った。これを外で聞いた健太は怒って、「この地図が本物だということを証明してやる。」と言った。

お母さんにはその声が聞こえた。お母さんはまだ外で迷っている健太に、「方位磁石とサンドウィッチがいるから少し待ってね。お母さんは気合を入れて作るから。」と言った。健太はなんでそんなに気合を入れるんだろうと心の中で思った。それは、お母さんは健太が絶対宝を見つけてくれるとわかっていたからだ。健太は想像力豊かなのでこっそり水着をリュックサックに入れた。理由は宝島まで行くのに海を渡らないといけないと思ったからだ。

さっそく出かけた。海を渡り、山を越えた。また海を渡った。なぜか海にはサメもタコもいそうもなかった。それに浅かった。だから水着は着なかった。そして知らない島に着いた。健太は宝を探す。行先には大きな丸太があった。しばらくすると愛犬のスーが海を泳いできた。愛犬はブルドックなので、背が低いから、泳いでくるしかないのだ。

スーは大きな丸太をどかそうと突進した。だが動かない。そこに巨大な飛び跳ねるピラニアがやってきた。そして近くにあった石の後ろに隠れた。ピラニアは飛び跳ねる勢いで丸太をつぶした。スーと健太は喜んで先に進んだ。とうとう宝を手に入れた。その時さっきのピラニアが臭いを嗅ぎつけて戻ってきた。今度は隠れ場所がない。必死に逃げる。だがピラニアは飛び跳ねながら追いかけてくる。そしてつかまり食べられてしまった。

ある日お母さんは健太がまだかと迷っているとき警察から「オタクの健太さんがピラニアに食べられたそうです。」と連絡があった。それを知ったお父さんはすごく後悔をした。お父さんは健太のお墓の前で誓った。「もう嘘をつかない。」と。

終わり。

夜、家に帰ると末っ子の作文がテーブルの上に置かれていたので読んでみた。何とも面白いお話だったので、ここに掲載してみる。こんな想像力がだれにでもあったのだろうけれど、それを大人になっても持っていられる人はとても少ないと思う。それにしてもなんでピラニアなんだろう。そして何で食べられてしまったのだろう・・・。

2015/12/17

朝礼終了後、柳沢君と一緒に埼玉県草加市のSさん宅訪問。Sさんは7年ほど前に新築の住宅を購入したということである。将来間仕切壁を作る予定で壁を作らなかった子供部屋にいよいよ壁を作ろうかという段階で、何か面白い作り方はないものかというご相談であった。すでに家具屋さんには収納家具間仕切壁のごとき見積もりをいただいているという。でもそれではなんとなく納得ができない、そんな心境とのことである。ただただ壁を作ってしまえばそれで終わりである。でもそれではつまらないという気持ちであるのだ。

僕にはこういう心境が何となく理解ができる。もしも石膏ボードを貼ってクロスで仕上げてしまったら、その壁はおそらく二度と手を付けられない完成品になってしまう。そしてその壁は兄弟のコミュニケーションをなんとなく分断してしまうような、そんな重たいものになってしまうような気もする。収納家具も同じである。先の壁より高価な分、余計にアレンジのしようがない。兄弟のプライバシーを柔らかく守り、かつ自由度のあるような状態、そんな状態をつくる何かを提案しよう、という気持ちになったのは現場でお話を聞き始めてから20分後くらいであった。

こういうことをしていると、前の日記にも書いたことがあるけれど、僕の仕事は本当に住宅版の町医者のようなものだと、つくづく思うのである。大きな建築は大手のゼネコンが造るほうがよい。医者だって大手術はやっぱり大学病院でやったほうがよい。でもちょっと咳が出る、熱っぽい、頭が痛い、の状態で相談に来た患者さんに、適正かつ簡単なアドバイスを与えて病状を和らげる行為は、まさに今回のケースの様に住宅に何かをちょっと施して暮らしを豊かな状態にする行為にとても近いような気がするのである。今日はなんだかとても適正なアドバイスができたような気がする。子供たちが積み木のように作ったり壊したりできる壁、僕たちはその部材を最低限配置するだけにとどめる、そんな提案をさせていただいた。完成が楽しみな、そしてどんなふうに使ってくれるかがもっと楽しみな、小さな小さな工事である。

今日、スタッフの鈴木君が1級建築士に合格した。これまで建築工事部長を務めてきたけれど、これで名実ともにこの役職を任せられるようになってくれた。山崎、田村、池上、鈴木と4人目の1級合格である。取得したからといって何が変わるわけではないけれど、でもこの仕事をしていくにはやっぱりあったほうがよい資格である。何よりもこういうことをしっかりとやるという態度が、この仕事には必要な資質であるような気もする。それにしてもよく頑張ってくれたものだ。設計製図課題3度目の正直、もしだめならもう一度筆記テストのやり直し、まさに背水の陣だったわけだ。「本当におめでとう」の感なのである。

2015/12/15

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。

午後、茶道稽古。今日は初炭のお点前である。約1年ぶりの初炭点前ということで、まるでロボット状態のごとく、先生の言葉のままに操られての点前である。プロではないのでなかなか常時記憶している状態ではいられないものの、それでも以前に一度記憶をしたことだから言葉に合わせて動くことくらいはできるようになっている。「は・かん・ばし・こうごう・かまのふた・・・・」に合わせて動く自分は、普通の人には理解できない記号を入力されて動きだす、まさにロボットである。この初炭点前、炉の場合は茶事の一番最初に行われることになる。何をするかといえば、炉の中に炭を入れて、あらかじめある種火のような状態から、たくさんの炭が湯を沸かせるくらい起きている状態に変化させるだけである。ただただ炭を入れるだけなのではあるが、その炭の並べ方などに規則があって、その規則がとても合理的にできているので、これを覚えてしまえば失敗がない、そういうものなのである。バーベキューの時の様にオイルをかけたり、着火剤などを使わなくとも、確実に炭が起こるとても便利なテクニックなのである。こうしたことを考えても、道というものが江戸時代に出来上がった、その時代の適正なライフスタイルを支えるための知恵を与えてくれる、とても合理的なシステムであることがうかがえるのかなあなどと考えながら手を動かしていた。

夕方、川口駅西口に設置予定の時計塔コンペ打ち合わせ。今回の時計塔は聖火台のイメージを取り入れるということが条件になっている。聖火台というのは東京オリンピックの時に川口の鋳物屋さんが製作したもので、まるで縄文土器のような文様が着いた、みなさんも一度は画像を見たことがあるであろうあれである。オマージュとしてのイメージを取り入れるに当たりどのような手法があるか・・・、コンペなので詳しく記載することはできないもののとても楽しいデザインを考えている。もしも当選して、もしも実現したら、ぜひご覧いただきたいと思う。

2015/12/14

朝礼終了後、川口市役所都市計画課、来社。何でもますいいの本社を川口市の都市景観の賞のようなものにノミネートしたいという相談である。これまでもますいいで設計をしたRDRギャラリーが受賞したりの事もあったのだけれど、今後はコンペ形式をやめて市役所からの指名形式に変更するということであった。指名形式で賞というのもなんだかなあ、、、という感じなのではあるけれど、コンペ形式でも応募者が集まらないというから苦肉の策なのであろう。

コンペの話はおいておくとして、町の中にある建築の存在というのは、確実に町の景観を形成する大きな要素であることは間違いがない。僕たちが京都を歩いているときに、「ああ、日本らしい景色だな」と感じるのも、実際に京都の中心街には日本らしい建築が建ち並んでるからであって、逆に同じ京都市内でもちょっと郊外の住宅街に入ると埼玉県と変わらぬいわゆる工業化住宅が立ち並ぶエリアもあるわけで、そういう場所を歩いていて感慨深い感情など湧いてくるはずもないのである。

京都で僕が好きな場所の一つに石塀小路というところがある。この界隈は本当にその名の通りの石塀が残っている。細い路地の両側に切り立つ石塀があって、その上に建築が建っている。建築はほとんどが日本建築で、路地には灯篭が建てられているので、夜の景色などはまるでタイムスリップしたかのような感覚を得る。そこにある建築のほとんどは料理屋さんやバーなどの店舗として利用されている。祇園などよりもよほど京都らしい町並みが形成されているのである。

さてさて、川口らしい町並みとは。残念ながら川口市にはそのような風情あふれる文化はない。もともとないものなのだから懐古主義的に考えても答えが見つかるはずもない。ならば近未来的に考えるしかないのである。都市周辺のベッドタウンとして人口が増え続ける町である。都市で懸命に働く人々、そしてその家族が豊かに暮らすことができる町となるのが、すなわち町の理想であると思う。豊かに暮らす、とはいうものの海があるわけでも山があるわけでもない。ただただ東京に出るのにとても便利だというくらいにはこれといった利点はないのだ。無いものは、自分達で作るしかない。だからこそ、このような場所で豊かに暮らすということの本質を見出し、それを体いっぱいに表現した建築を作りたいのである。そういうものが立ち並ぶ光景は確実に町の魅力になりえると思う。そして魅力と思えるようなものたちが長い時を経て見られるときに、それを文化と呼ぶのであろうと思うのだ。

2015/12/12

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

10時過ぎより、埼玉県富士見市にて計画中のTさんの家の打ち合わせ。今回は実施設計に入っての打ち合わせということで照明の計画や展開図の確認などを行った。照明計画については、LEDが普及してからこれまでよりも少し丁寧に考えるようにしている。LEDの普及により電球の寿命は確実に伸びた。これまでは年に数回の電球交換というのはお父さんの仕事の代表格であったと思うのだけれど、LEDは10年くらいの寿命があるから電球交換は実質行わないでよくなったわけである。僕は間接照明などの工夫を施した家の電球が切れたままになっている様子をこれまで何とも見たことがある。こういう家ではおそらくお父さんが電球交換をしてくれないのであろう。そしてお母さんもしかりである。日本の住宅の部屋の真ん中にはそれだけで部屋全体を明るくしてしまうことができる丸いお皿のような照明器具がついていることが多い。それだけで明るさが足りてしまうものだから、電球が切れたままの壁付間接照明などは、ほったらかしてしまうのである。結果、壁についている間接照明は使われることなく、ただただそこにまるでオブジェの様に存在し続けることになる。理想と現実のギャップ、こういうことが起こらないようにあまり多くの器具を使わないように心がけてきたのである。

でも、LEDの普及に伴い今後はそういうこともなくなる。なんせ寿命が長いのである。だからこそ照明には電球交換の煩わしさを気にすることなく、こだわりたいと思うようになった。ではどのように工夫するか。まずはお皿のような器具を部屋の真ん中につけることをやめることから始めなければいけない。この器具は部屋の大きさに対して適切な明るさを1台で確保できるように作られているから、結果何の味もない空間が出来上がることとなる。でも部屋の中には適切な明るさと同じくらいに、適切な暗さも必要だと思うのである。適切な暗さがあることで、心が落ち着く。作業が必要な部分にはその作業に必要な光を加えることができるようにしておけばよい。たとえばダイニングテーブルの上のペンダントライトなどがそれである。化粧鏡やキッチンの手元灯なども同じであろう。それぞれの作業などに必要な明るさを確保しつつ、適度な暗さもちりばめること、まずはここから始めていくのがよい。

今回は天井高の高いリビングの壁面に対して、カーテンレールの上部を利用したアッパーライトを計画した。これは高い天井の広がりを意識させるための工夫である。ダイニング部分の天井高さとリビング部分の天井高さに約1mほどの差があるので、その差を利用した広がりの感覚がより明確になることを期待しているのである。テレビ台の上部にもライン照明を配置している。基本照明はダウンライトで確保する予定だ。寝室のダウンライトには調光機能を採用し、就寝時も小さな明かりを確保できるよう工夫した。技術の進歩とともに手に入れることが簡単になったとても良い例なのである。

16時、神楽坂の近くの現場にて新築住宅のご相談。クライアントはご相談に来ていただいたMさんのご両親と弟さん、打ち合わせの窓口はMさんのご主人さま、というちょっと複雑な関係の中での打ち合わせである。Mさんのご両親の持っている敷地の一角にはすでに数年前にMさんご夫妻が暮らすための新築住宅が建っている。今回の計画はその奥にあるMさんのご両親と弟さんが暮らしている住宅を造り替えるというもの。いろいろと詳細な調整を行いながら進めていかなければいけない部分がたくさんあるのだ。でもこういう「集まって住む」形は確実に増えている。ますいいでは「集まって住む」の事例をこれまでたくさん手がけてきたわけだけれど、気を使いながらも、それでもともに集い暮らすメリットというのは計り知れないものがあると思う。大体生活の中で何の気も使わないなんて、そのほうがちょっとおかしいのだ。適度な距離感と柔らかい緊張感、こんな時代だからこそ、そうしたものを大切にした小さなコミュニティーを確保することがとても大切に思うである。

2015/12/09

埼玉県越谷市にて進行中のTさんの家のリフォーム工事が進行している。中古の住宅を購入し、セルフビルドを取り入れながらのリフォームと増築を行っている。母屋はしっかりとした建物だったが、古い間取りのため居間が狭く、家族や友達を招いて楽しむには広さが不足していた。そのため、庭側に天井が高く、広い庭とも連続した開放感のある居間を拡張する計画とした。拡張する居間の奥には、サーフィンや家族の遊び道具を収納するための納戸も設けた。片流れ屋根の天井は梁をアラワシとした迫力のある大空間となる予定だ。

ここでは、職人さんによる工事は最低限とし、内壁の漆喰左官仕上げや外部デッキ、植栽等の外構工事は時間を掛けて自分たちでセルフ工事を行う予定にしている。母屋も、将来子どもの成長に合わせセルフ工事で一部寝室の間取りを変えることとなる。なんといってもクライアントのtさんは、今後もセルフビルドでの家造りを楽しむため、友人の電気業者に相談しながら電気技師の資格取得を目指して勉強中なのである。なんとも頼もしいセルフビルダーの誕生なのだ。

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2015/12/07

今日は所用のため京都へ一泊旅行。裏千家のお家元にご挨拶に行くためである。裏千家というのはいわゆる茶道の流派のことで、お家元というのはその流派を代々受け継いでいる千利休の子孫である。茶道なるものはさまざまな流派があるわけだけれど、僕が学んでいるのは裏千家という流派であり、その家元は京都にいる。だから挨拶に行くとなるとその場所は京都となるわけである。

朝9時東京駅にて手土産を買い、新幹線に乗った。僕は昔戸田建設に勤めていた時に大阪支店に配属されたことがあるので、この新幹線にはとてもよく乗ったのだけれど、実は初めて乗ったのが大阪支店への転勤の時であった。大学を卒業して初めて一人で乗る新幹線はとても不安で、なんだかとてつもなく遠くの世界に運ばれてしまうような気がしたものだ。学生時代に海外に行ったりの旅行もしたし、山岳部に所属して旅行に行ったりのことも多かったので、この時に感じた不安はいろんな感情が混ざっていたのであろうが、関東と関西という独特な距離感があったのは間違いないと思う。今となっては京都も隣町に出かける程度の距離にしか感じなくなっている。自分にとっての世界が広がる感覚、つまり実際の距離よりも感覚的な距離が縮まっていくような感じをある時から感じるようになったが、きっと海外と行ったり来たりの仕事をしているような人はもっとその距離感が短くなっているのであろう。

13時、今日庵にてご挨拶。すがすがしい気持ちでひと時を過ごす。

茶道なるものは江戸システムの中で作られた産物である。それまでは一部の武士のたしなみであったものが平和な世の中となり庶民に普及したわけだが、それはこうした様々な道を学ぶことが生活の規範となると考えられていたことによる。道となったものにはさまざまなシステムがあるから、それを経ていかないと見れないことがあったり、知れないことがあったりする。それはそれでよい。僕がどうこうできる問題ではないし、見たり知ったりしたからといってどうなるものでもない。僕が大切にしたいのは、こういうことにかかわっているときに、偶に得ることができる「ものの本質を見たような感覚」なのだ。

例えば建築について考えてみる。のちに茶室と呼ばれることとなる「わび茶」を催す場は、発生時には「かこい」と呼ばれていたらしい。岡倉天心はこのかこいの内部を、茶の本の中で「虚」と説明したということだが、建築の内部空間を「虚」つまりは何もない空間と解釈することはとても面白いと思う。一般の人は〇〇室を作りたいと思う感覚がふつうであるけれど、僕たち建築家はどちらかというと囲いで囲まれた「虚」=空間を作るという意識を大切にしている。建築はある質を持つ空間を作るための境界であり、その境界をさまざまな条件の中でいかに良く作るかが求められている。そこにはそれに必要な構造技術やデザインが取り込まれる。必要であれば外部との連絡通路、つまり開口を設ける。そこには一枚の膜が生まれ、その膜の質をもコントロールすることで、虚と虚の外側との関連性にも変化が生まれる。虚の中に作る虚である。そもそも無駄な行為かもしれないような行為の中に、本当に必要なものは何かの本質を考えることは、何よりも欠かせないことである。そしてその最小限を一部の茶室に感じることがあるのである。

終了後一休みして、参加者数名で会食、夜まで。翌日は早くに帰る予定である。今日は早く寝ることにしよう。

2015/12/06

14時より、埼玉県寄居町にて設計中のMさんの家の打ち合わせ。これまでずーっと2階建ての案で打ち合わせを進めてきて、前回の打ち合わせで平屋に変更することになった。今回は平屋にしてから初めての打ち合わせである。二つのプランをプレゼンし、少々の変更を加えて終了。やはりこれ!という案が出た後の打ち合わせはとてもスムーズである。お互いの価値観がなんとなく同じ方向を向いているので、さまざまなアイデアがすぐにマッチしていく。こういう感覚になった時はとても良い家ができるもの。次の模型作成がとても楽しみなところだ。

夜は時間があったので僕が料理をした。食材は畑で採れた野菜である。今の時期はいろいろな野菜がとれる。白菜、大根、かぶ、レタス、韮、法蓮草、春菊、小松菜、お天気が良くて暖かいからだろうか、世間では大根の価格の暴落のニュースが報じられているけれど、ますいい農園もとても良い状況なのだ。今日のメニューは鍋である。毎日のように鍋を作っていると子供たちがいい加減飽きてくるようで、また鍋~、というようになってくる。それでも食べたくなるような鍋・・・・ということで今日は相撲部屋で食べるようなちゃんこ鍋とすることにした。まずは昆布と鰹節のだしを取る。合わせだしに味噌を濃いめに入れてだし汁の出来上がり。鍋の中には野菜と鶏肉などなどの食材を山盛りに入れ、だしは少なめ、野菜から出る煮汁で適量となるように調整する。そうするととてもおいしい鍋が出来上がる。これは以前どっちの料理ショーで見た作り方である。僕の得意料理の一つだ。最後の締めは雑炊とした。おなかいっぱい食べても野菜が中心なのでそんなに胃もたれしない、とても健康的な料理なのである。

2015/12/05

朝礼終了後、埼玉県三郷市にて新築住宅を検討中のTさん打ち合わせ。三郷というと川口市からは東京外郭環状線に沿って千葉県方面に進んだところにある近所の街である。大学時代にお付き合いをしていた彼女の家が我孫子市にあったので、この街は何度となく通り過ぎた。そんな通り過ぎる時の記憶からか、建材のアウトレットショップの存在を知り、ますいいを始めたころの住宅にそこで買った桧のアウトレット住宅を買ったこともある。なんとなく思い出に残る街なのである。

Tさんは以前造ったさんかくの家のクライアントである同じくTさんのご紹介でますいいに来てくれた。お二人は数年前まで同じ会社で働いていたらしい。こういう風にご紹介をいただけるということはとてもうれしいことで、これまで会社を運営してきて本当によかったなと思う瞬間である。今はまだ土地探し中とのこと。候補地を中心に価格の調査などを行いながらじっくりと探して行きたいと思う。

2015/12/04

朝礼終了後、柳沢君と一緒に埼玉県久喜市にて進行中のKさんの家の現場チェック。すでに大半の工事は終了し明日の引き渡しに向けて最後のセルフビルドなどが行われている。今日のセルフビルドは、洗面化粧台の周りの壁やカウンターにモザイクタイルを張る作業だ。モザイクタイルは一つ一つがとても小さくて、30センチくらいのシート状になった状態で販売されている。貼る時には、その部位の大きさに合わせてはさみでタイル同士をくっつけているネットを切り、あらかじめ塗られているボンドを使用して固定するわけだけれど、想像以上に簡単に仕上げることができるのでとてもおすすめである。

家の前の空地では外構屋さんが土間コンクリートの打設中である。コンクリートを打設したらまずはそのコンクリートを平滑にならすわけだけれど、ここから仕上げには意外と時間がかかるものだ。よくコンクリート部分の仕上げの仕様として、「金鏝押さえ」とか「刷毛引き仕上げ」とか書いてあるのだけれど、この状態に仕上げるにはある程度固まった段階で1回金鏝で抑え、さらに固まった状態でもう1回抑えたり、ちょうど良い硬さとなったタイミングで刷毛目をつけたりの作業をしなければならない。さらに説明すると、コンクリートの固まるスピードは温度に影響される。冬場はなかなか固まらず、この作業は夕方まで続くこととなる。小さな外構工事であれば夕方で済むけど、大きな倉庫の土間仕上げなどは夜中までかかることも多い。それくらい自然環境に左右される仕事なのだ。

途中完了検査に来た検査員のおじさんが、こういうデザインされた住宅を見るのはとても楽しいんですよという言葉をかけてくれた。さらにお話をしていると、ますいいの家づくりのあちらこちらに対する質問の嵐。最後には自分の家の瓦屋根の自慢話を始め、建築の設計はとても楽しいですねの結論となった。

こういう風に現場の周りで建物談義が始まることは意外と多くて、つまりは新たにその街並みの中に誕生したデザインされた建築が、全く関係のない人までもを巻き込んでのデザインに対する何らかの意識を喚起することがある。建築は町の資産である、というような言葉を聞くことが多いが、自分の家は町の資産であると考えて作る人はあまりいない。でも町の中にデザインされたものが存在し、それに対して第3者が何らかの意識を感じた時、そこ意識が更なる行動を生み出す動機ともなりえるわけだし、町の魅力とも呼べるような何かを連鎖的に生み出すきっかけともなりうるわけであるので、やはり町にとっても大切な資産と呼べるのだと思う。僕たちの仕事は当然クライアントのために行うものだ。でもこうして話題に上ったりしたときのちょっと誇らしい感覚も大切にしたいと思う。

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2015/12/01

今年もいよいよ12月、一年が終わるのは早いものである。世界はなんだかとても怪しげな雰囲気の方向に向かっているけれど、来年は平和が訪れるのであろうか。アメリカ一極集中の時代が終わり、多様性を認めた豊かな時代が訪れるのかと思ったら、あちらこちらできな臭い紛争のごときものが始まってしまうのを見ていると、人間の調和なるものがいかに微妙なバランスの上でしか成立しないことをしみじみと感じる。予期につけ悪しきにつけ、民主主義、資本主義なる制度以上のシステムが存在しないという事実もまた身に染みるのである。

16時、川口駅西口にて時計塔のデザインについてご相談。以前ますいいでデザインを手がけた川口駅東口のキュポラ広場にある時計塔と同じく、川口商工会議所主催のコンペに参加する鋳物屋さんからのデザイン提案の依頼である。

川口市は鋳物の産業で栄えた。今でこそ街中の工場はとても少なくなってしまったが、僕がまだ小さなころは今はマンションになっている建物のほぼすべてが工場であったのだから、ものすごい数があったことになるわけだ。僕が小学生のころでも、毎日のように光化学スモッグ警報が出され、中国で話題になっている大気汚染と同様の、なんとなく視界が黄色がかった景色をいまでも覚えている。工場はだいぶなくなってしまったけれど、会社がなくなったわけではなくて、町の構造の中には今でもこうした鋳物産業の関係者がたくさんいるわけである。ということで商工会議所のコンペは鋳物屋さんだけが参加できる形式をとる、鋳物屋さんによる、鋳物製品を使うことを条件としたコンペとなるわけなのだ。

町の記憶というものはこんな風に出来上がっていくのだと思う。川口の街には鋳物のオブジェがたくさんある。こうした景色はまさに町の特性であり、この町で育つ者の記憶のなかに自然に刻み込まれるのだ。日本という国は、こうした状況がとても速く消えてしまいがちなところがある。でも浦安とか、お台場とかに行った時に感じるなんとなくの空虚感のようなもの、これこそがこうした町の記憶の存在するか否かによる町の体感の差異であり、そうしたものの濃度が高いほどに魅力的な町であると感じることができる可能性が高まるということは、僕たちがわざわざ観光に足を運ぶ町の状況を思い出してみれば明確な事実なのである。だからこそ、生まれ育った街の魅力の創造にかかわることができることはとても大切なことだと思うのである。

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