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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
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増井真也日記
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増井真也日記

2015年10月アーカイブ

2015/10/31

午前中、事務所にて雑務。

14時より埼玉県富士見市にて設計中のTさんの家打ち合わせ。経年劣化のために造り替えることになった擁壁の下にガレージを作らない事となってから、2回目のプレゼンである。今回は、大きさの異なる二つのボリュームが互いにかみ合うように雁行配置され、その交わる場所にダイニング、天井が低いほうにキッチンや水回りの設備系統、天井が高いほうにリビングを配置するというアイデアを採用した。こうすることで、質の異なる空間に明確な差異を生み出すことができ、メリハリのあるデザインを実現することができるであろうと考えている。外壁のイメージもそれぞれのボリュームごとに差異をつけることを考えている。その差異が内部でも意識されることで、住宅全体の奥行きというか場面の転換の繰り返しのような感覚が生み出されることを期待している。Tさんご夫妻もとても気に入ってくれた様子であった。いよいよ実施の設計を進めていきたい。

2015/10/31

午前中、事務所にて雑務。

14時より埼玉県富士見市にて設計中のTさんの家打ち合わせ。経年劣化のために造り替えることになった擁壁の下にガレージを作らない事となってから、2回目のプレゼンである。今回は、大きさの異なる二つのボリュームが互いにかみ合うように雁行配置され、その交わる場所にダイニング、天井が低いほうにキッチンや水回りの設備系統、天井が高いほうにリビングを配置するというアイデアを採用した。こうすることで、質の異なる空間に明確な差異を生み出すことができ、メリハリのあるデザインを実現することができるであろうと考えている。外壁のイメージもそれぞれのボリュームごとに差異をつけることを考えている。その差異が内部でも意識されることで、住宅全体の奥行きというか場面の転換の繰り返しのような感覚が生み出されることを期待している。Tさんご夫妻もとても気に入ってくれた様子であった。いよいよ実施の設計を進めていきたい。

2015/10/29

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

10時、ライターの渡辺さん、デザイナーの木村さん、出版社の木村さん来社。ますいいの15年の歩みをまとめた本の出版についての打ち合わせ。昨年の盆休みに書き上げた原稿がようやく来年の1月ごろには製本されることになったのだけれど、販売されるのはアマゾンのみ、あとはますいいの事務所で取り扱う予定である。

この本は、売れ線を目指した本ではない。でも、自由に家を作りたいと考えている人が読んでくれれば、家づくりの可能性がこんなに広がるんだという気付きを得ることができる本だと思う。それで、ますいいに依頼してくれればなおよいのだけれど、そんなにみんなが来てもいっぺんには建てられないから、ぼちぼち読んでいただければよいのではないかと思う。僕は家づくりを自由にやりたい人が困った時に駆け込むことができるような会社を目指して作ってきた。これからもその姿勢は変わらなくて、分譲開発の業者さんなんかと比べれば、あんまりお金にはならないのだけれど、そういうことを丁寧にやることで日本の建築の豊かな発展に貢献できればよいなと考えている。

そもそも、個人でやっている会社である。ますいいには住宅展示場もないし、テレビ広告もない。とあるハウスメーカーさんの話によると一つの展示場で年間30棟くらいの工事をやると経費がペイされるらしいのだけれど、展示場が10年間あるとして、一棟の建築費が5000万円だとすると年間500万円、二人の営業マンと一人の事務員がいるとしたら年間人件費が2000万円程度、展示場を借りることに要する年間の出展費が1000万円程度だとすると、その他の光熱費などを入れて年間約4000万円程度の経費が掛かることになる。それを30棟で割り算すると一棟あたりには100万円以上の経費が必要ということとなるからこれはすごい負担なのだ。

ますいいには営業マンがいない。みんなで設計をして、みんなで現場の監督をしている。展示場の代わりに模型を作って説明をする。素材は実物のサンプルを見てもらう。大体建築というもの、土地の形状や法律の規制によって一つとして同じ形にはなりえないのである。豪華な展示場を一つ作り、結局それとはまったく異なる現実的なデザインの実物を作るよりも、その土地に適した模型を作り検討を重ね、その土地に適した一つだけの出で立ちを見出すことのほうが格段に大切なことだと思うし、それにお金もかからないのである。メーカーのメリットは大量供給ができるということだ。しかし、社会がそれを求めていないことは建築市場の縮小の現実から明らかなのだ。縮小の時代にそれでも建てる建築だからこそ、一棟一棟丁寧に作ることが求められるのだと思う。

2015/10/27

埼玉県さいたま市にて進行中のTさんの家の現場である。この住宅は、親子3人で暮らすための木造2階建て住宅で、土間のようなダイニングキッチンと小上がりの上にあるリビングゾーンが1階部分に配置されている。

土間のようなダイニングキッチンとした理由は、小さな畑作業などを楽しみたいという奥様の意向を受けて、まるで農家のような、庭との関連性の近いダイニングキッチンを作りたいという考えからであった。それとは反対にリビング部分は落ち着くことができる場所、外部とはちょっと隔離されているような設えとなっている。住宅の中にいくつかの階層があって、その階層を入っていくにつれて場の質が少しずつ変わっていくような感覚を生み出したいという設計である。

こういう感覚は、住宅の中の公開性の度合い、つまりプライバシーを守る部分とそうでもない部分を作りたいという思いからであった。昔の住宅は、近所の人がここまでは自由に入っていいよというような領域があって、そこでは奥様同士の立ち話が行われたり、子供同士の遊びの場になったりの多様な交流が行われていた。

でも近年のマンションなどのプランでは、玄関だけ、もしくは玄関の外だけが唯一の交流の場、外部とつながる場となってしまい、住宅は家族が過ごすためのLDKと個室だけで構成されてしまっている。しかし、戸建ての住宅で地域に根付きながら暮らしていく場合、外部とのつながり、庭との関係を考えると、まるで農家の土間のようなフランクな空間があってもよいのではないかと思うのである。このような場は暮らしを豊かにしてくれる。大体人間は家の中だけで生きていくことはできないのだ。新たにその自由化空間を作るのではいたずらに住宅を大きくしてしまい、コストアップにつながる。それでは、と考えた時にダイニングキッチンをそのような場とすること、これもまた農家的嗜好の検討の結果であった。

現場のほうは現在土台の工事をしているところ。明後日の上棟に向けて進んでいる。

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2015/10/26

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。埼玉県富士見市にて設計中のKさんの家の模型が出来上がってきた。プランのほうはうまくまとまっていたので期待していたのであるけれど、やっぱりプランがまとまると模型もきれいに仕上がるものである。平面の構成と立体的な構成は密実に関連しているということなのであろう。打ち合わせは土曜日、まだまだ時間があるので修正を加えていきたい。

夜、早稲田大学建築学科の20年先輩、僕が所属していたラグビー部の先輩でもあるIさん来社。来年の退職後にますいいで一緒に仕事をしたいという。何とも光栄な話である。

思えば何にもわからず建築の世界に飛び込み、石山先生の指導を受けながら住宅づくりにおける目指すべき理想像を掲げたのが15年ほど前であった。その当時は工務店機能を持つ設計事務所などできるわけがないと言われたものであるけれど、いつの間にかこの形式が確立できたのも、時代に必要とされていたことをこつこつと続けてきたからであろう。

建築家の役割は建築を作ることだけではない。建築を通して社会の何かをあるべき方向に導くことこもまたとても大切な役割であろうと思う。こんなたいそうなことなかなかできるものではないけれど、でもそういう志を持って取り組まないと絶対にできるわけがないのであるから、考え続けなければいけないのである。

2015/10/25

日曜日。午前中は、スキップシティーという多目的施設で行われる子供たちのための仕事講座に参加した。建築だけでなくサッカー選手、医者、アナウンサー、パティシエなど多様な職種が集められていた。僕の担当は中学1年生の女の子。建築のデザインを仕事として選択したいと考えているその子との対談形式で、僕がこの仕事に就いた理由などをお話しするというものであった。

僕がこの仕事に就いた理由
こういうことは普段改めてお話をする機会がない。僕の父は機械加工業の小さな工場を営んでいた。小学生のころからこの工場でボール盤の穴あけなどの手伝いをさせられていたが、そうするとおこずかいをもらうことができたからちょっとしたアルバイトのようなものでもあった。今ではこんな工場を見かけることもなくなったけれど、僕の地元の川口市というところは、30年も前までは大きな鋳物工場と、その関連の仕事をするための小さな機械工場や木型工場がたくさんあった。僕の父は機械工場、母は木型工場の出身であった。子供時分に父型の機械工場に行くと機械油のもったりとしたにおいが充満していたし、母型の木型工場に行くとヒメコマツのおがくずのにおいが充満していたから、僕は風景とにおいを連動させて記憶している。こういう記憶は忘れられるものではなくって、今でもはっきりと覚えている。

小学生のころ勉強が好きだった僕は、早稲田中学に進学した。当時の川口市から私立の中学に進学することはとても珍しかったから結構騒がれたものである。早稲田中学は補欠合格だった。中学に入学したのはよいけれど成績はほぼビリ、なんとなくその壁を感じながらも、中高一貫校の中で勉強に明け暮れた。部活は山岳部、趣味程度の部活であった。卒業時にはそれなりに上位にいたから、推薦の中で一番人気のあった建築学科に進むことができた。上位者から順番に学科を選択するドラフト会議のような場で、数名いた僕より成績の良い人たちが東大受験を選択して辞退する中、一番手で建築学科を選択した様子は今でも鮮明に記憶している。この時にある程度の仕事の選択をしたのであるから、この時の心境が僕がこの仕事を選んだ理由なのであろう。

理工系の学科の中には様々な分野がある。化学、物理、機械、土木、情報・・・・正直言って僕にはどれもピンとこなかった。なぜぴんと来なかったのかはよくわからないけれど、建築を作るということのわかりやすさに比べて、ほかの分野は実際の仕事の風景が学科の名前と結びつかなかったのかもしれない。高校生の無知の中で将来を選択することの難しさである。でもとにかくこの時、僕は建築という名前にひかれて、その学科を選択した。これがこの時の心境である。これ以上に理由を考えれば思いつくことはたくさんあるけれど、でもそれが本当かといわれれば怪しい。

大学在学中、僕はさまざまな建築に触れた。これまでの受験勉強に比べると、突然やってきた実務的な勉強であり、そのギャップに戸惑ったものである。ヌードデッサンの類の楽しみもあったし、設計製図などの課題もへたくそながら参加した。建築に様々な分野があることを知り、設計が楽しい仕事であろうことの予測もできた。天賦の才能が求められる世界かとも考えたけれど、画家のそれと比べれば、努力がモノを言う世界であろうこともわかってきた。デザインは楽しそう。でも作ることも魅力的だった。特に「現場」という外の職場の魅力はとても大きかった。何にもないところに、基礎を作り、骨組みを作り、外皮をまとわせ、内部を作り、最後に建築となっていく様子には純粋な楽しさを感じることができた。そして職人という人たちと付き合うことの楽しさもこの時に知った。建築の現場で出会う職人さんたちは、僕の父、祖父そして工場で働く職人さんたちと同じにおいを持っていた。なんとなくこういう人たちと一緒に仕事をしたい、それも胸を張って誇りを持てる仕事をしたいと考えるようになった。そして今に至るわけである。

僕はそんな経緯で今の仕事をしている。僕はファッショナブルなデザイナーではない。どちらかというと泥臭い職人肌の建築家である。でもこういう経緯で今に至ったわけだから当然と言えば当然なのである。

2015/10/24

ローコストリフォームの実践について

マスイイではこれまでラーメン屋さんに貸してきた小さな店舗を、ますいいの工房として一時的に利用するために、半分をセルフビルドで行うローコストリフォームを計画している。予算は約100万円。普通の値段としてはとても大きな金額だけれど、建築工事の金額としてはとても小さい。

この金額で何ができるかの可能性を広げるためには、できることは自分でやるというセルフビルドの考え方を取り入れるしかない。外壁のイメージを変える板金を利用したファサードのコントロールを作るにも、板金屋さんの職人さんにリーダーを務めてもらいながら、スタッフでできることは相番してやるなどの荒業も必要であろう。もちろん塗装工事などは当たり前である。さすがに電気工事などの類はできないけれど、ちょっとした左官工事やタイル貼りなどはやり方さえ覚えれば誰でもできることはホームセンターの充実ぶりを見れば明確である。

建築を扱うことがあまりにもコストがかかることであるがために、暮らしのスタイルを変更することがとても難しいことの様に感じるのだけれど、このくらいの予算でイメージを変えることができれば、10年ごとの衣替えの様にスタイルを変更する自由が手に入るのではないか、そんな気がするのである。

2015/10/23

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。10時ごろまで。

11時、地域活性化推進コミュニティーのKさん来社。新しい家の販売の仕方についての考えをお持ちのようで、そのシステムなどについてのご説明を伺った。

最近職人さんについていろいろと考えている。

戦前まで、我が国の建築はすべて大工が建てていた。その子孫がゼネコンで、いまだに大林組のように「組」を名乗っている会社もあるほどである。東京大学の建築学科はもともと造形学科と称していたのだけれど、そこでは日本建築の授業は無く、後に建築学科と呼ばれるようになった。ここの出身者たちはもっぱら「官」の仕事ばかりをして、民間事業にはほとんど手を出さなかった。ましては住宅にはほとんど関知しなかった状態で、突然戦後の住宅ラッシュに突入したのである。

その後、世の中に建築家が大量に放出された。今では正直言って余っているほどである。しかしたくさんいたはずの大工さんが不足するような状態になってしまった。大工には学校が無い。これは徒弟制度が完備されていたからであり、教育制度を作る必要が無かったからである。大学の建築学科を出たものは現場の監督にはなっても職人にはならない。これが失敗だったのかもしれない。もしも早稲田大学大工学科なるものがあれば、きっと今でもたくさんの大工さんがいたであろう。

小学生・中学生に聞くと、大工さんになりたいという子は意外と多いということである。しかしながら、成長するにしたがって、建築職人になることなど選択肢の中から無くなっていく傾向がある。雨が降ったら仕事ができない、社会保険などが完備されていない、一人親方になるので生活の保障が無い、・・・こうした現実的な理由が成長と共にわかってくると、大工になりたいという気持ちも失せてしまうのであろう。それに上記のとおり、偏差値の高い学校に入ることが美徳とされる今の社会に、その欲求を満たす大工の学校は無いのである。これでは大工の数が増えるはずはない。ましてや少子化の時代である。名前を書ければ入れる大学がたくさんある時代に、好き好んでイメージの悪い職人の道を目指すはずなど無いのである。

僕はこういう状況を何とかしたいと思っている。大工さんでも、きちんとした会社で、生活も保証されて、しかもただの職人ではなくて現代の家づくりに必要な他の職種の技能を習得して、出来れば設計の分野までできてしまうようなスーパーな大工さんの会社を組織したい。こういうことは目標を定めないといつまでたっても先に進まないから5年くらいの目標にしていきたいと思っている。もしもこれを読んで興味のある人がいたら、是非連絡をして欲しい。

2015/10/22

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

埼玉県久喜市にて進行中のKさんの家では大工さんの工事が進んでいる。この家は、夫婦と小学生のお子様のための住宅である。ご主人のお父さんが持っていた畑の一角に家を建てようということで作り始めたこの住宅は、木造2階建て、1階に寝室等を配置し、2階にリビングを配置している。1階には玄関から土間続きで、バイク用のガレージが造られている。その横には、階段の間と称する階段を中心に配置したスペースがあり、その周りに配置された水回りなどの要素へのアプローチが回遊性を持って存在する。2階はLDKと多目的スペースが間仕切りなく作られ、その上部にはロフトが造られている。写真は1階の階段の様子。今は合板による下地の状態で、この上に唐松のフロアリングを貼る予定だ。完成すればオブジェのような階段となることであろう。

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2015/10/20

朝礼終了後、プロジェクト打ち合わせ。

埼玉県富士見市にて設計中のTさんの家のプランを作り直しているところなのであるが、だんだんとまとまりがついてきたところで数点の指摘をした。一度は実施設計に入った計画だけれど、先日も書いた事情でやり直している。一度終わったのだからもうプランは出てこないようなものだけれど、でもまた考え直してみるとその時には思いつかなかったプランを思いついたりするものだから面白い。基本設計は思いつきの連続である。その発想力こそが僕たちが普段鍛えなければならない最も大事な能力なわけだけれど、こうした能力にはこれで完璧という完成形はなく、常に変わっている類のものなのであろう。

午後、埼玉県東松山市にて住宅を建設したいというIさんご夫妻打ち合わせ。Iさんご夫婦は一見芸術家さんかなと思うような個性的な出で立ちのご夫妻であった。ご主人のお父さんはなんと川口市にお住いの大工さんとのこと。このお父さんの話を聞いたときは思わず顔がにんまり・・・、つまりはセルフビルドでの活躍が期待できる最高のパートナーがいるということ。こんなラッキーはないのである。大工さんがセルフビルドに協力してくれるのであれば、普段は手間がかかりすぎてできないような階段のデザインなどの可能性が出てくる。そうしたデザインの幅の広さを生み出す要因というのは、設計者にとってはよだれが出るほどうれしいことであるのだ。とはいえお父さんにも生活はある。息子さんのためにタダでお手伝いをしてくれる日数にも限界はあるであろう。この辺はよく話し合っていかないといけないところである。

僕が最初に他人の仕事をさせていただいたのは、水道屋さんの職人さんの家づくりであった。大手ハウスメーカーの水道工事をしていて、もちろん腕も確かなSさんは、当然のことだけれど自分の家の水道工事は自分でやりたいと思っていた。でもその時にそれに応じてくれる会社は僕しかいなかった。ただそれだけの理由で僕に家づくりを頼んでくれたSさんの家が、僕にとっての初めての他人の家を作らせてくれたクライアントであり、初めて雑誌に掲載された家の持ち主である。その掲載をきっかけとして僕の会社は軌道に乗ったといってもよいであろう。そしてSさんは今では、その御縁をきっかけにますいいの水道屋さんとして活躍してくれている。

この時に取材に来てくれた住まいの設計のWさんも、その数年後に自分の家を僕に建てさせてくれた。いまでも大切なお付き合いをしているけれど、今年は僕が書いた本を製本まで導いてくれるという大仕事を引き受けていただいている。家づくりとはこんなご縁の連続で行っていくべき類のものであると思う。きっと昔はそうであったのだ。

もっと自由に家を作る、この考えに基づく結果は、クライアント一人一人によって異なる。だって一人一人持っている条件は異なるのだ。クライアントに備わる自由な家づくりの可能性をどう引き出すか、これこそが僕たちの一番の楽しみであるのだ。

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2015/10/18

日曜日。秋晴れの日曜日は毎年さまざまな行事が重なるもので、今年はPTA会長をやっている息子の学校の神輿祭りと、お世話になっている茶道の社中のお茶会、そして群馬県で行われる裏千家の交流事業と3つの行事が重なってしまった。というわけで今年は、神輿パレードに参加することにした。PTA会長なるもの、なかなか代役を立てられるものでもない。

午前中は時間があったので、お茶会の受付にてお客様の対応などをしていたのだけれど、結構たくさんの人が来てくれたおかげで、僕が誘って一緒にお茶を習い始めた友人たちも緊張した面持ちでお点前をしていた。僕の妻も最近になって茶道に入門したのだけれど、こちらも緊張している様子。そういえば僕も初めてお点前をしたときには、茶杓を持つ手が震えたことを覚えている。この年になってそういう経験をすることはだんだんと減ってきているけれど、型にはまるという経験は、つまりは何かを習得するということであるから、それを披露するときには、「ちゃんとやることができるかな?」の緊張もつきものなのである。

そういえば、型にはまることを嫌う人がいる。正直言って僕も嫌いである。でも、何も知らずにただ型を否定するのはとても寂しいことだ。それでは歴史の中に存在する意味がないし、そもそも意識しなくとも人間は何らかの型にはまっているはずである。どんな些細なことであれ、長い歴史の中で受け継がれてきた型というものは、一度はまってみる必要があるような気がする。それを習得した後に自分の流儀で破る、その中でも守るべきものは守る、という精神、つまり守破離の精神をもって何かに取り組むことこそ、本当に型を破るということであり、ただただ嫌うこととは雲泥の差であるように感じるのである。

午後はお祭りを中心に参加することに。こちらは川口西中学校の生徒が全員で地域の神輿祭りに参加するというもので、ありそうでない、学校と地域が一体となったお祭りだ。中学生だけで担ぐ西中神輿の先頭に教頭先生と一緒に立って歩く。ただそれだけのことをした3時間であるけれど、これもまた大切な役割、しっかりとやらせていただくしかないのである。

2015/10/16

朝礼後、各プロジェクト打ち合わせ。

明日の打ち合わせに向けての、埼玉県富士見市にて設計中のTさんの家についての最終確認。前の日記にも書いたような気がするけれど、擁壁の作り変え工事に伴う駐車場造成を中止するということで、プランの作り変えを行っている次第である。

擁壁に穴をあけるような駐車場というのはよくある構造だ。前回までのプランでは、擁壁の荷重を重くしないように、この駐車場部分の上に住宅をのせないように配置していたので、結果、住宅を配置してもよい部分というのは限られていた。でも今回は、その制限がなくなったので敷地のどこにでも住宅を配置できるようになった。そのためプランにもいろいろな可能性が出てきたというわけである。

このように基本設計段階では出戻りもよくあることだ。現場が始まってしまってからでは出戻りのしようがない。家づくりは3階やらないと思い通りにはできないなんてよく言ったものだけれど、3回も家を建てることができる時代ではない。みんな人生に1度の大事業なのである。失敗は許されないのだ。だからこそ何か違和感を感じたりしたときには設計中に思いとどまっての変更が大切なのである。

2015/10/14

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。

造作でつくる洗面化粧台について。マスイイのクライアントにはシンプルな洗面器を天板に置くだけという造りを望む方が結構多い。既製品の安価な製品だと約3万円で購入ができるので、これと比較するとすぐにコストアップにつながってしまうことになるわけだが、それでもこだわりの洗面台を造りたいという場合には、なるべく予算を抑える形を採用しなければいけない。

洗面化粧台の予算を構成する要素としては、天板およびその下の箱、洗面器、水栓金具があげられる。構成はキッチンよりも単純だからわかりやすい。価格を抑えるコツはキッチンと同じで、大工さんの造作が可能な複雑さの範囲内で作るということである。大工さんに作ってもらった箱にタイルなどで仕上げを行う場合が多いのだが、これについては面積が小さいので多少高い製品を選択しても対してコストアップにはつながらない。洗面器、水栓金具については様々な商品が様々なメーカーから販売されているので、そこから選べばよい。

ますいいのクライアントの中には、このタイル仕上げを自分でやってしまう方もたくさんいる。こうすれば職人さんの人件費を抑えることができるので、大量資産品の安価な化粧台を購入するのと大して変わらないコストで作ることができるわけである。

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2015/10/13

朝礼終了後、セルフビルドにおけるコストダウンについての打ち合わせ。

今日は、漆喰について。ますいいでは普段、高知県で作っている土佐漆喰のセルフビルド向け商品であるタナクリームという商品を漆喰の壁として施工しているのだけれど、こういう製品の値段を取ってみてもいろいろとからくりがあるので面白い。このタナクリームという商品はあらかじめ練られていている状態で缶に入っているもので、一缶で11㎡ほど施工できる。すでに練られている状態なので、施工時には缶をあけるだけでよく、攪拌機などの専門機械は必要ないのが助かる点だ。それに少々大きめの骨材が入っているので1回塗りで仕上げることができる。コストダウンのためのセルフビルドなのに、機械まで新しく購入していたのでは逆に高くついてしまうし、施主自身によるセルフビルドの場合は1回塗りで終わるという点もとても助かる点である。値段は約9000円ほどで、これであれば普通のクロス張りと同じ値段で漆喰の壁を手に入れることができることとなる。

しかし、漆喰といえばこのタナクリームしかないわけでもなく、例えば白い壁なる商品もある。これは富士川建材というところから出されているいわゆる普通の漆喰なのだが、通常では石膏プラスター塗り下地に仕上げとして用いるので、タナクリームとは異なり2回塗り仕様となる。1袋で17㎡ほど塗ることができて、値段は4500円ほどで購入することができるので、比較的安いわけだけれど、2回も塗らなければいけないのでその作業は左官屋さんに頼らないとちょっと大変だ。

また農業用の消石灰を使用する可能性もある。これはまだ試したことはないのであるが、農業用の消石灰というのは、漆喰として使用できる状態にするための「すさ」などの繋ぎ材が混入される前の状態ののもので、このままでは壁に塗ることはできないのだけれど、20KGで750円ととても安い。混入材の調整を試してみないとわからないけれど、もしもこれでうまくいくようであればさらなるコストダウンができる可能性がある。これは後日ますいいの事務所にサンプルを作る予定だから、今後の家づくりに利用できるかもしれない。

前の日記にも書いたのだけれど、物の値段は源流にたどればたどるほど安くなって、商品となりブランディングされればされるほどに高くなる。源流にたどることで、安くなり、本質的な性能に変わりがないのであればそれを利用するほうがよい。こういう可能性を探ることはとても楽しく、セルフビルドだからこそのアレンジ性もある。特にこうした仕上げ材料に関しては、例えばガウディ―が瓶を割った破片をタイルの様に仕上げに利用したかのごとくに自由なアレンジが可能であることが楽しいのである。

2015/10/11

午前中、埼玉県寄居町にて設計中のMさんの家の打ち合わせ。10時、Mさんご夫妻が来社。今日は3回目のプラン打ち合わせということで、前回のち合わせの中でのご希望を取り入れたプランをご提案させていただいた。この敷地は秩父の山系の入り口に位置していて、敷地の北側にはいわゆる裏山と呼べるような山がある。そういう風景の中に建つ住宅としてどのような風貌がふさわしいのか、いわゆる田舎家を作るわけではないのであるから、材料の選択などを熟慮していかなければならない。

今回の計画もいつもと変わらずローコストでのお仕事である。僕自身、必要以上におかけをかけた建築を作ることにはあまり賛成ではないので何の問題もないわけだけれど、コストの配分は丁寧に行わなければならない部分である。

本当に必要なところ、つまり構造や雨漏りに関するような部分にはお金をかけるべきである。建築は少なくとも50年は使われるわけだし、今作っている建築は100年は持つであろう構造を作っているわけだから、3代にわたって内装をリフォームしながら使い続けるであろうことが予想されるわけであって、使われ続けるであろう構造や外部の主体部分については、なるべく耐久性があり、強固なつくりにしたほうがよいに決まっているのだ。姉羽事件のごとき構造体の強度をコストダウンのために偽装するなど愚の行為であることは間違いなく、そんなことをしても施主が安心して暮らすことのできる家を作ることはできないわけだから意味のないコストダウンとなっていしまう。

でも、変なブランドイメージに裏付けされた妙に高い材料を使ったり、銘木の類のごとき、もともとは山に生えているただの木が数十万円もの値段がついてしまっているようなものには何の価値も感じない。はたまた、奇天烈な意匠のために無駄に構造を複雑にしたり、妙にメンテナンス費用が掛かるような作りに設計をするなどの行為も本当にもったいないことだ。限られた予算を何に使うか、十分に吟味したうえで、最終的にはクライアントと情報を共有して進めていくことがとても大切だと思う。

僕はこの家づくりを夜ご飯のお買いものに例えるようにしている。夜ご飯のお買い物のとき、主婦は安い野菜を買うために肉を買ったスーパーとは別の八百屋さんに行ったりの面倒くさいことをやる。こういうことができる主婦はよい主婦である。もちろん僕の妻もやっている。家作りも同じでよいのだ。何千万円もかかるから、坪60万円ですなどとまとめて考えてしまうのだけれど、柱一本の値段は実は杉で2500円~桧で5000円程度。それを100本使えば25万円から50万円程度となるわけであって、坪単価いくらというのはあくまで結果でしかない。それはつまり今日の夜ご飯は一人当たり500円ですと言いっているのと同じであって、その結果を出すまでにはいくらでも納得の上でのコストダウンの余地があるのである。

12時ごろ打ち合わせ終了。午後は娘たちと近所のLOFTにて文房具の買い物へ。

2015/10/08

朝一番でホテルを出て、コロニアグエルへ向かう。ここは、ガウディ―のスポンサーであったグエルが経営する紡績工場があったところで、その工場で働く労働者のために作られた小さな町である。今はこの紡績工場での生産は行われていないようなので、日本にある軍艦島とか富岡製糸工場のような産業遺産なのであるけれど、この町に存在する建築の一部をガウディ―が行っているということで、僕たちにとってはとても価値のある場所になっている。街には訪れる観光客を相手に商売をしていると思われる人たちが住んでいるけれど、まるで時間が止まっているかのような暮らしぶりのお年寄りが多い。すぐ隣町には新興の住宅団地が建ち並ぶなどしているから、若い世帯は隣町に住んでいるのであろう。隣町とコロニアグエルの境目には新しいモダンな建築の小学校があった。バルセロナから20分、都会に近い郊外で守られた歴史に寄り添いながら現実の生活も営むという様子がとても魅力的に感じた。

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ガウディ―はこの町にある教会を設計した。ガウディ―が考えた構造システムを最初に適用した建物ということでガウディ―の最高傑作と言われている。実際に目にしてみると、カテナリー曲線を目指して造られた建築の造形がとても生々しく目に飛びこんできて、その力強さに圧倒される。特に聖堂の中にある石を切り出したままの柱や、その柱の上部にあるまるで関節のような石はまるで動物の体の一部のようなグロテスクささえ感じさせられる。残念ながらこの建物は未完で終わっている。構想に10年かけ、工事が始まってから10年ほどで現在の状態まで作り上げられたということであるけれど、これもまた完成しないような理想を追い求めたところにその凄みを感じるのかもしれない。

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コロニアグエルを見学した後、電車に乗ってバルセロナの街へ戻る。エスパーにゃ駅周辺の闘牛場跡などを見た後、コロンブスの象のあるうみべを歩き、そのまま旧市街を散歩する。明日は日本に帰国する日。最後のひと時をゆったると過ごすとしよう。一度は見たいと思っていたバルセロナに来てみて、本当によかったと思っている。ここは物を作る人に何かを感じさせてくれる場所である。ピカソもダリもここで過ごしたそうだし、僕の目には石山先生や内藤廣さんといった現代で活躍する建築家のシェイプハントとしての場でもあるのだろうなと思うような造形にも出会うことができた。まあ、こういうことは絶対に本人の口からはきけないことなのだけれど、とにかく僕はこの町にまた来るほうがよいような気がする。次は息子でも連れてくるとしよう。

2015/10/07

朝5時、土田君が持ってきた図面のチェック。日曜日に予定されている打ち合わせについての指示をメールで送る。どこでも仕事ができる、通信手段の発達がこれほど便利なのかを実感した。

終了後、他のスタッフたちと合流してグエル公園に。ガウディ―のパトロンであるグエル市の投資によってつくられた分譲計画地である。計画はとん挫したということであるが、その遺構は丁寧に保存されている。かつてガウディ―が作ったカタルーニャの造形が、100年の時を経てこの町を世界屈指の観光目的地としてくれることなど当時は予想できなかったであろう。世界が均質化した時代の先に再び現在のように地域のアイデンティティーを重んじる時代が来る、そんな100年先を見ていたのであろうか。

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この公園からはバルセロナの街並みが、地中海まで見渡せる。つまり小高い丘の上にある。かつてはここにガウディ―の自邸があったと言うが、ここから街を見渡して何を思ったのであろう。地中海貿易時代の混沌とした、しかし魅力的なバルセロナらしい街並み、そしてその後の街の拡散にともないゼルダによってつくられた整然とした区画の街並み、こういう者がすべて見渡せるさらに外殻部にあるこの場所は、自分の成果具を営みながら、未来のバルセロナを予見するにふさわしい場だったのかもしれない。

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14時、予約しておいたサクラダファミリアに向かう。最近のスピードを増した工事によってその様相は変わってしまった、というような前評判を聞かされていたので、実際に自分の目で見るまでは、どのように感じるのだろうかの不安もあった。でもその姿を見てすぐに不安は吹き飛んだ。内部のバカみたいに高い空間、エレベーターで昇った尖塔の中腹付近から胸のすくむような思いをして降りてくるときの景色、これでもかというくらいにちりばめられた宗教的な装飾の数々、こういうものを実際に目にしてしまうと、経済至上主義のこんな時代にこの作業を続けているという事実に驚いてしまうし、ガウディ―という人間の底知れない洞察力を感じざるを得ないのである。

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建築は力を失った、こういう言葉を聞かされ続けて僕たちは大学時代を過ごしてきた。いわゆる国のアイデンティティーを創造したり、喚起したりするような効力はすでに失われているということなのであるけれど、そんなことはない。優れた思想ととてつもないスケールの建築は未だに力を持つことが実感として感じられるのである。まるで世界にただ一つ残された純粋な建築行為のようにも見える。それほどに純粋な空気が漂っている。もしもこれが数十年であっさりと終ってしまってはいけない、そんな気もするのである。

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地下の工房では石膏模型を作る作業の様子が公開されている。

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塔の上から階段で降りてくる途中には、現在も進行中のさまざまな工事の様子が垣間見える。

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夜、今日はフラメンコのショウを見に行く。希望者を募ったが、結局全員で行くことになった。少々強引に誘ってしまったのかもしれないけれど、ホテルの部屋で寝ているよりは良いだろう。1時間ほどの食事の後、ショウが始まる。役者がどのような人たちなのかはわからないけれど、すべての客が観光客であろうこの場所でフラメンコを踊り続けている感覚は、日本の舞妓や芸者とは少々違う。そういえば日本にはこのような伝統芸能を海外からの観光客だけに見せるような事例が無いのかもしれない。そういえば以前国立能楽堂に行ったときには観客の1/3ほどが外国人であった。日本人でもなかなか見たことがない能というものを見に来る外国人、歌舞伎などもそんな感じであったけれどもしかしたらこの辺の感覚に近いのかもしれない。

ショウが始まると僕たち9人中3人は寝ていた。これならホテルで寝かせてあげればよかったのかもしれない等と考えてしまうけれどまあ良い。

22時頃終了し、近所にあるジャズバーに向かう。ついてきたのは堤、和順、関野の3名。やはり若い奴がついてくるのである。眠くなったというスタッフを置いてきて、12時過ぎまでスィング系のジャズとタップダンスを踊るシンガー歌声を楽しんだ。バルセロナの夜は長いと聞いた。ジャズバーのある旧市街地は狭い道の両側に組石造の建物が建っているとても趣のあるところだ。昼間でも光の届かないこの道は、まるで迷路のように複雑に交錯していて、そのところどころにバーやら様々なショップが点在するとても魅力的な所である。すりにさえ注意すれば大丈夫というくらい、治安も良い。とても良い街である。

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2015/10/06

今日もまた早く目が覚める。時差ボケが少しずつ解消しているけれど、完全に体な順応するには1週間ほどはかかる。朝一番でカサミラとサクラダファミリアのネット予約。今は何でもネットの時代である。これをするかしないかで待ち時間が数時間も変わるのだから、まあディズニーランドのファストパスチケットみたいなものだ。

8時ごろ街に出て朝食を済ませ、まずはすぐ近くにあるカサミラへ向かった。言わずと知れたガウディ―の名作で、今では不動産投資会社によって購入され、賃貸部分と見学ルートに分けて運営されているらしい。

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こんなに早い時間でも、段々と人が集まってくる。初めは貸切状態だった屋根裏部屋が、いつの間にか多くの見学者であふれてきた。これで夜のシャンパン付見学までやっているのだから、どれだけガウディ―のファンがいるかということであろう。カサミラはこれまで何度も雑誌で見たものと印象的には変わらなかった。ただ、屋上に出た時に実際の建築、というより煙突という機能に付属された造形の数々を目にした時にはさすがに度肝を抜かれた。よくまあ、集合住宅の屋上にこれだけの造形をちりばめたものだなあの素直な驚きである。屋上はまるで大地のように波打っている。その起伏は屋根裏のカテナリー曲線の梁で支えられた屋上スラブが様々な高さによって構成されていることを示している。実際にやろうとしたらとてつもなく大変なことを、こうして実現しているのである。理想を追求することと、それに対抗する様々な要素のなかで折り合いをつけていくのが建築の設計で一番難しい部分である。そういう点でいうと、きっとガウディ―は破綻すれすれのところ、もしくはたまには破綻しながらも、理想の追求をし続けたのだということが伝わってくる建築であった。

さらに一点。先に述べたようにこの建築は現在も不動産投資会社によって効率的に運営されている。賃貸部分と見学部分は完全にセパレートされ、見学部分には観光客が常にたくさんいるという状況だ。歴史遺産を守るという行為が町の負担になるのではなく、民間企業の収益として成立しているという点も見習うべきところなのではないかと思う。僕たちの国はとかく心の中で思う理想的なものと現実を分けて考えるところがあるのだけれど、心の中で思う理想に現実を寄り添わせていくという姿勢が必要なような気がする。

下の写真が屋上のスラブを支えるカテナリー曲線の梁である。一つ一つの梁はレンガを貼り合わせて作られているからとても薄い。しかも薄い梁を作る一つ一つのピースはさらに小さな煉瓦である。これがいくつも合わさって、巨大な屋上を支える力を保つのだから、100年たった今考えてみても興味深い構造であることがわかる。

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屋上の造形は本当に何と表現したらよいのかわからない。建築であって建築を超えているような気もする。でもそう感じるのは100年前という時間が中途半端に僕たちの生きる現在に近くて、その現代の建築というのはコルビジェに代表されるモダニズムが隆盛を誇った時代だから、そんな時代の感覚でいうと何と表現してよいのかわからないということなのであって、さらに前の時代においてはこのよう何かを主張する造形に包まれた建築が主流の事もあったのだ。モダニズムを忘れて素直に感じるままに表現するならば・・・、自然の造形、つまり縮小された大地を表現したものだと思う。しかもそれはどこかの何々地方とかいうようなスケールではなくって、空想の世界までをも含めた全自然界の縮図のようである。

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カサミラの見学を終えると、グラスア通りを海の方に下って歩き始めた。途中でカタルーニャ広場を通り過ぎると急に街並みが複雑な小道に変わる。ここが新市街と旧市街の分かれ目である。しばらく歩いてピカソ美術館へ。ここはピカソが少年時代の作品から、いわゆる僕たちが知っているピカソのイメージの作品に至るまでの400点もの絵画を展示している。ピカソ自身がバルセロナで暮らしていた時期があるということから作品の所蔵量はとても豊富で4000点もあるらしい。少年時代の美術学校で培った優れた技術、何に影響を受けて独特な作風が生まれていったのか、こういう背景が誰にでも理解できるように展示してくれているところがうれしい美術館であった。

続いてバルセロナパビリオンへ。誰でも知っているミース・ファン・デルローエの名作である。1929年に開催されたバルセロナ万博の日にスペイン国王が「黄金のゲストブック」にサインするための場所としてミーズが設計したものだ。「パビリオン」とは仮設の建物というような意味で、博覧会後に取り壊されたが、1986年に再建された。

建築を構成する要素は「床と壁とガラスと屋根の板状のもの」床はベージュの大理石トラバーチン、ガラスでない壁はトラバーチンを基調に、メインスペースの外壁は深緑色大理石、一枚だけある内部中央の壁は赤茶色大理石を配して空間の中心を作っている。ミースはここで建築を開放することを試みている。構造の壁という機能をなくし、自由な、空間を分けるためだけの壁を存在させたのである。その壁は内部だけでなく外部にまで飛び出す。構造はあくまで十字型の柱によって支えられているのだ。

LESS IS MORE 要素が少なければ少ないほど空間は豊かになる。この言葉の通りに現代社会は進んでいるように思える。はたして・・・、現代の建築は豊かになったのであろうか。明らかに歴史を作った一ページであるこの建築に建築を仕事としているように見える人以外の見物人はいない。床の大理石の散らばる落ち葉はとても寂しげに見える。わびさびにも通じるこの状態に何を見るか。僕たちが学んだ建築は本当に正しかったのだろうか。さまざまな疑問を感じるひと時である。

写真では何度も見てきた建築であるが、改めて実物を見てみても構成美、この一言である。これを好きかどうかは別として、一度は見ておくべきものをやっと見れたの感を得た。

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夜は遅れて到着したスタッフたちと合流。昨日のスペイン料理のレストランでたらふく食する。

2015/10/05

今日はロンドンからバルセロナへの移動日。14時、バルセロナ到着。そのままホテルに移動し15時チェックイン。まだ明るい時間である。少々疲れを感じているが、ホテルの前のグラシア通りを散策しながら、お土産を一つ購入した。続いてガウディ―が設計したカサ・ミラの斜め前にあるレストランにてスペイン料理の夕食。生ハムや魚介のパエリアなどなど、久しぶりに日本人の口に合うものを食べることが出来たような気がする。

ロンドンの食事は、食べることが出来ればよいという感じの調理法が多かった。つまり繊細さが無いわけで、まずいわけではないのだけれど3日間その食事を続けるのはきつい。それでいてポンド高のおかげで、とてつもなく値段が高いので、何を注文するにしても気後れしてしまう。それに比べると、どれだけここのレストランが良いことか。こういう思いをすると人間にとって食事というものがどれだけ大切かということに気が付く。食べたいものが食べれるという幸せ、もしくはおいしいものが食べれるという幸せは、最も基本的で最大の欲求なのではないだろうか。普段は妻がおいしい料理を作ってくれるし、僕が作る料理もそれなりにうまいから食べることがどれだけ大切かなどと考えることはまずないのだけれど、こういう基本的なことが満足できている状態を幸せと呼ぶのであろう。

ホテルの周りの街並みを見ていると見事に区画整理されていることに気がつく。このバルセロナという町は、地中海貿易の拠点として10世紀から14世紀ごろまでほぼ独立国家のように栄えていたという歴史を持つらしい。その後アメリカ大陸が発見されて、地中海貿易の拠点であるということがそれほど優位性を持たなくなり、マドリッドの支配下に置かれてしまったということであるが、近代に入り、スペインで唯一の産業を革命を成し遂げた都市ということでまた復活した。その際に、マドリッドを主体とするスペインの一部という扱いではなくて、あくまで独自の文化を持つカタロニア地方の雄たるバルセロナを再興させようという運動が起きた。僕たちが見に来ているのは、まさにそのモデルニスモという芸術運動の中での作品であり、その代表格がガウディ―なのだ。ただただデザインで作っている造詣のように思われがちであるけれど、ガウディの作品群はこういう地域のアイデンティティーの再興運動に基づいている。そして当然ながらキリスト教精神にも。だから100年以上たつ現在でも大切にされているのだ。

ちょうどその頃に区画整理で造られたのが今整然と区画されている新市街、そして海の近くにあるまるで迷路のような、いかにも地中海の都市的な様相を保っているのが10世紀の昔から続く旧市街ということになる。その境い目はちょうどカタルーニャ広場のあたりになるのだけれど、街の様相は全く異なる。日本でいうならは区画整理をされていない下町の路地と銀座くらいに異なるのである。

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2015/10/04

そのまま朝を迎える。6時過ぎに外に出て朝食を買う。今日はサンドウィッチと牛乳だけ、昨日の半分にした。9時ごろホテルを出て、タクシーでCity Hallへ。ここは新しく作られた市役所で、設計はノーマンフォスター卿である。今ではサーの称号を得たフォスターは、もともと労働者階級の出身であった。建築の仕事をしたくて市役所に入所し、その後イエール大学で学び、ロンドン、ニューヨークで仕事をしたのち、今の事務所を奥さんと二人で築きあげた。すでに奥さんは無くなっており、自身もがんに侵されるなどの苦労をしながら、でもいまだにアラブ首長国連邦での石油が枯渇した後の生き延びるための都市「マスダール計画」を手掛けるなど、積極的に活動をしている。
この建築は、写真にあるようにまるで貝殻のような形をしている。外部のガラスは内部温度を調整するために開閉することが出来、一応エコな建築ということになっている。今日は日曜日だったので中に入ることはできなかったけれど、あこがれの建築を目の前に少々興奮気味であった。

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続いて市役所の横にあるタワーブリッジを渡ると、その向こう側にはロンドン塔が見えてくる。

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この搭を横目に見ながらさらに歩みを進めると、緩やかなカーブを描いて金融の中心地「City」に入る。まず目に飛び込んできたのが、ロイズビルである。言わずと知れたリチャード・ロジャースの名作だ。1986年当時、つまりまだ僕が12歳だったころにつくられた建築だけれど、まだまだきちんと利用されている。それどころかグレード1と呼ばれる歴史的な建築物に登録されていて、改修工事もなかなか難しい、つまり原型から極端に遠ざからないように規制されているということであった。日本だったら・・・を思うと、こうした現代建築も歴史の一部に作り上げていこうとするイギリスの慣習に頭が下がる。
・自国の歴史を失った民族は滅びる。
・理想を失った民族は滅びる。
・物の価値をすべてととらえ、心の価値を失った民族は滅びる。
イギリスの哲学者、トゥインビーの言葉である。
僕たちの国もしっかりとこういう姿勢を持たないと、経済大国、物造り大国の時代が終わった今、存在を続けることすら難しくなってしまうのではないかと感じるのである。

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もう一つ目を引く建築は、まるで口紅のような形をしているガーキンである。何でもこの呼び名はきゅうりに形が見ているということで、つけられたらしい。こちらの設計もノーマンフォスター卿だ。

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他にも様々な目を引く建築がある。上に行くほど曲がりながら大きくなるビル、上の方が鋭利に尖がったビル、東京の街並みと比べるとそのデザイン性の豊かさに奇妙な豊かさを感じる。なんとなく混沌とした感じ、もしかしたらロンドンのCITYはこの混沌とした社会の様相をコントロールする難しさを表現しているのかもしれない。

続いて、ヘルツオーク・ド・ムーロンの設計したテート・モダンを訪れた。こちらは古い発電所をリノベーションした建築で、今では国立近代美術館として利用されている。こういう発想も日本にはない。発電所が美術館、しかも国立でこういうことをやるのが良いのだ。

美術館の目の前にはまた目を引く橋がある。両側の巨大な基礎でワイヤーを引っ張り、そのワイヤーに通された鉄の翼のような形状の部材の上に歩行するためのデッキが置かれているというとても危ない構造なのだが、その軽やかさや先進性は未だに衰えていない。論理的には正しく、しかし本当に大丈夫なのかのギリギリである証拠に、開通2日後に歩行者の出す振動に共振して横揺れが発生して閉鎖、そして補強したのちに再開通したという逸話もあるくらいなのである。こちらもノーマンフォスター卿の設計だ。

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少々疲れた。朝の3時からすでに12時間も活動している。ここで一度ホテルに戻り休憩。16時、気を取り直してリバティー、ハロッズと老舗のデパートをめぐる。何を買うわけではないけれどなんとなく歩いていると、いろいろなことを感じるものだ。ハロッズではルネ・ラリックの小さな蛙に遭遇した。日本ではなかなかめぐり合うことが出来ない蛙の置物である。今持っているフクロウに続いて2作目のラリック。80ポンドほどだったので購入した。

夕食はホテルの近くのインド料理屋さんを予約。巨大なステーキに飽きてきたころだったので、おいしく食することが出来た。
ちなみに今は夜中の4時である。またこんな時間に起きてしまった。

2015/10/03

朝早く起きてしまったので、7時にはホテルを出て近くのコーヒーショップで朝食をとる。イングリッシュ・ブレックファーストなるセットを注文すると、なんと巨大なソーセージ2本にベーコンが5枚、スクランブルエッグとビーンズが添えられていて、食パンが2枚ついている。コーヒーの量もLLサイズだし、その量の多さにはちょっと戸惑う。

食事が終わってしばらくしたのち、ジョン・ソーンズ美術館に向かう。この美術館は、18世紀から19世紀にかけて活躍した建築家であるジョン・ソーンが自宅兼アトリエを様々な美術品で埋め尽くした私設美術館で、今では国立美術館として運営されている。僕はこの建築を磯崎新氏が書いた「建築行脚シリーズ」で拝見し、いつか訪れてみたいと思っていたのだ。建築はまるで日本の白井せいいちの作品にみるようなとても思想的な空間である。小さな空間に装飾がちりばめられ、その空間を取り巻くように美術品が高い天井の上の方までびっしりと展示されている。ギリシア時代の装飾や建築のかけら、デスマスク、骸骨、建築に関する絵画、彫刻、などなどその種別は様々で、特に整理されている様子もない。部屋というより空間と書きたくなるような広がりを持つ、つまり平面的な場所の周りに美術品が存在していることを感じるのではなく、時代や場所を超えた様々な思念のようなものに体全体が逃げ場のない状態で包まれ、見下ろされているかのような、恐怖すら感じるような空間なのである。様々な方向に設けられた部屋同士のつながりは、一見何の秩序も感じない。上下階の移動も何本もの階段で複雑に操作されている。そして、移動するたびに新たな思念に体がつつまれるのである。ここに小さな子供を連れて行ったらきっと泣き出してしまうかもしれない。とにかくちょっとやばい建築だった。

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美術館の前には、小さな公園がある。リンカーンズ・イン・フィールドという公園で、小さいと言っても僕の町のアリオの前にある広場くらいの大きさはある。どこの公園も大体同じなのだけれど、ここにも芝生の広場があってその周りをベンチが囲んでいる。公園の入り口には、ボール遊びをしてはいけないとか、14歳以上の人は自転車を降りなければいけないとか、他人に迷惑をかけないこと、などなどたくさんの禁止事項が掲示されている。なんだか変に厳しいななどと感じてしまう。公園の周りには鉄製の策がある。高さは2mほどだろうか。ちょっと乗り越えるのは大変そうだ。公園に入ると、何組かの家族が散歩をしている。ベンチに腰かけている二人組もいる。でも、こんなに広いのに、禁止された事項を破る人はいない。キャッチボールをしている親子もいないし、そんな規則を破って自転車に乗っているおばさんもいない。まるで絵画の中のように静かな様子、でもそんなに管理をしているのに、目の前に散らばっているごみの量に僕は驚いた。朝10時前、しかも土曜日、まだ見せるロンドンになる前の時間である。まるでお祭りの後みたいに、紙の食器やらが散乱していて、それを一生懸命掃除している役所の清掃員のような人がいる。ロンドンの姿はこんなはずではないんだと言わんばかりに、観光客にばれる前にはやく掃除をしてしまえ!と言っている役人の顔が目に浮かぶ。闇のある管理社会、そんな言葉が頭をよぎる。アリオの前の公園には柵なんかないけれど、ごみもこんなに捨てられない。そんな日本でいつまでもいたいものである。

タクシーを拾い、ENGLAND EUSTON駅へ。続いてMILKEYSTONEにあるスタジアムに約80キロ移動し、ラグビーのワールドカップを観戦。試合は日本対サモア戦である。はじめての電車移動、クレジットカードを使用しないと自動券売機が使えないこと、駅にトイレが見当たらないこと、そんな小さなことにも戸惑いながら、無事移動を終了する。駅からスタジアムまでは、観客が列を作って歩いているのであとをついていくと、20分ほどで到着した。スタジアム内は祭りのように盛り上がっている。生バンド、BAR、フィッシュ&チップスを売る屋台。普段はなんとなく気難しそうな顔をしているイギリス人の陽気な顔を初めて見たような気がした。僕も早速参戦。よくわからない英語トークに何とかついていきながら、試合前の一時を楽しんだ。試合は日本の圧勝。昨年行われた秩父宮でのテストマッチも観戦したのだが、その時よりももっと日本の力が際立つ試合であった。おそらく多くの皆さんがテレビで観戦したと思うから試合については略するが、3万人の超満員のなか、本当に感動する試合を見せてもらうことが出来た。選手には本当に敬意を払いたいと思う。

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18時ごろロンドンに戻る。今日は疲れたのでホテルのレストランで食事を済ませ、部屋に帰ると倒れるように寝てしまった。今は次の日の夜中の3時。まだ時差ボケが取れないようだ。こんな時間に妙に頭がさえる。

2015/10/02

今日からロンドン・バルセロナの海外研修。飛行機の時間が10時55分だからそんなに早く出る必要はないのだけれど、急激な人口増加のためにどうにもならなくなってしまっている7時ごろの京浜東北線の大混雑を避けるために、朝6時ごろ家を出て、成田空港へ向かった。定刻通りに飛び立ったブリティッシュエアウェイズで約12時間の空の旅。ほとんど地球の裏側のロンドンまで、食事を1回とって、少し寝て、映画を2本見て、・・・の時間で到着してしまうのだから地球も狭くなったものだなの感。そういえば家族で毎年帰省する妻の実家の滋賀県への行帰りでも、事故渋滞に巻き込まれるとこれくらいの時間がかかるのである。

ロンドンについたのはロンドン時間で2日の15時ごろ。地下鉄を乗り継いで、ST JAMES PARK駅までたどり着く。自動券売機に自動改札、あとはサインを見て乗ればよいのだから、特に心配はいらない。そしてとくに悩むこともない。治安のよい先進国の都市の仕組みというのは同化している。せいぜいエスカレーターのどちら側に立ち止っている人が並ぶかの差異、つまりは東京と大阪の間でさえ存在するような差異しかないのである。

16時、コンラッドホテル、チェックイン。飛行機の中でいろいろなものを食べさせられたのであまりおなかは減っていない。というわけで早速街を歩いてみることにした。まずは、ホテルを出て東に歩き始めると5分ほどで、ウエストミンスター寺院とビッグベンがある。中学生の頃、英語のテキストで呼んだ街並みをようやく生で見ることが出来た。時間も時間なので、テムズ川を渡らずに北へ折れると、トラファルガー広場の方へと向かう。この道は両側を国防省やら首相官邸といった政府機関で埋め尽くされているのでどことなく物々しい雰囲気も感じる。道を歩いている人の中には僕のような観光客も多く含まれているようだ。まるで京都の街並みを歩いてるようにいろいろな人がいろいろな場所の写真を撮っている。京都の古い寺院の代わりに教会がたっている、その程度の話である。それにしても約1000年前に建てられた教会や宮殿を国会議事堂などのたぐいに利用しているという姿勢は、たとえて言うならばいまだに江戸城の外観をした建築を日本も何とか維持していたとして、その中で政治を行っているというような行為であろう。そこにはもちろん新築の国会議事堂を作るよりも多くの労力がかかっているはずなのだけれど、そういうことを当たり前のようにやっているところが素晴らしいと思う。何でも壊してしまう日本人はもうそろそろそういうことをやめたほうが良いことに気が付かなければいけない。

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もう少し歩みを進めると、ナショナルギャラリーの北側に中華街がある。適当に見繕ってビールを一杯とつまみを2品ほど注文した。まあまあの味である。

帰りは黒いタクシーを拾ってホテルまで帰る。ホテルのバーで2杯ほどウイスキーを飲んだけれど、なんだか酔うというよりも眠くなってきてしまった。

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