ますいいの運営するノンプロフィットレンタルアートギャラリーとギャラリー。各アート作品の展示・販売をするショップとなっております。

公式サイト>

ますいいでは、古くなった物件を壊すことなく次の世代に引き継ぐお手伝いをしております。

詳細情報>

CREATED BY TOMBOWING

ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
ローコスト・セルフビルドでよい素材を上手に使い家族が幸せになる、そんな建築を目指しています。

ますいいリビングカンパニー|埼玉県川口市

ますいいについて/about us
作品集/galleryコンセプト/concept現場進行中/project仕事の進め方/workflow
増井真也日記
田村和也雑想設計室雑感
お問い合わせ/contact

top > 増井真也日記 > 2014年10月アーカイブ

増井真也日記

2014年10月アーカイブ

2014/10/30

午前中は事務所にて各プロジェクト打ち合わせ。

夕方より、埼玉県川口市のSさんの家建て替え打ち合わせ。借地に建つ現在の家を取り壊して、新築にするかどうかという検討をしているところなのだが、今回は新築工事が可能な胸のご説明と今後の流れについてのお話をさせていただいた。

この住宅には高齢のお母さんとその娘さんの二人が住む予定である。これまでも女性だけが暮らす住宅を作ってきたが、やっぱりそういう住宅の場合は防犯関係が気になるところだ。単純に開放的なプランを作ったとしても、結局いつも開かずの扉のような結果では仕方がなく、生活を安心して送るという条件と、外部への開放感を感じることを同時並行的に行うことができるようにすることが求められると思う。

10年ほど前にお母さんと娘さんが二人で暮らす住宅を設計した。この住宅では、三角形のプランの中心部に吹き抜けを設け、その上部の棟屋からの光を1階まで引き込んでいる。棟屋には開閉できる窓を設け、夏の暑い空気を抜くための場所にもなっている。外部に対する水平方向の開口部は最小限に抑えられているので、人目を気にしてカーテンを引くなどの必要はない。上部から降り注ぐ光と、程よく開けられた開口部から垣間見える外部、そして開放的なプランの持つ視線の抜けが十分な解放感を作り出している。写真は1階の土間の様子である。クライアンとのこだわりで設置された薪ストーブは現在でも冬場は大活躍している。

sannkaku20141030.jpg

2014/10/29

午前中は町田分室の田村君が川口本社に来ての打ち合わせ。町田の分室を開設して早2年ほどが経過している。この分室を作るまではまさかフランチャイズじゃあるまいし、設計事務所が分室を作るなどということは夢にも思わなかった。分室を作るまでは川口本社から車で1時間30分ほどで移動できる範囲の工事しか請け負っていなかったので、つまりは横浜やら鎌倉やらからのご依頼はすべて断っていたことになる。

どれくらいのクライアントからのご依頼を断っていたかというと、大体1年間に平均して5件ほど。本当はそちらの方面からのご依頼にもお答えしたいところではあったのであるが、工務店機能を兼ね備えた設計事務所という業務形態上、現場に週に3階は確実に足を運部ことが明確なため、遠隔地の工事は質の低下につながるとの思いからお断りしていた次第である。そんなときにますいいでの勤務年数が10年に達しようとしていた田村君と、分室の計画を進めたことがきっかけであった。

設計事務所などの独立型の仕事の場合、通常は10年程度の勤務ののちに自宅兼オフィスというような業態で開業するケースが一番多い。大学時代の僕の友人なども、この形態をとってスタートし、しばらくして事務所のみを切り離すというパターンが多い。でも工務店機能を兼ね備えようとなると話は別。車を置くスペース、資材置き場、ゴミ置き場などなど、事務所に付属して求められるものが格段に多くなる。ゆえに初期に必要となる費用も多くなる。この業態を個人で作ることはなかなか難しく、でもますいいで修行してきたからにはやはり工務店機能を兼ね備えた形式で仕事をしたいという思いを実現すべく、結果、分室の開設という結論に行きついたのだ。

今では鎌倉でも横浜でも普通に工事ができるようになった。ますいいの家づくりの手法が少しだけ広まったことになる。これは大げさに言えば、ある人が自由な家づくりを望んだとして、それが実現できる可能性が広がったことになるわけだ。日本の家はつまらなすぎる。これは大量生産方式を取り入れた社会の結果だから仕方がないのであるが、それが必要である時代はすでに終わりを遂げた。都心への人口流入が増大し、住宅の大量供給が必要な時代は終わったのに、未だにそのシステムを継承し消費者側もそれを利用し続けなければいけない社会構造は変わったほうがよい。しかも現在作っている住宅の寿命は確実に伸びている。少ない供給しか求められていない社会なのだからこそ、一つ一つ丁寧に、クライアントのオリジナリティーを大切にした家づくりをしていったほうが良いのである。

午後、僕の友人の奥富せいいち君が来年の市会議員の選挙に出馬するとのことでご挨拶。なんと小学校の1年先輩である。来春の選挙というのにもう事務所の準備などを進めている。やはりデビュー戦はきつい戦いになるのであろう。できるだけの協力はしていきたい。

2014/10/27

朝礼終了後、橋本君と一緒に埼玉県さいたま市にて進行中のTさんの家の現場確認。すでに大工さんによる木工事が完了を迎えようとしていて最後の仕上げの段階を残すのみとなっているのであるが、住宅のデザインのポイントとなる階段の鉄部材のデザインの最終確認の含めて現状を確認に来たわけである。写真は2階に配置されたリビングと1階の玄関ホールをつなぐサブリビングの様子である。ここには家族の思い出の詰まる様々なものが置かれたり、音楽などの趣味を楽しむ場となったり、リビングとつながりのある書斎やスタディーコーナーの様に使用されたりする予定である。中2階なので天井はとても高い。その高い天井に合わせて窓を取り巻くように収納やデスクが造作されている。長きにわたって関わってきた建物がいよいよ完成を迎えようとしている。何とも楽しみな時である。

takami20141027.jpg

現場から戻るとまた体がかゆいことを思い出した。そういえば昨日の毛虫の被害はどうなったのかと上半身を見てみると、まるで水疱瘡のような見事な蕁麻疹である。現状を把握した瞬間に痒さは100倍に増加した。何かをやっていて気が付かないというのはすごいもので、本当にさっきまではかゆみを感じなかったのである。これはさすがに病院に行かなければと皮膚科に出向く。強めのステロイド剤を処方してもらい、かゆみ止めも飲んで一安心。皆さんも毛虫には注意してください。

2014/10/26

日曜日。今日は朝から畑に出かける。天候もよく畑での作業日和。こういう日はとても気分が良いものだ。

住宅を作る仕事をしていると、たとえば基礎工事のコンクリート打設とか、屋根工事をやるまでの上棟後の天候とか、とにかく天気に左右されることが多い。さらに最近では畑作業を始めたものだから、余計に天気に左右される生活になってしまった。

たとえば、耕耘機を使って畑を耕そうとした場合、雨の水分がある程度乾いてからやらないと耕した後に土が団子状に固まってしまうという現象が起こる。こうなると、それをほぐすためには耕す以上の苦労を要することになるから、雨の当日だけではなくてそのあと二日間ぐらいは作業ができないということになる。でも雨が降らないのはもっと問題で、天からの恵みがなければ野菜が育つはずは絶対にないわけだから、ちょうど良い具合というのがとても大切なのだ。

虫にも詳しくなってきた。畑の土の中には大人になるとコガネムシ等になる様々な幼虫がいる。これらは野菜の根をかみ切ってしまうので根切り虫と呼ばれている。今育てている白菜や春菊などの苗がパタッと倒れているのですぐにその部分にいることはわかるのだけれど、これを土の中から探し出すには周辺の土をちょっと掘ってみなければいけないのでなかなか時間がかかる。葉っぱが噛み切られたような跡があれば、そこにはたいてい毛虫や青虫がいる。こういう虫もすぐに見つけてあげないと全部食べられてしまう。農薬を使用してしまえば簡単なのだけれど、無農薬にこだわる限り、害虫の駆除は手作業になってしまうのである。

畑にはいつもモンシロチョウが飛んでいる。普通に見ればとてものどかな光景にすぎないのだが、葉物野菜を育てている場合には青虫をばらまくモンシロチョウの存在は困ったものである。そのモンシロチョウはアブラナ科の植物が好きだから、キャベツとか白菜の上を楽しそうに飛ぶ。でもキャベツを育てている側としてはあんまりそこを飛んでもらいたくない。モンシロチョウの飛行経路なんてコントロールできるわけがないと思うのだけれど、実はそこにキク科の植物が植わっているとその周りはあまり飛ばなくなるという習性をもっている。要するに自分の子孫がすくすくと育つことに必要な餌となる植物が群生しているところを好んで飛ぶという習性をもっているのである。つまりキャベツと春菊を一緒に植えたり、キク科のレタスを植えたりすると、そこにあるキャベツもモンシロチョウの幼虫の被害を受けにくくなるのだ。こういう効果を農家側から呼べばコンパニオンプランツ(相性の良い植物)ということになるわけだが、とにかくいつも虫と一緒にいざるをえない環境だから否が応でも詳しくなるのだ。

今日は夕刻まで畑でいろいろな作業をした。木を伐ったり草を刈ったりの環境整備は主に僕の仕事である。夜、風呂に入って体を見るとなんとなく小さな湿疹ができている。そしてかゆい。体が温まったせいであろう。上半身全体に瞬く間にじんましんが広がってきた。これもまた虫のいたずら、毛虫の毒にやられてしまったようだ。猛烈なかゆみに耐えながらなんとか眠るもしばらく辛い日々が続きそうである。

2014/10/24

午前中は田部井君と明日のプレゼンに向けての打ち合わせ。東京都板橋区にて計画中の住宅について。今回は二つのボリュームを角度をずらして配置するプランと、一つの細長いボリュームに階段を含めた吹き抜け棟を付属させたプランの2案をご提案することにした。

通常初期の基本設計では、このようにあえて趣向の異なる提案を二つほど提示するようにしている。建築の設計というのは、法律も含めた土地の条件、クライアントの家族構成や嗜好に基づく条件、予算に基づく条件の3つの条件に拘束される中で進められていくわけであるが、この条件というのはとても緩やかなもので建築の形態を完全に決めてしまうたぐいのものではない。

それに僕たちが作っているのはあくまで個人住宅だから、その完成形に対する価値観も多様で、例えばリビングは地面と接する1階にあるほうがよいと考える方もいれば、自然光をふんだんに取り入れることができそうな2階にあるほうがよいと考える方もいるし、吹き抜けは開放的なプランを作るうえで必要不可欠であると考える方もいれば、吹き抜けは冷暖房の効率の低下を招くので不要でると考える方もいるわけである。

さらに言えばこのようにそれぞれの建築を決定するテーマに対する要不要の判断をはじめから持っているクライアントなどいるはずもなく、その判断は設計を進めていくうえでの提案を見ながら自分の頭で考えてみて、つまり自分の生活をそこで行う場合のシュミレーションをしてみた結果の答えであるわけであるからこそ、多様なプランを見ることは設計の初期段階ではとても重要なことであると思うのである。

さてさて、今回のSさんの家はどんなふうに進んでいくことであろうか。基本設計はこの道筋を探すという、家づくりの中で最も楽しいひと時である。だからこそゆっくりと、まさにいろいろと考えながら進めていきたいと思っている。

2014/10/23

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせのなかで、子供部屋とリビングの関係についての話をした。子供室の在り方については各家庭でいろいろな考え方があるようで、完全に個室にして独立心を養うという考えもあれば、最低限の寝るためのスペースだけを確保して、あとは家族みんなで使用することのできるスタディールーム等で対応する家族もいる。どちらにしても子供室に一度はいったら完全に家族とのコミュニケーションの取りようがないような部屋は避けるべきで、特に近年の様に部屋の中でも様々なコミュニケーションが取れてしまう時代では余計に家族と触れ合わざるを得ないようなプランというものは意識されるべきであろう。

少々変わった例がある。この住宅ではリビングを2階に配置し、同じ2階に子供室を作っている。それぞれ4畳半のスペースしかないが、子供室のある部分の屋根を高くすることにより4畳半にプラスしてロフトを設け、ベッド代わりに使用できるようにしている。ベッドの部分には障子を設け、リビングとのつながりを作っている。ちなみに、この障子は住宅全体の風の流れをよくするという効果も期待されている。こんな小さな操作一つでも、子供室の開放性はだいぶ高まるものである。とにかく快適すぎる部屋は孤立の始まりであると考えている。

itabasi20141027.jpg

2014/10/22

朝礼終了後、東京都板橋区にて設計中のSさんの家のスタディー。この住宅は20数坪の狭小地に計画している小さな住宅である。小さいながらも空間の広がりを感じさせるさまざまな工夫を施したいということで計画を進めているところだ。

狭小地の住宅はこれまでもたくさん作ってきた。狭小地の設計は敷地境界ぎりぎりに住宅を作らなければいけないということが一番の難点である。つまり道路からの引きが取れないのである。これは住宅に求められるプライバシーの確保を難しくさせる。これを解決するためにこれまでも様々な工夫をしてきた。

この住宅は埼玉県の蕨市に2007年に作った住宅である。ここでは2階にリビングに開放感を生み出すために、大きな吹き抜けをつくり南面する大開口を設けた。ここには外部の視線を調整するために木製のルーバーをつけている。吹き抜けには3階の各部屋を行ったり来たりするための渡り廊下を設け、渡り廊下から屋上に上がることができる螺旋階段に上ることができる。それらの部材は鉄を利用して作られているので、非常に繊細なデザインとなっており、空間の広がりをより強調する結果となった。狭小地の設計はこのような工夫を必要とするところが逆に面白いのである。

hosaka20141024-1.jpg

hosaka20141024-2.jpg

2014/10/19

日曜日。今日は普段通っている社中のお茶会。朝から川口駅前にあるリリアなる文化センターの茶室にて準備をスタートし、30分おきに茶席を持つ。いわば社中の発表会のようなものである。

このようなことも回数を繰り返しているとだんだんと慣れてくる。点前の手つきも穏やかになり、おいしい茶を点てられるようになる。最近は着物もすぐに着ることができるようになった。同じことの繰り返しの中にも何かの変化がある。これは子供の成長と同じことかもしれない。現代人にとって着物を着ること、茶を点てることは日常ではない。非日常と化した文化を無理やりに習得しようと思えば、それを行う状況を無理やりに作り上げるしかない。そうすればまるで子供が初めてボタンを自分ではめることができるようになるがごとく、はたまた初めて蝶々結びができるようになるがごとく、僕たちも非日常の文化を習得することができる。僕はこのまるで子供の様に・・・ということがとても大切だと思う。つまり無理なく体に染みつくということだ。文化や風習と呼ばれるようなものは、体に染みつくがごとくならなければ偽物である。偽物を身にまとい偉そうなことばかりを言うのは無意味なのだ。

16時ごろ終了。帰宅後は自宅にて休養。

2014/10/18

スタッフミーティングの中で茶室についての話が出た。茶道といえば利休が有名だが、彼の作ったとされる茶室で現存するものがある。「待庵」2畳の極小空間の中に茶の空間を凝縮したもので、京都の山崎駅の前にひっそりと建っている。この茶室ができる時の様子を想像した記載を藤森氏の本の中に見つけた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時は戦国の世。戦時中の仮設建築としての茶室を任された利休はそれを作る場所を探していた。秀吉の本陣のおかれた宝積寺は天王山の南山麓にある。そこに古い阿弥陀堂を見つけた。放置され荒れ果てている一間半四方のお堂である。四周には三尺の縁側が回っている。仏様の座っている西側の半間を除いて、その前と縁側を使わせてもらうことにしようと考えた。

南側に寄った4畳半のスペースの中に勝手や次の間といった準備スペースも取り込むとなると、茶室はわずか2畳となってしまう。ためしに2枚の畳を敷いてみるとこれがちょうど良い。床の間にために大量にある戦陣用の杉丸太をもらってきて、ためしに1本立ててみた。3尺幅で立ててみるとあまりに狭苦しいが、ちょっと1尺動かしてみるとちょうど良いあんばいとなった。近くに生えていた桐の木を伐ってきて床框として据えてみたらこれまたよい。

部屋を作るために畳の周りにこれまた杉の柱を立てた。柱の間の壁はどうしようと思っていたら、ちょうどよさそうな雨戸がある。木舞を掻いて土壁にする時間はないから、これを利用しよう。雨戸を横にして積み上げれば、ちょうど良い壁となる。これに穴をあければ出入り口や窓もつくることができる。縦2尺6寸、横2尺3寸5分、ちょうど良い躙り口が誕生した。躙り口の戸は同じく転がっていた雨戸の隅を切り取り、扉とした。窓の外には補強のために竹を反割にして打ち付けてみた。これが連子窓である。

炉はどうしようか。雨戸と同じように畳の隅も切り取ってしまえ。こうして隅炉ができた。

壁仕上げの段階では雨戸に葦を縛り付け土を塗った。床の間の隅にまで行くとそこにあるはずの柱はなく、雨戸の角がぶつかっているだけである。仕方がないから土をそのまま塗りまわすとなかなか良いので、そのまま天井土で塗ってしまった。窓を開けた壁は、そのまま塗り残してみたら木舞が土壁の骨のように見えた。これは面白いからそのまま残して、光を風の調整のために内側に障子をかけてみた。これが下地窓。壁の仕上げが荒いので下のほうには反古(いらない紙)を張ることにした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

taian01.jpg

以前僕がマンションの一室に作った茶室は工事代金が四十万円ちょっとである。安すぎて笑ってしまうような金額であるが、僕は真剣にこの仕事をやった。なぜ安いか。たまたま会社に余っていた木を半分に割って化粧の柱を作り、マンションの天井だから釜をつるひる釘を受ける部分がなければこれまた余っていた杉の木を化粧に削り、反割の柱に組み込んで梁とした。炉を入れるために床を少しだけかさ上げし、そこに炉を入れ込んで、畳を敷いた。正確な4畳半を作るスペースがないので、茶を点てる人がやりやすい寸法を点前の畳に割り付け、それ以外の畳は容赦なく切った。

matuda01.jpg

現代の茶道はいわばエルメスのバッグの持つブランド力と変わらない面を持つ。茶室に使われる材料もしかり。利休が使ったような材料だというだけで、一本数百万円の柱を床に使う愚行を僕はする気になれない。

これは住宅におけるブランド志向とも似ていて、つまりはこうあるべきという消費者側の意識を作り上げたメーカー側の操作のままに、高いコストをよくわからない物にかけさせられるという資本主義社会の持つ仕組みが出来上がっている。日本の住宅メーカーはこの操作を巧みに繰り返し、住宅の市場をコントロールしてきたし、これからもそれを続けていくことであろう。

僕は利休の自由を住宅業界に持ち込む仕事をしている。時には茶室にも持ち込んでしまう。現代の茶室であるカフェもそうした思いで作っている。ブランドなるもの、つまり名前を言っただけで価値を感じさせる力が必要なら、そんなものは建築家と住まい手の努力で作ればよい。というより、使い手の力が加わらなければ、どんなにこぎれいな建築空間を作ったとしても、そこに住みつく魅力などそう長く続くものではないと考えている。1250万円で作ったアスタリスクカフェは先日の日記でも書いた通り、使い手の力と僕たちのささやかな仕事によって一つのブランドとなった。でもそこにどのようなブランドがまとわりつこうが、やっぱりそれを1250万円で作ることが僕の仕事だと思っている。そしてそれを使う人のセルフビルドという努力がスパイスとなり、新たなブランドを生み出すのである。

2014/10/16

朝礼終了後、近所のSさんより建て替え相談。築35年程度の古い木造住宅、そのままあと30年以上使い続けられるようにリフォームをするべきか、それとも建て替えるべきか、とても難しい相談である。

住宅の寿命は何によってきまるのか?

一つは耐震性能である。古い木造の住宅の場合、基礎は鉄筋コンクリートの布基礎であることが多い。その基礎自体の強度が著しく低下しているようでは大きく揺らされたときに破壊してしまったり、上部構造がずれてしまったりの可能性もある。造られた時の鉄筋の状況、コンクリートの性能などによって大きく左右されてしまうとわけだが、大きなひび割れなどが生じている場合は危険信号といえる。上部構造の金物による耐震の基準なるものは時代によって進化してきている。特に昭和56年前の木造住宅であればそもそも金物が使用されていない可能性が高いし、それ以降の時代のものであっても検査体制の甘かった昔の建物ではしっかりと基準を満たす量が配置されているかどうかはわからない。この設置状況をすべて目視で確認するには建物を丸裸にしなければならず、これには相当な費用を要する。部分的に構造体である土台や柱が腐食している可能性もある。特に水回りの周辺で起きやすいのだが、水による腐食以外にもシロアリなどによる被害も考えられる。大切なことはこれらのリスクをしっかりと取り除けるのかどうかの予測をヒアリングの時に予測すること、すべて内装部材を解体して詳しく調査するわけにはいかないのであるから、この建物が大丈夫そうかなという「あたり」をつけることしかないのである。

新築化改修化の判断材料には、その後の建築の規模をどの程度のものにするかも重要な材料となる。今回のケースは住宅規模を小さくする、つまり減築のパターンだ。もともとの住宅が約30坪だとして、これから求められる住宅の広さが20坪程度だとしよう。30坪の現在の建物に多額の費用をかけて現行の基準に合うように無理やりに耐震改修工事をすることを考えると、20坪の小さな建物を現行の基準で作ったほうがコストダウンになることもありうる。だって規模が2/3になるのである。

どちらにしても新築か、リフォームかのご相談は慎重に話を進めなければいけない。以前ますいいで作った住宅では、一部分だけを残すという変わった選択をしたこともあった。この住宅に僕が初めて相談に伺ったとき、そこには壊してしまうことがとてももったいないと感じるようなすばらしい和室があった。80年間の間建ちつづけて、使われ続けた素晴らしい和室である。幸いその部分は下屋となっており上には構造物が乗っていない。であればこの部分だけを保存して、そのほかの新築と一緒に使うことはできないか、の提案をしたのである。結果、嫁入りからこれまれ住み続けてきた高齢のお母様にはとても喜んでいただける仕事となった。判断の難しさはこんなところにも潜んでいるのである。

nimu01.jpg

2014/10/15

朝礼終了後、埼玉県川口市にてカフェ兼住宅を建てたいというKさんご夫妻打ち合わせ。東川口駅から歩いて18分ほど、24坪という小さな敷地に1階がカフェ、2階3階に住まいという建築ができることとなる。もちろん建築はローコストで、セルフビルドなどを取り入れながら進めることになるであろう。この条件下でのカフェというと、川島町に作ったアスタリスクさんがあるけれど、カフェなるもの、ローコストであるほうがよくできるのだ。コーヒーを飲む場所がそんなに高級建築である必要はないのである。建築が高級であるよりも、そのコーヒーを入れてくれるオーナーの人となりがにじみ出てくるような建築であるべきであり、建築に取りつく様々な付属物たちもまたオーナーの身に着ける洋服やアクセサリーと同じの如くに一体化していてほしいのである。

アスタリスクカフェについてはこれまでも何度も記載したけれど、2000万円の資金の中で720万円の土地を購入し、その残りの金額の中で建築を作った。23坪ほどの住宅兼カフェはセルフビルドをふんだんに取り入れて、雑誌やテレビ取材をたくさん受けるような魅力的なカフェとなったわけだけれど、そこにかけた予算はわずか1250万円ほどである。予算はないけれどこんな建物を作りたいというオーナーさんのイメージは僕たちが計画を始める前からしっかりと作られており、僕たちはそれをその予算内でできそうな形にアレンジしてあげるだけでよかった。下にあるスケッチはそのアレンジ後の様子である。お金のかかりそうな屋根の形をちょっとだけシンプルに変えた、その程度のアレンジである。もちろん書いたのはオーナーのHさんご自身だ。

ある理想を描くことは誰にでもできる。でもたいていの人はその理想を実現することが難しそうだとすぐにあきらめてしまう。でも偶にそれをあきらめることができない人がいる。そういう人は、理想を実現するために必要な一部分を作って、それから時間をかけて粘り強く自分たちの手も使いながら理想の形を作り続ける。そうしているうちにいつの間にか理想の形を超えた何かにたどり着く。いつの間にか理想の形が進化しているのだ。それをまわりでみている人は楽しいものである。楽しいからまたコーヒーを飲みに行く。オーナーと話をしに行く。殺伐としたネット社会の中で数少ない理想の現実となる。僕はそんなカフェを作り続けていきたいと思っている。

suketti2.jpg

2014/10/14

午前中は事務所にて雑務。2週連続で日本を襲った台風もようやく通り過ぎてくれたようである。ますいいの現場では大きな被害は出なかったけれど、建築会社というのは台風の到来の度に何らかの対策を取らなければいけない。足場があれば、シートを丸めたり、飛散してしまうものがないかどうかの点検、もしあればロープで縛ったりの作業は恒例のものである。僕たちはそれくらいで済むからよいものだけれど、土木の業者さんたちは堤防の点検など命がけの作業までをも行わなければならないので大変だ。東日本大震災の時にわかったことだけど、当たり前の状態がいつも続くとは限らないのだ。僕たちの日常的に想定できる限度を超えた何かが発生してしまえばあっという間にその状態が、望ましくない状態に変換されてしまうのである。だからこそ、簡単にできることくらいはせめてやらなければならないのであろう。

夕方、藤森照信著「茶室学」読了。建築史家であり建築家でもある藤森氏の茶室に対する考察をまとめた本である。藤森氏は細川護煕元首相の茶室を作ったことでも知られているが、3か月でその茶室を作れと言われて実現した時のエピソードなども紹介されている。近代建築専門の藤森氏が茶室をどのように理解するか、専門家ではないけれど、専門家でないからこその自由な茶道の理解は、読んでいてとても面白いものであった。

41yCm8RYlWL.jpg

2014/10/10

朝礼終了後、スタッフの柳沢君と一緒に解体業者の金山さんの置き場に訪問。なんでも解体した建築屋さんの倉庫から使えそうな材木が出たよということで、ますいいに譲っていただけるとのありがたいお話である。もしもそのまま金山さんのところにあったらゴミとして処分されてしまうということ、もったいないお話である。置き場にはいろいろなごみがある。一見すべてを産業廃棄物にするのかと思いきや、実はそうではないらしい。ペットボトルはプラスチックとして販売する、古い家電もレアメタルなどを取り出すために買い取る業者がいるらしく、もちろん鉄などの金属は分別して販売するということであるので、実際にどうにもならないゴミというのは仕分けをすると大した量にはならないようである。

産廃業者さんとしては、ゴミを下げる時に運搬をする人に賃金を支払い、運搬をするためのトラックなどを購入した支払いを行って、代わりに料金をもらう。次の段階では、そのごみを仕分ける人に賃金を支払い、再生資源として引き取る人からお金を受け取るという、2回に分かれた仕事があるとのこと。仕分けが楽なごみは効率がよく、ぐちゃぐちゃだと人件費がかさむ、だからますいいにも仕分けのことをうるさく言ってくるということなのである。普段はあまり接することのない業界であるが、つまりは使えない状態のものから貴重な資源を採掘してくれているということで、これは資源を持たない日本にとっては大変重要なセクションの担い手ということになるのであろう。とにかく感謝感謝である。さてさて、いただいた材木をどこの現場に使おうか。せっかくの機会であるので全部使い切ってしまおう。

zaimoku.jpg

2014/10/09

朝礼終了後、各プロジェクト打ち合わせ。

夕方、埼玉県川口市にて相談のあった絵画教室兼住宅のプラン提案。教室の先生とそのご両親、ご兄弟の4人が住むための住宅がついている建築とあって、通常の住宅というよりもシェアハウスのようなプランニングとなる。震災以降このように集まって住むという選択をする方がとても増えているように感じる。核家族化が進んだ結果、多くの家族がバラバラの状態になってしまった状況の中でのあのような状況を見て、家族の在り方を再認識しようという思考は必然であると思う。やはり最後は家族という最小単位でのコミュニティーを大切にしたほうがよいに決まっているのだ。

2014/10/07

午前中事務所にて雑務。

打ち合わせ、床材について。ますいいではよくパインや杉といった針葉樹系の柔らかい床板を利用する。パインとは日本語でいうと松である。松は杉よりは固いが、ナラなどの堅木ほどは固くない。桧もちょうどそのくらいの固さであるのだが、値段が少々高いのであまり使わない。

堅木の中でよく使われる代表選手はやはりナラだろう。塗装をしないと白っぽい黄色、オイルをしみこませるとそれが濡れ色になる。大変身近な木で、公園などでドングリを実らせている。

チークもよく使われる。シソ科チーク属の落葉高木樹で主にアジア熱帯地方に生えている。水に強く狂わない木として船のデッキなどに利用されてきた。色はナラとは正反対、こげ茶色をしている。インドやミャンマーなどの一部の国でしか生産できないために、植林をするなどの対策がとられているという。

日本人は床の上でゴロゴロする。偶にはしない人もいるかもしれないけれど、大体の人はするだろう。これは畳での生活をしてきた民族に染みついた慣習である。それに家の中では靴を脱ぐという習慣もゴロゴロする機会を増やす原因である。日本人でも靴で歩いているホテルの床でゴロゴロはしない。つまり床が清浄なものとして扱われているのである。僕は個人的に杉や松の床が好きだ。つまり、純日本人なのである。

tuda20141007.jpg

2014/10/06

朝7時過ぎ起床。テレビのニュースをつけると台風の情報が飛び交っている。幸い京都は夜のうちに通り過ぎてしまったようで、雨はすでにやんでいるようだ。関東地方に迫りくる台風情報を確認しながら、会社に残してきたスタッフと連絡を取り対策を指示。9時過ぎ、ようやくひと段落して部屋を出た。ホテルの前でタクシーを拾い、大徳寺へ向かう。今日の一番のお目当ては、現在特別公開中の小堀遠州が作ったといわれている茶室「弧蓬庵」の見学である。途中朝食をとり、大徳寺へ向かったものの、台風の影響で12時30分からの見学という。やむなく時間をつぶすためにすぐ近くにある金閣寺を見学することにした。

こちらは1397年足利義満によってつくられた舎利殿、京都といえばの定番コースである。僕はこの建築がとても好きである。これは自分でも意外なのだけれど、ある時からこの建築を、特に池の反対側から見ることが好きになってきたのだ。一言でいうと、仏教に基づく庭園に浮かぶ黄金建築は、時空を超えて現れた当時の栄華を映し出す幽霊のようだ。それはまるで3Dの映像装置のようであり、現実のものとは思えないようなはかなさを感じさせるものである。昼間は見学の外国人さんたちに頼まれるカメラの撮影が忙しく、落ち着いてみていることはできないのだけれど、人が少なくなった夕方はとてもお勧めの時間だ。今日は一緒にいた堤君のおかげで、僕は撮影班から逃れることができた。そんな彼らも日本にとっては大切な観光客である。誰かは対応しなければいけないのだ。

kinkaku.jpg

時間が来たので大徳寺に戻る。すでに孤蓬庵の門があいており、何人かの先に来たグループは見学を開始しているようである。僕たちも10分ほど待ったのちに、中に迎え入れていただくことができた。ガイドさんの指示に従い、庭に面する縁側から孤蓬庵へと向かう。この茶室は9畳プラス3畳の変形した和室に床の間がついているという変わった間取りをしており、縁側とその向こう側にある上部半分だけの障子、そしてその障子の下に見える庭の風景というのがもっとも有名なシーンだ。庭全体を見渡すのではなく、あくまで切り取られた庭の手前の部分だけを見せることで、茶室としての設えを感じさせる演出である。

実はこの茶室これ以外にも面白い設計の意図が隠されている。通常は床の間の前の上座が最も良い席とされており、そこからの眺めが一番良いように設計されるのであるが、この茶室では点前座、つまり自分が座る位置からの眺めが最も良いように設計がされている。点前座に座ると床の間の壁に描かれた月が見えるなどという計らいもされており、すでに消えかけているかすかな月の姿に気が付くとこれまた面白い。とにかくこれまで何度京都に来ても見ることができなかったものだけに、今回は貴重な体験をすることができた。保存と公開という相反する要求にこたえていくことは大変なことと思うが、ぜひ今後も続けてほしいと思う。

終了後、山花平八茶屋にて昼食。ここは麦とろ飯で有名な茶屋である。この店を出るとちょうど良い時間となったので京都駅に向かいそのまま帰宅。家についたのは21時ごろであろうか。

若いスタッフたちにとって茶室などの建築はなかなか自分で行こうと思わないものかもしれない。しかしながらこういうものは現代の住宅に通じる「何か」を持つ貴重な資料であり、やはり体験することでしか味わうことのできない感覚がある。今年の冬のニューヨークの様に、来年はスペインへの研修旅行も企画している。ガウディ―、ミーズといったまた違う建築を見ることができるこの機会もぜひ成功させたいものである。

長らくデフレを経験した日本では、昔の様に自由がきく学生はそんなにいなくなってしまった。僕たちのころはバイト代と、もしも足りなければ親にお金をせびって卒業時にヨーロッパの建築を見に行くということは一般的なことであったが今はそうでもない。もしも会社でいかなければ、会社を辞めるまで見ることができない者もいるであろう。ますいいは建築家集団である。個人の成長は結果的にクライアントに対する貢献になるのであるからの思いのもとに、これからも続けていきたいと考えている。

2014/10/05

今日、明日と今年5回目のますいい建築塾で京都小旅行。8時30分に東京駅に集合し、料金の安いこだまに乗って京都に向かう。12時過ぎ、京都着。SDレビューのシンポジウムを聞きに行った二人を除き、8名は聴竹居のある山崎へ向かった。

この建築は、昭和3年に建築家藤井厚二氏が自邸として設計した住宅である。ホールから食堂を眺めるアールの開口部の写真は、建築を好きな人であれば一度は見たことがあると思う。実はこの建築、建築環境の改善のための実験住宅であり、住宅の髄所に様々な工夫がされている。プランは中心部に配置されたホールの周りに、ベランダ(サンルームのような箇所)、食堂、和室、客間が配されており、すべての部屋が連続性を持つように組み立てられている。そのホールには、西側の斜面にぶつかる外部の涼しい空気を取り入れるための土管からの風を屋内に取り込む穴があけられている。ここからは夏の暑い時期に涼しい風が屋内に流れ込むようになっている。ベランダの天井には内部の空気を屋根裏に上げるための開口部が取り付けられている。これも冬場は閉めることができるようになっており、夏場の暑い時期の自然換気を促す仕組みとなっている。ほかにも土間下の空気を直接天井裏に流し込む装置や、当時としては日本に一台しかなかったスイス製の冷蔵庫、風呂屋台所にお湯を流すことができる給湯システムなど、当時の日本の生活レベルを向上させるための実験的な設えが各所に折り込まれている様子を見ていると、その挑戦的な建築に対する態度に大きな感銘を覚えた。

デザインはマッキントッシュの要素を多分に取り入れた和風ゼツェッション。先の難しい環境工学の話よりも、このデザインに目を奪われた経験のある人のほうが圧倒的に多いと思う。見ていて面白いのはそのデザインが機能に基づいているところ。それも伝統的な機能ではなく、その時代に必要とされた目的を果たすための機能を付加しうるモノの形を絶妙なセンスで実態に作り上げているところがこの建築の最大の見せ場といえるであろう。実はこの住宅、持ち主は東京にお住まいで、地元の方々も混ざって組織されている保存会で借り上げているそうである。見学料は持ち主さんに支払う家賃だそうだ。保存会では地元の方々のボランティアという形で現地での解説まで行っており、僕たちはすぐ近くに住む方の丁寧な解説を聞くことができるのである。個人住宅がこのように保存されるケールはとても珍しく、文化を大切に思う心のある方々の運営する理想的な形であるように思えた。細かい話を描けばきりがない。これだけは見に行ったほうが早いと思う。建築好きの方には是非見学をお勧めしたい住宅である。

tyoutikukyo.jpg

見学終了後、アサヒビール大山崎美術館へ。こちらは豪勢な別荘に安藤忠雄氏が設計した四角と丸の空間が取り付けられた美術館である。前に見た聴竹居があまりにも繊細で印象的な建築だっただけに、コンクリートの大きな空間構成を楽しむことはできなかった。早々と退散する。

一路木屋町へ。食事の予約をしておいた時間にはまだ早いので、田部井君と一緒に夕刻の祇園の街並みを散策。まだネオンがともるには早い時間であり、夜の準備になんとなく町がざわつき始めたというところであろうか。19時、モリタ屋にてすき焼きを食す。おいしい肉に一同満足であった。

2014/10/01

午前中、日本工業大学のHさん面接。以前にもオープンデスクに来ていたことがある学生さんなので、スタッフになった場合の心構えなどについての話などをさせていただく。

午後、いつも車の修理などをしてくれているAさんのご実家にある古い箪笥をいただきにAさんのご自宅を訪問。和服を入れる輪箪笥なるものを持っていない僕が、茶道の関係で着物を持たざるを得ないようになり困っていたところに、とてもありがたいお話をいただいた。古いものだけど桐でできているよい品物だよの言葉の通り、僕にはもったいないくらいの箪笥である。大切に使わせていただきたいと思う。

電力会社5社が再生エネルギーの買い取りを見直しするとのニュースが世間を騒がせている。国が6月末時点までに認定した再生エネルギーがすべて発電を始めた場合、買い取り総額が現在の4倍の2兆7000億円に達するという見通しを経産省が示した。この制度では、再生エネルギーの買い取り費用を電力会社が家庭や企業の電気代に上乗せして回収する非組のため、標準家庭の1か月あたりの負担額は現在の225円から935円に膨れ上がってしまうようだ。もう一つの理由として挙げられているのが、導入の急増により電力の需給バランスが崩れ、最悪の場合大規模停電が発生するというものであるが、この理由の真意は不明である。

電気代が上がれば、企業の利益は下がる。モノの値段に付加することができる企業はよいが、そうでなければ経営難に陥ることもある。家庭における電大の値上げも大きな反発が起こるであろう。でも、それをしてでもクリーンなエネルギーを普及させるべきだという考えも同時にあるわけで、どうしたらよいやらの諸刃の剣である。目先の経済と、長期的な安全の天秤ほど判断が難しいことはないと思う。でも、この決断を最終的に下すものが企業である状態だけは避けるべきだと思う。やはり国民の意思を代表する権利のあるもの、つまりは政治家がこれを決めずして、誰がふさわしいといえるであろう。

この手の話は文化でもいえることである。
そこにあった建築がいかに素晴らしいかを説いても、丸ビルは消えた。当時の高さ制限だけは、超高層の周りに取りつく部分にかすかにその面影を残しているが、丸ビルの持つ歴史性のようなものを感じることはできない。これも目先の経済による文化という大切なものの消失である。日本の近代は歴史がないといってよいくらいに短い。だがその短い中でも同じような、長期的な価値と目先の経済の対立の構図はある。そしてたいていの場合、目先の経済が優先される。

昨今、富岡製糸工場などの世界遺産の認定が続いている。これはその地域の政治、行政、市民の結束によって行われることが多い。つまりは町の活性化であり、文化の継承という価値が目先の経済につながる。その必要がないから丸ビルは世界遺産にしようとだれも思わない。でも上野の美術館はその対象に入る。観光資源化されるかされないかの線引きによって決まるわけである。

太陽光発電はどうであろうか?クリーンというだけでないもう一つの価値が、目先の経済性とつながる形で見いだされば可能性があるような気がするのだけれど、僕には今のところ思いつかない。

page top