ますいいの運営するノンプロフィットレンタルアートギャラリーとギャラリー。各アート作品の展示・販売をするショップとなっております。

公式サイト>

ますいいでは、古くなった物件を壊すことなく次の世代に引き継ぐお手伝いをしております。

詳細情報>

CREATED BY TOMBOWING

ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
ローコスト・セルフビルドでよい素材を上手に使い家族が幸せになる、そんな建築を目指しています。

ますいいリビングカンパニー|埼玉県川口市

ますいいについて/about us
作品集/galleryコンセプト/concept現場進行中/project仕事の進め方/workflow
増井真也日記
田村和也雑想設計室雑感
お問い合わせ/contact

top > 増井真也日記 > 2014年6月アーカイブ

増井真也日記

2014年6月アーカイブ

2014/06/28

午前中、埼玉県さいたま市周辺に住宅を取得したいと検討しているTさんご家族ご相談。総予算3000万円ほどで新居を手にしたいということである。この予算であれば土地を購入して新築住宅を造ることも考えられるし、中古住宅を購入してリフォームをすることもありうるだろう。

予算が普通よりもちょっと少ない新築住宅の例としては、数年前に大宮駅の近くに建てたSさんの家がある。この住宅は土地の購入費用450万円、建物費用1100万円で手に入れることができている。土地の面積も小さければ、住宅の面積も18坪程度ということで、本当の狭小住宅だけれど、10年程度で返済できる住宅を建てて、人生の中で3回は家を建てたいというクライアントならではの、面白い事例だと思う。

2.jpg

僕のところにはローコスト住宅を作ってほしいという依頼がとても多い。そしてみんな必ず口にする言葉は「建売はいやだ」ということである。この建売というキーワードは、デザインは基本的にみんな同じ、自由な設計や部材の選択は不可能、という事柄を表している。つまり、自分らしさを大切にしたいという日本人には数少ない一部の、でも大切な人たちにとっては当然我慢ならないこれらの状態を指して、「建売はいや」という言葉になっているのである。

この要求にいかにこたえるかに試行錯誤は僕にとって人生をかけたテーマである。そして最近は、なんとなくその手法が見えてきたような気がしている。
・準防火地域2階建てまでの法規制であれば、木構造をきれいに表現し意匠的な特徴とする。
・細部まで作りこまずに、セルフビルドと住み始めてからの造作をしやすい家とする。
・全体計画はシンプルに、複雑な形状にはしない。
最近はこの手法でさまざまな規模・用途のいくつかのローコスト建築を手掛けている。これらの建築は「安い」けれど、魅力的だと思う。変な豪華さはないけれど、程よい魅力があると思うのである。

2014/06/27

午前中、川口警察署の前に置く不審車の突入防止のための花壇についてのデザイン打ち合わせ。鋳物の素材を使った花壇を二つ、警察署の前に設置するという計画ということである。警察というイメージを表現できるようなデザイン、鋳物という素材の良さをアピールすることができるデザイン、という両面からのアプローチが必要である。

川口市というところは鋳物の産地として有名な町である。古くは吉永小百合さんが主演した「キューポラのある町」なる映画もつくられたほどで、ぼくが子どものころは町には鋳物屋さんがたくさんあって、空はいつも工場から出る煙のせいで薄暗く曇っていた。これまでもお付き合いのある鋳物屋さんの依頼で、今回のような作品のデザインをやったことがあるのだが、それらは川口駅前の時計塔やあさひ橋の欄干として町の中に点在している。昔はたくさんあった鋳物屋さんの工場は、今ではその多くがマンションに姿を変えた。駅前の高層マンションの多くはもともと鋳物屋さんの工場だったのである。「町の記憶」とも呼べるようなオブジェを点在させる行為に参加できることはとても価値があると思っている。僕の両親も元々は鋳物関係の木型屋さんや機械屋さんの子供たちとして生まれたし、だからこその地域に密着した工務店としての今の僕の姿があるのだとも思っている。何とか良いものを作りたいものである。

東京都豊島区にあるお寺にて藤棚の作り変えの工事を完了した。もともとは藤の木の下で何十年も耐えてきたスチール製の藤棚があった。塗装もはげ、一部朽ちて落ちてきそうになっていたところでの交換工事を行った。今度の藤棚はステンレスである。鉄と違って雨ざらしでもそうそう腐るものではない。今はどこにでもありそうな藤の木だけれど、さらに何十年も成長してこのお寺の名物になるくらいまできっと支えてくれることだろう。

IMG_2079.jpg

2014/06/25

午前中は、東京都中野区にて設計中のKさんの家のスタッフミーティング。夜のプレゼンに向けての最終模型作成についての指示など。

13時、2年ほど前に完成した琉球土間の家のメンテナンス訪問。1枚の建具が動かなくなってしまったという内容であったので、現地を確認してさっそく職人さんの手配をするように指示を出した。

この住宅は沖縄の亜嘉島をこよなく愛すご家族のための住宅である。写真に写る白い床材は、沖縄で伝統的に用いられている琉球石灰岩と呼ばれる材料で、内部の床に用いてもなんとなく柔らかさを感じることができる石材である。写真のある吹き抜けに面して、家族のプライバシースペースへと入り込むことができるような2重構図のプランになっており、吹き抜け部分は半外部的に利用されることとなっている。埼玉県の川口市にいながらにしてなんとなく沖縄にいるかのような生活スタイルを作り上げることに貢献しているプランである。

DSC_2224_DxO.jpg

続いて川口市にて進行中のスタジオ兼住宅の現場チェック。現在大工さんが木造の軸組の工事をしているところである。スタジオということで柱のない大きな空間が特徴的であり、それを支えるための大きな梁や火打ちの存在が独特なデザインを生み出している。人が集う場としてふさわしい建築にしていきたいと考えている。

P1050848.jpg

夕方、埼玉県川口市にあるアトリエKにてアトリエの建て替え計画についての相談。このアトリエは僕の息子も通っていたところで、芳賀啓先生が中心となり絵画の指導を行っている。先生がもともとアメリカのディズニーランドやラスベガスなどの壁画作家さんだったこともあり、今でも壁画のお仕事もされている。下の写真はとあるお寺の納骨堂に貼られる予定の壁画で、この世とあの世をイメージされているとのことだ。何とも楽しみなプロジェクトである。まずはイメージを膨らませていきたい。

RIMG0372.jpg

2014/06/23

朝礼終了後、プリジェクト打ち合わせ。

終了後「日本建築専門学校」、「フェリカ建築学院」の2校に学校見学申し込み。どちらもとても面白い建築教育を実践している学校であり、興味深い人材を生み出している。フェリカ建築に関してはすでにますいいのスタッフになっている柳沢君がその教育の意義を証明してくれている。日本建築専門学校に関しては実際に卒業生にあったことはないのだが、日本建築を作る専門の技術者を育成することに特化した教育を施すというとても風変わりな、しかし意義深い趣旨のもと設立された学校ということで今回の見学の対象とした。来週、再来週と訪問する予定である。

日本における大学教育では、建築を近代のある一時期以降の西洋建築を中心に学ぶことを基本としている。メディア、権威と呼ばれるような人々の価値観も、視野の中に入っている歴史の中にとある建築を照らし合わせての価値判断を行うことが常套手段となっている。だから僕たちが、歴史・文化と認識するような日本建築の類は、教育の一連のストーリーとは少々乖離したものとしてとらえているかのような感覚が強い。

建築が国家権力の誇示のような役割を終え、都市もしくは企業経済力の誇示のような類の役割をも果たしつくし、次なる存在意義を「無機質な現代社会の中で失われたヒューマンスケールの現実の象徴」のようなものに見出そうとしている現代において、そこで指導する側の人間も存在意義の変換に戸惑う中、教育の現場はとかく混乱状態であろう。その中で答えを見出そうとする、とても小さな、小さいからこそ持つことのできる特徴を備えた二つの教育機関にとても興味があるのである。

フランク・ロイド・ライト「自然の家」に次のような記述がる。
今日、建築に最も必要とされているもの、それは人間の生活において最も必要とされているのとまったく同じー統合性である。人間というものの最奥に統合された人格があるのと同じく、建物にもそういう透徹した統合性があるべきなのだ。はるか昔、建物にはそういう性格が自然に備わっていたが、以来、このことが建物にあらためて要求されることはなくなってしまった。人間にとっても、この性格は第一の要求ではなくなっている。なぜなら「成功」があまりにも即座に必要だからだ。もし君が成功者ならば、「もうけももののあらを探そう」とは思わないだろう。いやしかし、そうだとすると、この世で「成功」してしまった瞬間に、人生から何か大切なものが失われるはずだ。誰かが書いていたが、この時代の人間は、確たる印象に乏しく、すぐに記憶から消え去ってしまう傾きがある。かつて人間には本当の人格というものがあって、それは、そうそう忘れてしまえるようなものではなかった。そうやって記憶に刻み込まれた人格が、おそらく統合性だったのだろう。・・・
これは、1950年代の言葉である。いつの世も、こうして失われていく何かに疑問を持ちながら生きている人はいるものだ。そしてこういう人はなかなかわかりやすい教育の材料には選ばれない。ますいいの師匠の石山修武先生もその類の建築家である。でもそういう人たちの言葉の中にこそ、なにかが存在しているような気がするのである。

午後より、中庭のある家のクライアントであるMさんと一緒に埼玉建築文化賞最優秀賞の授賞式に参加。埼玉県の武蔵浦和というところにあるコミュニティーセンターにて建築士会の皆様がお集まりの中、賞状などをいただいた。普段より建築の仕事を通して街の魅力を向上させたいとの思いの中で仕事をしているが、こういう形で認めていただいたことには感謝感謝である。

2014/06/22

朝10時より、東京都練馬区にて新築住宅の建築を検討されているHさんご家族打ち合わせ。今回のご提案では、住居棟と離れの間に通り土間を設け、庭としても駐車スペースとしても利用できる多目的のスペースを設けるという案をご提案させていただいた。偶然にも通り土間を持つアイデアを二つの建築で続けてご提案したのだが、この通り土間というアイデアは庭のあり方として一つの面白い形だと思う。

庭というと通常は道路に面して設けられる。しかしながら小さな住宅地の場合その庭と道路の距離が近すぎてしまうことが多く、必ずしも心地よいプライバシーの確保を図ることができない場合が多い。もちろん塀を建てたりの工夫も考えられるわけだけれど、建物と建物で挟まれたスペースを有効に利用することができればこうした外構工事費も抑えることができる。また、この通り土間スペースを反外部的に利用できることで、住宅の持つ外部とのつながりを高めることも期待できる。中と外という明確な区切りしかないのではなく、外のような中、もしくは中のような外を作ることで暮らしの多様性を演出できるのではないかと考えている。二つの中庭のある家で作った、普段の暮らしに取り込まれた中庭のような魅力を作り上げてみたい。

2014/06/21

午前中埼玉県越谷市にて住宅の建設を計画しているUさんご家族打ち合わせ。現在母屋が建つ土地にどのように住宅を建てるかについてのお話など。

14時、埼玉県川口市にて土地の取得と新築住宅の建築を検討中のSさんご家族ご相談。土地を購入する前にどのような建築を建てるかについての検討をしたいということである。住宅を建てる際には総予算をどのように土地と建物に分類するかのとても悩ましい決定事項がある。多くの場合予算の大部分を土地に割かなければならないことが多いのであるが、それでもあまりに建物予算が少なくなってしまって希望の住宅を建てることができないようなことになってしまってはどうしようもないわけなので、その検討はとても大切だと思う。今回は、計画地に想定される住宅のモデルを提示して土地購入の参考にしていただくということにした。

17時過ぎ、埼玉県富士見市にて新築住宅を検討中のTさんご家族打ち合わせ。今回も1階の真ん中に通り土間のようなスペースを設けることで、エントランスのある道路側から家の中に入ると、崖になっていて眺めの良い反対側を見通せるようなプランをご提案した。この敷地のエントランス側の道路はいわゆる袋小路の道である。その一番奥に壁のように建つ今の住宅を建て替える時に、どのようにしたらより魅力的な暮らしの場となるかの検討の結果、思いついたのがこの通り土間であった。建築は土地に建つものであるからこそ、同じモデルプランを使い回しするようなことはできないし、その土地と建築条件に合ったプランを考える楽しさもあるというものだ。ぜひ作ってみたいと思える、そんなプランができたと思っている。

2014/06/18

数年前に埼玉県の川口市に作った中庭の家では、二つの中庭が敷地いっぱいに建てられた外壁の内部に配置されている。この家では中庭の効果を最大限に生かした設計を行った。

都会の住宅地の場合、普通に家の前に庭を作っても前面道路が近かったりの理由でプライバシーの問題が起きてしまうことが多い。静かな住宅街なら何の問題もない。しかしそのような好条件の敷地などそうそうあるはずもなく、でも心地よい暮らしを創造したいというのであるから何らかの工夫をしなければいけないのである。

この住宅の敷地の場合すぐ目の前にハローワークなる公共施設があり、平日の日中はその関係の人々でなんとなく落ち着きがない。そこに開く形で庭を作ったところで、果たして毎日の暮らしの中に庭を取り込むことができるだろうかの疑問こそが中庭を作るきっかけとなった。

中庭の上部は屋根がかかっていない。ゆえに外部と同じように光・風を取り込むことができる。外壁は防犯のことを考えて上部にステンレスのワイヤーメッシュをはめ込んだ開口部を、下部には外部からの視線を遮る木製格子をはめ込んだ開口部を設けている。家の中にいてもいつも外部を感じることができる、中庭にはそんな効果があると思う。

_RSX0029.jpg

_RSX0068.jpg

2014/06/17

午前中各プロジェクト打ち合わせ。

埼玉県さいたま市の岩槻で進行中の整骨院併用住宅の現場では大工さんによる木工事が進んでいる。この現場では、土地を売っていただいた地主さんの敷地に建っていた築100年近い蔵の古材をタダでわけていただき、それを大工さんが加工して新しい軸国の中に利用している。写真にある丸太は2階の生活スペースの天井に現される予定であるが、この場所に長い間使われてきた古材が、こうしてまた何十年もの間利用されることにあったということは何とも言えない感覚を生み出してくれると思っている。

整骨院の設計にあたって施主であるKさんから要望されたことの中で最も印象に残っていることが「懐かしさを感じるような場にしてほしい」ということであった。「懐かしさ」とか「あたたかさ」というようなことってみんなが望んでいることだと思うのだけれど、新築で出来上がった時に、あたたかさのほうは表現できるとしても、懐かしさを感じるということは実はとても難しいことである。それは僕たちが懐かしいと感じる素材や形態を作り出してみたり、そういう雰囲気の色を作り出してみたりの総合的な操作によって生み出されるわけだけれど、今回のように構造材の持つ本当の時間というのはとても大きな要素になってくれると思うのである。

もちろんこの材料を使ったからすべて良しというわけではない。これからの仕上げの過程を慎重に進めていきたいと考えている。

IMG_1718.jpg

2014/06/15

日曜日。今日はとてもお世話になった先輩のお父さんの葬儀に参加。受付のお手伝いをさせていただいたのだが、とても多くの人が若くして亡くなったお父さんに別れを告げようと駆けつけてきてくれた。最近周りの人が亡くなる機会が増えているように感じる。自分が年を取り、年長者とお付き合いをする機会が増えているのだから当たり前のことなのだが、でも人の死は悲しいものである。そして生きているうちにしっかりとやるべきことをやらなければの意思を改めて感じるのである。

2014/06/14

朝10時、埼玉県越谷市にて新築住宅の建設を検討しているUさんご家族打ち合わせ。ご実家の敷地の一角に離れのような形での住宅を作りたいというお話なのだが、プランなどの前に敷地の利用の方法について若干の検討が必要そうである。

このように一つの大きな土地の一角に新しい建物を作る場合には、通常その計画地をもともとの大きな敷地から分筆してしまうという手法をとることが多い。もちろん新しい土地が2mの接道要件を満たすことが前提なのだが、これが何の問題もなくできれば、新たな土地に普通に新築住宅を作るという計画になるので最も容易に確認申請をとることができる。そのほかにも離れとしてつくる場合や、増築として作る場合などがあるが、母屋がとても古かったり、違法建築だったりする場合には、許可申請で苦労することが多いので注意が必要となる。一通りの役所調査と現地調査を行えば方針は示せるであろうから、そのあとのプランに入ることにしようと考えている。

午後、裏千家の埼玉県支部青年部の会合に参加。普段やっている稽古とは異なり、こちらはいかに茶道というのもを普及させるかのための会である。ゆえに子供向けの茶道体験などの事業を行うことになる。僕は作法としての茶道の普及なんて言うものはどうでもよいと思っている。でも、いまの教育の現場で不足しているものが茶道を通して学ぶことができるとは考えている。つまりは精神的な部分である。そしてこれは僕たち「大人」にもかけてしまっているものであると思う。

日本には、生活に結びついた宗教として仏教と神道がある。でもあくまで習慣としての宗教であって、毎日念仏を唱えたりの人は僕の周りにはいない。習慣としての宗教だから、寺には墓参りか葬儀の時しか行かないし、神社には初詣の時にしか行かない。「やおろずのかみ」なんて、宮崎駿の映画の中でしか会ったこともないのである。

人が生きていくために神という存在は必要ではないか?の問いに、僕は胡散臭い宗教的なものは不要であると思うのだが、しかしながら経済などよりも優先されるべき価値観を与えてくれる指針としての神を必要とすると考えている。人にこういう価値判断基準がなくなれば、経済だけで動く世の中になる。ゆえにそこではそういう人間だけが生み出されていき、無機質で乱暴な世の中が形成されると思う。資本主義社会に生きるのであるから経済に支配されるのは仕方がないのだが、でも教育や「人間として生きる場」つまりは社会と離れた個人の暮らしの場を作る時などには経済主義的思想から離れたほうがよいのではないかの感があるのである。そういう神のごとき存在を僕は茶道に求めている。

夕方、埼玉県にて土地を購入し、住宅を建てたいというMさんご家族打ち合わせ。なんと1000万円での新築住宅をご希望であるということなのであるが、果たしてどうなることやら?これまでの経験によるコストと建築規模・仕様の関係をお話しさせていただいた。

2014/06/13

午前中プロジェクト打ち合わせ。外壁素材についての検討を行ったのだが、ますいいで外壁によく使用する素材というと「モルタル+仕上げ」の左官系か「ガルバリウム鋼板」の板金系のどちらかにすることが多い。モルタルを下地としたリシン吹付や左官仕上げの場合は、風合いをとても柔らかく仕上げることができる。対して、ガルバリウム鋼板の場合では、箱形のシンプルなデザインに適した材料といえる。

外壁というとメンテナンスの話が気になるところではあるが、ガルバリウムの場合には割れなどの心配がなく、しかも非常にさびにくい素材であるために、メンテナンスに関しては非常に優れた素材であるといえる。薄い板金であるがゆえに遮音性能や断熱性能には弱いので、下地に石膏ボードなどある程度重量のあるものを使用するなどの工夫は必要なのだが、そういった工夫をしっかりと行えばモルタルと比較しても同程度の性能に持ってくことができる。

もちろんほかの素材を使用することもある。アルミパネルなどのその他の金属、窯業系やセメント系のサイディング、ガラスパネル、などなど挙げてみればきりがないのだが、こういった素材はよほどの性能・デザイン的要求がある場合であって、やはり基本的には性能とコストの優れたバランスから上記の2例に落ち着くことが多いのである。

IMG_0349.jpg

2014/06/11

午前中、埼玉県川口市にて住宅の建築を検討されているSさん打ち合わせ。

夕方より第3回ますいい建築研修会。ル・コルビジェ、ルイス・カーンと続いてきたが、今日のテーマはミース・ファン・デル・ローエ。参加者それぞれに一つの建築を選んで、その建築についてのプレゼンをするという単純な勉強会なのだが、普段やっている現実の仕事をしばし離れて、すでに歴史となった建築について話をするというのはとても良い機会である。約2時間ほどの至極の時間であった。

140611_ミース.jpg

2014/06/09

朝礼終了後各プロジェクト打ち合わせ。

もう6月である。最近の長雨はまるで「雨季」とも呼べるような状況である。これまでも梅雨という気象状況はあったのだがこれほどまでにひどい状況ではなかったような気がする。会社のほうは4月に行われた消費税の増税のばたばた感がだいぶなくなってきて、これまでと同じように仕事が進むようになってきた。とにかく落ち着いてきた。僕は落ち着いて家づくりをしたいから、この状況、つまり普通の状況が好きだ。大体において需要が突然増えても、それに対応できるような家づくりの手法をとっているわけではない。

ニュースなどを見ているとハウスメーカーの月間売上前年同月比が数か月連続でマイナス数十%というひどい状態が続いているようである。特に高級志向の強いメーカーがひどいようだ。対策として取られているローン減税などは、住宅ローンを組む人のための政策だから、現金のある富裕層向けメーカーにはあまり関係がないのであろう。分譲住宅のほうは年収500万円程度以下の人に対する住まい給付金などの対策が効いているようでそれほど下がってはいないようであるが、これもきっと時間の問題だと思う。そもそも、人口が減っている中で住宅の需要など下がって当然なのであり、なのにいまだに住宅産業を国内景気の起爆剤として利用しようとすること自体に無理があるのだと思う。

確かに麻生大臣の言うとおり、住宅を誰かが購入すれば家具も買うし、カーテン・TV・エアコンなどなどさまざまなものを買う。ゆえに経済は動く。でもここは日本、アメリカではない。無尽蔵に人が増え続ける国、いや増やし続けている国ではないのである。

今の日本の職人さんたちはこういう経済動向にとても左右されている。大工さんにしても左官屋さんにしても、みんな経済が動くと忙しくなる。ちょっとの間だけ感謝されて、引っ張りだこの状態になる。でも、その状態が終わるといつもの通り。でもそれでよいのであろうか。

僕たちの世代も、そして今の若者もそうであろうが、高校を出て大学に進学、これが当たり前の人生のコースとして生きている。大学に行かずに働くなど、出来損ないかのごとく扱われる。でも本当にそうだろうか?もしもなんの目的を持たずに大学を出ても、就職活動は容易ではない。でもそういう学生は実際にたくさんいる。

子供たちにとって大工さんは人気の職業であることは間違いないのに、なぜか大学を出て大工さんになる人はいない。(ますいいには東京工業大学を出て大工を目指す若者が一人いるけど・・・)教育の過程で大工さんという選択肢はいつの間にかなくなってしまう。仕事に対する誇りと一定のの収入が得られれば大工さんとはとても良い職業であると思うし、現に大工さんになった人はそれに対する誇りや収入を得ることができているとも思う。こういうことはもっと伝えなければならない。

大工さんになろうという人、つまり物を作ろうという意欲と、その職業に対する誇りと、それに見合った収入という社会の仕組みがなくなれば、良いものを作ることができるという日本の社会を維持することはできない。住宅産業は、何年かすると産業と呼ばれるようなものではなくなると思う。だって僕たちは100年くらい使えそうなものを作っているのである。しかも人口は減る。空き家も増える。住宅は「産業」というような大きなものから、より趣味性の高い小さなモノづくりの世界に戻ることになるだろう。その時に実際にモノをつくる人々、この人こそが職人さんなのである。

2014/06/08

日曜日。朝6時過ぎに部活に行く息子を学校まで送ったついでに、畑の様子を見に行く。雨が続いているのでどうなっているかと心配だったが、レタスの芽も出て来たし、大葉や枝豆などは結構大きく育ってきており、大方順調に進んでくれているようであった。トウモロコシだけは風で倒されてしまっていたので、杭を立ててロープで縛り倒れないように補強した。じゃがいもは来月の収穫に向けて土の中で次第に大きくなっているようだ。先週植えたさつまいもは寝ていた苗が起き上がっている。今は大葉くらいしか収穫することができないけれど、ほかの野菜の収穫時期が今から楽しみである。

帰宅後は先日娘に買ってあげた宇宙の本を一緒に読んだり、猫と遊んだりのだらだらとした一日を過ごした。夕食はなんでもありの多国籍料理、失敗。やはり料理にも秩序は必要だった・・・。

2014/06/07

午前中、東京都練馬区にて住宅の建て替えを検討されているHさん打ち合わせ。3か月ぶりの顔合わせとなったので、仕切り直してもう一度住宅に対するご要望をうかがった。これからじっくりと基本設計を進めていくこととなるであろう。

15時、埼玉県富士見市で新築住宅の建設を検討されているTさんご夫妻打ち合わせ。今回は1回目のプレゼンテーションということで二つのプランをご提案させていただいた。以前の日記にも記載したが、この敷地は隣接する道路と2mほどの段差を抱えている。そのためにこの模型写真の面の反対側はとても開けている。この開放感を写真の道路側からの生活動線の中で感じることができるよう、正面にある玄関を入った場所を通土間のような開放的な多目的空間とし、そこからまっすぐに斜面を見渡せるような設計とした。次回以降の変化が楽しみである。

P1010898.jpg

夕方、先日結婚した鈴木君のお祝いパーティーを開催。披露宴には参加することができなかった社員と職人さんたちで和やかにお祝いをした。ますいい始まって以来の新婚さんである。とにかく幸せな家庭を作ってほしいと願うばかりだ。

2014-06-07 20.21.49.jpg

2014/06/06

今日は朝から埼玉県さいたま市にてこれから工事を始めるTさんの家の地鎮祭に参加。9時過ぎに現場に着くとすでに先に来ていた鈴木君と森脇君がテントを張って準備を進めている。今日の地鎮祭を担当してくれる神主さんもすでに祭壇などのセットを終えているところであった。

天候はあいにくの雨、しかも天気予報では激しい雨になるかもしれないということである。西日本で豪雨をもたらした雨雲がちょうど東日本に来ているのだからどうしようもない。10時過ぎ、いよいよ地鎮祭開始という時になると、なんだか天候も見方をしてくれているようで急に小雨になってきた。これくらいなら逆に雨音の静寂の中で式を執り行うことが出来て良いかもしれないと思える程度の小雨である。まあ良しとしなければいけない。

参加者はクライアントご家族と、ご主人のご両親がいらしている。住宅という家族のベースをつくる最初のひととき、地鎮祭にはなんともいえない暖かさと決意のようなものがある。上棟式でお酒を呑みながらすごすひと時も良いが、どっちかひとつだけといわれたらやっぱりすべての始まりである地鎮祭を執り行うべきなんだろう。

日本人にとって神事などというもの、すでに初詣しかなじみはない。子供の七五三だって子供がいなければ関係ない。結婚式だってほとんどチャペルである。お葬式はお坊さんにお願いする。つまり神主さんなどまず会うことはない。でも地鎮祭の時だけは、お坊さんを呼ばないし、神父さんも来ないし、やっぱり神主さんにお願いする風習が僕たちの中に残っている。
きっとこれは山や樹木、大地や海に神様が宿るという土着信仰なるものが、神道のような原始宗教にしかないものだからであろう。でもこの信仰形式こそが建築という行為にあっているのである。その土地でしか作ることのできない形を探し、その土地にあった建築をその土地で造るという建築という行為に最も近い信仰形式なのである。だから僕はなんとなく地鎮祭が好きなのである。

RIMG0327.jpg

2014/06/05

午前中事務所にて打ち合わせ。

14時、埼玉県さいたま市にある古い建築の安全確認など。

以前の日記にも書いたことがあるのだけれど、日本の人口は減少傾向にあるわけだから、現在すでに問題になっている空き家の問題は今後ますます大きくなっていくことが予想される。空き家が出来てしまう理由は様々で、相続したけど使わないからそのままにしている例や、引越ししたけど貸すことも出来ないのでそのままにしている等が多い。壊して更地にすれば税金が増えてしまうというのも理由のひとつであろう。東京圏の空き家は、1963年には約12万戸だったが、2008年にはおよそ15倍の約186万戸に増加。一方、空き家率は、1963年の2.6%から1998年には10.9%まで上昇している。

犯罪・火災など大きな社会問題化してくることが予想されるこの問題ではあるがきっと人々の生活にも大きな変化が現れることになると思う。これまでは小さな土地を購入してそこに小さな家を作ることが人生の一大事業だったものが、人口が減り、土地に対する需要が減少するわけだからこれまで一番高かった土地の価格も下がって、家を持つこと自体が容易になる時代が来ることが予想される。もちろんこの考え方は一部の都心地域には当てはまらないわけだけれど、僕が住宅を建築している郊外の住宅地には当てはまる話だと思う。

集合住宅も大きな問題を抱えている。平成24年末の時点では、日本全国にあるマンションは589万7000戸、そのうち、築年数が30年を越す、昭和58年までに建てられたマンションは128万7000戸ある。これが今後もどんどん増え続けるわけだけれど、建て替えの合意形成などそうそうできるはずもなく、そのまま放置されて住む人が少なくなっての負のスパイラルを食い止めることはとても難しそうだ。何もしない地主さんが建物さえ建てれば収入を得ることができた時代は終わってしまうことは目に見えているし、例えばあちこちに建つ大量の超高層マンションの30年後の姿を予想するとちょっと恐ろしい。

人口が増えていた時代には集約化された集合住宅が夢の産物であった。限られた敷地に高層化された建築を造りそこにこれまでの何十倍もの人が暮らすことができるようにすることは都市計画の必須作業であった。しかし今は違う。そろそろ日本の土地の使い方について大きく見直す時期に来ているような気がする。そのひとつの方向性にあるのが地域農業の再生であるような気がするのである。

2014/06/03

午前中プロジェクト打ち合わせ。

打ち合わせ中、住宅の床の話になった。床の仕上げ材料には、無垢材を使用することが多いのであるが、他にはカーペット、タイル、サイザル麻、畳、などの材料を使用することもある。時にはラワン合板などのローコスト仕様を採ることもあるわけだけれど、コスト的な理由が強く存在しない限り最もお勧めできる材料はやっぱり無垢の木である。

日本人は住宅の内部で靴を脱ぐ。僕なんか、ホテルの中でもカーペットの上を靴のまま歩くことには抵抗感があって、入り口を入ったところのあたりに見つけたなんとなくの境界線で靴を脱ぐルールを自分の中でつくってしまうし、もしも何人かで泊まるときにそれを守ってくれない人がいるとさりげなくスリッパを差し出して靴を脱がせたりしてしまう。アメリカのホームドラマなどを見ていると靴のままソファーで寝そべっている姿を見かけるけれど、土足でソファーなんて僕にはとても信じられない。ホテルの話はもしかしたら僕が特別なのかもしれないけれど、日本人で家の中に土足ではいる人はいない。みんな靴下かはだしで家の中を歩いているのである。

はだしで歩く日本人には、カーペットなどの汗を吸収してしまったあとのことがよくわからない代物よりも、やっぱり無垢の木のほうが気持ちが良いし、汚れなどの問題があるにしてもできれば塗装は、柿渋とか浸透性のオイルフィニッシュ程度で抑えておきたいところである。そうすれば木の床は心地よく水分を吸収してくれるし、それを放出もしてくれる。特に杉や松の針葉樹の木は気持ちが良い。何しろ柔らかいのである。これは実際に比較してみれば明確なのだが、ナラ等の広葉樹の床材は爪で引っかくことは出来ないけれど、杉や松だったら爪で十分傷を付けられる。逆に言えば傷がつきやすいということなのだけれど、その傷がある状況を「風合い」と判断できるような厚手の材料を使用することで、気にせず利用できるようになる。柔らかい杉を床に使用するという文化もまた素足で家の中を歩くという日本人ならではの文化なのであろう。

DSC_0046.jpg
古河の家(柿渋を塗装した杉板の床)

2014/06/02

午前中は事務所にて各プロジェクト打ち合わせ。

午後、森脇君が担当している東京都中野区のKさんの家のスタディー。実家の隣の小さな土地を購入して、小さな家を建てるという計画である。敷地は北側を公園に面し、東西と南側はほぼ塞がれている。限られた広さしかない土地に如何に開放感のあるプランを作り上げるか、かといって全体は一室空間のようになっているのではなく、ある程度のスペースごとに仕切ることが出来る効率性を兼ね備えたい、夫婦共働きの中での家事の利便性を兼ね備えたい、夫は掘りごたつで晩酌をしたくて奥様は椅子に座って家事がしやすいように、このような様々な要望にこたえることが求められている。今回で3回目のプラン変更である。だいぶ要望に近づいてきているが、今回から新たにロフトなる要素が加わったことでまた新しい展開が起きるかもしれない。まだまだ初期の設計段階だけに、可能性を探りながら進めていきたい。

夜、大工さんの田村さんを囲んでのますいい大工の会開催。現場での様々な事柄に対する大工さんならではの意見を伺いながら、どのような改善策があるかの相談を行った。大工さん目線での指摘事項は当然現場の運営などに寄った事柄が多い。材料の手配、図面の作図方法、トイレの問題などなど1時間ほどの話し合いの上終了。参加してくれた田村さんには感謝である。

2014/06/01

日曜日。今日は家族と一緒に畑作業。この時期に植える定番といえばサツマイモである。春にほうれん草を採ったスペースを耕し、ちょうど10株分のサツマイモのスペースを作る。30度をこえる暑さの中での作業はさすがに堪えるけれど、たいした広さではないので1時間ほどで準備も完了した。サツマイモの苗は、10本一束で売っていた。葉っぱのついた20センチほどの茎の束なのだが、こんなものを植えるだけで数ヵ月後にはさつまいもになるということだけとってみても小さな驚きである。

ジャガイモの葉やほうれん草など自分で育てているものについては、見ただけで何の種類であるかの判断が出来るようになった。畑仕事をしていれば、野菜の見分けがつくことなど特別なことではないのだけれど、でもまだ育てていないものについてはまったく知識がないということに気がつかされるのも事実である。僕の頭の中にはスーパーマーケットにある野菜の姿しかないのだから当然である。

そしてもうひとつ、自分で野菜を育ててみると農薬のことについても考えさせられる。僕は今のところ農薬を使わずに唐辛子スプレーなどの類で虫除けをしながら野菜を育てているのだけれど、ほうれん草を家に持って帰ってみたら大きな青虫がひょこっと顔を出すことも珍しくない。自分が育てた野菜の時には虫がおいしく食べるのだからと前向きに考えるようにしているけれど、同じ人間の僕がスーパーマーケットに行ったとして、お店の中に青虫大量発生!!なんていう場面はやっぱり嫌だ。たぶんそのお店には僕は二度と行かないと思う。消費者はわがままなのだ。商品として生産されている野菜は、やはりその姿かたちもとても重要な要素であり、さらに言えばせっかく育てた野菜が病気の被害でだめになれば農家にとっては死活問題なのであるから、農薬を使用することが至極当然の手段といえるのであろう。もしかしたら自分の食べる野菜を自分で育てるという場面においてくらいしか、農薬を使用しないという贅沢など出来ないのかもしれない。でもこの贅沢、実は当たり前に目の前にある、つまりは誰でも手に入れることの出来る贅沢であるような気がするのである。

page top