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増井真也日記

2014年2月アーカイブ

2014/02/27

僕達がニューヨークに行っている間に降った雪の被害が、建築の現場にも起きている。その中でも、ますいいの仕事にとって最も影響が大きいものはキッチンである。なんと最大手のリクシルさんの工場が雪の被害で壊れてしまったのである。生産のラインが停止してしまったことにより、納品の見通しはいまだ不明、結果3月中に引渡しをすることが出来る予定であった住宅の工期も延ばさざるを得ないことになってしまった。不可抗力とはいえ・・・、なんともいえない心境である。

そういえばニューヨークから返ってきた日にスーパーマーケットに買い物に行ったら、野菜や魚などの在庫がなさそうな商品たちがまったく棚に陳列されていない状態に驚いたことを覚えている。いつもあるはずのキャベツやレタスがまったく並んでいない様子は、ちょっと異様な感じがするものだ。もちろん収穫や物流が停止してしまったことによるものなのだが、2011年の震災のときにも感じたこと、つまり僕達の生活や業態がある一つの予想外の出来事によっていとも簡単に崩れ去ってしまうということを再確認させられたような気がした。

2014/02/25

夕方、地元の仲間と一緒に厄払いに参加。僕も今年で40歳ということで、前厄と呼ばれる年になったらしい。この仕事を始めた22歳から数えるとなんと18年もたってしまった。人生も折り返し地点といったところである。

そういえば村上春樹が40歳になる前に海外で暮らしてみたいということで、数年間ヨーロッパの国で暮らしたというような話をどこかの本に書いていた。僕は今、建築家兼農家という暮らし方にとても興味があるわけだけれど、これもまたそんなことを考える年になったということなのかもしれない。30歳のときにも30歳までにやっておきたいことというようなことを考えていたわけだし、40歳になるにあたって同じようなことを考えるのはこれまた自然な思考なのだと思う。

2014/02/20

朝10時、設計主任の鈴木君と東京都豊島区にあるH寺に現場調査に出かける。ここは鬼子母神があることで有名なエリアだけれど、なかなか風情があって良い場所だ。あれだけごちゃごちゃした池袋駅から歩いて数分の場所とは思えないようなところである。

僕は中学生から大学生にいたる10年間を早稲田の地で過ごしたのだけれど、家のある川口市に帰る途中で、高田馬場から池袋まで歩くことが大好きだった。そしてその時、途中にこの鬼子母神に寄って散歩したのを覚えている。大学生のときは彼女が一緒だったような気がする。そういうシチュエーションでも十分に魅力的な場所だと思う。まあ部活が山岳部というマニアックな部活に入るくらいだったので、基本的に歩くことが好きだったのであるが、特にこういう穴場のようなところを探しては散策することが僕の楽しみであったのだ。

H寺ではまず手始めに藤棚の改修工事と和室の改修工事を手がける予定である。このなかでも藤棚のほうは藤の木が鉄の柱に複雑にからまってしまっているので、なかなか難しい工事である。もちろん藤の木を新しくしてしまえばこんなに簡単なことはないのだろうけれど、でもやっぱりこういう古いものを大切にすることは、お寺だからこそ大切なことでもあると思うわけだ。

そもそも、僕が何で鬼子母神なんていうところをよく散歩していたか?この理由を考えてみれば、この藤棚の工事の大切さもわかるというものである。もしも鬼子母神を中心とする古い商店街の町並みなどが、すべて東京音楽大学のように新しい建築となってしまったら、もしも鬼子母神を中心とするお寺や神社がすべて現代的な新しいスタイルのお寺になってしまったら、もしも道端で猫を抱いているおばあちゃん達の姿が見れない町に変わってしまったら、果たして東京にある穴場として多くの人が訪れる状況を維持することが出来るであろうか。答えは明白である。

あわただしい日常の中で、ちょっと気を休めたいときに、いつも変わらぬ風景がある、いつも変わらぬ人情がある、そしてお寺や神社という信仰の場がある、だからこそここは今でも東京の穴場なのである。今回の藤棚も、小さいけれどその構成要素のひとつである。こういう仕事に携わることが出来ること、これも僕のひとつの夢であった。真剣に考えていきたいと思っている。

2014/02/19

今日は、地元川口市のSさんと一緒に農地見学へ。農地といってもそれほど田舎に行ったのではなく、Sさんが所有する物件の見学ということで、川口市の北側に位置するさいたま市の岩槻や越谷市といった近郊の農地である。いわゆる農家というのは、もともと農業を営む人たちに対する呼称なのだが、さて、改めて農家になろうとするととても高いハードルがあるのである。その中でも一番高いハードルが農地を5反以上所有し、実際に耕作をしていなければならないというものである。5反というと、1反が約300坪であるので1500坪ということなのだが、例えば岩槻あたりの農地の売却単価が坪当たり4万円程度というから大変だ。さすがに収益性の低い農業を営む為に初期投資として土地の購入費用で6000万円も必要となれば、誰も実際に購入しようとする人はいないであろう。(もちろんこの金額が適正かどうかという判断は慎重にしなければならないが・・・。)

僕は普通の人が家を建てるお金くらいの範囲で、農家になりたいと考えている。この総予算が5000万円とすれば、家を建てるのに2000万円くらいは必要だから、3000万円くらいが農地の購入費用となるわけだ。世界の人口が増え続ける現代社会において、食糧問題は必ず危機に瀕する状況になると思う。でも日本の自給率はわずか40%しかないわけなので、国内生産を増やすことが急務になることは目に見えている。さらに、日本の人口は減少する。50年後には8000万人になるということが予想される中、これまで、所有する土地にアパートなどを造ればその家賃収入で生活が出来たという都市農家の幻想は崩れると考えられる。さらに、ネット社会の進化により、必ずしも毎日会社に行かなくとも、仕事が出来る環境は整いつつある。このような状況の中、私たちの生活スタイルも、ちょっと変わらなければいけないのではないかの感を感じざるを得ないのである。ちょっと田舎で、農家をやりながら、そして仕事をする。そう、昔習った兼業農家、三ちゃん農業の姿をもう一度やってみても良いのではないかと思うのである。

実際に岩槻あたりの農地を見ていると、なんちゃって農地がたくさんあることに気がつく。要するに、農地として機能していないのである。何も栽培していないのに、うねだけが造られていたり、高さ1mくらいに切られてしまった梅の木が5本だけ植えられていたり・・・。何でこんな農地があるかといえば、農家という称号を、農地を放棄すると剥奪されてしまう制度があるがために、それを避ける目的だけでなんとなく農家をやっているふりをするためということである。

もちろんまじめに農家をやっている人もいるわけだが、多くの地主さんの興味はいまだに調整が外れて建物が建てられるようになったときに得られる莫大な利ざやのことなのである。いつかくるその日のために、農家の称号を維持し、農地を確保し・・・、そんな姿が現代の都市農業の実態だということを知った。幻想は一度人の心に住みつけば、なかなかはがれることはない。でも、きっとこの国には、開発一辺倒の波はもう来ないであろうから、やっぱり僕達の考え方や生活の仕方を変えていななければならないと思う。次は農業委員会に話を聞きに行ってみよう。もう少し詳しい話が聞けることであろう。

2014/02/18

12時ごろ帰国。そのまま事務所に向かう。一日長引いてしまったので、スタッフのテンションも低い。きっとやるはずだった仕事を進める算段をしているのであろう。今回の社員研修は、田村君の「ニューヨークに行きたい」という一言に始まった。現場管理などの関係で、全員は連れて行くことは出来なかったが大変良い機会であったと思っている。何年先になるかわからないが、また実現させたいと思う。

帰国後、日本も大雪であったことを聞いた。いまだに孤立している状態の方々もたくさんいるという。私が知る限りこんなことは経験したことがないが、竜巻やら、地震やらの災害のたびにこんなことをいっているような気がする。

14時ごろ帰社。事務所にてたまった書類などの処理をおこなう。

2014/02/17

帰国。飛行機の中にてこの日記を書いている。

物価について。
マンハッタンの物価はとても高い。 ビールが8ドル、ハンバーガーは12ドルくらいで、支払いの際には18パーセントほどの税金と、その倍のチップを払わなければいけないので、約60パーセントも余計に払わなければならない。合計が50ドルだとしたら、それが80ドル≒1万円になるのだからたまらない。感覚的に言うと、日本で同程度のものを食べるのにかかる費用の倍くらい取られているイメージといったところである。現地の人に話を聞くと、やはり日常の中で利用するファミリーレストランの様なところでは、ビールが5ドル、ハンバーガーも8ドル程度で食せるということであるので、マンハッタン中心部の観光スポットだけが特別であることは確かであるわけだが、そのことを考慮したとしても、バブルの崩壊以来、長い期間のデフレを経験した日本という国の相対的な経済力の低下というものを感じざるを得ないところであった。

階段工事
街中の階段工事の様子が面白かった。マンハッタンの街にはこのように中2階のようなところまで外部階段であがる住宅がたくさんある。その階段を造っているのである。下地はコンクリートブロック、段板は既製品のコンクリート製品を利用している。こんな既製品があるというのもちょっと面白い。そしてこの形式はリビングを2階に配置した日本の住宅でも利用できるかもしれない。

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2014/02/16

帰国しようとするも、United Air Rineキャンセルにより、一日延泊決定となった。メカニカルトラブルということである。同日の代わりのチケットも完売ということで、あきらめるしかない。ニュージャージー州にある空港の近所のホテルを予約してもらい、そこで一日を過ごすことになった。やることは特にない。周りには何にもないのだ。こんな日は食べて寝るだけである。

2014/02/15

今日は、昨日行くことができなかった街並みを見ることにした。まずは、SOHO地区へ。8:00頃到着するも、眠らないこの街の朝はとても遅いようで、どの店も10:00頃までは開く様子がない。隣のノリータ地区に移動すると、手頃なDELIを見つけたのでそこで朝食をとることにした。ここには、ゴットファーザーの撮影が行われたお店があるという。いわゆるリトルイタリアと呼ばれる街である。すぐ隣がリトルチャイナなのだが、今ではまざり合っていて明確な区別はなくなっているようであった。ちなみにSOHO地区では、高級ブティック街となっている。日本で言うところの銀座というところであろうか。ここにあった画廊などは、今では隣にあるチェルシー地区に総移動したというから、かなり計画的に街の再開発が行われているようである。

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廃線を利用したハイラインの始まりの地点にホイットニー美術館を移設し、そのまわりにあるチェルシー地区の倉庫や食肉工場の跡地を利用して、画廊やら雑貨店を出店させるというアートを切り口にした街づくりの動きには興味を惹かれた。SOHOも、もともとはそういうところであったらしい。少なくとも僕が持っていたSOHOに対するイメージはそうであったし、それが高級ブティック街に変化したということは、一応は成長ということになるのだと思う。


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SOHO、チェルシー、イーストヴィレッジ、ノリータの街を見ていても、特に感動するようなことはない。その多くは、すでにどこかで目にしたことがあるものであり、再開発の様子も今ではすでに世界中で利用されている常套手段といったところであろう。

タクシーをひろって一路グッケンハイムに向かった。ここは、フランクロイドライトが設計をした美術館で、うずまき型の通路がとても印象的な建物だ。運悪く工事をしていて、この通路を歩くことはできなかったけれど、下から見上げた写真を撮ることは許された。


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夜は、ハーレムへ。ジャズを聴くためである。まずは、Soul hoodなる黒人料理をだしてくれるレストランへ。メニューは、ポテトサラダ、フライドチキン、スペアリブ、カラードグリーン、ライス、コーンブレッドといったところであったか。ビールは、sugar hillだったと思う。

ソウルフードについて詳しく語ることはしないが、要するに厳しい環境におかれていた黒人たちが、骨のついた肉という価値の低いものを、安全に美味しく食べるために工夫した料理だったり、硬くて生のままだと食べるのが大変な野菜を、煮込むことで柔らかくしたサラダだったりといった具合であるので、ジャンクな食べ物が大好きな僕にとっては、とても美味に感じられた。地名から、その名前を付けられているSugar hillというビールも、少し甘味があってなかなかのものである。

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食後、近くにあるジャズバーへ。ピアノの代わりにキーボード、ドラムはなくてセミアコースティックギター、それにベースとサックスという取り合わせ。イーストヴィレッジにある本格的なジャズバーとは異なり、音楽好きが勝手に集まって、演奏を始めてしまうような自由なバーであった。12時頃ホテルに帰り、バーで1時間ほどマサチューセッツから来たというタイ出身の女性と、会話をして1時過ぎに部屋に戻った。

2014/02/14

バレンタイン。こっちのバレンタインは男性が女性に花を贈る習慣だそうだ。日本のチョコレートのように商業化していないと思いきや、道には花を売る黒人さんが大勢いるのである。だから、この人たちにとってはこれも立派な飯の種になっているということである。

朝7時、二日酔いの頭痛を我慢して起床。あきらめかけた思いもあったが、皆が嫌がるのに7時に決めたのが自分であったので、心を決めて部屋を出る。ここでスタッフのうち二人が離脱。土田君が起しに行くも反応がないようだ。まあ仕方がない。

まずはじめにWTC跡地へ。移動には少し距離があったので地下鉄を利用してみた。WTC跡地にはすでに槇文彦のNO4やDAVID CHILDSのNO1がその姿を見せている。慰霊碑も完成して少しずつ新しい動きを始めようとしているようではあるが、現場は依然工事中。建築の規模からするに、まだ数年間は工事を続けるのであろう。

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WTCの近くにあるDELIで朝食。卵とベーコン、ポテトのプレートを注文したがよくもまあこんなに汚らしく作れるものかと思うような代物であった。味はケチャップの味しかしない。

店を出て南に向かって歩く。目的地は自由の女神があるリバティーアイランドに向かうフェリーが出ているバッテリーパークの港である。ここから約15分で島に渡れるはずであったが、雪の影響でできているチケット売り場の大行列を見てあきらめることに。だって売り場のクリントン砦の周りにはすでに予約表を持っている人やら、Eチケットのようなものを持っている人、そして僕たちのように何にも持っていない人がとにかくたくさんいて、明らかに僕たちが一番格下の状態なのである。というわけで、次なる目的地ブルックリン橋に向けて歩みを進めると、海の向こうに自由の女神がいるではないか。これならば島に渡らなくとも十分である。

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タクシーに乗り、20分ほどで橋に到着。この橋は司馬遼太郎の「ニューヨーク散歩」でも紹介されている有名な橋である。せっかくの機会ということで、歩いてブルックリン側まで渡ることにした。

ブルックリン橋は確か日本の幕末のころに作られたつり橋である。この橋には人が歩くスペースが真ん中に設置されていて、その両側を走る車を見下ろすような格好で反対側まで歩くことができるようになっている。ちなみに人が歩く部分はすべて木道である。木の角材の表面に固定のためのビスの頭が見えるので、下にある鉄骨にそのビスで止めているのであろう。普通ならコンクリートを利用しそうなところであるが、わざわざメンテナンスの必要な木のままにしているのは、おそらく構造的な理由と思われる。でも、すのこ状の木の下に車道が見えているのは、少々恐怖でもある。つり橋を支えている二つの基柱は石造である。200年近く前に作られた基柱に支えられた橋の上を歩いていると、なんとなくアメリカという国の大きさを感じざるを得ない。60数年前、これほどの国を相手に戦争をせざるを得なかった先人たちの苦悩が目に浮かぶようである。

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橋の反対側のブルックリンは、マンハッタンとうって変わって落ち着きのある街である。日本でいえば代官山か中目黒か。最近ではSOHOあたりから多くのアーティストが移っているようで、洗練されたデザインのギャラリーやアトリエが目立つ。雪の中、営業してくれている地元の人向けっぽいレストランに入り、サラダとパンを注文した。フレッシュサラダですっきりしようと思ったのだが、たっぷりかけられてしまった濃い味のドレッシングには参った。次からはドレッシングを分けることも忘れないようにしなければいけない。

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写真は壁のみを残して解体されている建物である。この外観を維持しながら、新しいアートセンターを造るというのだ。物の価値がわかっている人が政治家や投資家にいるのであろう。そうでなければあっけなく壊されてしまうような倉庫建築である。こういうことは日本も見習うべきだ。

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ブルックリン橋を後にし、再び5番街へ。MOMAを通り過ぎ、ロックフェラーセンターに到着。1932年、大恐慌のころオープンした複合施設である。ロケッツのラインダンスで有名なラジオシティはここのバラエティ施設として開かれた。

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アールデコ様式の建物であるが、やはりそのスケールの大きさには驚く。これほどの施設を80年も前に作ってしまう国なのである。この後、クライスラービル、エンパイアステートビルという二つのアールデコ、そしてボサール様式のグランドセントラルターミナルを見たわけであるが、この国の成長への執念というか、そもそもこの国の持つ人類の想像力への挑戦という感覚をとても強く感じさせられた。この時代、建築は、エジプトのピラミッドの時代から、思想の及ぶ世界感を、思想を、権力を、夢を、すべての人間の頭の中にある欲のようなものを、万人にわかりやすく伝えることができる手段であったことは間違いない。それはローマ時代におけるコロッセオであり、カラカラ浴場のように見た人の心に畏敬の念を抱かせたであろう。アメリカはあるときからその世界を蹂躙する帝国主義のトップの地位を掴み取り、あるときまでそれを維持してきたのである。建築から軍事さらにはIT技術・金融システムという風に姿を変えながら、それでもとにかく人間という物をコントロールするシステムのトップの創造者として生き続けているように思える。

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田中マサヒロが日本の球界のもはや敵なしという状態になれば彼はアメリカに行く。その出来事ひとつをとってみてもここが世界の中心であることが明確になるわけである。そして今、同じような巨大な中心は世界中に現れている。中心が中心でなくなり、成長し続ける世界同時飽和状態のような中でどうすればよいのであろうか。

都市に生きるとは?私たち日本人にとってこれが憧れである時代は終わった。地方での一次産業を中心とした厳しい生活から逃れようと、豊かさを求めて都市に人が集中したのが日本の都市形成の始まりであろう。急激な人口増加に耐えうるため、多くの住宅が供給され、それを手に入れることが国民の夢とされ、勤勉な国民性も手伝ってか、皆がそれに倣った生き方をするようになった。数十年後、工業が世界のトップではなくなり、その代りの産業が育ち、そして多様化が始まった。現代、ひとたび集中した人々が、都市の中で思ったように生きていくことができない事実がある。一時必要に応じて集まった力を、どこに吐き出してよいのかわからない鬱憤のようなものを感じるのである。僕たちはそろそろそういうことに対して新しい動きを始めたほうが良いような気がするのである。ニューヨークの大都市を見ていると日本もまだまだ成長できる余地はあるようにも思える。でもこの町でぶらぶらしている、いったい何をしているのかわからないような人を見ていると、それもかなりたくさんのそういう人を見ていると、おそらくそういう人はこの土地機能の維持のために働いているのであろうが、この状態をこれ以上拡大させる先に明るい未来は無いようにも思えるのである。

5番街、32通りのあたりでみんなと別れ、一人ホテルへ向かう。ためしに歩いて行ってみることにしたが、ニューヨーカーは歩くスピードが速いというのは本当らしい。しかも僕よりも背の低い女性が、まるで小走りくらいのスピードで移動するのである。ホテルまで約50分のウォーキング。ブロードウェイ、マディソンスクエアなどのにぎやかな所を通り抜けてようやくホテルに到着した。夜は19:00頃。旅行会社のスタッフの方に進められた、イタリア料理店にて食事をとる。とんでもない大皿料理にびっくりするも、なかなかの美味であった。昨日、お酒を飲みすぎたので今夜はビール2本で部屋に戻った。

2014/02/13

今日から5日間社員研修でアメリカのニューヨークに出向く。夕方18時ごろ、ニューヨークの隣にあるニュージャージー州のNEW ARK空港に着く。飛行機の窓から見えるのは一面の雪景色。NYというところは都会だから雪なんか降らないのだろうと思っていたのだけれど、それは勝手な思い込みだったようである。それでもスキー場のように寒いわけではない。陽だまりにいると汗ばむようなこともある。

ホテルに着いたのが、すでに19:00頃。まだまだ街は眠る様子がない。地下鉄が24時間動き続けるようなところだから当然である。早速スタッフ全員で集まり、5番街を目指して歩いてみる。道にはまだ雪がたくさん残っているが、気温が高いためかその雪が解けてぐちゃぐちゃの水たまりになっているから大変だ。ホテルの場所が9番街、57通りだから、ここから5番街までは初めて歩く僕にとっては結構大変な距離である。あとあと分かったことだけれど、通りを1本南北に移動すると、約1分かかる。東西の通り1本移動すると、約5分かかる。だから目的地までのSTとAVENUEの数で大体の移動時間を計算することができる。ニューヨーカーは歩くのが早いというけれど、きっとこういう時間的目標設定が身についてしまっているので、それに逆らってゆっくり歩くことができなくなってしまったのかもしれない。

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街を歩いていると地下室がとても多いことに気が付く。個人が利用できる程度の大きさで、しかも入口が道端にある。そしてそれが開けっ放しになっていたりもする。こういう様子は日本では見たことがない。

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歩いていると、次第に雨が降り出してきた。傘はもっていないし、靴の中はぐしょぐしょだし、おまけに雨まで降ってきたのでは、もうどうしようもない。目指す5番街はまだまだだけど、比較的お客さんが入っているお店をセレクトして入ってみることにした。飲み物のメニューはビールとワイン、食べ物は肉料理中心の創作料理が少々とハンバーガーなどのジャンクフードしかない様である。

仕方がないので、それらの食べ物を一通り注文してビールと合わせて頂くことにした。後でわかったことだけれど、ビールとワインしかないのではなくて、どうやらメニューリストが分かれているようである。ウィスキーが欲しいと言えばほかのメニューを見せてくれるので、しっかりとお願いしたほうが良い。大国なのにそういう点はアバウトなのである。

ちなみに地下鉄の時刻表もない。電車は大体10分おきに来るのだが、いつ来るのかはわからない。でもこういうことは、それでもかまわないことである気もする。何もかもを几帳面に決めることはそれを利用する人々にとってみれば、ある面では楽なことかもしれないが、たぶんその代りに人間としての大切な何かを失っているような気もするのである。

この夜は1軒目のレストランの目の前のバーと、ホテルのバーの合計3軒のはしご酒。さすがに酔いも回ったので、12時過ぎには部屋に戻った。

2014/02/11

朝10時より東京都練馬区にて新築住宅を検討中のHさんご夫妻打ち合わせ。このプレゼンの中ではかねてより造りたいと思っていた分棟式の住宅をご提案してみた。分棟というのはリビングの部分など住宅のひとつの部位を完全に切り離して、離れのようにした案である。ダイニングキッチンがある母屋との間には、ウッドデッキの中庭を配し、その中庭を含めてひとつの住宅のように使用できるような計画としている。このようにすることで、住宅の中に日常とは異なる場が出来るとともに、それらに挟まれた中庭という半外部的な遊び空間も出来る。両側を建築に挟まれた中庭は、まるでヨーロッパの街並みにある中庭のようにプライベートな空間として暮らしの中の魅力を創造してくれることが期待できるであろう。実はこのプラン形式は今回で3回目の提案であるが、Hさんはこれまでで一番このプランを気に入ってくれたようである。普通よりもコストが余計にかかるなどの不利な点はもちろんあるのだが、そこはこちらもローコストのプロとして何とか実現させてあげたいものだ。

13時より、東京都渋谷区で狭小の住宅の建築を検討されているOさんご夫妻打ち合わせ。土地を取得したものの、段差、変形、狭小とまるで3重苦のような条件になかなか手が付かないでいる。さらにコストが厳しいときているのでなんともしがたいのであるが、でも何とかできるのではないかの希望もある。プロとして安易な発言はできないけれど、とりあえず既存の住宅を解体して、判断のしやすい状況を作ることをアドバイスした。状況判断の曖昧な中で楽観的な判断をするものと、シビアな判断をする私との両方の意見を聞いているクライアントはどうしても混乱してしまう。その状況を少しでも改善することがまずは第一歩のような気がする。

夕方の打ち合わせはお子様のインフルエンザの為延期することに。だいぶ流行しているようなので、皆様も気をつけてください。私も気をつけます。

2014/02/08

今日は一日大雪。毎年この時期には雪が降るんだけれど、今年は前もって情報が入っていたので昨年のように現場に行くこともなく、昨年のように現場からの帰り道の運転に6時間も費やすこともなく、平穏無事に雪が降るのを眺めていただけである。それにしてもテレビのニュースが雪のことばかりなのを見ると、この国の平和が身にしみてわかる。冬に雪が降る、当たり前といえば当たり前のこと。それでみんなが少しゆっくり出来るのであればそれで良いではないか、と思うのである。

14時、予定通り初めての打ち合わせのIさん来社。東京都文京区の9坪の土地に小さな家を建てたいということである。2時間ほどの打ち合わせの後、川口駅までお送りする。事務所に帰ると電車が止まっているという情報が。というわけで再度駅までお迎えに行き、まだ動いている地下鉄南北線の川口元郷駅までお送りすることに。

9坪の土地に建てた小さな家というと、思い出すのが東京の護国寺に建てた住宅である。ご覧のとおり土地の広さはほぼ9坪。小さな土地に、めいいっぱいに建つ3階建ての建築だ。

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今回の打ち合わせでIさんは出来る限るのローコストをご希望されていた。そのような場合、僕はいつも、木造住宅を構成するために必要な無垢材の構造部材を、丁寧に最低限の調整を加えながら魅力的に表現することにしている。この手法は、必要な構造を表現するのだから無駄がない。それに、無垢材は人肌にも目にも、そして香も含めてとても心地よいものである。さらに言えばセルフビルドにもとても適した造り方だ。なんといっても木の構造がむき出しになっているのである。そこにビスを打ったり、釘を打ったりの作業は誰でも行える。そういうことを多少荒っぽくやっても良いという気にしてくれるおおらかさがそこにはある。だからローコストでも豊かな建築になってくれる。

でも、都市部の準防火地域に建てる3階建ての建築は、準耐火建築にしなければいけない。この規制はもちろん防火対策なので守らなければいけないのだけれど、住宅としての魅力を自然素材や木造の構造部材を利用して引き出そうと設計する場合にはとても厄介な存在となってしまう。要するに下の写真のような作り方はできなくなってしまうのである。

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だから、僕はローコスト住宅を造る場合には準防火地域でも2階建てにロフトをつけた建築をお勧めすることにしている。2階建てであれば防火の規制は格段にゆるくなる。準防火の規制にほぼ関係のない家造りができるようになるのである。

2014/02/07

朝10時前、東京都豊島区雑司が谷にあるお寺にて、早稲田大学理工学部建築学科の先輩のWさんと待ち合わせ。Wさんのお友達のご住職さんが、お寺のメンテナンス関係のお仕事をする工務店を探されているということで、ご紹介いただくことになったのである。13年間住宅を中心に取り組んできたので、お寺の工事経験は無い。でも興味はある。だって建築にかかわるものにとって魅力を感じないわけがないのだ。何でも始めてのときはあるのだから、勉強すればなんとかなる。それに本堂の建て替えなんて、僕が生きているうちにやるかどうかなんてわからないのである。とにかく経験すること、その中できっと何かを得ることができると思う。

どうやら最初のお仕事は、さびて壊れかけている藤棚の作り替えのようだ。うーん、幹がからまった藤棚をどのように作り替えたらよいものだろうか???これは頭を悩ますところである。

打ち合わせ終了後、Wさんと一緒に近所のお蕎麦屋さんでてんぷら定食を頂く。僕の7歳年上、アメリカへの留学など様々な経験をされているようで、とても楽しいお時間を過ごさせていただいた。そのままふらふらと池袋駅まで歩く。途中には「ジュンク堂」。僕の好きなスポットだ。

この界隈は、早稲田中学・高校・大学と学んだ僕にとって、学生時代から慣れ親しんだ街並みなのだが、そんなに大きな変化を感じないのが不思議なところである。きっと成熟しきっているというか、これ以上変わりようがないといったところなのであろうが、久しぶりに行ってもまったく迷う心配がないので安心して歩くことが出来る。決してきれいとは言わないけれど、僕には青山やらの高級な街並みよりもあっているのだ。

2014/02/05

朝礼終了後、埼玉県川口市にて設計中のスタジオについての打ち合わせ。クライアントのSさんとその御家族の皆様と一緒に約2時間ほどのお話をした。今回の打ち合わせは、予算をオーバーしていたところでの減額提案について話をした。

ますいいリビングカンパニーのような設計事務所の進め方では、クライアントのご希望を伺いながらの設計を進めていくうちに、予算をオーバーしてしまうことも少なくない。住宅というのはその土地形状、用途、面積、素材、空間構成、構造形状、設備器具、断熱性能・・・など様々な要件によって必要とされる金額が変わってくるわけであるが、まずはクライアントの希望をなるべくすべて網羅した場合での設計を進め、それに要するコストを算出することが大切なことであると思う。

でも予算は限られている。だから最終的には、住宅建設のどこの部分に予算を割り当てていくかの選択をしなければならない。そしてその選択を自由に出来ることが、自由な家造りに欠かせない要件であるとも思うのである。

いわゆるメーカーの建築では、この選択をすることは出来ない。パッケージ化された建築を買う、もしそれに何かを付加するのであればオプションですよという具合になる。極端な話、僕はローコストの木製建具にしたいから山小屋に使用しているような単板ガラスでいいんですと言ったところで、アルミサッシにしてくださいと言われてしまうし、それ以上頼んだところで相手にしてもらえないであろう。場合によっては無垢材の床すら使用できない。住宅の形状に斜めは適用できないということもある。でも、僕は住宅という分野ではここまで合理化を導入する必要はないのではないかと思うのである。だって、ほとんどの人にとって住宅建築は、一生に一度きりの建築なのだ。

だから、僕は自由な家造りを大切にしている。建物の面積とか、必要とする空間を確保する為の主要構造にかかわる部分ではできるだけ妥協するべきではないし、この部分での減額はするべきではない。でも自分自身があまりこだわらないところでは、必要以上のスペックを付加する為に必要以上のお金を使う必要もないのだ。個人の自由な想いによる適材適所のコスト配分が出来るからこそ、思い思いの建築を行うことが出来る。そこに自由があるのだと思うのである。

2014/02/03

朝礼終了後、埼玉県さいたま市にて設計中の整骨院兼住宅のデザイン打ち合わせなど。

続いて埼玉県川口市にて設計中のスタジオについての考察。この建物はクライアントがバレエなどのスタジオとして使用するための建物なのだが、その用途ゆえに、柱のない広い空間が計画されている。この広い部分は、柱がない=垂直荷重を受けない空間ということで、基礎のスラブ厚さが250MMと、とても厚く設計されることになった。通常の木造住宅の基礎が150MM程度であることを考えると、まるでビルでも建てるのか?の寸法であるわけだ。なぜこんなことになってしまうのか、を考えると、結局べた基礎のスラブが地面からの反力に耐えなければいけないということが原因である。この考え、一瞬聞いただけでは意味がわからない。何で地面から力を受けなければいけないの?だって地面の上においてあるだけでしょ?僕もそう思った。

べた基礎というのはあくまで一体の箱として建物荷重を地面に伝えるという構造であるので、外周部にしか柱の垂直荷重はかからないとしても、それを建物底面全体で地面に伝達する過程で、地面からは前面に均一に反力を受けることになるのである。だからその反力に耐えうる設計にしなければ、極端な話基礎の中央部分が盛り上がってしまうことだってありうるというわけだ。

でも、木造平屋建ての建物の基礎がこんな値段??いくら高低差のある土地で難しい基礎工事だからって、いくら広い面積の部屋を作ったからって高すぎる、の疑問がぬぐえない。どうしても納得がいかないのである。構造化とのやり取りはまるでけんか腰。でもけんかをしても始まらない、なぜおかしさを感じるのか、そしておかしさを感じる原因を取り除く方法を考えなければ、何も始まらないのである。

そこで、今回は布基礎、つまり外周部のみに基礎を作る方法で設計を進めるように変更することにした。そもそも箱型の基礎の底面全体で反力を受けようとするからこんなことになるのである。内部に柱がないのだから、外周部だけに基礎を作れば良いではないか。昔の建物はみんなそうだ。いつの頃からかべた基礎の設計が常套手段となり、今回の設計でもそれにとらわれていただけなのである。

問題の中央部分は念のため防湿の為のコンクリートを打つことにした。これならワイヤーメッシュに80MM程度の厚さのコンクリートで対応でき、結果基礎工事だけで数十万円もの減額を実行することが出来そうだ。構造の考え方を構造の力の流れに沿った自然の摂理に会う形に少し変えることで、これだけの減額が出来たのだからこれは満足の行く結果である。構造家を信じることはもちろん大切であるが、僕達建築家の職能の中では、やっぱり直感的な自然の形に沿った合理的なデザインとは何かの探求は常に行わなければいけないのだ。

「創造は人間を通して絶え間なく働きかける。
しかし人間は創造しない。発見する。
新しい作品のための支えとして自然の諸法則を探求する人々は創造主とともに制作する。
模倣する人々は創造主とともには制作しない。
それゆえ独創とは起源に帰ることである。」
A.GAUDI

僕の好きな言葉である。

2014/02/01

午前中は各プロジェクトの打ち合わせ。

14時より、埼玉県さいたま市にて設計中のTさんの家の打ち合わせ。今日は御夫婦そろってのご来社だったのだが、前回に引き続き外観のデザインイメージについて、パースや模型などを利用しながらのご説明をすることになった。

この住宅は、前々から僕の日記に登場しているが、いわゆるワンルーム方のプランを持つ2階リビングの住宅である。玄関を入ると、そのまままっすぐ進んで中2階のギャラリースペースに登る。そして折り返しの階段をのぼると、リビングダイニングキッチンのあるスペースに到達する。

このような2階リビングの住宅では、地上とリビングをどのようにつなげるかということがひとつの課題となる。普段一番活動している地上と、家の中で一番いる場所であるリビングを完全に分離するということももちろんあるが、このつながりがうまく作れるのであればそれが建築の魅力となろう。ここでは、玄関そのものを2階にもってくるような解決策や、今回のようにギャラリースペースを介して柔らかくつなげる方法などクライアントの以降によっていくつかの工夫が考えられる。下の写真は埼玉県所沢市に造った住宅だが、建物からスーッと伸びている階段が地上と玄関をつなげる工夫となっている。

外観2-1200-200.jpg

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