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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
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増井真也日記

2013年9月アーカイブ

2013/09/29

日曜日。午前中に打ち合わせが入っているので会社に行くと、橋本君や田部井君などまるで平日のように出社している。私はといえば10時からの打ち合わせに備えて妻と一緒に事務所の掃除など。一日おきに事務所の土間を雑巾掛けしているのだが、やっぱり職場はある程度綺麗になっていたほうが良い。

10時、埼玉県草加市にて新築の住宅を建築したいというTさんご家族打ち合わせ。私はあまり詳しくないのだが、アンプとかエフェクターなどの音楽機器の製造をしている方ということで、その道では第一人者である。今回は、そのための工房兼住宅の建築を計画されている。はじめての打ち合わせだったので、家造りの流れ、特にローコスト建築の場合における考え方などを中心にお話させていただいた。

午後は、自宅で過ごす。運動会などで疲れが出たのか、妻が少々熱を出してしまった。買い物、夕食の支度などの家事を子供たちと一緒に行ったのだが、こういう作業もたまには楽しいものである。でも毎日やるのはなかなか大変だよな。

夕方から息子の健一に東京オリンピックの聖火台の図案を描いてもらっていたのだが、11時ごろ作業途中にして疲れ果ててしまった。絵を描くのが大好きなのでアルバイトをさせてあげたのだが、やっぱり新国立競技場のコンペを勝ち取ったザハの建築から連想されるような聖火台となると描くのも少々難しいようだ。パースのレクチャーをすると、なんとなく修正方法がわかったようなので、何とか完成させるまで作業を続けた。

実は川口市という所は鋳物の町として有名である。吉永小百合が主演した「キューポラのあるまち」という映画を知っている方もいると思うが、昔は町中に鋳物工場が点在していた。今でこそ工場自体は地方に移転し本社機能が残る町となっているわけだが、それでも町中に鋳物のオブジェなどが点在し、いくつかの工場もいまだに操業していたりするので、面影はなんとなくだけど残っている。ちなみに前回の東京オリンピックのときの聖火台は川口市の鋳物屋さんで作られたものである。だから次の聖火台も川口市で作りたい、というのが今回のプロジェクト。私もその計画のほんの一部を担っているというわけである。

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2013/09/28

朝10時より埼玉県さいたま市にて住宅の建築を検討しているYさんご家族打ち合わせ。写真を拝見すると、隣の土地と段々畑状にたぶん5mくらいの段差のある土地で、東京近郊の住宅地としてはありえないような眺めの良い土地という好条件である。もちろん擁壁の作り替えなども必要になるわけだけれど、傾斜地の建築行為には必要不可欠なことだから仕方が無い。今回は初めての打ち合わせということで、家造りの流れなどについてのレクチャーをさせていただいた。

午後、子供たちの通う川口市立幸町小学校の運動会に顔を出す。会場に着くとちょうど組み体操をやっているところだった。ビルに囲まれた小さな小学校なので、グラウンドも保護者が入りきらないような小さなものなのだが、体育館から校舎の脇に付いた車の登るためのスロープの上まで、所狭しとブルーシートなどが広げられ多くの関係者が来場しているようであった。そういえば幼稚園の運動会もすごかった。撮影の席などには、プロのカメラマンかと思うような機材を持ち込んでいる親もいたのを記憶している。さすがに小学校はそこまで加熱してはいないようだったが、あくまで子供たちの会である。観戦者の親は、程々が良いのではないかと思う。私はといえば、じっくりシートを広げて観戦する余裕もないので、子供たちの座る席の後ろまで行って声をかけ、それから最後のリレーまで1時間ほど見た後に会社に戻った。

2013/09/26

事務所では9月末までの契約の準備のために契約書の確認作業が続いている。いわゆる消費税の増税にならないようにするための対策であるのだが、こういう制度を変更するときにはますいいのようなちっぽけな会社でも影響というのは出るものなのだ。とは言うもののますいいではそんなにたくさんの仕事をすることは出来ないわけで、順番にひとつずつ丁寧に作っていくことには変わりはない。

途中橋本君と打ち合わせ。設計中の物件について初期の段階から概算の見積書を作成することを指示した。初期段階の見積書というのは実際にはほとんど概算の金額を記載するだけしかできないわけだけれど、でもその概算の予算を意識して設計の手を動かすことが大切なのである。これはコストを守りながらの設計をする上でひとつの大きな指針となってくれる。コストとは、何のデザイン的な限界のない注文建築の世界で設計をする上でのひとつの大きな指針なのである。

もちろんコストのことだけを意識して設計作業をするわけではない。例えば住宅のファサードを飾る玄関扉のデザインを考えているとしよう。そこに費やすことが許されるコストはわずかに6万円。これで何をつくろうかの試行錯誤の末に、でもこんなものがあったら良いなのふつふつとわきあがる思いによって書かれたデザインの実現に要するコストが35万円!!この案を握りつぶす前にクライアントに一目見てもらおう、の末に実現した扉もある。もしこの扉を作ることを諦めていたら、・・・そうしたらもっと安価でなるべくこの扉を作ることと同じような魅力のある案を考えたであろう。要するにデザインとコストの異なる最適解のなかでの行ったり来たりの作業を、決して設計者の独りよがりになるのではなく、クライアントと一緒に行うことこそ重要なのだ。
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2013/09/25

午前中は事務所にて各プロジェクトの打ち合わせ。

午後、村上春樹「雨天炎天」読了。この本は作者の村上春樹氏がギリシャとトルコを旅した記録である。前半のギリシャの編では、ギリシャのウラノポリからアトス半島に入り、正教会(ギリシャ正教)における修道の中心地であるアトス山を周回する全4泊5日の行程について綴っている。この地は修道の為の地としていわゆる僕達にとっての普通の世界とは隔離されていて、例えば食べるものにしても、着ているものにしても、日本で言えばまるで修験僧見たいな生活をしているところである。村上氏がこういうところを「リアルワールド」と表現しているあたり、ちょっと興味深い。

中学高校と登山部に所属していて、休みのたびに山歩きの日々を送っていた僕達にもなんとなくそんな考えはあった。少しでも人の手の跡を感じない山奥へ、もちろん自分達の登山技術と相談しながら、沢登から冬山登山まで計画していた。どこまでいけるのか、おっかなびっくりの、でも真剣な挑戦だった。あれから20年以上経ち、みんながおじさんになった今、古い山小屋の跡取りになってしまった、つまり山篭りの生活を送る決心をしてしまった後輩なども現れた。確か彼はちょっと前まではサイクリングの雑誌の編集の仕事をしていたと思うのだが、彼は再び「リアルワールド」に帰ってしまったのだろうか。
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2013/09/23

朝礼終了後事務所にて雑務。

12時より埼玉県川口市にて進行中のOさんの家、上棟式に参加。式には岡山県にお住まいのご両親や、近所に住む奥様のお父さん、そして大工さんなど、総勢13名ほどが参加しており、にぎやかな宴となった。上棟式というと、昔のイメージでは棟上後に、やぐらを組んだ屋根の上から施主が餅やお金をまいている光景などが目に浮かぶ。物事にはたいていそれを作った由来とそれを管理している人がいるので少々調べてみた。祭事を管理している神社の取り決めによると、他の祭祀と同様に修祓・降神・献饌・祝詞奏上が行われれ、次に、上棟式特有の儀礼として、曳綱の儀(棟木を曳き上げる)、槌打の儀(棟木を棟に打ちつける)、 散餅銭の儀(餅や銭貨を撒く)が行われた後に、他の祭祀と同様に拝礼・撤饌・昇神・直会が行われるそうだ。

そもそも昔の建築現場といえば、人の手で丸太から角材を製材し、人の手でそれを組み上げられるように加工し、ようやくそれらの作業を終えたところではじめて現場で組み上げるのであるから、作業に携わる人にとっても、施主にとっても、この棟上というのは大きな一区切りであったのだろう。

今から10数年前に日本の木造現場ではプレカットなる軸組み構造部材の機械加工の導入がすすんだ。結果、大工さんが手作業で構造部材の加工を行うことは、機械に入らないような特殊な加工方法の場合か、絶対にて刻みにこだわるノスタルジックな大工さんの場合を除いてほとんどなくなった。ゆえに上棟作業は大工さんにとってその建築現場への乗り込み時期となり、上棟から先の作業を進めることが現代の現場における大工さんの主要作業となったのである。

そういう現実の中で、ますいいでは、この上棟式を屋根や外壁の作業がすすんでしばらくした後に行うことが多い。現代の上棟式は施主が大工さんや私たちにもてなしをしていただくという意味合いが強く、その時期がより適しているからと思うからである。上棟式をやると、大工さんは施主の顔が見えるという「当たり前のこと」に、喜んでくれる。人が人のためにやる仕事、顔が見えたほうが良いに決まっているのに、なぜか特別なことになってしまっているのだ。

現場ではすでに左官屋さんが外壁のモルタル下地のラス網を張り終えている。写真の黒い面がその様子である。内部では大工さんによる内装工事が進行中で、あともう少しで仕上げの工事に入るところだ。完了までが楽しみである。15時過ぎ、一足先に帰社。
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16時、川口市唯一のギャラリー「アトリア」にて鋳物作家さんの個展を見に行く。良く知る鋳物屋さんの森社長空の勧めであったのだが、すでに後片付けが始まっている状況であったので、いくつかの作品を拝見し挨拶だけして帰社。

夕方より、埼玉県さいたま市にて設計を進めているWさんの家の打ち合わせ。打ち合わせの時間を1時間ほど間違えてしまい、17時に事務所に戻ったもののすでに鈴木と打ち合わせの大半を終えてしまっていたようで猛省。詳細説明はすでに終わっていたので、それから1時間ほどのお時間をかけて今後の作業の進め方についての打ち合わせをさせていただいた。

2013/09/22

何もない日曜日。朝6時過ぎに事務所に行って、たまっていた書類などに目を通す。続いて日記の更新など。日曜日の朝は平日と違ってなんとなく時間がゆっくりと過ぎていくような気がする。普段だと忙しい中で目に留まらないような記事までじっくりと読んだり、深く考えたりすることができる。日曜日というだけで普段と何にも変わるはずはないのだけれど、でも大きく違う気がするのはきっと僕だけではないだろう。
10時過ぎに帰宅。遅めの朝食を済ませ、音楽を聴きながらごろごろと過ごす。
15時ごろ、妻と一緒に東京丸の内にあるコットンクラブへ。3日前の妻の誕生日のお祝いということで、今日はジャズを聞きながらの食事に出かけた。演奏するのは「ジョーイ・カルデラッツォ」率いるピアノトリオ。僕はジャズの中でもこのピアノトリオが一番好だ。基本的に音楽は落ち着きたいときに聴くことが多いので、そんな僕にとってはこのピアノの音がちょうど良いのであろう。今回は久しぶりのピアノトリオのCD「LIVE」の収録にあわせ来日したそうである。パンとチーズとオリーブオイルの軽い食事に、生の演奏のジャズを聴きながら、なんとも贅沢な時間を過ごした。


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2013/09/21

午前中は10時より埼玉県さいたま市にて設計中のTさんの家の打ち合わせ。今日は前回のフォレスト西川見学に続く4回目の打ち合わせということで、新たに二つのプランをプレゼンすることにした。提案したうちの一つは、土地の持つ軸に沿って階段を配置し、その両側に様々な機能を持たせたプランである。この土地は北側からアクセスし、敷地の一番奥で南側に対して隣接するマンションの通行用の道路に対して広く視界が開けているという珍しい土地であるので、要するに土地の南北を貫通する形で軸線が設けられているようなものなのである。その軸線を設計に生かすことは、つまり土地の持つ自然な動線と建築の動線がうまくかみ合うことにつながるので、普段の移動におけるシーンの変化と、土地の持つ魅力の変化を同時に楽しむことができるようになる。
もう一つの提案は敷地の中央部分に配置された階段棟の周辺に様々な機能を配置したというものである。こちらの提案では、ワンルーム型の広いリビングの中心に階段を配置することで、2階のリビングの回遊性を生み出すことを意識している。今回はあえてこれまでの打ち合わせとは異なる提案をしてみたのだが、もう少しこの二つの方向での設計の可能性を探してみたいと思う。
続いて14時より埼玉県ふじみ野市あたりで住宅の建築を検討されているMさんご夫妻打ち合わせ。「あたりで」というのは、まだ土地が決まっていないということである。総予算3000万円ほどでどのような土地を購入し、どのような建物を建てるかの検討をされている最中ということで、ますいいの家造りの流れについてのお話をさせていただいた。
家造りには大きくわけで4つの方法がある。
・まずはじめに建売である。これはきっと件数が最も多く、そして最も手軽な家造りであろう。なんといってもすでに出来上がっている。購入したら引っ越すだけで住むのである。
・続いてハウスメーカー。こちらは住宅展示場に行くところからはじまる家造りというところであろう。すべてを熟知しているわけではないが、各社様々な商品を販売している。鉄骨から木造、コンクリートまで様々なメーカーがあるが、そのメリットというのは大企業の信用というところであろうか。一部のローコストメーカーを除くと価格が非常に高いのが難点であろう。
・続いて設計事務所に設計を依頼する方法である。通常の設計事務所は工事費の10%ほどの設計費を支払うことで設計作業を請け負ってくれる。工事は設計が終了後に別の工事施工会社に依頼することになるためどうしても2重の経費がかかることが難点となる。もちろん大きな規模の豪邸であれば何という事はないのであろうが、通常の小住宅においてはこの負担は大きい。
・そんな中で最後の手法がますいいで行っている工務店機能を備えた設計事務所に依頼するという手法だ。この手法では、工務店経費の中に設計費も含まれているので設計料が別にかかることがない。契約自体はあくまで工事請負契約として発生し、設計作業もこれに含まれている形となる。これは設計者がそのまま工事管理業務まで継続して行うという体制の中で可能な仕組みなのだが、ある一定の規模までなら非常に有効な手法である。
現場にいつも数人の職人さんしかいないような小住宅においては設計者の行う監理と、現場監督の行う現場管理を(字が違うことにお気づきだろうか。監理は施工会社の監督が行う現場管理を、設計事務所の設計者がさらに監理すると言う意味で用いられる。)同一人物が行うことが可能であり、その方が二人の人物と二つの組織が動くよりも確実にコストが削減されるという考え方である。ますいいでは1億円以上の仕事は請け負わないのだが、その規模を一つの仕切りとしている。
大きく分けたこの4つの手法。この中でどれが一番適しているかはクライアントの志向によるであろう。まずは知るところから、というわけで2時間ほどのお話をさせていただいた。

2013/09/18

午前中は両親が住んでいた空き家に物置を増築したいというKさん打ち合わせ。なんだか最近この手の話しがほぼ同じ形で2件続いているのだが、このようなケースの場合には同じ土地に二つの建物を作ることになるのでその行為に対する役所の方針が決め手になることが多い。というのも同じ土地に倉庫などを新しく作る場合には、すでにある母屋の建築についても建築基準法に適合しているかの審査を求められる場合があるのである。この辺は非常に曖昧なところなので役所によってはまったく指摘されない場合もあれば、しっかりと現地を視察にくるような場合もある。もし視察に来るとなると、確認申請をしないで勝手に増築などを繰り返してしまっているような古い住宅の場合には適法性を示すことが難しいので、まずいことになるのである。今回のケースは母屋が建築当時のままということ、特に問題はないであろう。

14時、OZONEから派遣されたMさん来社。何でもOZONEに対する経営的なアドバイスをしてほしいということでわざわざ関西に住む営業コンサルタントの方が派遣されてきた。東京ガスの外郭団体のような非営利の企業なのかなと勝手に想像していたのだが、やはりそこは企業として最低限の利益は生み出さなければ存続し得ないということである。「まあ、それもそうか」などと納得しながら思いつくことをお話しする。そもそも住宅に関する情報をかなり客観的に評価して収集しそれを解放するというとても価値のあることをやっているわけだから、500円でも良いから入場料でも取れば良いのである。若しくはサポートサービスをやっていることをもっと広く知らしめれば良いのだ。大体の方は、OZONEがクライアントに対してどんなサービスををやっているか正確に知っている人のほうが少ないのではないだろうか。

会合を終えて、11時過ぎに帰宅。なんとなく眠くなかったので以前から読み進めてきた「村上春樹」ねじまき鳥クロニクルを読んだ。最後の100ページだったので40分ほどで最後まで読む。どんな最後かと期待しながら読み進めるも、いつの間にか物語の最後を迎えてしまった、というより最後を迎えずにぷつんと終わってしまったかの印象を受けた。かれこれ1ヶ月お付き合いした小説とお別れするのはさびしいものだ。特にこのようなストーリー性のあるようでないような、曖昧さを含んだ小説は読んでいて色々なことを想像させてくれるし、その勝手な想像をしている時間こそまさに楽しみであった。いつかまた読んでみたい。

村上春樹の作品を読む人は私の周りには少ない。わけのわからぬストーリーを嫌う人のほうが多いようだ。たしかに同じ村上でも村上龍の小説とはまったく志向が異なり、いわゆるストーリーなるものが時間の整流に逆流したり、突然スキップしたり、そしてまた戻ったりの展開や、そもそも明確なストーリーが表示されていないような場合もある。人物の名称も「ナツメグ」だの「シナモン」だのふざけた名前をつけている。普通の名前ではないのでその人物像を描くことすら出来ない。読み手にはそれらの断片的な情報から物語を構築することを求められるし、人物については描写されている範囲のことから作り上げる必要がある。だってナツメグの想像を本当にしていてはやっぱり読むことはできないのだ。

人は何か「変わらない価値」とか「こうなることが当たり前である」とか、逆に「こんなことは起こるはずはない」というようなことを信じる傾向にあるとおもう。例えば地震などに対する供えなどにしても、30年以内に起きるといわれる大地震に対してどこまで真剣にその存在を捉えるかについては人それぞれであろう。津波でもそうだし、それは天災だけではなくて日常的に起こる殺人事件や強盗などの事件についても同じであろう。とにかくニュースで見ているような出来事というのは、たとえそれが川口市の隣町の越谷市で起きた竜巻のような出来事であっても、「現実であって、自分には関係のないこと」、いわゆる対岸の火事なのである。

でも世界がそれほど人間に対して常に快適なものではないということはすでに歴史が証明している。ユダヤのホロコースト、沖縄の戦争、日本軍の中国侵略、織田信長の寺の焼き討ち、どれをとってみたところでそれは少なからず当たり前の生活を送っていた人々を困難な状況に一瞬にして陥れてしまった。私の思う村上小説は、いわゆる「一寸さきは闇」、「どうなるかはわからない、「絶対的な価値観などない」という中での断片的に切り取られた一瞬の出来事を、何とかつなげて、でも完全にはつなげることの出来ない事実として描いているものと考えている。つまりそれはまるで私たちの生きる現実世界に近い混沌としたものである。世界は水戸黄門のように単純ではないのだ。20130918.jpg

2013/09/16

月曜日。今日は台風の影響で現場作業なども軒並み休みにした。現場では大工さんたちが念のために台風養生をしてくれているが、果たして直撃の被害はいかほどであろうかとみんな心配している。昔は台風は日本列島に近づく頃には温帯低気圧になっているのが普通であったが、今では逆に日本付近の会場で発生して勢力を拡大しながら上陸するという傾向にあるようだ。昼過ぎに最も非道状況になるということだったのですべてのスタッフを事務所で待機させていたのだが、ここ川口市に関してはそれほど強い風が吹くこともなければ、雨が降ることもなかった。進路が少々来た向きにずれていったことがよかったようだ。

京都では大きな被害が出たようだ。桂川と聞くと、あの桂離宮を思い出すのだが大丈夫だったのだろうか。木造の古建築だけに洪水にあってはひとたまりもないであろう。夕方台風が通り過ぎると、まだ少しだけ風は吹いているようであるが、すがすがしい空気が町を覆いつくしている。すべての悪いものを取り払ってくれたかのようにいつっもより少しだけ視界まで良いような気がする。自然の猛威はまた自然の浄化作用とも思えるのである。

2013/09/14

午前中、埼玉県川越市にて住宅の建築を検討されているOさんうちあわせ。Oさんからは事前に下記のような問い合わせを頂いていた。ローコスト住宅の建築依頼は多いが、その際のやり取りは下記のようなものであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Oさんからの問い合わせ
増井様
はじめまして。埼玉県川越市に住むOと申します。『住まいの設計』で増井さんが設計・施行担当したお宅を拝見しました。
現在、家を建てることを検討しておりますが、気に入った土地があり購入したいと考えている段階です。その土地を購入した場合、建物にかけられる予算として、現時点では本体工事費に約1,600万円(設計料込み)を、外構工事費に約100万円を見積もっています。なお、我が家は4人家族で、延べ床面積30坪程度の家を希望しています。
このような条件で増井さんにお仕事を依頼することは可能でしょうか?予算が厳しいことは承知していますが、増井さんの記事を拝見して、お金のやりくりと自分達らしい家づくりを一緒に考えていただけると思いメールしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の返信
O様
おはようございます。
お返事が遅くなり、2回もお問い合わせをいただきまして大変申し訳ございませんでした。
さて、1回目のメールのほうの文章を拝見しながらお返事を書かせていただきます。

1600万円で30坪となりますと、家の作り方で相当の工夫をしないと難しいことは確かですね。
今ますいいでは、1500万円で30坪の診療所兼住宅とか、1000万円で18坪の住宅とか、
そんなローコスト住宅を作っていますが、それらの建物には一つの共通したルールがあります。
(地盤改良が必要な場合その費用は別に考えてくださいね。)

・シンプルな構造を作ることを目指す。
・・・・複雑な建築ではそれだけで単価が上がってしまいます。
・仕上げはセルフビルドで。
・・・・自分でできることは自分でやるという考えで、人件費を削減します。
    その結果、ローコストでは使用しにくい自然素材などを使い、住みながら自由なアレンジが可能になります。
・高い設備は使わない。
・・・・設備は一番初めにリフォームするものです。複雑な機能は取り除きシンプルで最低限の設備を設置します。

こういう方針を取り入れることで、無駄のないローコストの建築を作ることが可能です。
それが1600万円にぴったりと収まるかどうかは、結局最終的な積算次第です。
ちなみに川島町のカフェは1200万円ほどです。
1000万円住宅は最終的に1100万円ほどになりそうです。
最後に若干のずれが出ることはありますが、上記のルールで行けば何とかなると思います。
こういう家づくりにご興味があればぜひ一緒に取り組ませていただければと思います。
ご検討の上お返事のほどよろしくお願いいたします。

増井真也より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ローコスト住宅は私にとってライフワークのようなものである。どのように作れば良いかの挑戦は毎回異なる。間違っても建売の路線、つまり同じものを大量に作ることでのコストダウンを図ることはしないので、住まい手のオリジナリティーを生み出しながらコストダウンを図るためのセルフビルドの範囲の拡大や、資材の仕入れルートの変更、などの方向性で色々と試している。この作業には住まい手の強い意志も必要であり、そして実際の作業も必要である。今回の打ち合わせを経てOさん、果たしてますいいの家造りに興味を持っていただけただろうか。帰り際にちょっとだけ本の話をしたのだが、もう少しゆっくりと話したかった。

午後は川口市恒例の6大学ボーリング大会。この地で会社を始めてからずっと参加しているが、いつの間にか僕よりも年下の後輩が増えてきた。仕事には関係の無い、こういう仲間がいるということはとても良いことだと思う。夜中の12時ごろ帰宅。

2013/09/12

朝7時、森脇君と一緒に茨城県古河市にて進行中のMさんの家の現場管理。現場では電気屋さんが器具の取り付け作業を行っている最中だったので、いくつかの照明器具の種類の変更などを指示した。この住宅は民家のようにちょっと懐かしい雰囲気を感じるような建築を目指して設計されている。床には杉の無垢材を使用し、壁にはすさを混ぜた漆喰を塗った。南側の庭に面する外壁には大きな吐き出しの窓が取り付けられ、その内側には日常の生活と外部をつなぐ為の土間が設けられている。ここにはいずれ薪ストーブが設置される予定である。この外壁に面する柱や梁は、真壁構造とすることで化粧表しとした。完成まで約1ヶ月。出来上がるのが楽しみな住宅である。
20130912-1.jpg続いて、埼玉県幸手市にて進行中のMさんのスタジオ兼住宅の現場へ。先日屋根の工事も終わり、今は大工さんが内部の壁を貼ったりの作業をしているところである。写真左上の部分は大工さんの手による造作窓が取り付けられる。いくつかのパネル状に分けられた窓には、サインが取り付けられたり、ある部分は外部に開き、ある部分は閉じるというようなデザインになる。こういう部分は手間がかかるのでどうしても後回しにされるのだが、もうしばらくすると姿を現すことになるだろう。外壁が閉じられてから、はじめて2階のスタジオ部分に入ってみた。やっぱり木造で柱の無い9mの空間というのは圧巻である。この空間は屋根の部分と外壁を合板で貼り固めることによって構造が保たれている。天井面に見えるのが屋根を支えているトラスだ。トラスが455ピッチで取り付けられることで、屋根の荷重を支えるというわけである。
20130912-2.jpg続いて埼玉県久喜市にて進行中のMさんの家の現場へ。なぜか現場というのは同じような地域にまとまる傾向があるのだが、今日行った3件はどれも東北自動車道久喜インターの近くにある。先日上棟したばかりの現場では大工さんが筋交いなどを取り付ける作業を行っていた。この手の作業中はまだ固定されていない材木があちらこちらにある、いわば一番危ない状態であるので大工さんと一緒に現場を回る。この家は車好きのクライアントの意向によって、ガレージとつながる大きな土間で1階部分が構成されているのが特徴的だ。2階も細かい部屋を作るのではなく、練るときに最低限仕切ることのできる寝室スペースを除くとすべての空間がひとつのボリュームに治まっている、いわばワンルーム型の住宅となっている。紹介した3件、どれもクライアントの意向が強く現れた非常に特徴の強い住宅ばかりであるが、こういうことが出来るところが住宅の面白いところであろう。やっぱり家というものは、他の誰でもない、まさにその住まい手のものなのである。
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2013/09/10

午前中は埼玉県川口市にある本社の近所に住むIさんの家の物置の打ち合わせ。大学の先生をされているIさんだが、退官に合わせて住宅の隣に書物などを保管する為のアトリエを建設したいということである。お話を聞いているとだんだん大きくなってしまうのだが、個人がそんなにたくさんのものを有効な形で所有することはなかなかに大変なこと。Iさんのことを思えば、これからの打ち合わせでなるべくコンパクトにまとめていきたいと思う。

続いて恒例のお茶のお稽古。今日はいつも一緒に稽古をしているSさんがお休みで一人だけでの稽古だったので、四ヶ伝の唐物を教えてもらった。裏千家ではこの四ヶ伝から口伝、つまり教本などではなく先生から生徒に直接教えなければいけない稽古となる。だから一応他の生徒さんがいるときにはやらないことになっている。なんだか北斗七拳みたいだけれど、実際にそうだから覚えるほに方法は無い。せいぜい自分流のお稽古メモを作るくらいしか記憶の保存を図る方法は無いのである。15時ごろ終了。

続いて地元川口市の鋳物屋さんであるモリチュウさんへ。大学の先輩であるモリチュウさんに行くときは大体早稲田大学の稲門会の事務局作業のお手伝いである。今日は人数が少なかったので7時過ぎまで案内状の発送作業を行ったのだが、さすがに3時間も手を動かし続けると疲労困ぱいだ。終了後二人で会食。久しぶりに楽しいときを過ごした。

2013/09/09

午前中は、千葉県野田市にて住宅の建築を検討されているUさんご夫妻打ち合わせ。会社を定年退職され、浜松から移住される御夫婦である。敷地は平屋の建つ広めの敷地、そこに二人暮らしにちょうどよさそうな25坪ほどの小さな家を建てる。家の前にはやはりまた小さな家庭菜園用の庭がある。そして趣味の陶芸用の釜を置くための小屋。なんとも魅力的な生活である。

話の中で吹き抜けについての話題が出た。私たちは、空間の広がりを生み出すための装置や、コミュニケーションの為の場として、これまでも多くの吹き抜けを設計してきた。これらの設計をする際に毎回のように尋ねられるのは、冷暖房の効率のことである。当然これらの吹き抜けを作れば、その空間の容量が増えることで、冷暖房の効率は落ちる。しかも上下階のつながりがあるので暑い空気は上に行き、下の階は冷えやすいという自然現象も普段より余計に起きる。これらの現象を緩和する為の方策は無いかと聞かれれば、いくつかある。床暖房を利用した輻射暖房、空気を循環させる為の装置の設置、しかしどれもそれなりのコストは要する。

では吹き抜けはだめかと問われればそんなことはないと答える。近年の高温化により、日本の住環境は確実に厳しくなっているので、特に夏の暑さに対する対策は重要と考えられる。しかしながら、近年の住宅もまたそれに耐えうる性能を向上させてきているのも事実である。壁や屋根の断熱性能は格段に向上した。その内部を空気が流れる為の工夫なども一般化している。窓もペアガラスが当たり前、熱を反射してくれるガラスなども流通している。それらを組み合わせることで、特段変わった装置を仕込まなくとも外部環境の影響を受けにくい内部空間を造ることが可能になってきている。やはり人間は魔法瓶の中では生きられない。効率だけを考えた住宅ではつまらないのである。新しい技術を取り入れながらなるべく魅力的な環境を提供することが住宅の携わるものの使命であろう。20130909.jpg

2013/09/08

10時より事務所にて、埼玉県久喜市にて住宅の建築を計画しているHさんご夫妻打ち合わせ。今は横浜の方に住んでいるということだが、ご主人の実家のある久喜市の農地の一部を宅地として住もうという計画であった。以前にも話したが、東日本大震災以降住まいに対する人々の想いには何らかの変化が起きたようである。以前、東京の狭小地に建てる小さな住宅を所望する声は非常に多かったが、今はちょっと郊外の広々とした地域に住宅を構えようという考えが主流になっているように思う。通勤などの利便性が多少劣るとしても、安心感を重視しているということと、やはり家族や親類と集まって暮らすということの大切さが見直されているということなのだろう。

夕方、司馬遼太郎「ニューヨーク散歩」読了。来年計画しているNYの社員旅行に向けて、いまだ行ったことのないNYについて少しでも知っておこうという思いで読んでみたのだが、大方は司馬氏とその知人達との間に広がるエピソードの紹介や、NYと比較した日本に対するまなざしという内容であった。途中ブルックリン橋に関する記述がある。橋が建造された際の壮絶な物語であるのだが、こういうことを知ると是非見てみたいと思うものだ。20130908.jpg

2013/09/04

朝礼終了後、埼玉県川口市にて設計中のSさんのスタジオ打ち合わせ。いつものようにSさんのご自宅にお邪魔すると、お母さんとお姉さんが同席しての打ち合わせとなった。古民家といっても良いような母屋の一部を壊し、新しく作った敷地にスタジオをつくるという計画なので、当然既存建築との絡みが出てくる。しかも敷地は傾斜地である。地盤レベルをどこに設定するかの問題も、新しく作られる建築の構造にも係る大きな問題となるわけであり、慎重にことを進めていかなければならない。今回の打ち合わせで大方のプランは決定したものの、まだまだ考えなくてはいけないことはたくさんありそうだ。

終了後事務所に戻る。

先日事務所用にKENWOODのCDコンポを購入したので、最近はいつも僕の隣で何らかの曲がかかっているのだけれど、今日はビル・エヴァンスのワルツ・フォー・デビーをかけてみた。事務所で聴く音楽はあまり耳に入りすぎてもよくないし、心を落ち着けてくれるようなものが好ましいと思うのだけれど、このアルバムの中で僕が好きなのは、「マイ・フーリッシュ・ハート」。この曲の中でいろんなことを考えているときが一番自分らしく、あるべきだと思う方向での思考がすすむ気がする。

磯崎さんの「世紀末の思想と建築」を読んでいたら、「ポストモダンと呼ばれ、百家争鳴のように見えていたこの20年は、「死」を宣告されたはずのモダニズムが、未遂のまま宙吊りとなっていた。言い換えると死刑台の上で以外にも陽気に愛嬌を振りまきながらばたばたし、微妙な振動を、消費の欲望や差異の産出というスローガンによってざわめき、伝えていた。」というような言葉が書かれていた。たまたま開いた本だけれど、なんとなく気になる言葉だったのでここに記す。

確かに今建築に携わっている人で、モダニズムだのポストモダンだのと言っている人はもういないだろう。ではどこを向いているかといえば、その建築が成り立つ状況を見て、その状況によってあるべき形を探すというようなプロセスを大切にして、その中でどのような工夫が出来るかに終始しているというのが今の現状ではないのかと思う。大上段に構えたテーマは存在しない中で、何をつくるかと問われれば、やっぱりその建築を必要とする人、つまり住人にとってどうあるべきかに答えていくことが素直な態度であると思う。そしてそれはその作り方や、お金の問題に対しても同じことであると思うのである。

2013/09/03

朝礼終了後、鈴木君と各プロジェクト打ち合わせ。

午後、13時よりお茶のお稽古。今日は久しぶりに運びの薄茶、濃茶の点前を行った。使用したのは大水指に割蓋。暑い夏場のお茶室に清涼感を出すことが目的のようだが、それにしても様々な道具があるものである。大体において、家元の代が変わるとお手前の種類も増えてしまうのだから、道具も増えて当然だ。茶道なるもの、もともとは上流階級の人々が様々な道具を用いて誰か他の人をもてなしたりの作法である。秀吉の時代などは、褒美として与える領地が不足したことで、茶器をその代わりにしたなどという時代もあった。大体が中国大陸から伝わるものを名器として扱ったようであるが、その時代の大いなる人が認めたたものを与えるということが、極端な時代における「つながりの印」というようなものであったのだろう。

では今の時代においてはいかがかと言えば、すでにそのような習慣は消えうせている。日常の中でゴルフを通して交流を図ることはあっても茶道を通した交流を経験することは無い。居酒屋で交流はあっても茶室に集まることなどまったく無い。どこかの政治家さんならあるかもしれないけれど、でも少なくとも僕達の目の前に広がる日常の中には無い。別に名物茶器に興味があるわけではないのだけれど、同じ国の本の少し前のひとつの時代に栄えた風習が、僕達の日常からまったく消えうせてしまっていることにはちょっと疑問を感じる。

日本は戦後、いろんな意味で「らしさ」というものを失ってしまった。精神的にも文化的にも、それをあえて無くそうという国の方向性の中で、僕達の親世代や僕達は育ってきた。僕は、戦前の日本を擁護するものではないので憲法改正について声高に叫ぶようなことはしないけれど、でもヨーロッパの街並みを歩いているときに感じる文化の息吹のようなものを感じることの出来ない日本の現状には少々改善の余地があると思うのである。

文化とは人の日常に根付いているべきものである。例えば日本の漫画がひとつの文化であるといわれるが、これは確かに根付いている。ドラえもんをサザエさんをそしてドラゴンボールを見たことのない人は今までに出会ったことは無い。フランスに行き漫画について聞かれたときに、それについて一言も説明の出来ない日本人は存在しないであろう。でも、茶道について何か聞かれたときに、果たしてどれほどの人がそれを説明できるかには不安を感じる。

現在の千家の広める茶道はどう好意的に見ても日常に根付いているとはいえない。物好きの同好会の中でしか通用しないし、目にすることも無い。もともとの茶事は、懐石料理から始まり、お菓子を食べて、濃茶を頂き、薄茶を頂くという一連のもてなしの流れなのだが、かろうじて懐石料理だけは多少縮小版にアレンジされた形で僕達の日常の中にも残っている。川口市内の懐石料理屋さんだってまだまだいくつかは残っているし、そんなに目玉が飛び出るほど高いものでもないので行こうと思えばいつでも行ける。だったらそこに茶道の要素を入れてしまえば良いとも思うのだが、知りお会いの料理人に聞くと、茶懐石だけは嫌だという。多くの作法を守りながらの仕事が、お店で取り入れるにはいかんせん敷居が高いというのである。

こと建築においても同じである。やれ赤松の柱だとか、コブシの周り縁だとか、茶室建築で使われていそうな材料を銘木屋さんで買おうとすれば、驚くほど高い。でもかの有名な織田有樂斎の茶室「如庵」だって、まず最初に目を引かれる有樂窓は、窓の外側に細い竹を並べて、そのスリットを通り抜ける光を内側から楽しめるよう工夫しただけのことであり、とんでもなく高い材料を使用せずとも、木製ルーバーのごとき工夫で再現できる。腰張りの古い暦も、今で言うところの新聞紙であろうか。文化として守る上である程度のしきたりを大切にすることは必要であろうが、それが文化として日常に浸透するには、日常に見合ったコストである必要があるのであって、そうでなければ今の住宅に浸透することは無いであろう。声高に叫ばれる文化ではなく、いつの間にか日常に浸透する風習としての茶道に、なんとなく期待をするのである。

2013/09/02

日曜日と月曜日の二日間でっスタッフを引き連れての箱根研修旅行に出かけた。

2日朝。箱根のホテルのベッドの上で目覚めると虫の声が聞こえる。窓の向こうには盛夏の緑が広がっている。少しガスがかかっているようで、白い煙の様なきりが山の斜面に沿って登って行くのが見える。今は雨が激しく降っているようだ。太陽の日差しは見えるのに何とも変な天気である。ベッドに横になって昨日の一日を思い出してみた。

1日は朝5時に事務所を出発して一路伊豆の長八美術館へ。西伊豆の松崎町という小さな街にある美術館で、ますいいの顧問をやっていただいている早稲田大学理工学部建築学科の石山修武先生が設計した建築である。松崎町までの道のりは川口市から約4時間。途中大した渋滞もなくほぼ予定通りに到着した。美術館を一通り見た後は、大工養成プロジェクトとの青島君と一緒に松崎町の街を散策した。だいぶ閑散とした印象だが、田舎の小さな港町である。これが普通の状態であろう。街の中にはあちらこちらに点々と石山氏が手掛けた作品が点在していた。
20130902-1.jpg世界には、僕たちの力ではどうにもならないような問題が山積している。今現在を見てみればシリアの内戦やら、環境問題やら、地球温暖化やら、確かにエアコンの温度を一度上げて自分の満足は出来るのだけれど、中国やらの現状を見てみれば本当に意味があるのかの思いを抱かざるを得ないようなどうにもならない問題たちである。

都会の中で何も困らずに暮らしているとついつい忘れてしまうのだけれど、空を見上げて、木々の中に立って、自分の体のまわりを飛ぶ虫たちにいちいち反応しなくても平気になってきたころに、僕たち人間も動物なんだなあというようなことと同時に、さっき並べたようなどうにもならない問題が、対岸の火事ではなくて自分に身に降りかかったりしてしまえば、一瞬で普段当たり前と思っている状況が失われてしまうというような思いが首を擡げてくる。

伊豆の長八美術館の建築に当たって、石山は全国の左官屋さんたちに呼びかけた。長八はその呼びかけに応じた左官職人が集まって壁を塗った。ゼネコンが元請けについているのになぜそんなことをやったのかと考えると、それは石山のロマンであろう。何のためと考えれば、やはり世界の中に山積している自分の力ではどうにもならない何かを、一人でも多くの人に気がついてもらいたいから、に他ならないのであると思う。20130902-2.jpg又窓の外をのぞいてみた。すでに雨はやんでいる。そう、雨なんてもの一つ人間の力ではコントロールすることは出来ない。でも何かに気が付いた人たちが、何人か増えて、何かを変えようと行動すれば、もしかしたら地球の温度だってちょっとだけ下がるかもしれない、そんな可能性を信じていたい。

7時30分ごろ身支度を始める。シャワーを浴びてひげをそり、8時に日本食のレストランへ。8時から社長、そして田村、池上と一緒に会議を行う予定である。内容は割愛するが朝一番の会議はなかなかに集中できてよかった。10時に出発の予定であったが、11時まで。スタッフの一部はすでに待ち切れずにポーラ美術館へ行ったようだ。車に乗りきれないで待っていたスタッフと会議に参加していたメンバーとで後を追う。

ポーラ美術館ではモネの企画展示が組まれていた。モネは1840年にパリに生まれ、ノルマンディーの港町ル・アヴールで育った。その後ブータンらとの出会いによって風景画に目覚め才覚を表す。初期のころのモネは周囲の風景から感じる感覚的・印象的な絵を描いていたが、後期には次第に自らの記憶の中で純化された画家の内なるヴィジョンを表現するようになっていく。

「モネは目にすぎない。しかしなんと素晴らしい目なのか。」というセザンヌの言葉は、モネの描写の素晴らしさを表す。そして、「私の眼は次第に開かれた。自然を理解し愛することを知ったのだ」とはモネ自身の言葉である。

1880年代のモネは、様々な風景と向き合う中で厳選したモティーフを、簡潔で確固とした形態で描くことで、構図を簡略化し光の効果を描写することに専念していく。このころから光と影を明暗ではなく、明るい色彩に置き換えて描くようになるのである。それはつまり実態のない光の可視化をしようとしたのだ。
その後破産したパトロンの家族と一緒に過ごす中で、婦人がボートで遊ぶ作品「舟遊び」や「バラ色のボート」を描くモネは、次第にそのボートの浮かぶ水の表現に没頭していく。20130902-3.jpg「私は不可能なことに取り組みました。水とその底で揺らめく水草を一緒に描くということで、それは眺める分には素晴らしいのですが、このように描こうとすると気が狂いそうです。」というのはこのころのモネの言葉である。この水の表現の探求はモネの眼を自然の外観のさらに奥へと誘うことになる。そしてその探求が1899年の睡蓮の第1連作、1901年の睡蓮の第2連作、そして1914年以降の睡蓮のモティーフを使った壁一面の代装飾画へとつながるのだ。第2連作のころの睡蓮はもはや大地も空も境界もない。静謐で豊饒な水がカンヴァスのすべての領域を覆いつくしている。20130902-4.jpg時を同じくして、フランス北東部のロレーヌ地方にナンシー出工芸を扱う商社を営む父のもとに生まれ、伝統にとらわれずに当時流行したジャポニズムや象徴主義の表現を取り入れた新たなデザインを生み出したガレのガラス工房、ドーム兄弟、そしてアメリカのティファニーのようなアールヌーヴォーが一世を風靡する。これは曲線をふんだんに使った有機的な形態表現であるが、この中に見える自然の繰り返しはモネの晩年の絵に見える睡蓮の繰り返しに関係しているように感じられる。モネの睡蓮とモリスの壁紙・ガレの陶器の共通点、専門的なことは全く分からないけれど、なんとなく線でつながったような気がした。

石山氏の表現は一般解として扱うには激しすぎる。でもそこに込められたロマンを一般解としてアレンジすることで、質の高い、かつ実用に耐えうる建築を世に生み出すことを継続的に行うことが出来るのではないかとの思いはある。長く暮らす住宅だからこその、実用に耐えうる中でのロマンが必要だ。思いが無ければ、それはただの箱、要するに建売である。職人の手作業、セルフビルドは思いを生む。そしてその考えがますいいの家づくりの根幹となる。モリス商会も、ガレのガラス工房も、そして今も続くティファニーも同じ。職人を、デザインを大切にしながら、それを製品として生産し、小さいけれど選ばれる、そして後世にまで残る産業に育てた。

そんなことを考えながら美術館の中をぐるぐる回っているとスタッフが富士屋ホテルのカレーを食べたいと言い出した。2台しかない車にうまく振り分けられもしない「富士屋ホテル希望者」をどう扱うかに一瞬の戸惑い。しかもほとんど全員が希望しているようだ・・・。これは私に見学をやめて運転手をしなければいけないのかとも考えたが、もう少しこの場で時を過ごしたい。だいたい、こういうところで良く食べ物のことを考えられるなと関心もすれば、呆れもしながら、諦めることを促すと、森脇君が「この辺で食事のできるところを知りませんか」の一言である。レストランが目の前にあるのに・・・ツアーコンダクターではないのだの怒りと共に、やっぱり別行動。結局団体行動が苦手なのだ。

すでにモネの作品群は観終わったので、ちょっと外に出て美術館の周りの遊歩道を歩いてみた。美術館はうっそうとした森に囲まれているのだが、そこにはヒメシャラやブナの生息する原生林が保存されている。建物は大きく掘られた地下3階建ての穴に埋め込まれており、周囲の自然にうまく溶け込むように作られている。
20130902-5.jpg森の中に足を一歩踏み込むと体全体をすうーっとつめたい空気が包み込む。もともと少し高地のために涼しいのだが、森の木々の中の空気は一段と冷たい。枕木で作られた歩道を進むとそこにはブナやヒメシャラなど、近年の日本の山ではあまり目にしない広葉樹に出会った。こういう原生林の様な所にはちょっと独特な雰囲気がある。これは杉やヒノキしか生えていない植林の山では味わうことは出来ない、自然、つまり本当に何かの「人間ではない」理由によって出来あがったものたち、その形が醸し出す何かを感じることが出来るのである。20130902-6.jpg私たちが観光と呼ばれるようなものの中で出会う自然はいつも人工的なものと隣り合っている。それは土木とか建築とか呼ばれる行為によって作られた何かであって、そういうものがないと僕たちは自然に近付いて行くことは出来ない。(もちろん登山の様なものは別であるが。)そこには自然と人工のぶつかり合う場あり、たいていの場合はその境界線上を歩いたり、ちょっとどちらかによってどちらかを眺めたりするわけだけれど、その境界のありようがすごく気持ちよくなっている場合とそうではない場合によって感じる何かは違ってくるものだ。この美術館は大きな穴に落ちているRCの箱といった印象だけれど、その落ち方がとても心地よく感じた。

帰りの車の中で、埼玉県越谷市の竜巻のニュースを見た。またか、の印象である。べた基礎のコンクリートと一体のシェルターを真剣に考え始めよう。

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