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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
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増井真也日記
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増井真也日記

2012年8月アーカイブ

2012/08/31

午前中事務所にて雑務。各プロジェクト設計打ち合わせなど。

打ち合わせ終了後、すぐ近所にお住まいのますいいのガス屋さんの自宅玄関ホール間仕切り工事を依頼されたので、スタッフの池上に指示。こういう小さな工事もたまに依頼されるのが、工務店ならではのものだと思う。つまりは大病院の先生というよりは、かかりつけのホームドクター的なところがあるのである。

夜、フィリピンで大きな地震が発生した。なんとなく最近忘れかけていた地震であるが、ちょっと大きな地震の話を聞くとやはり昨年の3月11日のことを誰もが思い出してしまうであろう。そして建築物の耐震性を不安に思ってしまう。

ますいいの家造りでは、木造2階建てでも構造計算を取り入れるようにしている。通常木造2階建ての建築物は、建築基準法に定める簡易計算、つまり床面積に対して耐震性のある壁の長さがどれだけあるかという基準を満たせば建てることができるということになっている。しかしながらこの簡単な計算方法では、耐震性のレベルを図る耐震診断をするとNG、つまり基準を満たさないという結果が出ることがあるのだ。そういうことを無くす為に取り入れている構造計算ではあるのだが、更なる構造の補強を望む声は大きい。

そこで、震災以降ますいいの家造りの中で取り入れている手法が下の写真にある免震ダンパーの設置である。これは簡単なオイルダンパーなのだが、建築の要所要所に取り付けることで、地震発生時の揺れを軽減してくれる効果がある。木造住宅の壊れ方を見ていると、大きな揺れが発生したときにそれを防ごうとする筋交いが破壊されたり、取れてしまったりの現象が起きるのだが、そういう破壊が起きてしまうと余震に対しての耐震性は、従来よりもだいぶ減少してしまうことになる。それに対して揺れの幅をおさえることで、構造部材の破壊を防ぎ、繰り返し起こる揺れに対して長期的に耐えられるようにするということが、本手法の狙いだ。もちろん構造計算をした建築物は震度6強の地震が起きても倒壊しないという規定で作られている。それを満たした上で、更なる強化を図ろうというのだから安心感がある。ちなみに通常50万円以下で取り付けが可能であるので、例えば鉄骨架台を組んで、住宅全体をその上で滑らせることによって免震性を図る工法や、免震ゴムなどの高層ビルで取り入れている甲などに比べて、非常にコストが抑えられることも魅力の一つである。

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2012/08/28

午前中、埼玉県蕨市にて設計中のNさんの家のプラン打ち合わせ。間口の狭い狭小地に建つ3階建て住宅ということで、鐵骨造での計画を進めているところである。1階には土間を配置し、その横に水周り、奥には寝室を配した。リビングは2階に置かれ、南側道路に面する大きなデッキをリビングから連続するように配置している。3階には各個室があるが、2階リビングへの採光を考え南側と東側に吹き抜けを設けた。吹き抜けによる冷暖房時の熱損失をうまく防ぐ工夫を配し、南側の大開口からの太陽光の侵入をコントロールするようデザインすることで、開放感のある快適な住宅を生み出すよう設計している。

鐵骨造の柱の径にも一工夫。ここでは100角の柱を利用することで、鉄骨造の建築にありがちな大きな柱方の存在を消すように考えた。基本的な耐震要素はブレースで確保する。要するに素材が強度の高い鉄骨になっただけの話で、基本的な構造の考え方は木造と同じということだ。一つ一つの部材の強度が高いことから3階建てでも開口部の確保がしやすく、かつ重量は重くならない構造なので大規模な杭工事などを必要とせずコストも高くはならないで造ることが出来る計画である。

建築の構造を検討する際には、このように敷地条件や建築規模によってフレキシブルに対応することが最も重要だと思う。ハウスメーカーなどではあたかも自分の会社の工法が一番であるような宣伝をよく目にするのだが、あくまである一つの条件の下ではそれが一番かもしれないが、条件が変われば最適解も変化するに決まっているのだ。例えば今回の場合でも、2階建てで良いといえば鐵骨造にする必要はないであろうし、間口がもう少し広ければ、木造でも道路方向の耐力壁を配置することも出来たかもしれない。建築とは、それぞれのクライアントや敷地によって条件がすべて違うのであり、しかもそこでほぼ一生の生活をするわけであるので、決して妥協することなく最適解を探求することがわれわれの責務であるのである。

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2012/08/27

朝一番より千葉県船橋市にて中古住宅を購入してリフォームをしたいというNさん打ち合わせ。セルフビルドで出来るだけ自分たちでやりたいという考え方のNさんに対し、今後の工事の進め方などのアドバイスをして打ち合わせ終了。なんだか完全なるボランティアのような半日になってしまった。セルフビルドというのは突き詰めていけば、すべてを自分の手でやるところまで行くわけであるので、そうなると私の仕事はまったくなくなってしまうのである。まあこういうこともあるさ、と一路事務所へ帰る。

事務所に着くと夜のスタッフバーベキューの準備。今日は月に一度のスタッフ全員によるバーベキューだ。今年早くも3回目ということで準備の方もだいぶ手際がよくなってきた。私の家族も一緒に総勢15名、最後には花火をして21時ごろ終了。

2012/08/25

今日は朝一番から、今年理事長をやっている川口青年会議所の事業のわんぱくトライアスロン大会に出場する福島大学付属小学校の選手と保護者を迎えに福島県に向けて出発。被災地の方々を少しでも勇気付けようということで、ご招待するわけだが、今年に入って2回目、久しぶりの福島行きなので、本当に望まれていることをしているかの不安な気持ちも持っての出発となった。

午後1時ごろ、集合場所にしていた福島大学付属小学校前に到着。予定通り8名の招待選手とその保護者や兄弟16名、合計24名の方々がバスに乗り込む。はじめはなんとなくよそよそしい雰囲気になってしまったが、次第に内溶け合ってきて色々なお話を聞かせていただいた。中でも驚いたことは、2割強の生徒さんが他の場所に避難していなくなってしまったということ。福島市の町の様子は、川口市とまったく変わらず、普通の生活が営まれている。町中の人がマスクをしているなどということも無く、本当に何があったか知らない人なら何も気が付かないくらい普通の生活をしているのである。でも、子育てをしている方にとって心配な放射能の値は、やはり川口市とは比べ物にならないくらい高い。これはデータだからごまかしようも無いのである。お母さんの話によると、多くの子供達は震災以降外出を控えている為、体重が増えたそうだ。遊び盛りに、家の中ばかりで過ごしていれば当たり前の話だろう。いつ終わるか、結果的にどのような被害が出るか誰にも分らない問題だけに深刻だ。せめて今日、明日の二日間だけでも、精一杯楽しんでほしい、そんな思いでいっぱいになった。

夜、皆さんと一緒に近所のレストランで夕食会。少量のお酒も入り、楽しいひとときを過ごすことができた。明日はいよいよ本番の大会。是非がんばってみんなに完走してもらいたい。

2012/08/22

朝一番、近所のN様宅改修工事の集金及び追加工事相談。振込みでの支払いが多い中で、集金を行うことはめったに無いので、なんとなく手渡しでお金を渡されることに慣れていない。二十万円ほどの支払いだったのだが、こういうのもたまには良いものだ。今の時代の支払いは、お金というものに、しかもほとんどの場合は振込みでのお金の移動という形式に形を変えてしまってはいるものの、本来の意味はやっぱり何かをしたことに対するお礼、つまり報酬なわけだ。手渡しは、それをダイレクトに表してくれる唯一の方法かもしれない。未だにすべての支払いを現金手渡しでやっている会社があるなどという話を耳にすることがあるが、きっとこういう気持ちを表したいからなのだろう。

さて、今日は木の重さのお話しをしてみたい。以前屋久島で東京都から移住する方の住宅の設計をさせていただいたことがある。(屋久島の家)この家を建てるときにお世話になった、屋久島の大工さんの加工場に行ったとき、棟梁の久保田さんがニコニコしながら「この木を持ってみな!」と私に話しかけてきた。東京から来た若い設計者をからかってやろうというんだな、などと思いつつ、なんだこんな梁くらい、という気持ちで持ち上げようとしたものの、その梁はびくともしなかった。これまで感じたことの無い重さだったのである。これがもしかして屋久杉なの?と棟梁に聞いてみた。屋久杉と呼ばれる材料は、通常樹齢100年を越えるものをさす。それ以下のものは地元では小杉と呼ぶらしい。その小杉は切っても良いが、屋久杉はだめ。だからこの重い材料は屋久杉ではなく、小杉というんだよと教えてくれた。

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屋久杉 屋久島の家内観

木には重い木と軽い木というものがある。世界で一番重いとされているのが、リグナムバイタという材料で、硬くて油っぽいので船のスクリューなどに利用されている。ちなみに比重は1.3くらいだから、水にも沈んでしまう。まあこんな木は家造りには余り関係が無いが、家造りによく登場する材料の比重を並べてみるとこんなにも違うのかと驚く。

杉:0.38 ヒノキ0.41 赤松0.53 米ツガ0.46 といった具合だ。この木の比重というのは、木を構成する細胞膜の密度で決まる。細胞膜自体の重さはどんな木でもそれほど変わらないので、いかに目が詰まっていて密度が高いかが重さに関係することになる。だから重い木のほうが強度が強いということになるのである。ちなみに下駄にはきりの木が使われる。きりは非常に軽いので一見弱そうだが、柔らかいことが幸いして、歯の先に砂や小石が食い込むのである。だから結果的にきり自体は磨り減らないということになるわけだ。しかも軽くて足に対する負担が軽い。だから昔から下駄はきりと決まっている。単純に強さだけではない、知恵と工夫が詰まっているのである。 

2012/08/20

今回の長期休暇の間中、滋賀県にある妻の実家の一つの部屋に親子5人が3枚の布団にひしめき合うように寝ていたわけだが、こういう状況を久しぶりに味わってみると、家族団らんというものの根本はやはり家にあるのだということを改めて思い出すものである。鳥が巣を作るように、動物は子供を育てる為に家を作る。スタンリーキューブリック監督の21世紀宇宙の旅のはじめの場面で、猿が夜の間中岩陰にしのび、朝が来るのをじっと身をかがめて待っている様子が描かれているが、まさにこの安らぎを求めるということが家の本質的な目的であることは言うまでもない。

だからこそ住宅というものは、家族全員の息遣いが感じ取れるくらいの距離感で設計されていることが望ましい。子供がどこで何をしているのか分らないような家はまるでホテルのようであり、若しくは隣人がどんな人かも分らないワンルームマンションのようでもある。何も家まで、そんな風に他人行儀に作る必要はない。

下の写真にある住宅は、ワンルームのようなつくりを意識して作られている。左上の千葉県船橋市に建てた貝塚の家では大きな吹き抜けを設けることで、2階にある子供部屋とリビングのつながりが作られている。右上の東京都板橋区に建てたさんかくの家では三角形の住宅の中心部に薪ストーブの煙突が突き抜ける吹き抜けを設け、1階から3階までが連続するようになっている。左下の東京都板橋区に建てた大和町の家では子供部屋からリビングに通じるのぞき窓を設えた。右下の東京都調布市に建てた仙川の家では縦に長い敷地の状況に合わせ、LDKと子供室を一列に仕切りなしで並べている。

もちろん浴室やトイレ、夫婦の為の寝室などのプライバシーは守りつつ、出来る限りオープンな設計とすることで、家族の営み、つまりはお母さんの夕食の支度の音やら、子供達のゲームをする音、はたまた赤ちゃんの寝息までもを感じ取ることが出来る家が出来ると考えている。

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2012/08/19

今年はいつもより一日だけ長い夏季休暇を設定。初日の11日は、朝5時過ぎに一人で家を出て最初の目的地である沖縄県の島尻へ向けて出発。今回の沖縄行きは旅行というわけではなく、一日限りの出張なので一人出来たのであるが、やっぱりこの地に来ると家族を連れてくればよかったの後悔が湧き出てくる。それくらいに居心地がよく、日本の中で失われたものがたくさん残っているような気がしてならないb所である。

12日。朝10時過ぎのANAで関西空港へ向けて出発。関空からJRに乗り換え、一路滋賀県近江八幡駅を目指す。15時ごろ滋賀県の実家に到着。滋賀というところは真ん中の琵琶湖の周りにある平地と、さらにその周りの山地で成り立っているのであるが、何よりも感じることは空が見えるということだ。埼玉県も本来は同じような地形であるはずなのだが、残念ながら川口市では地平線までつながる空などというものは見ることが出来ない。こういうノビノビとした景色、これが見れるだけで滋賀県に来た価値があるというものである。12日は長い移動の後ということもあって妻の実家でゆっくりと過ごす。晩御飯は縁側に七輪を出し、家族みんなで近江牛のバーべキュー。鯉の泳ぐ池のほとりで、夕方の涼しげな風に当たりながら過ごしていると、もう川口市に帰るのが嫌になるほどに心地よい。

13日~15日は久しぶりに何も気にせずに子供達と過ごすことができた。途中、守山市にある佐川美術館へ。この建築は98年に佐川急便の記念事業として竹中工務店が設計施工したもので、平山郁夫氏や樂家15代の樂吉左衛門の作品を展示する。和風の中に純粋なモダニズムを取り入れた建築は、地域の風景に柔らかくとけこみながらも、その純粋な美しさをもって強く主張する建築でもあった。

16日、京都で行われう五山の送り火にあわせ、妻と二人で柊屋さんに宿泊。15時ごろ京都に着き、早速柊屋へ向かう。部屋に通されるとまず目を引いたのは、建築的な工夫による景色のつくりであった。この写真は床の間を瀬に座ったときの正面から取ったものだが、いくつのも建築的な要素が重なることで、実際にはありえない奥行きを作ることに成功している。まず一番手前に見えるのが簾だ。奥に見えるソファーよりも手前、つまり縁側と和室の間に細やかな簾がかけられているのだが、ここを通り抜けた光がなんともいえなく柔らかな優しい光であった。次に見えるのが縁側と外部を仕切るガラス面の上部だけに取り付けられた障子である。この同じ面の下部には手摺り(高覧)が配置されている。この操作によって、このガラス面の上部と下部は切り取られ、上部に本来見えるはずのビルや株に意識されるはずの外にある塀は完全に意識から消されることになる。次の層はガラス面の外30センチくらいの軒の先端に取り付けられた暖簾である。この暖簾は高さが内部の障子と同じくらいに揃えられている。外部からの光の進入を適度に遮る効果があるようだ。そして最後の層が、建物からわずか2mほどしか離れていない塀に沿って、しかも3mは下にある地面から生えている植木の上端部分である。ちょうど高覧と障子の中心に美しい姿を現すように配置されているのであるが、中から見るとあたかも拾い庭園を持つ座敷からの景色かと見間違うほどの奥行きを感じさせる。なんとも心地よい、そして参考になる建築であった。

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柊屋 2階の客間

夕方、少々早めの晩御飯を済ませ外に出る。さすが大文字焼きとあっていつもより人が多い。盆休みと重なるこの日は、京都に数ある祭りの中でも最も賑わいがある日なのだが、大の字が見える御所や加茂川のほとりには夜になると大勢の人だかりができる。私たちは京都大学の近くにある通りからちょうど添加された大の字を見ることが出来た。先祖を意識する、盆の風習とはそういうものであろう。個人主義の蔓延する世間では、そういう風習だけでなく先祖とのつながりなどというものまでが忘れられつつあるが、それは我が家とて同じことである。都会の今日小住宅の中で、小さくお皿で迎え火や送り火をやる家庭もあると聞くが、我が家ではまったく皆無のことである。伝統などというものは残す意識なくして残るものではない。無いものを復活させるとなると、そこには確固たる個人の価値観が備わってなければ無理である。関東の佐野でも未だにやっていることだが、是非こういう風習は残してもらいたいものだ。

17日、滋賀県にいる子供達の友人ご家族を招いてバーベキュー。

18日、帰、川口市の家。

19日は一日自宅の片付けと、明日からの仕事の準備をして過ごす。長い休みが終わった。また明日から走ることとしよう。

2012/08/09

LONDONオリンピックでは日本勢の活躍が目立っている。特に最近はレスリングや卓球、女子サッカーなどで連日のようにメダルの話題があがっているが、こういうお祭りはこのようににぎやかな方が良い。活躍している一人ひとりの選手の人生にも、本当に心から拍手を送りたくなる。

一方で政治の報道を見ていると、本当に何をやってるんだか、の感あり。特に勝ち目の無い戦いを避けたいという本心が見え見栄の自民党の駆け引きの下手さには心から残念な思いを感じる。内閣不信任案に勇気を持って賛成票を投じた小泉ジュニアや中川議員には一定の賛同をできるものの、党執行部までは届かないようだ。野田総理の「近いうちに」発言、自民民主共に選挙をしても大丈夫と感じたときに、と読み替えられるのであろうが、果たしてそんなときがくるのであろうか。

15時より、埼玉県川口市にて新築住宅を検討しているというTさんご相談。何でもモトクロス関係のお仕事をされているということで、私にはまったくよく分らない世界であるのだが、私が身をおいている建築設計の分野と同じように、興味のある人ごく少数の人たちの中で流れる熱い思いと長い歴史という点で、なんとなく共感を持てる、そんなお仕事であるように感じた。

ご相談の内容は、予算800万円程度で1階ガレージ、2階住居ができないかという、なんとも唸りだしたらとまらないようなお話である。ローコストといわれるとなんとなく鼻がピクピク動いてしまうタイプである私にも、この金額は到底手を出せるものではない。どう考えても400万円足りない。1200万円あれば、何とかできる、そんなお話を以前埼玉県の川島町に作ったカフェの事例などを交えながらさせていただいた。

夜、スタッフの田部井君と埼玉県川口市にて設計中のIさんの家打ち合わせ。見積もり段階での予算についてのシビアな打ち合わせだったが、減額の可能性のある部分をすべて洗い出すよう指示。注文住宅の場合、どうしても初期段階の提案よりも面積が大きくなったりの理由で、コストアップにつながってしまうことが多いのだが、その中でもなるべく希望の予算に収める工夫を提案できることがやっぱり設計者としての技量なわけで、そこでは業者さんとの厳しい交渉なども行わなければならない。大変な作業だが、何よりも大切な作業である。

2012/08/08

今日は埼玉県さいたま市にて進行中のUさんの家の上棟式に参加。設計主任の佐野と田部井、そして担当していただいている大工さんの石黒さんとニシコリさんの5名で出席させていただいた。Uさんのほうはご夫妻とお友達の3名だ。これから始まる予定のセルフビルドのお手伝いをしてくれる予定のご友人ということで、セルフビルドのことなどについてお話をさせていただいた。

さて、この建築では最後に薪ストーブが取り付けられる予定である。右側の写真は煙突が屋根を貫通する部分の下地工事の様子だ。現在は仮にベニヤ板で蓋をしてあるが、最終的にはここを丸パイプ状の煙突が貫通し、その周りをふさぐ板金の屋根が貼られることとなる。煙突自体は丸いパイプの形状をしているので、昔のサンタクロースの煙突のように中ががらんどうというわけではないのであるが、屋根の上の煙突、なかなか良い響きだ。「何で薪ストーブなんですか?」の質問に答えたご主人の「だって楽しそうジャン」、この遊び心が大切なんだ。

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2012/08/05

朝10時より埼玉県川口市にて新築住宅を検討されているNさんの第1回目のプレゼンテーション。幅の狭い縦長の敷地に対して、鉄骨の構造を用いて吹き抜けのある開放的な3階建てのプランを提案した。

このような狭小地に建つ都市型住宅を設計する場合、木造だとどうしても1階部分に開放感を生み出すことが難しくなる。多くの場合は道路側に駐車スペースを一台分設け、さらに玄関がその近くに配置されることになるわけであり、どうしても耐震要素となる壁の量が足りなくなる傾向にある。それを解消する為に、残りの居室となる部分に壁を配するわけだが、それゆえその居室に開放的な開口など作れるはずも無く、結果寝室などのなるべく昼間過ごすことのないような室を配することで解決を図る。

それを例えば鉄骨ブレース構造とした場合、木造よりはるかに少ない壁の量で耐震要素を確保できる。ブレース構造なので垂直力を受け持つ柱は木造と同様に100角程度の太さがあれば十分である。ゆえに鉄骨造特有の太い柱型が出てくることも無い。多少価格は高くなるものの、構造的な自由度は限りなく向上するのである。

夜家族で食事をする際に、久しぶりに料理などをしてみた。もともと料理は嫌いではない。中学高校時代に山岳部という一風変わった部活動をしていたのだが、部活動の最中に夏合宿のメニューを考えるなどという項目もあった。山小屋は利用せずにすべて自炊で縦走をしていたのだから当然といえば当然なのだが、普通の学生ではこういう体験をすることは無いだろう。

さて、料理といえばキッチンである。本来、楽しい作業であるはずの調理という作業が労働的に捉えられてしまう理由に、調理をする主婦だけが台所という閉鎖的な空間に閉じ込められてしまって、会話に参加できなくなってしまうという理由がある。私ももし完全に閉鎖されている台所であったら、たまにある休みの日にそこに閉じこもって料理をしようなどとは思えないであろう。子供達と言葉を交わしながら、食べたいものを次々に作ってあげるというような、まるで居酒屋の店主にでもなったような楽しげな感覚があってこその家族団らんである。

オープンキッチンと一言で言ってもいろいろと作ったものだ。下にいくつかの事例を掲載しよう。すべては家族の団欒の場の創造である。お金などそれほどかけなくとも、大工さんの加工技術と比較的安価な既製品の組み合わせで如何様にでも作り出すことが可能だ。もちろん既製品の大手メーカーの高価なオープンキッチンを好むの出ればそれでも良いが、そのコストをかけることができないからといって諦める必要などはない。要は工夫次第なのである。

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2012/08/04

今日は朝から、川口市中青木に建てた中庭のある家の写真撮影立会い。カメラマンはいつもお願いしている住まいの設計のカメラマンさんの山下さん。完成してしばらくたつが、下の写真のような完成当初の閑散とした中庭にも丁寧に植木が植えられ、非常に魅力的な住まいとして使われ始めているようで何よりであった。

住宅というものは、その住まい手の嗜好にあっていることが絶対条件であり、そうであれば完成の日から自然に魅力を増していくのである。その日を境に住まいのコーディネーターは住まい手に変わる。だからこそ、住まい手が目指す豊かさとは何かの検討をじっくりと重ね、それを作り出すことの出来る背景となりうる箱を提供することが重要だとおもう。写真が出来たらここに掲載するので楽しみにしていて欲しい。

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2012/08/01

8月ともなるとさすがに連日続く暑さのためか、体の調子がおかしくなってくる。香港に行ったときに感じたことだが、日本でどれだけエコだエコだとやったところで、冷房18度設定が当たり前の香港であったり、それより大きな中国であったりという現状を目の当たりにしたり、はたまたトヨタ自動車が2000万台というとてつもない販売台数目標を発表したりする様子を聞いていると、地球温暖化の行方も良い方向に修正される気は到底しない。

しかしながらこれを経済至上主義のせいにしてどれだけ今の自由主義経済を否定したところで、現段階ではこれ以上のシステムは発見されていない。人にエゴがある限り、それを満たすより他に人が自ら何かに進んでゆくことはほとんど無いわけだから、だからこそある一定のルールの中で、競争を起こさせる社会システムにしか行き着かないのは、世の中の自明であるような気もするのである。

先日見た180分に及ぶ長編映画「ローマ帝国の滅亡」に、ちょうど現代社会と同じような崩壊へ向けた過程が描かれている。この映画は、1969年代に監督「アンソニー・マン」、主演「ソフィア・ローレン」によって製作された。あらすじは以下の通りである。

ローマは、長い戦いを終わり、さらに版図を拡げたが、北方ゲルマン民族ババリアと東ペルシャはいまだローマに屈してはいなかった。そのころ皇帝アウレリウスは病にふせり、帝位の相続に頭を悩ましていた。子コモドゥスは帝国をまかせる器ではなく、アウレリウスは軍団指揮官リヴィウスに帝位を譲ることを決心した。しかし直後盲目の政治家クレアンデルの手で暗殺された。アウレリウスの意志は受けいれられず、コモドゥスが自ら帝位についた。幼なじみでもあるリヴィウスはコモドゥスに忠誠を誓った。しかしリヴィウスの才覚は、かえってコモドゥスの嫉妬をかった。一方アウレリウスの娘ルチラはリヴィウスを愛しながらも祖国のために父の意志をついで、アルメニアに向かった。アルメニアは、ペルシャと友好を結ぶかけ橋になるのだ。ババリアは再び反抗を始め、戦闘がくり返された。しかしアウレリウスの相談役であった哲人ティモニデス(ジェームズ・メイスン)の説得でババリアもローマの前にひざまずいた。しかしそれもつかの間、重税にあえぐ東方民族の怒りは爆発し反乱軍が蜂起した。リヴィウスの率いるローマ北軍はユーフラテス川をはさんでペルシャ軍と対してこれを破り、ルチラを伴い凱旋した。しかしコモドゥスは捕虜を処刑し、さらにババリア人集落を襲って村人を虐殺した。この光景をまのあたりに見たルチラは、短剣をしのばせ、兄コモドゥスに迫った。がその時、老いた戦士ヴェルルスは、コモドゥスが自分の子であることを告白した。狂ったコモドゥスはヴェルルスを殺した。ルチラとリヴィウスは反逆の徒として処刑場に送られたが、コモドゥスはリヴィウスに自分との決闘の機会をあたえた。リヴィウスは、コモドゥスを倒し、ルチラを処刑台から助けた。しかし数十の犠牲者は黒煙となってローマの空に消えた。リヴィウスはコモドゥスの亡骸を抱き上げ、ルチラとともにその場を去っていった。

md-20120801.png代社会におけるローマ帝国とは、アメリカや中国を中心とする自由主義経済であろうか。

ローマ帝国は紀元前27年より始まり、上の映画のとき、つまり五賢帝の最後の時である180年ごろには崩壊の兆しを見せ始めていた。しかしながら、これが実際に滅亡したのは、もちろん姿かたちを変えながらそしてその意義も変化しながらではあるが、1806年まで続いたのである。

これより少々前の1763年、7年戦争が終結し、イギリスのフランスに対するアメリカ・インドにおける植民地支配の優位性が、パリ条約によって決定付けられた。これを機にイギリスの産業革命はスタートしたといわれている。そして、その流れの中で世界の勢力図は変化し、ローマ帝国も完全に姿を消したのである。このときに問題となっていた事象は、資源、労働力、そして市場である。植民地はそれを提供してくれていたのだ。だからイギリスは突然にして強力な力を手にすることができた。そして世界の仕組みまで、大きく変化を始めたのである。

この植民地の利権に対する考え方は今の中国やインドに、またベトナムやタイにそのまま当てはめることが出来るであろう。もちろん現代社会においては、それは植民地としてではなく経済的な対価を支払う一定のルールの中で運用されている。だから中国やインドも経済成長できる。

第1次、第2次世界大戦、冷戦時代となかなか安定しない試行錯誤の時代を経て、まさにローマ帝国の現代バージョンのような形で、経済というルールの中で、世界的に共存共栄できるシステムが始まっているのであって、これ自体を否定したところで、時間と空間の概念を覆すような産業革命に匹敵する大事件でも起こらない限りもう後戻りなど出来るわけがないのである。

なんだか良くわからないことをだらだらと書いてしまったが、どうにもならない社会の流れの中に身をおいていることを自覚しているからこそ、家族という最小単位のコミュニティーが豊かに暮らすことが出来る住宅というものが大切なような気がするのである。だって、これ以上の範囲を自分の意思でどうにかすることなど到底出来るはずもないのだから。

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