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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
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増井真也日記

2012年3月アーカイブ

2012/03/31

朝10時より、埼玉県さいたま市にて新築住宅を検討されているTさん打ち合わせ。今回は吹き抜けのある開放的な住宅のプランと、落ち着きのあるリビングを持つ案の二つの提案を行った。第1回目のご提案ということなので、様々なバリエーションの検討段階である。決めるというよりも土地の持つ可能性や、ご家族の嗜好を探り出す為の打ち合わせの段階なので、じっくりと取り組んでいきたい。

19時、東京都西東京市にて土地を購入し住宅を建築されるというOさん御夫妻来社。都内にしては珍しく、農場に隣接する敷地ということでご提案の方向性が楽しみだ。予算1450万円ということなのでかなり厳しいプロジェクトになりそうだが、ローコストはますいいの得意分野なので楽しみながら取り組んでいきたい。

2012/03/30

夕方より、息子の通っている絵画教室の展覧会ということで川口市にあるアートギャラリーアトリアに足を運んだ。このギャラリーは昔サッポロビールの工場があった跡地をショッピングモールや公園、集合住宅に転用する為に開発した際に川口市に寄贈された施設であり、それ以来市民のアートに親しむ憩いの場として利用されている。今日も、地域の陶芸教室の展覧会など3つのスペースをフルに活用して多くの人々が楽しんでいた。アートなるもの、なんとなく生活からかけ離れた高みに位置する得体の知れないもののように思われがちではあるが、人が気持ちがよいと感じたり、きれいだと感じたりする対象物と考えれば、実は生活に身近なる物であるべきだと思う。この手の市民ギャラリーなどというものは、川口市の土地柄に似つかわしくないことこの上ないのだが、だからこそしっかりとした運営を続けていくべきなのであろう。

それにしても絵の訓練、こういう芸事は小さいころからやるに限るというのは常識ではあるのだが、息子の絵は5年生にしてはなかなかのもの。まあ、こういうのを親ばかというのであろう。

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2012/03/29

東京都北区にて進行中のNさんの家では、保存棟のリフォーム工事が進行している。古くから住み継がれてきた住宅の最も丁寧に作られた和室の部分を保存し、新たに建てられた住宅と接合して使うという、一風変わったことをしているのだが、その土地に染み付いた住まい手の様々な記憶の保存というとても有意義なことをしている自負がある。そこに係る職人さんたちの意気込みも普段とはちょっと違うようだ。じゅらく壁を塗ったりの最近では珍しい仕事も見れて楽しい。

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2012/03/26

午前中は事務所にて各プロジェクト打ち合わせ。

夕方より基礎屋さんの伊藤さんと会食。行き違いでしばらくますいいの仕事を休んでいた伊藤さんに今後のお付き合いの申し込みである。行き違いといってもさしたる揉め事があったわけではなく、言ってみれば予算の削減のやりすぎによってへそを曲げられてしまったというところだろうか。クライアントのためには少しでも安く業者さんに良いものを作ってもらうことが大切なのだが、それもやりすぎれば業者が疲弊する。度合いの問題である。その昔バブルのころには、大工さんが一日働くと4万円以上稼げた時代もあったそうだ。今では信じがたい昔話になってしまった。もちろんそんな時代の再来を夢見る職人はもはや存在しない。しかしながら、日本で暮らす職人さんたちが仕事に誇りを持って、日々の暮らしを豊かに暮らすくらいの収入を確保することが出来なければ、職人のなり手もなくなってしまうであろう。これを守ることもまた、元受業者に与えられた使命と感じなければならない。少々遅くまで飲みすぎたが、最後には握手を交わして別れた。男同士のお付き合い成立である。

2012/03/25

日曜日の今日は、埼玉県川口市にある密蔵院で開催される春の大茶会に参加した。これまでも何度かお茶会には参加したことがあるのだが、ここまで大掛かりな会に行くのは初めてのこと。はじめに入った濃茶席にて最後に道具の拝見をさせていただいたのだが、16世紀李朝の井戸茶碗やら、呉期の茶碗やらの大変珍しい道具を見させていただくことが出来た。

それにしてもこの手の会合、ご年配のご婦人方が非常に多く、若い層、特に男性がほとんどいないという事実を改めて感じた。茶道なるものは、今の時代においては、すでに重要な会合の場としての使用目的とは程遠く、古くより伝わる伝統文化の継承としての存在意義が強い。また一昔前は、嫁入り前の礼儀作法の習得の意義が茶道習得の目的を占めた。今のご高齢のご婦人方はこの流れの精鋭部隊であろう。

時が過ぎ、現代では嫁入り前の茶道習得は珍しきこととなった。知らぬことが当たり前の時代においては、知らぬことは恥ずかしいことでもなくなるものだ。しかもこの不景気である。和服を着て、茶会に行くなどの贅沢は避けられこそすれ、自ら望むものでもないであろう。私自身も経験と地位をこれ見よがしに自慢するかのような茶道の世界にはまったく興味が無いし、そんな世界に入ることは出来ない。ただ、危惧するのは、自らのアイデンティティーの喪失である。ユニクロにユルキャラにAKBが日本であるとの認識しか残らぬことへの恐怖である。たとえ理由が花嫁修業でも親から子への文化の継承はあった。それが途絶えたとき、マスコミから自動的に入ってくる情報のみによって作られる新人類のアイデンティティーとは一体何をよりどころとするのか。この手のことについて知らぬことを恥ずかしいと思うことは、案外大切なことのような気がするのである。

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2012/03/22

今日は埼玉県川口市の永瀬洋治前市長の市民葬に参加。川口市長を16年間に渡り勤めたということで、市を挙げての市民葬を行おうということになり、関係者一同、もうほとんどこの町の政経界で顔を見たことのある方々はすべて来ているのではないかと思うくらいの盛大な会合となった。私としては、今の市長が4期目で15年努めている関係からか、前市長の永瀬氏に個人的関係を持った記憶は無い。私の年齢が38歳、15年を引けば23歳である。大学卒業一年目に退官した市長を個人的関係者として知る由も無い。

ここ川口市で仕事を始めたのが26歳のとき、中学から東京の私立に出た私にとって本格的な川口市とのお付き合いはこの年に始まった。もともと地元意識などというものが薄れている年代である。しかしそこそこの年になり、結婚して子供を育てるくらいのタイミングになると、この地元意識なるもののありがたさに気がつくときがくる。街に支えられて生きていることに気がつく、そんな感じだろうか。独立当初はまさにそんな感覚が目覚めた時といえる。街の商店街を歩いていて、知り合いと呼べる関係の人に出会えただけで私も地元に根付いたんだなあなどと妙に感慨深く感じたものである。

さて、独立以来10年以上が経過した。街の会合にも広く参加するようにもなった。行きたくないものでも誘われれば仕方なく行くこともある。当初の私を世話してくれた緒先輩方の役割を担うことも多くなろう。でもそれが街で生きていくということだ。そして今日、この日の市民葬の主役の永瀬翁においては、きっと今生きている川口市民の政経界の重鎮さん達、皆の良き先輩であったのだろうコトを確信した会合であった。ここまでされれば、きっと人生に悔い無しなのであろう。

夜は、2010年に完成した村上春樹「ノルウェイの森」の映画作品を見た。小説では読んだことがあったものの、映像化するのは難しそうな感があったが、ベトナム出身のトラン・アン・ユン監督による、絶望感や虚無感と愛情の表現に心奪われた。ベトナム戦争の戦火を逃れて亡命した経験を持つ氏ならではの感情の表現というところであろう。主演の松山ケンイチの演技もすばらしかった。平清盛とはぜんぜん雰囲気が違う、与えられた役になりきる感覚が好きだ。

2012/03/21

朝一番で事務所を出発し、東京都世田谷区にあるFさんの家にて増築工事の打ち合わせ。このお宅は以前ますいいで庭の部分の工事を行ったのだが、それ以来相続問題で土地の分割、販売を行っていた。今回はようやくその問題が片付いたとのコトで、いよいよ最大の懸案であった自宅の増築に入ることとなった。

今回は初めての打ち合わせということで、土地の残地部分を利用してどのような増築計画をご希望しているかの簡単なヒアリングを行った。終了後は、なぜか子育ての話について語り合う。子を持つ親が集まると、この話題になることが多いが、それだけお互いに真剣であり、相談したいことが山ほどあるということであろう。子育ての大先輩として色々なご意見を聴くことができたこともまた、今日の有意義な収穫である。

2012/03/20

11時より、埼玉県川口市にて進行中のIさんの家上棟式。Iさんとは昨年の夏に沖縄県の阿嘉島に家族ぐるみで行ったのだが、今日はそのとき以来でIさんの妹さんのご家族とも再会した。子供達も久しぶりの再会に大変喜んでいて、なんだか一年前に戻ったような雰囲気だ。ベニヤ板で作った即席のテーブルの上にはお母さんの手料理などがぎっしりと並んで、大変和やかな雰囲気の元上棟式が進められた。大工さんの石黒さんも楽しんでいただけたようで、私と石黒さんだけは日本酒のおかげか、だいぶ酔っ払ってしまった。15時ごろ終了の後、帰社。

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2012/03/18

朝10時に家を出て、東京都新宿区にある京王プラザホテルへ。今日は地元川口市の友人の結婚式に参加する。川口駅に着くと、私以外に招待されている友人達と駅で出くわした。たいした約束もしていないのにまるで集合したかのような状態であったのだが、やはり地元の友人はよいものだ。

新宿駅に着くとさらに二人合流して、合計9名で式場へ向かう。日曜日ということで他にも様々なパーティーが開かれている。控え室に着き受付を済ませ、席順のチェック。どうやら私の席は、気を使ってくれたのかどうか、新婦のお仕事である神社の役員さんたちの席に配属されているようである。平均年齢70才超というところであろうか。これはなかなかハードな一日になりそうだ。

無事披露宴終了。終了後は気の知れた仲間と共に新宿にて会食。今日は日付が変わる前に帰ることが出来た。

2012/03/17

先週から進んでいる事務所の改装工事がいよいよ完成を向かえた。今回の一番のお気に入りは写真に写っている国産栂の一枚板。厚さが70㎜で幅が約900mm、長さは3800㎜ほどの見事な無垢材である。テーブルの脚はスタッフの池上君と一緒に約半日で作り上げたのだが、栂の柱材、米松の梁材を組み合わせて、なかなかの出来栄えである。壁には本棚にする為の米松の棚板を設置。あちらこちらに散在していたこれまで購入した書籍の類を一同に並べてみると、ますいいリビングカンパニーをスタートしてから11年の思考の過程が走馬灯のように思い出される。

来週になると私のデザインした栗材の椅子が8脚届く予定である。これまた、非常に楽しみなところだ。

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2012/03/15

東京都北区にて進行中のNさんの家では、足場の解体工事が完了した。このプロジェクトでは、もともと建っていた住宅の和室の部分を保存し構造補強と仕上げの補修を施して再利用すると共に、それ以外の部分に関しては解体し2世帯+お姉さんという大家族が住むことが出来るスペースを作ることとしている。奥に見える茶色のボリュームが新築棟で、手前の平屋の屋根が保存部分である。庭にある薪の木も残されている。

土地には様々な記憶が宿っている。歴史や地勢によるもの、そして家族の暮らしによるものなど思い出せばきりがないだろう。しかし、多くの場合その記憶は解体工事と共に消し去られてしまう。場合によっては庭の樹木から、何まで跡形もなくなってしまうこともある。でもね、記憶や歴史を消し去って、一体あなたは誰なの、の感覚が私にはある。残せるものは出来るだけ残せばよいのだ。積み重ねながら生きていく、人の暮らしとはそんなものだろう。

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2012/03/14

午前中、スタッフとの打ち合わせ。

午後1時より、スタッフ面接。京都の優秀な学生であったのだが、面接に向けた準備に若干の不手際。一時間程の時間の中で、自分をアピールしなければいけないことに対するこだわりがあまり無いように思えた。

19時、埼玉県川口市にて住宅の建て替えを検討されているMさん来社。56歳のご本人とお姉さま、そしてさらに上のお姉さんご夫妻にお母さんという大家族で集まって住むという形をご検討されているということであった。都会の孤独死が取り立たされる昨今、このように集まって住むことは高齢者ばかりでなく若年層にも見直されている。都市のシェアハウスなどは、すでに様々なスタイルでの暮らし方を提案しているが、この建築も面白い提案が出来そうな気がする。

2012/03/12

朝9時に事務所を出発し町田分室へ。11時、東京都国分寺市にて住宅の建て替えを検討中のSさんご夫妻来社。今日はリフォームから新築に変更されてからのはじめての打ち合わせということで、新築案でのプランニングのプレゼンテーションを行った。狭小地での設計ということで、2案の提示をしたのだが、そのうちの一案では、屋根の上に取り付ける温水パネルにより暖められた温水を、住宅の中心部に配置されコアのようになる階段室の壁を利用して循環させることで空調を行うというシステムを提案した。現段階では具体的な手法が確立しているわけではないものの、十分に可能性があるといえるであろう。

終了後、東京都小平市にて新築住宅を検討中のOさんが土地購入を検討されている敷地見学。ゴルフ場を南側に控えた珍しい条件で、自分の土地の広さ以上に隣地の借景を利用した計画ができるという、非常に魅力的な敷地であった。こういう土地の選び方もあるのだなと、感心させられるような条件であるが、実際にはそうそうあるものでもないのであろう。

20時、T君入社面接。私の2歳年下ということですでにアトリエ等で経験を積んでいるとのこと。週末の再会をお約束して23時過ぎ終了。

2012/03/10

朝一番より岩手県盛岡行きの新幹線に乗車。盛岡市にて開催される3.11による被災者の慰霊祭に参加する為である。

震災からちょうど一年。心にはあまりにも大きな被害の映像がまだ色濃く残っている。発災当時、語ることさえ躊躇されていた放射能の問題についても、現在ではがんの発生率がどれだけ上昇するなどの予測まで発表されており、この国では長期的に今回の災害とのお付き合いをしながら、如何に生きていくかの工夫が求められることが浮き彫りになっている。

震災で発生した瓦礫の広域処理などについてのお話も伺った。いまだ受け入れを表明する自治体は少ないようだが、これもまた当たり前の話であろう。いくら放射線数値が少ないとはいえ、ゼロではない。それをわざわざ自分達の住む地域に運搬し、地元農家の産物に出荷規制などの制限がかかってしまっては、その地域の首長は責任をとっても取りきれまい。政府の言う「安全です」にすでに説得力は無い。そして政府による強制力を持たぬ中での判断は、首長の責任にかかっている。判断など出来るわけがないのだ。本当に広域処理を所望するならば、国家権力による強制執行にすればよい。その責任を首相が取るしかないであろう。リーダー不在の実態がここにも現れた格好だ。

まだまだ問題が山積している。記憶は次第に薄れていくであろう。被災地の一部が、記憶の喪失と共に放置されないことを祈るばかりである。復興だけがとるべき道ではないことは明らかだ。人口減少に向かう時代に、自然への回帰、復興、様々な選択肢の中から地域にあった計画を選定し、いち早い決断を採択することが求められていると感じる。一体、いつまで政治はポピュリズムに走るのだろうか。

10日の土曜日には、埼玉県川口市にて進行中のIさんの家にて、構造の梁の架け替え工事が行われた。上棟時に少々痛めてしまった梁がそのままの状態で放置されていたものを、新しい材料に取り替えるというものである。やはり新築工事、こういう欠点を発見したら、すぐにあるべき姿に直すという姿勢だけは無くさないよう、スタッフのチェック体制を強化しなければいけない。

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2012/03/09

午前中、各プロジェクト打ち合わせ。

夕方、近所で美容室を営まれているY様よりご連絡。築年数が40年ほどの美容室併用の住宅に住まわれている方で、耐震性の強化とあわせてリフォーム工事のお話。延べ床面積40坪ほどの建築物ということで、新築すれば2000万円以上のコストはかかってしまう。そこまでのコストをかけての余裕はない中での、しかしながら安心と生活の質の向上を手に入れたいという中でのご相談であった。

先の地震が影響しているのか、はたまたこれまでの経年変化なのか、すでに床はゆがみサッシなどの建て付けもだいぶ悪い様子である。窓も全開すると落ちてしまうようなところもあるようであるから、壁のゆがみも相当量発生している。40年以上経過している建築物はこれまでの経験上、ほとんど筋交いが無いか、若しくは数箇所しか施工されていない。しかも今回の建築の場合、増築時に外壁の一面を完全に撤去している為、道路に面する外壁面には一つの筋交いも存在しないという非常に不安定な状態になってしまっている。

まずは図面も何も存在しないということであるので、既存の平面図を作成することとなる。その後のプラン変更、補強計画の打ち合わせとなるだろう。難しそうな仕事だけに丁寧に進めていこうと思う。

2012/03/02

今日は新宿にあるOZONにて、登録工務店の顔合わせなどの会合に参加した。町田の鈴木工務店産などの老舗が多数参加されていて、大変有意義な交流となる。老舗というだけあって、その多くが私の親と同じような世代であるのだが、勉強させていただくことがたくさんありそうだ。終了後、田村と一緒に事務所に戻る。若干の打ち合わせを行った後、スタッフの鈴木、佐野と一緒に、西川口駅の近くにある善作さんに食事に出かけた。

2012/03/01

早くも3月、だんだんと暖かくなる季節がやってきた。春が近づいてくるとなんとなく心も弾むものだ。昨年の大震災があってから早くも一年が経とうとしている。東電の電気代金値上げなどのニュースが時たま世間をにぎわせるが、次第に震災のことが忘れられてきているような気もする。忘れてよいことと忘れてはいけないことをしっかりと区別して、これからの活動につなげなければならない。

伊藤豊雄・中沢新一による「建築の大転換」読了。3.11以降の建築のあり方について、二人の頭脳が互いの意見を提示しあう本である。この中で近代建築のまさに巨匠とも言うべき伊藤氏が「ガラス張りがやっぱり美しいと思ってしまうところがあるから、この美意識を自分でも変えなくてはいけない。近代主義に毒された自分を変えなくちゃ。」という記述をしている。20世紀近代建築が、グローバリズムの崩壊や、大震災以降の自然と対峙する構造物の限界意識によって、変わらざるを得ないところにきていることは明確であるが、その方向性については実に曖昧だ。

藤森氏は、「20世紀建築においては、それまでの伝統建築の中で使われていた材料や自然的なものを使わなくなった。それまでの建築と自然を全部否定して壊して出来たものなんです。20世紀の建築を支えたのは科学・技術です。20世紀は科学・技術を原理にした時代だし、建築にとっては数学がそのまま原理です。だから建築家が数学にしたがって白い建築を作っているとき、「20世紀という時代にふさわしい建築を作っているんだ」という自信があったんです。僕はその自信自体は間違っていないと思っています。だって科学・技術がなければ今生きている人のうち6割くらいは死ぬしかなくなりますからね。」という記述の後に、今後の近代建築家の行く末を楽しみだと言っている。そしてさらに、しかしながらそれをやることは自分の仕事ではないということも付け加えている。つまり、近代建築の批評はするけど、僕は作らないから様子を見てるよって、そういうスタンスにいるわけである。

日本の巨匠がこれである。つまりその先の建築などという答えは、もはやないということが明らかなのだ。建築は何の為にあるのか。思考の遊び道具にされる建築のあり方は、国が成長段階にあるバブル時代のような、経済という魔物が不要な建築を作る手助けをしてくれる時代にしか存在することは出来ないのだろう。特に現在の低迷する日本の経済状況の中では、誰もそんな余裕を有していないのである。

ここでは、より原理主義的に、存在意義に即した建築のあり方が求められる。住宅においては、家族が暮らすということ、食料の生産・エネルギーの生産・まさに「生き延びる為の建築」という姿が思い浮かばれる。

都市化が進む一方だったこれまでとは違い、都心部でも人口減少の時代が始まろうとしている。私の住む川口市では、都市農業のあり方を見直そうという動きも出始めている。つまり土地が余り始める時代において、現在の農業振興政策からはまったく無視されている都心部における農業の促進も考えていこうというわけだ。これは、農業生産量を向上させるというだけでなく、都市部の景観や災害時の避難場所の確保という利点も生み出すものだ。六本木や青山では議論できない考え方だが、私の住む川口市のような東京近郊のベッドタウンでは非常に可能性のある考えだと思われる。私はしばらくこの方向で思考を進めて生きたいと考えている。

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