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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
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増井真也日記

2012年2月アーカイブ

2012/02/28

朝事務所に着くと、先日お会いした東京都あきる野市に家を建てたいというIさんより直筆のお手紙をいただいた。お若い御夫婦なのにメールをあまりご利用にならないということだったのだが、このようにお手紙をいただいたことがちょっと新鮮であった。やはり、気持ちが伝わるのは手紙だな、などと妙に感心もしてしまった。

2012/02/27

今日は町田分室での打ち合わせということで、朝一番から妻と二人で町田に向けて車を飛ばす。やっぱり平日だと、首都高速の混雑で1時間40分はかかってしまうようで、11時の打ち合わせに少々遅れてしまった。事務所に着くとすでにSさんご家族が見えており、田村との打ち合わせを始めていた。Sさんは、はじめリフォーム工事の相談にこられた方であるのだが、当初より新築住宅にするかどうかの迷いの中で、今回の埼玉県川口市に建てた中庭のある家のオープンハウスの後に、新築に移行することを決心された。やはり新築住宅の自由度が魅力的だったのであろう。

住宅を作るに当たって、自由であるということは非常に重要なことだと思う。合理性だけを追求すれば、ハウスメーカーのような住宅になるのは頭では理解できるのだが、人間は合理性だけで生きるものではないことは明らかだ。しかも今の時点で合理的と思われていることであったとしても、時代と共にそれが合理的なものでなくなるコトもまた、3,11以降の出来事を見ていれば明確である。安全神話に隠されて、誰もそこに対する疑問の声を発しなかった原発が、あっけなく日本最大級のお荷物になってしまった現実の問題を見ても、合理性という判断が、経済市場主義という一面からの人間の幸福を満たすための手法になりうるかという判断だけで作り上げられているということが分る。人は人の作り出した思想によってコントロールされるものだが、貨幣という道具が、いつの日か実態の世界を破滅させるほどの力を持つことへの嫌悪感もすでに多くの人が感じていることであろう。

こうした中で家くらい、せめて自分の住む場所くらいは、自分の価値観で自由に誰にも邪魔されることなく構築することができてもよいのではないだろうか。家という物はそもそもお金を生み出すために作るものではないのだ。投資物件ではないのである。自らがそこで暮らし、生きる為に作るものであり、寝る時間も合わせれば明らかに人間が最も多くの時間を過ごす場である。豊かな人生であったかどうかの判断が本当の幸福だと私は思うが、住宅が豊かな時間を過ごす場にならずして、それを実現することは不可能なのだ。Sさん御夫婦とお話していると、本当に自由な夢を語ってくださる。屋根の上に上って花火を見たいな、猫と一緒に暮らしたいな、の類の自由な夢が、私には本当に魅力的に思えた。やっぱりそういうことが一緒に出来るからこその家族だよな、と思う。

2012/02/26

昨日の興奮も冷め遣らぬ中、地元の大先輩N氏と昨日お会いした外尾氏に、ゆっくりと時間をかけてお手紙を書く。

「信じることの大切さを分る人を人は信じられる。そして信念に基づく洗練が魅力となる。そんなことを感じさせていただきました。
いまだ見ぬスペインの地を訪れます。そのときはよろしくお願いします。」

さて、いつスペインに行こうか。また大きな楽しみが一つ増えた。

2012/02/24

今日は大工さんがいないので埼玉県川口市にて進行中のIさんの家の現場管理はお休み。午前中は事務所にて、部材の発注作業やら各所の収まり図の作成状況などに目を通す。

夕方、赤坂のキャピタル東急ホテルにて、カワグチシの先輩方のご縁で外尾悦郎氏を囲んでの食事会に参加。外尾氏は先日読んだ、「ガウディーからの伝言」の著者であり、皆様もネスカフェのCMなどでご存知であろうが、現在もサクラダファミリアの彫刻家としてご活躍されている。会話の中の言葉の中で、

「日本人は完璧を求めすぎる傾向かある。物事にも人間にも完璧などない。あるべきものは理想を追求する行動だけだ。」

ということをおっしゃっていたのだが、私もこれには同感である。家造りの場面でもそうなのだが、本当にきれいにデザインされた建築を見ていて、ここにどうやって住むのだろうかと不思議に感じることがよくある。人間はそんなにいつも置物のように暮らせるものではない。ゆえにギャラリーのような住宅に本当の意味での安らぎの空間はないように感じる。建売やハウスメーカーの住宅はさらにひどい。○LDKの区画された間取りは、可変性もなく、そして既製品の樹脂製品で囲まれた仕上げ部分には住みながら手を加える余地もなければ、経年変化を美と受け入れる物質的豊かさもない。家族の暮らしにあわせて、少しずつ作りつつけられる感覚、少しずつ変化できる感覚、そして時間と共に豊かさを増すような建築、そういう余白の残る建築こそ住宅にはふさわしいのではないだろうかという感の意味で、とても共感できる言葉であった。

2012/02/23

朝一番で、埼玉県川口市にあるIさんの家現場確認。大工さんの作業に関する指示などの後、9時ごろ事務所に戻る。

2012/02/22

朝7時40分、埼玉県川口市にて進行中のIさんの家の現場管理。現場に着くと大工さんの石黒さんとにしこりさんが作業の準備中。早速、現在進行中の木製枠の取りつけなどの作業についての打ち合わせを行った。しばらくすると、クライアントのIさんご夫妻が車で通りかかりご挨拶。駅まで奥様をお送りした後に、再びご主人が現場に来ていただいたので、久しぶりにお話をすることができた。

md-20120222.jpg夕方、Iさんと現場確認を行って帰ってきた岸田との打ち合わせ。いくつかの問題点などを拾い出してきたとのコト。現場においての私の立場は、あるべきものをあるべき姿にする為の指導者でなければならない。ということで、それらの問題点に対する改善策についての具体的な指導を行うことに。早速明日以降に作業に取り掛かる予定だ。

2012/02/20

今日は朝早く事務所を出発して埼玉県春日部市にあるOさんの家に向かった。ここでの作業は耐震診断の作業立会いである。耐震診断作業の時に何をするのか?興味のある方も入ると思うのでお知らせしよう。

1、基礎の形状・鉄筋の存在の確認

2、1階、2階の天井裏や床下部分からの、筋交いと火打ちの寸法及び存在確認

3、建物自体の傾きなどの確認

4、建物の仕上げ部材などを確認し重量の計算が出来る情報を集める

以上が主な作業である。普通の木造2階建ての住宅であれば、3時間程度で終わる作業だが、荷物の移動やら押し入れの天井はがし作業など、場合によっては簡単な大工工事も必要とする。これらの情報を可能な限り集め、この住宅がどの程度の地震に耐えることが出来るかの算出を行うのであるが、私の感覚からすると最も重要なものは信用だ。というもの住んでいる状況で多くの生活品があり、その中を自由に歩き回って検査をするわけであるので、どこの誰だかわからないような人になかなか頼めるものでもないのだ。信用というとこういう方面での信用もあるのだが、もう少し踏み込んだ話をすれば、耐震改修のアイデアの提案とその見積もりに対する信用はもっと重要である。そもそも、無筋コンクリートが主流の時代に立てられた木造住宅の場合、筋交いが入っているものでも金物など皆無に等しく、それを杓子定規に認定工法などを使って、基礎まで造成して補強したのではコストがかかって仕方が無いのだ。使える予算の範囲内で何をすれば効果的かのフレキシブルな判断を下すこと、この部分が最も難しく大切な作業であると考えている。

2012/02/19

日曜日、午後よりあきる野市のおじいさんの土地に住宅建築を計画されているIさんご夫妻来社。はじめての来社ということで、ますいいの家造りの流れについてのご説明をさせていただいた。

終了後、外尾悦郎氏「ガウディーの伝言」読了。若くしてスペインに渡り、長年一つの建築の彫刻に係ってきた方ならではの、そして日本人ならではの分りやすい建築の解釈を楽しんだ。このサクラダファミリア、「聖家族贖罪聖堂」は1882年から建設が始められた。サクラダは「聖なる」、ファミリアは「家族」という名の通り、罪をあがなう貧しき者たちの聖堂であるそうだ。驚くことにはじめの建築家は、「ビリャール・ロサーノ」なる人物で、ガウディーではなかった。しかも、建物ももっと普通の教会建築であった。1年で主任建築家を辞任した後に2代目についたのがガウディである。彼は当時まだ31歳。亡くなったのが73歳のときであるので、なんと40年以上も一つの建築にかかわったということになる。

人を幸せにする為の宗教建築、現代に置き換えれば、人を幸せにする為の住宅建築。それに係る私も、出来ることならば70歳くらいまでじっくりと取り組んでいきたいものである。

2012/02/18

今日は朝から埼玉県川口市に建てたMさんの家のオープンハウス。午前中6組、午後3組の見学者が来てくださり、一日中Mさんの家についての説明をさせていただいた。

オープンハウスの間、クライアントのMさんがずーっと立ち会ってくれていいた。しかも見学者に対して私達と一緒に御礼までしてくれていた。なんだか、本当に家を喜んでくれているのが伝わってきて、嬉しかった。やっぱり私を信頼してくれて家造りを任せてくれた方のために、すべてをかけて取り組むこの仕事に、様々なジャンルの建築の中で「使い手」がじかに見える数少ない住宅という仕事に、改めて満足を感じる機会となった。

2012/02/16

埼玉県川口市にて進行中のMさんの家の玄関が、ようやく取り付けられた。この扉の製作は私の父に依頼したのだが、写真のビスまで手作りで作り上げたこだわりの一品である。前面道路に面する何もない壁に、たった一つだけの装飾を付した。ちなみに茶色の部分はコールテン鋼という耐食性の高い鉄板だ。もちろんこの色はペンキなどではなく錆の色。でもこの錆はこれ以上鉄板の内部に浸透することなく、まるで仕上げ塗装のごとくあり続ける。シルバーの部分は亜鉛メッキ塗装である。18日のオープンハウスに向けようやく完成を向かえることになる。

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2012/02/15

午前中は事務j所にて各プロジェクトミーティング。

漫画「匠三代」のテーマで、震災後の住宅についてという話を進めるかどうかの相談をされた。何を提案するかのイメージをするものの、すぐに浮かぶアイデアはなし。確かに、色々なことは考えた。エネルギー問題に寄与することの出来る住宅、つまりソーラーなどの自家発電装置や省エネルギーを目指す設計などは第一に頭に浮かぶ。国も断熱材などの建材の性能を上げる準備を進めているということであるし、ゼロエネルギー住宅などの実験も各地で行われているところだ。私も地熱暖房システムなどについての調査をしてみたものの、あまりに高額なシステムの為導入に踏み切ることは出来なかった。あくまで個人の住宅である。それも限られた予算で、家族が幸せに暮らすための場をつくるわけで、どれだけ理想的なシステムであろうと数百万円もかかるのであればおいそれと導入することは出来ない。

次に頭に浮かぶのは、耐震性能の向上である。ますいいでも数々の耐震に関する相談を受け、その依頼に対してはフレキシブルに対応してきている。フレキシブルというのは、予算に応じて、今よりも耐震性能を向上させることが出来ればよいという中間領域、つまり0か100かの選択ではなく、70でもやらないよりはましであるという選択肢も視野に入れながら、生活に無理のない補強工事を進めるという意味の柔軟さを持つということだ。また、免震オイルダンパーなどの設置も勧めるようにしている。

要はできることはすでにやっているのである。

でもこれが、建築家として震災後の住宅のあり方としての答えかといわれれば、そうではない。これはあくまで、物理的要求にこたえているだけのことであって、誰もがやることである。こんなことではないのだ。

「集まって住む」

これは私も実践していることである。つまり家族みんなで暮らすということなのだが、核家族化が進む現代社会において、まさに逆のことをしている。でもこういうことが、まさに大切なことのような気がする。まだうまくは言えない。でも思いつくことを書いてみる。

災害が起きると、高齢者の被災者の避難所暮らしはどうしても長引く。他のところに新たな生活を作り出すパワーもなければ資金もない、そんな高齢者の居所は避難所しかないだろう。

災害とは関係なく、多くの高齢者施設も出来ているが、これは現代の姥捨て山かと感じることもある。大枚をはたいて、介護の元に、高齢者だけの生活空間が出来、そこで死を待つ生活に、人間としての尊厳があるのだろうか。私の祖母は我が子にかれこれ10年間にわたりよき教育者として係っている。特に幼児はよく懐く。見ていると思考も会話も行動も、とてもよい具合にペースが一緒なのだ。

さらに現代住宅はその寿命がどんどん延びている。今作っているものなど、おそらく50年から70年くらいは使用できるだろう。(一部メーカーでは100年住宅をうたう例もある)しかしながら、もし一代しかその住宅を使用しないとなると、問題が生じる。40歳で家を建てて、80歳まで生きるとしたならその期間40年。やはりもう一世代は受け継いで欲しいのだ。

ライフスタイルの変化から住宅を取り壊すことが多い。昔の和室の田の字プランの住宅をそのまま使うのは現代人にとってなかなか難しいだろう。長く使う、他世代で使う住宅であれば、そのプランは家族構成の変化によってフレキシブルに対応できるものでなければならない。昔の建売のようではならないのである。

よく、高齢者のリフォームの相談にのっているときに感じること、リフォームをするくらいだからゆとりのある方が多い。でもお子さんが出て行き、高齢の御夫婦若しくは一人で暮らしている、大概は大きく豪勢な古い住宅からは、寂しさを感じることが多い。そのまま手付かずになっている子供部屋をよく見かける。本当は一緒に住みたい、そんな気持ちが伝わってくるのだ。

何の為に生きるか、根源は家族という最小単位のコミュニティーを守ることにあるのではないか。
先祖伝来の農地を守る親と都会に出た子供。
すぐ近くに住んでいるけれど、一緒に住むのはいやだ。
勤め先の命令で遠いところに住むことを余技なくされる。
理由は色々あるだろうが、私の周りに一番多いのは2番目、つまり個人主義の問題である。
以前屋久島に家を建てた。そこの大工さんの家に遊びに行ったのだが、家に入ると4部屋しかない田の字プラン、一体どこがリビングで寝室なのかさっぱり分らない。聞くと今居るところが寝室になるという。要は片付けて布団を敷く、するとリビングが出来上がるのである。私がまだ飲んでいるのに、寝室となった隣の部屋では子供達が寝息を立てていた。こちらもちょっと小声になる。そんなやり取りが、新鮮に感じた。

ちょっと極端なことを言った。同じ家に住みたくないならせめて隣に住めばよい。上下に分かれるのも良い方法だろう。

でもね、困ったときは国に文句を言って、行政に噛み付いて、でも普段は個人主義なんて都合のよいことが成立するはずはないのだ。普段から自分を多少犠牲にして、家族や地域のコミュニティーを育てていく、そういうことでしか、究極の困難を乗り越えることは難しいと思う。今の東北ががんばれるのはもともとあったコミュニティーのおかげが大きいのではないだろうか。東京で同じことが起きたら、一体どうなるのかを考えると想像もつかない。顔も知らない隣近所が、いざという時に学校の体育館でであったら、果たして協力し合うことが出来るのか?

2012/02/13

夕方、上階の住人の火事のために、自宅のマンションの部屋が水を全面的に浴びてしまったというAさんの打ち合わせ。とりあえずは保険屋さんとの話し合いになるであろうが、ここまで被害がひどい場合には大抵の場合全面改修という事になるのでへんな揉め事になることはないだろう。これまでも何度も保険の仕事をしてきたが、外資系の保険屋さんなどの場合支払いの査定が非常に厳しいことが多く、結局クライアントの持ち出しが発生してしまうこともある。今回は三井住友ということなのでおそらくは協力的な対応をしてくれると思うが、いざという時に支払いをしてくれにくい保険屋さんなどは、いくら掛け金が安くてもあまり意味がないと感じるのは私だけだろうか。

20時ごろより、埼玉県川口市にて新築住宅を検討されているOさん、打ち合わせ。今回の住宅は奥様が南仏風のデザインを所望されているということで、ロマネスクの時代のル・トロネ修道院から、シェイプハントをすることにしてみた。この修道院は、シトー派の修道院で一切の装飾を排除し、石を用いた幾何学的な表現で、教会としての神聖な空間を作り出しているのが特徴である。何はともあれ、イメージにぴったりですのお褒めの言葉をいただけたこと、これが何よりのやりがいである。

2012/02/11

午前中は事務所にて雑務。

午後、16時過ぎのフライトで一路高知空港へ。空港に着きタクシーを拾い予約しておいた高知黒潮ホテルに移動。すでに18時を回っていたので近所にある料理屋さんで夕食。かつおのたたき、鯨の刺身など郷土料理を食した。

翌日午前中だけは高知で見ておきたいところを回っておこうということで、まずは桂浜にある坂本龍馬記念館を訪れた。1988年、設計者である高橋晶子氏がまだ30歳だったころに行われた公開設計競技で受賞し、建てられた建物である。篠原一男氏を師に持つ高橋氏ならではの建築と思うのだが、実際に入ってみるとその運営側の苦労がなんとなくにじみ出ている建築のようであった。バブル真っ最中、日本中が浮かれていた時代につくられた、まさに地域を代表するゴミ建築とも言えるかもしれない。私としては、ますいいの事務所に酷似するキャンチレバーの表現などが好きで一度は見てみたいと思っていたが、屋上に乗ると、やはりゆれた。私がジャンプして震度1、まさにますいいの事務所と同じであった。

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桂浜

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坂本龍馬記念館

続いて、かの有名な沢田マンションへ。1970年代に建築の素人の沢田夫妻が完全なるセルフビルドで立て上げた集合住宅だ。増築を重ねている為、なんとなくばらばらな、それでいてみていてほほえましくなるような建築である。屋上には手作りのクレーン、坂道はご覧のよにグニョグニョ、まるで宮崎駿のアニメに出てくるような建築であった。

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沢田マンション

2012/02/10

朝一番より埼玉県春日部市にてOさんの家の耐震診断に向けた家屋調査立会い。今日の作業は既存建築物の図面作成である。というのもOさん、築43年ということですでに図面を紛失してしまっているのだ。すでに何件もの耐震診断を行っているが、ほとんどのケースで図面はない。まあ、長い人生の間にほとんど見る機会のないものであるので、仕方が無いだろう。

約2時間ほどの時間を経て調査終了。この後は図面の作成期間を経て、耐震診断を行う予定である。この際には筋交いの存在を目視して作成した図面にプロットしていくのだが、天井裏やら床下やらの調査だけに大変だ。この点も図面が残ってい入れば・・・の思いがいつも残るところである。

夕方、滋賀県にある妻の実家より、妻の父の実家がある高知県宿毛市に住んでいた祖母が亡くなったとの連絡を受ける。土日のスケジュールを確認したところ、何とかなりそう。ということで急遽家族全員で高知に行くことに。遠いけれど、仕方が無い。たぶんこういうときでもないと、妻の父方の親戚が一堂会することなどないだろうし、子供達にとっても自分自身のルーツを意識する貴重な体験となるはずである。葬儀とはなくしてはいけない風習の一つ、大切な風習の一つであるのだ。

2012/02/09

朝礼で佐野君が印象に残ることを言った。未来のことは分らないし不安なこともあるけれど、そういうことでくよくよするよりも、今日一日を一生懸命に生きることの方が大切だ。僕がそれを出来ているかわからない。だから今日もがんばってみようって。なんだか勇気づけられた様な気がする。やっぱり説得力のある言葉の力というのは凄いな。

2012/02/07

朝礼時、埼玉県川口市で進行中のMさんの家の玄関ドア塗装に関する打ち合わせ。スチールとコールテン鋼を組み合わせたデザインなのだが、スチールの部分には錆止めのための塗装を施さなければならない。今回はローバルという亜鉛メッキ塗料のシルバー色を仕上げとすることにした。ちなみにコールテン鋼とは、腐食が内部まで進まない特殊な鉄のことである。最近ではこれを建築の構造体として意匠的に用いる例もある美しい材料だ。下の写真の茶色くさび始めている部分が、そのコールテン鋼の部分である。まだ錆がまばらであるが、しっかりと表面がさびれば美しい錆茶になるであろう。

md-20120207.jpg午後は恒例のお茶のお稽古。今日は筒茶碗に絞り茶巾のお点前と濃茶のお点前を行った。2月に入り、私のスケジュールも少々落ち着いている。ゆえに、茶道に対する心構えも出来る余裕が出来てきた。ゆったりとした時間を過ごす中で、色々なことを考えられる。こういう時間を一週間に一度くらいは確保したいものだ。

19時、大宮駅にて星野木材の星野社長と待ち合わせ。材木屋さんの3代目だが、非常に聡明で話していて楽しい方である。0時ごろまで物づくり談義に花を咲かせる。

2012/02/06

エンリケ・カサネリェス著「アントニオ・ガウディー その新しいヴィジョン」読了。これまであまりガウディーについての勉強はしたことがなかったのだが、「物を創造する」ということへの、絶え間ない努力が強く心に響いた。印象に残る言葉をご紹介しよう。  

「創造は人間を通して絶え間なく働きかける。

しかし人間は創造しない。発見する。 
 
新しい作品のための支えとして自然の諸法則を探求する人々は創造主とと共に製作する。 
 
模倣する人々は創造主と共に製作しない。 
 
それゆえ独創とは起源に帰ることである。」 
 
A・GAUDI


夕方、田村君が来て町田分室についての打ち合わせ。分室の方でも近所の材木屋さんなどと縁がつながったようで、着々と物づくりの体制がととのってきているようだ。物置のコンテナも見つかったようで一安心。以前は簡単に手に入ったコンテナも、今では建築などにも利用される人気商品になってしまった。値段も高くなり、これでは運送用の商品の建築への転換利用という本質的な意味もあんまりなくなってしまうな。

2012/02/05

午前中、埼玉県さいたま市にて進行中のYさんの家地鎮祭。ご家族と一緒に大勢でにぎやかな地鎮祭を執り行った。この儀式もまた、引き継ぐべき文化風習であると考えている。やるやらないはもちろんクライアントの自由だが、一生に一度の家を建てるときくらい自分の住むその場所の神様を意識し、感謝を現すくらいの気持ちがあってよいのではないかと思う。写真右手が今回の担当主任の鈴木君。もうすぐ丸4年となる彼も最近経験を積んで急激に頼もしくなってきた。この計画も楽しみなところだ。

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2012/02/04

午前中は事務所にて各プロジェクト打ち合わせ。

昼過ぎより、川口駅前フレンディアにて日光御成街道に関するシンポジウムに参加。川口市・鳩ヶ谷市は昨年ようやく合併したわけであるが、実はこの両市は徳川時代に将軍の日光参社の際の専用道路として利用されていた経緯がある。今回のシンポジウムは、この歴史的な道をどのように考えるかというテーマで行われた。

もともと、川口市という所は鋳物業で栄えてきた街である。1800年ごろには254軒の家が建ち1138人の人がいた。このころの鋳物師がすでに9人いた。幕末には色々な藩より大量の大砲の注文をうけた。この名残は今でも確実に残っており、数こそ少なくなったが今だに鋳物屋さんは操業しているし、移転等でなくなった後は高層マンションになり、市民の住む場所として町を支えている。

そんな川口市のもう一つの生い立ちが、先ほどの日光御成街道である。東京都北区にある岩淵と川の反対側の川口市の両方をあわせて、一つの宿場とし、川口市の宿ではご一行が昼食をとることが恒例とされた。この日光社参、どれくらいの規模で行われたかといえば、13万人の武士に22万人の人足、そして32万頭の馬がいたというから驚きである。もちろんこんなにたくさんの人がこの川口を通ったわけではなく、日光に通じるあらゆる道に分散して行ったとのことではある。今後の街づくりにどのように生かすことが出来るか、私も少々考えてみたい。

2012/02/03

今日は節分、縁あって國商の國分社長と埼玉県川口市にある密蔵院で開催される節分会に参加した。15時から始まるということだったので、10分前くらいに会場に着くとすでに地域の住民たちが大勢集まっている。入口の左手にある建物の屋上には、豆まきをする人が準備をしていて、その建物の外壁には今年の年男の方の名前が貼り出されている。その下で待つ大勢の人たちは、子供から大人からみんな屋根の上から投げられる景品をゲットしようと、顔を赤らめている。なんだか、懐かしい光景だなあと眺めていると、グリーンセレモニーの境君、そして住職のお嬢さんである山口さんが来てくれた。境君はみんなと一緒に屋根の上から豆まきをするらしいとのこと。しばらくの間、山口さんからいろいろなお話を聞かせていただいた。

ちょっとすると、いよいよ節分が始まった。お坊さんやお手伝いの方が大勢屋根の上に登り、お坊さんのお経と「えーい」という掛け声とともに、いろんなものを投げ出した。中には地元のお相撲さんまでいて、伊勢丹の袋に入った景品などの、とにかくいろんなものを、これでもかというくらい沢山投げている。縁起物ということで、私も豆をいただいてきた。

それにしても、私の住んでいる川口市にもこのような文化風習がまだ残っているということに少々驚いた。というよりもこういうことは、地域ぐるみでがんばって残していくものなのであろうと思う。川口神社の初詣、酉の市、などなど身近なものもたくさんあるが、まだまだ知らないことも多いんだなあと改めて自覚した。

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2012/02/01

先日の日記で、木造用の免震オイルダンパー金物「コラボパワー」について記載したのでもう少し詳しく書いておくことにする。この製品は、木造の躯体にビスを用いて簡単に取り付けられることが出来るので、施工にかかる費用が非常に安いことが特徴である。私の知っているほかの工法では、例えば鉄骨の架台の上に木造住宅をそっくりそのまま乗せてしまい、架台と住宅の間にベアリングを施工することで上に載っている住宅が自由に動くようにし、その動きをダンパーで制御することで免震化する装置などがあるわけだが、ご想像の通り、非常に高価な装置であり、現実的に考えて住宅建築に適応することは難しい。その点、この免新オイルダンパーに関して言うと、部材費用もローコストであり、施工費用もローコストであるので、私の知っている限りにおいては最も利用価値の高いものだと考えている。

圧縮方向の力に対し、1.5トンで解放するようになっているので、力がかかりすぎることによる木造躯体部材の破壊もない。また、引っ張り力に対しては0.2トンで解放するように設計されているので、取り付け方法がビス止めでよいようになっている。弱い木造住宅の構造をやさしく支えるという考え方からして、なんとも、理にかなっている部材なのである。

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