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ますいいリビングカンパニーは埼玉県川口市にある注文住宅を作るデザイン設計事務所です。
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増井真也日記

2012年1月アーカイブ

2012/01/30

午前中、埼玉県春日部市にてOさんの家の耐震診断ご相談。社長の知人のOさんはご高齢の女性の一人暮らしということで、もしものときに倒壊しないような対策を施して欲しいとの事であった。最近はこのようなご相談が後を絶たないわけであるが、古い住宅の耐震補強というのは非常に難しい一面もある。多くの住宅は、例えばもともとは平屋だったのに2階部分を増築してしまっているなどの履歴があったりするだけでなく、40年ほど前の住宅ともなると基礎に鉄筋は入っていないし、筋交いだってほとんど施工されていないものも多いのが現実だ。そのような建築を現行の建築基準法に照らし合わせて満足できるレベルまで補強するとなると、とんでもないコストを要するわけであり、建て替えてしまった方がよいのではないかの、議論になってきてしまう。しかしながら、リフォームするにはするで、予算の問題やらなにやらそれなりの理由もある。おいそれと建て替えましょうとは言えない事情を理解することも必要で、そんな中耐震補強のあり方を考えることが一番の仕事であろう。

作業の手順としては、まず第一に現状把握だ。この作業は現況図面を作成し、天井裏や床下から構造体の点検を行うことで、今現状の耐震要素がどの程度存在するかどうか、つまり原稿基準と比較してどの程度弱いかの判定を行う。続いて、補強計画の作成に入る。基礎がない部分の基礎を作成したり、筋交いを施工したり、免震のオイルダンパーを施工するなどの組み合わせで、ゆれにくく壊れにくい構造体にすることを目指す。この際、必ずしも現行法を満たすことに縛られるのではなく、いかにコストを抑えながら効果的な耐震性の発現を実現させるかの配慮をするようにしている。Oさんの家、まずは図面の作成作業から入ることになる。

続いて、埼玉県川口市にて進行中のIさんの家の現場確認。現場では大工さんが筋交い作業などを行っており、防蟻塗装などのスケジュールなどに関する確認などを行った。この住宅は東側に吹き抜けとなっている土間を持ち、西側に2階の床を配置している。大きな空間の上には、大きな屋根が一枚掛けられているのだが、その屋根もすでに完成した。構造体の作業を終えると、いよいよ外壁やサッシなどの工事に入る。住宅の様相がはっきりとしてくる段階に入るわけである。ここからの進行が楽しみなところだ。

md-20120130.jpg最後に回ったのが、埼玉県川口市にて進行中のMさんの家。すでにほとんどの工事を終え、後は玄関の取り付けを待つばかりである。玄関ドアは現在私の父が作成中で、来週には取り付けられる予定となっている。下の写真は、キッチンを望む内観の様子。2月18日にオープンハウスを行うので、興味のある方は是非ご覧いただきたい。

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2012/01/28

午前中は、埼玉県川口市に新築住宅を検討しているMさんご夫妻打ち合わせ。今回が初めての来社ということで、ますいいの家造りの流れなどについてのご説明をさせていただいた。

このような初回の打ち合わせの際には、「ますいいが工務店機能を持った設計事務所であるということ」について、特に詳しく説明させていただく様にしている。この会社の形態は、正直言って珍しい。私の早稲田大学時代の友人達も、独立した仲間はたくさんいるが、工務店機能を兼ね備えているものは一人もいない。皆、設計業務のみに限って仕事をしている。

ではなぜ工務店機能を持つことがそんなに難しいのであろうか?の説明をさせていただこう。
まずは建設業の登録をして、工事請負契約を行う許可を取らなければならない。これには建設業における5年以上の役員経験者が役員になるという高いハードルがある。私の場合は、母がもともと小さなリフォーム工事などを請け負う不動産会社を経営していてくれたおかげで、すぐに許可を取ることが出来た。
そのほかに工務店として必要なこと、挙げればきりがないのだが、備品、資本、土地、事務所、車・・・。とにかくお金がかかる。
しかも工務店はその施工物に対して10年間の構造と雨漏りに対する保証をしなければいけない。10年である。その責任は重い。これに耐えうる「責任感と熱い思い」が、さらにハードルを高くしているのだ。
既存の工務店の2代目の社長さんたちが設計事務所機能を持てばよいと言う人がいるかもしれない。確かにそうである。でも、悲しいことに工務店の2代目はあまり設計の勉強をしない。大工さんの親父を持つと大工上がりの2代目になるし、ちょっと規模の大きな10人くらいの建設会社の社長の親父を持つと、間違いなく親父と同じ営業マンになることを美徳とするのだ。これは、冗談のような話だが結構当たっている。だから既存の建設会社が設計事務所としての設計力を保持することはほとんどない。

でも考えてみて欲しい。そもそも日本社会における家造りの棟梁たちは、自らが設計者であり、職人をまとめる親方であった。クライアントの大切なお金を管理し、その地方地方に最適な住宅を作り、維持する、まさに工務店機能を持つ設計者だったのである。私の師である石山修武氏の持論でも、建築家が小住宅を手がける意義は、工務店機能を兼ね備えたときにしか発揮されないということを言っている。

だからこそ私は、設計事務所をやるよりはちょっと大変だけれど、工務店機能を兼ね備えるということを大切にしている。そもそも結論から言うと、小規模の住宅建築に建築家と工務店を二つに分ける必要などまったくないのだ。建築家による第3社的な監理がないことを言う人がいるが、昨今の家造りはすべての建築物が瑕疵担保保険に加入することを義務付けられているだけでなく、その結果第3者機関による現場確認も受けている。アネハ事件を思い出してみて欲しい。設計事務所や構造事務所までグルになって、強度不足の建築物を生産していたのだ。そもそも大事なのはお互いに監理する体制ではなく、そこに係る人間のモラルなんだと思う。そしてもっと大切なこと、それは建築が好きだということだ。建築が本当に好きな人が、仕事をしながら大好きな建築を一番楽しめる体制こそ、ますいいの家造りなのである。

昼過ぎより、お茶のお稽古。今月は火曜日のお稽古に所用により参加することが出来なかったので、先生の好意によって土曜日にもう一日稽古日を作っていただいた。今回から男性生徒が一人増えた。私の知人の砂沢君である。ということで今日は立礼と炉の薄茶点前でお手本を見せてあげることになった。

夕方、埼玉県川口市にて新築住宅を検討中のOさんご夫妻打ち合わせ。今回は1回目のプラン打ち合わせだったのだが、色々と住宅に対する思いをうかがうことが出来た。次回はさらに良いものとなるであろう。

2012/01/27

今日はちょっと時間があったので、夏休みに行く予定の阿嘉島の航空便などを調べていた。この島、何にもないと言う表現がぴったりの島で、数件の民宿と2件の食堂以外にあるのは、豊かな自然だけだ。しかもちょっと天候が荒れると、沖縄からの船便がとまってしまうので渡ることが出来なくなる。もちろん直行便の飛行機などあるはずもない。でも私を含め、家族全員がココロのそこからこの島に惚れてしまったのだ。このたびには豊かな不便さがあるのである。

私は中学高校の山岳部時代にいやと言うほどこの豊かな不便さを味わった。何もない、誰もいないところを追い求め、自分の足で歩んで目的地まで行く満足感は、やった人にしかわからないだろう。団体旅行などに慣れてしまうと、この豊かな不便さを感じることが出来なくなる。ネット環境が整備され、交通の便が良くなり、世界が狭くなったと言う人がいるが、こういう人は世界のどこに行っても、表面的な均質の世界しか見ることが出来ていない人たちである。つまりは団体旅行で行くようなところしか見ていない。団体旅行では、カンボジアだってギリシャだって、それこそ軽井沢だって京都だって、同じような景色に見えてしまうのだ。世界は狭くない。日本にだって、まだまだ見るべきところはたくさんある。会うべき人もたくさんいるのだ。

島でであった人たちは確実に私にとって大切な財産である。きっとしばらくの間、夏になると通うことになるんだろうなという気がしている。

2012/01/23

朝一番で、国立駅に向かう。武蔵野線府中方面の電車は、南浦和駅を出発してしばらくするとガラガラとなり、心置きなく座ることができる状態であった。都内を走る電車と比べると、どことなく田舎くさい雰囲気は、きらびやかなところが嫌いな私にとってなんとなく心地がよい。この電車、そういえば高校生のときに山岳部で奥多摩方面に向かうときに良く利用したことを覚えている。始発に乗って、西国分寺駅で部員が集合し、そこから奥多摩方面に向かうのだが、中央線に合流するにしたがって、どことなく山に近づいていく感じがしたものだった。山はひとたび足を踏み入れると、特に冬に山がそうなのだが、人の気配が突然に消えだす。時たま遠くを走る車の音が聞こえたりの音以外に、人の出す音がなくなるのだ。風の音、鳥のさえずり、そういうものに包まれていると、とたんに物の価値の本質のようなものを感じる思考におちいるのである。

私は昔から一人で物思いにふけるのが好きであった。というよりあまり団体行動を好まなかった。はじめから山岳に興味があったわけではない。本当はスキー部に入りたかったのだが、山好きの担任教師に半ば強引に「スキーも山岳部も山に行くのは同じだ」などと、今思えばわけのわからない理由を言われ、山岳部に入れられてしまったのである。

私の通った早稲田中学・高校の山岳部は本当に自由な部活であった。中学3年生の時には、高校生の先輩3名に連れられて北海道を旅した。余市にあるニッカのウイスキー工場を訪れた際には、明らかに中学生の私がべろべろになるくらいに試供品のお酒を飲んだ。その後は、SOS事件で有名な大雪山に入山し、層雲峡からトムラウシ山まで約1週間ほどかけて縦走したのを覚えている。途中の熊との遭遇や、霧の中を進んでいく時の不安さは今でも鮮明だ。稚内、利尻富士登山など、中学生の小旅行としては信じられない期間北海道を満喫した。

なんだか山岳紀行のようになってしまったが、今日は東京国立市の家の改修工事の打ち合わせである。改修工事にするか、新築工事にするかの検討中ということで、まだまだ結論には時間がかかりそうであるが、ゆっくりと時間をかけたアドバイスを行っていきたい。なんせ家造りは一生に一度の大事業である。そんなにあせって決めることはないのだ。家というモノの価値は、そこでの行動=コトの価値で決まる。モノよりココロだ。それを間違うと大体失敗する。だからこそ、家族の歴史と未来をしっかりと描くことだ。今だけを見ていると、つまり流行りに流されればこれまた大体失敗するのである。理想の形を探すまで長い長いココロの旅をクライアントに寄り添って行うことも、私の大切な仕事であるのだ。

2012/01/20

今日は毎年恒例の京都小旅行。15時、裏千家今日庵に訪問し、6月に予定している講演会についての打ち合わせなどを行う。

日庵とは京都市上京区にある裏千家のお茶室のことで、一般公開はされていないものの、千利休の孫にあたる宗旦によって造られた大変貴重な建築である。内部には写真の左上にある秀吉から頂いた銅鑼があったり、利休が秀吉に取り上げられないようにと角を落とした灯篭があったりと、まるで突然江戸時代に入り込んだかのような錯覚を受けるほど、静かで厳粛な空気で満ち溢れている。

今回は2回目の訪問ということもあり、前回ほどの驚きはなかったものの、それでも非日常の雰囲気を存分に味わうことが出来た。歴史有る日本建築に共通する感覚は詫びとさびである。多くの日本人はこの感覚に魅力を感じる。侘びとは不完全な状態であり、さびとは朽ち果てている状態を言う。つまりモノの無常観のようなものが、表面に現れている様子に魅力を感じるのだ。以前、奈良の薬師寺を尋ねたとき当時のままに彩色された西塔と、1300年前のままに現存する東塔のどちらに魅力を感じたかといえば、やはり東塔に惹かれたのを覚えている。

20世紀は人類にとって思いつきと実験の世紀であるが、原発事故に見られるようにその技術に限界が垣間見える中で、私達は歴史を学びその反省と検証を行う世代といえるであろう。そしてその中から、優れたものを素直に認め利用する時代ではないだろうか。これからの建築も、かくあるべきと感じる。

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今日庵


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薬師寺 公式HPより

2012/01/18

午前中各プロジェクト打ち合わせ。まずはスタッフの鈴木君と埼玉県さいたま市にて設計中のYさんの家確認申請状況の確認。続いて、現場担当の池上君と埼玉県川口市にて進行中のIさんの家、現場進行状況の確認などを行った。

先日左官職人の話をしたが、物づくりの可能性はそういう人の手に秘められている。下の写真は石山修武氏が設計した開拓者の家なる作品を見学したときに撮影したものであるのだが、この写真にある様々な造詣は実はセルフビルドによるものである。菅平のレタス畑が広がる高原で、自給自足的な生活を営む基地としての住まいを、まさに自分自身で作り上げたクライアントの魂の作品であると言えるだろう。コルゲートパイプの一見無機質なはずの倉庫的建築が、その人の手によって作り出された造詣の数々によって今にも動き出しそうな生命感を持つまでにいたっている。

md-20120118.jpg md-20120118-2.jpgmd-20120118-3.jpgこの図面は、先日のモルタルキッチンの事例を紹介した埼玉県川口市にて進行中のMさんの家の玄関ドアである。コールテン鋼やらメッキやらの仕上げに独特の文様を施した玄関扉であるが、この製作はまたまた私の父に任せることにした。絵を描くのが趣味の私の父は普通の建築金物にはまったく興味を示さないものの、こういう変わったものの製作には意外と乗ってくれる。提案してくれたふくろうのデザインはまったく却下させてもらったが、きっと楽しみながら作ってくれることだろう。

md-20120118-4.jpg先日金属パッキンなる新製品を開発した社長さんの物語をテレビで見たが、日本人のすごいところはこういうものを作るということに深く没頭することの出来るところであると思う。建築のデザインも、現場の製作も、この事例のような技術的にすばらしい特許製品の類も、それを作り出す上での精神的状態はほぼ等しい。つまりは人の手で作り出す魅力や可能性の追求なのである。

2012/01/16

朝礼終了後、現場のチェックシート管理状況の確認。続いて、木造建築の共通仕様書作成についての打ち合わせなど。

写真は、現在完成間近の埼玉県川口市にて進行中のMさんの家に作られたモルタルのキッチンである。下の写真のような合板などで作られた下地に、ラス網を貼り付け、最終的にはモルタルかなゴテで仕上げることになるわけだが、アイランド型の大きなキッチンを比較的ローコストで作成することの出来る手法ということで、ますいいではしばしば用いている。最終的には撥水材などの汚れ防止の塗装を施すだけでよく、何よりもどうしようもなくなった場合にはさらにモルタルの上塗りをもう一度かければよいという、メンテナンス製の楽さも魅力的だ。

とはいえこれは何も特段珍しいことをしているということでもない。皆さんも竈(かまど)は見たことがあるだろう。下のほうに薪をくべるスペースがあり、上のほうには料理をする穴が開いている、大体が亀のような丸っこい形をしているあれである。もともとこの竈なる、昔のキッチンはレンガやら土といった材料で形を作り、最後の仕上げを左官屋さんが漆喰などの材料を塗ることで行っていた。でもいつの間にはそういう作り方は忘れられ、既製品の工場で作られたシステムキッチンを取り付けるのが普通になってしまい、挙句にはアイランドキッチンなどまで高価な既製品として製作されるようになっているのが現状である。

こういう高価なものはめったに販売されないのであろうから、当然に既製品とはいうものの価格は高くなり、安くても100万円、モノによっては数百万円になってしまうのだ。職人さんの技術を現代住宅に合うようなデザインで復活させることにより、ホームセンターで売っているような安いシステムキッチンよりは高いけれども、でも決して高すぎない値段でこんなに魅力的なキッチンを作ることが出来る、そんな事例である。

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2012/01/14

午前中、神奈川県川崎市にて土地取得の検討中のUさんの家、現地調査。この土地は周りを崖に囲まれていて、周辺道路より約2メートルほど高くなっている土地である為、造成などの検討をしっかりとしておかないと予想外の費用を要することとなってしまう。そこで、今日はレベル測定器を使用し、周辺道路とのレベル差を正確に測量した。

今回の土地の場合、周辺の崖を支えているのが昔の礎石造の擁壁である。この手の擁壁の場合は、作り直すか、若しくはその擁壁に負荷がかからないような建物の作り方を検討しなければならないのだが、困ったことに崖となっている二辺のうちの一辺は川崎市の持ち物だということである。となると、そちら側のよう壁を勝手に壊して作り直すわけにもいかないということとなるので、今回はその公共の擁壁に負荷がかからないところまで、基礎の底版を下げて建築を作ることを考えてみることにした。厳密な図面を書いてみないとなんともいえないところではあるが、このように土地に対する建築的な解決策が、何らかの意匠的な魅力となるかもしれないとの感もある。楽しみに検討してみることとしよう。

2012/01/13

午前中は各プロジェクト打ち合わせ。

午後より、新しくリニューアルする予定のホームページについてスタッフの鈴木君と話をする。

夜20時より、埼玉県の川口市南町にて住宅を新築したいというOさん打ち合わせ。新たに土地を購入し、そこに27坪ほどの木造2階建て住宅を計画しているということで、予算の面や住宅の仕様などについてのご説明を行った。21時30分ごろ打ち合わせを終了し、帰宅。

2012/01/11

最近コンテナの値段がだいぶ上がっているようだ。というのも町田事務所での資材管理の為にコンテナを探しているのだが、11年ほど前に購入した中古コンテナの値段と比較すると、倍くらいになってしまっているのだ。写真は、以前コンテナハウスを作ったときの様子。11年ほど前に購入した下の古いコンテナの上に、9年ほど前にもう一つのコンテナを乗せ、それに穴を開けてスタッフの住まいとして利用していた。6年ほど住んだであろうか、それ以降は倉庫として利用している。

今回提示された見積もりが、約40万円ほどである。この値段を出したのでは、正直言ってローコストとはいえないし、そもそも中古の建築物ではないものを利用して、簡易的な建築として利用するというストーリーにも当てはまらない。つまりはこれだけの値段をかければ、新築の木造倉庫が出来てしまうのである。詳細はわからないが、最近東日本大震災の被災地においてコンテナを倉庫や仮設住宅として利用している事例をよく紹介しているので、きっと需要の変動があったのであろうが、それにしても倍以上の値上がりとは驚いた。

とはいえ、ローコストにかけてはプロである。今度はトラックの荷台として利用されているコンテナに目をつけてみることとしよう。結末はお楽しみである。たぶんこちらの需要が増えたという話はきいたことがないので、それほど高くはないはずである。

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2012/01/09

今日は朝の朝礼終了後、埼玉県川口市にて進行中のMさんの家のセルフビルド工事のお手伝い。作業としては浴室や猫のための部屋に貼ってあるフレキシブルボードのクリア塗装とキッチンのモルタルへの撥水材塗装、そして外部ルーバーの防腐剤の塗装を行った。

下の写真は、足場が外れた外観の様子である。これは裏の駐車場からの眺めであるが、私の一番好きな景色だ。外壁はモルタルにフッ素コーティング、そして一部をガルバリウム鋼板平葺としている。外部に開く部分は中庭を基本としているので、外部側への開口部というのは最小限におさえられている。ゆえに、写真のような一見教会のごとき様相となる。なかなかのできばえに満足している。ここに縄文的な文様を持つ玄関がつく予定だが、それがまた楽しみなところだ。

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2012/01/08

今日は私が通っている茶道教室の初釜。9時過ぎに和服に着替えて、教室にしている先生のマンションに行くとすでに生徒さん達(と言っても私より年上のおば様達なのだが)が準備を始めていた。私も早速、自分の役割の立礼の準備をはじめるものの、久しぶりと言うこともありお点前の順序がほとんど頭から抜けてしまっている。あわてて、先輩方に手順を教わり、早速お客様にお茶を点て始めた。10時過ぎ、今年からお茶を習いはじめたいと言う私の後輩も参加。はじめてのお茶席に緊張して望む様子を見ていると、一年前の自分を見ているようである。女性だけの会に、二人目の男性ということで、場の様相もちょっとしまった様であった。

2012/01/05

新年明けましておめでとうございます。

昨年は3月11日の震災に始まり、色々なことを考え直させられた一年であった。今まで当たり前だと思っていた日常が一瞬で崩れ去ってしまう可能性を秘めているということが頭ではわかっていたものの、今回の原発の問題はその想像のレベルをはるかに超えていた。9.11や阪神淡路大震災で見た光景とは比べ物にならないくらいの広範囲に対する影響が起き得るという事、つまり人の手による災害の甚大性の限界の果てしなさを感じざるを得ない状況であった。

以前、ネヴィル・シュートの原作に基づき、スタンリー・クレイマーが製作・脚本した映画「渚にて」を見たときの思いを書いたことがある。あらすじは以下の通りだ。

この映画の舞台は1964年。第3次世界大戦の原水爆による戦闘のため、地球上の北半分は絶滅し、死の灰は南半球にも迫っていた。タワーズ艦長(グレゴリー・ペック)指揮の米原子力潜水艦ソーフィッシュ号は、難を逃れてオーストラリアのメルボルンに入港。オーストラリアの若い海軍士官ピーター(アンソニー・パーキンス)は、妻と赤ん坊を故国に残し、ソーフィッシュ号に同乗して北半球偵察に行くことを命じられた。タワーズ艦長に会ったピーターは、艦長を自宅のパーティに招いた。女友達モイラ(エヴァ・ガードナー)もその席に招かれた。パーティの席上、原子科学者オスボーン(フレッド・アステア)の、原子力戦に関する口論で一同は雰囲気をそがれてしまった。タワーズ艦長はモイラにひかれるものをおぼえ、2人はデイトした。しかし、彼が故国の妻子の話ばかりするのでモイラはいらいらした。ソーフィッシュ号はやがて出航した。到着したサンフランシスコは死の町と化していた。サンディエゴで死滅したはずの町から発信されている無電を調査した乗組員は、それが風のいたずらであることを知った。艦はメルボルンに帰港した。オーストラリアの諸都市も次々と死滅していった。自動車レースが開かれ、自動車狂のオスボーンは大荒れに荒れるコースを乗り切って優勝した。タワーズとモイラは山小屋で一夜を明かした。いよいよ、メルボルンにも最後の時が近づいてきた。街では自殺用の薬が配給された。ピーターは身を切られる思いで妻子を納得させ、薬を与えた。オスボーンは車庫を密閉し、自動車の排気ガスで自殺した。一方、ソーフィッシュ号ではアメリカに帰国することが決定した。タワーズもモイラへの想いを断ち切って艦に乗った。出航を知ったモイラは渚でいつまでも潜水艦を見送った。艦は一路、死の海に向かって進んだ。(GOO映画より抜粋)


もちろん今回の災害はここまでひどいものになる前に食い止められた。これだけは不幸中の幸いと言えるであろう。この幸いは、きっと与えられたチャンスであると思う。この問題に関しては原発輸出国としての国益、そして二酸化炭素削減を迫られる温暖化対策、しかしながらの反原発と言う構図だけに非常に議論することが難しいが、一見非現実的な方向転換を迫られたときにそれを行うことが出来るかの試練であるような気がしてならない。

話は変わるが、4日は湯沢温泉に出かけた。ここに高半という宿がある。川端康成が小説「雪国」を執筆した際に利用した宿だとのことだが、ここがなかなかすばらしかったので紹介したい。それにしても関越自動車道の関越トンネルだったか、11キロもある長い長いトンネルを抜けるとそこは本当に雪国になる。この日も大雪で道の両側にはゆうに1メートルを超える雪が積もっていた。見慣れている人は何にも感じないのであろうが、私はこのようなところに足を運ぶのが13年ぶりほどであったので、子供のようにはしゃいでしまった。次の日の朝、私の車は夜のうちに降り積もった40センチほどの雪でどこにあるかわからなくなるほどであった。宿の人に聞いてみると、これくらいはまだましな方で、ひどいときには一晩で1メートルほど積もるらしい。まさに雪国である。一面真っ白な世界では、なんだか時間がゆっくりと流れている気がした。

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