増井真也日記

略歴
免許登録番号 1級建築士 建設大臣登録 第290771号
1997年早稲田大学理工学建築学科卒業
2001年戸田建設株式会社退社
2001年ますいいリビングカンパニー主宰

「日本の住宅はどうしてこんなに同じものばかりなのだろう。」というのが私が設計を行うようになったきっかけでした。住宅はそれぞれの家族が自分たちのこだわりに合わせて自由に作り上げていくものだと思います。他の工業製品と違い工場での生産が出来ないということからも、本来は個別のデザインが許されて良いはずなのです。
しかし、現実には建築条件のない土地の取得の困難さという問題や、かつてのずさんな工事による工務店の衰退にともなう工業化住宅の発展によって画一的な住宅ばかりが作られるようになりました。
このような中で、今一度住宅の設計を一つ一つ丁寧に行い、そして工務店として作り上げる。その活動こそが個性あふれる豊かな住宅の生産につながると思っています。そして、そのこだわりを実現させるデザインが豊かな街を作り上げていくでしょう。
私は川口の町で生まれ、川口の町で育ちました。住宅を作るという活動を中心としてさまざまなデザインを街の中にちりばめ、この街をもっと魅力的に変化させ、魅力ある街づくりに貢献したいと考えています。

2010年
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11
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6月

2010/6/30〜2010/7/6 北方領土紀行文

■参加のいきさつ
7月1日から5日にかけて平成22年度北方四島交流事業に参加した。ひょんなことからこの事業に参加することになったのだが、先ずはそのいきさつをお話したい。
職業柄街づくりには興味があったので、地域で活動する青年会議所なる街づくり団体に所属している。この団体が、北方領土連絡協議会(通称:北連協)という北方領土問題を扱う団体の一員であり、私の所属する会がその担当であるということが渡航の機会を得ることとなった大きな理由である。


国後島

■概要
今回私が参加した北方四島交流事業(通称:ビザなし交流事業)というのは、内閣府の下部組織である北方領土対策協議会(通称:北対協)が主体となって、年に4回ほど開催されているもののうちの一つである。(北対協主体のもののほかにも多くの訪問事業がある。)そのうちの1回が北連協を主な構成員として行われるわけであるが、その北連協からの参加者のうち数名は私達の団体のメンバーとなることになっている。そして今回、私もそのうちの一人としてこの事業に参加することとなった。

今回の目的地である国後島の古釜布までは、根室港から船で4時間ほどだ。夜中のうちに根室港を出港し、古釜布沖にて投錨し朝を待つと、はしけと呼ばれる底の浅い運搬船が迎えに来てくれ、団員はそれに移乗する。10分ほどで港まで移動し、ようやく上陸できるわけだが、島での自由行動が認められているわけではない。港には数人の出迎え客と、あらかじめ賃金を払われて雇われているドライバーがおり、各々の車とともに一日の事業の進行役として参加してくれるようになっている。他の事業も合わせれば、かなりの訪問事業を行っているということなので、島側の出迎えも半ば仕事のようになっているのだろう。

1日目に入域した国後島での主な行動は、行政訪問、各種施設の見学、海の漂流物調査、そして玉入れやファッションショー、夕食交流会などのレクリエーション事業である。それでは国後島での様子を少し詳しくお話しよう。

■国後島行動録
現地時間(時差2時間)午前7時、朝の海は昨日よりも静かで波は小さい。濃い霧が海面全体を覆っていて、視界不良。昼食をとってしばらくすると、ロシアのはしけが迎えに来てくれた。上陸後先ずは日ロ友好の家(通称:ムネオハウス)に向かった。この建築が二億円の工事費を投じて作られたと聞くと何とも信じられないというような安っぽい建物であったが、玄関前で出迎えてくれたパンを持つ少女の美しさはそれとは対照的であった。予想以上に多くの建築が建ち並んでいるものの、デザインに関して特筆すべき点は何もない。


通称:ムネオハウス


必要に迫られて、作られた結果というだけのものである。建築の形態はまるで工場が倉庫のようであり、せいぜい青やら黄色やらの原色系外壁塗装の色が、明るいイメージを作っているというところだろう。古い住宅らしき建物の外壁はすべて板張りである。さらに古いものの外壁にはあき缶の蓋らしきものがたくさん張り付いているが、これは外壁がはがれるのを防ぐためのものらしい。貧しい離島における、小さな工夫が私の眼にはとても悲しげに見えた。島の道はいわゆる砂利道だ。アスファルト舗装というものはどこにも存在しない。道路には大小の穴があちこちにあいていて、車が走るとガタガタと揺れる。ゆえに自然とトヨタランドクルーザーや三菱パジェロといったオフロードカーが主体であり、私が目にした限り日本からの中古車が大変好まれているようであった。


古い住宅


ひと時の休息の後、それぞれがあらかじめ振り分けられた車に乗り込み見学・調査のツアーに出かけた。私の班はまず初めに建設中のメンデレーエフ空港を見学した。この空港、クリル地区の経済政策によって作られているということであったが、予算が途中でショートしてしまい今は工事がストップしているということであった。ここら辺がいかにもロシアらしいところであると感じるが、ふと日本の様子を思い出してみると今の日本にも工事がストップしたダムやら高速道路は地方風景の風物詩としてどこでも見受けられるような状況になっている。国の政策の変化によって翻弄される力なき地方という構図は、世界各国共通のことなのであろう。

続いて島の反対側にある材木岩と呼ばれる岩の近くにある海岸に向けて漂流物調査のために車を走らせた。途中美しい風景が広がる中に、夏の間暮らすための別荘であるダーチャと呼ばれるロシア版別荘が見られた。ロシア人はここで野菜を作ったりの自給自足的生活を送り、ゆったりと自然の中で時を刻むということである。今の日本人には信じられないような生活であるが、この表層の姿だけを見ていると人間の暮らし理想的形態がここにあるような気がしてならない。日本のIターン生活者の心境も近いのかもしれないが、人が暮らすことの根源が文明的進歩の中で失われていないということについてのみ見習う点があるであろう。しかしながら、現地の人の心の満足がそこにあるかどうかは別の問題である。生活の貧しさ、気候の厳しさ、体験してみないとわからない現実も必ずある。


ロシアのダーチャ


新しい住宅

材木岩につくと、「北の海動物センター」理事長の小城先生の指導、小島あずさ氏のレクチャーを経て、海岸の漂流物調査のためのゴミ拾いが行われた。ちなみに小城先生は北大の名誉教授であり、小島氏は環境保護団体JEAN代表として93年に今の日本JCの人間力大賞に当たる賞を受賞している方である。どちらも環境問題のプロだ。調査には現地の小学生たち十数人も一緒に参加してくれたので、あらかじめ区切られた40m×20mの範囲内のゴミを拾うのにそれほどの時間はかからなかった。拾ったゴミを種類ごとに分別すると、日本、韓国、ロシアの様々なゴミが海に流れ着いていることが分かる。この島ではこのゴミの調査に参加した子供たちによるゴミ拾いのクラブができたそうである。分別の習慣すらないこの島で、そのようなクラブができたことは大変大きな成果であるし、ゴミ拾いの中での交流もこの事業の目的に非常に適していると考えられる。この事業のためにわざわざ参加していただいた先生方には大きな敬意を払いたい。


漂流ごみ調査


作業を終え、一行は再び日露友好の家へ向かった。すぐ近くの行政府前にある広場では別働隊による玉入れが多くの地元の子供たちとともに行われていた。続いてすぐ近くのホールにて、ファッションショーが執り行われた。十代〜十代の若い女性たちに日本から持ち込んだ衣装を着せ化粧を施してみると、信じられないような美貌を顕わにしてくれる。このイベントは地元の方々にも大変な人気の様で会場に入りきらないほどの参加者が集まるという盛況ぶりだ。日本からはこのイベントのために二人のファッション関係者が同行している。綿密な事前打ち合わせと準備、当日の短い時間での設営を経て、このような素晴らしいイベントを開催するにいたった担当者の苦労は察するに難くない。参加した少女たち、それを見守る大人たちのとてもうれしそうな笑顔が非常に印象的であった。

終了後、再び日露友好の家に戻って夕食交流会をとり行った。日露友好の家にあるホールの中に所狭しと日本人が座り、そこに若干のロシア人が混ざっている。料理はポテトや魚のフライといったロシアらしい料理で、これまた定番のウォッカが用意されている。意外と口に合う味付けであったが、どうやら北方領土の調味料は19年間の交流会を経てだいぶ日本のものを取り入れているということであった。しょうゆや日本製の塩コショウさらにタバスコまで利用しているというから、食文化の入り乱れ具合は日本に近いようだ。残念だったのは、この手の交流会にありがちなことだが、来賓席以外にロシア人がほとんど座っていないこと。私の周りも日本人だけだったので、とりあえず空腹を満たすことに専念し時間が過ぎるのを待った。最後にはしけに乗って船に移乗、択捉島に12時間かけて走り出した。

■概要2
二日目と三日目は択捉島に入域する予定である。先ほども使ったがこの入域という言葉、なぜ入国と言わないかは、ここはあくまで日本の領土であるという意思の表示のためである。ちなみに出るときは出域という。ここで北方領土に関する若干の情報をお伝えしたい。もともと日露間に国境が定められたのは1855年のことである。日露通好条約によってロシア側はウルップ島以北、日本側は択捉島以南と定められた。北方領土の総面積は5036平方キロメートルほどである。大きいほうから言うと、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島という順番だ。ここに旧ソ連が上陸してきたのは1945年8月28日のこと。初めの上陸地点は択捉島の留別村というところである。終戦当時この北方領土には3124世帯、17291人の日本人が住んでいた。数年間の共同生活を経て、1947年7月から1948年10月にかけて合計7回にわたる強制送還が行われ、島民は樺太の真岡を経て函館に送られることとなった。今回のビザなし交流事業は1992年より実施されている。この事業は領土問題解決までの間、日本人と四島在住ロシア人との、領土問題解決に向けた好ましい環境の整備を目的として行われているものである。近年ロシア政府はクリル社会経済発展計画に着手し、この地域の環境整備に大変力を入れているということである。
択捉島1日目の主な工程は行政関係者の訪問、紗那の墓参、温泉の視察、ファッションショーだ。二日目は「ギドロストロイ社」の水産加工場視察、ホームビジット、商店視察である。国後島での事業と重なるものもあるのでここでは手短に説明をしたい。

■択捉島行動録
1日目の朝まず初めに向かったのは芸術学校と呼ばれる塾のような施設である。ここの3階ホールにて行政関係者との式典が執り行われた。ちなみにこの学校は希望制で絵画や彫刻など様々な芸術教育を受けることのできる施設ということで壁には戦勝65周年の記念する子供たちの描いた絵が飾られていた。徴兵制のあるこの国では軍というものは非常に身近な存在であり、壁にかかっている絵にも戦車やら戦闘機、兵士の姿が勇敢な誇りとともに描かれていた。ちなみにこの手の絵の中で敵対国として描かれているのは日本ではなくドイツである。ソビエトの☆とドイツの卍がどの絵にも必ず入っているし、卍をつけた兵士は必ず敗北のイメージで描かれている。


子供たちの絵

続いて紗那の墓地に移動。ここは旧日本人墓地とロシア人の墓地があるのだがお寺のような施設があるわけでもなく管理をする人もいないということで、草が一面に生えていてどこが墓地だかわからないような状況になってしまっている。参加者全員で草刈り鎌を持ち、数台のエンジン式草刈り機を投入して草刈りをすること約30分、なんとか墓地らしい風景に戻すことができて作業を終了した。最後にそれぞれ線香を供えて手を合わせ、墓参を終了した。


国後の墓参

次は有萌近郊の海岸にあるまだ建設されたばかりの温泉施設にてバーベキューを行った。現地に着くとすでに数人の男性がダイナミックな牛肉の串刺しを焼いている。大きなテントの中では、数人の女性たちがその焼いた肉を皿に盛り、食事の準備をしてくれていた。各々食料を手に好きなところに座って食事をとりゆっくりとした時間を過ごす。ちなみにこの温泉施設は近年建設されたばかりで、現地の人は水着を着て男女混浴で入るものであるという説明があった。参加者もどうぞということであったので、皆下着を着けたまま温泉を楽しんでいた。以前屋久島に行ったときに、海中温泉なる施設に入ったことがあった。ここは完全な露天風呂で男女混浴である。日本人だから水着は着けないが、ちょうど同じような施設である。

最後に再び芸術学校前に戻り、2棟だけ残っている旧日本家屋を見学し、玉入れ、ファッションショーと続いた。詳細は昨日と同様である。
二日目はギドロストロイ社なる政府のテコ入れによってできた水産加工会社を見学した。ここだけ別世界であると感じさせるような近代的な設備を備える加工工場や、孵化工場を見学したが、広大な敷地には事業の成功をイメージさせる豊かな造園が施されており、今回見ることはできなかったが体育館などのレクリエーション施設も充実しているということであった。このギドロストロイ社の目の前にある港だけは、北方領土とは信じられないような開発が施されており、大きな漁船も着岸できるということであった。一つの企業によって地域経済が完全に支えられているというこの状況は、一部資本主義化したとはいえまだまだ大きな政府の力を持ち続けているロシア特有の姿であろう。このような一社独占の形態を続けている限りにおいて、短期的な成功と、繁栄の中で生まれる汚職を防ぐことはできないであろうし、また競争のない世界の中でこれ以上の成長もないであろう。


ギドロストロイ社


一通り見学した後、数人のグループごとにあらかじめ決められた家庭を訪問するホームビジットを行った。家に着くとすでに豪華な料理が用意されており、私たちはそれぞれの家庭の中で3時間の時をご家族と共に過ごすこととなる。参加者は日本から手土産を持ってきており、それをネタに会話がほとんど通じない中で何とかコミュニケーションをとる。途中通訳さんが来てくれるので、自己紹介などを行った。ウォッカを飲みながら上機嫌で談笑していると3時間などあっという間に過ぎてしまう。それぞれの国の文化、家族のこと等様々な情報交換を行うことができた。別れを惜しんで車に乗り、商店視察を挟んで夕食交流会に参加した。私はというとホームビジットで泥酔した参加者の介抱をしていたので庭先で休んでいたのだが、参加者は皆お酒も入っていたせいか大変な盛り上がりであった。


ホームビジット


商店の棚


交流会を終えてすべての事業を終了した私たちは、再びはしけに乗って船に戻った。12時間の船旅を経て国後島を経由し、根室に着いたのが7月5日の12時過ぎのことである。

■考察
今回の交流事業は先にも書いたが、領土問題解決までの間、日本人と四島在住ロシア人との、領土問題解決に向けた好ましい環境の整備を目的として行われているものである。話によるとこの交流事業が開催され始めたころは、お互いの意見をぶつけ合う対話集会が開かれたり、どんな人間が来るのかと興味を持ったロシア人たちが大勢港に駆けつけて来たりの状態だったが、19年間も事業を続けてくると、特に島側のマンネリ化が進んでいるようで、港に来る人はまばらで、車を運転してくれるドライバーも、ホームビジットを受け入れてくれる家庭もすべて謝礼金を受け取った方々であるということだ。そのような中で人を集めるためにこれまで記載したようなエンターテイメント性のある漂流物の共同調査やファッションショーなどが企画されているわけであるが、まるでファッションショーのために渡航しているかのような雰囲気に包まれている様子を感じてしまうと、事業の趣旨と照らし合わせても参加者として違和感を感じざるを得ない。

日本での領土問題における返還運動で一番の問題とは無関心である。この問題に関する風化は進んでいく一方であり、署名運動などの成果も年々落ち込んでいる。自分に直接関係ないことに興味を持つことのない国民が多い現代社会において、無関心な国民に北方領土問題を意識の中にとどめることさえ困難であろう。外務省の弱腰外交、強硬な方針を打ち出すことができない政治、確かにどちらも問題であるが、しかしながら本当の問題はそのような問題に関心を持つことのできない国民にある。どちらも国民の世論なくして行うことはできない。
このような問題を解決するために、北対協等の団体が行っている交流事業によってこれまで延7000人程の人々が北方領土にわたっている。何回も渡航する事務局員も算定しての人数であるので、およそ5000名の人々が渡航を経験しているということだ。そしてこの事業に参加した人々から全国各地への情報発信をしてもらい、国民の世論喚起の一つの起爆点になることが、この事業の目的である国民世論の喚起につながる。また、両国間の国民感情の親日化と親露化という目的も進んでいくこととなる。お互いを理解し、交流を深めることで感情を融和し、返還に向かって一歩歩み出すことが期待されている。

しかしながらこの交流事業が事業目的をどこまで達成することができているのかは疑問である。5000人の経験者がどこまで情報発信しているか、親露的感情が生まれること、親日的感情が生まれることで、島の返還にどの程度寄与することができるかという点についてもいかがであろうか。この点、参加者の中でも疑問の声が聞かれていた。友好を目的とするということに照らし合わせれば、協働作業での漂着ごみの調査も玉入れもファッションショーも大変意義深いものである。しかしながらそれはあくまで友好を目的とした場合の話だ。この友好を目的とする事業をこれほどたくさん、ルーティーンワーク的に行うこと自体に意味があるのかの疑問に対して目を向ける必要があるのではないだろうか。

この手の事業は長期間継続することでその事業の目的自体の鮮度が落ち、ピント外れとなってしまうことがある。企業などの営利団体の場合、この鮮度の低下がすぐに業績として表れるので、代表者の交代や会社の買収、合併、はたまた倒産といった結果を出さざるを得ない。

常に新しい目標を設定し、その鮮度を保つことができなければ企業自体の維持をすることができない。しかし、本事業を行う北対協のような法人の場合その成果を数値的に判断することは非常に困難である。この事業によってどれだけの世論喚起が進んだか、島民と国民の友好が進んだことでどれだけ返還を求める国民の意識醸成が進んだか、それを数値で示すことは不可能だ。だからこそ組織や事業の変革も起きにくいし、問題意識を示すことも難しいのだと思う。しかし、戦後65年を経てこの国の姿も大きく変わろうとしている現在、この領土返還運動の在り方も見つめ直す時期が来ているのではないだろうか。私が経験したのはその領土返還運動のほんの一部ではあるが、しかしそのほんの一部にも大きな問題があるように感じた。その一番の問題、それは恐らく「事業自体の目的設定の鮮度」なのではないかと思う。

2010/6/26

朝9時過ぎより東京都三鷹市の家の打ち合わせ。今回は前回のプランの模型を作成してのプレゼントなった。この計画は鉄筋コンクリート造2階建てのスロープのある家である。2階にあるリビングからスロープを通って屋上に上がることが出来る。プランは中庭形式となっていて、完全に外部と遮断された中庭が住宅の中心に配置されている。とても特徴のあるプランだが、この敷地や家族構成を考えると合理的であり、暮らしやすいものになるであろう。今後の進行がとても楽しみである。

打ち合わせ終了後、途中のすき屋で昼食。久しぶりに牛丼を食べたのだが、値段が安いことに驚く。最近吉野家の売り上げが下がっていると聞くが、それも納得できる。

15時、埼玉県毛呂山町の家の上棟式。あいにくの雨のなってしまったのだが、すでに屋根がかかっているので無事上棟式をとりおこなうことができた。それにしても豪華なお料理だった。さすが実家の敷地での共同生活ということで、お母さんの手料理や奥様の手料理、畑で採れたばかりの野菜などなど本当に心のこもったご馳走をいただいた。帰りがけにはアジサイの花までプレゼントしていただいた。庭に植えると育つよということなので、早速やってみようと思う。

2010/6/23

午前中は事務所にて各プロジェクト打ち合わせ。埼玉県八潮市のリフォームの現場の外部階段手すり工事や、東京都調布市の集合住宅併用住宅の鉄骨屋根工事の詳細についての打ち合わせをした。

昼過ぎより、渋谷の東急本店にて開催されているKさんのガラス展に出かけた。Kさんはガラス工房を運営されていて、現在ますいいにて工房兼住宅の建て替えを検討されている。というわけで、その展示会の様子を拝見しに行った。会場に着くとたまたまKさんと妹の真理子が話をしていた。ガラスに気泡を入れる技法や、色ガラスを用いた技法等、作品を作る過程での作業の様子をいろいろ伺うことができたので、大変興味深いものだった。

帰りの道中、青山に立ち寄ったのだが、青山4丁目にあったはずのIDEE SHOPが取り壊されているのをみた。ちょっと前まであれほど人気のあった家具屋さんだけに、取り壊されてしまったのは非常に残念だ。大きな敷地の開発を行うような雰囲気であったが、商業施設でも作るのだろうか。

IDEE SHOPは古い建築のリノベーションという形でつくられていた。店舗だけでなくカフェを併設していて、少なくとも一時期はその建築の魅力と活動の魅力で青山4丁目界隈の文化を気付いていたように思う。その目の前に作られたTOYOKITCHENのショールームもなくなっていたのを見ると、相乗効果がその街にあったのであろう。

今月号の日経アーキテクチャーに古い建築のリノベーションに関する記事が出ているのだが、その中でみかんぐみの取り組みが少々興味深かった。三越が退去してしまった後の古い百貨店を改修して、地域住民の交流の場を持つ個人経営の百貨店として生まれ変わらせた事例であるが、建築のデザインはとにかくとして、その建築の存在が街の空気を変えるに至るであろうという可能性を感じることのできるプロジェクトであった。

建築はその作られるプロセスや、利用形態、そしてその建築としてのデザインなど様々な要素によって街を変えうるような大きな力を持つことができる。しかしながら、そういう建築がなくなってしまうことで、せっかく魅力を持っていたはずの街が、急にただの商業施設群になり下がってしまうこともありうる。街を思う高い思想と、継続的な建築の運営が魅力的な街を生み出すことは代官山のヒルサイドテラスなどの事例を見ても明らかだ。そういう意味でIDEEの魅力的な建築の消滅は少しさびしいものであった。

2010/6/21

越谷の家の玄関上部に、付いた庇金物の写真である。このような金物は川口市内にある金属加工工場で作っている。通常の住宅ではTOSTEMやYKKのカタログから選択したものを取り付けておしまいというのが一般的なのだが、ますいいではたいていこのように手作りの金物を使用している。

一品一品図面を起こして、材料の切り出しから溶接まで完全なる手作業であるので、既製品を購入するよりは多少のコストアップは否めないところであるのだが、サイズや色など現場に合わせて自由にデザインすることが出来るので、それだけのメリットはある。このような自由は手作業を工業化社会における家造りの中にどのように自由に取り入れることが出来るのかというところに、いま非常に興味が向いている。

ますいいでは5年ほど前より現代アートのギャラリーを運営している。この活動の中で多くのアーティストさんと出会うのだが、彼らの作り出す作品を建築の中に取り入れることを考えている。まずはもう少し深い交流を交わしてみよう。人と人とのつながりが出来ないところにコラボレーションは生まれないだろうからな。

2010/6/14

昼過ぎより東京都小平市にある古い集合住宅の改修工事の打ち合わせ。すでに屋上の防水も切れてしまい、外壁のコンクリートもところどころ剥がれ落ちているというような状況の建築をリニューアルできるのか、についての打ち合わせとなった。ここまで痛んでしまっていると、どこまでできるかについての不安がある。その思いを伝えたものの、やはり新築にするのではなくあくまでリフォームでやりたいという強い思いを聞き、もう一度ほかの専門業者をあたってみることにした。

クライアントに「もしこの建物が増井さんの持ち物だったらどうしますか?」と問いかけられたのだが、確かに何とか再利用できないものかという考えをそう簡単に捨てることは出来ないだろう。古い建築を利用するリスクを少しでも低減し、新築とは比べ物にならない低コストで抑えてこれからの生活の糧となる建築に作り変えてあげることが出来たらどんなに良いことだろうか。この件についてはもう少しじっくりと取り組んでいくことにしよう。

夜、川口駅西口の建築予定のOさんの家、打ち合わせ。今回は前回のプレゼンを受けて変更した案を二つ提示した。今回のプランの特徴はインナーバルコニーである。ご夫婦供に学校の先生をされているということで、平日の昼間は家にいることが出来ない。洗濯物や布団を干すのはで切れば屋内にという強い思いを伝えられた結果である。個人住宅というのは、クライアントの生活を豊かにするものでなければいけない。そしてそうするための計画というのは、スタイルに合わせて変化すべきものである。朝干した洗濯物が、帰ってみたらびしょびしょだった。そんなストレスから開放されること、そんなことが大切なんだと思う。

〜2010/6/15
昨日に引き続き、早速防水業者さんとの打ち合わせ。ゴムアスファルト防水なる種類の防水を扱う業者さんで、たまたま知人がこの防水材メーカーの代表であることから東京都の赤羽にある営業所の所長さんを紹介してもらった。多くのゼネコン現場での施工実績もあるようなので、きっと良い返事をいただけるだろう。

夕方、数年前に建築した埼玉県鳩ヶ谷市に建つ鳩ヶ谷の家の外部階段の手摺工事の下見に。写真のような、中段1本のシンプルな手摺をつけたものの、お子さんやそのお友達の落下の危険があるということで今回の工事を依頼された。開放感を残しつつ、危険をなくすことを考え、横桟を追加してみてはとの提案をすることに。ふとしたときに落下の防止になるという意味ではこれでも十分な効果が得られるだろう。

2010/6/11

午前中事務所にて雑務。11時過ぎ、池上と埼玉県富士見野市にある中古住宅の現地調査へ。今回のご依頼は、築二十数年の中古住宅を購入して永続的に居住を考えているYさんから依頼されたもので、本当にこの住宅が長い年月の使用に耐えられるものかどうかを見て欲しいということであった。

建築の寿命を判断するには、構造材の腐食がどれくらい進んでいるかという劣化の問題と、そもそも作られた当時にどれだけの耐震的な補強がなされているかという作られ方の問題、そして雨漏りがあるかどうか、この3点が重要である。しかしながら中古住宅を購入する場合にこの点をしっかりと見れることは無い。そもそも購入前というのは建物は売主さんのものであり、ということは床をはがしたり天井をはがしたりの壊さなければ見えない部分に関しては、購入前に壊してもいいですよといってくれるような殊勝な売主さんでもいない限り確認すら出来ないのである。

今回も当然そういう中での確認作業となったわけであるが、床の傾き、柱の傾き、押入れ天井からの屋根裏の確認、外壁、基礎のひび割れ状況など外部から目視できる範囲での確認作業を行った。結果は概ね良好。古い住宅としてはなかなかの良建築であった。

〜2010/6/12

朝9時過ぎ、埼玉県行田市にて土地を購入して住宅建築を検討しているYさん打ち合わせ。1400万円ほどでの新築住宅を検討されているということで、なかなかシビアな打ち合わせとなった。

これまで1500万円ほどで作ったさんかくの家、現在計画中の1300万円弱の埼玉県川島町のカフェ兼住宅などローコスト住宅への挑戦をするときには一つの決まりを作っている。今日はその決まりごとのお話をしてみたい。

建築をローコストで作り上げるには、まずシンプルなプラン、そして物をつくり過ぎないということが大切である。例えば本棚やら収納家具などの類の造作を施すには材料費としてのコストと大工さんの手間賃としてのコストが生まれる。家具工事費に比べれば格段に安いこの手法もお金がかからないわけではなく、やはりそれなりにコストアップにつながる。まずはこういう造作物を如何に減らしていくかということが大切であろう。同じような考え方として間仕切壁なども減らすようにしている。さんかくの家ではトイレとお風呂を同室に収め、その部屋を仕切るための壁と扉を作ったほかには玄関ドア以外に扉が一つもない。このような大空間の間取りでは、壁を作るための材料費も建具費もそして壁の仕上げ工事費も抑えることが出来るのである。下の写真はさんかくの家である。この大空間の住宅では、余計なものを取り除いて、豊かな空間を作り上げることに成功したと思っている。暮らしを作る上で本当に必要なもの、そうでないものを厳選し、うまく取り入れることが出来れば、ローコスト住宅は可能だ。私が作っている決まりというのは、そういう取捨選択をしながら魅力ある家造りを行い、決して無難なもののつまらない集合体である建売のようなチープな建築にはしない、ということである。

ちなみに今日は、埼玉県茂呂山町の家の上棟工事も行った。この住宅計画は母屋の建つ広い敷地の一部を切り開いて子世帯の住宅を建てるというものである。1階にリビング、寝室、水周り、拭き抜けを介したロフトのような2階に子供室を配したプランは、子世帯のための大きな離れのような様相で、庭を介して柔らかく母屋とつながっている。コロニアルの屋根と白い外壁のかわいらしい建築が出来上がることだろう。

2010/6/7

午前中事務所にて雑務。

午後より昨年度立ち上げた川口インキュベートオフィス入居者審査会議参加。川口市役所の事業として立ち上げたこの施設ではあるのだが、やはり運営者が役所の人になってしまうとなかなか魅力的な施設にしていくこと、つまり利用者の容貌に合わせてフレキシブルに施設を変化させていくことが難しいようで、4室の応募に対して2名の申し込みしかなかったようだ。こういう状況になると突然何とかしてくださいといってくるのが役所の常だが、今回もやはりそんな感じ。なぜ最初からこちらの提案を聞いてくれないのか・・・なんともふがいないところである。

〜2010/6/8
午前中、田村とともに現場管理。地盤改良をしようとしたところ地面の下からいくつかの建築廃材のようなガラが出てきたということで、その様子を見に行った。近所の方や区画整理事務所の方に土地の経緯を聞くに、どうやらその土地は昔、田んぼだったようであった。まあ、今の住宅地というのは多かれ少なかれ何かを埋め立てて出来ているところが多い。浦安の方なんかはそもそもすべてが埋め立てて出来ている街である。異物がまったく混入されていない土地を探すほうが難しいのかもしれないが、地盤の強度などを考えると何らかの対応策を考えなければいけない。

川口市役所前に建築中の住宅がいよいよ内装の家具工事まで進行している。ここまで来るともう一歩で完成となる。ますいいでは住宅の主要な家具を大工工事で造作することが多いが、その材に利用する代表的な材料が写真に写っているシナランバーという材料である。表面にシナの薄板が貼られている合板なのだが、厚みが15mm、18mm、21mm、・・・とさまざまあり、如何様にも組み合わせが出来ることが利点である。価格も無垢材に比べると非常に安価であり、塗装などの仕上げも施すことが出来るので便利な材料だ。

〜2010/6/10
午前中、鳩ヶ谷市みなみ町に計画中のガラス工房併用住宅打ち合わせ。商業建築を兼ねるということで、広告塔となるような建築をも望まれているわけだが、今回は3つの提案をさせていただいた。どの提案もガラス工房の作家さんでもあるクライアントの創造力や技術力を建築の中に生かす為にはどのようにすればよいかの観点からの提案である。クライアントの熊谷さんは、自らの作品を建築の中に組み込んでいく流れをこの住宅を実験としてはじめようとしているということである。人の手によりつくられた、温かみのある金物や手摺、ポストやスイッチパネルなど、建築の中に取り入れることによりより豊かな建築を創造出来る可能性はいくらでもある。そういう意味で非常に可能性のあることだけに慎重に進めていきたい。

まずは第一号の取り組みとしてますいいギャラリーの看板を作成してくれることに。ますいいギャラリーは市役所が所有している古い公団住宅の1階部分を改修して作られていて、月に一度くらいの企画展示とアートショップを運営している。写真はその様子。完成の折にはぜひご覧いただきたい。

2010/6/5

13時、東京都三鷹市に計画中のUさんの家の打ち合わせ。今回は3つのパターンを提案したのだが、そのひとつに鉄筋コンクリート造のプランを入れてみた。とはいえまだ百分の一のプランの段階である。これが鉄筋コンクリート造であることはただ単にこちらがそうきめつけているに過ぎない。
デモ何となく鉄筋コンクリート造であるような気がする、そのほうが良いような気がする、そんな建築を想像しているのである。
私の頭の中には、ロの字型の回遊できるコンクリートの大空間が浮かんでいる。もちろん住宅のスケールなので、そんなに大きな空間ではないのだが、でも余計な壁がまだ取り付けられていない、家具なども無い、とにかく大きな空間がそこにある。
クライアントが生活するための最低限の設備器具と、空間が用意されていて、それをどう使っていくかは、さて住まい始めた瞬間からがスタートである。子供たちのスペースを区切るための壁を作ろう、ベッドを作ってあげよう、収納が必要だから納戸に棚を作ろう、様々な思いがわきあがってくる。
打ち合わせの最中に、屋上に上がれたら面白いよね、の言葉があった。確かに面白い。スロープでくるくるっと回遊しながら上がっていったらなんとなくわくわくする。

私たちが普段行っている建築の作り方、契約社会における作り方というのは、設計作業があって、確認申請があって、請負契約があって、定められた工期内に図面通りの建物を完成させる。まあこれは、当たり前の流れである。完成引き渡しというのは一つの大きなイベントであり、この時の姿が建築の姿としてとらえられる。
しかし、住まい手にとってはそうであろうか。これからその住宅に何十年もの長い間住み続けるクライアントにとって、完成引き渡しの時の姿というのはほんの一瞬の建築の姿でしかないのだ。そもそも、そこに住む家族だって、子供が大学生になって下宿したり、結婚したりの様々な出来事があるたびに変化するのである。それなのに、どうも最近の家づくりはあたかもそれがすべてであるかのように完成引き渡し時の完璧な姿を追い求めてしまうのだ。今持っている本のサイズが幾つだから、本棚の高さはいくつにして・・・。こういうことも確かに大切だが、果たしてその本はいつまでその家にあるのであろう。移動することができない作り付けの家具を作ることで、縛られてしまうことは多いに違いない。
このような方向に打ち合わせが向いてしまうこと、つまり家作りの焦点が向いてしまうことは、設計者にも責任がある。より完成された形で引き渡しをしたいという感情に陥りがちなことは、それを職としてやっている以上、そして持てる力をすべて出し切り快適な住宅を提供したいと考えている以上、仕方がない発想だ。しかしながら、もっと長いスパンで考えれば、間仕切り壁も扉も家具も取り払った本当の建築の原型、つまり「場としての建築」をしっかりと作ることを意識することが大切である。そこで暮らす人が、暮らしの中で創意工夫を行う余地があり、その結果暮らしが豊かになるような力を建築に与えることが大切である。そんなことを今考えている。

2010/6/1

いよいよ6月。ますいいリビングカンパニーの屋根につけたソーラーパネルによる太陽光発電装置の稼働率もだいぶ上がってきていて、最近では晴れていると3KWくらいの発電をするようになってきた。太陽高度やら気温やら、さまざまな要因によって発電効率が変わるということだが、おそらく今の時期がピークなのだろう。まだエアコンも使用していないので、売電も結構進んでいる。これだと5月6月の電気代はほとんどかからないかもしれないな。とはいえ、経済的に投資金額を回収できるかというと微妙なところだろう。やはり機器の価格が高すぎる感は否めない。ますいいでは埼玉県の助成金制度を利用したので、まだ回収の見込みはあるが、普通に購入したのではなかなか難しい。環境への配慮ということを考えると、おそらく使用電力が3分の1ほどカットされているようであるので、これは間違いなく意味がある。夏場の暑い時期の屋根面の断熱効果や、暑い時間のエアコンに使用する電気の発電を考えてみても、相乗効果が期待できるだろう。とにかくもう少しコストが落ちてくることを期待したい。そうすれば、すべての新築住宅に取り付けられるようになることも夢ではないはずである。

そういえば先日、カーボンマネーなる言葉を耳にした。まずは、各国に割り当てられたCO2排出総量枠を各家庭・個人に分割し振り分ける。製品やサービスには、価格とは別にそれを生み出すために生じたカーボン量が表示されており、各個人は購入毎に使えるマネーが減ってゆくというわけだ。これは買売が可能で、使い切ってしまった人は割高のマネーを購入し 、あまった人は売って換金する事も出来るらしい。 これにより、CO2 の少ない商品やサービスを自動的に選ぶようになり、結果的に低炭素社会に誘導できると言うこと。イギリスで提案されたこの考え方はまだまだ現実の社会に導入されることはないだろうが、低消費社会といった概念を実際に稼動させることを考えると、このようなシステムが必要であることは間違いないと思う。でもこのシステム、何もしない、何も買わないことが、マネーをためることにつながるという点では経済活動の妨げになるであろうという点は非常に難しいところではある。経済政策などを同時に行わなければいけないなかでどのような判断を下していくかは想像しがたい。

こういうシステムがもし実現する社会があるとするならば、きっと貨幣至上主義的な現代人の思考そのものが変化するときであろう。生活の豊かさをお金や物に求めない、人々が平和で安定して豊かに暮らすことが出来るような社会システムが考えられる必要がある。こういうことを行っていると一昔前のユートピア思想や社会主義的な思想に向かいがちだ。実際にマルクスが最近非常に売れているというニュースを見たが、確かにこの方向性が進むと社会主義的思想が首をもたげてくるのは否めない。ソーラーパネルからだいぶ話がそれてしまった。

〜2010/6/3
今日は八潮のリフォームの現場視察。一部設計変更の場所があるということで現場を見に行ったのだが、クライアントのFさんとの話し合いによって若干の変更をすることに。リフォームの場合は特にだが、現場における話し合いで細かい仕上げなどが決まっていくことが多い。出来上がっているものを壊しながら、クライアントの理想の形に作りあえて行くことがリフォーム工事の醍醐味だが、柔軟な対応と思考のコントロールが出来ないとなかなか難しい場面もある。大規模改修工事が新築よりも難しい、といわれる所以はそこらへんにあるだろう。

今日は、東京都調布市にある集合住宅併用住宅の現場で、屋上階のコンクリート打設が行われた。写真はその様子。写真中央の低い立ち上がりには、写真左側の高い立ち上がりから来る屋根に沿ってガラスがはめ込まれる予定。結果、3階リビングのハイサイドライトとなる予定である。とはいえこの状態ではさっぱりわからないであろうから、型枠を解体したらまたご説明したい。



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