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略歴 「日本の住宅はどうしてこんなに同じものばかりなのだろう。」というのが私が設計を行うようになったきっかけでした。住宅はそれぞれの家族が自分たちのこだわりに合わせて自由に作り上げていくものだと思います。他の工業製品と違い工場での生産が出来ないということからも、本来は個別のデザインが許されて良いはずなのです。 |
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5月 2008/5/29 午前中、M氏打ち合わせ。なんと31歳で、自宅兼倉庫を建設しようというパワフルな青年だった。私の年齢が34歳なので、自分より年下のお客様というのはなかなか経験がないのだが、最近の経営者の低年齢化の中では珍しいことでもなくなっていくのだろう。それにしても頼もしい限り。出来る限りの応援をしたいと思う。 14時、越谷の家の打ち合わせ。歯科医師をされているT氏は木曜日お休みということで、自然と木曜日の打ち合わせということになる。今回の打ち合わせでは展開図の確認というところまで進めることができた。この段階が終われば次は電気設備図などの設備関係をつめて、概算見積もりとなる。6がつ、7月で大きく進めることができそうだ。 プロジェクトのページに草加市で作った美容室を掲載した。セルフビルドを取り入れコストを抑えた手作り感のあるできばえとなっている。ぜひご覧いただきたい。 2008/5/28 午前中事務所にて各プロジェクト打ち合わせ。 14時、所沢N氏宅にて増築リフォームのご相談。N氏は以前私が日記のデータをパソコンの誤操作によってなくしてしまったときにフィンランドのヘルシンキよりデータを送ってくれた方である。今回そのときの事情をうかがったところ、ご主人の転勤に付き添っていた奥様が偶然私の日記を読んでくれていたということだった。日本の小さな工務店の日記をヘルシンキで読んでくれているなんて言う事実がわかっただけでも、チョット驚いた。世界の果てまで一瞬にして飛んで聞く情報の力を感じた。 いろいろお話しているうちにフィンランドについていろいろうかがうことが出来た。フィンランドというのは学力世界一という知識くらいしかもっていなかったのだが知れば知るほど面白い国だということがわかった。 人口は僅か500万人ちょっとしかいないらしい。1917年のロシア革命まではロシアの一部だった国が、紆余曲折を経て1960年ごろより急成長し、現在までの間に経済、教育の分野で飛躍的に発展し、また北欧型の福祉国家の仲間入りを果たした。1990年ごろまでは林業を中心とした産業構成だったのに対し、深刻な不況下においてハイテク産業体制への移行を成功させ、今ではノキアなどのハイテク産業が国家を支えているということだった。 日本人に対する対応も非常に親切で、幼稚園の父母会に通訳をつけてくれたりの至れり尽くせりというところだったということだ。1990年の不況からの成長ということで、日本のバブル崩壊からの経済再建とかぶる面もあるのかもしれないが、現在の日本の状況と比較するとなんだかさびしくなってしまう。特に労働時間の長さや社会福祉の状況など人々が安心して暮らすことの出来る状況を上手に整備しているというのがうらやましい限りだ。 建築の世界ではフィンランドを代表する建築家アアルトが有名である。彼の活躍した1900年前半から半ばというのはまさにフィンランドという国家の産声を上げてから青年にいたる時期であり、そういう中でのモダニズム建築を人間的に取り入れていく作風にフィンランド人らしい部分が現れているのかもしれない。 さて、プロジェクトの内容としては耐震診断及び耐震改修。そして一部リフォームと増築ということになる。確認申請制度の改革された現在、増築というのは非常に難しい状況にある。今回は4号建築ということで、まだましな状況ではあるが確認申請手続きを行うとなると大変な面もたくさんありそうなので慎重な判断が必要になる。耐震診断ともなるとまた専門的な分野でもあるので、専門家に相談してみることにしよう。 それにしても、一部の犯罪行為を防止するために改正されたとはいえ、日本の法制度の矛盾には本当に違和感を覚える。従来より適切な設計を行ってきているにもかかわらず、今回の法改正によって仕事料が増加したことだけでなく、増築のように実質的には不可能な書類作成を求められるような法改正には疑問意外何者も感じることが出来ない。これまで長年使ってきた住宅をチョット大きくしたいというだけの工事でも、それが10u以上の増築となるだけで、既存建築の適合性を証明せよとなるわけである。30年前の建築物の外壁や内壁そして床を全部はがしてその仕口を確認し、接合部の金物を検査し、基礎の鉄筋の状況をXセン写真で検査する。そんなことをしなければ増築も出来ないのであるならば、誰も増築なんかしないだろうし、そんなことするくらいなら壊して新築となるのは目に見えている。いったいそんなことを求めてこの日本にとって何の得になるのだろうか。誰も何にも得るものがないのではないか、そんな気さえするのである。 2008/5/26 朝一番で、蓮田の土地のレベル測定。前面道路との高低差が高いところで1600mmもある土地ということで、まずは造成工事から行うことになる。この造成工事では敷地周辺にL字型の擁壁を作る。これでその土地の土圧をささえ、その土地の上に建つ建物を支える。高さが低いのでそれほど厳しい規制がかかるわけではないのであるが、慎重にやらなければいけないことには変りはない。早速計画を立てることとしよう。
三鷹のリフォームの現場では、セルフビルド工事に取り掛かった。写真の様子は塗装前のパテ処理の様子。今回は漆喰塗料という材料を利用する。漆喰だけれどローラーでまるでペンキのように塗ることが出来る材料だ。古い家のリフォームということで、鏝塗りの材料ではどうしてもひび割れが気になるという理由でこの材料を使用することにしたのであるが、作業的にもだいぶ楽になると思うので、セルフビルドにはなかなか向いている良い材料を見つけることが出来たというところ。この壁が白い漆喰に仕上がり、天井のすでに貼られているラワン合板と並ぶ様子を早く見てみたいものである。
2008/5/25 今日は15時より大学時代の友人の結婚式に出席した。原宿駅から程近いレストランでのパーティー形式の結婚式であったが、建築家として独立している添田の結婚式ということで、その多くは建築関係の参加者であった。大学時代の友人たちの中には10年ぶりの再開ということも珍しくなく、非常に楽しいひと時を過ごすことが出来た。 そのとき出会った建築家の中に湖出 岳氏なる人物がいた。なんでも自分のアトリエ兼住宅を自力で建築したそうで、その風貌も建築家というよりはなんとなく山の中から出てきたきこりさんという感じであった。世の中にはパワフルな人がいるなあと妙な関心を覚えたわけであるが、建築を作っていく面白さを味わうという点では、ますいいでセルフビルドにチャレンジするお施主さんたちと一緒なんだろう。一生に一度の建築という行為を自分でやることはやっぱり最高の遊びなんだと思った。 2008/5/23 今日は新宿区落合の家の捨てコンクリート打設。捨てコンクリートといってもこの現場では厚い部分では60cmほどの厚さになっている。これは支持地盤の傾斜によるものである。建物は通常固い地盤の上に立てる。固い地盤というのは関東では関東ローム層といわれる地層をさすのだが、まれにこの地層は今回の現場のように傾斜していることがある。そのような場合やわらかい土を取り出して、その代わりに硬いコンクリートを流し込まなければならない。このようなコンクリートのことをラップルコンクリートというのだが今回の工事では、基礎の根切りを行っている最中にこのような工法を採用することを決定した。 建築の現場ではこのように工事中に工法を変更することがある。通常、設計に入る前にボーリング調査などの地盤調査を行うので大体の地中の状況は予想できているわけであるが、そうはいっても敷地のすべての点でボーリング調査をするわけでもなく実際にはこのように掘ってみたら傾斜していたということもあるのである。ビルの杭を現場で造成する際なども地中30m付近に支持層があるという情報が設計段階であったとしても、実際には現場で30mまで掘って支持層を確認し、その深さまで到達するような杭を造成することが通常の方法であるからして、こればかりは仕方のないことである。 どちらにしても一昨日の雨で現場の状況が非常に心配だったので無事コンクリートを打つことが出来て何よりだ。いよいよ基礎工事に本格的に着手できるだろう。
写真の中の地面に突き刺さっている木材の天端が今回の捨てコンクリートの打設レベルだ。手前のほうがわずか10センチほどなのに対し、奥のほうでは60センチほどになる。つまりこの白い砂利の傾斜がこの地域のローム層の傾斜ということだ。このように観てみると建築の現場も結構奥深いものがあるのである。 2008/5/22 11時、船橋駿河台の家の打ち合わせ。今日の打ち合わせでは2階のプランの変更と1階リビングの引き違い木製扉周辺のプランについて話し合った。特に、2階のプランについてはこれまでの打ち合わせを踏まえてかなり作りこんだものを、すべて白紙に戻す結果となった。打ち合わせを重ねプランを書き進めていくうちに、必要以上に細かいプランを作ってしまうことがある。さまざまな暮らしの中での事象を予想しながらプランを書くのだが、それが必ずしも的中するものでもなく、意識的に可変性を残していくことが必要であると思う。このことについては施主のWさんのほうでも同じことを考えていたようで、結果的にはスムーズにもとの形に戻すことになった。13時ごろ打ち合わせ終了。
川口本町の家が完成に近づいている。これは電気屋さんの工事の様子。ちなみに電気屋さんは佐々木さん。もうかれこれ6年くらいのお付き合いだが、彼の写真はいつもばんざいをしている。 2008/5/17 朝11時、青山のHさん宅訪問。僅か10坪の敷地に立つ小さな住宅の建て替えのご相談。土地の資料などがそろっていない状況だったのでなんともいえないところではあるのだが、あまりにも小さな住宅に家族4人で暮らしてきた様子にびっくりした。既存の住宅はまさに狭小住宅。玄関の上にロフトを作ったり、直径60センチほどの急な螺旋階段を設けたりとこれまで目にしたこともないようなものばかりであった。頭の中に日々醸成されていく既成概念を取り払うには良い経験である。 15時30分、千葉県にて大学時代の同級生の建築家のオープンハウス。非常にまじめな家作りを貫いている様子で参考になるものが多かった。あまり同級生のオープンハウスというものにはこれまで足を運んだことはないのであるが、小野のだけは行くようにしている。以前実施設計と施工に携わった自由が丘の家のご子息であるということだけでなく、彼の建築家としての独立の経緯の中に私の存在が多少なりとも影響しているという自負と、彼の建築に対する興味とが足を運ぶ理由だ。興味のある方はぜひご覧になってほしい。 オノ・デザイン(建築家小野喜規のサイト) 2008/5/15 11時、川口駅前にて家を建てる予定のAさん打ち合わせ。以前にも日記に書いたのだがAさんは型枠大工の会社を経営している。つまり当然ながら家作りのすべての部分を自分で行うという予定だ。構造はもちろんRC造。さすがに鉄筋工事や土工事などの専門分野は知り合いの職人さんたちに依頼するということだが、内装などを含めて自分が出来る部分はすべて自分で行うということだ。建築現場で普段働くプロなのでこれをセルフビルドと呼んでよいのかどうかわからないが、型枠大工さんの家などというとチョット面白そうである。今回、ますいいとしては設計事務所として現場にかかわる。つまり請負者は不在である。施主が自分で自分の家を請け負う。これは究極のセルフビルドである。 新宿区中落合の家の現場ではいよいよ土工事が始まった。写真の様子は根切り(つまり穴掘り)をしている様子。この家ではボーリング調査をした結果地盤改良工事は不要とのことで工事を開始したのだが、実際に掘ってみたら強度のあるローム層が斜面状に分布していることが判明した。そこで、協議の結果ラップルコンクリートを打設することに。ラップルコンクリートというのは貧調合の(強度の弱い)コンクリートのことでこれを弱い地盤の土と入れ替えることで強固な地盤を確保するというものである。そうすることで、全体的に地耐力を期待することが出来るようになり、不同沈下が防げるというわけだ。やはりこういう土の下にあるもののことは現場が始まってみないとわからないものである。
2008/5/14 昨日は帰国翌日ということもあり、たまっている仕事を片付けるのに事務所でばたばた。今日は多少落ち着いた感あり。 13時、蓮田駅前のT不動産屋さんにてSさんの土地契約立会い。今回の計画地は市街化調整区域という区域にある。これは、開発されることを抑えるために基本的には建築行為などをしてはいけない土地ということになっているのであるが、条件に当てはまる人に限り建築を作ることが出来る。たとえば農家さんなどがその条件に当てはまる人ということになるのであるが、農家さんにここは農地だから家を作ってはだめですよというのはおかしいということである。Sさんはその条件に当てはまる。ということで、通常よりも安い調整区域を購入できるというわけだ。 打ち合わせでは調整区域ならではの土地購入に際しての流れの確認などを行った。15時ごろ終了。 草加の美容室兼住宅の美容室の内装工事が完成した。この美容室の工事の内装にかかわる部分はほとんど施主であるKさんの手によって行われた。非常に器用なかたで、石灰クリームなどの左官工事も上手に塗られた。床貼りや家具工事などはもちろんプロの手にゆだねている。しかし、自分で出来ることは自分でやるというこの精神をもってすればかなりのコストを抑えられるのである。下はその写真。完成写真の撮影後にHPにアップするので楽しみにしてほしい。
2008/5/2〜12 連休を挟んで10日間、パリとギリシヤへ建築視察に行って来た。今回の旅の目的は建築の起源であるアクロポリスを見ること、そしてかねてより一度は訪れてみたいと考えていたサントリーに島に行くことだった。 ギリシヤへの直行便がないということで乗り換えのために訪れることになったパリから約3時間電車で東に進むとロンシャンがある。スイスとの国境に程近い小さな町で多くの人がコルビジェのたてた教会を見学に来ている。駅に着くと福岡から来ていた日本人の夫婦と一緒になりタクシーでロンシャンの教会に向かった。とても良い天候の中多くの人がスケッチをしていたが、私もそれに混じって約2時間ほどのスケッチを楽しんだ。
パリ市内でもいくつかの建築を観て回ったが、その中でも印象に残っているのがポンピドゥーセンターだ。レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが設計した当時伝統的な建築の中に突如として現れた前衛的な外観から、多くの非難を受けたそうだ。1977年の完成ということで、もうすでに30年以上が経とうとしている。しかしそこに古びた様子はなく、いまだパリの町並みにおいて独特な空気を放ち続けているのには驚いた。30年以上も経った建築であれば日本では解体工事の対象とされていてもおかしくはない。それでもなお改修工事をされて大切に使われ続ける感覚、それが当たり前なのだろう。
パリの二日間の滞在を終えてアテネに移動。アテネの町並みは予想に反して歴史的な遺産にあふれているというわけではなく、何の変哲もない町並みの中に突如と史跡が現れるというようなものであった。400年以上もオスマン帝国に統治されまた第2次世界大戦をはじめとするたび重なる戦火の被害にあったことが原因なのかもしれない。かのパルテノン神殿でさえも火薬庫に使用されていたところにミサイルが打ち込まれその屋根が吹き飛んでしまったということであるので、その被害は計り知れないものがあるのだろう。 さて、旅の目的であるパルテノン神殿。これはわれわれの学ぶ建築の起源だ。柱によって支えられる屋根が雨をさえぎり、壁が外界から遮断する。それが建築の起源であり、その原型がここにあるのである。遠く、リカヴィドスの丘から見るその姿は漆黒の闇に輝く白い幻影のようであった。大理石によって作られたこの白い神殿は、遠景の演出を絶妙にコントロールされた物であったのだろう。自然の中に映えるその姿はあまりにも白いのだ。 遠景の演出におけるドリス式オーダーの役割は、女神像を守る神殿を市民に広く表現するという男性的な力強さにあったのかもしれない。伊勢神宮をして日本建築の起源としたりの学術的議論の中に置くまでもなく、その堂々とした建築のありようにただただ向き合う時が流れた。
今回の旅は船橋駿河台の家の居間の中心にある柱を考えていたところから始まった。この家では庭を通り抜けると大きな引き違い窓から居間に直接入ることが出来る。その先には大きなダイニングキッチンがあり、作業台をかねたダイニングテーブルで食事をすることができる。ピアノとテレビの置かれる居間の中心には柱が立っている。そしてその柱は大きな屋根を支えている。
住宅は一生の間にたびたび作れない。 長くもない生涯を強い風や雨にあるいは地震に堪え、見るからにがっしりした家で暮らしたいとは誰しも思うことではないかと考える。 ローコストは建築のエレメントである。 しかし人間の生活や精神を引き上げられるローコストでなければならない。 (白井晟一の眼Tより) アテネから飛行機で1時間ほどのところにある小さな島、サントリーニ。青い海に白い町並み。パンとワインの似合う町だ。この街はスケッチブックを片手に歩き回るに限る。真夏になるとかなり暑くなるらしいが、まだ20度くらいのちょうど良い気温であったので、町並みのスケッチに明け暮れることが出来た。旅の最後を飾るにはちょうど良いのんびりとした街でゆったりとしたひと時を過ごして、12日夜、日本に帰国。さて、明日からまた仕事である。
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