略歴
免許登録番号 1級建築士 建設大臣登録 第290771号
1997年早稲田大学理工学建築学科卒業
2001年戸田建設株式会社退社
2001年ますいいリビングカンパニー主宰

「日本の住宅はどうしてこんなに同じものばかりなのだろう。」というのが私が設計を行うようになったきっかけでした。住宅はそれぞれの家族が自分たちのこだわりに合わせて自由に作り上げていくものだと思います。他の工業製品と違い工場での生産が出来ないということからも、本来は個別のデザインが許されて良いはずなのです。
しかし、現実には建築条件のない土地の取得の困難さという問題や、かつてのずさんな工事による工務店の衰退にともなう工業化住宅の発展によって画一的な住宅ばかりが作られるようになりました。
このような中で、今一度住宅の設計を一つ一つ丁寧に行い、そして工務店として作り上げる。その活動こそが個性あふれる豊かな住宅の生産につながると思っています。そして、そのこだわりを実現させるデザインが豊かな街を作り上げていくでしょう。
私は川口の町で生まれ、川口の町で育ちました。住宅を作るという活動を中心としてさまざまなデザインを街の中にちりばめ、この街をもっと魅力的に変化させ、魅力ある街づくりに貢献したいと考えています。

 
2007年

 

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5月

2007/5/30

今日はふじみ野の家の地鎮祭を執り行った。昨日までの天気予報は雨だったのだが朝現場に来てみると適度に雲が出ているちょうど良いお天気。最近の天気予報はいやというほど当たるものなのだが今日は運がよかったと言いうことだろうか。地鎮祭の前に職人さんと一緒に縄張り、遣り方作業を行った。都内と比べると非常にのどかなところで、敷地境界線もはっきりしない。が、まあ土地が結構大きく、建物がゆとりを持って納まっているのでそれほど気にするところはなさそうである。地鎮祭終了後はクライアント御夫妻と共に近所にあるうなぎ屋さんにて会食。昼だというのに、ビールを少々いただく運びとなった。2時ごろ終了して、現場に戻るとすでに職人さんたちは帰っていた。田村と一緒に遣り方作業の確認を済ませ、近所にある千代田土地さん訪問。この不動産屋さんの事務所は石山修武氏によって改修工事を施されていて、今日は日本画の展示を行っている。御主人の奥様と少々お話をしたのだが相変わらず石山さんの周りにいるおば様パワーはすごいものがある。話したところによると以前早稲田にある観音寺にてお会いしている様子だった。5時ごろ事務所に戻り、雑務。

 

2007/5/28

朝6時過ぎ事務所を出て浜田山の家の現場に向かう。今日は第2回目の撮影ということで外観の写真を撮ることになった。本当は同じ日に撮影できればよかったのだが、なにぶんにもセルフビルドの外構工事が終わるまではということで1ヶ月遅れの日取りとなった。天候にも恵まれ、なかなかの撮影日和。出来上がりが楽しみである。

2007/5/23

午前中は6月20日に訪れる建築基準法の改正に向けた勉強会。今回の改正では構造強度偽造事件を踏まえて主に構造の計算基準の改正や確認申請の手続き上の問題が変更される。これまでより厳しい審査基準が設けられるわけだが、その中でも一番気になる部分は神聖後の図面の差し替えができなくなるという点だ。これまでは窓の位置や大きさを変更したり、階高さを調整したりしても軽微な変更をすればよかったがこれからは計画変更扱いになるという。もっとも、軽微な変更がなくなるわけではないだろうが、軽微かどうかの判断基準が厳しくなるということであろう。建築を作る際には作りながら考える点もある。建ちあがってきて初めて決めることもあるわけで、そういうものを全て初期段階に設定したとおりに施工するとなると、建築にとって最適な答えがもたらされにくくなってしまうのではないだろうか。どこまで厳しくなるのかまだはっきりしない点が多いのだが、少なくとも窓を少し大きくしたい程度のクライアントの要望すら聞き入れることの出来ない法律にはならないでほしい。一部のモラルを欠いた人間達による偽造行為のよって、真面目に建築している設計事務所にまで多大なる影響をもたらす法改正が行われることは非常に残念なことだが、もうどうすることも出来ない。

午後は、西新井の家の最終的な見積書作成。この家についてはこれまでかなりの計画の変更をおこなってきたが、いよいよ進みだすことになった。この家の進行は興味のある人にとってはためになると思うのでちょっと詳しく記載する。

初期、この家の計画では全面的な改修を依頼された。築40年の古屋の前面改修をしなければいけなかった理由としては、16坪しかない土地に対し法廷の建蔽率では8坪しか建てられないと言う理由からである。今の建築はめいいっぱい建っている。それを壊すと8坪。だから壊さないでリフォーム、というわけである。

中期、リフォームを進めているうちに構造体の劣化が判明。リフォームとはいえこのまま使用することは建物のためには良くないと判断し、構造体を交換することにした。交換作業を全部いっぺんに行うのではなく半分ずつ行う。つまり道路から離れた半分を壊し、新しい材料に変更。次に道路側を壊し、新しい材料に変更、という作業を行う。途中役所から新築工事ではないかとの指摘を受けるも若干の変更と交渉の末、あくまで改修ということで押し通す。

後期、建物の後ろ側にある道路と接していない土地の持ち主より連絡があり、建蔽率に違反している新築のような建築をしていることに対するクレームを受ける。交渉の末、通常の土地の値段よりも安くその奥の土地を買い受けることとなる。この時点で、当初の建築の持つ違法性は全て解消される。

現在、入手した奥の土地に建物を移動させることを検討したが曳き家には予想以上の費用を要することが判明し断念。現在のプランに増築することとなった。ちなみに確認申請は新築として提出。現在審査中。

この家を作るうえでのもっとも大きなポイントは改修工事の定義であろう。ほとんどの部材を交換しても改修と呼べるか。それは新築なのではないか。この点について建築基準法などでの明確な規定はない。しかし、今回の交渉の席で話したところによると部材の半分程度が古い部材であればそれは改修と呼べるのではないかということであった。まあこれもその自治体や担当者の見解によって変わってしまうことなのでなんともいえないのではあるが。
そして次のポイントは接道していない土地の利用についてだ。この土地には昔建てられた廃屋が2件ある。今は解体工事中だが近づくのも怖いくらいの廃屋だ。壊すとまったく利用の可能性がなくなるこのような土地では古い建物を廃屋として保存している例が少なくない。そしてそのような忘れ去られた建築があることは周辺環境にとって脅威となりやすい。今回はこの土地を購入することで結果的に家の裏庭として利用されることになった。いまどき駅のちかくで家の裏に30坪以上の庭がある家があるだろうか。まるでローマの町並みに面している建物の門をくぐった先にある中庭のように、土地の中にぽっかりと開いたその穴では楽しい生活が営まれることだろう。今回は曳き家ができなくて結果的にそのような穴が生まれることになったのだが、私はそれがよかったと思っている。道路に面した駐車場はありふれた結果だ。しかし、道路に面していない中庭では独自の営みが行われる予感がある。今回は結果的に出来上がったプライベートの公園のようなものだが、今後このような土地に対してもう少し目を向けていきたいと思う。通常はどうすることも出来ないのだろうが、ちょっとの工夫で魅力的な街の要素に変貌する。そういう変換ができる可能性のあるものとして接道していない土地はなかなか魅力的だと思った。

来月には大工工事を再開する。引き続き状況を報告したいと思う。

夜、井筒和幸監督のゲロッパと金子修介監督のデスノートを見る。デスノートについては何もない。ゲロッパは良かった。良い映画は見たあとも心に焼きつくシーンがある。

2007/5/19

16日は赤塚の家の地盤改良の予定だった。地下室の部分については地下室の床の底盤部分に当たる地中1.8mに柱状改良の上端部分をあわせるように施工するはずだったのだが現場からその施工が出来ないとの報告を受けた。何でも地中2m付近にどうしても貫通することの出来ない層があるらしく、もしかしたら古い建物の地盤改良か何かがあるかもしれないということだった。しかし、この土地に立っていた古い建物というのは2階建ての木造建築。そんな深いところに杭が入っているはずもなく、なんとも納得がいかない。施工業者は16日の時点で早々に施工をあきらめ退散してしまっている。と言うわけで、今日はその原因究明のために試験的に掘削をしてみることになった。

敷地に穴を開けてみると地中2m付近にはなにやらコンクリートの塊のようなものがたくさん敷き詰められていた。そのうちのひとつを取り出してみると直径60cmはあろうかと言うコンクリート塊だった。もう一つ穴を掘ってみるとそこにも同じような塊がある。近所に住む老人にお話を聞いてみたところ、この土地は昭和40年代にガラ置き場として利用されていたところを、土をかぶせて平らにし建売を建てて売り出されたということだった。そしてこの土地の周辺には今もまだ多くのガラが埋まっているらしい。11時過ぎ、クライアントの三浦さん御夫妻が現場に到着し、今後の相談をする。とにかく撤去する以外方法があるはずもなく、早速工程と作業内容を作り直すことになった。それにしても、このようなことは初めて。三浦さんにとっては予想外の出費以外の何者でもなく、なるべく安くすむような方法を考えてあげなければいけない。

午後は、川口市本町の家の概算見積もり作業など。

2007/5/16

朝11時ごろ、蓮田にて家を新築したいと言うSさん御家族来社。土地の購入から家を建てるまでの流れなどについて1時間ほどお話しをした。家作りというのは一生にそうそう何度もあることではない。だからこそ、私にとっては当たり前のことでも始めて家を作る方にとっては何がなんだかさっぱりわからないことだらけなわけで、そういう基本的なお話しをもっとしていかなくてはならないのだろうという気持ちになった。午後、事務所にて雑務。19時、モリチュウの森さん、井落さんとますいいの山崎と共に居酒屋「歌留多」にて打ち合わせ。朝日橋の詳細部分を再度川口市の担当者に説明するための資料をどのように作るかなどについて話をした。12時ごろ帰宅。

2007/5/14

朝7時事務所にて池上と待ち合わせ、赤塚の家の現場に向かった。出発が早すぎたので現場近くのマックにて基礎屋さんと待ち合わせて少々時間つぶし。8時過ぎ現場に到着。近くに借りている駐車場に車を止め早速縄張り作業に取り掛かった。敷地周辺からの距離を決め、道路面からの床の高さを決める。20坪しかない狭小地だけにその判断は非常に微妙なものとなる。途中、隣の住民の方にどうして我が家のほうは50センチの隙間で、北側の隣地は70センチの隙間なんだ!!とのお叱りを受けるも、これも法律の中で設計をしている以上仕方のないことなのである。つまり、第1種高度地区に指定されているこの地区では北側から非常に厳しい斜線制限がかかってくる。これをかわしながら建物を建てるためには必然的に建物は南側による。おじさんにいくら恫喝されたって簡単に北側に寄せるわけにはいかないのである。それにしても都会の土地は高くて狭い。その中で生活するための箱を作るためにはそれなりの工夫がいる。そしてその場の雰囲気も良くなればそれに越したことはない。この現場ではクローバー型の建物の周りに4つの隙間を配置している。それぞれの隙間は近隣の家にとっても有効な隙間として機能するだろう。緑、風、光・・・そんなものが敷地の隙間に溢れることで密集地の中に少しのゆとりが出来る。隣のおじさんも出来上がったときにはにっこりとしてくれることだろう。それを期待しつつ、今はじっと耐えるのみ。また次も何かで怒られるのかな。
事務所に戻ると以前カンボジアで同行していただいた中谷礼仁氏よりは手紙が来ていた。うわさには聞いていたが今年から早稲田大学の教職につかれるとのことであった。偶然にもスタッフの田村がいっていた大阪市立大学の、しかも担当研究室の教授だったという縁のある方なので、これからの活躍を期待したいと思う。ちなみに先日読んだ渡辺豊和氏の本は、この中谷氏が運営している出版団体によって発行されたものだ。こちらの冊子も非常に楽しく拝読させていただいたが、70年代の建築をまとめたものが少ない中での、氏の活躍に期待したいと思う。何でも今は河合健二氏について調査をしていると言うことだがこれも期待して待つことにしよう。

2007/5/12

午前中退院。足の具合は非常に良い。あとは来週の抜糸を待つのみ。昼ごろ会社に到着。毎日のように連絡を取っていたのでこれと言った問題はない。しばらくして森さんより連絡。1月におこなった川口市の朝日橋の欄干のコンペに通ったとの知らせを受けた。年末年始の忙しい時期に会社を上げて取り組んだコンペだけにみな非常に喜んだ。このコンペは川口市の鋳物工業組合という団体が川口市より依頼を受けて開催している。市内の鋳物関係の会社がさまざまな案を提出するなか、ますいいでも森さんの会社と組む形で案を提出することになった。詳しいものはこちらに掲載する。
夜、大工の尾形さんとの打ち合わせ。しばらく現場が空いてしまったので前に付き合っていた会社の仕事を請けるということ。ますいいの現場に2年ほど入ってもらっていただけに惜しいことをした。とはいえ6月末には戻るとのことなので一安心。大工さんと言うのは非常にレベルのばらつきのある職種で尾形さんは非常に信頼の出来る数少ない大工さんの一人だ。ますいいにはもう一人草間さんと言う大工さんがいるのだがなにぶんにも一人ではどうにもならない。まあ同時に行うのは2棟が限界。やはり二人は必要である。仕事を連続させることは工務店にとって大切なこと。今回は確認申請やら何やらで時期をずらしてしまったのだが、今後は注意をしなければいけない。
夜、私と山崎とスタッフでコンペの祝勝会。焼酎をだいぶ飲みすぎてしまった。

2007/5/9〜11

今日から入院。偶然にも現場がどこも動いていないということで絶妙なタイミングでの入院となったのだが現場が動いていないということは仕事がないということでもあるのであまり喜んでもいられない。まあ西新井の現場で役所に工事停止されてしまったり、赤塚の家の現場で確認申請をなかなか許可してもらえなかったりとこちらの都合で仕事を伸ばしてしまった部分がほとんどなので仕方がないといえば仕方がないとも言える。
今日は病院に入っても特にやることはない。簡単な検査や明日の手術に向けた体調の整理などがメインであるので要するに暴飲暴食は出来ない環境に一日漬け込まれるというところである。午前中に「伊藤忠たとは誰か」読了。展覧会むけの企画本ということで雑多な内容では会ったが、尊敬する方々の対談の部分は非常に面白く読むことが出来た。
2年前に入院したときは1ヶ月かかった。今回は僅か4日なのでそれほどの緊張感もない。しかし、病院に入ると2年前に感じた人生の刹那のようなものを感じざるを得ない。待合では徹夜でおそらく家族の最後を待っている人がたくさんいる。すぐ隣の病室には動くことも出来ないでたくさんの管でつながれた老人もいる。屋上には足を切断されると脅された糖尿病の患者もいる。さまざまな事情を持った人がさまざまな形で何かを考え、それぞれの人の知人や家族に支えられながら回復を願っている。こういう状況に普段触れることは出来ないのだが、触れてしまうと自分の日常とそれほどかけ離れたものではないということがわかる。時間、場所、行動・・・いくつかの要素がたまたま重なればそれが突然自分の状況になってしまう。そんな偶然が今目の前にある曲がり角を曲がったとたんに見えてくるのかもしれない。そんなことを考えてしまう。

夜、ギリシヤのバララム修道院の絵葉書を見ていた。がけの上に立てられた修道院から一人の少女がつり下ろされている。岩山の斜面にある小さな穴には住宅のような建築が建てられたり、そしてそれぞれは礼拝堂として利用されているのだろう。自然に逆らうことなく築造されたそれらのかけづくりのような建築には、大きな力に逆らうことなく生活する原始的な人間のあり方のようなものを感じる。がけの斜面の穴の中の礼拝堂からのぞく少女の顔が神聖なものに思えた。


渡辺豊和氏による「文象先生の頃、毛綱モン太の頃」を読んだ。知人が勤めるRIAという巨大組織事務所の初期の頃の様子が面白かった。反住器を作り上げた毛綱の生き様の面白かった。そして70年代の建築家たちの精神もまた興味深いものがあった。


江戸川乱歩、一読。鏡をのボールの中に入って博士が狂気になるの物語。シュールレアリズムの小説版というところか。表現されている様子を頭の中で思い浮かべてみる。なかなかにグロテスクで気持ち悪い光景のようだ。


手術。下半身麻酔をかけられる。じわじわっとからだが熱くなるような感覚とともに感覚がなくなっていく。動かそうとしても足を持ち上げることすら出来なくなる。触られている感覚はなかなかぬけないのだが、痛みや冷たさをまったく感じられない。まるでものになったような気分。昨日の乱歩の小説の中にある動けなくなった狂気の博士を思い出す。まあ私の意識ははっきりとしているのだが。


村上春樹「アフターダーク」読了。以前読んだことのある本だけに1時間ほどで読んでしまった。
同じく村上春樹、「使い道のない風景」読了。 稲越功一の写真が美しい。


たびたびかかってくる会社からの電話に応対することも十分に出来た。個室なので電話が使える。仕事も十分に出来るというこの環境はなかなか悪くない。そして何より読みたかった本を読むことが出来たことが何よりの収穫だった。明日からまた仕事に復帰するとしよう。

2007/5/8

先週からこれまで西新井の家の曳き家計画を検討していた。というのも、思いがけず後ろ側にあった土地の購入が早く進んだことで、しかも10坪程度の購入のつもりが結果的に30坪程度の購入となりかなりの土地が現在建築中の後ろ側に付け足されることになったからである。しかし、家を壊さずに動かすとなるとかなりの費用を要することがわかった。よく田舎のほうで家を壊さずにそのまま移動している様子を見かけるので、今回もそのようにすればと考えたのだが通常の曳き家というのは延べ床面積の坪数に対して6万円ほど要するということ。それに付け加えて長いレールを敷設するために今回のような狭小地においては余計な費用まで必要になってくるらしい。それでは完全にばらばらにしてみてはどうかとも考えたのだが在来工法の仕口と呼ばれる部分が完全に接合されてしまっている状態をはずすとなると簡単なことではないということで、仕口が壊れてしまえばまたその部材を作り直さなければならないことになる。そもそも再利用を前提として大工さんに丁寧に解体してもらい結果的に利用できる部材はほとんどないなんてことになってしまえば目も当てられないわけで、安易に解体そして移築のほうに話を進められる状態ではなくなってしまった。そこで、検討の結果このまま新築工事を進めて後ろ側にさらにほしい分だけ増築する方向で話を進めることになった。この方法ならば解体や移設のための余計なコストはかからない。確かに道路に面する部分をなるべく多くあけておいたほうが後々利用できる選択肢は広がるのだが、コスト的にもこれまでの経過を考えてもその選択はあきらめることになった。この判断を下すにはそれなりにさまざまな検討をしたのだが、今の時点ではこの判断がもっとも有効なものであると思う。プライバシーの保たれた自由に利用できる土地が手に入ったと思えばよいではないかとも思う。いよいよこの方向で本格的に進行できる。こればでたびたび途中で中断したがこれが最後になるだろう。
午後より、板橋の赤塚の家の詳細部分についての打ち合わせなど。10時ごろ作業終了。

2007/5/7

連休明け。事務所の利用方法も新しくなり今日から心機一転仕事に打ち込める環境が整った。これまで場所が2箇所に離れていることでのわずらわしさがなくなり動きやすくなるだろう。今日は水曜日からの簡単な入院に向けてやらなければいけない仕事を大方終わらせることが出来た。入院というのは以前手術したひざに埋め込まれているボルトを向くためなのだが今回は4日ほどで退院できる。まあちょうど良い読書タイムというところか。

2007/5/2

今日で西新井の家の方向性が大体決定した。これまで、築40年の古い家屋を無理やりにリフォームしようとして役所に工事を止められたり、それを何とか再開させてもらったりといろいろ紆余曲折しながら進んできたのだが、最終的には西新井の家の後ろ側にある1.3mしか接道していない土地を購入して敷地を大幅に広げることになった。この結果、建てようとしていた建築は完全に合法的なものになることになった。ただし、その建築はその大きく広がった敷地の道路側に建っている。そしてその敷地の奥に入るためには僅か1.3mの通路部分を通るしか方法はない。それではせっかく広い土地があいているというのに車も止めることが出来ないので、それではということで、建物を敷地の奥のほうに10mほど動かすことになった。幸いにもイマ工事中の建物はまだ骨組みまでしか作られていないので動かすのもそれほど大変なことではない。連休中で解体工事業者や曳きや業者と連絡が取れないので連休明けに相談することにしよう。
今日からますいいも連休に入ります。みなさま、また来週。

2007/5/1

昨日から事務所の引越しをしている。これまで川口駅前にあるRDRと中青木にある事務所の2箇所に分かれて営業していたのだがなにぶんにも効率が悪いということで、全員を中青木に集結させることにした。というわけで私の家族はこの中青木の事務所からは追い出されることになった。昨日大体の引越しは終わっていたので、今日はインターネットの環境の整備や電話回線の整備などを行った。作業をしているのはCANONシステムサポートのかたがた。さすがはプロということで、これまで自分たちでやっていたよりもはるかに環境が改善されたようだ。
13時、オーパスという建材メーカーの方が営業に。なんでも割れない外壁工法というものを売り込みに来たのだが、なんとその材料を購入するためには入会金50万円を払わなければいけないということだった。建材を購入するために入会金というなんだかよくわからないシステムなのだが、営業マンに利いてみると全国的にかなりの会員さんがいるらしい。数ある工務店の多くはその営業方法に困っている。何に対してその力を発揮してよいかわからない工務店にとっては、外壁が割れないシステムを50万円も出して購入したことに満足してしまったりするのだろう。でもこの工法、ほとんど同じものが日丸産業というところから出ている。ちなみにこちらは購入するのに一銭もかからない。なんでも良く調べてから行うものだね。
夕方からは中落合の家の予算書作成ほか。

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