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2007/3/29
10時過ぎ、川口市の石神というところに出来上がった矢板先生の設計による特別養護老人ホームの見学へ。矢板先生というのはますいいの山崎が大学を卒業した後5年間修行していたアトリエを主催している人物で、今回はすぐ近くで建築が完成したということで突然お声がかかったというわけだ。現場は周りを森に囲まれた起伏のあるところで、そこにもともとある施設の増築という形で矢板さんの建築が建てられていた。コストとの戦いが随所にうかがえるなかなかに厳しい建築だったが、矢板さんの言葉でひとつ印象的だったものがあった。それは「何があってもプロポーションを捨ててはいけない。それは魂を売ることと同じだ。」というものだった。建築の設計をしているとコストとの戦いになることは非常に良くあることで、というよりならないことのほうが少ないわけでそのときの何を守って何を捨てるかということに頭を悩ますわけである。このテーマについては常に、そしてそのときそのときによって最適な答えを出せるようにしているのだが、先ほどの言葉もまたせめぎあいの瀬戸際で守り続けるべきものを決める大きな指標になるのだろう。
終了後は事務所にて事務処理などなど。
2007/3/26
先週はなんかばたばたしていて日記を書く暇もなかった。というより何をしてすごしていたのかほとんど覚えていないくらい忙しかった。こんなことは一年に何度かしかないのだが、3月というのはそれくらい仕事が集中する。私の場合は個人の住宅を作っているのでまだそれほどでもないのだが公共事業をやっている友人などに聞いてみるとこの時期の仕事量は半端ではないらしい。公共事業といえば先日聞いた話だが、川口市の公共事業の土木建築の予算というのはこの10年間で約3分の一に減っているそうだ。そのかわりに社会福祉関係の予算が大幅に増大しているということだった。生活保護や幼児医療など継続的に必要とされる予算の増大は会社でもそうだが経営を圧迫するわけで、建築、土木のようにそのときだけ必要になる予算とは比べ物にならないくらい脅威的な存在となる。自分の住んでいる町の予算などこれまでほとんど気にしたことがなかったのだが、それほど楽な状況ではないということだけはわかった。街づくりと建築家はこれまで切っても切れない関係として付き合ってきた。箱物を作れといわれれば作るし、その状況の中で力を発揮することが作品を残す建築家の職能だった。というより公共事業のような仕事に足跡を残すことが建築家としての目標として設定されていることが当たり前の状況だった。最近の作品を見ても、市内に出来た小学校などは将来の老人介護施設への用途変換を見越した設計がなされていると聞いている。この設計を行ったのはやはり市内では一目置かれているご長老の建築家なのだが、箱物を作ることへの抵抗を箱物を作ることで行っている例なのだろう。まあどちらにしてもこういう箱物を作ることでしか生きていく道はない。
しかし私の場合はそこに疑問を感じている。毎月のように新しいマンションが売り出され、公共施設も所狭しと建ち並んでいく町の状況を見ているとどうしてもその行為をこれ以上続けることへの疑問を感じざるを得ない。逆に川口駅前に昨年完成した1000坪の広場や、サッポロビールの再開発現場に完成した3000坪のアートパークなどを見ているときに、つまり都市の隙間に無理やりに作られた余裕を見ているときにチョットほっとする気分になるのである。こういう隙間を都市の中に作ることには多大なるエネルギーを必要とすることは容易に想像できる。何かを作ることは簡単でも、何にも作らないという決断を下す市長の英断は計り知れないものだろう。さまざまな経済団体などの圧力にもめげず孤独な決断をしたことが伺える。しかしそうした決断を下すトップの力量によって町の方向性が定められていくのであれば、今の川口市は非常に恵まれた長を持つ自治体なのだと思う。
家作りもこれと同じことが言える。無理に大きな家を持つ必要はほとんどの家庭にとって経済的負担を増やす以外に何ももたらすことはないだろう。土地の取得についてもしかり。20坪程度の土地でも十分に家を作ることは出来るし家族の生活空間にそれほどのスペースは必要ない。また今ほど建築がしっかりと作られているときは歴史的に見てもないといえるくらい強固な建築が建ち並んでいく中で、それらの再利用や用途変更という考えも重要になってくる。今烏山で進んでいるリノベーションのプロジェクトはまさにそのような考えの下に進められている。もともと工場として利用されていた建築をイマ住宅に変更しようとしている。その工事のほとんどの部分は施主自らの手によって進められていて出来ないところだけをますいいをとおして職人さんに依頼している。このような行為はまさに自分たちの生活の必要な部分を自分たちの手によって作り出そうという、非常に高貴な考えであるように思える。
2007/3/21
ようやく界工作舎の見積もり作業を終えひと段落。と思ったら今日は護国寺の家と西新井の家の見積もり作業。午前中は護国寺の家の現場調査。近くに車を止めて周辺道路の状況などを調べる。すぐ近くの祖師谷霊園にはお彼岸ということもあって多くの人が詰め掛けていた。霊園に沿った道路はお墓参りに来た人たちの車でいっぱいだ。ようやく気温も上がり始めた春心地の陽気の中で、どことなく気分も高揚する。池袋まで歩いてすぐというこんなところに、入り込むと迷路のような静かで人の気配を感じることの出来る路地が残っているというところに東京の面白さを感じる。でもこの細い路地、火災の時には大変だろうな。今日の夜のニュースで足立の住宅が全焼しているのを放映していたが、どこからどう入っていいのか分からないような場所であんな火災が起きたらそれこそひとたまりもないだろう。だからこそ木造3階建ての住宅建築には準耐火建築とすることが望まれているわけで、それで延焼時間が確保できるのであれば大変意義のあることなのであろう。
1時過ぎ、チョット遅い昼食をとり、RDRにて見積もり作業を行う。9時ごろ終了。
2007/3/19
午前中は息子の幼稚園の卒園式に立ち会った。小さな講堂の中での小さな子供たちによる式であったが、大人たちが行う記念式典なんかよりも強い真剣な思いが伝わってくる非常に良い式であった。これも、子供たちの純粋な心がなすことの出来る業なのであろう。私の幼少時代からの、つまり30年来の付き合いになる幼稚園なのであるが3人の子供を持つ私としてはこれからまだ5年にわたってお付き合いをすることになる。どこかのタイミングで何らかの恩返しをしたい。
午後は、界工作舎の見積もり作業。
2007/3/17
今日は池上が西新井の家の現場へ、私は幸町の家の現場へ朝一番から出かけた。西新井の家の現場では新しい構造材の組立作業が行われている。幸町のほうでは現場作業の合間を縫ってのガイコウ工事。今日は根切りと砕石敷き作業だ。他にも近所の工場の改修工事、烏山のリフォーム工事、そして浜田山の家の土間打ち工事と今日は全部で五つの現場が稼動していることになる。3月というと大概忙しい雰囲気になるのだが今年は特に忙しい。まあこれもあと一週間で落ち着くだろう。午後からは一日中事務所にて箱の家の見積もり作業。夜8時ごろから所用のため外出。
2007/3/14
朝9時過ぎ、エポックリサーチの一の渡氏来社。旭硝子が運営しているサイトの原稿依頼の件で打ち合わせ。要するに建築家紹介サイトのメンバーになるということで、営業手段を持たないますいいのような小さな会社にはありがたい話だ。家作りのような地元に根付いた小さな事業は本来営業など行うものではないと思う。まじめに良いものを作っていれば、口コミでもしくは雑誌の紹介などで確実に仕事の依頼は増えてくる。営業などしている暇があったら今たてている家を少しでも良くするために頭を使ったほうが良いに決まっているのだ。大量消費社会に組み込まれていない分野だからこそ、物で勝負の職人気質が通用する世界。小さくても味のある会社にしていきたいと思う。
2007/3/12・13
この二日間、久しぶりに作業着に着替えて事務所前の材料おきばを作った。まずは基礎工事。幸い事務所前の庭には割栗石が敷き詰められているので地盤強化の必要はない。というわけで型枠を現場のあまりのコンパネでつくり、金物屋さんでワイヤーメッシュを購入して来て敷き並べたところにコンクリートを打設することにした。道具は伊藤基礎さんよりレンタル。20ミリの水勾配を取り表面を金後手で押さえて完成。
続いて骨組みを組み立てた。あらかじめ大東木材さんでプレカットしておいた部材を組み立てていく。まずはじめに行うのが土台敷きだ。土台式というのは基礎の上に墨を出し(基準となるラインを記すこと)それにあわせて土台を敷設していく作業。一番難しいのはあらかじめ基礎に埋め込まれたアンカーボルトにあわせた穴を土台に開けて墨に合わせてセットすることだ。穴が少しでも斜めにずれていたりすると所定の位置に土台をおくことができない。よって穴を少し大きくしなければいけない。それがまた難しく、きりの先端がはじめにあけた穴にすいこまれてしまって思ったように微調整が出来ないのである。大工さんはアンカーボルトの微妙な傾きを計算に入れて穴を開けているのだがなにぶんにも設計士集団ではそこまでの技術があるわけもなく、この作業に2時間も要することになった。
続いて柱を立てる作業。これは土台が正確にセットされていれば分けのない作業で10分ほどで終了。次は梁をかける作業で、高いところでの作業になる。約2時間ほどの時間をかけてすべての梁をかけ終えたところで筋交い、金物締めを行って昼休みを迎えた。筋交いの作業をして思ったのだが、この作業は結構な時間を要する。特に最近の住宅では筋交いの端部に筋交い金物というものをつけなければならず、これを固定するのが結構な手間だ。ひとつの金物に対してビスの本数が尋常ではない。約30本は止めるだろう。それが上下にあるのだから1本の筋交いに60本ものビスを打つことになるのである。普段何気なく設計している筋交いだが、これは何とかしなければいけない。先日設計した幸町の家は筋交いが非常に少なかった。なぜ少なく出来たかというと、ラスカットMという面合成の認定商品を利用したことが理由である。この製品は決められた釘止めを行うことで普通の筋交いのたすきがけと同じ4倍壁を構成することが出来る。これを建物全面に張り巡らせることで普通の筋交いを減らすことが出来るというわけだ。もちろん釘の量は相当なものになるのだが釘うち作業というのは、自動化されているのでビス止め作業に比べるとそれほど苦にはならないらしい。自分で体験することで作業の能率を身をもって理解することが出来、それを実際の家作りに対して反映できるわけでこういう体験を大切にしなければいけない。
最後に、木製ルーバーの取り付け。したから順番に約100枚の板を打ち付けて作業終了。したがその完成写真。今度事務所にいらした際にはぜひご覧ください。
予算内訳
型枠材料費:あまり材利用のため0円
コンクリート:1立米-13800円
材木費:100000円(プレカット加工費込み)
塗料:クレオソート1000円
人件費:スタッフ6人工

2007/3/10
朝10時幸町の家の現場にて引渡し。建物の一通りの説明を済ませ書類のやり取りへ、と思ったところ今日は先負なのでやっぱりやめることに。月曜日の午前中に書類をお渡しすることをお約束して事務所に戻った。ちなみに先負けとは・・・「先んずれば即ち負ける」の意味。かつては「小吉」「周吉」と書かれ吉日とされていたが、字面に連られて現在のような解釈がされるようになった。万事に平静であることが良いとされ、勝負事や急用は避けるべきとされる。また、午前中は凶、午後は吉ともいう。・・・の意味らしい。やっぱりやめておいてよかったのだろう。終了後事務所に戻り少々雑務。
続いて浜田山の家の現場へ。今日が大工工事の最終日ということで現場の大掃除をすることに。そしていよいよ来週より塗装工事や左官工事に入る。デリケートな仕上げ工事をスムーズに行うためにも余計なものを整理しなければいけない。17時、トラック満載のゴミとともにさんかくの家に。今日は3年前にさんかくの家を題材にセルフビルドの取材に来てくれた芝浦工大の元・学生さんたちを招いてのパーティーだ。先日さんかくの家を取材してくれた「SAITA」の小池さんも途中参加して11時ごろまで楽しいときをすごした。
2007/3/9
朝10時より近所にある工場の会議室にて依頼されていた軽鉄間仕切りについての打ち合わせ。一度見積もりを依頼していたのだが、こちらで理解していたことが少々違っていたようで再度見積もりすることに。それにしてもびっくりしたのが壁の片側だけボードを張ればよいということだった。ということはボードを張っていない側は間仕切り部材がむき出しということになってしまうのだがそれはそれでよいらしい。いくら工場とはいえ本当にそれでよいのか、の旨を何度も確認するもそれで良い!の社長の一声。普段の住宅ではありえないようなことなのではあるが、用途が違うと人はここまで柔軟に物を考えられるようになるものだろうか。きっと住宅になるとこの社長さんもひび割れひとつでクレームになってしまうのだろうな。このようなラフな考え方が出来れば住宅の値段ももっと安く出来る部分があるかもしれない。
午後から事務所前の林場作成作業。林場というのは材木を保管するための場所でよく工務店や材木屋さんの建物の壁に寄り添うようにして建っている、そうあれである。誰でも一度は日に焼けて黒々した骨組みの中に材木が立てかけられている様子を見たことがあるだろう。ますいいでも現場で余った材木や再利用できるものを保管するためにとうとう林場を作ることになった。とはいえ普段セルフビルドを推奨しているますいいが大工さんに頼んでいたのでは恥ずかしいということで基礎工事から大工工事まですべてを自分たちで行うことに。今日は2時よりコンクリートを打設してその後は金ごて押さえを行った。久しぶりのコンクリートの感触に少々戸惑うもなかなか見事なできばえに満足。終了後はスタッフを連れて近所の中華料理屋さんにて会食。
2007/3/7
朝一番より土地を購入されるH氏が所望している物件の下見調査。川口市の北のほうにあるその土地がある場所は駅から割と近いにもかかわらず住宅と畑が点在しているようなのどかな場所で市内ではなかなかないような落ち着いた場所であった。敷地の東側は3mほどの低いがけになっていてその向こう側には細い道路がある。南側の前面道路はそのがけにぶつかって突き当たりになっているのだがそこには誰が作ったのかわからないような小さな階段が付いていて東側の道路に上がれるようになっている。既存の古い家があるのだがその家の軒はちょうどがけの上の東側の道路にかぶさるようになっていて、東側の道路に上がってその家を眺めると道路の高さから自然に屋根のラインが始まるというなんとも面白い光景が生まれている。この既存宅を解体して新しい住宅を建てるわけだが非常に設計のやりがいを感じた。
13時昨日の界工作舎よりいただいた図面の見積もり打ち合わせのためPOLATECの担当者来社。そのときに新しい商品を紹介されたのだがピン工法を一部分だけに採用するということが出来る商品があるらしい。通常ピン工法というものは採用するとすべての部材を集成材にしなければならず、またすべての接合部をピン工法にしなければいけないというもので、結果コストがだいぶ高くなるというのが常識であった。ちなみにピン工法というのはあらかじめ部材に取り付けられたプレートがその部材が取り付く側に空けられたスリットの中に差し込まれ、その部材とプレートを貫通する金属製の棒によって固定されるというもの。そのピン工法の接合部というのは下側のスリットと横面の鉄棒の小口しか見えるところがないので何の工夫もしなくても在来工法の羽子板ボルトのようなごっつい金物が見えてくることはなくなる。そしてそれを一部分だけに取り入れられることが出来るということは、化粧にしたいところだけにその接合方法を採用できるということで非常に自由度のある良い賞品だと思う。まだ集成材だけにしか利用できないということなのだが、現在剥く材でも利用できるように申請中ということなので期待して待ってみようと思う。
終了後RDRにて山崎とうちあわせ。
2007/3/6
午前中、西新井の現場にて基礎工事の進行状況の管理。13時より桶川のNさん宅にて界工作舎打ち合わせを1時間ほど。14時過ぎには事務所に戻り9時過ぎまで見積もり作業など。
2007/3/5
朝9時川口駅前樹モール商店街事務局にて溝渕氏との打ち合わせ。しばらく進展のなかった駅前の駐輪対策を含めた道路整備計画についての相談を受けた。この計画は昨年の秋からますいいで提案しているもので川口駅前にある大量の放置自転車を収容する施設を道路の使い方を含めて計画しようとするもの。その事業の運営主体はおそらくその道路沿いにある商店街になるだろう。今現在は市から委託された通称チャリレディーと呼ばれている自転車放置を取り締まる人々の手によって規制されているがそういう状態はいつまでも続けられるものではない。また、月に数回はそれでも放置された自転車をトラックに載せて遠く新郷のほうまで移動しているのだがそれに要する経費も相当なものだろう。地元の人がせっかく楽しく商店街にやってきたのにいつの間にか乗ってきた自転車がなくなっていたらたまったものではないわけで、安心して買い物ができるように早急に整備する必要があるのである。1週間後の再打ち合わせを約束して終了。
午後からは幸町の家の現場管理、などなど。
2007/3/3
朝7時事務所。書類の整理などなど。10、時RDRぎゃらりーにて開催中のアート記念日-THE BROTHER-」に息子と娘の幼稚園の友達が8人ほど参加してくれているということなので急遽移動。ギャラリーには入りきらないくらいの子供たちがいて、作家の相田さんそしてギャラリーの真理子ともどもてんやわんやの状態だった。私も日曜日にラグビースクールで幼稚園児たちを相手に指導者の補助をしているので、この大変さはわかるのだがかわいい子供たちなのでがんばってもらいたい。一時事務所に戻り雑務。15時、今度は浜田山の家のクライアントご家族が先ほどの企画に参加してくれた。お父さんお母さんを含めての3人での参加。楽しんでいただけたようで一安心。それにしても、今日は一日中ギャラリーにいたような気がする。この企画まだしばらく続くので週末は大変だな。
2007/3/2
鈴木博之、「建築の世紀末」読了。近年頻繁に「地霊(ゲニウスロキ)」という概念を口にするようになった歴史家が、30年前に現代建築に対して抱いていた思いを読んだわけだが簡単にまとめてしまえば、モダニズムによって地域性や人間性を失った建築に対する嘆きの言葉のように聞こえた。つまりこれはゴシックリヴァイバル、アーツアンドクラフツ運動の時代に余すところなく表現されていた人の手によるそして伝統に基づく細部にわたる表現というものが、建築家の存在条件の変化から、つまり理論武装しなければ生きていけない時代になったというところから、芸術というよりは理論の表現としての建築に変化したことをさしている。
パトロンの不在、それがこのような変化をもたらした理由である。そしてそうなった理由は人類の目標である人権の尊重つまり、世界全体が食える社会を作ろうという希望だ。。今の先進国においては通常に働いている限りにおいて食べることが出来ないというようなことはめったにない。また中国や南アフリカ、そしてベトナムというような今まさに発展をしている国においてもこれまでそこにあった格差というのは次第に縮まっていく傾向にある。それを可能にしているのは間違いなく最先端の工業技術であり、貨幣の流通による社会システムであろう。世界的な食料の供給に関してみても今のところ安定をしている。(これに関しては私は専門外であるのでなんともいえないのだが、世界的な人口の増加に伴い収穫量の増加が見込めなくなりつつある状況の中で何らかの対策が望まれるというような記事を読んだことはある。)
まあ少なくとも今の日本においては、一日の食料だけで盲目的に体を動かしてくれるような殊勝な人がそうそう多くいるわけでもなく、そういう社会ではない。そのような状況の中で建築を作っていかなければいけないということには非常に厳しい経済観念が必要になるわけである。職人さんが作業する場合はそれは生活のための糧であるので、その一日の労働に対する対価というのはどのような交渉をしたとしてもそれほど変えることは出来ない。それは職人さんにも家族がいて、それなりのものをしょっているわけだから当然のこと。でもちょっと考えてみてほしい。住宅においてはクライアントという無賃労働者の最大の候補生がいる。自分のために自分の家を作る労働なので筋肉痛にはなるだろうけどあんまり苦痛ではない。少なくとも精神的に疑問を感じるようなことはないだろう。
強力なパトロンがいなくなった現代社会において建築から意匠を凝らした複雑なディテールがなくなった。一部の商業建築の中にはそのディテールが私たちの記憶にあるものとはまったく別の形で生まれているが、その代表格であるプラダもTODSも数年後にはバブルの遺産のように見られるだけだろう。少なくとも数百年のときを経て醸成されてきた意匠と同等になる見込みはない。住宅においてもそれは同じ。新しい、珍しいだけで表現されているディテールが数十年の使用に耐えうるかということは明白なわけで、そこには住まいとして求められるディテールがある。装飾がある。クライアントが年を重ねて、なおじっくりと味わうことの出来るそんな表現が今の僕にできることなのだろう。
というわけで、今日は浜田山の家の現場管理、清掃、ゴミの処分、金物購入などなど、一日中トラックに乗って走り回っておりました。
2007/3/1
今年も早くも3月になってしまった。今日は毎年恒例の健康診断。西川口駅前にある済生会病院の検診センターにて朝8時から10時ごろまで。途中事務所に戻り、田村や池上との打ち合わせを行った後再び検診センターに戻り今度は肺のCTをとった。これは肺がん検診というらしい。強力な磁力で灰の輪切りの写真を取りますといわれてもいまいちピンと来ない。今度の検査はすぐに終了して、14時帰社。夕方まで、幸町の家の現場を見たり、RDRに行って打ち合わせをしたりとあわただしいときをすごし7時所用のため外出。
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