増井真也日記

略歴
免許登録番号 1級建築士 建設大臣登録 第290771号
1997年早稲田大学理工学建築学科卒業
2001年戸田建設株式会社退社
2001年ますいいリビングカンパニー主宰

「日本の住宅はどうしてこんなに同じものばかりなのだろう。」というのが私が設計を行うようになったきっかけでした。住宅はそれぞれの家族が自分たちのこだわりに合わせて自由に作り上げていくものだと思います。他の工業製品と違い工場での生産が出来ないということからも、本来は個別のデザインが許されて良いはずなのです。
しかし、現実には建築条件のない土地の取得の困難さという問題や、かつてのずさんな工事による工務店の衰退にともなう工業化住宅の発展によって画一的な住宅ばかりが作られるようになりました。
このような中で、今一度住宅の設計を一つ一つ丁寧に行い、そして工務店として作り上げる。その活動こそが個性あふれる豊かな住宅の生産につながると思っています。そして、そのこだわりを実現させるデザインが豊かな街を作り上げていくでしょう。
私は川口の町で生まれ、川口の町で育ちました。住宅を作るという活動を中心としてさまざまなデザインを街の中にちりばめ、この街をもっと魅力的に変化させ、魅力ある街づくりに貢献したいと考えています。

2007年

 

 

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11月

2007/11/30

10時30分、大工の尾形さん、スタッフの田村と一緒に三鷹にある築40年の家の現場に到着した。先週の月曜日に現場を拝見させていただいてからプランを作ってきたのだが、やはりこのようなリフォームの場合は現場と相談しながら出ないと計画を進めることはできない。再建築不可の敷地だけにしっかりとした計画を建て、あくまでリフォームで進めなければいけないのだ。

今回の計画ではリビングを2階に移し、既存のベランダと撤去して新しく大きなウッドデッキを作るつもりである。屋根や外壁は解体せずに内部の壁天井と床を撤去して、内側から補強工事を行う。構造体の柱をすべて面材で補強することで耐震性を向上させる。外壁には断熱材がサンドイッチ状にはさまれているガルバリウムの軽い材料を今の外壁にカバーすることで、加重の付加を最低限にさらに断熱性の向上を図る。他にもいくつかの方針があるが、悪い部分さえ何とかすればまだまだ使えそうな建築だけに丁寧な計画を進めていきたい。

2007/11/29

朝7時より田村とともにふじみ野の家の現場に撮影に向かった。ふじみ野の家は約1ヶ月ほど前に引き渡したのだがこれまで引越しせずにセルフビルドを行ってきた。なんといってもだんなさんはこの建築が出来上がったらここでタップダンスの教室を経営するという予定であるので、逆に言うとこの建築が出来るまでは仕事がないのである。つまりセルフビルドを行う時間には事欠かない。

現場に付くとこちらも想定外でびっくりするような工事が行われている。収納の中にレンガがはられていたり、壁の一部が濃い茶色で塗られていたりと。じっくりと現場を見て回ると、その施工ぶりの精度の高さとなかなかのセンスのよさにまたまたびっくりさせられる。これは明らかに家作りを楽しんでいるなという感じなのである。

楽しんでくれれば大成功だ。きっとこれからもじっくりとこの家を使い込んでいってくれるだろう。家というものは引渡しのときが完成ではない。住み続け使い続ける時間とともにいかようにも変化するものだ。その変化を許容できる家がすぐれた家であると思う。先日お邪魔した浜田山の家も素敵な変化をとげていた。きっとこのふじみ野の家もまだまだ変っていくんだろう。

2007/11/25

朝11時、浜田山の家の竣工記念パーティー。施主の計らいで私の家族、山崎、田村、西村、そして大工さんの家族が招かれささやかなホームパーティーを行った。日本酒が大好きな施主のために吟味した一升瓶2本を片手にお邪魔すると、早速酒を酌み交わしながらの歓談がスタート。私の子供や大工さんの子供、そして施主の子供たちがはしゃぎまわり、おまけに近所の子供たちが自由に家に上がりこむ団欒の雰囲気の中、自然と参加している大人たちの頬も赤らみはじめる。いつもは一緒に楽しむ奥さんは二人目のお子さんをおなかに抱えているということで今日は我慢の一言。

4時過ぎ、次第に日も落ち始めた頃大工さんの提案でなぜか浜田山から南浦和に移動することに。居酒屋を経て最後はカラオケ。記憶がなくなる寸前というところで11時帰宅。

2007/11/24

山本夏彦氏に憧れしばらく丁寧な言葉の日記をしたためてきたが、どうもしっくりこない。書きたいことの半分も浮かんでこないような気がする。きっともともと体質に合わないのだ。というわけで8月23日以来続けてきた丁寧語をやめ今日よりこれまでどおりの言葉遣いに戻させてもらうことにした。

長崎から帰って、いささか疲れがたまってるなというところで朝は10時過ぎまで起きる気にはなれなかった。もともと休みの予定だったのではじめから気が抜けていた感はある。すごく久しぶりに朝寝坊というものをした気がする。きっと1年ぶり以上だろう。12時過ぎに事務所に行き、メールやHPをチェックする。二日間パソコンを開けないとものすごい量のメールがたまる。でもそのほとんどが不要なものだ。不要な情報が暴力的に襲ってくるようになったのはこのメールというものが開発されてからだろう。よい面もあるが悪い面もある。一般的には悪い面が多いような気もする。

12時、田村と一緒に東大の難波和彦氏のオープンハウスに出かけた。この家は木造の箱の家だ。難波氏といえば無印良品の家の開発者で知られているが、箱の家のその姿は無印の家そのものである。一切の装飾は排除され機能を満たすための最低限のものがシンプルなデザインのルールの基で丁寧に作られている。それにしても難波先生と話をしているとその人の良さをとても強く感じた。そしてこの箱の家も施主のことを第一に考えたとても人のよい家に思えた。


箱の家

5時ごろ事務所に戻ると西村が一人で仕事をしている。スタッフ一人で土曜日に仕事とはなかなかさびしい光景。西村が入社する前に企画された長崎建築ツアーだけに仕方がないといえば仕方がないのであるが、やはりチョットさびしい。田村はそのまま帰ってしまったので、私も事務所に残ることにした。

西村は現在よみがえる家のHPを作成している。よみがえる家というのは街にあふれる時間の変化とともに魅力を増した建築物を探し、壊すことなく次の使い手に引き渡そうという試みである。現在の日本の不動産市場では中古建築という枠でくくられてしまうと魅力があろうがなかろうがすべて価値のないものとして壊されてしまう。しかし、古きよきものを愛す心を持つ日本人にとってそれは非常に悲しいことだ。建築という基幹産業を支えるために作られた考え方なのか、はたまた余りにも多くのずさんな建築物たちが一握りの価値のあるものまでをも同じ境遇に陥れてしまったのかはわからない。しかし、これからの時代には新しいものを作る意識と同じかそれ以上に、古きよきものを使い続けることに注力することが建築家の使命であると感じる。

現在このプロジェクトには雑誌Livesが協力してくれることになっている。雑誌にて古きよき建築を募集し、その住まい手も募集する予定だ。

 

2007/11/22〜23

今日と明日は社員と一緒の長崎研修旅行です。朝、5時に家をでて川口駅へ向かいました。9時過ぎに長崎に到着するとレンタカーに乗ってまずは長崎駅方面へ向かいます。

今回の旅行ではひとつの建築とひとつの廃墟を見に来ました。建築のほうは今井兼次による日本26聖人殉教地。そして、廃墟のほうは軍艦島です。この島は、明治初年に石炭を掘るために開かれた岩礁でしたが、掘ったボタで埋め立てて拡張し、最盛時には5000人もの人口を収容するアパートが建ち並ぶ過密都市でした。1974年、私の生まれた年に閉山し、その後は廃墟となっています。

まずは1日目に見た日本26聖人殉教地。ガウディーのような有機的な造形がひときわ目を引きます。宗教の違いによる迫害という史実に向けて、命より愛をとる当時のキリシタンの誠実な姿に向けて、力いっぱいの造形を魂をこめて発しているようなこの建築からは、大きな力が今も発せられているように感じました。

尖塔の装飾に使われているのは、砕かれた食器やタイルのかけらなどです。人々の思いを、その土地の歴史を建築にこめる直接的なその姿勢に感動しました。建築は自由であると思います。アカデミズムによって作られたモダニズムという呪縛に縛られることなく、建築が発するべきメッセージを魂をこめて作り上げるその姿勢は今の建築家がまさに見習うべきものであると思います。

そして二日目の廃墟。漁船と交渉し、上陸禁止の島に上がれたのは朝の6時でした。8時までには帰らないと見つかってしまうということなので足早に見学開始です。

島に上がるとまるでそこは数百年前からある遺跡のようです。これが遺跡なら、その構造体はコンクリートではなく石でしょう。この島が使われなくなったのが私の生まれた年ですから、僅か33年でここまで荒廃したということになります。状況はカンボジアの遺跡以上。修復などがなされていないので単純に比較することは出来ませんが、やはりコンクリートは海風にさらされるこの状況下でそう長く持つものではないようです。

埋め立てられた地盤は姿を消し、建物を支える杭があらわになっています。一部の杭は崩れ落ち、基礎はすでに建築にぶら下がっている状態。その基礎の上に、黄色い花が咲いていました。人の行為のはかなさ、自然の力強さ、さまざまな感情がこみ上げてきます。

島を離れるときの軍艦島の様子です。最近の廃墟ブームの中でこの島を紹介している様子をよく目にします。大量生産、大量消費を掲げ成長の一途をたどってきた日本に影が見えてきた頃と同じくして、廃墟にひきつけられる感情が人々の胸の中に起こりだしました。一時の必要性と、それを維持することの必然性がなくなってからの姿の違い。その朽ち果てていく様子が、まるで私たちの未来を暗示しているかのようなその姿に、何かを感じずにはいられない。そんな思いで、廃墟は撮り続けられるのだと思います。未来に向けてなすべきことは何か。そんなことを過去を見つめながら考える一日でした。

2007/11/18

日曜日。風邪を引いているため、どこにも出かける気になりません。9時過ぎに布団を出ても何をするわけでもなく、読みかけだった「成長の限界人類の選択」を流し読み。環境問題に関する本はこれまでもたくさん読んできましたが、最近はどれも同じような内容ばかりです。啓蒙的な内容ばかりが巾を利かせている世界ですが、アルゴアのノーベル平和賞を契機に一気に手法論や具体的な政策に移り変わっていくような気がします。

世界における環境政策に口を出すことが出来るわけもないのでこれ以上は空想を広げることはやめました。でも環境の話は私の頭の中でいつも大きな風船を膨らませています。最近では頭の大部分を占めるようになってきました。これも前述のような啓蒙書に完全に洗脳されているのかな?などと考えたりもしますが、でも次の世代に今の地球を残していくためには私たちの世代に求められた最大の使命のような気もします。少なくとも私たちの世代はこれまでのような大量消費を求められているわけでもなく、拝金主義の政策を進めることを求められているわけでもないのだと。

でもそういうことを考えているなかで、やはり難しいのが中国やインドなどのこれまで途上故国だった国々の目覚しい発展をどのように捉えるかだと思うのです。世界中の人々が平和に幸せに豊かに暮らせるには、全体的な水準を下げなければ明らかに無理。でもそういう発想はいわゆるカンボジアであったのと同じようなユートピア思想なわけで、根本的に競争を好む人類にとってそんなことが可能なわけもないのかと思います。たとえばCO2の排出規制が罰則付きの必ず守るべきものになるとしたら。今のような建設活動や車の生産は出来るのだろうか。などなどと。

考えているうちに12時過ぎになってしまいました。さすがに一日中寝ているわけにも行きませんのでチョット駅前を散歩してみることに。そういえば家に街中景観モニターの提出期限の通知が来ていました。これは街の中のお気に入りの警官を市役所に推薦するという企画なのですが、その景観でも探してみることにしましょう。

2007/11/17

南与野の家が屋根工事まで進みました。これは屋根に水下にある雨どいの写真です。通常の雨どいは外壁に取り付けますが、建築の正面にその樋が出てきてしまう場合などは、このように内樋にすることがあります。内樋ではこの樋の下が部屋になりますので、もしも樋から水があふれたら雨漏りにつながります。ですから十分な巾や仮にあふれたときにも外部側に水が流れるような工夫した収まりというのが重要です。

建築の現場で最も気を使わなければいけない部分が雨仕舞い。水の流れは非常に素直ですので、とにかく上から下に流れるようにだけしてあげれば問題はないのですがそれを間違えてしまうと大変なことになるんですね。

2007/11/15

午前中、東川口での建売プロジェクトの設計依頼。東川口にて7棟の建売計画を行う業者さんよりの依頼なのですが、そのプロジェクトの広告塔になるようなモデルハウスの設計を依頼されました。

これまで、建売の設計というのは行ったことがないわけですが、施主が不在ということはなかなか普段とは異なる条件で頭を悩ませます。

こういうものがあったらよいなと純粋に自分が思うようなものを作ればよいのか、はたまた一般的に受け入れられるようなものを作ればよいのやら。

もう少し悩んでみることにしましょう。

さて、今夜は川口市の稲門会に参加しました。今日の会では講師として重村智計氏をお招きしております。開会前に講師の接待ということでお話させていただきましたが、非常に気さくで印象のよい方でした。また、独立した頃のお客さんに7年ぶりに偶然お会いしたり、石山研究室の学生さんがきていて夜中まで飲み明かしたりと、なんとも奇妙な一日でした。

2007/11/13

先日、自由が丘で設計事務所をしている友人より白井晟一氏の住宅作品が近所で解体されてしまったという話を聞きました。チョット前には早稲田大学にて村野藤吾先生の文学部校舎が解体されてしまいましたが、60年代ごろの作品は最近どんどん壊されてしまいます。建築という経済性と利便性の下に成り立つことの出来るものだけに、それらの条件に合わなくなったときに壊されてしまうことは無理もない話なのですが、どうにもむなしいような気もします。

このような建築家の作品を壊す条件としては、住まい手がいなくなった、経済的に維持できなくなった、相続などで売却せざるを得ない、などがあげられるでしょう。

ますいいとしてこのような状況を何とかできないか。

そこで、このように売却しなければならなくなった名作のリストを作ってみようと思います。そして購入したい人とのマッチングを行うことで、次の世代にも心地よく利用してもらうような仕組みを作ってみようと。

なかなか大変そうですが、一歩動き出してみましょう。

2007/11/11

今日は渋谷区にある渋谷区立松濤美術館に行ってきました。この美術館は白井晟一という建築家によって1980年に作られたものです。今日は息子と一緒に訪問してきたのですが、有機的な建築の造形に子供ながらにびっくりしているようでした。特に気に入ったのがこの階段のようでした。建築における階段というのはしばしばその建築にとって特徴的なものであることが多いものですが、こちらの階段室もなんともいえない雰囲気を持っています。中に入ると薄暗く、声が響き渡ります。まるで教会の中にいるような感覚です。壁についた照明からは光が放散状に広がり、その神秘的な様子をさらに増しているようでした。

2007/11/10

今日は赤塚の家のオープンハウスです。朝から山崎と池上が現場に行ってあわただしくその準備に取り掛かっていました。鉄骨の螺旋階段やRCの地下室、作り付けのお風呂などなかなか手の込んだ納まりが満載の現場だっただけに担当者の池上もほっとした様子です。昨日の夜2時過ぎに現場から帰る途中の池上に事故の報告を受けたときはびっくりしましたが、そちらのほうも両者ともに大きな被害はなかったようで一安心。

16時、事務所のスタッフを全員連れてオープンハウスに参加。すでに大半の方々は引き取った後だったのでスタッフと一緒にこの新しい家を堪能しました。とにかく、業者さんたちにも多大なるご迷惑をおかけした現場だけに、ここまで付いてきてくれた皆様方に感謝の一言です。これからはますいいの手を離れてお施主さんに引き渡されます。長い時間をかけてじっくりと使い込まれることを期待します。

2007/11/6

先日より住まいの設計のライターさんであるわたなべさんとメールのやり取りをしています。何のお話をしているかというと実はわたなべさんの家作りについて。多くの建築家との付き合いのあるわたなべさんが、あえてますいいを家作りのパートナーとして選んでくれたことに大変喜ばしく思うとともに、家作りとは決してデザインだけではなく設計と、施工、そして土地選びにかかわる不動産のすべてがバランスよく機能する中で行うことが重要だということを再認識させられました。非常にゆっくりとした土地選びを進める中で有意義な会話がなされることをこれからも大切にしていこうと思います。

さて、今日は西新井の家の完成写真を撮影に行きました。セルフビルドをふんだんに取り入れたこの住宅では今まさにセルフビルド真っ最中です。壁の石灰クリーム、床の柿渋塗装、デッキ工事などなど仕事の合間を縫って急ピッチで進められています。そしていよいよ今日は1階に住む両親世帯の引越しとなりました。

この家のクライアントは作りながら住むことを大切にしたいといっています。住みながら常に変り続ける、そんな自由な考え方で家を捉えています。家とは本来それほど自由に考えられるようなものでよいのではないかと思います。少なくとも自分の自由に作られた家であるからこそ愛着を持ち続けることが出来るわけで、そういう気持ちが沸き起こるような家作りをこれからも大切にしていきたいものです。


西新井の家

2007/11/5

本日よりスタッフの一員として、西村さんが加わりました。7年間ショップインテリアデザインをやっていたということでこれまでのますいいにはない人材です。面白いアイデアが出てくることを期待しましょう。

東京大学の難波先生よりオープンハウスのお知らせをいただきました。箱の家シリーズの木造住宅ということですのでぜひお邪魔してみたいと思います。なんとこの日程が長崎の写真研修と重なってしまいました。仕方なく研修のほうは一足先に帰ってくることにしましたので、急遽飛行機の変更をしました。どちらにしても来週末はいろいろなものを見ることができそうなので楽しみです。

2007/11/2

今日は南与野の家の上棟工事です。幸い天候にも恵まれ、何とか工事を進めることができました。狭い敷地と狭い前面道路のため工事を進めるのはなかなか大変です。近隣の方々にも大変なご迷惑をおかけしてしまいました。木造住宅の場合はこの上棟工事がひとつの大きな山場になります。ここがスタートになりいよいよ大工工事が始まります。

梁の上にいるのは鳶さんです。それにしてもこのような高いところを普通に歩き回る姿にはいつも驚かされます。人間の慣れとはすごいものですね。

2007/11/1

いよいよ今年も残すところ後二月になりました。今年の後半は建築基準法の改正にだいぶ振り回されたように感じます。先日のニュースでも3ヶ月連続で住宅着工数が激減とのこと。国土交通小もいよいよ規制の緩和策に乗り出すようです。

さて、今日は南与野の家の上棟準備です。明日はいよいよ上棟という予定ですので今日は足場を組んだり、材木を搬入したりと大忙しです。幸いお天気も崩れないようなので明日は無事に工事をすることができるでしょう。

夕方、メール返答。以前建てた屋久島の家を見てまた別の方より屋久島での家作りのお問い合わせを頂きました。計画地は安房というところです。確か安房は飛行場があったところだと思うのですが、以前建てた現場から車で20分程度だったでしょうか。屋久島での家作りというのは関東地方と違い強烈な台風に備える必要があります。また、ほとんど毎日のように降る雨も考慮して作る必要があります。以前は屋久島の杉をふんだんに見せたデザインとしましたが、今回はどのようになるのでしょうか。お会いするのが楽しみです。


屋久島の家-リビング

 

 

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