略歴
免許登録番号 1級建築士 建設大臣登録 第290771号
1997年早稲田大学理工学建築学科卒業
2001年戸田建設株式会社退社
2001年ますいいリビングカンパニー主宰

「日本の住宅はどうしてこんなに同じものばかりなのだろう。」というのが私が設計を行うようになったきっかけでした。住宅はそれぞれの家族が自分たちのこだわりに合わせて自由に作り上げていくものだと思います。他の工業製品と違い工場での生産が出来ないということからも、本来は個別のデザインが許されて良いはずなのです。
しかし、現実には建築条件のない土地の取得の困難さという問題や、かつてのずさんな工事による工務店の衰退にともなう工業化住宅の発展によって画一的な住宅ばかりが作られるようになりました。
このような中で、今一度住宅の設計を一つ一つ丁寧に行い、そして工務店として作り上げる。その活動こそが個性あふれる豊かな住宅の生産につながると思っています。そして、そのこだわりを実現させるデザインが豊かな街を作り上げていくでしょう。
私は川口の町で生まれ、川口の町で育ちました。住宅を作るという活動を中心としてさまざまなデザインを街の中にちりばめ、この街をもっと魅力的に変化させ、魅力ある街づくりに貢献したいと考えています。

 
2007年

 

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1月

 

2007/1/29

今日は朝からRDRにて護国寺の家の見積もり作業などを行った。
昼食を事務所のみんなと取ったのだがそのときにたまたま宗教の話になった。私も含め私の周りにいる人のなかには特別にどこかの宗教団体に所属している人はいない。しかし当然ながらお墓くらいは持っていて、たとえば私の場合は真言宗のお寺に小さなお墓がある。そしてこれもまたよく言われることではあるが新年の始まりには神社に初詣に行き、家を建てるときにも神主に地鎮祭を行ってもらう。生活の金で習慣としていき続けている宗教というものは確実にあるのであるが、いざ仏教を信仰しているかときかれればこれは違う。そもそも宗教というものは人々のモラルをはぐくむための手段として生まれ、ある思想の元に規律のある思いやりのある生き方をすることを教育する。そうした意味ではさまざまな宗教のどれをとってもそれほどの変わりがあるわけではなく、場合によっては殺し合いをしなければいけないような宗教の対立というものはその存在意義を紐解いてみればナンセンスといわざるを得ない。しかしながらそうした歴史が繰り返されていることを考えれば、宗教の存在意義の中にはもうひとつの局面として、権力、パワーを作り上げるための手段であるということが含まれているのであり、ユダヤ教、イスラム教の戦いなどを見ていると明確なのである。そういうことを考えると特別にどこの強い宗教団体にも所属せず、生活の中で慣習的に行われる行事の際に思想としての宗教を感じる、そんな生活が一番本質的な宗教との付き合い方のような気がしてならないのである。

2007/1/28

朝7時ごろ目が覚めるとすでにリビングには何人かの親戚の方たちがチョット疲れた顔をして座っていた。おそらく夜遅くまでいろいろな話をしていたのだろう。それでもまだ話したりないというような表情の人もいれば、もう疲れたという人もいる。9時ごろまでにおのおの朝食をとり、11時より告別式が始められた。田舎の家なので和室の続き間があり、少人数の式であれば自宅で行うことが出来る。四国出身でしかも96歳というのであればそれほどの知人友人がいるはずもなく、約30名ほどのひっそりとした式が執り行われた。なくなった妻のおじいさんのきれいな顔を見ているときの息子の表情というのはなんともいえなかった。まだ6歳の息子にはそれほどはっきりと見えてはいないであろう人の死というものをチョットだけ現実のものとして認識しているようであった。死者に花を手向けるときの子供たちのちょっとしたしぐさを私はずっと忘れることは出来ないだろう。戸惑いの表情、私の手を硬く握ってくるときの不安そうな顔、そういう経験を経て人は成長していく。火葬が終わり骨を拾った後に言われた「おじいちゃん天国に行ったね」という一言が、素直な気持ちで発せられたとてもきれいなその一言が、私に涙を流させた。

2007/1/27

午前中浜田山の家の現場に行く予定だったのだが都合により田村が一人で行くことに。というわけで事務所にて1時からの打ち合わせに向けて雑務。1時、打ち合わせの予定のMさんがくる予定なのだが待てど暮らせど現れず。これまでこの仕事を始めて初めてのすっぽかし。ハウスメーカーの営業マンであればいざ知らず、ますいいのような設計事務所で連絡もいただけないというのは非常に珍しいケースなのだが、まあよほどの事情があったのだろう。連絡先に電話をしても連絡が取れなかったので家族を引き連れて滋賀県に向けて出発することにした。
滋賀県までは約6時間のドライブ。夜8時ごろ妻の実家に着くとすでに通夜が執り行われた後で、親族一同リビングに集まって昔話に花を咲かせていた。祖父の家はもともと高知県宿毛市にあったということなので、来ている親族の方々も高知に住んでいたり大阪に住んでいたりとばらばらの状態だ。こんなことでもない限り一同が会する機会というのもないだろう。さまざまな感情がいきかうなかで、ひとつの目的のために集まることの尊さをしみじみと感じた。「遠い意から来なくて良いよ」といってくれた義理の父の思いやり、それに対して滋賀まで行った思いやり、香典は受け取らないよという思いやり、そして献上する思いやり、人と人のつながりというものは思いやりの連続。こうした思いやりの精神というものを自然と身につけることの出来にくい世の中の中で、まず親がそれを行わない限りその親に育てられる子供たちのなかに思いやりの気持ちがはぐくまれるはずがあるわけもないわけで、一緒に行った子供たちの中にも何かが芽生えたのかもしれない。今日は運転に疲れたので10時ごろ休んだ。

2007/1/26

朝6時過ぎに妻の実家の滋賀県より電話があり妻の祖父がなくなったとの知らせを受けた。先週末もそして正月も関西に行っていたのだが事がことだけに明日から滋賀県に行くことを決めた。今日は幸町の家の表札についての打ち合わせを行った。この家のクライアントは鋳物屋さんなので表札は鋳物で作ることにした。鋳物といっても種類はいろいろあって今回はアルミ鋳物を利用する。アルミだから当然腐食には強いし塗装をしないでよいので金属ならではの表現も出来る。いよいよ作る段階になってきたのでその製造工程についての打ち合わせを行ったのだがここで問題。鋳物のように型を作ってそこに金属を流し込むようなものの場合、やはり一品生産だとコストが高くなってしまう。当初の予算ではとても追いつかない。型から作るので字体なども自由に選べるし、場合によっては自分で書いた文字を作ることも出来るわけだが今回は隷書体で作られた既製品の鋳物文字を利用することになった。製造所が目の前にありながらそれを利用できずに、インターネットでどこの誰が作ったのかもわからないようなものを買わなければいけないことに多少の違和感を感じたのだが、これも今の社会システムでは良くあることなのだろう。同じものを大量に作るから安く出来る。至極当然のことなのだがいつになったらそこから脱却できるのだろうか。そろそろ脱却しなければいけないときになっているとは思うのだが。

2007/1/23

今日は幸町の家にキッチンが搬入された。誰に組み立てをやってもらうかのところでいろいろ考えたのだが最終的に大工さんに頼むことに。この現場の大工さんの草間さんはこういうことも非常にうまい。各所の納まりを現場で打ち合わせして事務所に戻った。
この家ではリビングの中央に掘り座卓が置かれる予定だ。家具屋さんの手によって作られたタモのテーブルを設置するためのスペースが現在はベニヤでふさがれているのだが出来上がってきたら床との境目にかまちが取り付けられ、そしてそのかまちの上にテーブルが置かれる。掘り座卓の足元は工事の最終段階でカーペットを敷く予定なのだがこれがまた楽しみ。6センチもの厚みのあるテーブルとふわふわしたカーペット。きっとこの家で一番落ち着くことが出来る場所になるだろう。

2007/1/22

先週あたりから朝日橋のコンペ作業が追い込みになってきた。25日提出ということなので作業が出来るのは3日しかない。昨日の日曜日も作業をしていたのだがこれからが大変だろう。
午前中は幸町の家の現場管理。午後から事務所にて見積もり作業など。

2007/1/19

昼間は事務所にて雑務。
夜19時ごろから有楽町阪急の喫茶店にてOさんとの打ち合わせ。烏山に中古の建築を購入してリフォームをして住みたいという方なのだがなかなか予算的に厳しい方向になってしまった。しかしOさん、まだまだめげる様子はまったく見せない。なんということか、解体工事や床貼り工事までもをセルフビルドで行うと言い出してきた。なにぶんにも未経験ということで多少の不安を感じるのだが築4年のほぼ新築物件のリフォームということで何があっても建物が崩れる心配はない。それにこの建物は鉄骨で出来ているので、間違えてのこぎりで切ってしまう可能性もまったくない。ということはもしかしたら出来るのか。一週間後にもう一度相談するお約束をしてひとまず解散することにした。22時ごろ帰社。

2007/1/18

朝一番より田村と一緒に浜田山の家に向かう。トラックには壁に入れる予定の断熱材、石膏ボード、ベニヤなどが積まれていてまるで材木屋さんの配達の車の状態だ。最近の材料の高騰によるコスト高を抑えるために現場の管理の移動の際に材料を運ぶことが出来るようにと購入した1500kgのトラックは今日も大活躍。どうせ移動するのだからトラックを運転して同時に材料も運んでしまおうという計画なのだが荷下ろし作業の労力だけは予想外に大変だった。しかし自分で運ぶと材料に対する考えもチョット変わってくる。これまではベニヤが一枚あまっても仕方がないことと片付けていたのだが自分で運んだものに関しては一枚たりとも無駄にしたくはなくなる。そして結果的には契約後の単価増にも対応できるくらいに余剰材の削減が出来ているようだ。まだはじめたばかりなのでなんともいえないが、もうしばらく続けてみようと思う。18時事務所にて板金屋さんの山内君と打ち合わせ。まだ28歳の板金屋さんなのだがなかなかのこだわり屋。こちらの要望をしっかりと受け止めて非常に良い提案をしてきてくれる。今日の打ち合わせも非常に実りのあるものになった。20時新規のご相談でKさん来社。土地を購入して家を建てたいとのご相談。22時ごろまで。

2007/1/17

今日は久しぶりに板橋の大和町の家に足を運んだ。お子さんは学校に行っていたのか不在だったがご夫妻とお母さんが出迎えてくれた。竣工してからしばらくたっていたもののさほど変わったところはなく、設計のときにお話していたように家が使われている様子に満足した。この家では2階の居住性を高めるために屋根の構造に多少の予算を割いた。空気の入り口と出口をしっかりと作り、屋根の中の空気がこもらないような仕組みを作ったのだがそれもしっかりと機能しているようで非常に快適な様子だった。そして何よりも家の中を風が吹き抜けるようなプランニングにしたことが住みやすい住宅につながっているようだった。平面的にはわずか4.5畳しかない子供部屋もロフトを作ることでプラス1.5畳のスペースを持たせた。今このロフトはお子さんたちの最高の遊び場になっているようだった。家族が楽しく暮らせる家が出来たかどうかというのは出来上がってしばらくしてみないとわからない。そして少なくともこの家はそれが非常に良く出来ているようだった。

2007/1/13

11時ごろ安行の家に。安行の家は昨年竣工した木造2階建ての住宅。建具のメンテナンスなどで訪問したのだが竣工した時の印象よりも住み始めてしばらくたってからの印象のほうが断然良くなっている状況にとても満足感を覚えた。この家のクライアントは床のワックス、天井のラワン合板の塗装、1階の石灰クリーム、屋外のウッドデッキなどかなりの部分をセルフビルドで作り上げた。なぜそんなに出来たかというとご主人のお父さんが大工さんだからなのだが、それにしても家族総出で休みの日にこれだけの作業を行うというのはなかなか出来ることではない。そして、今日たずねてみると、テレビ台とか本立て、玄関のアプローチのレンガ舗装など、さらに難しいそして力も手間も要るようなことをすべてセルフビルドで作り上げていた。それらはご家族の手によって家に会うように上手にデザインされていて見ていて心が温まるようなものばかりだった。そして、何よりも私たちに自慢げに作ったものの説明をしてくれたご主人の様子を見ているとまさに家作りを家族で楽しんでいる様子が伝わってきた。家というのは家族が暮らすための箱であると思う。そして家族の暖かい思いの中で少しずつ丁寧に作り上げていくものだと思う。私たち建築家は住むことができる箱をきれいにそして丈夫に作ることは出来る。でも、その細部に命を宿していくのはやはり住まい手にしか出来ないことだ。住まい手が楽しく作り続けて、楽しく使える、そんな家作りをこれからも続けていきたい。

夕方、烏山の改修工事の打ち合わせ。鉄骨造2階建ての建築をほとんど新築同様に改修するような計画を立てていたのだが予算をはるかにオーバー。もともとはセルフビルドを取り入れながら自分たちで家を作っていこうという計画だったのだが取り合えず希望をすべてやってみるとこうなるよ、という程度に概算ですべての項目の算出をすることになったのだが予想通りクライアントも真っ青の金額となってしまった。これをたたき台として次の打ち合わせではもう少し絞った案をプレゼンすることになるだろう。
19時30分より川口駅前博多っ子にて職人さんたちを呼んでの新年会。普段は現場で話をする職人さんたちとお酒を酌み交わしながら楽しいひと時を過ごした。

 

2007/1/12

今日は特に出かける用事もなく終日事務所にて雑務。夕方西新井の家のSさん来社。西新井の家というのは築約40年のお父さんが住んでいる古い家を改修して新築同様の家にしてしまおうという計画。まもなくお父さんの仮住まいも決定し工事に入ることが出来るようになるということで今日は解体工事の契約を取り交わした。解体工事といっても重機で一気につぶしてしまうことなどは出来ないので非常にデリケートな作業。まずは屋根のかわら落しから始まって、外装、内装のはがしなどほとんどすべての作業を手作業で行うことになる。工事にかかる期間は約2週間。2月はじめごろからはじめることになりそうだ。
この古い家が生まれ変わるためのスタートの工事。生まれ変わった後は新しい家族も一緒に暮らすことになる。Sさんは自分が生まれ育った家に今度は自分の家族を迎え入れるわけであるので、しかももともと自分の部屋だったところに自分の子供の部屋を作るわけであるので、思いも強いだろう。こういう風に長く使われる家は幸せだ。そしてこれからも長く使うことの出来る家を作る必要がある。あと40年使えば80年住宅。家族が安心して暮らすことの出来る家を作りたい。

2007/1/10

今日は朝一番よりRDRにて山崎、山田とともに赤塚の家についてのミーティングを行った。先日より見積もり作業を行っているのだが予算調整作業の真っ最中ということで各所の仕様や収まりなどについての相談を受けた。昼過ぎに終了して、幸町の家の現場へ。幸町の家ではいよいよ大工工事が終盤に近づいている。堀座卓用のタモで作ったテーブルも搬入され、後は取り付けられるのを待つばかり。2週間後くらいにはいよいよ仕上げ工事に入ることが出来そうだ。

2007/1/9

朝7時に事務所を出発して浜田山の家の現場に向かった。今日は上棟式ということで田村と山崎も一緒にトラックに乗っている。8時ごろ現場についてまずはベニヤ100枚の積荷下し。100枚というと結構大変だと思ったら3人もいるとほんの数分で終了してしまった。人海戦術は最後の手段だけれどやっぱりこれにかなうものはない。9時過ぎクライアントご家族が現場に来て打ち合わせ開始。外壁の仕様についてというのが主な話題だったのだが最終的にはモルタル仕上げにすることにした。モルタル仕上げというのはこれまで何度もやってみたいと思ってはやめてきた仕上げ方法。なぜやめてきたかというとやはりひび割れが入りやすいということと防水性がほとんどないということが理由だった。そこで今回は全面的にグラスファイバーのメッシュシートを張り巡らせることでひび割れを防止し、さらにフッ素コーティングをすることで防水性も確保する工法を採用することにした。コーティングといってもぴかぴかのつやが出るわけではなく何もしていないのと見た目はほとんど変わらないので、モルタルならではの素朴な質感を損ねることはない。結果的には素材の味を生かした最先端の塗料によって保護されている仕上げになることだろう。10時過ぎ上棟式開始。家の隅柱にお神酒とこめ、塩を撒き家を清めた後にベニヤのテーブルを囲んでなおらいを執り行った。12時ごろまで楽しいときをすごして終了。大工さんも今日が仕事始めということでたっぷりのお酒をしたため上機嫌で帰っていった。3時ごろ事務所に戻り、RDRにて見積もり作業などの雑務ほか。

2007/1/8

10時、山本と一緒に板橋区成増のさんかくの家訪問。あまり詳しいことはかけないのだがちょっとした不思議な現象が起きているということで相談を受けた。とりあえず鍵を交換することで対応することに。12時過ぎまでお話をすることができた。13時ごろ事務所に戻り雑務。14時過ぎHさんご家族が土地探しのご相談に訪れた。とてもしっかりとした方で、自分たちの家に対する考えも非常にきっちりと固まっているようだった。予算との兼ね合いがチョット厳しそうではあるが時間をかけていけば何とかなりそうだったのでこれから土地探しを一緒に行うことにした。
GA84号が事務所にあったので目を通したのだが先日カンボジアで見た広島ハウスが巻頭からかなりのページで掲載されていた。久しぶりに見る石山氏の強い建築に改めて感銘を覚えた。

2007/1/6

去年より1日早い仕事始め。今年もテント特設会場にて新年会を行おうとしていたのだけれど台風並みの低気圧到来ということで断念。RDRギャラリー1階で行うことにした。寒空の中体を温めてもらおうと昨日より用意していた甘酒は結局ほとんど誰にも飲んでもらえないままありんこの被害に。一日かけて作ったおでんも少々あまり気味でチョット悔しい新年会でした。
何はともあれ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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