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2006年

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2005/3/26

昨日が息子の誕生日だったのでどこにでも連れて行ってあげるよといったらこれで6回目となる東京科学博物館にいくことになった。息子はここに来ると大好きな恐竜や実験装置で遊ぶことが出来るので一番のお気に入りの場所のようだ。子供は無料だし大人もたった500円で入館で切るのでこんなに安い遊び場所はなかなかないだろう。プレゼントには普段絶対に買ってもらえなそうなプテラノドンのモデルを選んでいた。帰りがけに本日より始まった東京都美術館でのプラド美術館展を見て上野を後にした。その後新宿パークタワーにて昼食を取り4階にあるコンランショップにて母への誕生日プレゼントを購入。夜はそのままお誕生会。

2005/3/25

午前中は予定されていた打ち合わせがひとつキャンセルになったので午後からの打ち合わせに向けて余裕を持って準備を進めることが出来た。15時ごろ浜田山の家の打ち合わせ。始めてご家族全員で来てくださり密度の濃い打ち合わせが出来たのだが、ちょっと設計条件を誤ってしまったところがあったので次の打ち合わせまでにプランを修正することになった。打ち合わせ終了後早速プラン修正にかかる。何とかひとつの案がまとまったので週明けに再検討してみよう。

2005/3/23

午前中は事務所にてそれぞれの現場の進行状況チェック。施工図関係や工程表などの確認をおこなった。午後からはRDRアトリエにて浜田山の家の模型製作作業確認。建物全体の構成を話し合いいよいよ作成にかかることが出来そう。夕方から夜にかけて事務所にて雑務。

2005/3/21

午前中いつも仕事を頼んでいる基礎やさんの家の設計打ち合わせ。普段一緒に仕事をしている仲間の家を作るというのは初めての経験なのだがこの仕事もいよいよ本格的に動き出しそうだ。午後からはそれぞれの現場の進行状況チェック。大工さんの作業量が多いようで少々ばたばたしている。少し調整しないといけない。とはいえ4月になれば世間は突然暇になる。住宅産業というのは不思議なもので3月9月の竣工に向けて業界全体がいっせいに動き出すのだ。ますいいはそんな動きとはあまり関係なくマイペースを貫いているのであまり関係がないのだが、とはいえそういう世間の情勢の影響を受けないわけにはいかない。まああと1週間の辛抱なのでなんとかなるだろう。

2005/3/20

終日、浜田山の家のプレゼン資料作成.。

2005/3/18

今日は朝一番から三角の家のお色直しに池上と山本と3人で出かけた。お色直しというのは4月に渡辺篤の建物探訪の取材を受けるということで、2年間の生活の間に汚れてしまった部分などの補修をおこなったということ。とはいえとてもきれいに使っていただいていたようでそれほど手を加えることは見当たらなかった。ひとつ大きな発見をしたことといえば、ますいいでよく使用する石灰クリームが汚れてしまった場合、薄めた白の水性塗料を上塗りすれば結構きれいにしかも違和感なく仕上げることが出来るということだ。石灰クリームの上にペンキを塗るというのもはじめはなんとなく嫌な感じがしたのだが、石灰クリームを使用しての補修というのは部分的におこなうことが出来ないことがわかっていたので、今回は試しにペンキを使用してみた。すると水性ペンキの大部分が漆喰にしみこんでくれて嫌なツヤなどはほとんど出ることはなくすうーっとなじんでくれたというわけだ。何でも試してみないとわからないけれど、メンテナンスこそ経験と感がものをいう世界だと思う。これからはどんどんメンテナンスをおこなう機会が増えてくるのだろうけれど、なるべく安くしかもきれいに仕上げる方法を極めていかなければいけない。

2005/3/17

昼間は事務所にてそれぞれのプロジャクトの進行状況確認など。夜、息子の健一を連れて川口アートファクトリーに行ってみた。ここは古い鋳物屋さんを改装して数人のアーティスト達が工房として利用しているスペースで全国各地から集まったユニークなアーティストさんたちが生活の場も兼ねる形で活動している。その中の一人である鉄の彫刻を作っている川上さんとは以前からの知り合いで、今回はあることを依頼しているのでその打ち合わせをかねた様子見に行ってみたというところだ。川上さんは心境の変化からか髪をばっさりと剃り、それを隠すかのようにニット棒をかぶっていた。「こういう装飾からはなれて生きたい」というようなことを言っていたけれどどのような心境の変化なのだろう。妹の増井真理子が芸術の中の髪の研究をしている。髪は昔から何か神秘的なものが宿るものとして扱われていたようでその手の研究をしていると髪にまつわるいろいろなことに出会うようだ。年頃の女の子が自分の髪をすべてそるというのはよほどの思いがあってのこと。きっと以前妹に聞いたような憑き物を取り払うというような行為の象徴としての剃髪なのかも知れない。
といっても川上さん本人はいたって明るく、普通の女の子をしていたので考えすぎかもしれないな。

2005/3/16

朝一番で伊奈の家の現場に向かい電気配線の最終チェックとセルフビルドの石灰クリーム塗り作業のはじめの工程であるパテ処理の作業方法の指導をおこなった。14時ごろ事務所に戻り夜まで雑務。

2005/3/15

午前中は浜田山の家のエスキス。12時過ぎに事務所を出発して大和町の現場に向かった。土曜日に上棟作業を終えた現場では大工さんたちが筋交いや床下地の作業をしている。本来は既に終わっている屋根下地に屋根屋さんが来てルーフリングを敷く時期なのだがますいいの板金屋さんである山川さんのお父さんがなくなったということで山本と二人で代わりにやってあげることになった。晴天の中、シャツ1枚になって約1時間ほどの作業。心地よい汗をかき下に下りると伊藤家の皆さんが集まっていた。そう、今日は上棟式なのだ。伊藤さんはトン汁の準備を始めている。私たちは大工さんと一緒にテーブルと神棚を作り、近所の方々が持ってきてくれたお祝いのお酒を飾り上棟式の準備に取り掛かった。16時過ぎから上棟式。両家のお父さんお母さん、そして伊藤さん御家族、伊藤さんの妹さん御夫婦、大工一同、及び私と山本の14人で楽しいひと時を過ごした。18時ごろ終了。

2005/3/13

終日、浜田山の家のエスキス。夜はますいいが材木を仕入れている大東木材の事務所にてJフレーム工法の講習会。この工法SE工法に変わる工法で、ほとんど同じような内容を加盟金や会費などを取らないで販売している。さらに門型のラーメンフレーム以外に関しては従来どおりの在来工法を利用できるということからコスト的なメリットにもつながるようで、ローコスト住宅での採用を考えるとSE工法よりもJフレームのほうが有利なようだ。終了後、大東木材専務さんと営業の古屋さんと一緒に中華料理屋さんにて会食。

2005/3/12

朝から夕方まで息子と一緒にラグビーを楽しむ。夕方いつも仕事を頼んでいるガイコウ工事業者の岡村さんの奥様のお通夜に参加。普段はたまに電話でお話する程度のお付き合いだったがそれ以上の関係はなかった。どんな人だったかウル覚えの状態でお通夜にいってみると民生関係の参列者が長蛇の列を作っていた。家族、親戚、若干の仕事関係の人々、そしてたくさんの民生関係の人に囲まれて入る様子から、きっとこの人は幸せだったんだろうなということが伝わってきた。こういうときしかその人の本当の人生というのはわからないものだけど、「自分の場合はどうなのか」ななどと考えてしまうのだった。

2005/3/11

午前中、浜田山の家のエスキス作業。午後から八幡木の家にクライアントの案内。八幡木の家に着くと施主の吉田さんをはじめ、吉田さんのお父さんや妹さんなどが勢ぞろいしていてセルフビルドの最終仕上工事をやっていた。別途工事の防音工事も無事完成したようで、防音室にギターを持ち込み実際に引いてくれたときの吉田さんの笑顔がこの家の設計作業の成功を物語っていた。これから始まる新しい生活の楽しそうな様子をみて、ほっと一安心だった。

2005/3/5〜7

京都建築紀行

朝10時に東京駅新幹線改札中央口で大学時代の同級生で現在設計事務所を開いている小野とますいい出一緒にやっている山崎と待ち合わせて、10時37分のにかりに乗って京都に向かった。2時30分ごろ京都に着くとまずウェスティン都ホテルへ荷物を送った。手続きを済ませるとタクシーに乗って大徳寺へ。大徳寺はたくさんの書院造のお寺があるところで今回は高桐院と大仙院の参観をしてきた。高桐院は1601年に、利休七哲の一人とうたわれた細川忠興が、父の(幽斎の菩提所として建立したもの。庭にある灯篭の周りにまとわり付く重みのある空気が、なんともいえないものだった。
2日目は桂離宮、曼殊院、詩仙堂と廻った。どれをとっても江戸時代初期のころに立てられた書院建築でいわゆる数奇屋風の建築と庭園で構成されている。3日目に見た待庵も時期的には同じような時代。今回のたびではこの時代の建築に焦点を絞って廻ったわけだが、そのキッカケとなったのが2日目に行った桂離宮だった。
そもそも桂に興味を持ったのは、日本の日常間というものを探し始めてから。建築における日本の日常間というのはなかなか難しいものでどの時代を取ってみても純粋な日本の建築様式というのは見つけにくい。仏教的な建築など世界の影響を受けながらその国の様式が出来上がっていくわけなのでそういうものも日本の空間だといってしまえばそれまでなのだが、あまりにも壮大な大仏殿などのような建築は見ていてすごいと思ってもその力を自分のスケールに換算することが難しい。そんなことを考えているときに桂離宮との出会いはあった。
書院建築が完成したあと、キリスト教の影響などいろいろな要素を受けて、時代の影響も受けて様々な追加、変更を加えられながら八条宮智仁親王から3代にわたって作り続けられた建築であるこの建築は、タウト、堀口、丹下と様々な建築家に語りつくされるに耐えうる完璧な存在だと思えた。そして旅行前に入手した石元泰博の写真を見てその完成度の高さに心打たれるとともに、そうはいっても実物を見たときにそれほど感動できないのではないかという不安も同時に感じていた。しかし実物を前にしてこれほどまで、写真で見るよりも強くその雁行配置されている古書院、中書院、楽器の間、新御殿のつりあいの美しさを感じることが出来たときになんとなく日本の日常間というものの正体を感じ取ったような気がした。
なんとなく黒澤明の「夢」の中に入ったような、「そんな感覚」が今でも続いている。

2005/3/4

今日は伊奈の家の上棟式。とはいってもかなり工事は進んでいてもうすでに天井の石膏ボードが張られている。今年の冬は寒いからということで私が決めたことなのだがこのような状態での上棟式というのも周りの目を気にしないで落ち着いて行うことが出来、大変よいものだった。両家のお父さん、そして親戚の方々もきていただいてのおでんパーティー。さすがコンビニを経営されているということでおでんはプロの味だ。少々のビールを頂いて気分が良くなったところでお開き。名残惜しいくらいがちょうど良い、とても良い会であった。

2005/3/3

午前中は基礎屋さんの家のプラン再考。その他事務所にて様々な雑務。渡辺篤のTV番組より取材以来。ザハウスの登録手続きなどなど。今日はなんだかよくわからないままに終わってしまった。

2005/3/2

午前中川口駅前駐輪場計画について管理会社社長と打ち合わせ。何でこんなことをしているか。自電車置き場なんかどうでもいいじゃないかという声もあるのだが、私にとってはどうでもよくない。川口の町で建築という力を使ってもっと魅力的な街づくりをしたいというのが私の最終的な目標であり、建築にはそんな力が内在していると思う。そういうことを考える中で都市の中に潜む問題点をあぶり出しその解決策を行政などに提案していくことこそ建築家に出来る最高の街づくりなのではないだろうか。こういうことは昔から行われてきた。しかし大きな箱物の提案ではなく町の中に氾濫する自転車の利用方法を便利に改善してあげることやトイレのない運動場に小さくても良いからトイレを整備してあげること、そんな小さな提案でもきっと価値があるものだと考えている。この運動はもしかしたらボランティアになるかもしれない。でも続けていくことが大切だろう。13時、杉並に家を建てたいという方よりご相談。1時間ほどご説明して終了。

2005/3/1

午前中は事務所にて雑務。基礎屋さんから頼まれた自宅の設計について少し考え始めた。そういえば昨日の電話で自分で型枠を作るからRCのほうがやすい様なことを言っていたけど本当かな。多分そんなはずはないだろう。もしそうだったら基礎やさん儲け過ぎということになりますよ。13時、以前手術した足の検査のために病院へ。月に1回の検査もこれで約1年が経とうとしているが最近は順調ですねの一言で終わってしまうことが多い。まだひざに残っているボルトを抜かなければいけないので3日くらいの再入院を勧められるもなかなか決められずに逃げてきた。昨年の4月に一ヶ月入院したときは退院後のスパートがものすごかった。まるで別人のようになったような気がした。でも今回は3日だから温泉旅行みたいなもの。そこまでの塾考は出来ないだろう。

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