2006年

 

2006/8/30

午前中事務所にて雑務。午後から所要にて一時外出。4時より中青木の診療所兼住宅の現場にて上棟式を執り行った。参加者はお施主さん親子にますいいからは私を含めて3名。そして大工さん二人と電気屋さん、材木屋さん、そして板金屋さんである。まずはじめに家の四方の柱を清め、そのアトベニヤで作ったテーブルを囲んで簡単な食事会を執り行った。約1時間の後終了。
夜は事務所にて幸町の家の見積書作成作業。

2006/8/29

午前中は西新井にある佐竹さんの家の改修工事の打ち合わせ。築40年の家を全面的に改修工事して2世帯が居住するほぼ新築に作り変えるというこの仕事は内容からすると新築よりも難しい。何せ築40年である。以前にも同じような仕事をしたことがあるのであるが築40年というのは本当にびっくりするようなことがたくさん現れる。たとえば柱の足元が腐って何もないなんて言うのは当たり前だ。柱があるはずのところに入っていないなんていうこともあった。基礎だってもちろん無筋コンクリート。ひび割れて手で解体できてしまうような部分だってあるだろう。それをこれから数十年住んでいけるような、しかも安心して住めるような家に変えなければいけないのである。大方のプラン打ち合わせを行ったらアトは現場での補強方法の検討が主な作業になるであろう。
それにしてもこういう仕事を前にすると日本にはまだまだこのような構造的に弱い建築物がたくさんあるということに気づかされる。昔の建物には今のような基礎はない。テキトウに作られた基礎らしいものの上にのっかているだけの場合がほとんどだ。柱と土台、土台と基礎の結合部分も今のように金物でがっちりと固定されているわけではなくて、鎹や釘で固定されているだけである。しかも屋根には重いかわらがのっている。地震のときの力は建物重量に比例してしまうので屋根に重いものがのっているのは非常に不利になる。まあ誰だって頭の上に石を載せて長時間立っているのはつらいのとおんなじだ。そしてこのような古い建物は通常有無を言わさず壊されてしまうのであるが、たまあに壊されずに改修される機会を得るラッキーなやつがいるわけである。そしてその理由というのは、多くの場合が法律。つまり本当は建て替えたいのだけれどそれが出来ない場合や、やりにくい場合に改修が選択されるのである。
私はこの改修にこそ意味があると思う。法律によってでも改修が選択された。少なくともこのことによって新築工事を選択した場合よりは捨てられるゴミの量は減り、あたらしく使用される木材の量も減るわけだ。そしてこの町における災害時の安全性は確実に向上することになるだろう。そして何よりも壊されることを免れたこの家はなんとなくウレシソウだ。
午後は幸町の家のコスト調整作業などを中心に事務所にて各プロジェクトの打ち合わせなど。

(以前行った改修工事の腐った柱の足元。)

2006/8/28

午前中、市役所にて雑務。午後から中青木の診療所兼住宅の現場にて小ミーティング。現場のほうも少しずつ作業が進み形が見え始めてきた。筋交いや間柱を入れている最中なのだがこれが終わるといよいよサッシの取り付けとなる。今週中くらいには大体外周部分の施工が終わりそうなのだがそれまで雨が降らないことを祈りたい。夕方より基礎屋さんの家の上棟式。もちろん上棟作業は施主である伊藤さんが行っている。手伝っているのはそのお兄さんの現実さん。自分の家を本当に自分で建てるというのはどんな気分なのだろう。若い頃のバイクの事故で足を不自由にしてからというものほとんど上棟作業を行っていない伊藤さんが今回に限り自分で立てたというところに意味がある。式の最初の挨拶で参加者たちにお礼を言っている姿が本当にうれしそうだった。

 

2006/8/27

日曜日、妻の出産からもすでに2週間近くが過ぎ去り家のほうもだいぶ落ち着いてきた。なれない家事からも少しずつ解放されてきたので今日は息子をつれて千葉県にある笠森寺の観音堂を参拝しに行った。この建物は四方かけづくりで作られていて、三仏寺などと同じように自然の岩山の地形を利用して、というか逆らわないでその上に建築を作り上げている。岩山とその上の建築の絶妙な存在のバランスというのは今の世界を物語っている。良い意味でも悪い意味でも。
良い意味でもというのは言うまでもない。自然と建築との共生というのはこれまでも、そしてこれからいいっそう追求されなければいけないテーマである。
悪い意味でもというのはこうだ。建築が乗せられた岩山はコンクリート用壁によって崩れ去ることを妨げられ、床を支える木の束はコンクリートの基礎によって固められ、木の束同士も鉄骨の補強材によってしっかりと固定されていてその様子は見ていて痛々しいものであった。死ぬことを許されない現代人の延命治療にも通じるところがあったようにも感じた。そして何とか破壊しないように維持されている自然環境(岩山)と、地震などの天災やアクシデントによるその一瞬の破壊によってはその上にある人類(建築)の破滅につながるという、今の時代の誰もが感じる不安を小さく表現しているように見えるということである。
皆さんはこの様子を見て何を感じるだろうか。

2006/8/26

朝から少々雨が降っていた。中青木の現場で作業を進めるはずの大工より天候が回復するまで現場を空けるとの連絡を受けた。これくらいの雨で現場を空けるのかと少々疑問を感じながらも、建物すべてをシート養生することを指示して了解した。
夕方より幸町の家の打ち合わせ。こちらは見積もり提出の場面なのだが予算よりだいぶオーバーしてしまった。当初一つだったキッチンが二つになったり、だんだんと打ち合わせのたびに広くなっていったりと、なんとなく予算オーバーの兆しが見えていただけに両者納得の沈黙。次回までにある程度の減額案を作成しなければいけない。

2006/8/25

今日は事務所にて一日中各プロジェクトの打ち合わせを行った。それぞれの現場ともに順調に進んでいるようで事務所のほうもだいぶ安定してきたような気配を感じた。新人が多くいるときというのは気をつけなければいけないことが非常に多いのであるが、同じ人数のスタッフでもそれぞれの経験が向上するとここまでスムーズになるものなのか。
夕方、上野の国立博物館に若沖と江戸絵画展を見に行った。金曜日の夕方という選択をしてしまったのがいけなかったか会場は絵が見えないくらいの人だかり。なぜ江戸絵画にこれほどの人が集まるのか不思議でならなかったのだが、この様子をプライスが見たらびっくりであろう。それにしてもなぜこのようなものを買い集めたのか。先見性?それともただの物好き?
終了後飯田橋にて小野設計の小野とますいいRDRの山崎とともにしばし建築談義。

2006/8/24

今日は朝から浜田山の家の打ち合わせ準備。14時、クライアントご家族が中青木の事務所に来社。約2時間ほどの打ち合わせを行った。この打ち合わせにおいてこれまで鉄骨造で進んできた計画が木造に変更された。この変更はひとえに予算の問題であった。鉄骨造と木造ではどれくらいの予算の開きが出るかというと、まず大きな差額が生じる工事項目は以下のようになる。
・地盤改良工事
・鉄骨工事
・基礎工事
地盤改良工事では建物総体の重量が増えるために作らなければいけない地盤の強度が必然的に上がってしまう。今回の計画では木造だと1平米あたり3tでよいものが鉄骨になると5tになる。これで増える金額は一概には言えないがおそらく60万円程度であろう。
鉄骨工事に関しては木造の場合の木の構造部材、つまり柱や梁と比較することになるわけだがこれが相当の増額になる。今回の場合は約600万円。これは非常にきついものであった。
基礎工事も変わってくる。木造述べた基礎の場合はそこに入る鉄筋の量もコンクリートの量もそれほどおおくはない。しかし鉄骨造となれば基礎の形状は非常に大きくなり深さも約1mほどに増えることになる。結果、基礎の価格は約150万円ほど増えることになった。
概算設計のこの段階での金額なのでもう少し詳細をつめればそれぞれの金額は縮小するだろう。
しかし構造以外の部分での機能的な性能をある程度ハイレベルで望む今回の計画の場合はここで鉄骨造を選択することは危険すぎるということになった。総予算が決まっている中で構造にそれだけのコストを割くということになれば結果的にはそれ以外の部分を安価な方法で作るという事になるからである。
どちらが良いかと問われれば答えることは難しい。それは住まい手の選択の問題だからだ。今回も両方の可能性を精一杯伝えたつもりである。そして結果的に木造を選択されたのであるからこの方向で進めていきたいと思う。

2006/8/22

昨日に引き続き、浜田山の家の木造にした場合のスタディーと幸町の家の見積書作成作業。途中電話打ち合わせなどを交えながらあわただしく時が過ぎていった。午後からは少々時間が取れたので今村仁司の「現代思想のキーワード」などを読む。
夕方6時より、埼玉県建築司会による耐震補強工事の報告会に出席。実際に行った6例の耐震補強工事の様子をスライドなどを交えながら発表するというものだったのだが、これは非常に参考になった。これまでも耐震補強というものに取り組んできたことはあるのだが、新築と違い現場で既存の建物を壊してみてからの即興的な判断を求められることが少なくない。木造の個人住宅の場合、その際に構造計算に基づいて補強方法を決めるというよりはなるべくコストのかからない方法で出来る限りの補強方法を検討しやってみるといった対処になってくる。普段計算どおりに行動することが常識的になってきているわれわれにとって、この経験に基づく現場での即興的な行動というのはその根拠がすべて自分の中にあるだけに非常に難しい。しかし、建てかえるのは無理だという人に耐震補強を頼まれたときに、われわれが手を差し伸べることが出来なければ誰もそれを行うことは出来ない。少なくともトラブルを起すような悪徳業者に捕まってしまう前に、何とかしてあげなければいけないわけでこういった研修会には極力参加しなければいけないだろう。
夜ニュースを見ていると早実の優勝関係の、特にエースの斉藤君のことをしきりに報道していた。大学、高校経営の難しい時代にあって、スポーツによるイメージ回復というのは常套手段のように思われるが、ほかの高校の野球部の生徒たちと同じ高校生である彼らの扱いにちょっと熱が入りすぎのような気がしてならない。

2006/8/21

今日は朝から事務所にて幸町の家の見積書作成作業。盆休みアケまでに見積書をFAXしておくように依頼してあった業者さんたちから戻ってきている見積書を参考に、各工事項目の数量などを拾い出して表に記載していく。
途中、浜田山の家のスタディーをしている田村との打ち合わせ。
さらに昼過ぎには大工さんが事務所に来て中青木の診療所兼住宅の現場進行打ち合わせ。こちらの現場はいよいよ明日足場組み立て、そして明後日は上棟作業となる。資材の搬入計画や、道路使用の状態、作業手順などの確認を行った。
夕方、基礎屋さんの家の施主である伊藤さん来社。外壁と内壁の仕上げについての打ち合わせを行った。シコク、日本プラスター、田中石灰工業、日本珪藻土建材など建材メーカーはたくさんある。その中からどれを選択するかというのはそれほど大きな問題ではないのであるが、いざサンプルを目の前に置くとどうしてもどれにしようか迷ってしまうもので結局決定は持ち越されることになった。
引き続き見積もり作業などを行い10時ごろ作業終了。

2006/8/20

いよいよ今日で夏季休暇も終了。明日にはスタッフたちも里帰りから帰ってくる予定だ。私はといえば3人目の子供が14日に誕生した関係で、毎日上の二人の子供たちの世話に追われていた。例年滋賀県の妻の実家に足を運ぶことが約束になっていたのだが、滋賀県で過ごしても埼玉で過ごしてもやることはそれほど変わらないことに気が付いた。結局家族と過ごす時間を作っているだけなのかもしれない。
そんなわけで今年はいろいろな人にあった。まずは大学時代のラグビー部の友人たち。久しぶりに顔を合わせいろいろな話をした。みんな長く生きているといろいろあるんだなというのが実感。でもそれぞれの人はそんなに変わるもんじゃない。人のいいやつはいつまでたっても人が良い。
地元のプールでは大工さんご家族にあった。外を歩けば誰かしらにあるというのもローカルならではの楽しみだろう。
19日には地元の青年会議所のメンバーと靖国神社に参拝した。正直これだけたくさんの人が来ているという事に驚きはしたのだが、それもあの小泉さんのパフォーマンスのアトでは当然のことか。
20日の今日は地元の小学校でのオペラ教室に参加。ちょっとローカルなでも精一杯がんばっているプロのオペラ歌手の歌を聴くことは中途半端なものを聞くよりも私にとっての肥やしになる。彼女のこれからの活躍に期待したい。
いよいよ明日から仕事開始。皆様、引き続きよろしくお願いします。

2006/8/9

台風が直前で進路を変えた。どうやら関東地方のすぐ横を通り過ぎるようだ。朝から強い雨が降っているので今日も現場の作業は中止することに。今日は一日中事務所で各現場の進行状況チェックなどを行った

2006/8/8

朝7時、中青木の現場の土台式作業の予定をキャンセル。それほど強い雨ではなかったのだが台風ということでどれだけ降り出すかわからない。材木をずぶぬれの状態にするのは避けたいということで、安全を見てキャンセルすることにした。昼からの天候を見れば十分作業が出来たような気がするのだが、いまさら言っても仕方がない。
午後、近所の書泉で購入した卒業設計日本一の結果がまとめてある報告書を読んだ。1位に輝いていた案は「動く学校」と題されたまるでハウルの動く城のような学校だった。スケッチと大雑把な模型だけで1位に輝いた案はこれまでの現代建築の流れにはむかうような、疑問を感じているような一人の若者の「感覚」が、決してきれいにまとめ上げられているというわけではないのだけれども十分に伝わってくるものであった。そしてその学生の進学先が、ほかの大半の学生が大学院と答えるのに対して、「現場カントク」と言ったことも変わっているのに素直に受け入れることが出来た。
モダニズムの時代は技術による裏づけがあった。その技術によるデザインをしている限りは地域性とか自然環境というのが建築に与える影響はなく、どこの国でもどのような場所でも共通して語られる言語の中で建築のデザインは進められた。しかし今の時代に建築を180度変えるような技術の発現は期待できない。そんな時代にあるべきひとつの流れとして、新しい昔回帰というのもがあるのだと思う。決して昔の民家を作るのではない、だけどなつかしく感じるような空間。学生ですらそんなものを求めはじめたということだろう。

(上:日本一の作品)

2006/8/7

朝一番で中青木の診療所兼住宅の基礎型枠解体作業立会い。1階床の作り方の関係で土間押さえ職人が作っただけありいつもよりきれいな仕上がり。解体後、養生をして事務所に戻った。天気図を見ると台風がたくさん南の海上に発生している。予報円が重なり合って何がなんだかわからないような状態になっている。今年もまた台風に悩まされるのだろうか。午後は、浜田山の家のスタディー。夜7時よりある市会議員の懇談会に参加。来年の選挙に向けた出馬表明のようなものだったのだが、いまだにインフラ整備だけしか語れない議員がいることに対する驚きと失望だけを感じた。政治の世界に対するあきらめのようなものは感じていたのでどうってことはないのだが、このように無能な政治家を目の当たりにするとやはり多少のショックを受けざるを得ない。

2006/8/5

今日は年に一度の川口たたら祭り。今年で28回目になる祭りで、毎年大勢の参加者が市内を流し踊りするものなのだが久しぶりに参加した。今年はこれまでに感じたことのないような感傷的な気分になってしまった。なんといっても幼少時代から自然に耳にしてきたたたら音頭、親になってから聞くとまたひとしおというわけなのだろうか。

2006/8/4
午前中、雑務ほか。午後より浜田山の家の構造スタディーなど。
2006/8/3

午前中は各現場の進行状況チェック。最近の好天続きで中青木の診療所兼住宅の現場もようやく順調に動き出している。この調子で進めば、お盆休み前には予定通り土台敷きまで進めることができそう。去年、一昨年とこのように暑くなったとたんに台風が連発で日本列に襲い掛かるという状況が続いているが、今年はそうならないことを祈るばかり。
夕方17時より、幸町の家の打ち合わせ。平面図、立面図、展開図を用いて細部にいたるまでの説明を行うことが出来た。次はいよいよ概算見積もりに入る。お盆休み前には見積もり用の図面が仕上がるだろう。

先日読んだ宮本佳明氏の本の中に「分節という運動」というコラムが掲載されていた。

「今世の中ではさまざまな分節、つまり国家、ゾーニング、女性専用車両、禁煙区域・・・が設定されていて、共同体成員の合意の上にさまざまな制限を加えることでその空間における無用な摩擦や争いが起きることを防いでいる。結果特定の人が使用することが出来る空間が増えて、比例的にそれ以外の人が使用することが出来る空間が減少した。この過剰なまでに分節された空間が、都市に居場所を持たない人にとってははなはだ居心地が悪い。そこに摩擦はないが出会いもない。零度の空間。この分節は個人のブースに行き着くまで止まらないのか。」

というような内容だったと記憶しているが、この文章が最近よく頭の中にふと浮かぶ。
このような気持ちというのはよく空港などで味わうことがある。金色の扉の付いたお金持ちだけが入ることの出来る休憩所、そこを通り抜けた瞬間に物の値段が変わってしまうゲート、空港という場所はまさに分節のきわみといえる空間であり誰もがここではその理不尽なまでの分節に腹を立てたこともあるだろう。
しかしこの分節も安全という大きな目的のために設けられたものであり、それを理解しているからこそそのこと事態に文句を言うような人はあまり存在しないわけである。空港などは非常にわかりやすい例ではあるが実は世の中では「安全」という幻想のためにそのようなことが日常的に行われている。入国のためのビザ、電車が付くと開くゲート付きのホーム、レベルは違うが安全を目指すという意味では同じような問題だろう。
産業革命以降2度の世界大戦を経て、現在の世の中は作られている。そして個人の権利、安全などを重んじるようになればなるほどこの分節運動は加速度的に進行していくのである。
先日息子が友達に暑中見舞いを出そうとしたら、なんと住所がわからないといわれた。何でも個人情報保護のために今の名簿には住所や電話番号が明記されていないということだった。学校で友達として親しく遊んでいるにもかかわらずお互いの住所を知ることが出来ない。もちろんそれなりの年齢になれば自分たちで情報交換をするのであろうが、まだ幼少のわが子においては少なくともお互いの住んでいる場所も知らないという状況に置かれているのである。ここでも形こそ違うが、まさに分節という状況が起こっている。
宮本氏の言う個人ブースという最終目標がものすごい勢いで近づいてきているような気がする。
しかしそれでも建築というものがなくなるもしくはカプセル化するという現実はまだ想像できない。どんな世の中になっても結局は今のような建築があり続けるという想像しか私はすることができない。そしてそのときにある建築の形。その形こそ加速度的に進む分節を調節できる数少ない手段のひとつであるような気がする。

2006/8/2

朝一番より恵比寿にあるall aboutに取材を受けに行く。取材なのになぜかこちらから出向かなければならないことに少々疑問を感じるがたまには東京の中心部に足を運ぶのも悪くはないのでまあよしとする。11時過ぎまで写真撮影などなど。終了後せっかくここまで来たのだからと、東京都写真美術館に「世界報道写真50周年記念展」を見に行くことにした。会場には50年間に撮影されたさまざまな報道写真が展示されていた。そこにはこれまで見たこともないような一見グロテスクと感じてしまうような残虐なシーンなども多く含まれており、目にした瞬間気分が悪くなるようなものも含まれていた。それは日本の報道機関では決して流れることはないようなまさに死の瞬間とだった。世界の構造は時代によって確実に変化している。それほど詳しいことはわからないが今の現状をなんとなく分析するくらいの知識はあるつもりだ。アメリカのグローバリズムへの便乗にいち早く転換した日本には戦後60年の平和がある。しかしその今の時代にも、私たちの知らない地域では戦争が紛争が行われている。そしてそこでは私が悪寒を感じたような光景が現実のものとしてあるのである。人間の内に存在するそういうことをしてしまう本能というものが、今の日本ではそんなものがあることすら忘れてしまうようなものが確実に今の時代にもあるのだということを改めて思い知らされた。そして、それを押さえつけている得体の知れない力、きっとモラルとか倫理とか呼ばれる作られた力の強さを改めて感じることが出来た。あまり素直に心から勧めることは出来ないが、興味がある人はぜひ行ってみてもらいたい。


エド・ヴァン・デル・エルスケン キューバ アヴェニュー
(東京都写真美術館HPより)

14時ごろ帰社。その後は各プロジェクト進行状況に合わせた確認作業など。

2006/8/1

終日事務所にて浜田山の家の構造スタディーなどを行う。諏訪部構造事務所との打ち合わせも回を重ね、次第に柱の位置、梁のかけ方などの構造の形が見え始めてきた。この家は約40坪の土地に建てられるのだが、この土地は建蔽率・容積率が40-80%という非常に厳しい条件が定められている。そこで、2階部分から2方向に大きく跳ねだした人工地盤を作りそこにデッキテラスを作ることになった。このデッキテラスというのは通常建築面積に含まれるのであるが、木をすのこ上に並べて隙間を空けると面積の算定からはずすことが出来る場合がある。今回もこの方法で2階にあるリビングとつながる大きな庭を獲得することにしたというわけである。またこの人口地盤は本体からの跳ね出しで作られている。よってそこの下には基礎というものが存在しない。そうするとそこの下は地面を残すことが出来る。地面だから菜園にもなる。お花畑にもなる。自由に使える。東京のど真ん中でこのように地面を獲得することが出来るのはなかなか困難である。構造の工夫によってそれが可能となるのであるならば、やる価値は十分にあるだろう。夕方より地元の青年会議所の集まりほか。


 

 
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