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2005年
2005/8/29

朝一番より東川口の家のあまり木を片付ける。ますいいの事務所の前にはあまり木を入れるための大きな箱がありきれいな木はそこに入れておくと次の日にすべてなくなってしまう。産業廃棄物として捨てられる材木を少しでも減らせないかと考えた方法なのだがこれがなかなか効果があって最近では近所の人々に大分知られるようになってきた。なんせ、ますいいのあまり木は質がよい。ヒバ、ヒノキ、杉、松などの一般的な建築用無垢材に加え、ケヤキなどの銘木まで含まれているのだ。違いの分かる人にはたまらないだろう。夕方より読みかけだったフェルナン・ブイヨンの「粗い石」読破。この本は12世紀、プロヴァンスに立てられたル・トロネ僧院の工事監督の日記という形で書かれている。建築予定地にたどり着いたところから物語は始まるのだがまず水を探し、自分たちの寝泊りする小屋を作り、材料となる石を採掘する場所を見つけ採掘に使う道具を作るために鍛冶場を作る。すべてが手作業でわずか20名あまりの修道僧の手によって大きな石が切り出されていく。石造建築が積み上げられていく様子そこでの苦労、技術的なこと。同じ現場を管理するものとして非常に興味深く読むことが出来た。しかしこの本を読み進めていくうちに感じた信仰心は一体何なのだろう。なんとなくうらやましくなるようなその一途な信仰の態度はどうにも忘れることの出来ない感覚だった。
 
 
2005/8/28

朝9時ごろ目覚める。昨日は少々飲みすぎてしまったようで、いつもより目覚めが悪い。15時、事務所におりて打ち合わせに備える。16時T邸についての打ち合わせ及びTさんのご家族をつれての現場見学。17時帰社。

2005/8/27

2時ごろ安行の家のTさんご夫妻来社。第2案のプランについての打ち合わせを行った。前回の案よりも今回のプランを気に入ってくださったようで大体の方向性は定まりそう。夕方より、早稲田大学の関係の懇親会に出席。12時過ぎまで、諸先輩方とのひと時を過ごす。

2005/8/26

夕方西荻窪に住むKさんから電話にて問い合わせ。駅前の狭小地に建築が可能かどうかとの内容だった。早速山本と二人で現地視察をしてみると間口2.7mしかない絵に書いたような狭小地。前面道路もわずか3.4mしかなくコンクリートや鐵骨の搬入も大変そうだ。隣に新築してある鐵骨の建物のオーナーとたまたまお話をすることが出来たのでその辺の苦労を聞いてみたのだがまあ何とかなりそうな気配。原宿の竹下どおりで鉄骨の組み立てをしたことのアルわが社の最大の協力者である河野鐵骨の河野さんによると軽トラックが入る土地であれば何とかなるという。なんとも頼もしいお返事が返ってきた。とはいえ道路封鎖時の警備員の配置、各種資材の小運搬にかかる経費など通常以上の出費がかさむことは否めない。予算に関する慎重な検討が必要そうだ。

2005/8/24

午前中は板橋の家のプランの検討。午後1時から3時まで川口工業病院にて検査。帰社後は再び板橋の家のプラン検討。夕方千葉県の方からの問い合わせメールに返事を書いた。なんでもハーフビルドで家を建てたいということだった。距離が遠すぎるので、ますいいで工事に協力することは出来ないがこういう問い合わせは大歓迎。知っている限りのセルフビルドの方策を書きたいと思い長い文章を書いてしまったが、終わりがないことに気がつき途中でやめた。この方がどこまで真剣にハーフビルドというものを捕らえていたのかは分からないが、最近は確実に自分の家を自分で作りたい人が増えている。そういう人たちにまやかしの甘い言葉ばかり投げかけてもしょうがないので、今回もそしてほかの方々にも私は事実を述べるようにしている。ハーフビルドやセルフビルドは可能だ、と私は思う。しかしそれを行うには住宅について勉強が必要だ。そして、コンストラクションマネジメントについての勉強も必要だ。それさえ知ってしまえばそれほど難しいことではないのだ。ただなんとなく流行の言葉だからという理由で、セルフビルドに手を出すとかなりの苦労をする。ますいいでやる工事の場合は私たちの協力があるからそれほど苦労はしない。しかしそうでない場合、つまりほかの会社で工事を行う場合は誰も協力してくれない場合が多いだろう。まさにセルフ=自分で行わなければならないのだ。だから、その人その人の事情によってセルフビルドのスタイルというのは大きく変わってくると思う。たとえば設計事務所に努めていた経験があって、設計が出来る人は自分で設計だけすればよいだろう。工事は工務店に任せればよいのだ。これでも設計料は節約できる。もしその人が水道屋さんだったら水道工事をやればよい。こういう方は実際にますいいのクライアントにいた。その分確実に安くなる。仕上げ工事をやってしまうのもよいだろう。ただし最低でも1週間は仕事を休まなければならない。若しくは土日作業ということになる。その結果仕上げの職人さんの日当が節約できる。工務店機能を自分でやってしまう人もいるだろう。つまり自分で各職人さんたちに仕事を発注してしまい、さらには自分で現場を管理するという方法だ。ただしこれには最低2年くらいの建築現場の経験が必要だろう。どんな方法を取るにもプロの仕事の一部を自分で行うわけだからそれなりの覚悟は必要で、でも覚悟さえしてしまえば何とかなってしまうことである。いえづくりをなめてはいけないと思うがこういうことをやりたいと考えている人はあまり怖がらないで、ぜひ挑戦していただきたいと思う。もし分からないことがあればたとえ自分の工事でなくとも知っていることはご教授したい。だからぜひあきらめないでやってほしい。その結果得られる満足はやった人だけにしかわからないんだな、これが。

2005/8/23

朝一番、西青木の家の隣の家の解体工事のときに壊してしまった部分の補修工事に立ち会う。その後、西青木の家の発注作業及び業者打ち合わせ。会社から歩いてわずか10分という場所でいよいよ現場がスタートする。顔見知りの多いこの場所での工事はなんとなく緊張する。

2005/8/22

午前中は足立の家の敷地調査。夕方、東川口の家にて塗装屋さん、左官屋さんとの打ち合わせ。

2005/8/20

朝一番より蕨の家の上棟工事に立ち会う。螺旋階段や鐵骨のブリッジなどがあり普通の建て方よりも難しいものとなっているのだが順調に進んでいるようで一安心。11時東川口の家にてクライアントと現場打ち合わせ。最終的なこまごまとしたことがすべて決まったのでいよいよ完成に向かうだろう。13時、西青木の家現場確認及び近隣挨拶。15時再び、蕨の家を確認して事務所に戻る。

2005/8/19

朝6時30分、船橋の藤原さんの家に向かい、2年半前に完成した家の床の張替工事を行った。というのも電気式床暖房の上にコルクタイルの施工をしたらコルクタイルがひび割れてしまったのである。タイルの熱に対する耐久性の問題、下地の問題などいろいろありそうだが根太を補強をして床の強度を上げることで対応した。日曜日にコルクタイルの施工を再度行うのだが今度はうまくいってくれることを祈る。それにしてもこの手のことは経験しないと分からないことが多い。カタログや説明書には記載されていないわけだし、そもそも木造住宅の床暖房対応品なのであるから根太補強など必要ないと考えるのが当たり前だと思う。こういう一つ一つの経験がこれからの家作りに大いに役立つわけだが、メーカーの説明文ももう少し丁寧にしてほしいものである。夜9時帰社。一日中大工さんとともに作業したので何もしないで自宅に上がった。

2005/8/18

本日より仕事始め。埼玉に戻ってくると滋賀県の自然が頭の中から少しずつ失われていく。それと同時に自分を取り巻く時間の流れ方も少しずつ加速していくような気がする。時間の流れが加速しだすと見えるものが見えなくなる。滋賀県では草むらの中にいるばったが見えた。野原に咲く小さな花も見えた。しゃがみこんで草むらの中に顔を突っ込んで小さな小さな虫たちの世界を眺めたりもした。一生懸命に仕事をしているとそういうものが見えなくなる。いろいろなものが自分の頭をものすごいスピードで通り過ぎていくようになる。一人の人が見えるものの量はそうは変わらないのならば自分の周りにある小さなものを眺める時間を大切にしたい。ずっとそうすることは無理でも一日の中に少しくらいはそういう時間を作らないといけないと思う。

2005/8/17

朝7時ごろ滋賀県より埼玉に戻る。徹夜での運転にいささかつかれ午前中は休息。午後から自宅の部屋の改修工事に取り掛かる。以前セルフビルドで作った2畳の小部屋があったのだがあまりにも狭い部屋の使いみちがあまりないということで妻から撤去の要請が出ていた。自分なりに気に入っていたのだけれど、入り口の巾がわずか30センチしかないこの部屋の評判は非常に悪い。何しろ作る前にその部屋の中に入れた30センチ以上の大きさのものは持ち出すことが出来ないのである。評判が悪いもの当然かとあきらめいよいよ作業をすることになった。夜の7時までかかってようやく作業終了。夕飯を取り再び疲れ果てて夜10時尾ごろ就寝。

2005/8/11

朝6時ごろ妻の実家の滋賀県蒲生町に到着。今日より17日まで1週間の休暇となる。

2005/8/10

夜中の2時ごろ突然目が覚めた。どうしても眠ることが出来ないので、玄関先で電気をつけて山本夏彦のコラムを読んでいた。失われた言葉、新聞社への批判、ハイテクへの警戒などさまざまな話題に対してわずかに聞き覚えのアル懐かしい言葉で厳しい意見が語られていた。昼間とは別世界のような静寂の中でそれらの言葉を読んでいるといつも以上にそれらの言葉が頭の中に新鮮にダイレクトに入ってくるようであっという間に時間が過ぎた。3時30分ごろ再び眠気が訪れたので布団に入った。7時30分ごろ目覚めたがいつも以上に眠気が強い。へんな時間に目覚めてしまったせいだろう。朝食をとり、新聞に目を通すと郵政から解散、総選挙と続く一連の動きにおける小泉さんへのアンケート結果が掲載されていた。大方の予想通り世間は小泉支持の色が濃いようだ。まあ当然といえば当然だろう。正義は小泉にある。「正義と嫉妬は同じもので、世間は自分がもらえないものに対する嫉妬に満ち溢れているから新聞は大衆に受けるためにそれに迎合した意見を載せる」とは夜中に読んだ山本夏彦氏の言葉だが、この一連の戦いにおいても小泉以下正義の軍団によって解体されるさまざまな利権にたいする嫉妬はもはや抑えられようもないのである。正義のためには命をも捨てる、過半数を取れなかったら退陣すると言い切った小泉の言葉はなんとも潔いではないか。これこそ日本人という感じだ。忠臣蔵が大好きな日本人にはたまらない一言である。でも忘れないようにしないといけない。ここに出てくる政治家たちはみなわれわれに選ばれた人物なのだ。われわれ以上であっても決してわれわれ以下ではない。離党を覚悟で血判状を書く人、自らの命をたつひと、退陣を覚悟で解散する人、みなこれ選ばれた人々なのである。談合の摘発を大きな成果として取り上げるテレビとそれを自信満々に語る猪瀬氏のような嫉妬と正義への迎合者たちは、その談合があることによって生きることが出来る国民の様子はあまりかたらない。より多くの支持を得られる意見を語り続けることしか許されていないのだから仕方がないが、そんな意見しか聞くことの出来ないテレビや新聞はいかにもさびしいものである。8時30分事務所に下りた。山本とともに東川口の家の現場にて大工さんと打ち合わせ。明日から盆休みであるので、その間の作業確認を行った。12時帰社。休み前にやらなければいけない仕事を終え、日記を書く。

2005/8/9

明日から田村がRDRの事務所から本社のほうに引越ししてくるということで事務所の配置換えをすることに。わずか10坪しかない事務所に7人もの人間がいるのだから少々無理があるのだが小さいには小さいなりに工夫次第で何とかなるもので7個目の机を配置することが出来た。昨日スペースシャトルディスカバリーが無事地球に帰還した。1981年から続くスペースシャトル計画であるがこの機がこれまでの機と比べてどれほどの進化を遂げたのかは分からない。打ち上げの成功とともに地球に伝えられた数々の不安材料はその進化がそう大したものではないことを物語っている。ベルリンの壁が出来た1961年にガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功して以来残された唯一の空間である宇宙への夢は人類共通のものとなっているが、いまだにわれわれ凡人にとって現実的なものにはなりえない。産業革命以来さまざまな進化を遂げてきた人類だがここに来てハイテクの限界に阻まれているような気がする。コンピューターの発展に伴い情報処理能力は高まる一方で現実のモノとしての生産精度には超えることの出来ない限界があるだろうし、また現在当たり前のように利用されている物理法則などにも大きな盲点が隠されているのかもしれない。どちらにしても今後数百年のあいだ、人々の生活が飛躍的に変化するような出来事は無いように思われるのである。どうせ飛躍的に変わらないなら何とか今の状態を維持するようにもう少し人類は地球に遠慮して生きるべきなのではないだろうか。

2005/8/8

郵政民営化法案の参議院での採決が行われるということで、朝からなんとなく世間が騒がしい。13時からの参議院の様子をラジオで聞くもなんともあっけないまくぎれ。この先どうなっていくことやら。

2005/8/6

朝9時より川口の家の打ち合わせ。10時過ぎ打ち合わせ終了。現場にて質問があるとの知らせが入り急遽東川口の家の現場へむかった。特に大きな問題はないようですぐに帰社。続いて西青木の家の解体工事終了後の確認に。隣の家に少々傷をつけてしまったようで丁重にお詫びをする。盆休み明けに補修作業をすることをお約束。引き続き西青木の家の見積もり調整打ち合わせ。終了後、草加の家の打ち合わせ。18時30分終了。

2005/8/5

西青木の家の見積もり作成最終作業。伊奈の家の構造詳細図作成作業などを行う。夜7時より、川口駅近くの松五郎にて暑気払い。総勢10名があつまり楽しい時間をすごした。

2005/8/3

10時より板橋の家の打ち合わせ。午後からは東川口の家の現場対応などを行う。

2005/8/2

田村君にRDRギャラリーで写真の展示をやっているときかされ、見に行ってみる。ギャラリーには芝川再生プロジェクトという池大一氏の進めるプロジェクトの一環である展示がされていた。展示の状況は大体以下の通りである。

・水の滴る音が流れている。

・中央に芝川の写真がプリントされているシーツをまとった簡易スチールベッドが置かれている。ちなみにベッドの足元には芝川で採取したと思われる土の入ったバケツがありベッドの足がそのバケツに入っている。

・そのベッドで寝ている若者の写真がA420枚ほどに分割されて壁に貼られている。それぞれの紙はめくれ上がり大きな一枚の写真は一見ばらばらになっている。

・ギャラリーの外にはプロジェクトの一環であることを示す旗がひらめく。

このパフォーマンスは環境に対する提案的なもので深刻な汚染が進む芝川の再生をアートが先導してやってみようというものである。アーティスト一人のの活動で、本当に都市河川の汚染が食い止められるわけもないのだが少しでも多くの方がこういうことに興味を持ってくれることでその可能性も高まるだろう。それにしてもギャラリーというのは高尚な展示をすればするほど人が来なくなる。つまり敷居が高くなってしまう。それに、一見よく分からないから通りがかりのおば様たちからすればなんじゃこれといった感じになってしまうのだろう。こういうこと、実は私も以前から感じていた。有名人になればなるほどこの傾向は強いのだ。自分のギャラリーで行われている展示がこれでは少々悲しい。5日の金曜日にご本人がいらっしゃるということなので一言伝えなければ。

 

2005/8/1

今日は一日中鳩ヶ谷の家の見積もり作業。

 
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