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2005年
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2005/4/27

東川口の家の図面作成、見積もり作業および確認申請提出。


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2005/4/26

最近の都市型住宅の設計をしていると必ず解決しなければいけない問題があります。。それは収納です。地価の高騰から、敷地の広さは20から30坪という条件になることが当たり前になってしまっている現在の状況の中で、十分な広さの収納を確保するということはプラン計画を大きく妨げることになりうるのです。だからといって、坪80万円もする土地の広さをあと10坪も広げてしまえば簡単に800万円の出費につながるわけですから、よほど裕福な人なら関係ないでしょうが、われわれ庶民には到底そんな無駄なことはできません。解放性のある家、吹き抜けのある家、回遊できるプランの家・・・どれをとっても○○室という特定の名称を持たない遊びのスペースが必要です。そして、それを設けることで始めて実現できる現象であるのです。しかし、どうしても収納スペースなどを設けなければいけないとなるとこれらのあそびのスペースはなくならざるを得ないことになってしまうのです。

私の家には、完成当初収納と呼ばれるものはほとんどありませんでした。そこで自分自身の手により必要最低限のものを造りました。最近も家具を二つほど増やしました。わずか30坪のスペースに7人もの家族が生活しているので、最低限のものは無ければ生活が成り立ちません。しかしもし7人もの家族が物を無造作に集めだしたらこんな小さな家はすぐに物置小屋と化してしまうでしょう。これまでも何度となく増築計画が頭をよぎりました。私の家には1階部分10坪2階部分10坪の合計20坪分の余剰空間があります。ここは今は外部ですが、壁と床を作れば内部にすることも可能です。そうすれば今の窮屈な生活から開放される。そんな考えがこの5年間の間に何度も浮かんできました。しかし、そのたびに自分自身に言い聞かせています。そんなに広い家が本当に必要なのかと。家は作れば終わりというものではありません。完成後には必ずメンテナンス費用もかかってきます。大きな家ではその費用も当然たくさんかかります。そういった負担を背負い込むことが人間の生活にとって本当に幸せなことなのかどうか、私は疑問に感じます。そこで我が家では本当に必要なもの以外は持たないということにしています。たとえばほしい絵があったとしましょう。でももしそれを買ってしまえば必ず次が出てくるのです。それも買ってしまえば・・・。人間の欲求にはきりがありません。ほしいという感情はそれを手に入れた瞬間に多くの場合他のものに移行します。だから我が家ではそういった美術品は極力買わないことにしているのです。見たいものがあったら美術館に行きましょう。そのほうがよっぽど良いものが見れるのですから。洋服もおなじです。何か一つ買ったらひとつ捨てるくらいの気持ちでいればそうそう増えることはないのです。

今は私の家のお話をいたしました。でもこのお話はきっと皆さんにも当てはまることだと思います。すでにある家に暮らしていて、狭いなと感じている方。今住宅を計画していて、収納をたくさん作ろうとしている方。テレビに出てくるような、びっくり収納ハウスを作ることは簡単です。でも床の畳をあげないとと利用できない収納なんて、普段から利用できる人はいません。家作りというのは、ひとつの建物を造る行為を通して住まい手の生活までデザインするようなものです。そのためにまずは自分の生活から、一つ一つデザインしていかなければなりませんね。

2005/4/25

西青木の家の模型作成。プランは決まったものの、ファサードのデザインがまかなか決まらない。もうしばらくかかりそうだ。東川口の家は確認申請作業を進めた。こちらは着々と進んでいく段階なので、もう心配は要らないだろう。

2005/4/23

入院中、入院後を含めて最近セルフビルドや自分で設計したい人からの問い合わせが相次いでいる。これまでもたまにそういう人からの問い合わせがあることはあったのだが、これほどまでに続けざまに来ることはなかった。YAHOOなどでセルフビルドを検索するとますいいは上位に検索される。しかしそれだけが原因ではなさそうだ。そういうことに興味を持つ人自体が確実に増えてきている。これはテレビや雑誌、ネットなどのメディアによる効果とホームセンターなどの流通形態の変化による効果だと思う。情報はあふれかえっている。特に設備関係の建材などはわれわれよりもクライアントのほうが情報をたくさん持っていることも珍しくないし、ネットオークションなどを通じて業者価格よりもさらに安い値段で購入できることもあるようだ。このような状況が進んでいくことは予想できていたことではあるし、私としては非常に好ましい。しかし、建築にはどうしてもはずすことのできない専門的知識もある。これをはずすと大変なことになってしまう。セルフビルドと一口に言っても何をどこら辺までできるのか、何を誰に聞けばよいのかこれを知っている人は少ないはずだ。そこで、わたしは自分のページでこれらの情報を少しずつ開示していきたいと思う。最終的にはセルフビルドハンドブックのようなものになるようにしたいと考えている。

2005/4/22

朝から東川口の家の図面訂正および見積書整理。入院が無ければもう工事が始まっていてもおかしくないプロジェクトだけに早い段階でまとめなければならない。クライアントには大変ご迷惑をかけてしまった。明日の打ち合わせで大方まとまられるだろう。15時ごろ、ますいいプロジェクト02の現場にて遣り方立会い。建物の位置などを最終的に決定した。16時、帰社。引き続き作業に移る。21時作業終了。

2005/4/21

夕方行われる西青木の家の打ち合わせに向け資料の整理などを行う。途中事務所を抜け出して草加の美容室兼住宅の現場へ。クライアントを含め、INAX担当者やガス業者などと打ち合わせを行った。17時、西青木の家打ち合わせ。こちらのほうは方向性が絞られてきたようだ。これまでさまざまなプランを考えてきたが、隣地の方のご意見やさまざまな条件に絞られてこの土地に対する最適な形にたどり着いたのではないかと思う。概略としては、木造9坪×3層のシンプルなプラン。いよいよこれから実施設計に突入する。

夜は、先日購入した「シライセイイチ全集」を熟読。

2005/4/19

朝からますいいプロジェクト02の工事準備作業。途中RDRにて山崎と今後の展開などについての打ち合わせ。午後からは、伊奈の家や西青木の家の打ち合わせ。今日は山田が秩父にある西川材の製材所に行ってますいいプロジェクト02で使用する杉材の選定をしてきた。この住宅では6寸角の大黒柱や巾6寸の高さ1尺の大梁、そして緩やかなカーブを描く杉の太鼓梁などが使われる。それらの材料は地元埼玉で育った木々の中から選定され、そして地元埼玉にて製材される。後日その状況を撮影した写真をアップするつもりだが、材料自体が持つちからを存分に感じることができる建築になるはずだ。積み上げられた丸太を見て単純に幸せな気分になってしまうその感覚が生活の中で味わえたらどんなにすばらしいことだろうと思う。

2005/4/18

6時起床。リハビリのメニューを一通り終え8時に事務所に下りる。入院している間に加わった池上君と初めてまともに会話を交わした。午前中はこれまでなかなか連絡を取れなかった方々へのメールのお返事などを行う。午後からは各プロジェクトの進行状況の確認、スタッフとの打ち合わせなどに過ごした。夜9時30分作業終了。

2005/4/17

昨日、退院。きょうは朝からお見舞いに来ていただいた方々へのあいさつ回りなどを行った。事務所での荷物整理なども終わり明日からの仕事に備える。約4週間入院したわけだが、その間の仕事が非常に順調に進行したことは大きな成果だった。とはいえ、思い通りに行かなかった部分も多少はあるし、ご迷惑をかけてしまった方々にはこれからの仕事でお返ししていきたいと思う。(増井真也)

2005/4/12

手術後19日目。ようやく退院の日取りが決まった。来週の月曜日からは普通に仕事をできるようで、一安心。迷惑をかけた人たちにはこころよりおわび申し上げたいと思う。今日は東川口の家の図面作成に没頭。ここまで回復してくると、医師も看護婦もまったく興味なしというような状態なので、誰にも邪魔されない。夜は、磯崎「建築談議ショーの製塩工場」「建築談議ジョン・ソーン美術館」読破。(代筆:山田)

2005/4/10

手術後17日目。病院で向かえる3回目の日曜日。いつもどおり朝6時に起床し、東川口の家の図面を描き始める。日曜日は診察もなく誰にも邪魔されない。12時まで作業を続け大方の作業を終える。午後からは映画鑑賞。(代筆:山田)

 

2005/4/8

手術後15日目。午前中西青木の家の打ち合わせ資料作成。午後は東川口の家の図面直し。(代筆:山田)

 

2005/4/6


手術後13日目。だいぶ具合がよくなってきて、仕事している時間がどんどん増えてきた。病室はほとんど打ち合わせ室状態で、数時間おきにスタッフやら社長やら誰かしらが来ている。せっかくできていた考える時間も少しずつ少なくなっていってしまう。まあ建築を作り続けているわけだからこれも当然のことだろう。そういえば朝、屋上の広場で大腸がんにかかった60歳くらいの女性にあった。数日後に手術するらしい。痛みはまったくなく検査で気が付いたそうだ。夜もタバコをすいに屋上に行くと、泣きながら一人の若い女性が上がってきた。相手は誰かわからないが誰かに電話している。親族が入院しているようだ。医師に「おそらく明日はないだろうから」といわれてしまい、仕事を休ませてくれと言っているようだった。外来で来ているときにはまったく気が付かなかったが入院病棟に入るとここはまったく別の世界だ。どう思うといわれればそれなりの意見を言うことはできるが、正直今日感じた死への実感はまだ整理ができない。現代に生きている私には、もう一つある別の世界に行くための苦行の世界として人生を捉えることもできなければ、再び生まれ変わるというような仏教観も持ち合わせていない。ハンス・ゼードルマイヤーが「中心の喪失」で宗教の美術・建築界への影響が弱くなった世界を指して、「神なき時代は中心を喪失し、病める近代芸術は個々のジャンルに分裂する」と指摘したように無宗教の時代に生きる人々にとって死のような問題を明確に定義付ける要素はもはや存在しないだろう。アニメの世界において更なる向上への準備段階として描かれる死も、グローバリズムによってヒーロー化されている死もここでは感じることはできなかった。ただただ、この世界との別れということなのだろうか。そういえば私の家族と同居している私の父方の祖母は朝晩毎日、畳の部屋でお経を唱えている。祖母の部屋には大きさ60センチメートル角くらいの高さ1.8メートルのお仏壇も置かれている。部屋の前を通るとほのかに線香の香りがする。最近では私の妻までお菓子や果物を買ってくるとお仏壇に一日お供えしてから食べるようになった。死生観とは案外こんなありふれた日常の中に潜んでいるのかもしれない。3日間で磯崎の建築談議「サン・ロレンツォ聖堂」「パラッツォ・デルテ」「サンカルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂」読破。(代筆:山田)


2005/4/3

手術後10日目。日曜日。大勢の面会者が来る日だ。子供づれ、友達、さまざまな人々が入院している人に会いにやってくる。社会から断絶された病院内ではこういう来訪者がいてくれることが何よりの支えになるようだ。逆に私の場合、日曜日は唯一仕事から解放される日なので、なんとなく気持ちにゆとりが持てる。まあ病院にいても痛くも苦しくもなく仕事をしているわけで、当たり前といえば当たり前なのだが。前にも書いたがこの環境は本当に設計に集中できる。こういう経験は今後の職場作りにぜひ生かさないといけない。人間の思考には2種類の形態がある。一つは議論しているときなどのようにさまざまな意見に思いをめくらせ、自分の考えを確認する。もう一つは一人で脳を動かしているとき、つまり新たなアイデアやデザインを考えているとき。こういう時間が大切なことは日常の中で、分かってはいるけれど意識して作らないとなかなかできない。今回たまたま生じたこの時間をこれからの生活にもつくっていこう。磯崎「建築談議シャルトル大聖堂」読破。(代筆:山田)

2005/4/2

手術後9日目。今日はこれといって変わったことはない。医師やリハビリ指導者なども交代制で休みを取っているそうで治療などもされなかった。磯崎「建築談議ヴィラ・アドリアーナ」「建築談議サン・ヴィターレ聖堂」読破。(代筆:山田)

 

2005/4/1


手術後8日目。今日は何かと忙しい一日だった。午前中はいつものようにリハビリや診察をこなす。途中母と妹が見舞いに来た。昼ごはんを食べ終わると山崎が西青木の家と東川口の家の件で打ち合わせに来た。2時間ほどのうちあわせを終えると担当の医師が着て再び検診。夕方は山田が新人二人を連れて打ち合わせ。本町の家の方針を決めるとともに今後の二人の仕事内容などについて簡単な話しをした。夜は与えられた資料を基に少々作業。11時作業終了。(代筆:山田)



 
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