| 2005/2/26
いくらか具合が回復したので、少し遅れて事務所に顔を出す。机の上にたまっている書類に目を通し日記などをつける。それでもまだ頭は痛いし、設計を出来る状態ではない。はやく何とかしなければ。
2005/2/25
今日は完全にダウン。40度まで熱が上がり医者にもらった薬を飲んで自宅にて療養。
2005/2/24
昨日から何となくおかしかった体調が本格的に崩れだした。熱も39度近くある。今日は帰るだけだからと何とか飛行機に乗り東京に向かう。8時頃事務所に戻ったのだが少々意識がもうろうとしてしまっていた。
2005/2/23
屋久島二日目。今日は朝から大工さんの仕事場にて打ち合わせ。どうもこちらの家の建て方というのは関東地方とは少々違うようで、なかなか一つの答えにたどり着かない。それでも夕方6時頃までかけて何とか大工さんの納得のいく形にまでたどり着いたようだ。納得がいかない工事はやりたくないという大工さんの気持ちはよくわかる。なんと言っても昨年の台風では一つの集落だけで10件以上もの屋根がとばされてしまったのだ。普通の場所ではないという自覚がそれだけ慎重にさせている。こちらもそれを理解しなければ家は完成しないだろう。7時頃からは大工さんのご自宅で夕食をごちそうになった。しか肉のごった煮、首折れ鯖の刺身、どちらもなかなか食べられるものではない。はじめは3人だった食事会も職人さんやその奥さん、通りがかりの近所のおじさん、そして子供たちいつの間にか10人以上の大宴会になっていた。この島には、東京で失われたことをほんとかうそかはしらないけれど悔やまれているコミュニティーという物が確実に残っている。このコミュニティー、実際に経験すると都会人にはかなり刺激的だ。たまたま通りがかったプロボクサーを目指す見習いの大工さんには全員でしかもこれ以上ないくらいの怒鳴り声で「ばかか!」「うそつくな!」を延々と30分以上繰り返す。そこに私が口を挟もう物ならさっきまでその人のことを散々に行っていた人たちが一斉に「よそ者は口出すな!」とくるわけである。警察を目にすることがほとんどないこの島で、車の鍵はつけっぱなし、家の鍵も開けっ放しという現代社会では考えられない風習をもつこの島の安全性には本当の意味でのコミュニティーが生き続けているという大きな理由があるようだ。
2005/2/22
9時半頃羽田空港に向けて出発。久しぶりに浜松町からゆりかもめに乗っている。ビルの谷間の縫うように走るこの電車は1本柱に取り付けられたレールに乗って走っている。天王洲アイルまでの道のりではぶつかるのではないかと冷や冷やするくらいビルたちの近くをはしる。首都高速、建設中のビル群、水門工事、東京ガスのタンク様々な建造物やその工事中の光景が目に飛び込んでくるのだがその光景からは人間の行為の危険性以外何も感じられない。都市は都市を支持する人々の力によって常にその形を変え続ける。確かにその変化を追うことは時代の変化、考え方の変化を反映していておもしろい側面もある。昔からそして今も都市がその時代の象徴としての研究テーマになりうるもの理解できる。しかしあまりにも大きい。あまりにも大きな変化は簡単に受け入れるには少し痛すぎる。整備場駅前で一瞬視界が開ける。そしてモノレールは水面下へと吸い込まれていく。10秒後、再び地上に姿を現すとそこは羽田空港の整備場だ。先ほどまでの喧噪はどこにもない。11時屋久島の家の三宅さんと落ち合う。12時の飛行機で鹿児島まで行きそこで乗り換えて屋久島へ。屋久島は珍しく穏やかに私たちを迎えてくれた。3日に一度は雨が降るというこの島ではそんなことぐらいで結構嬉しくかんじてしまう。空港には一足先に移住生活を始めている三宅さんの妹さんご夫妻がすでに迎えに来てくれていた。その車に乗り込み懐かしい民宿に向かった。
2005/2/18
朝6時30分に茨城の現場に向けて出発。塗装工事、建具工事の打ち合わせを行う。軽トラックに現場で発生した産業廃棄物を積み込ん産業廃棄物積み替え所によりゴミの処分を行った後13時帰社。事務所に帰ると4月からますいいに加わる大阪市立大学卒業の田村君がお母さんと一緒に事務所に来ていた。意匠系研究室出身者には珍しく現場を経験したいとのことだが実際の現場に耐えられるかどうか。14時より西青木の家の佐藤さんご夫妻と打ち合わせ。夏頃の工事と言うことでご契約をいただくこととなった。終了後は事務所にて雑務。
2005/2/16
浦和の現場、所沢の現場にて現場管理業務。
2005/2/15
朝一番より浦和の現場、所沢の現場に向かう。浦和の現場で打ち合わせをすませ午前中には所沢へと思っていたのだが予想外に時間がかかり結局2時頃になってしまった。こちらの方はいよいよ大詰めなので、各仕上げ工事の仕上がり状況をチェックする。石灰クリーム部分にひびが入っていたので補強をしているのだがこちらの方も問題なさそう。現場の清掃をすませ、7時過ぎに帰社。RDRにて山崎と小ミーティングを開いた後10時帰宅。
2005/2/14
一日中事務所にて雑務。
2005/2/13
午前中はグラウンドで休日を過ごす。午後からは上野の国立技術博物館へ。宇宙の誕生地球の進化の過程を見学。建築をやる人間には2種類のタイプがいるようで、大学の建築学科の理工学部を出てくる理系芸術家人間ともう一つは芸大などから出てくる文系芸術家タイプ。私の場合は完全に理系派の方であり、物理化学には少なからず興味がある。特に宇宙の神秘などは非常に興味深いところでありそういうことを詳しくわかりやすく展示してくれている国立技術博物館は一日中いても楽しめる。本館の方は現在改修工事中で見ることは出来ないが新館だけでも全部見て回るのには1週間はかかるだろう。博物館のあちこちにいる調べ物をするブースに座って必至にノートをとっている中学生くらいの少年や説明文を一生懸命読んでいる小学生などを見ていると日本の子供たちの学力低下などはこういうところでは関係ないなという気持ちになってしまう。わからないものを調べるという楽しさを感じることが出来るようになればきっと学力問題なんか解決してしまうんだろう。全国の小学校で導入されている朝の読書の時間というのも落ち着いて考える習慣を身につけるには効果的なのかもしれない。でもきっとそういうことは本来は家で教育するべきことだと思うのだが。地下1階の展示室の中には大きな恐竜の化石が展示してある。ティラノザウルスの頭は私の胴体ほどもあるのだ。海で発生し陸に上がってきた動物たちが次第に大型化してその一部は海に帰っていった。そして陸上では恐竜の世界が作られた。その後には恐竜の絶滅。私たちはそういうことを様々な形で知ることが出来る。では現在の社会における自分の活動は。壮大な歴史の中でいったいどんな意味を持つのだろう。「地球破壊」ただそれだけにならないといいのだが、明確な答えは誰も教えてくれない。
2005/2/12
午前中は事務所にて雑務。14時30分に船橋市で2年前に立てた家のメンテナンス工事の打ち合わせに向かった。家に着いてみるとついこの間見たはずのお子さんたちが大きく成長していた。半年くらい前には見たはずなのだけれど以前見たときの印象と大きく違っていた。子供の成長は日々進行しているんだなあ。自分の子供たちを見ているとなかなか気が付かないけれどきっと彼らもすごい勢いで成長しているんだろう。一通りの打ち合わせを終え、18時頃帰社。19時、東川口の家の打ち合わせ、建築の申し込み契約を終える。こちらの方もいよいよ本格的に始まりそうだ。
2005/2/11
今日は朝から、東川口の家の模型と西青木の家のプランに没頭。やはりこういう作業をしているときが一番楽しい。途中、埼玉テレビの取材の話とテレビ東京の取材のお電話をいただく。こういった話はよくあることなのだがテレビにでるのはあまり気が進まない。何となく流行り物になってしまうような気がする。そうはいってもメディアの影響で家を造る人々のデザイン思考が高まっていることは確かでありそういう活動が継続してくれることが日本の貧相な住宅を変貌させてくれる原動力になっているのだから、依頼があるときにはそれに協力することが礼儀である。建築家が小さな世界でどんなに自分の考えを述べていてもそれは誰にも伝わらない。それに比べメディアの力は非常に影響力がある。デザインの価値を伝えられるならばそれも必要なことだろう。引き続き作業し夜10時頃帰宅。
2005/2/9
今日は朝6時30分頃から、山本が塗装やさんと一緒に塗装やさんの車に乗って船橋の家のメンテナンスに向かった。私はといえば、本当はそのメンテナンスに立ち会いたかったのだが膝のじん帯の診察のために13時30分工業病院に出向いた。日常生活にはもうほとんど支障がない状態まで回復しているのだが筋力が左足の80%くらいまで低下しているらしい。約1ヶ月かけて回復するようにリハビリの指導を受けた。15時頃帰社し、午前中に引き続き東川口の家の模型作成、西青木の家のプラン作成などを行った。
2005/2/8
午前中より夕方の打ち合わせに向けて準備。16時、越谷ビルのプレゼン。17時終了。
2005/2/7
朝10時頃鳩ヶ谷の本多さんのお宅に訪問。階段手すりの改良案の打ち合わせを行う。11時帰社。その後は病院に診断書を書いてもたっらり、自宅の改修案を考えたりと雑務をこなす。
2005/2/6
今日はいつものラグビーをする日曜日とちょっと違う。長男の音楽発表会とやらで小学生の時以来20年ぶりくらいに市民会館に連れて行かれた。集合会場には300人の子供たちとその倍以上の大人たちが集結。長くいることがつらそうだったので、妻と子供を残し隣の図書館に逃げ込んだ。15時頃長男の出演時間が近づいたので、会場に足を踏み入れた。あらかじめくじ引きで席が決められていると言うことで、その席に行って見ると子供の姿ははるか彼方。それでも日頃見慣れた子供の姿は何とか判別できる物だ。ふと気が付くと会場のあちこちに不気味な光が輝いている。人の頭の3分の1くらいの割合でその物体は光っている。なんとそれらはすべて家庭用ハンディカムビデオだった。多くのお父さんたちは狭い座席のまたの間に三脚を立て必至に子供の姿を追っている。幼稚園の先生が作成したパンフレットを見るとなんと子供たちの様子を撮影したDVDの販売会まで開かれると書いてある。子供は確かにかわいい。でもこの現象はいったい何なのだろう。(増井真也)
2005/2/5
夜7時頃から東川口の家の打ち合わせを大島さんのお宅で行った。私たちの暮らしぶりを見てくださいと言われておじゃましてみたのだが、まるでギャラリーのような家に少々驚いた。壁には手作りの棚があり小さなおもちゃたちがきれいに飾られている。飾りきれない物がまだたくさん実家に保存してあるらしい。そういえば浦和の家の南さんもミニカーを集めている。私たちが建築の写真集を収集してその図書の充実度に満足してしまうことと同じようなことなんだろうな。
2005/2/2
今日は一週間ぶりに茨城の現場チェック。内部の木下地工事はほぼ終了し、いよいよ塗装工事や左官工事に移行していく。これからの進行が楽しみだ。2時頃事務所に戻り、RDRへ。昨日から続く模型作業の続きを行うとともに草加の美容室兼住宅の見積もり作業。またまた予算オーバーに苦しめられる。あと100万円の壁がなかなか越えられない。
2005/2/1
我が家の前にはあまり木箱という箱がある。普段は何も入っていないのだが現場であまり木が発生すると結構たくさんの木が入れられる。こんなにたくさん入れたってどうせなくならないだろうと思っていると予想に反していつも二日間ぐらいできれいになくなってしまう。ますいいの家造りでは無垢材を中心に使用するためこのあまり木箱の存在を知っている近所の日曜大工愛好者たちには格好の材料仕入れ先となっているようだ。スプルスやひばなどの造作材ばかりを入れておいたときなどはその日の夜中にすべてなくなってしまっている場合もあるし、小学生が嬉しそうに自転車のかごにいっぱいの木を持って帰るときもある。たまにその場面に出くわすと今度はこういう材料を探しているんだけどなどと注文をつけられることも。今回は所沢の現場で発生した面材を中心に入れてみた。面材とはシナベニヤとかランバーコアなどの材料で実際の工事現場では棚板や箱物の家具などを作るときに使われる。木取りの関係で現場ではどうしても利用できないのだけれどどう見ても捨てるには惜しいものたちばかりだ。無垢材ではないのでなくならないかなと思っていたのだが、これまた予想に反して着実に減少していった。いつもよりペースが遅いのはきっといつもの長物に比べると大きくて扱いにくいイメージがあるからだろう。何日もかけて我が家のあまり木箱の前で実際の利用方法を考えている人たちがその板を持って帰ったときにはきっと何かすばらしい製品のイメージができあがっているに違いない。本来ならゴミとして捨てられてしまう材料たちが、違う場面では立派にその役割を果たす。こんな小さな活動でもその意味は大きいように思う。でも、「次は古材をよろしくね」と言って帰っていった勘違いおじさんの希望には答えられないだろうな。
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