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2005年
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2005/10/31

屋久島二日目。昨日に引き続き上棟の作業がおこなわれている。現場にて棟梁の久保田さんと待ち合わせをして打ち合わせ。その後久保田工務店の事務所に出向いて設備などの詳細打ち合わせを行った。打ち合わせが終わったあと、先日屋久島に家の設計をしてほしいと相談に来た方の土地を見に行った。偶然にも久保田工務店のすぐ近くで棟梁にその旨をお話してみたところ工事のほうは任せろとのお返事。正式に決定すればこれからもしばらく屋久島での活動が続きそうである。
18時の飛行機に乗り12時ごろ帰宅。 
 
 
2005/10/30

朝6時ごろ家を出発。7時20分ごろ羽田空港第1ターミナルに着き鹿児島経由屋久島行きの手続きを済ませた。8時発予定のJAL機は最近のトラブル続きで慎重になっているのか、出発時刻が少々送れた。鹿児島に着くと屋久島行きの飛行機が乗り継ぎの私たちを待ちかねていて大急ぎで乗換え。その後1時間ほどして、少々あわただしく屋久島空港に着いた。
屋久島に着くとこれまでのあわただしさがうそのように一瞬にして消え去った。気分一新そこはのんびりとした島の雰囲気で、時間も急に屋久島時間に変わってしまった。空港には一足先に屋久島入りしていた三宅さんが迎えに来てくれていてた。三宅さんの隣には見たこともない初老の男性が座っていて三宅さんと親しく話をしている。後で聞いた話では同じ民宿に泊まっていた方でたまたま私の来た飛行機とその方が帰る飛行機が同じだったので、送って差し上げたということだった。この島ではそのような奉仕の精神は珍しくなくついでだからといって隣の人の買い物までしてくれるようなところがある。魚が取れたら魚をくれて畑で取れたものを配ってくれる人もいる。だからみんな自分も何かしなければと果物畑を作ったりさまざまなものを日常生活の中で生み出す。本土からの物資の購入費が高いだけに島独自の物流が出来上がっているのであろう。
広島から来た2世帯の親子がやっている洋食屋さんで途中昼食を済ませ、現場に向かう。現場には久保田棟梁の弟さんをはじめ総勢15名くらいの職人さんたちが作業をしていた。この方々、実は大工さんは5名くらいしかいない。それ以外の人は電気屋さんや建具屋さんはては近所の不動産屋さんの社員まで混じっていて要するに寄せ集めの作業集団。でもみんな手馴れたもので一人ひとりが自分の役割を懸命にこなしていた。以前集落における結いという助け合いの研究をしているという芝浦広大の学生さんがインタビューに来たことがあったのだがこういう小さな島だからこそそのような結が昔のまま残っているのである。そこに賃金で縛られる関係はなく上棟といえば当たり前のようにお手伝いするのである。私には分からないがほかにもそのような風習がたくさんあるに違いない。お金に縛られない生活、そんなものがこの島にはある。その代わりお金なんかよりももっと強い人間関係に縛られなければいけないのは当然でそれが嫌な人にはなかなか大変なことも多かろう。
そんなことを考えながら大工さんたちの作業をしばらく見学させてもらう。すべての部材が手刻みでプレカットなどというものを利用していないので、済み付けをした大工、森将太郎さんは大忙しである。ちょっとの具合でおさまらないところがあると森さんがすべての手直しをする。ほかの人はそれが終わるまで余計な手出しはしない。責任者が自分で納得のいくようにきちんと直すまで待っているのである。そういう点この集団はただの寄せ集めではない。事細かにさまざまな序列が出来ていて紙には書いていないけれどそれをみんなきちんと守っているのである。「結い」、美しい言葉だがそこには厳しい人間関係が隠されている。
夕方6時ごろ作業の区切りが付くと久保田さんのお母さんや奥さんそしてお子さんたちが現場にねぎらいの準備を始めた。今日お手伝いをしてくれた方々をねぎらうための会をささやかに開き、作業について話し合いをし、また明日も手伝いに来てもらう人とは打ち合わせをしている。もし施主が島の住民ならこの会は施主が主催するだろう。今回のように移住者が施主では主催することはなかなか難しいのでこのようなケースは例外だと思う。われわれも招かれてしばし歓談。7時ごろ宿に戻り食事をした後いつもより早めに休んだ。

2005/10/26

いよいよ週末屋久島の家の上棟ということで朝から上棟後のスケジュールについて山本と打ち合わせ。どうやら最低7回くらいは足を運ばなければいけないことになりそうだ。始める前は全部で5回くらいいけば何とかなるのかと考えていたのだが、やはり地元の大工さんに作ってもらうとなると回数を増やさざるを得ない。というのは島の大工さんは施工図の作成もしてくれなければ、工程表も作ってくれない。契約工期も平気で延期するし、とにかく勝手気ままなのである。島時間などと呼ばれる風習まであるようで待ち合わせをしても1時間くらいは平気で遅れる。そんなのどかな大工さんたちを管理しようとすればやはりこちらから足を運ぶしかないわけで、これはなんとも予想外。
10時ごろ近くで喫茶店をやりたいとの方からご相談。11時終了。
午後からはRDRにて土曜日の安達の家のプレゼン及び伊奈の家の図面作成についての打ち合わせ。17時ごろ終了。
夜は事務所にて雑務。


2005/10/24

今日から私の家の3階木造部分の耐震補強工事をはじめるので大工の斉藤さんがくることになっている。7時40分ごろからそろそろ来るのではないかと思い外に出て待っているとまもなく白いハイエースに乗った斉藤大工親子がやってきた。お父さんはほかの現場があるということですぐに行ってしまったので斉藤さんに仕事内容を説明した。作業内容としては筋交いの入っていない壁に筋交いを入れること、そしてキャンチレバー端部にある引っ張り鉄筋棒を再度締めなおすための点検口を作ることである。予定では4日ほどの作業になると思われるのだがまずは初日筋交いの作業を始めることとなった。作業が軌道に乗ったところで13時ごろ事務所に戻り山崎と打ち合わせ。14時過ぎ投資目的で集合住宅を建てたいという方が相談に来社。15時ごろまでお話。19時、上尾の家の打ち合わせ。22時終了。

2005/10/22

午前中は事務所にて来週月曜日に控えている上尾の家のプレゼン用資料の準備に手を動かす。隣の席では13時から始まる安行の家の打ち合わせに向けて山田が最後の追い込みをかけている。こちらのほうも打ち合わせの進行状況の確認、今回提案事項の確認を行ったが大体よい方向にまとまりつつあるようだ。
11時ごろ山崎が神戸に向けて出発。友人の歯科医師より診療所の設計の相談を受けているということでそのプレゼンテーションに向かった。多くの建築家の意見として友人の仕事は難しいという。どのような態度で臨むべきかよく話をしてから出かけたもののどうなるやら心配である。
13時過ぎ安行の家の打ち合わせ開始。15時ごろ終了。大体の方向性が確定したようで一安心。これで更なる改善案をじっくりと考えることが出来る。
15時30分秋葉原にある旧練成中学校というところで開催されていたジャン・プルーべ展を見に行った。廃校をギャラリーとして一次利用しているようで、中に入ると学校の教室をそのまま利用して作品が展示してあった。内容が内容だけに学生風の方が多かったが、そこそこに楽しめるないようだった。しかしなんとなく物足りなさを感じたのは、以前購入したTOTO出版から発売されている「ジャン・プルーベ」以上の内容がなかったこと、そして家具はさておき建築はやはり本物に勝るものはないということだろうか。レプリカの薄肉鉄板の構造を見ているとよほどのメンテナンスをしなければ長期利用には耐えられなさそうなはかなさやもろさを感じるのだがプルーべの建築は実際にはどれほどの耐久性があったのだろうか。機会があれば調べてみたい。

2005/10/21

朝9時に鳩ヶ谷の関邸にて防水のメンテナンス工事に立ち会う。12時ごろ作業終了し事務所へ。終日雑務。

2005/10/17

今日も天気が優れない。先週の土曜日に予定していた上棟作業を今週の木曜日に延期したのだがこの調子ではどうなることやら。午前中から夕方にかけて上尾の家のプレゼン資料作成。同時に足立の家のプレゼン用打ち合わせを行う。夜は地域活動に参加。

2005/10/15

今日は山田と田村が休んでいるので、なんとなく事務所が静かだ。というもの昨日から池上がRDRアトリエのほうに引越しをしたのである。小さな事務所にぎゅうぎゅうづめだったこれまでと比べると一人いないだけでもものすごく広々と感じられる。それにもまして二人のスタッフが休んでいる今日はちょっと哀愁すら漂うような雰囲気だ。
昼間は大雨ということもあり現場には行かず事務所にてさまざまな雑務をこなしていた。夕方親戚の叔父さんのお通夜に出席。享年71歳ということだった。このおじさん私の祖父の弟に当たる。早くから親を亡くし長男だった祖父にとって年のはなれた叔父さんはまるで子供のようで今私の事務所があるこの場所で機械化工業を営んでいた時代、工場の一部をおじさんに貸して仕事をさせてあげていたそうだ。そういえは小さいころに工場に遊びに来るとおじさんがパチンコの景品でもらったチョコレートや飴玉をいつも私にくれた記憶がある。深い事情がまだよく理解できない小学生の私にとってこの叔父さんはパチンコとタバコの大好きなおじさんでしかなかった。それからしばらくして私の父は別の場所に工場を建てた。そういう理由だけでなく中学生そして高校生となった私は次第に親の仕事場に顔を出すことも少なくなりおじさんとも疎遠になっていった。たまに体調が優れないらしいよとか親が口にしているのを耳にすることはあったのだがわざわざ見舞いに行くこともなかった。
そして今日のお通夜。親族の席には叔父さんの3人の息子さんとともにそれぞれの奥様そしてたくさんの孫たちが座っていた。こうして全員並んでいる様子を眺めるとお孫さんたちは全員同じ顔に見えた。祭壇には話をしたこともない同じ苗字の増井○○さんの名前が並んでいる。そこにはこれまで意識をしたこともなかった歴史があった。たくさんのお孫さんたちに囲まれて旅立ってゆく叔父さんの姿を見ているとそういう歴史を作ることが人生のもうひとつの目的なのかななどと感じた。事前にお墓も写真も用意していたというおじさんが自慢げに「幸せだったよ」といっているように見えた。

2005/10/14

13時ごろ同年代の絵描きさんより家を建てたいとの相談を受ける。なんでも奥様もアーティストだそうで二人分のアトリエと小さな住まいを作りたいとのことであった。1時間くらいお話をして、土地が見つかったら是非応援しますとのお約束をした。15時、昨日に引き続き里の関さんの家にアフター点検。今日は防水屋さんと立会い。16時ごろすでに作業を終えてかえる準備をしているとちょうどそこに学校帰りのお子さんが現れた。背の高い今風の中学生の姿のなかに、一瞬私が知っている小学生時代の彼を思い出すことは出来なかった。遠くから歩いてきた彼がまさにこの家の玄関ドアを開けた瞬間、やはりそうかと確信が持てたのだがそれにしても時のたつのは早いものである。ある程度の年を取った人と3年会わなくても何も換わらないことが多いが子供の場合はそうは行かない。ぜんぜん違うのである。特に中学生になるときの男子の成長振りは目を見張るものがあった。そんな彼の成長振りを見て、この家を建ててからこれまでの出来事を思い浮かべざる終えない夕暮れのひと時だった。


2005/10/13

午前中、RDRにて事務所スタッフの賃金規定についての打ち合わせを山崎とおこなった。一人ひとりの面接が必要だということになり昼休みは山本との面接。13時帰社。しばらく事務所にて雑務を行い、15時鳩ヶ谷の関邸にてアフター点検。大工の斉藤さんとともに問題箇所の点検を行った。18時、川口リリアにて浅田次郎講演会に出席。浅田次郎の本は3年ほど前にかなり読んだ。向田邦子に見られるような戦前の日本の面影や風習そして考え方というものを日常の生活の中で見せるのではなくてタイムスリップした別世界の中や人の記憶の世界の中に戦中や満州での得意な体験記を描く手法は読んでいて大変楽しいものだ。最近では壬生義心伝やつきがみなどの時代物を書いているようだがこれを機に再び読んでみようと思うとともに、この人も古きよき日本に取り付かれている人間の一人だなとの感想を持った。21時終了。RDR事務所前にてギャラリーを担当している真理子さんとしばらく打ち合わせ。21時30分帰社。

2005/10/10

体育の日。この日は昭和39年に日本で初めて開かれた五輪大会、東京オリンピックの開会式がおこなわれた日を記念している。 なぜオリンピックの開会式が10月10日になったのかというと 日本の観測史上いちばん晴れる確立が高かったのがこの日付けだったとのこと。この特異日はいまでも継続中ということだが今年はどうやらそうはならなかった。昨日に引き続いて秋雨らしいシトシト雨が降り続けている。

今日は祭日ということで現場もそれほどは動いていなく珍しく朝から所員全員事務所にそろっている。私はといえば急ピッチで進めなければならない伊奈の家の詳細設計をつめる作業を午前中いっぱい行った。途中、SYMの慎さんが送ってくれた平塚の家の資料を見ての感想をメールにて送付。午後は、社長とともに東京都現代美術なんで行われているイサムノグチ展を見に行った。これまで実物の作品を目にしたことはなかったので作られる作品の印象が年齢とともに変化していく様子に新鮮さを覚えたとともに、地球を彫刻するという言葉が表すような公園のデザインに非常に感動した。17時ごろ帰社。メールをチェックすると早速SYMの慎さんより返事が届いていた。他者の作品の講評とは意外なほどに体力を使いそしてまたそれに対してどのように感じたかが非常に気になるもので、その内容を3回くらい読み返した。夕方から夜にかけては本日あった近所の土地を購入するかどうかの相談に対する考察をめぐらす。


2005/10/9

今日は息子の運動会が開催される予定だったのだがあいにくの荒天のため週明けの火曜日に延期された。というわけで、急遽時間が出来、両国にある江戸東京博物館に足を運んだ。菊竹清訓による設計のこの施設に関してはあまりよい評判を聞かないのだが東京の成り立ちを知るのには非常に適している。約3時間ほど常設の展示を見学して帰路に付いた。ほか特になし。

2005/10/8

朝9時より足立の2世帯住宅の打ち合わせ。今回で3回目となるのだが前回の提出案に対する要望をうかがうという形で進行した。10時30分ごろ終了。

11時10分ごろ板橋の三角の家へ向かう。今日はLIVESの取材。三角の家に着くとすでにカメラマンさん、そして編集者の佐藤さん、ライターの守本さんが取材を開始していた。あいにくの曇り模様の中、佐藤さんとカメラマンさんは撮影を進行している。守本さんと私と施主の田中さんはリビングのテーブルに座ってフリートーク形式の取材をすることになった。机の上には小さなボイスレコーダーが置かれ家作りの経緯とかコンセプトなどいわゆる取材のための会話が展開された。約30分ほどで終えると今度は普通の雑談。13時30分ごろ一足先に退席。それにしても三角の家は行くたびに魅力的になっていく気がする。今回はアイテムのひとつにイームズのLCW(黒)が加わっていた。別に高いいすがあればよいというわけではないのだがこういうもののセンスは大切で、住宅は結局のところ住む人次第だなという気がした。むしろ田中さんは私なんかよりよっぽど洗練されたセンスの持ち主であるので、こういうところは学ばなければいけないな。14時一時帰社。

15時、東川口の家にて施主への引渡し後の説明。いくつかの手直しを約束して16時帰社。18時、伊奈の家にて新しい案のプレゼンテーション。挑戦的な計画であったもく箱はその材料のコストと性能のバランスを考えると採用することを見合わせざるを得ないものであった。特に材料支給組織のNPO団体からは当初予測されていた値段よりも100万円近い増額を提示されたのだが、そのコストではちょっと採用するのには無理がある。3ヶ月に渡す製図作業はほかの形で報われる日が来るだろう。ということで、来週からまたゼロからの設計作業スタートである。

2005/10/6

RDRにて開催中の山村克嘉写真展を見た。へこんでいる看板、浮浪者、古いトヨタクラウン、モザイク模様のような団地のファサード、何気ない風景の中に潜むさまざまな記憶やドラマを感じさせるものだった。そのまま蕨の家の現場管理について山崎としばしの打ち合わせ。建具の枠、家具工事などいよいよ佳境に入ってきている。ここを無事乗り切ればいよいよ完成と¥なる見込み。もうしばらくは細心の注意を持って管理することが大切だ。

2005/10/5

11時ごろから西青木の家の現場にて施主打ち合わせ。窓がひとつ追加になった。明るさ自体は十分な気がするのだが特定の光に対する強い思いからそうなった。そういう気持ちも分かるような気がするので追加することで決定。13時ごろ終了。17時30分、上尾の家の打ち合わせ。19時ごろ終了。

2005/10/4

今日は予定されていた建築司会の講習会をキャンセルして、計画の見直しを迫られている伊奈の家のスタディーを終日行った。この家は木質パネル工法の家として計画されていたのだが、最終見積もり段階での材料の思わぬ値上げにより計画を見直すことになった。今週いっぱいで何とか結論まで達するだろう。夜9時ごろ第2案のスタディー模型を確認して作業を終了。

2005/10/3

朝から蕨の家の現場チェック。現場に付くと床材が運び込まれていた。明日からは床工事、木枠工事、壁下地工事に入っていく。これから2週間くらいのうちに家の形がほぼ出来上がるというわけで、今の時期が一番管理を必要とする。山田、田村とともに入念な打ち合わせを行う。

終了後、事務所前の花壇をひとつ撤去して来客用の駐車場を作った。5年前に植えた榛松をチェーンソーやバールで撤去するのには少々骨が折れたが夕方には砂利を入れて作業を終了した。かかった費用は占めて砂利代の3000円と工具代の5000円のみ。やっぱりセルフビルドは安い。

夕方鳩ヶ谷八幡木の家の基礎工事鉄筋状況チェック。こちらのほうは順調に進んでいる。まだこの段階なので何の問題もないようだ。夜はRDRにて山崎と今後の相談を行った。夜9時ごろ終了して帰社。


 
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