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2005年
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2005/1/29

今日は朝から所沢の現場のセルフビルドのお手伝いに向かった。10時頃現場に到着するとすでに御施主さんが作業をしている。早速準備をして作業にはいる。作業をしていると途中からお父さんがお手伝いに来てくれた。先週も半分以上やっていたこともあり、今日の作業は3時頃には終了。最後に現場の片づけをして事務所に戻った。途中材木屋によりあまり材を返却。18時30分、帰社。その後雑務。

 

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2005/1/28

終日、越谷のテナントビルのプレゼン資料作成。

2005/1/27

私は最近いろいろなものを節約している。一つは事務所のエアコン。東京電力の電気料金が1KWあたりだいたい21円程度そしてエアコンの電気使用量が1000W程度なので、1日8時間使用すると月々5000円程度の節約になる。それにこれまで寝るときは毎日つけっぱなしにしていた寝室のエアコンもつけないことにした。私の部屋はこの家の3階の7m跳ね出した部分にあるので、信じられないほど寒い。やぱり下の階がないということはこれほどまでに寒いのかと感心するほど、ひどいときになると床板の隙間から冷たい風が吹き込んでくるほどこの部屋は寒い。そういうわけでこれまでこの家に住み始めてから5年間あまり冬になると毎日エアコンをつけっぱなしで寝ていた。それを先週限りでやめた。その代わりといっては何だが、断熱材入りのマットレスを購入しその上に布団を敷いて寝ることにしたので心配にはおよばない。ほかにもいろんなことを節約している。風呂に入ったときにシャワーを浴びるのをやめてみた。だいたいいつも最後にはいるので、風呂桶の中にあるお湯をすくって体にかければシャワーはいらない。花に毎日あげている水も雨水の利用を考えているがこれはまだ実現していない。考え続ければほかにもいろいろなことが浮かんでくるはず。どうしてこれほどまでに節約を考え出したかというと、別にお金に困ってというわけではない。そういう生活がしてみたいのだ。この都会の中で電気のない生活がしてみたい。そしてガスのない生活がしてみたい。

私が小学校1年生まで生まれ育った家はそういえばぼっとん便所だった。小さな私にはもし落ちたら決してあがってこれないほどに深く見えた。くみ取り式だったので、実際に2mくらいの深さはあったと思う。その当時よく遊びに行った祖母の家は薪のお風呂だった。夕方になると一日おきくらいに薪をくべてお風呂を沸かす。風呂桶の隣には熱いお湯をためておけるもう一つの桶があり風呂がさめてしまったらそこから足し湯をする。まさに人間追い炊き機能。その家は3人兄弟で、風呂炊きの役割は一週間おきにやってくる。一番上のお姉さんはまじめだからきちんとわかす。真ん中の娘は少々さぼりがち。時々末っ子の弟を脅して手伝わせる。そしていつの日か毎日お姉さんがやるようになってしまった。なんてことは私はわからないのだがまだ幼かった私の母そして叔母と叔父の間ではこんなやりとりがあったに違いない。

人々は不便な生活の中でもそれが当然のこととして喜々として生きていただろう。今、住宅は大量消費社会の製品に成り下がり、その住宅の中ではやはり便利さを追求した消費生活が営まれている。年末に滋賀県の実家に帰ったときに妻の母が息子に手編みのセーターをプレゼントしてくれた。少しばかり遅れて滋賀県に帰った私は真っ先に息子の着ていたセーターに目がいった。決して上等ではないが何かが違った。一編み一編み手で編まれているちょっと大きな編み目が逆に新鮮だった。私が小さな頃には私の母もよく刺繍をしてくれたのを思い出す。幼稚園のお弁当を包む袋一つとってもそこには何日もかけて編み込んだ刺繍がいくつも付いていた。遊び着にも破れたズボンのアテにもそんな手の込んだ装飾をこらしてくれていた。私の家には大きな机に装着されている大きなミシンがありそこに座って作業をしていた母を思い出す。先日妻にミシンを買って欲しいとせがまれて、思わずブラザーの自動刺繍機能付きコンピューターミシンを、しかもインターネットの価格ドットコムで検索して購入してしまったことを今は恥ずかしく思う。

なぜそれほどまでに人は便利さを追求するのか。100年前、1000年前いつの時代に生きる人も現在の人もそれほどには変わらない。それに今の時代に生きている人もこの日本を離れればいまだに私が知らないような時代の不便な生活を当然のように送っている人が何十億人もいるのである。デザインも時代の商品に成り下がり建築家たちは有名ブランドの商品を展示するための近い将来破棄されてしまう建築物をこぞって造っている。優秀な頭脳を持ちながら建築をやめてしまった森川嘉一郎氏の苦悩が今は切実にわかる気がする。そんな建築家として生きていくことを生涯の目標とすることのむなしさ、きっとそんなものを味わってしまったのだろう。

私が建築をやりたいと思ったのはなぜか、ふとそんなことを考えてみる。ものを一つ一つ積み重ねていくことに対する喜び。はじめはそんな程度のものだった。デザインとか流行とかに対する興味があったわけでもなく、またはやりの建築家という呼び名に対するあこがれがあったわけでもない。ただ自分の生き方として実体のあるものに関わり、実際の人間に関わり一つ一つものを構築していく喜びを味わいたいと考えていた。そしてそういう思いが現在も強く存在している。セルフビルドを施主に勧めるとき私はそういう喜びを味わって欲しいと願っている。たくさんの人がただ住むための箱を購入してしまう時代に私に頼んだ人たちだけには自分の家を自分で造る喜びを味わって欲しい。そんな願いを強く思っている。

昨年よりますいいには山崎という男が参加している。私の大学の同級生で、私とは違い純粋な設計畑を歩んできた男だ。デザインに対する考えは深く、ものつくりに対する考えは発展中というところか。しかし彼の存在によりますいいの住宅の設計レベルは確実にしかも急速に発展している。彼との共同作業の中で、優れたものを作り出す作業に純粋に喜びを感じるし彼もきっとそういうことを感じてくれていることと思う。別に内輪でほめあって満足するわけではないが、ものを作ると言うことをもう一度真剣に考え直してみたい。機能的な住宅、快適な住宅、明るくて清潔な住宅、・・・はやりのキーワードから連想される住宅はどれも単純でつまらない。人の手作業によって丁寧に作り込まれた住宅。その言葉からは何とも言えない味わい深い建築が姿を見せる。その、いまだつかみきれないけれど何となくわかってきた姿を作るべく思考を巡らせてみることにしよう。少し不便な生活がきっとその思考を手助けしてくれることだろう。

 

2005/1/24

午前中は東川口の家の作図作業などを行う。14時、越谷のテナントビルの相談。15時頃までお話をし、終了後早速敷地調査に出かけた。一通りの調査をすませ、18時帰社。2週間後のプレゼンに向けしばらく打ち合わせ。19時頃屋久島の家の施主である、三宅さんより電話をいただいた。なんと、半年近くすっぽかされていた屋久島の大工さんが見積もりを郵送してきたとのことだった。しかも金額はこちらの希望の1500万円。どうなることかと心配していたのだが、これは待った甲斐があった。とはいえ同封されてきた手紙には約束の7月に完成させることが出来なくなってしまったことに対するお詫びがただただひたすら書いてあるとのこと。うーん。屋久島時間が存在するとの話は聞いていたのだが、ここまでひどいとは。でも少しだけうらやましくなってしまうのは私だけではないはず。そういえばこの大工さんとの初めての待ち合わせ、約束の時間の7時に間に合うように飛行機を乗り継ぎ屋久島に行った私に、「よっぱらっちゃたから明日なあ」と電話一本でキャンセルされたことを思い出した。わずか2万人足らずしか住んでいない小さな島。同じ地球に乗っかって、同じように回ってる。東京との違いは何もない。同じように日が昇り、同じように日が沈む。使っているカレンダーも同じだ。なのにこの違いはいったいなんだろう。アラスカの大自然の中にいた動物たちはそういえばゆったりとしてたっけ。見ているこちらもゆったりと。ゆったりゆったり見ていた熊は怖いものでもなかったなあ。依頼してから半年後に出てきた見積書。これは普段ゴミのように捨てられているものたちとは何か違うぞ。屋久島への通行手形か、はたまた。。。

2005/1/21

今話題の朝日新聞を取っているのだが、朝刊の記事でおもしろいものを発見した。埼玉県子供動物公園園長募集。何でも、つぶれかけた動物園の建て直しを民間人の知恵を借りて行うらしい。ここは一つ応募してみるか。つぶれかけた日本経済は救えないけれど、つぶれかけた動物園くらいなら何とかなるかもしれないぞ。なんてことを考えながら今日もまじめにお仕事をしてしまった。(増井真也)

2005/1/20

一日中、東川口の家の模型作りに没頭する。夜、日本経済破綻の可能性のニュースを見る。まだまだ現実味はないがいつ起きてもおかしくない状況にあるらしい。自分の生活とはあまりにもかけ離れた状況。私が出来るのは価値のある建物を増やすことくらいか。(増井真也)

2005/1/19

午前中は事務所にて雑務。東川口の家のスタディーなどを行う。昼頃、川口市内にあKAWAGUTI ART FACTORYにて高野さんの個展を拝見。KAWAGUTI ART FACTORYは川口市内にある古い鋳物工場跡地に数人のアーティストが集まり、制作活動や、個展を開催したり時には大きなイベントを行ったりする場所なのだが、高野さんもそこで活動するアーティストの一人。会場には日動画廊所有らしい石膏像が2体と小さなオブジェが置かれていた。高野さんの作品を見るのはこれで3回目なのだがいつ見てもおおらかな作風がすばらしかった。(増井真也)

2005/1/16

いくつかの予定が入っていたのだが、すべてキャンセルして自宅にて風邪を治す。一日おとなしくしていたらほとんど回復したようだ。(増井真也)

2005/1/15

午前中はますいいプロジェクト01で完成した鳩ヶ谷の本多さんの家に伺った。すでに住み始めて数ヶ月、家の中では確実に本多さんの世界ができあがっている。そこに住んでいる中で出現した希望や疑問などにいくつか答え、階段手すりの改良を宿題として持ち帰ることとなった。午後は、東川口の家の打ち合わせ。前回とは全く違うプランをお見せしたのだが、大変気に入ってもらえ合格。(増井真也)

2005/1/14

昨晩所沢市役所より現場の隣の家にゴミが散乱しているとの連絡があり、きゅうきょ山本と二人で現場に向かった。現場に着いてみると確かに隣の家の庭にゴミが散乱している。二人で掃除してきたのだが、ゴミの中身は近隣のハウスメーカーのものだった。まったく高いお金を取っているんだからそれくらいのことはしっかりやって欲しいものだ。とりあえずそのメーカーに苦情の電話を入れて事務所に戻った。午後7時まで事務所にて雑務。夜、RDRに行ってみると本棚に小川洋子の「博士の愛した数式」が置いてあった。前から読みたいと思っていた本なので、事務所に戻って何となく読み始める。読み始めると浅田次郎に似たリアルな社会との接点が曖昧な独特な世界に引き込まれ、結局12時までかけて全部読んでしまった。自然科学としての数学の神秘、記憶喪失、小説とするにはあまりにも難しい題材を卓越した筆力で見事にしあげている。最後の博士とルートの抱擁シーンには思わず涙してしまった。希薄な人間関係、増え続ける自殺・・・このような社会現象は豊かさとグローバリズムがもたらす弊害だ。人生の価値を見いだすことさえ難しいこの社会で、人に対する優しさ、人生の大切さを感じさせてくれるこのような小説は非常に価値のあるものだろう。先日デザインルームで開かれていた個展の中にもこのような社会現象に対する警鐘を示唆するものが多く含まれていた。芸術家は非常によく社会を見ているもので話をしていると実社会にまみれた自分の俗人間ぶりに嫌気がさしてしまうのだが、少なくとも自分が作る建築の中では確固たる物質として人間らしさを表現していきたい。(増井真也)

2005/1/11

午前中は事務所にて雑務。昼から茨城の現場に向かう。6時頃事務所に帰ってきて、調子の悪いパソコンの修復作業。10時過ぎどうやら完全に直ったようだ。(増井真也)

2005/1/10

朝起きていつも通り事務所にむかうと、いつもより少し町が静かだった。そういえば今日は祭日。正月早々3連休をとっている人もいるんだろうな、などと考えながらいつも通りメールのチェック。自然と毎朝の習慣になったこの動作をいつも通り行ってみると、昨日は付かなかったパソコンが今日は機嫌良く起動してくれた。なんだかんだ言っても、これが付かないと一日が始まらないような気がしてしまう。パソコンの電源が起動した瞬間というのは、自分と世界をつなぐアンテナをスーとのばした感じ。常時接続のネットがつながると、脳の中に様々な情報が飛び込んでくる。しばらくはゆっくり画面に見入っている。誰かが来て欲しいと言っている。誰かが何かを尋ねている。ニュース画面では今日もスマトラの地震に関するニュースが目白押しだ。何となく一日の出来事に目を通しながら、10分くらいの時間が過ぎる。するとだんだん自分の思考回路の回転が速まってくる。目の前に立ちこめていた霧が一気にはれる。さて今日は何をしようか。祭日に働く中で、何となく得したような感じがする今日の時間。午前中は、たまっていた事務処理を行った。現場が最盛期ということもあり、支払いの時期には繁雑な事務処理が大量に発生する。昼過ぎにようやくそれらの作業を終えた。それから東川口の家などいくつかのプランを考える。電話がかかってこないせいか、よい案が次々に浮かぶ。夜9時、作業終了。(増井真也)

2005/1/8

朝からパソコンが起動しないというトラブルに見舞われる。2年ほど前まではそれほどパソコンに依存している状態ではなかったのだが、どうやら最近はパソコンがないと仕事にならない状況になっているらしく、結局半日復旧作業に費やしてしまった。日々の作業は確かに便利になったようだがこれは少々考えないといけないな。そもそも建築設計の仕事の内容自体10年前とそれほど進化しているとも思えず、パソコンなんかなくたって出来るはず。もしかしたらパソコンの存在が建築の可能性を阻害していることだって考えられる。便利さを追求するあまり、パソコンが起動しないと何も出来なくなったような気分になるくらいならこんな物いらない。昼過ぎにようやく作業を終了し、茨城の現場に向かう。山田が担当している現場に毎回同行する必要は全くないのだが山田が運転免許を持っていないのだから仕方がない。かといって材料運搬の関係上電車で行かせるわけにも行かず、これではまるでおかかえ運転手だな。(増井真也)

2005/1/7
朝から東川口の家のプランを考える。以前考えていたスパンを少しずらすだけでより魅力的になるようなので、もう一度最初から練り直すことに。5回目くらいに考えた案が非常によいのでこれを取り入れた。設計者も時間をかければかけるほどよい案が出てくるものだが、それは施主もおなじ。今回このようによい案が出てきたのも、施主からのプランに対する要望がより現実的に洗練されてきたからだと言える。やはり焦ってはよい案は生まれない。(増井真也)

2005/1/6

今日から仕事始め。夕方4時頃まで、新年の仕事の打ち合わせ行う。4時から、秀寿司にて新年の顔合わせ会。全員の新年の抱負などを聞く。ちなみに私自身の抱負は、デザインのよりいっそうの追求と工務店としての材料へのこだわり。今年は無垢材を寝かせるための材料置き場を手に入れて産地から直接購入したひのきや杉の板を寝かせることで狂いの少ない無垢材を安価で提供出来る体制を整え、来年以降の家造りに生かしていきたい。(増井真也)

2005/1/5

家族とともに浅草浅草寺にお参りに行った。足の具合もだいぶ回復してきたようで、仲見世から雷門そして本堂へとおきまりの経路を歩いた。少々足が痛くなってきたので境内のテント付きの屋台の中でしばし休息。温かい甘酒をのみ終わる頃息子の健一がなにやら拾った様子。小さな手に目を向けると50円玉を手にしていた。お金を拾ったことに少々興奮気味の息子にその50円玉を店主のおばちゃんの元に届けさせると50円玉を受け取ったおばちゃんは別の50円玉を金庫から取り出してプレゼントだよと渡してくれた。いまいち状況を飲み込むことが出来ない息子に向かって、おばちゃんが「この50円玉は落ちていたものじゃあないよ。おばちゃんからのプレゼントだよ。」と、さらに説明してくれると息子もようやく意味がわかったようで、大きな声で照れくさそうに「有り難うございました。」と答えていた。何とも心温まる光景に思わずこちらも大きな声で、「ごちそうさまでした」と言って店を後にした。(増井真也)

2005/1/4

3日の深夜、川口に移動。4日の夜は大学時代の友人たちと銀座にて新年会。(増井真也)

2005/1/2・3

滋賀県の実家にて過ごす。(増井真也)

2005/1/1

妻の実家の滋賀県にて新年を迎えました。。今年も一年間よろしくお願いいたします。(増井真也)

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