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2004年

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2004/8/30

今日わが社に6台目のパソコンが登場した。それ以外にも社員の私物で、仕事に利用されているものが2台あるから全部入れると8台のパソコンがあちらこちらで動いていることになる。今日お目見えした1台は母の部屋専用とのコト。何でも、振込み作業やらメールの送付を自分の部屋でできるようにとのことらしい。私の妻の実家は滋賀県にあるのだかこちらではネットやメールがそれほど快適にできる環境が整っていない。滋賀県がどうのというわけでなく、妻の実家が整えていないだけであることはいうまでもない。私はもともとパソコンなるものが好きではないので、滋賀県の実家に行ったときの環境に対し特にに不満を感じない。屋久島に行ったときもそうだ。メールなんて見れないほうがほっとするから特に無理してみようとも思わないし、そもそも携帯電話のメールなんて妻の出産のお知らせを受けたのが最後の利用ではないだろうか。事務所の内情を話せば、今ではほとんどすべてのことがパソコンで管理されている。5年前はそんなことはなかったのだが、料金が安くなったこと、明らかに利用したほうが時間を短縮できることなどからその利用の割合を徐々に高めてきた。その結果、パソコンがないところでは仕事ができなくなった。特に最近感じるのは、ネットワークがつながらないところがひじょうに不便であるということだ。パソコンは私たちにひじょうに複雑なデータをわかりやすく色鮮やかに簡単に見せてくれるようになった。そして製作する側からしてもそれを簡単に作れるようになった。特に写真などはその粋たるもので、フォトショップを利用すれば簡単に現実とはまったく違うものに加工することができる。しかし様々なものが瞬時に、そしてわかりやすく見ることができるようになる一方で、物事の本質を探し出すことは次第に難しくなってきているような気がする。「画面の中を移動して、すべてを知ったような気になるよりもどこかに出かけて一人の人と話をしたい。」そんな感情をどうしても捨てることができない。たとえそれがある意味でうそだとしてもその人を信じて自分がそれを真実だと思えるならばそれが真実なんだと思ってしまって良いと思う。そう言えば滋賀県の親父はたまにどう考えても間違えていそうなことを自信満々で話をする。どうしても指摘できずにそのまま流してしまうことが多いのだが、たいていは後で本当なんだと驚かされる。たとえば、「1月に山の渓流に入るときくらげやなめこがたくさんあるよ。」「はとは意外とおいしいよ」「いのししの皮のはぎ方は・・・」全部現実の姿で示してくれた。ネットサーフィンに慣れてしまうとこんな余りにも現実的なことが信じられなくなったり、逆に残酷なことがそう感じられなくなったり、感覚が少しおかしくなっちゃうのかもしれない。それを元に戻してくれるのは、やっぱり現実の人でしかないんだと思う。まったくこのパソコンに囲まれた生活は何とかならないものだろうか。(増井真也)

やけにくつろいでいる猫を見つけた。猫や犬は、本当に居心地のいい場所を知っている。後ろから襲われることもなく、周囲が見渡せる場所。日の光が十分に届き、そよ風が通り抜ける場所。この場所はおまけに神様が見守ってくれている。近づいても、ジロッと睨むだけで場所を動こうという気はなさそうだった。ちなみに事務所のゴンタさんは、山本に廃材で新しいえさ入れをこしらえてもらって今日はえらいご機嫌。写真左下にちらっと見えているのがピカピカのえさ入れです。(山田和彦)

   

 

2004/8/28

午前中調布の家の本山さんご夫妻と打ち合わせ。夕方より成増の家の竣工パーティーへ。6時過ぎに田中さんのお宅に付くと山田と山本、そして芝浦工大の学生さんたち3人はすでに到着していた。楽しい思い出話など語り合いながらいつの間にか深夜に。翌朝6時タクシーにて帰宅。少々飲みすぎた。(増井真也)

三角の家で竣工パーティー。1階のモルタルの土間にラグを広げて座り込む風情だが、まったく違和感がない。吹き抜けの効果もあり、むしろくつろぎの場として機能している。モルタル=下足空間の固定概念は取り外してしまった方がいいかも。居心地の良い空間と優しい田中さんと面白い学生さんたち。久しぶりに痛飲。2時半、既に意識のない増井を山田に任せて帰宅。田中さん、ごちそうさまでした。(内田元太)

2004/8/27

所沢の申請は何とか無事終了。あとは許可がおりるのを待つのみ。この確認申請、最近では民間の審査機関が行うようになってきているので、以前に比べるとだいぶスムーズに進行する。明日に打ち合わせを控えている調布の家の資料作りもほぼ完成。17時30分東京駅の近くにある三菱ビルへ。今日は東京キャナルプロジェクトのシンポジウムを聴きにいった。東京の水脈を利用してそこにあるいまだりようされていない部分に新しい利用方法を提案したいというパネラーや、そんなことをしてもしかたがないから川の存在意義をもう一度違う視点から見つめなおすことこそ重要だという人までその意見は様々。いずれにしてもそれほど本質的な話には至っておらず、東京という経済主義社会の中で、川や水路を利用した新たなプロジェクトに参加したいという意欲が満々の建築家たちによる仕事創造のための発表会のような雰囲気で少々期待はずれだった。(増井真也)

イギリスの美術館で、美術作品の一部である「ゴミ袋」を清掃員が投げ捨ててしまったというニュースを読んだ。このニュースを読んだとき、著名な外国人建築家の巡回展が日本へ来たときの話を思い出した。模型があまりにも巨大なために展示会場に搬入できず、困った作業員が無断で半分に切断してしまったという。作家本人にとっては悲劇としかいいようのない出来事であるが、心のどこかで可笑しさを感じてニヤリとしてしまう。実は彼ら作業員たちは本質を見抜いていたのではないだろうか。いくら有名な作家の作品であっても、その世界に関わりのないひとたちにとっては、ただのゴミ袋、ばかでかい発泡スチロールの固まりでしかないのだ。どこかの現代アートの展示で出くわした、「針金曲げてるだけやんっ」と大声で作品にツッコミを入れていた男の子と、周囲の目を気にして明らかに狼狽しているお母さん、そして周りで鑑賞していたひとたちの間に一瞬流れたあの微妙な空気が忘れられない。「裸の王様」が本当は服を着ているのか、自分にだけ見えていないのか、わからなくなることが子どもの頃よりも確実に多くなってきている。(山田和彦)

 

2004/8/26

今日もばたばたした一日だった。所沢の市役所にて地区計画の申請の訂正。0.8u小さくなったくらいで、いちいち訂正させなくてもと思うのだが仕方がない。確認申請まで出そうとするも時間切れ。また明日に持ち越しだ。屋久島の図面作成もだいぶ進行した。今月中には完成しそうだ。鳩ヶ谷の家のセルフビルドは今日で無事終了した。何とか仕上げ塗装まで行い、夕方にはクライアントが一部の荷物の搬入をしていた。18時、芝浦工大の学生さんたちがインタビューに訪れる。なんでもセルフビルドの研究をしているとのコト。セルフビルドを通じて、地域コミュニティーの創造や、家族間の絆の再生などが図れればというようなことを言っていた。確かにセルフビルドを通じてそのような効果が得られることもある。でもそれは100%ではない。その時々で、思わぬ方向に進んでいく。設計やシステムだけではどうにもならない、そこにかかわる人によって作られる力が物事の進行方向を大きく左右してしまうのだ。「こういうことは結局はそこにかかわる人間なんだよな。」なんていう言葉が一番説得力がある。そう言えば昔自宅の建設中に石山修武氏が現場におとずれたときのことを思い出した。ちょうど枕木の階段のセルフビルドを1週間かけて終わりかけた頃のことだ。ブロック状に積まれたその階段を見て、氏は手摺状に5段くらい下から上まで壁のように積め。と一言いった。それを聞いた私たちは何とかそのような形に枕木を積み上げた。すると一言、「いいな」と石山さんがつぶやいたのだ。するとそこにいる学生ボランティアたちは全員感動した。どうやらその一言は普段なかなか口にしないとてつもない価値のあるもののようだった。担当スタッフの満足げな表情はいまだに忘れることができない。当時、施主兼管理者だった私も皆と一緒にその場にいれたことをうれしく思った。そしてその思いでは今も胸の中に強く残っている。私がセルフビルドを推奨しているのは、あの感動をもう一度味わいたいからかもしれない。そして私に依頼してくれたクライアントにもおなじようにその場に入れてよかったと思ってほしいからなのかもしれない。こんなことを考えさせてくれた学生さんたちに感謝したい。(増井真也)

先週から続けている鳩ヶ谷も家のセルフビルドも、今日で完了。増井と僕がたっぷり下ごしらえをしたところに、クライアントが仕上げ塗りを施す。これは、ダルマに目を描きこむのに似た軽作業。フツウこんなコトはしないのだけれど、月末にも生まれるお子さんの出産前祝い、ということで大サービス。元気なお子さんの誕生を願っています。(内田元太)

2004/8/25

夕方からクライアントとの打ち合わせがあるということで、ぎりぎりまで見積もりの作業を継続する。何とか完成まで近づいた段階で、18時から鳩ヶ谷の家のセルフビルドのお手伝い。寝室だけだからそれほど量は多くないのだが、なんとお子さんが生まれる予定日が今日で、引越しがあさってというめちゃくちゃな状況になってしまったので仕方がない。何とかお手伝いをしてあげて無事に新たな生活をスタートさせて上げなくてはいけない。21時作業終了。21時30分帰社。RDRに問い合わせてみるとなんと18時30分より始まった打ち合わせがまだ進行中とのこと。これでだいぶ進行できることを確信しつつあと一歩というところのの減額案に思いをめぐらす。(増井真也)

 

2004/8/24

午前中は事務所にて都市問題についての検討。現在の都市における問題点を思いつくままにあげてみた。あるコンペでよみがえる横丁と題した人間らしさの復活を目指すというような提案を求めているらしい。今の東京での生活の中で、人間らしさを感じるシーンは果たしてないのだろうか。確かに人と人とのつながりというようなものは薄れてきている。また日本人の宗教観の確実になくなってきている。毎日報道されているおぞましい事件を聞いていると宗教観の存在はやはり価値があるように思えるし、きっとある規範をある程度の人々に与えてくれるのだろう。それでは人間らしさの喪失に伴い、人間の経験できる世界が小さくなっているのかというとそうでもない。一方で、データ化されたもうひとつの現実の世界は成長する一方で、その世界からは何の廃棄物も発生されずに現実の人間の生々しい活動によって日々新しく更新され続けている。そのツールが開発される速度も加速度的で、その開発を追いかけるようにデータ化された現実の世界のコミュニティーも巨大に形成される。つまり、情報だけの話をすれば以前よりも数倍の世界が広がっているのだ。それでは何が問題か。そしてその問題を建築が解決することなどできるのだろうか。今のところ建築が解決できるなんて幻想は到底持つことはできない。その解決策をしばらく考えてみようと思う。午後からは昨日に引き続き見積もり作業。施工図検討。工程の検討を行った。(増井真也)

 

2004/8/23

久しぶりに屋久島の大工さんと連絡。以前送っていた図面の屋根がどうしてもできないというので少しばかり形を変更することに。以前の屋根の有機的な形状は捨てがたいが、住宅である以上しかも屋久島という特殊な地域で建設する以上地元の職人さんのいうことはある程度聞かなければならない。修正には1週間くらいかかるだろうが、それからもう一度屋久島に入ってみようと思う。やはり顔をつき合わせて話さなければならない。本山さんの家のプランはほぼ完成したようだ。この段階でもう一度打ち合わせをしよう。見積もり作業のほうはなかなか先に進まない。なんとなく以前よりも全体的に単価が上がっているような気がするのは、きっと中国のせいだろう。今計画している住宅は木造だからまだ良いが、鉄骨などは4割も材料代が上がったそうだ。それだけ資材が不足しているということだろうが、これではうかつに鉄骨造なんて計画できないな。(増井真也)

 

2004/8/22

日曜日。今日は本多さん夫妻と僕と計3人でのワックス掛け。これで、ワックス塗りは完了。来週末の壁天井の塗装工事を残すのみ。本多さんは、駆けつけた彼らの友人に新居を披露している。そんな折、僕のケイタイにメールが届く。本日休みの山田からの駒大苫小牧の快挙達成の報である。北海道で高校球児として青春を過ごした彼としてはさぞ嬉しかったのであろうけれども、僕は高校野球の全国大会にはさほど興味がない、正確にはなくなってしまった。なぜかといえば、近年著しい活躍をみせる地方都市から出た新興勢力に、箱根帰りにみた御殿場プレミアムアウトレットの盛況と同じような嫌悪を感じているから。アメリカ型コマーシャリズムが、ルーラルな地域を浸食していく様相を、正直、心地よく思えないんだよなあ・・・ということ。とは言え、日本型コマーシャリズム・・・と言えば、「スクラップ&ビルド」公共事業で廃墟づくりに夢中であり、アメリカよりタチが悪いのかもしれない。さすがに、建築界は国家100年の計がない現状の構造は改新する必要があり、それに沿った形で都市を再構築すべき、と提起している。結局は、これも建築家が新しい仕事を捻出するためのもので、エッセンスに欠けているように感じてしまう。社会経済は縮小合理化されながらも前を向いているのに、建築だけが旧態依然の姿をさらしながら垂れ流しを続けるというおかしな事態になっている現状だからこそ、必要でもない建築を考えるヒトたちが出てくるのかもしれない。ヨーロッパがそうであるように、結局、建築自体のチャンスがない状況下であれば、建築家はその本分を果たすためのリテラシーを必然的に身につけることができるのかもしれない。日本にはチャンスが溢れている。それは優秀な建築家が生まれる下地ではあるのだけれど、その一方ではコマーシャリズムが姿を変えながら都市に浸透し、隙間を埋め尽くしていくという温床にもなりえている。そんなことを考える、駒大苫小牧のV達成。駒大苫小牧自体が嫌悪の対象でないことだけ、付記しておきます。(内田元太)


2004/8/21

10時ごろ、足立に住む高橋さん来社。上尾付近に土地を購入して家を建てたいとの相談を受ける。いまだ土地を購入していないということだったので、土地に関するアドバイスなどを行った。昼からは鳩ヶ谷のますいいプロジェクトの最終仕上げ段階であるセルフビルドのお手伝い。といってもご主人の手つきを黙ってみていることもできずに、結局下地作業をほとんどやってしまった。仕上げは残しておいて上げるとしよう。本当はやっちゃいけないのだけれどついつい見ていられなくて手が出てしまうわけで、まあ良くなるのだから良しとしよう。(増井真也)

鳩ヶ谷本多邸のセルフ工事。今日は寝室の壁天井の下地と2,3階の床のワックス塗り。ご主人と身重の奥さん(!)、それに僕と山本が参加してワックス掛けを無事完了。続いて、壁や天井のパテ処理を行う。これはハードな作業であるのだけれど、こういう裏方作業が家づくりに参加した感慨に深みを増すのだと思える。午後から増井が援軍に駆けつけてくれたので、予定より多くの作業を消化できた。午後5時で切り上げる。これくらいのペースでできるセルフ工事がよい。あまり詰め込みすぎると悲壮感が漂ってしまうからね。(内田元太)


 

2004/8/19

朝から本山さんの家のプラン作成。昼からは見積もり作業。(増井真也)

今日で夏休みも終わり。豊橋から天竜峡―甲府を経由するルートを選ぶ。天竜峡で少々時間があったので、川まで足を伸ばす。川岸へおりる古い石の階段を、地元の男の子がひとり駆け下りていった。人間の手による「かたち」が自然のなかに呑み込まれ消え去る寸前が一番美しい。(山田和彦)

2004/8/18

今日から仕事再開。長い休暇も終わりを告げた。盆休みが終わるといつもその年の終わりを感じる。夏が終わると、自然とそういう気分になってしまうのだろう。そして不思議なことに毎年盆休みが終わるとものすごく忙しくなる。今年も例外ではないらしい。それにしても今年のオリンピックはスゴイもりあがりようだ。サッカーのワールドカップのときなんかもそうだが、いったいどこにこんなナショナリズムが潜んでいたのかびっくりするくらい、人々は君が代を熱唱してしまう。そういう私もその一人。特に柔道なんかを見ていると、目を潤ませながら気がつくと君が代。当然、自然と寝不足になる。でも今日からはそんなことばかりしてられないから、テレビを見るのはやめるとしよう。次の日の新聞で十分ですしね。(増井真也)

鳥取から福知山―京都―木津―亀山―名古屋と経由して豊橋へ。すでに金色に色づきはじめた田園風景が心を癒す。風のうねりがそのまま金色の波となって駆け抜けていく。(山田和彦)

 

2004/8/17

箱根は生憎の荒天。やむを得ず、美術館や植物園を廻る。箱根には大小合わせて20ほどの美術館がある。美術館の多い日本においても特異な地域と言えるだろう。そのうちのひとつ、一昨年にオープンしたポーラ美術館をみる。仙石原に近い傾斜地に、外界の木々の緑の中にすっぽりと納まるようにこの美術館は建っている。そのほとんどを地下に埋没させ、地表面部分には全面ガラスを用いる、という手法で、近景と同化させようと試みている。永久メンテナンスを謳い文句に、ロビー吹き抜けに面する天井と袖壁にあしらったプレキャストコンクリートや免震技術をはじめとする、テクノロジーの粋の結晶である建築を箱根の自然の中に落とし込んでいるといった風情。ふと、6年前、関西電力の方に招待されて見学した黒部ダムを思い出した。立山連峰と後立山連邦の狭間、黒部峡谷に北アルプスの自然と同化した建築を見事に果たしているアレである。その黒部ダムの内部の繁雑加減に驚いた。メンテナンスにも莫大な費用をかけているという話しも納得できる繁雑の中に、当時の先端技術がいかにアナログなそれであるか、見て取ることができた。しかし、同時に完璧でないアナログな部分が剥き出しになるその表情に、雄大な建築の姿を感じたことを覚えている。それと比較してしまうと、完璧に統制されたポーラ美術館からは、多分に美を意識できるけれど、それ以上のものもそれ以下のものも、得られないのかもしれないな。美術館だからそれで充分なわけで、単に技術革新の成果であるわけなのだけれど、なぜか少々もの悲しさを感じた。夕刻、夕立の中、箱根美術館を廻る。苔庭の美しさにただただ見とれた。茶室から夕立に打たれる庭園を眺めながらお茶をすする。我が国が誇るアナログの粋の結晶を堪能しながら、「ああ、コレだね」と独り呟く。(内田元太)


山陰地方の漁村の家並みに興奮しながら鳥取へと向かう。赤い瓦と銀色に色が抜けた板張りの外壁、その向こうに見える日本海の青さと木々の緑が絶妙なバランスで目に飛び込んでくる。途中浜田で下車し、食堂を探しながら町のなかを探索する。古い洋館と並んでつぶれた映画館を見つけた。よくわからないが心が揺さぶられる。剥がれかけた最後の上映案内ポスターは「陰陽師」。(山田和彦)

   

   

 

 

 

2004/8/16

今日は瀬戸内海沿いを電車に揺られ、下関まで来た。山口県に足をおろすのは生まれて初めて。名前の知らない「下関タワー」。妙に綺麗だった。(山田和彦)

2004/8/15

妻の実家にて休養。(増井真也)

信楽のミホミュージアムへ行く。今回で2度目だが、レセプション棟と本館を繋ぐトンネルの美しさはやはり素晴らしい。I.M.ペイ万歳。(山田和彦)

2004/8/14

宿泊先から大学まで、琵琶湖岸を2時間じゃぶじゃぶ歩く。足の裏を突き刺す砂利の感触が懐かしい。(山田和彦)

2004/8/13

田烏より、滋賀県に向かう。途中鯖街道にて鯖寿司を食す。夜、近くの池にて鯉を釣る。(増井真也)

明日のOB戦へ向けて彦根へ向かう。東海道線で行くのが一番近いのだが、何となくおもしろくないので甲府、諏訪、中津川と緑豊かな遠回りをする。東京から離れるにしたがい、味わいのある集落がつぎつぎと目に飛び込み、民家大好き人間は居眠りもできずにただただ流れ去る風景を眺め続けていた。(山田和彦)

 

2004/8/12

盆休み3日目。福井の田烏港に家族で出かける。ここは古い漁村で、海水浴の客なども少なく、のんびりとした時間がすごせる。(増井真也)

明日から盆休みで、現場を廻る。ところで、僕にとって長期休暇はあまりくつろげないもので、「目が覚めると、自分が毒虫になっていることに気がついた」的不安がいつもまとわりついてくる。自然体で臨む→公私の区分けが明確でない、というところから、休暇中も脳が日常と捉え、その日常の中で従事しているコトがそのまま欠落してしまうことによる不安、と自己分析。今更キャラクターを変えられないし、海外に行った時はそんな不安から開放されているので、長期休暇を海外で過ごすのが最善であると結論付けている。しかしながら、その最善策も<コスト面>の折り合いがつかないことも、残念ながら既に判明してしまったので、Travel to HAKONE、と記して納得することにする。この際、自転車で行こうかな。(内田元太)

洗濯などを済ませた後、夏休みっぽい行動をしなければと事務所の自転車にまたがりひたすら東へ向かう。いつの間にか住居表示に東京都の文字が。考えてみると自転車で県境超えたのは生まれて初めてのことだ。そう言えば、中学校の修学旅行で青森と岩手の県境を越える瞬間バスのなかは大騒ぎだった。生まれてから一度も道外へ出たことがないという友人も珍しくなかった。あのころは「北海道」の外は一種の外国だったなぁと思い出に浸る盆休み初日。(山田和彦)

 

2004/8/11

盆休み二日目。琵琶湖にて少々泳ぐ。(増井真也)

鳩ヶ谷の家。内装工事を完了し、玄関建具を取り付ける。これで盆を迎えられる。職方さんの盆休みは少々長いが、これは伝統的慣習によるものだろう。他の世界より、ライフスタイルの変遷そのものに著しい変化がない世界と言えるだろう。しかしながら、「流通」という衣を纏った生産システムは確実にこの世界にも浸透してしまった。だから、伝統と、そして合理化・工業化の間で位相のズレが生じている。技術だけが置き去り・・・?という違和感は、どう考えてもおかしいと思うんだけどな。それに順応している職方さんが、そのこと自体に疑問視していないはずはない、と思いたい。盆は実家に。実家は神奈川なので、往復2,000円を切る小旅行。(内田元太)

 

2004/8/10

今日から8日間の長期休暇。といってもどこか遠くに行くわけでもなく妻の実家のある滋賀県にてゆっくりと過ごす。今日は同行していた山崎と一緒に比叡山延暦寺に向かった。滋賀県側からのアプローチは坂本の日吉大社である。坂本は大津市の北部地域にあり、大津市と京都市を区切るように南北につらなる比叡山の東麓に位置している。 この比叡山は標高約700メートル前後の山なみがつづき、主峰の大比叡岳をはじめ四明が岳、横高山、水井山、三石岳などの峰がある。この比叡山から、足洗川、大宮川、権現川、四ツ谷川などの小河川が東方の琵琶湖に注いでいる。この中でも特に足洗川、大宮川、権現川の形づくる扇状地に坂本の町かつくられている。その坂本では古くから比叡山が原始信仰の対象とされ、多くの社が築かれた。また、坂本で生まれた最澄によって延暦7年には比叡寺が建立された。今でこそ坂本の町は寂れてしまっているが昔は戦略上の要所として大いに栄えたらしい。そんな面影をどこかに感じさせる町並みを歩きながら日吉大社の数々の社を見学した。その後ケーブルに乗って比叡山の山頂に向かった。山頂には多くの観光客がいて私もその一員となり壮大な建築を見た。このような建築を目の当たりにすると自分がこれから何をしていくべきなのかがわからなくなるような気がする。延暦寺はそれくらい有無を言わさぬ力を持っていた。(増井真也)

テンコインアートの展示が無事閉幕した。想像を大幅に上回る来場者数を記録し、彼女たちの作品も300点ほど売れたようだ。それでも、労務費と材料費とテナントの経費と・・・などと商業ベースで考えると割りに合わないことだったりするけど、彼女たちはそれを目的としていないので、純粋に成功と言える。世界的には20世紀初頭、日本においては大戦後、合理化・工業化を叫んだモダニズムや6〜70年代の学生運動に代表されるように、共通のイデオロギーや同世代コンセンサスによって、「デザイン」自体も構成されていたわけで、いつの時代も必ずいる少数派を除く大多数が同じベクトルを志して作品は産み出された。だが、現代の、とりわけ先進国では、すでに「豊かさ」という点で飽和状態にあるため、人々は「好きなモノ」あるいは個性を表現するようになる。その結果、「デザイン」は工業化に付随して生まれた概念である「浪費」の促進ツールになることが求められるわけであるのだけど、彼女たちのように、反旗を翻し、本来の自己の表現したいことを自由に実現する手段はある。「それを糧に生活を成立させる」必要のある僕とすれば、その手段は為しえないことであるけれども、僕のいるフィールドで課せられる責任とか道義とか、そういった重しみたいなものはキライではないし、その上にデザインを両立させることも、苦悩を伴うが可能であるように感じている。一方で、建築の中で、少なくとも住宅は反社会的であってはいけないし、そのための不自由さもあっていいと思う。その中に自分の考えを落とし込み、クライアントから共感を得ながら進めていくプロセスは、むしろ、性に合っているのかもしれないなあ。アーティストたちと出会うとその度に考えさせられる、と、RIN*TSUBAKIさんの「namihei」を眺めながら思う。(内田元太)

今年のますいいのお盆休みは、全員を2班に分けてそれぞれ2日ずらしというシフトになっています。先発班は今日からお休み。私は後発班なので木曜から。これだけ毎日暑いと北海道に帰ってのんびり体を休めたいところだが、土曜に大学野球部のOB戦に参戦するため滋賀に行かなければならない。とんぼ帰りの帰省に5万円払う余裕もなく、この夏は帰省しないことにする。懐かしい顔を見ることができるOB戦はいつも楽しみだが、年齢を重ねるごとに怪我が怖くなってくる。何しろ硬球を握るのも、おもーい木製バットを握るのも1年に1回っきりなのだ...。(山田和彦)

 

 

2004/8/7

朝から鳩ヶ谷の現場。屋内では大工さんが最後の追い込み。外では鳶さんが足場をバラしている。手摺りを造ってくれたパパさんとヤマモトと僕とで、外部階段手摺りの取り付けを行い、汗を流す。本多さんもいらして、今後の日程打ち合わせ。お子さんの出産予定日が25日、引っ越しが27日と、本多さんにとっては慌ただしい晩夏となりそう。そういえば、セルフ工事もあるんだよな。現場をヤマモトに任せ、たたら祭りの狂乱を車窓から眺めながら中青木の社屋に戻る。本山さんとの打ち合わせ。プランが収束しつつある。夜は社屋2階の増井邸にてサッカー観戦を画策し、スーパーに買いだし。屋上駐車場から花火が見える。戸田の花火大会だな。増井邸にはソラも遊びに来ていて、久々の面会。夏はイロイロアリマスネ。(内田元太)

2004/8/6

昨晩、運動不足解消のため事務所脇の公園でサッカーをしていると、一匹の蝉がゴール前で腹を見せてひっくり返っていた。踏まれたら気の毒なので草むらにでも移そうかと羽根をつかんだ瞬間、蝉がバタバタ暴れ出した。死骸だと思っていたものが動いたということ以上に、自分の口から「キャッ」という悲鳴が漏れたことがショックだった。(山田和彦)

 

2004/8/4

調布の家のプランがほぼ完成。いよいよ模型に取り掛かる。予算が非常にきびしいプロジェクトなので、何とか予算に合わせられるように作りこんでいかなければならない。空間のイメージはだいぶつかめてきたようなので、そろそろ細かい部分を検討していこう。所沢の家の見積もりもほぼ完成。まだまとめる段階にはいかないが、週末には完成するだろう。浦和の家はだいぶ予算からオーバーしてしまった。2,3日中には減額案をまとめないといけない。なんだかここの所毎日のように数字を眺めているせいか、妙な疲れを感じる。早くまとめなければいけないのだが。ごみへの関心はまだ続いている。今日はドイツのごみの節約の例を読んだ。そのひとつが徹底したリユース。イベントなどでのコップや食器類をすべてリユースするというものだった。ほかにも様々な方策が掲載されている。そして気づいたことはそのどれをとっても住人の中から自発的に発生した行動であるということ。そして政府がそれを確実に後押しするような法律を追いかけて作っているということだ。このような動きは一人の力ではなかなか実現することはできない。たとえば電力を完全に自給自足する賃貸住宅を建設して賃貸しする事業へのファンドなどは、今の日本の電力買取価格では利益など生じるはずもないので不可能なのだ。しかしドイツでは、われわれが東京電力から買う1KWの電気料金の3倍の値段で太陽光発電によって作られた電力を購入してくれるという法律がある。この法律があるからこそ、先ほどのようなファンド事業が成り立つ。今私はごみを使って家を建てるということを考えている。本当にすむことのできる家をできれば建てたいと思う。ちょうど北の国からの最終回に出てきたような家だ。ごみを考えるきっかけとして、そして考え続ける羅針盤としてのごみの家。基礎は何で作ろうか。古タイヤが有力かな。(増井真也)

 

2004/8/3

今日も見積もり作業が続く。調布の家のプラン作成を行う。(増井真也)

 

2004/8/2

午前中は、浦和の家の見積もり作業および所沢の家の見積もり作業を行う。なかなか予算に合わない中で色々調整しているといつの間にか時間が過ぎてしまう。夜、ごみの本を読んだ。建築を作っていると、どうしてもごみのことが頭から離れない。今の自分の活動が後世の子供たちにとって本当に良いことなのだろうか。実は数十年後に壊されるはずの巨大なごみの生産者になってはいないか。そんな思いが頭の片隅から離れてくれない。この本の作者は、ごみの処理の方法に着目していた。日本のような公共事業としてのごみの収集から焼却そして埋め立てというプロセスを批判している。そして「リサイクルよりもリユース。分別よりもごみを減らす。」ということを主張している。建築の解体現場で発生しているごみの様子を思い描いていたら、ふと先日目にした雑誌に出ていた家を思い出した。それはアフリカの住宅で、木と植物の葉を利用した簡素な家だ。一世代が使うとそのまま放置して数年後には腐って土に変えるということらしい。家の根元が腐れば近所の人の協力を得て持ち上げて直すそうだ。なんだか日本の家とはずいぶんと事情が違うのでそれをどうこうすることはできないが、自然素材の家作りをもう一度シンケンに考えてみようと思った。(増井真也)

 

2004/8/1

日曜日。現場も少々ノンビリムードで来ているのは伊藤基礎の社長さんと僕だけ。僕は足場に登ってペンキ塗り。下では伊藤さんが倉庫の立上がりコンクリートを打設。上下で世間話をしながらの作業は13時に完了。それから増井と共に、鳩ヶ谷の家に2年次点検に伺う。点検の結果、発見された不具合は、建具の反りとかコークボンドのはがれとか、まあ、通常起こりうる範囲。クライアントの関さんは、それを自身で直すこともできるヒトであったりもする。そういう方は建物が消耗品であることを理解できているし、メンテナンスが肝要であることも自覚している。恐らく年月を経るごとに良い家になっていくであろうことが、築後2年経過したこの時点で推測できる。ところで、現在の一般的な志向として、メンテナンスの要らない家を求めるヒトが多く、ハウスメーカーや工務店はそれに応えた建築を行っている。本来ならば、サプライヤはその認識は間違いであることは伝えていかないといけない。メンテナンスの要らない家はないということではなくて、メンテナンスに対する誤った負のイメージについてである。「メンテ」という概念云々以前に、家に対してのポジティヴな姿勢がないと、本来の家という箱としての存在がもともと備えているポテンシャルを活かしきれないように感じて、それが惜しいナァと思うわけだ。そんなわけで、刷り込み型自己啓発として、セルフビルドを推奨しているわけでもあるのだけれど、実際に自分の家にセルフ工事を施したみなさんが、今後どのような空間に成長させてくれるのか、楽しみなようで、怖いようでもある。ところで、関さんの奥さんはこの日記を読まれているそうで、ヘタなことが書けないなあ、と増井と共に苦笑いの帰路。(内田元太)

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