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2004年

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2004/5/31

鳩ヶ谷・本多邸の確認審査の中間検査に立ち会い、合格となる。この日は、強風のため、足場が大きくしなり、建地が建物に当たりそうになっていた。鳶さんに足場補強の依頼を行った後、風圧を足場に伝えなくするため、山田と共にシートをたたむ。これで一安心。地面に降りて振り返ると、普段シートに覆われて見えにくい建物の姿が露わになる。建築は青い空が似合うね。(内田元太)


 

2004/5/30

朝から、大島さんの家のプランの作成。途中事務所を抜け出して、アーキテクトンの米田さんの住宅を見に行った。小さいながらも、象徴的な空間が完成されており空へ抜けるトップライトとねじれた壁が印象的だった。コンセプトはおそらく今進行中の成増の家と同じだろう。ここでは、より人間味のある空間を作りたい。壁の素材は漆喰がいいと思った。予定されているペンキではあまりに冷たすぎる気がする。またセルフビルドになるんだろうな。(増井真也)

 

2004/5/28


茨城の石下町へ。ここは関東平野の中央に位置し、東西に分断するように鬼怒川が流れる農業の町。その風土の中で長塚節を生んでいる。ここでは、僕のキライな流行というものとは全く異なる、独特の流れが感じ取れる。人々の生活の中からその必要に応じて、徐々に前進と後退を繰り返しながら、時の流れをその中に組み入れてきた、ただそれだけの緩やかな波なのであろう。もとより、急速な発展を望んだことから歪みは生じるわけで、それを切り離したところにあるものに安堵を覚えるのは自然なことなのだろう(その歪みを建築に表現するのも面白いコトではあるけれど)。ここには歪みと振幅のない建築を創りたい。それは学術的建築的にどうか、とか捕らわれた考え方はいらないように思う。ちょっと時間ができたので出来上がった図面をもう一回チェックみよう。申請手続きを終えて、鳩ヶ谷の現場へ。金物チェックと大工さん板金屋さんと打ち合わせ。午前中に、山田と山本がこの現場に来ていたので、それぞれの考えを事務所に戻ってから摺り合わせる。17時、ますいいに入りたいという大学院生が来て面接。そんなスゴイことをやってるところではないよ、と説明。ちょっとの間、手伝ってもらってそれを実感してもらおう。19時半より、RDRの運営にご協力いただいている永瀬さんとみんなでお酒を飲みながら歓談。切込隊長モードに入った永瀬さんに圧倒されつつも、アーティストの観点からの建築論その他諸々話は尽きず、楽しく過ごす。そして、少し反省。0時半、帰宅。(内田元太)

2004/5/25


10時、雑誌「室内」の取材。2年ぶりに記者の峯田さんと会う。今回のテーマは団塊ジュニアの世代ということで、ますいいの最近の状況などを交えながら1時間くらいの話をした。その後は、だんだん完成に近づいてきた成増の家の細かな納まりなどを検討したり、鳩ヶ谷のプロジェクトの管理をしたりと現場監督家業にいそしんだ。(増井真也)

 

2004/5/24

鳩ヶ谷masuii house project01で建築しているクライアントからの叱咤激励メールをいただいた。「敗北宣言は早い。僕も協力するから。」どうなるかわからないけど、前向きに捉えてちょっと雌伏することにしますんで、ご安心ください。いろいろと落ち込むところもあったんで、嬉しい限り。ありがとうございます。(内田元太)

 

2004/5/23

朝から事務所にて日ごろたまっている仕事をこなす。11時ごろ取手の家のクライアントが来社。まだ家を建てる方法自体で迷っているということなので、ハウスメーカー、工務店、設計事務所の違いというものを説明した。2年越しの計画ということなので、じっくり考えるのが良いだろう。(増井真也)

マリコさん(RDRギャラリーの運営担当)に聞いた「職人市場」というイベントを見に赤レンガ倉庫へ行ってきた。職人市場は、ジャンルの異なる雑貨の作家さんが集ってお店を並べて、そこに来た人たちと対面するコミュニケーション型マーケット。気に入った作品をつくったヒトたちと話したが、面白いなと感じたのは、彼らの日常感というものが作品とやはり合致しているところ。ギャラリーのオープン以来、建築とアートの相違や共通性について考えるようになったんだけど、建築家は、一般的に芸術家のように思われがちなわけだけど、やっぱり理論武装された技術者としてカテゴライズされるもののように思う。ガウディは別だったのかもしれないけれど、建築家が己の感性のままに表現し得ているわけではなくて、与えられたプログラムと確立されている理論があって、その解答にあたる産物が建築であったりするように思う。建築がアートと違う点は、大まかに言って、こんなところにあるんだと思う。それでも、その解答は、コレ、という明確なモノではなくて感覚的なもの・・・もっと言えば正解はいくらでもあるのだから、建築家を媒体にすると、彼(彼女)が抱く思想や嗜好、価値観によっては異質なものができあがることになる。だから、「話の合う建築家、趣味の合う建築家にお願いするとよい」とよく言われているのだけれど、その中にも芸術家肌のヒトがいて、「僕はこうじゃないとやらないよ」って主張するのだけど、実際、そのヒトにお願いすると彼(彼女)の100%デザイン、つまり彼(彼女)の世界観、がそこに凝縮されるわけで、そういった作品をみて共鳴したクライアントならば、それはつまりそのスタイルも含めて「彼(彼女)とは趣味が合う」ということになるわけで、先の説は事実なんじゃないかなと思えてしまう。でも、それが作品ではわからない場合は、やっぱり対面して話すことは大事で、その過程で彼(彼女)の作品に対する理解が深まるんじゃないか。一見して共鳴できちゃうのは理想なのかもしれないけれど、僕はそうでなくていいように感じている。なんとなく共感を覚えることができれば最初はそれで十分と感じている。それは、客観しないと僕らにはわかりにくいことだったんだったりするけれど、今日のような機会があると改めて感じることができる。すごく以前に、ますいいのコンセプトを考えたときに、「住むヒトの個性を表した家」という、ちょっと恥ずかしい幼稚な表現をしたけれども、それは結構本質に近いものだと今も思えるのだけれども、でもちょっと変えさせてもらうと、「(ますいいと)話の合うヒトたちが住む家」が理想だなあと考えている。ところで、横浜に行った主目的は先日手術を受けた知人のお見舞いなんだけども、ちょっと笑わせすぎたので傷口が開いてないかシンパイです。<余談>(内田元太)


 

2004/5/22

「21世紀日本人の家作り」
バブルの時代は違ったのだろうけれども、日本で今この時代に働いて生活をしていかなければいけない21世紀日本人は昔のように脳天気にはしていられない。(ここでは若い人もお年を召した方も分け隔てなく21世紀に生きている日本人はみな21世紀日本人と定義する。)少なくとも他の人と同じ事をしていて自然にお金が貯まるということはない。だからとても個性的な人が多い。どうせお金なんかたまらないんだからと、お金に興味がない人も多いと思う。自分の人生の価値みたいなモノを真剣に考えている人が多い。これはあるべき姿だと思う。

現代日本人は自分の家を持つことに夢を抱く。これは世界でも珍しい日本独特の習慣だ。でも21世紀日本人はその価値観自体にもすでに疑問 を感じている人が多いと思う。実際私もそう思う。 だから私は、まず話をしに来た人の経済状況などを聞いてあまりにも無理を感じた場合、家を建てること自体もう一度考え直すべきではということをいうようにしている。それでも家を建てたいという方は、とても強い意志がある。

例えば車。車と共に生活したいと思ったら、こんな家は売ってないから自分で建てるしかない。 もしくは、2世帯住宅。後は、仕事場がついていたりとか。人生の意地の実現みたいなモノも感じるときはある。 そしてこんな不安定な時代だから、家という安定の象徴を手にしたいという考えもあると思う。どちらにしても、お金が有り余っているという人は少なくて、みんな精一杯のところで、すごくよく考えて自分の家を建てることを決心する。決して昔のように投資目的なんかではなく、若くしてもう既に終の棲家を求めている。 30代に建てた家で、老後の生活までもイメージしてしまっている。こういう時代に建てる家は本当に価値のあるモノだと思う。家のおもしろいところというのは、その土地、人、価値観など人それぞれ違うモノがもろに現れてくるところで、それが現れないからメーカーの住宅はおもしろくないんだけど、この時代に家を建てようなんていう人は、本当によく考えている。自分にとっての家は、こういうモノだということは既にできている。表面的にはあまりできていない人も偶にいるけど、そういう人の場合ほとんどが安定の象徴としての家という価値観ができている。


建築に関していえば、もう既にすべてのことは誰かがやっているわけで、そんな中でもいろいろなことに挑戦している人はいるけれども、私の場合建て主と話をしながらやるべき事を探していくというスタイルに魅力を感じる。自分で設計したいという人がいれば設計の方法を教えてあげればよいと思う。素人ではできない部分を手伝ってあげる感覚だ。施工をやりたいという人がいればそれを教えてあげるのも良い。とにかく家を造るときに私がやりたいこと、目指すことはクライアントが理想とするライフスタイルを自然に無理なく行うことができる空間としての家を造ることだと思う。

そして、個人的な私の価値観でいえば心の安らぐ空間を作りたいと思う。構造や新しい素材、システムに挑戦する時代は終わったと思う。ある一部分では行われて良いと思うけど、個人住宅でやっても仕方がない。やらなければならない場合だけ、例えば車庫の問題とか、そういうときだけ挑戦すればよいと思う。第3世界を含めて世界的にみればモダニズムは終わっていないかもしれないけれど、少なくとも日本では既にモダニズムの役割は終了しているわけで、と言うより、日本では昔からみんな家を持っていたから家に関していえばモダニズムなんてなくても良かったんじゃないかとも思うけれど、そういう全体的な流れの中で、何かを担っていくというよりは自分の心を表現するというもっと個人的な価値観に基づいて設計するべきだと思う。         

それから、もっと突き詰めて考えていきたいのはものの値段。最近は鉄の造作を安くできる方法ができたからそれをよくやっているけれど、この間はミラノに行って輸入できるルートも造ってきた。 一つずつ輸入するととんでもない輸送料がかかってしまうけどコンテナを利用すれば一つのモノの送料はかなり安くなる。これを実践すると、輸入業者がいかにぼったくりかがわかる。構造システムとか、新しい材料とかそういうモノのモダニズムは既に終わっているけれど、ものの値段を決めるのはそれだけではなくて、古くからの、特にバブル時代に作られてしまった悪い建設業の体制とか、流通手段とかそういうところからの切り口は残っていると思う。

それから最近はギャラリーをやっているからいろんなアーティストに会う。そうすると、一緒に建築をやりたいなという人も多くて、今の時代は建築家は馬鹿みたいにもてはやされているけど、実際はたいしたことを考えているわけではないから、と言うのも技術者的問題解決似非デザイナーという感じだと思うので、もっと真剣にアートに取り組んでいる人たちとコラボレートしていけたらと思っている。そういう本質的なことが今の21世紀日本人がまさに求めていることだと思うし、自分自身の興味もそういうところに向いてきたと思う。

                 増井真也

2004/5/21

今日は川口の家の打ち合わせの準備。川口の家は2世帯住宅なので、2世帯特有の難しさがあるが、まあ家の本質はそんなところには関係がないはず。それぞれの家族が望むこれからのライフスタイルというものを、冷静に理解して、それを無理なく自然に暮らしの中で実践していくことのできる家を造ればよいのだ。そのためにも明日の打ち合わせを含めもっとたくさん話をしていかなければいけない。特にまだお会いして日の浅いご両親の考えをもっと伺わないといけない。それが理解できたとき、自然に良い家が浮かび上がってくるはず。後はそれを作るだけでよいのだから。(増井真也)

いよいよ、お花屋さんの改修工事、着工の日が近づいてきた。この仕事は、息子さんがたまたま配達の途中に、RDR(幸町事務所)の前を通りかかり、事務所の様子に興味を持ってくれたことから始まった。道路でしばらく中をのぞき込んでいる男性(←息子さん)がいたので、外に出て話をしてみると、「設計事務所なんですか?実は店の改装を考えていて・・・」という具合。こういう仕事の頼まれ方もあるんだねえ、と、スタッフ一同、開かれた事務所を作った効果を実感。それに地元の方に頼んで頂いた、というのは、まちに根付いた設計事務所、を目指す上でも本当にうれしい話だった。さて、改修工事は解体工事→案実現への調整、が大事なところ。これからが本番、という感じだ。(山崎壮一)

 

2004/5/20

急遽予定が白紙になり、空白の一日。この突如与えられた安息日を利用して澱んでいたアタマと机の上の書類を整理する。masuii house project01は事実上の敗北宣言。販売に対するノウハウ云々以前に、内々で考えることもあるからだ。会社としての事業運営は厳しくなったが、一つ一つの敗北を糧にして建築は生き残ってきたし、僕らもそうしていくのだろう。自分が決断して進めてきたことは、それがどんな結末であっても暈かさない。僕はそうしてきたつもりだし、これから建築するクライアントにもそうあってほしいと切に願う。‘02’?当然、やりますよ。どういう形かまだわからないけど、負けず嫌いなんで。(内田元太)

 

2004/5/19

今日は成増の家の現場にて、田中さんとの打ち合わせを行った。内装工事の下地までほぼ完成し、だいぶ家の状況がわかる状態なので、収納や、食器棚など、実際の生活をイメージしながらの打ち合わせとなった。ここまでくればほぼ完成なのだが、これからが大切。でも、田中さんの場合、細かい希望は一切私に伝えない。伝えられたのは希望のライフスタイル、予算のみで、後はすべて私に任せてくれた。これは常々感じることなのだが、家を造るときに私たちがやりたいこと、目指すことはクライアントが理想とするライフスタイルを自然に無理なく行うことができる空間としての家を造ることだと思う。そして、このような家を造るときに一番大切なことはお互いの価値観を理解できること。そして、その価値観を十分に理解しあったら家に関しては私を信頼してすべてを任せてくれることだと思う。成増の家ではそれができたと考えている。まだ終わってはいないが、できたような気がする。(増井真也)

西井邸のシャッター納まり図を描きながら、昨晩いただいたメールから思いを巡らしている。誰しもがそれぞれに彼(彼女)だけの悩みを抱えている。その悩みに対して、(建築はどこまで彼らの手助けができるのだろうか)、と。建築が雨風をしのぐためだけのものではなくなって以来、それは、信仰、畏敬、憧憬、執着、共存、生、死、等の概念論者であり救済者たる存在になり得るようになった。これは宗教建築に代表されるような概念的建築であって全体的建築である。既にそのような全体的な情報や集合体に興味がなくなりつつある僕は、むしろそれで構成されている社会に生きるワン・オブ・ゼムに対してそれぞれのディスポーザルを見出すことに興味があると言える。今、直面している命題は、複雑に絡み合った隘路の中で出口を模索するようなものであるが、これが建築としてどのように繋がっていくのか、ライフワークとして取り組んでいきたいことでもある。こういう思考になってしまうと、敗北宣言を出しつつあるmasuii house project01も、根本を既に履き違えているのかそうでないのか、検証していかなければならない。(内田元太)

 

2004/5/18

昨日からのひどい風邪でどうにもならない一日だった。子供が幼稚園に行きだしてからというもの、日々新種の風邪の菌が家の中に運ばれてくるようで、体調管理にとても神経を使う。午前中はデザインルームにて、成増の家の収納計画などについて考えてた。昼からは山本と、屋久島の家の打ち合わせ。所沢の家・浦和の家の進行も順調なようで、図面の作成作業も着々と進みつつある。一通りの確認を済ませ、夕方7時熱が下がらないので早めに帰宅した。夜は、まだ寝るには早すぎたので阿部公房の「壁」を読んだ。どう解釈してよいのか、解釈しようとすること自体に意味がないような不思議な小説だった。以前RDRに絵を展示していただいた永瀬さんと話したことを思い出した。永瀬さんは「絵を作家の意図するように解釈しようとすることには意味がない。見る人の感性にまかせて勝手に解釈すればいいんだ」というようなことを言っていた。ほとんどの小説では、作者の意図する解釈がその中にありありと表現されていて、ここまで読んだら必ず涙を流しましょうというようなものまである。その中で、この作品は、何が言いたいのかなどということにはそれほど意味がなく、ただただそこには言葉によって作られた世界が存在していて、私の想像力の及ぶ範囲内において脳の中で世界が作られていくのだ。空想好きの私にはうってつけの小説発見!!というわけで、偶然手にした安部シリーズにしばらくはまりそうである。(増井真也)

2004/5/17

今日は朝から大島さんの家の提案図面を作成した。2世帯住宅ということで、様々な希望をまとめるのに時間がかかりそうではあるが、通常の住宅よりも規模が大きいので普段と違う楽しみがある。一日考え、何とか考えがまとまってきたようだ。(増井真也)

 

2004/5/15

鳩ヶ谷・本多邸の上棟。現場で指示確認をしていると本多ご夫妻さんがご両親と共に来現。奥さんのお腹は7ヶ月目ということで少々膨らんできた。産まれるのは竣工の頃かな。どちらも無事出産を祈ります。そこへ、榊さんが見える。榊さんは川口のskip city近郊に建築を計画されている方。しばしばこの現場を見に訪れてくれているとか。以前、一緒に敷地を見に行ったが、その立地条件から榊さんの家も3階建て相当の高さが適当と判断しているので、目の前で組み立てられていく架構をモデルにそのイメージを伝えてみる。本多邸はもちろん無事上棟。中青木に戻って、保坂さんと山崎を交えて打ち合わせ。保坂さんも大島さんと同様に二世帯住宅を計画している。彼ら夫婦(見込み)が家族を代表して打ち合わせに来てくれている。二世帯住宅には複雑な諸要因があり、その問題点を明らかにしその一つ一つに明快な回答を導いていかないとうまくいかない。今日の打ち合わせで得られた回答(プラン)には、ハードな殻の内側に彼らのご両親に対する想いが柔らかく反映できたように思う。いい打ち合わせをさせていただいている、と感じているのは山崎も同じであろう。(内田元太)

 

2004/5/14

今日は鳩ヶ谷のますいいプロジェクトの土台しきこみ。午前中は大工さんとの打ち合わせを行いながら、作業の段取りなどを行った。昼からは、明日の上棟に向けて図面などの整理を行った。追加や変更など一通りの整理を終え、8時作業終了。そういえば最近スライドの映写機を購入した。3年ほど前からよく写真を撮るようになり、リバーサルで撮影したマウントがだいぶたまってきたところで、どうしてもそれをRDRの壁に映したくなって思わず衝動買い。購入後早速みんなを誘い、ためていたスライドを持ち寄って上映会を行った。ワインを飲みながら建築写真を見て好きなことをしゃべりわいわいやるなんて夢のような話です。また近いうちにやりたいものです。(増井真也)

3月2日にオープンした「masuiiRDR」(幸町)の1階ギャラリーも次回の展示(5/25〜30、山口百合子展)で4回目を迎える。現在、その展示方法について、作家の山口さんともご相談しながら検討を進めているところだ。
実は、展示方法(インスタレーション)について考えるのは、これで2回目。第二回展示「白根源徳展(備前焼)」の際にも、こちらから展示方法の提案を行った。白根さんの備前焼は、その赤味に特徴があり、この色は私にしかだせない、という言葉をうかがった。そこで、ギャラリー空間に大きな一枚の黒い布(実際は1.5M巾の布をつなぎ合わせたものだが)を奥の壁から床を覆い尽くすようにかけた。その黒い空間に備前焼を配置する。黒を背景にすると備前焼が本当によく映えた。展示は、高さの異なる3つの台(H300、600,900)を用意し、点数を絞り込んで飾っていただいた。ひとつひとつの作品を尊重し、それぞれに空間を与えることが目的である。作品の持つ空間の広がり、そしてその広がりに”しっくりくる”展示空間(背景・空間の大きさ)、について考える機会となった。
で、今回の展示について。実は前回の展示で味をしめたわれわれはもう一度黒い布作戦をやってみようかと検討している。山口さんの作品は、ステンレスメッシュやアルミのパネルを織物のように紡ぎ合わせた作品だが、ご本人とも黒を背景にすると金属がきれいに見える、と話している。でも、前回の展示と同じようにみえてはつまらない。せっかくこのギャラリーは全面ガラスで中が見えるので、また違った空間が現れた、と興味を引くことも大切だ。布の質感も変えようと思っている。山口さんの作品は、その材料と製作方法から出る、軽やかさ・透過性に特徴がある。そこで、目の粗い黒い布を背中にしょわせてスクリーンとして、天井から吊り下げる方法はどうか。背後からの光、床や壁に落ちる陰、重なり合うスクリーン、がこの作品の特徴を表現するとともに、また違った空間を発生させるのではないだろうか。(山崎壮一)

 

2004/5/13

昨日は、構造家の諏訪部さんと打ち合わせを行った。
主に南邸について。続いて稲葉邸、保坂邸についても相談をし、打ち合わせは3時間にも及んだ。それぞれ、いくつかの提案をいただき、コスト面も含め再検 討に入る。構造家との打ち合わせは非常におもしろい。もっとも興味深い部分は、図面・模型を眺めながら、その建築が構造的にどの様なモデルとしてとらえ られるか(構造計算を行うためには単純化したモデルとして建物をとらえ直す必要がある)、を検討すること。この案はどんな建物なのか、自分自身とらえ直 すきっかけとなる。(山崎壮一)

今日は、成増の家の現場にて大工さんとの打ち合わせを行った。今日の工事は棟屋のガラスの納まりということで、この建物のポイントとなる部分だけに慎重にことを進めた。すでに、先日変更した部分のガラスも納まっており、内部空間の明るさもちょうど良い具合になった。昼休みには近くの家の植木の切込みを大工さんと二人で行った。30分くらい作業をしたら、なんとお礼はビール。さすがにまだ昼間なので、飲むのはやめたが、昔ながらの近所付き合いのようなものがまだ残っていて住むには良いところだなあとつくづく思った。(増井真也)

 

2004/5/11

午前中に手配を済ませ、午後から茨城石下町へ。石下町役場→文化交流センター→八千代町役場→吉田土地改良区とまわるが、対応いただいた皆さんはとても親切。○京の役所と違うナァ(悪さを働く者が多いんでやむを得ないのかもしれません)。夕方、帰りがけに役場の方から教わった茅葺屋根の家に立ち寄ったが、すでに五時で閉館ということで次の機会に。(内田元太)

 

2004/5/10
朝一番より父の会社の工場に向かい成増の家の鉄製階段や手すりの塗装を行う。一時はR状の手すりの製作の手伝いなどを工場の中でしていたのだが、塗装作業は炎天下の下で行ったためあまりの暑さに久しぶりにばててしまった。最近事務所にいることが多かったせいだろうか。6時ごろまで作業したが結局終わらずにまた明日もいくことに。まあ明日は半日で終わるだろう。(増井真也)


日記を書くのは久しぶり。と、言うのも増井・山崎の慌しい動きに対して、僕はさほど変化がないのだ。本体工事に引き続いての西井邸の外構計画と茨城本多邸の着工前の申請などをしている。特に西井邸は一昨年暮れからの計画であるので未だに計画というのは“?”だが、西井さんの情熱が先導して起こる事象であり、同時に業者さんとの諸交渉が生じるのでこれに応えていくには相当な時間と労力が要る。西井さんも理解してくれているのだが、歩みが遅い現状は不本意で申し訳ない(お隣のFさんにも)。本多邸は茨城の石下町の農地に建築する。こちらは農地法により指定された敷地であり、これを通常の宅地とみなすために様々な手続きが必要になる。それに奔走して感じたことは、六本木ヒルズやイラクでの事件と同様で、僕らは意外なほどに「守られている」。そこから感じ取れる事実は僕にとっては決して心地のいいモノではない(それに日和すれば楽なのもわかるんだけども)。ま、いろいろ考えていますが、今日のところは久々なんで煙に巻いてこのへんで。(内田元太)

2004/5/9

朝5時起床。6時ごろ川口駅に向かい内田と待ち合わせ。京浜東北線で、東京駅まで向かい6時50分の新幹線にて大阪に向かった。10時30分より15時まで、大阪に住んでいたころの知人の結婚式に出席した。その後、大学時代の友人と連絡を取りまだ工事中の国立国際美術館にむかう。シーサーべリの作品で、美術館は全館地下とのこと。地下3階の構造になっていて、吹き抜け空間を利用した自然光を取り入れているらしい。地上にかをお出しているモニュメントは竹とのこと。建物の周りにある植栽などを見てもオリエンタリズムが濃厚でまるでハリウッドの作品に出てくる忍者かサムライを見ているようでもあった。これを喜べる気質はやはり大阪人独特のものなのだろうか。しばらくgrafのカフェにて久々に会う友人と近況などを話した後、再び結婚式の2次会に合流。しばらくしてのぞみにて東京に向かい、夜12時帰宅。道中では、ロバート・ルイス スティーヴンスンのジーキル博士とハイド氏を読んだ。結婚式の日に読む小説がジキルとハイド。ただの偶然なのだが、結婚後の知人の幸せを切に願いたい。(増井真也)

 

2004/5/8

朝一番で、古谷さんの家のアフターサービスに向かう。あいにく留守だったので、作業内容を確認して家を出た。しかしさすがにデザイナーさんのお宅だけあり綺麗にすんでいる。我が家とは大違いのすばらしい状況に少々うらやましくもあった。それから船橋の藤原さんの家の一周年パーティーにむかう。1時に船橋の家に到着。到着すると、藤原さんのお子さんたちが元気に迎えてくれた。しばらくして、慎さんとそのお子さんが到着。藤原さんを交えて久しぶりに慎さんと設計談義かと思いきや以外にも車でこられていたので、今日はお酒は飲まないとのこと。しらふの慎さんを相手に、一人日本酒を飲み始めるほどの勇気もなくビールとワインを少々いただき、5時ごろ船橋の家を出た。(増井真也)

 

2004/5/7

今日は成増にて、構造家との打ち合わせ。ブレスの配置や形状を決める。その後は、成増の家の図面作成や、発注業務などを行う。成増の家もいよいよ最盛期に入ってきたため、いろいろと複雑な作業が多い。一日中係りやっとのことで作業終了。(増井真也)

 


2004/5/6

本日は南さんと打ち合わせ。 建築の申し込みをいただき、改めて気を引き締めなおした。 前回の打ち合わせでは、具体的に収納スペースについて話をしたが、 ご主人、奥様、山崎、増井、の4人の知恵を絞って良いアイデアが生まれた。 収納スペースが足りないから単純に部屋を小さくしよう、というのではなく、 現在のプランの持つ空間の良いところを残すように、とお施主さんと一緒に考えられ たことは非常にうれしく思う。今後の展開が楽しみである。(山崎壮一)

2004/5/5

朝から事務所に下りて鳩ヶ谷の2世帯住宅のプランをまとめる。比較的土地が広く様々なパターンが考えられる中、いくつかの候補に絞られてきた。ここから先はクライアントと話をしながらつめていきたいと思う。夕方は、友人と川口の日本料理屋にて食事。久しぶりに会った友人との食事は楽しく、ついつい深夜まで及んでしまった。(増井真也)

 

2004/5/4

今日は事務所にて所沢の家のことを考える。そういえば赤ちゃんは生まれたのだろうか。外観のイメージをつかむためにスケッチなどしてみたがなかなか良くなりそう。午後からはたまっていた写真の整理などをしてすごした。休みの日に事務所に来ると落ち着いた気分でいろいろなことが出来る。たまにはこういうのも良いものだ。(増井真也)

2004/5/3


今日は群馬県立近代美術館を訪れた。車をおり、建物に近づいていくとアルミで覆われた建物と人工的な池、そしてそのいけの中から生える奇妙なステンレスのパイプがあった。これが磯崎氏の名作かと、半ばあきらめムードでエントランスのほうへ移動。そして中に入ると、そこには大きなガラスのカーテンウォールを持つホールがあった。正面には大理石のオブジェ。その大理石に吸い寄せられるように近づいてみると、大理石には自分の後ろ側の世界が映っている。つまり大きなガラスのカーテンウォールとその外にある公園が移りこんでいる。ホールの中で外の世界に背を向けている自分が、まるで外の世界にいるような、 もしくは、石の中に続く外とも中ともいえぬ世界に気づいてしまったかのような感覚に襲われた。チケットを購入し美術館の中に入る。ふと今来た道を振り向くと、そこには違う世界があった。さっき見た白いモニュメントの様な階段が、明らかに違う空気の中で光り輝いていて、すでに自分はもうひとつの世界の中にいる。そしてその世界に入ると、近代日本絵画の名作が力強く私を迎え入れてくれるのであった。書道のコーナーへの渡り廊下もまた、更なる深みへと導きいれるかのような空気がよどんでいる。そして現代アートの世界へいざなわれるときには、よどみの中から一気に開放されたかのような、白い世界にほうりだされた。一通り建物の中を回り終えて、カフェに立ち寄る。するとそこには大理石の床に続く光り輝く水面と、その池の中から押さえきれずに飛び出してきてしまったかのような四方八方に飛び散りまた戻る力強い線があった。最初に見た池とステンレスのパイプがそのとき、確かに別の空気に包まれてそしてまるで生き物のような力強さを持っていた。しばらくその景色を見つめていた。そしてまた帰り際に美術館を見てみると、そこにあるのはやはりアルミで覆われた建物と人工的な池、そしてそのいけの中から生える奇妙なステンレスのパイプでしかなかった。入り込んだら出てこれない世界そんな世界がこの建築には内在していた。(増井真也)

本日は、「所沢の家」について再度考えてみた。 プランが稲葉さんのご希望に沿ったものとなっているか、 気持ちのよい空間が実現しているか、と考えながら、図面/模型を眺めてみる。 模型をのぞき込んでみると、 大きな屋根のもとに家族が集える場所をつくること、 いろいろな窓から光をとりこみ、質の異なる場所をつくること はできそうな感じがする。 今後、設計を進める中でこの空間の特徴をさらにのばせれば、と考えている。(山崎壮一)

 

2004/5/2

今日は以前友人が薦めてくれた川越の遠山記念館を訪れた。遠山元一のコレクションを中心とした収蔵品の展示スペースとして、今井兼次氏設計で1970年4月に建てられたもので、周囲の景観にあわせた土蔵風のたてもの。隣には元一の弟芳雄を総監督に室岡惣七設計で、2年7ヶ月を費やして昭和11年に完成したという邸宅があった。美術館の中に入ると、気持ちが安らいだ。この気持ちの安らぐ建築というものは造ろうと思ってもなかなか出来るものではない。小さな、そして飾り気のない美術館に何か抗うことの出来ない畏怖を感じた。正面の長方形の窓、その両側にある色ガラスの気配を感じさせるニッチ、左右の壁に空けられた色ガラスの窓、ホールの天井の淡い絵画、この日見たものは忘れられないものとなりそうだ。(増井真也)

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