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2004年

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2004/12/28

この一週間は現場の年越しの準備でばたばたとしていたがようやく最終日をむかえた。各現場もきれいに片づき気持ちよく新年を迎えることが出来そうだ。しかし、私はといえばおとといの日曜日のけがで右足のじん帯を断裂してしまい一週間くらいは歩くことが出来ない状態だ。来年7日にはMRI検査を受けなければならない。その後は検査次第ということなのでまだどうなるかわからないのだが完全に元通りに直すためには最悪手術もあり得るということだった。健常者として普段は動くことが当たり前の体が動かなくなるといろいろなことに気が付くようになる。たとえば私の祖母が膝を痛めて、3階にある寝室と2階にあるトイレの行き来がつらくなり一時的に入院したことがあるのだが、そんな祖母のつらさを実感してしまった。また、松葉杖を使って歩いていると小さな段差でもつまづかないかと慎重になり、人混みはいつも以上に避けたくなる。そしておもしろいことに人の体はどこかがうまく働かなくなるとどうやら別の場所が異常に機能しだすように出来ているらしく一日中椅子に座って強制的に考え事をしていると普段考えないようなことまで思考の中に浮かび上がってくるようになる。そもそもけがというのはその事件が起きるまでは自分にだけは絶対に起きるはずのない他人事であり、実際に起きるときにはあまりにもあっけない一瞬の出来事として自分の身に降りかかってくる。後で考えれば避けられた出来事なのだけれど、もう曲げようのない事実として痛みと障害だけがそこに残るのだ。何が起きたかといえば、横から膝に力が加わり本来曲がらない方向に膝を曲げたがために膝の関節を守るじん帯が2本切れてしまった。たった2本の筋が切れてしまうだけで、人は歩けなくなる。そういえば以前妻の実家で、義理の父が採ってきたイノシシの解体をみていたら、いとも簡単にその体をバラバラにしていた。初めての人がまねをしようとしても決して出来ることではなく長年の猟師の経験があるからこそ出来ることなのだが、確かその時も骨ではなくてじん帯を切らないと解体は出来ないといっていたような気がする。まあとにかく、それほどあっけなく私のじん帯は切れてしまった。頭の中では、切れる瞬間の身のこなしを逆回転させてまだ切れていない自分を作り出すことは出来るのだが実際に切れてしまった体は戻るはずもなく、その事実だけが体に刻み込まれるのである。そしてその事実を受け入れる。ソノからだと共に生きることを覚悟するのだ。世の中にいる多くの障害を持つ人々はきっとその原因を明確に覚えていることだろう。もしくは原因は不明だけれど健常者から障害者に移り変わるタイミングだけを覚えているのかもしれない。もちろん生まれつき障害を持っている人もいるわけで、そういう人はあたかもそれが当たり前かのようにこの世に生まれその中で独自の道を歩むこととなる。いずれにしてもすべてというわけではないだろうが多くの障害者はその事実を受け止め、障害と共に生きる覚悟を決めている。私の場合障害が残るわけではないのだが短期間のけがでもやはりそういう気分になるものだ。こういう覚悟を決めると人間の体が完全な状態というのは一時的なもので、この完全な体は常に不完全な状態に向かっているということに気が付く。そもそも完全な状態でいるあいだは不完全な状態へと向かうための前段階のようにも思えてくる。そしてその不完全な状態が機能しなくなったときに、死は訪れるのであり、それはすべての人に平等にそして一瞬にして訪れる。先日地震による津波で2万人以上の命が奪われた。その事件も一瞬で、避けようもない事実でありそこにたまたまいなかった私はたまたま今も生きている。すべての世界は破滅へとむかう幻想なのだ。なんてことを書くとだんだんインチキ宗教家のようになってしまうのだが、だからこそ今自分が出来ること、自分がすべきことが見えてくる。言い換えればそんな幻想の世界の中で何が自分にとって本当に大切な真実かが見えてくるわけである。そんな真実を表現するデザインをしなければいけない。それはとても難しいことだがそういう本質的なことに対する欲求はすべての人にあることであり、そういう思いはしばしば郷愁の念や子供の頃に描いた空想の念として描かれている。わかりやすくいえばトトロや千と千尋の神隠し・・・こんな作品の中にもそして黒澤明の夢の中にもそんな真実が見え隠れしているのではないだろうか。世界的なアニメ作家そして映画監督と自分の作品が々レベルであるなどとは間違っても思わない。しかし真実を求める姿勢だけは同じであると言えるような仕事をこれからもしていかなければいけないと、これを年納めの言葉として胸に刻みたいと思う。(増井真也)

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2004/12/27

事務所大掃除。

2004/12/23

先日現場でトラブルがあった。というのはガラス屋さんが打ち合わせをした行程を無視して板金工事の前にガラスをつけてしまったのだ。私が考えたディテールでは先に板金工事をやらないと雨漏りをする可能性があるのだからこれでは当然やり直してもらわなければならない。連絡をしてきた山本に必ずやり直すようにと伝え、ガラスの一時的な取り外しをしてもらった。そして今日現場に行ってみるとなんと透明であるはずのガラスが曇りガラスになっていることに気が付いてしまった。一瞬目を疑ってしまったのだが、明らかに曇っている。空をみるためのガラスなのに!!またまたガラス屋さんに連絡。透明ガラスに取り替えてもらうように頼んだ。計算してみるとこのミスでガラス屋さんはなんと20万円もの損害を出している。原因を追及してみても明らかに勝手なミスとしか考えられない。助けてあげたいけれどこればかりは仕方がない。心を鬼にして、「やり直してください」の一言。いやな気分の一日だった。(増井真也)

2004/12/22

東川口の家のスタディー。(増井真也)

2004/12/21

東川口の家のスタディー。(増井真也)

2004/12/20

今日は所沢の家、浦和の家の現場チェック。夕方には事務所に戻る。7時、ますいいプロジェクト02のクライアントと打ち合わせ。どうやら洋館のような家が欲しいようだ。大変興味深い要望を実現するために頭を悩ますことになりそうだ。(増井真也)

2004/12/19

午前中は子供をつれてラグビースクールへ。年末ということで、グラウンドの整備をしたり餅つきをしたりと特別メニュー。午後からは山田、山崎とともに明日の打ち合わせに向けてのmeeting。7時業務終了。(増井真也)

2004/12/18

今日は妹の結婚式。朝6時から、妻が美容室やら着付けやらの準備でばたばたしている。妻がいないので慣れない子供の世話をしながら自分の準備をしようとするも、何がどこにあるのかいまいちよくわからない。一人で暮らしていた頃はこんなことはなかったのだが、まるで自分の家ではないような・・・。 話にはよく聞く光景なのだがまさか自分がこうなるとは思ってもみなかった。日頃から家事の手伝いなどしていればきっとこうはならないのだろう。気をつけないといけないな、これは。9時30分頃明治神宮に向けて家を出た。式場は本殿の中にある小さな部屋で、待合室から式場までは参列者一同が行列を作って移動する。なかなか趣のある光景で、観光客の外国人が群がっていた。その後明治記念館にて披露宴に出席。8時頃帰宅。身内の結婚式というのはなかなか疲れるものだ。(増井真也)

2004/12/17

午前中事務所にて雑務。午後から茨城の家の現場にて打ち合わせ。(増井真也)

2004/12/16

朝6時30分に家を出て蒲田の家の道路工事に向かう。今日の作業予定は全面道路の側溝蓋取り替え。まずはじめに3人の道路工事屋さんたちが器用に蓋を取り外していく。10時頃にはほとんどの蓋を取り外し、一休み。次に砂とモルタルで下地を作り新しい蓋を並べていく作業に入った。この作業が非常に大変そうだ。3時頃までかかりようやくすべての蓋を並べ終えると、次は目地の処理、そしてモルタル工事に入った。夕方5時頃すべての作業を終了し、後かたづけ。8時過ぎ事務所に戻る。以前道路の新規築造工事を管理したことはあるのだが今回のような改修工事は初めてのこと。まあ今回の道路工事は道路工事といっても外構工事の延長なのだけれど、それにしても土木屋さんの仕事というのは重労働だ。普段住宅の現場でみている職人さんたちとは体つきが一回り違う。何しろ大きい。こういう体にならないとやっていけないのだろう。近頃小学生の平均運動能力の低下が問題視されているという。そして学力の低下も。脳と体の進化が止まり、退化が始まったということか。一部の進化的な人々により退化する人々が支配されるのだろうか。運動することが日常的な出来事だった時代、食生活が改善されれば運動能力は自然と向上した。勉強をすることを望まれていた時代、その機会を与えれば学力は自然に向上した。夢と目標があれば何事も向上する。夢は最終到達地点であり、目標はそこに到達するための小さな山。そんな当たり前の思考状態の形成ができなくなってきているのだろう。生活するだけなら何とかなってしまうこの時代にこのような思考形成ができなくなることはある意味必然かもしれない。土木屋さんたちの体つきが夢や目標によって形成されたものだとは思わないけれど、夢や目標を持てないで、退化していく人々よりも何倍も美しいものに見えた。(増井真也)

2004/12/15

今日は所沢の家と浦和の家の施工図チェックで一日を過ごした。夜7時頃から、山崎と今後のコンペなどの予定についての打ち合わせ。年に3回くらいはコンペに挑戦することに決定。まずはじめに北海道のコンペをやることになるだろう。(増井真也)

2004/12/14

今日は茨城の現場に行ってきたのだが現場への道中で気になる建物があったので写真を撮ってきた。以前からその道を通りかかるたびに何となく視線を奪われていたのだがわざわざ立ち止まってそれをみるようなことはしなかった。通り過ぎてしまえば何事もなく終わってしまうのだが何の変哲もないそれらの建物がなぜ目にとまるのかを知りたくてそれら4つの建物の写真を撮ってきた。

   

   

左上の建物は倉庫として使用されていた。3間×4間の標準的なプラン、2階部分の真壁部分に露出される柱・梁、そして南側の花台、どれをとっても懐かしく記憶に残る家の風景の代表作のようなものだった。右上は蔵の変形版。昔は漆喰だった蔵の廻りを黒いトタンで囲み下屋部分を増築している。色合いといい、バランスといい現代建築的要素を持っている。左下は平屋の住宅。道路に面する正面にはアルファベットの家紋のようなものが入っている。もう使われている様子はないのだがロマネスクの教会を連想させる。右下の住宅は3.5間×4.5間の総2階建て住宅。この建物は屋根の形がおもしろい。なぜかわからないのだが妻面を斜めにカットしている。こういうことは今の建築家のデザインに出てこない手法だ。

上の4つの建物がどうしてそれほどまでに気になったのかはわからない。瓦の屋根、木の壁、木製の建具、煉瓦、芝生、・・・。心の中にある建築の原風景とは案外そんなものなのかもしれない。現代建築の講義には出てこないこれらの要素をもう少し研究してみようと思う。(増井真也)

2004/12/13

終日東川口の家のプラン作成。(増井真也)

2004/12/11

午前中に昨晩考えたアイデアをまとめ、14時東川口の家打ち合わせ。はじめ事務所にいらしたときは先日土地の契約をすませたばかりなので、とても大きな買い物をしたことに少々不安げな様子だった。建築のプレゼンを終えると非常に満足していただけ、また不安な気持ちも和らいだ様子だったので、こちらも一安心。土地の紹介から行う場合はその予算配分や立地条件など家にまつわるほぼすべてのことをご提案するわけで、本当に人生の方向性を決める上での重要な一面を担うことになる。形態への欲求や発表への欲などは関係なく、本当に自分が欲しいと思うような家を造らなければいけないということは常々考えてているのだが、このようなケースはその責任も倍増する。その中で、今回のプレゼンは非常によくできていると感じる。17時、近所に住む方から建て替えのご相談を受けた。コストのこと、スケジュールなど一般的なことを約1時間ほどかけて説明。工事予定が大夫はいっているので工事にかかれるのは来年の8月になってしまうという旨をお伝えしたのだが待っていただけるとのこと。そういっていただけるならこちらの家も年が明けたら真剣に考えることにしよう。同時に進行する現場の数を3件以内にするというのは今年から決めたルールだ。設計・現場の質を維持するためにこのルールは絶対に曲げられない。そういうこちらのわがままを聞いていただける方々には感謝しなければいけない。(増井真也)

 

2004/12/10

午前中は東川口の家のプランについて考える。この家については自分の家を建てるようなつもりで設計している。だいぶイメージが固まってきたのだが、どうしてもうまくいかない部分があった。外観のイメージがつかめない。そうこうしているうちに、昨年建てた船橋の家に行く時間が来てしまった。建ててから約1年が過ぎているのだが、現場に行くのは久しぶりだ。京浜東北線秋葉原駅にて乗り換え、総武線で下総中山まで行く。そこから約10分歩くと現場に到着。家にはお母さんとお孫さんがいて20分程度会話を交わし、程なく退出。それにしてもこの家非常にきれいに使っていただいていることには少々驚いた。手入れもよくしていただいているようで、特に大きな問題はない。安心して事務所に戻ると、時間は17時。それから再び、東川口の家について考え始める。夜10時頃、何となく悩んでいたことに対する答えが見え始めた。一つ解決するとほかのことまで次々と解決してしまう。11時頃にはほぼ満足できる形にまで完成。明日にはきっとよいプレゼンができることだろう。(増井真也)

2004/12/9

朝7時に家を出て石下町の現場に出向いた。9時現場に倒着。大工さん左官屋さんそして板金やさんとの打ち合わせを終え14時現場を後にした。帰り際に浦和の現場によってみる。もう辺りは暗くなっていて大工さんが作業を終える準備に取りかかっていた。所沢の現場より戻ってきた山本と連絡を取り合いながら17時帰社。以降雑務。(増井真也)


2004/12/8

今日も一日中現場場の施工図作成。(増井真也)

2004/12/7

一日中事務所にて各現場の施工図作成。(増井真也)

2004/12/6

朝一番より所沢の現場に出向く。現場にて大工さん・設備業者と打ち合わせ、養生作業などを行う。夕方RDRでギャラリーのオープニングパーティーに参加。今回の企画展は30人の画家が小さな作品を展示するというもので、ギャラリーの中には葉書くらいの大きさの作品がたくさん飾られている。普段は大きな作品しか作らないということで、小さな作品たちは普段よりも親しみやすいものになっている。展示作品を一通り見ているとその中にひときわ目を引く日本画があった。古澤さんという画家さんによってかかれたものだったのだがその「森へ」というタイトルとともに小さなキャンパスの中でおおらかにたたずむ女性の様子が何とも言えないものだった。この企画展を見に来てくれた友人たちは現代アート的な作品に着目している様子だったが私の中にある自然への懐古欲求は同じような波長を出すこの作品に強く惹かれた。表現の手段が多様化する現在その手段の選択に頭を悩ます作家が非常に多い。それは建築でも同じことだ。何でもできる時代に敢えて日本画を描き続けているその姿勢に何かを学びたい。(増井真也)

2004/12/4

今日は所沢の現場の窓枠加工の立ち会い。ますいいでは既製品の窓枠などを使用しないので、一つ一つ大工さんが手作りで作ることになる。こういう作業には細かい打ち合わせが必要で、大工さんの自宅加工場にて綿密な打ち合わせを行う。昼からは浦和の現場に出向いた。こちらの方はまだまだ細かい部分にはたどり着いていないため金物が決められたとおりついているか、筋交いが入っているかなどの構造的なチェックをした。夕方材木屋さんによって月曜日に使用する材料を引き取り5時帰社。5時30分、来客予定が急遽キャンセルされたまっていた雑務をこなす。(増井真也)

2004/12/3

朝6時に塗装やさんが自宅まで迎えにきてくれた。その車に乗って昨日に引き続き蒲田の家に向かう。昨日補修したところに新たな塗装を施すためだ。といってもそんなに広い面積を塗るわけでもないので、4時頃には作業を終了した。5時30分帰社。風邪を引いている中外で過ごす時間が長かったせいか、また体調がおかしくなってきた。今日も早めにあがるとしよう。(増井真也)


2004/12/2

朝7時西川口駅を出発。今年の初めに完成した蒲田の家のアフター工事に立ち会う。工事の方も順調に進み3時頃終了。5時帰社。帰りにRDRによってみた。山崎と真理子が仕事をしている。そろそろミヤカワアートサラダ展が始まっているコロだろうと思ったらまだ準備中だった。それにしてもRDRのギャラリー運営をしている私の妹の成長ぶりには驚かされる。3月に始めたコロには本当に大丈夫なのかと思っていたが、今では月に1回のペースで企画展を実行しているしそのレベルも回を追うごとに高くなっている。何でも俳句の雑誌に学生のコロからの研究テーマである女性の髪の毛についての連載記事を頼まれたそうで、1回目2回目とも締め切り前になるとつたない文章の添削を頼まれるのだが読んでいるとこれが結構おもしろい。今月の18日に結婚が決まっているので、最近は新居の準備やら何やらで忙しそうだがこの結婚が終わりではなく始まりになってくれればと思う。先日テレビで「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。」というキルケゴールの言葉を聞いた。キルケゴールの結婚に関する逸話には以下のようなものがあるそうだ。

キルケゴールはレギーネという女性に9月8日に婚約を申し出た。キルケゴール27歳、レギ−ネ・オルセン18歳の時である。そして、翌月の10月10日、キルケゴールは愛するレギーネから婚約承諾の返事を受け取った。 しかし、キルケゴールは日記に次のように書いている。 「私は、その翌日にはもう後悔した。」キルケゴールは、彼の精神の内面において、レギーネと婚約したことを後悔したのである。それは、レギーネを愛さなくなったのではなく、ますますその愛が深まれば深まるほど、その愛ゆえに結婚し、一緒になることを後悔したのである。 彼の精神の奥底に巣くった暗い憂鬱が顔を出す。神から呪われているという迷信、快活なレギーネに相応しくないという自己嫌悪、彼女の優雅さや明るさを奪い去るのではないか、彼女を不幸にするのではないか、という不安。キルケゴールの内面で、それらが渦巻き、自己葛藤をくり返したのである。愛は人を自己の深みへと連れて行く。そして、暗い葛藤を目覚めさせる。キルケゴールは、この不安と葛藤の中で悩み続けたのである。 そして、ついに、キルケゴールは不幸な決断を下した。愛するが故に、婚約を解消するという決断である。彼は、自分の方から婚約を破棄すればレギーネが傷ついてしまうので、彼女のほうから、彼を嫌いにさせて、婚約を解消するようにしむけた。わざと、世間の悪評をつくり出し、スキャンダラスな行動を取り、彼がいやな人間であることを思い知らせようとしたのである。キルケゴールの悪評は、あっという間に広まった。世間はおもしろいようにキルケゴールを悪人扱いした。しかし、レギーネは、キルケゴールの内面をよく知っていて、婚約の解消に応じることはなかった。キルケゴールとレギーネとの人格的なかかわりは深まるだけであった。 そこで、1841年8月、キルケゴールは自ら熱望したレギーネとの婚約に自ら終止符をうつべく、婚約指輪をレギーネに送り返し、10月11日、婚約が成立してまる一年の歳月の後、彼らの婚約は正式に解消された。

こんな自己犠牲的な行為をしてしまう人は今の時代にはもういないだろうけれど、わかりやすい格言だけは一人歩きして言い伝えられる。彼女たちも結婚することを後悔する気持ちは今のところないようなので、キルケゴールほどの自己を疑う気持ちはとうてい持っていないのだろうけれど、長い人生何があるかわからないわけであるからこの格言を理解できてしまうときがきてしまうのかもしれない。どこかで当てはまってしまいそうという点では哲学者の格言も占いの言葉も大して変わらないな。(増井真也)

2004/12/1

いよいよ12月。あっという間に今年も最後の月になってしまった。家造りにはサイクルがある。別に決めているわけではないのだけれど自然とこのサイクルに当てはまる。一つは3月着工8月竣工。もう一つは9,10月着工3月竣工だ。まるで学校の学期のようだが毎年必ずこのサイクルに当てはまってしまう。4月や9月といった節目となる月を落ち着いて過ごしたいというクライアントの思いがこのサイクルを作っているのだとは思うのだが、1月がこの節目にならないというのはおもしろい。正月というのはかつては夏の盆と対応して、半年ごとに先祖を祀る行事であったそうだ。しかし、仏教の影響が強くなるにつれ、盆は仏教行事の盂蘭盆と習合して先祖供養の行事とし、対する正月は年神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」として位置付けられるようになった。数え年では1月1日に歳を一つ加えていたことから、正月は無事に歳を重ねられたことを祝うものでもあった。満年齢を使うようになってからはそのような意味合いはなくなり、単に年が変わったことを祝う行事となっているということだ。それに引き替え、4月や9月というのは、会社や学校の異動や決算の節目であったりするわけで、これらの月の方が実際の生活には深く結びついているということなのだろう。今年もいよいよ年越しの準備に入ってきた。現場を年越しさせるためにはやらなければいけないことが結構たくさんある。戸締まりや清掃、材料の管理などなど順を追って片づけていかなければならない。(増井真也)

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