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2004年

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2004/1/29

今日は田中さんの家の契約。予算も何とかまとまり、ようやくここまでたどり着いた。でもやっと今が始まりなわけで、これからが大変なんだろうな。そういえば先日アカデミー賞に日本人が二人も同時にノミネートされたというニュースを読んだ。なんでも、もし受賞すれば助演賞は47年ぶりということだから、これはものすごいニュースらしい。渡辺謙が演じたのは勝元という男で天皇と国のために代々命を捧げてきたサムライ一族の長として深く尊敬されている男だ。そして、山田洋二監督が描いたのも同じ侍。一見同じような内容に感じるが作品を見ればその描いている内容というのは微妙に違うことに気づくだろう。単純にサムライ魂をアメリカ人受けする勇気や自己犠牲の精神と重ね合わせて表現したラストサムライに対し、山田洋二監督は、その生涯のテーマである「幸せとは」ということを時代劇という制約された条件の中で、一人の貧しい侍を描くことで表現している。今アメリカはイラクの戦争で、自己犠牲の精神と失われた勇気をこれまでで最も必要としている。しかももうじき大統領選挙。自衛隊派遣で忠実にアメリカに貢献した日本へのはなむけか、はたまたこれを期にアメリカ人に日本の武士道を伝えたいとでも思っているのか、どちらにしても単純には喜べない話だと思う。

アカデミー賞は「僕には関係ないものだと思っていた」。清兵衛はリメークの話もきた。今後ハリウッドから監督依頼があったら、と聞かれ「そんな話はまずこないでしょう。僕は日本人の感覚で松竹で撮り続けますよ」ときっぱり返した。 「ラスト サムライ」の感想を聞かれると、しばし沈黙し「サムライ同士、おもしろい偶然だなと思います」。作品の良しあしには言及せず「真田君には出演した2作が選ばれたのを大いにいばってほしい」と答えた。

ニュースの中にこんな記事があったが、さすがは寅さんを取り続けた監督。ノミネートされておおはしゃぎしている俳優さんとは違い、はっきりと自分のやりたい表現を見つめているような気がした。(増井真也)

 

2004/1/29

午前中は田中さんの家のことをかんがえていた。もうすでにぎりぎりまで削られた状態で予算が100万円近くオーバーしている。この状況をどのように解決すべきか。薪ストーブをやめれば簡単なことなのだが、それをやめたくない田中さんの気持ちは痛いほど良くわかる。少ないといっても一人の人にとって1000万円以上のお金を支払うことはやはりとてつもなく大きな買い物。それをまかされている責任の重みを今日は改めて感じた。夕方、三宅さんから退院したとの連絡を受けた。屋久島に行く約束をしたとたんに入院の知らせを受けたときはさすがに驚いたが、奥さんの言うように本当にすぐに退院してくれた。これで日曜日から一緒にいくことが出来る。久しぶりにのんびり出来そうだ。(増井真也)

2004/1/27

今日は朝から柏の家で外部のデッキの組立を行う。何で私たちがこんなことをしているかといえば、予想外の部材の大きさにとても大工さん2人では手に負えないから手伝ってくれと言われ、まあそういう作業は嫌いではない私が「いいよ」と返事をしてしまったために一緒にやることになったからだ。一番大きい梁だと一本で100キロくらいある。それを2階の床の高さまで上げて、不安定な柱に差し込むのだから二人で出来るはずがない。材木屋さんまでもが動員されて5人がかりでの人海戦術。途中柱が倒れそうになるようなスリリングな場面もあったが、何とか最後まで建てることが出来た。レッカーを使えば簡単なことなのだが、なんせ予算がない。はじめはかなり気持ちがなえそうになったがやれば出来るものなんだな。一日の作業を終えたときに、ふと自宅の枕木階段を作ったときのことを思い出した。そういえばあれからもう4年近くたつ。この枕木階段も予算がない状況からの起死回生のアイデアだった。部材はすべてただだった。組立も加工も含めたすべての工程を学生と石山修武研究室の土屋さんと私で行った。模型で考えた構造を加工して実際に組みあがったときの感動は今でも忘れられない。石山研究室のスタッフたちに引っ張られながら私はこのときに確実に人生の中で最高の時を味わった。私にとってのセルフビルドの始まり。それはこの感動を自分のお客さんにも味合わせてあげたいという思いからだった。家作りは楽しいものだ。大変な場面はたくさんあるけど、お客さんは楽しいところだけ一生懸命やればいい。私の心も実際もいつの間にかコストを抑えるためのセルフビルドになってしまっていたが、ここでもう一度楽しむためのセルフビルドを思い出した。ここで今日なぜ私がこんなに楽しめたかを考えてみよう。理由として一番に挙げられるのは、やはり出来上がったものの衝撃的な大きさだろう。とにかくインパクトがある。こんな大変そうなものを自分で(大工さんもいたけど)作ったということに感動できる。次はやはり、大勢でやる楽しさだ。やはり楽しみながらやるには、仲間を集めてわいわいとやるのがいい。最後に、頭を使うということだ。自分で図面を引いて(設計してるんだから当たり前だけど)それを加工して、自分で組み立てるという流れの中でそれが出来上がったときの喜びはとても言葉では言い表せないようなものだ。生きてて良かった、人間てすごいななどと考えてしまうくらいとにかくうれしい。そうだこれからはセルフビルドをやりたいお客さんには設計も手伝わせてあげよう。こちらですべて段取りして「はいどうぞ」ではなくて、材料選びから道具の調達まで一緒にやろう。そのほうがきっとお互い楽しめそうだ。(増井真也)

オスロに住んでいたころ、友人の家で夕飯を一緒に食べたことがあった。食後、彼の自慢の薪ストーブの前であれこれ話しているうちに、暖房の話になった。山地ばかりで水資源が豊富なノルウェーでは水力発電が発達しており、隣国スウェーデンに余剰電力を売っているほどである。そのため、電気式の輻射パネルによる24時間暖房が普及しており、私が当時住んでいた学生寮でも外がマイナス20度になっても室内は20度を下回ることはなかった。「ホッカイドウの家はこんなに暖かくないんじゃない?」という質問に、「似たようなもんだよ」と答えると「日本は山も多いし木の国だから、薪ストーブなんかが多いの?」ときかれた。「今はほとんど灯油だね」と言うと、「日本でも石油が出るなんて知らなかった」と驚かれた。日本で生まれ育ったわたしにとって、暖房に灯油を使うということはごく当然のことであったが、考えてみると彼の驚きも理解できる。まわりに木というエネルギー源が豊富にある環境に暮らしながら、なぜ、「輸送」という無駄なエネルギーを費やしてまではるか遠い国からエネルギーを買わなければならないのだろうか。自分たちの身のまわりにある資源を使うことを自然であり当然であると考える文化に育った彼には、「経済的だから」という理屈は到底理解できないようであった。北海道もノルウェーも厳しい冬をより快適に過ごすために、住環境を発展させてきた。今ではどちらで生活していても、寒さに震えて眠れないなどということはない。しかし、その住環境が成立している背景には大きな差がある。事務所のファンヒーターにシュポシュポと給油しながらそんなことを考えていた。(山田和彦)


2004/1/26

1月も残り数日となった。私のコンテナ生活を知るひとたちは、口々に「寒いでしょう」と尋ねる。とても寒い。特に明け方が寒い。冬を迎える前には、ストーブを使うつもりだったが、まだ大丈夫、まだ大丈夫と言ってるうちに真冬になっていた。夏の暑さ、秋の急激な冷え込み、これほど季節の移り変わりを肌で感じた生活は今までしたことがなかったが、不思議とコンテナハウスで暮らし始めてから風邪らしい風邪はひいていない。むしろ、冬でもポカポカ一日中暖かい北海道の実家にいたころのほうが風邪をひいていた。夏は暑く、冬は寒いものだと覚悟を決めれば、わりと厳しい環境にも体が順応していくものだ。あとひと月半もすれば、寒さもやわらぐだろう。冬のあとには春が来るのを知っているから乗り切れるのかもしれない。(山田和彦)

 

2004/1/20

「杢の家をつくる会」の小澤さんが来社され小ディスカッション。会の主旨はエンドユーザにアタリマエのことなのに伝わっていない事実を伝えようという有志の集まりとか(勝手に解釈しましたが違っていたらスイマセン)。どのような形で関われるかは模索していくことにしよう。ところで、地元の木の家をつくる、という運動が全国的に拡がっている事実がある。僕もその活動に携わったことがあり多少は知っているつもりなので、簡単に自分の考えを記す。そこには、日本の森林資源を守り、そして地元に住む人たちを含めてその地域を活性化させる、そのような目的がある。このような活動は根本的に官を動かさないとダメ。実際にはそれぞれの地方自治体、例えば環境資源課や林務課のような部署は林業からエンドにまで幅広く訴えている・・・ように見えるが、その実、その声は決してエンドの間で拡がっているとは言い難い。局地的働きかけでは意味がないのだ。確実に広めるためにはそれを実行してみせることが必要。たとえば、県が出資元であるはずの3セク・住宅供給公社の分譲住宅の発注先を地元の林業と住宅会社と設計事務所にすればすべて事足りる。なぜか、そこには大手ハウスメーカーの建築条件が付いている。政治・行政が大企業のためだけに存在しているんでしょーね。(内田元太)

 

2004/1/16

午前中は富永さんの家の作業で追われる。ここまで順調にきていたのだが、最後の詰めがやや大変だ。昼からは、田中さんの家のことを考えていた。心配していた三宅さんのご主人からも連絡をもらい、屋久島へは予定通りいけるとのこと。やはり丈夫な人だった。(増井真也)

 

2004/01/15                              

西井邸現場からの帰り、本屋に立ち寄り、いくつかの雑誌を流し読み。最近は一般誌でも建築家に関する記事をよく目にする。マスメディアが建築家を採り上げ始めたのは2,3年ほど前からであっただろうから、そろそろその流行も末期であろう。ヴァンス・パッカードの言葉だったか、浪費を作り出すには流行を作り上げそしてそれを流行遅れにさせろ、と。僕らはマスメディアに栄えある消耗品に選ばれちゃったわけだ。きっと、僕らもウーパールーパーやたまごっちのような存在になっちゃうんだな、などと楽しんで現状を見守っている。そもそも僕らはそういうショートスパンの流れの中でではなく、簡潔に書いてしまうが、文化というものはそれぞれの時代背景に沿って緩やかに、時に劇的に変化していくもの、そしてそこにはその必然性が伴う、と思ってその中を生きているつもり。今の流行には必然性がない。なぜなら、それは人が作り上げたものだから。そこから得られる情報には供給する側の意図を含んでいる。だから、たまーにクライアントにこう話している。「情報に左右されないでくださいね」。未来のウーパールーパーのささやかな抵抗である。(内田元太)

 

2004/01/13                              

今日は田中さんの家についてだいぶ深く考えることが出来た。一時鉄骨に傾きかけた気持ちを木造案に戻しつつ、見積書とにらめっこ。なかなか厳しい表情の見積書君は、すんなりとは言うことを聞いて切れそうにない。とりあえずもう少し話し合う必要がありそうだ。(見積書とだけど)三宅さんの家のほうも図面がだいぶ進んできている。昨日作成した伏せ図のほうもほぼ書きあがりそうだからわりと早くに屋久島の大工さんに図面を送れそうだ。そういえば入院した三宅さんは大丈夫だろうか。私より数段パワフルな方だからきっと一緒に屋久島に来てくれるとは思うのだが2/1の予定がせっまってきているので少々気になる。夜はこれからDESIGN ROOMにいってノルウェーのコンペの打ち合わせ。遅くなりそうなので、先に日記を書いてしまった。(増井真也)  

 

2004/01/11

午前中はDESIGN ROOMのテーブル作りに励む。予算を使い切ってしまってからの制作活動は思いがけないものが出来上がるので結構楽しい。排水枡を利用してなかなか良いものが出来たと我ながら満足。いつも家について考えるときには必ず忘れないようにしている日常間。価値観が多様化する中で、本当の意味での日常間を探し出すのは難しい。正月に妻のふるさとである滋賀県の美ノ郷というところに行ったのだが、妻の幼少時代とあまり変わらないその風景には私自身も心を強く動かされた。

簡素で美しいもの、素朴でけがれのないもの、年月に洗われて古びたもの、自然の不思議、米作り、職人たちが作り出すもの、これらは特別な輝きとユニークな独自性を持っている。人里から遠く離れた近寄りがたい山深いところ、何百年経っても決して変化する事のないような場所、時間さえも立ち止まるような場所を見つけた時、私は喜びに舞い上がってしまう。私の探している日本は、こんなところなのだ. . . . .

私の好きな写真家のジョニーハイマスの言葉なのだが、彼のようにはいかないまでも、私も時間を忘れてシャッターを押し続けてしまった。


家だからこそ、奇をてらうのではない心のふるさとに帰りついたような建築を目指したいと思う。(増井真也)

今日は西井さんの家の図面描き。そろそろ内部の造作の絵を描いていかないといけない。日曜は仕事が捗る。職方さんに煽られないからだろう。10時、茨城より本多さんが来社して打ち合わせ。だいたいのプランがまとまった。そろそろ詳細を考えていこう。課題はオリジナル屋根緑化だ。14時に大森より保坂さん来社。蕨の実家で2世帯住宅に建て替えを計画されているとか。2世帯は家族間の合意が必要なので、まずご両親に僕らの考え方を知っていただく必要がある、と説明。僕らの造りは年配の方には受け入れてくれないかもしれない。なぜなら、伝統というものに反しているからだ。それは日本人の価値観には沿わないのかもしれない。しかし、日本の伝統的な造りはいくらかの点において誤っていることに既に皆が気付くべきなのだ。そして、その価値観においても。経済的に豊かな国であるのに、なぜか心はそうではないように感じてしまう。それらは何に起因しているのか。・・・脱線しました。そういえば、春さんは年配の方であったが柔軟な考えを持っていた。父より年上の彼とフランクな会話が交わせたし、彼のおかげで昨年は歴史や哲学に興味を抱き学ぶことができた。ご無沙汰しているので挨拶に伺わねば。(内田元太)

2004/01/10

午前中はNHKの取材。セルフビルドなどについて話をする。午後は問い合わせをいただいたお客さんと打ち合わせ。夕方事務所にて吉田さんと打ち合わせ。夜、事務所にて社長、内田との会議を行った。なんだか一日中話をしていたような気がする。(増井真也)

 

2004/01/09

masuii house projectの契約。本多さんの家を建てることになった。このプロジェクトを介して僕らが訴えたことがエンドユーザの方に伝わったということ。新年早々の慶事である。しかし、この一連のプロジェクトを進行させていて少々困惑したことがある。それは、建築への追求を行っていくことと、それに伴う販売というものが本質的に別のものであるということだ。不動産の売買では仲介業者もしくは販売業者が売り主・買い主の間に入る。つまり、僕らの提起はエンドユーザではなく、まず、この間に入る媒体への提起を含む必要があるということ。それらからのデマンドと建築への追求とは少々異質な匂いを感じてしまうのだ。その媒体にも多様な概念が介在し、そこに住む彼らの話はそのそれぞれに感じるところがあり、そういう過程が楽しくもあったのだが、これから先は留意していかなければならない。建築への探求は果てしないものであるが、その活動は社会におけるレーゾンデートルが必要だと考えるならば、こうした事実にも一つずつ答えを探していかなければならない。好きなことだけやってればいいとは思っていない。必然性のない建築は建築ではないと考えている。(内田元太)

 

2004/01/08

今日は朝一番から梅沢先生と田中さんの家の鉄骨構造についての打ち合わせを行った。一度木造で決まりかけていたのだが、もう一度ほかの答えがあるのではと挑戦してみることになり新年早々構造についての打ち合わせをしたのだが、なんだか厳しそう。今後の展開を探るべく、とりあえず仮の構造計算結果で鉄骨の見積もりをとってみることにした。これが予算内に収まりさえすれば可能性は残される。一応木造の案も平行して考えておいたほうがよさそうだが、最善の策を探る作業はやはり必要なわけで、鉄骨案も検討していこうと思う。(増井真也)


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