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2003年

 

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2003/9/29

約3週間ぶりに日記を書く。この間、さんギャラリーの展示や進行中の4つの現場管理などめまぐるしく展開していたので筆をとる時間もなかった、というよりそういう気分になれなかったのだがここへ来てようやく時間が取れてきた。新しく入った二人のスタッフがようやく一人で行動できるようになってきたというのも私の時間ができるようになった要因かもしれない。

昨日の日曜日は久しぶりに庭に出ることができた。少々荒れ気味になっていた花壇を耕し野菜畑にすることにした。この時期取れる野菜は少ないが、それでもほうれん草とカブの種をまいた。12月には収穫できるだろう。季節を感じながら野菜の収穫を楽しみに待つ。こんな少しの余裕がとても幸せに感じられる。しかも財布も助かる。たたみ一畳分のほうれん草の種がなんと200円ですんでしまうのだから、これ、まさに一石二鳥。

さんギャラリーのほうもたくさんの人に来てもらえた。地元に建築という手段を用いて文化を移植するということをひとつの目標にしてきたのだがここへ来てようやくその第一歩を示すことができた気がする。こういうことは一朝一夕にはできない。これからも地道な努力が必要である。それにしても開催中来てくれた方々の中には同じような目標をもって活動を続けている方がたくさんいた。川口にこんなにいろんなことを考えている人がいたのかと驚いたほどだ。こういうかたがたとともに何か新しいことができたら面白そうだなとも思う。(増井真也)

 

2003/9/23 

朝からスタッフ全員で燦ギャラリーの設営。久々にモノヅクリを楽しんだ。主として計画したのは若手の山本。設営は順調ではなかったが、現場というものはそういうもので臨機応変の対応が必要。予想より早く終わったので及第点ではないか。燦ギャラリーは川口駅前の町内会による運営。29日まで展示を行っているので、通りかかったらぜひ立ち寄ってみてください。作業が終わって19時からmasuii-house-projectの打ち合わせ。もう少し時間を掛けたくなってきた。(内田元太)

 

2003/9/19

日記の更新が滞っている。全員が現場の管理をしていることに起因している。現場というものは上棟や鉄骨建て方など劇的変化がある日はごく稀で、日々地味に進行していくものである。建築という仕事は決して花形的なそれでもなんでもなく、設計であっても現場であっても地道に地味な作業を重ねていく・・・そういうものだと思う。特に現場では、自分の考え尽くしたハズのそれが納まらなかったりもする、そういう事態に直面する。設計した者はそれを造れないにせよ造り方を知っている・・・これは至極当たり前のようなことだと思われるだろうが、実はそうでもないということが世間でまかり通っている。僕らはそういうスタイルを否定して工務店の機能を持った設計事務所を運営している。それで、僕らが造るのに失敗したことがない、と言えばまったくウソになる。失敗の連続である。図面というのはあくまで机上論であり、挑戦的なものを造っている僕らの現場がその通り易々と進むハズはない。しかし、その失敗により職方さんからダイレクトに手厳しい意見をいただいたり、自分自身で考え抜いたりで、改善策を見いだしてきた。今、自信を持ってやっていけているのはそういう現場から即座のフィードバックを糧に自分たちの血肉としてきたからだと思う。そして、今もその途中である。それぞれに書けないこともあるんだろうなあ、と思っていただければ幸いです。(内田元太)

 

2003/9/11

千駄ヶ谷のKさんのリフォームが終わって、引き渡しに立ち会った。僕が行ったのは設計だけである。ますいいが施工管理まで行うのが本来のスタイルであったが、僕らは他の着工している現場管理に専念しなければならない時期にあり、すぐに引っ越ししなければならないKさんの事情もあって、工事に関しては知人の内装業者さんを紹介した・・・という経緯である。まあ、いつも僕らと一緒に仕事をしている業者さんだから、ヘタを打つハズもなくキレイに仕上げてくれた。僕がコストマネジメントをしたので、結果的には僕らの経費がかからないこともあり安く仕上がってKさんにとっては良かったのかもしれない。ただ、僕らとすれば不本意なので、ギャラリーではなくこちらに(日記)に掲載させていただくことにする。(内田元太)

2003/9/10

夕方、富永邸での打ち合わせを終えた慎さんと増井に上野で合流する。増井も僕も上背がある方だが、慎さんのそれはさらに10cmほど高く、待ち合わせても遠くからすぐに認識できる。慎さんは学生時代にアメフトをされていたそうだ。納得の体型である。ところで、この会合の目的は今秋のmasuii house projectの打ち合わせ。このプロジェクトに慎さんも参加することになった。慎さんとは今までは設計者と施工者という関係でよりよい住宅を追求していたが、今回は設計者同士・・・というか建築家同士で純粋によい住宅を産み出しそれを社会に問うというムーヴメントを起こすことが目標になる。これには住宅建築特有の矛盾に対する提議・・・というものも内包している。そのすべてを達成することは難しいだろうが、挑戦する価値は大いにある。文字通り力強いパートナーを得たのではないか。(内田元太)

 

2003/9/4

久々に増井と共に行動する。まず、佐久間邸を訪れ、大工さんと納まりの打ち合わせ。その後、村田邸へ。目的は内部天井のシナベニヤ柿渋塗装である。思えば、ますいいがスタートした頃はほとんど仕事がなかった。僕は道路工事の監督をしたり、増井は地主さんのところを夢を語って廻ったりしたものだ。そんな時期にもときどき小規模リフォームのお話をいただいて、僕らは必ずといっていいほど柿渋を使用して自分で塗っていた。そんなわけで柿渋はますいいのこだわり材料なのだ。今でも柿渋は僕らが塗る。それが僕らなりの矜持・・・なのかな?(内田元太)

 

2003/9/2

10時に村田さんの家に。いよいよ大詰めの外構の打ち合わせを行った。打ち合わせが終了した後、これまでの家作りの経過を振り返ってしばらく話をしていたのだが、これほどまでに紆余曲折の中、数々の難関を乗り越えて作った家はこれまでになかったねえという話になった。始まったときは、世捨て人が犬と死ぬための家。でも今は、世捨て人が第2の人生をスタートするための家になってきている。この変化が、現場の進行中に起きたのだから私もどうしてよいか正直わからないことも多かった。人は簡単に死という言葉を口に出しても、実際に死を考えたときやはりそこから逃れようとしたり、いかに安らかな死を得ようとしたりするかを考えてしまうものなのだ。たとえそれが50歳まで世捨て人のような生活をしていた人だとしても。いや、彼は決して世捨て人のような生活なんかしていなかったのかもしれない。まだ御両親が健在だったころに自由奔放に暮らしていた彼は、その御両親の死後、必死に自分のこれからの人生を見つめていたのではないだろうか。高校の後輩でもある私に、死ぬための家などと嘯いていた強がりはいつしか消え去り、真剣にこれからの人生を送るための家を求めていたのだと思う。その真剣さに、ようやく今気がついた気がする。死ぬための家などこの世にはないのかもしれない。鴨長明も、つげ義春も必死に生きようとした結果なんだと思う。夕方事務所に戻り、現場作業の手配や図面のチェック作業を行う。最近日記を書く暇のないくらいに忙しいが、これも今の現場に集中しているから。現場をうまく進めること、なんだかんだいってもこれが一番重要なこと。10月の末まで、もうしばらくは集中していきたい。(増井真也)

 

2003/9/1

先日山本と行ったラーメン屋はすごい店だった。外観に漂う重い空気からひとりではとても入れない。中に入ると空気はもっと重かった。店主はジーパンに白いTシャツ、普通のおにいさん。ひげがとてもとても濃かった。3人ぐらい入っていた先客は、黙々とラーメンをすすっていた。座敷に置かれたミニコンポからは、なぜか高校サッカーのテーマ曲が「振り向くなよ振り向くなよ」と流れていた。メニューは期間限定のみ。読み方がわからないものばかりだったので、私はジャジャ麺、山本は担々麺を選んだ。麺はパスタの雰囲気だったがまあまあ旨かった。お勘定は厨房脇の壁の低い位置にくり抜かれた穴から渡した。お互い手と手しか見えない。店を出たらなぜかほっとした。これほど「悲」とか「哀」というエネルギーに満ち満ちた店は今まで出会ったことがない。メニューが変わった頃に誰かとまた調査に行きたい。(山田和彦)

 

 

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