|
戻る
2003/5/29
日中は事務所にて仕事をこなす。夕方、本日よりスタッフとなった山本の歓迎会。当面の仕事はコンテナの家作りになりそう。
2003/5/28
午前中、朝霞の春さんの家の現場。大工工事の真っ最中で、今にも倒れそうだった家が息を吹き返しているようだ。この家が建っているところは、細い道に面した商店街で、昔は共同トイレと共同風呂をみんなで使用していた。今でこそその習慣はなくなり、それぞれの家が水回りを増築して造ってしまっているが、春さんの家は今回の改築工事をするまでいまだに弁槽のトイレと簡易的な風呂しかなかった。この道には何とも言えない雰囲気がある。みんな他人なのに、ふつうの住宅街とは違う連帯感とか、なんか分からないけど何かがある。きっと昔の日本には当たり前の様にあった何かだろう。最近住宅街で工事をすると必ず近所の人に悩まされる。大工さんの音がうるさいとか、工事をしていればどうしようもないことで苦情を言われる。この道にはそれがない。逆に、近所の人に話しかけられたり、ジュースをもらったりする。何か懐かしい気持ちを感じるこの場所に、その時代や懐かしさを感じ取れる様な家が出来るだろう。午後は村田さんの家に行った。今回がほぼ最終的な打ち合わせ。いよいよあさって契約となる。7時、伊藤基礎の伊藤さんが大工さんを連れてきてくれた。とてもまじめそうな方で、是非一緒に仕事してみたいと思う。
2003/5/27
昨日軽井沢に行っていたので、机の上にたまっている書類に目を通す。佐久間さんの家の見積もりがそろいはじめている。少し整理した後、11時頃コンテナ到着。ついにスタッフのための家が造り始められることになった。このプロジェクトでは、業者さんは使わない。すべての過程をここに住む予定の本人が行う。まずはデッキ造り。それから、穴をあけて開口部を造る。そして最後に内装工事。断熱をしっかりと行えばかなり住み心地の良い物になるだろう。
2003/5/25〜26
25日夜9時、自宅を出発。関越自動車道の三芳パーキングエリアにて古谷君達と待ち合わせをする。ここで、私の車に古谷君が移り、軽井沢へと出発。いつものメンバーと、女性が二人、そしてアメリカ人のデザイナーをしている夫婦そして私とあわせて8人となった。27日、9時頃より作業を開始。まもなく、ブルータスの取材が来て、撮影を行う。昼には地元の大工さんがカレーとパスタを振る舞ってくれた。夕方まで作業を続けた後、夕食の準備。古谷君と二人で、ポトフ、サラダ、・・・などをつくる。メニューは古谷君が考えてくれたのだが、さすがおしゃれなメニューだ。もし私なら、肉じゃがと焼き魚になっちゃうだろう。夕食を終えて、東京へ向けて出発。12時頃帰宅。
2003/5/24
午前中は佐久間さんの家の見積もり作業を行う。1時頃、田中さん来社。娘さんと二人で住む家を建てるということで、自然と力が入る。それにしても、女性は強いと思う。夕方、基礎工事を頼んでいる伊藤さんと会食。午前1時、帰宅。
2003/5/23
朝から佐久間さんの家の図面作成、見積もりの準備などを行う。途中役所の担当者と電話で話をして、今の計画が確認申請を通らないのではとの話をされたが、すぐに役所へ出向き説明をした結果何とか許可してくれることになった。4時に帰社した後も引き続き佐久間さんお家の図面作成や、富永さんの家の見積もりなどを行う。富永さんの家の方は何とか目標金額に納まりそうになってきた。来週から、山本君が来る。彼を含め今私の所には若い男性スタッフが二人いることになるのだが、来週から彼らが住むコンテナハウスを私の家の庭に造る。もちろん製作は完全セルフビルドである。二部屋造ると人部屋当たりの広さは4.5畳という事になるのだが結構住み心地は良さそうだ。人の生活には様々なポイントがあり、彼ら二人は安定というよりはめまぐるしく変化するまっただ中にいる。その時点で、高い家賃を払いワンルームのマンションに住みながら少ない収入を浪費するよりは多少不便でもコンテナハウスというのは十分に可能性があると思われる。これは他の人にも言えることで、何もすべての人が高いお金を払って土地を買いそこに人生のすべてをかけて払わなければいけないほどの高価な家を建てなければいけないなどという決まりはないのだ。それぞれの人のポジションに適した家のスタイルが必ずある。周りの人と同じである必要はない。自分だけのスタイルを探して欲しい。
2003/5/20
朝から古谷さんお家の現場に向かう。今日は足場組の日で、現場に着くと鳶さんが4人作業していた。一通り指示を出したあと、藤原さんの家に向かう。藤原さんの家では外構工事の打ち合わせを行った。自然な風合いのロックガーデンを造ることで決定しそうだが、ガーデニングには結構お金がかかる。都会の中で自然を味わうことがこれほど高価なことだとは思わなかったが、ある一瞬で何もない工事のあとそのままの風景を華やかな風景に変えるということはそれなりに大変なのだろう。
2003/5/19
午前中佐久間邸の図面をまとめる。構造事務所との打ち合わせなどを行いあっという間に時間が過ぎる。12時頃、屋久島に家を建てる予定の三宅さんが来社。今日はまだ相談の段階だが、実現したらとてもやりがいのある仕事になるだろう。退職後の生活を、趣味であるスキューバーダイビングと共に過ごすために屋久島へ行くなんてすばらしいと思う。その勇気と決断力に大いに感心すると共に、そういう人に出会えたことを嬉しく思った。孫田は西井さんの家の近隣挨拶にいった。今日の結果は18件中7件。やはりこういう作業は都内の方が大変だ。朝香の春さんの家もカキョウにさしかかっている。古い家でずいぶん大変そうだが、ここがらが勝負だろう。
2003/5/16
午前中は、佐久間さんの家の打ち合わせ事項をまとめる。藤原さんの家の外構は良いアイデアが出来たと思うが、結構お金がかかりそう。昼からは、富永さんの家の見積もりを再開。またまた400万円のオーバー。藤原さんの家の悪夢の再来である。この開きを埋めるのは大変そうだが、まあいつものことなので何とかなるだろう。こういう状態になると、また睡眠不足になってしまう。夢の中まで出てきて安くしろって言ってくるにきまっているのだ。うーん。
2003/5/15
午前中、藤原さんの家のアフター対応。多少、苦労するも何とかクリア。と同時に外構のデザインについての相談をする。昼から、富永さんの家についての見積もりを行う。富永さんの家は柏に7月から建てる家で、藤原さんの家と同じ慎さんとの仕事である。この家は、土地に少々問題があり、既存のヨウ壁がその古さと構造の弱さ故にだいぶ痛んでいる。真横から見ると少しふくらんでいる様な状態で、役所の方からも家の建て替えに当たって、何らかの補強をするようにとの指導を受けている。それに対していくつかの補強方法を検討して役所に提出してあるのだが、役所の対応というのが何ともお粗末。とにかく責任は、慎さんと我々に押しつけるという方針で、細かい質疑をすれば第3者機関がどうのこうのといって逃げてしまう。これに対し、我々としてもいくつかの方法を願が得てみたのだが、どうしてもお金が沢山かかってしまう。これにはもう少し検討が必要そうである。それにしても、「住宅という個人的な施設に対して、しかもビルなどとは違いそれほど長期的には使用しない物に対して、何処まで目に見えない部分にお金を使うか。」そこの点でいつも悩まされる。住宅金融公庫というのもそういう点についてひとつの指針を示していて、この一定の基準を満たしていればよいですよというレベルを示してくれている。しかし、あくまでもたぶん大丈夫だろうという目安でしかない。実際の構造計算を依頼すると必ずと言って良いほど、特に基礎に対しては公庫などの一般的な基準よりも大きな物になってしまうのである。そこの点について、妥協的な案を提示してくれる構造設計者というのは非常に少ない。そこでその判断をしなければいけないのは、設計者と工務店の役割になってくる。この判断にはとても勇気がいる。最終的な決定は施主がするとしても、アドバイスをするのは我々の役目である。強い物を造るのは簡単だ。いくらでもお金をかければそんな物は誰にでも出来る。しかし最低限の問題のない建物を造ることはとても難しい。特にローコスト住宅においてはここら辺の判断力が非常に大切で、計画の実現すら左右してしまう。まだまだ勉強が必要である。
2003/5/13
今私の所では、春邸の改修工事の最盛期を迎えている。内装を解体してほぼ骨組みだけの状態になっているのだが、この家、壊してみたら基礎があるはずの所になかったり、柱の下端が腐って消え去っていたりと現場の職人そして内田を困らせている。それにしても、見る人がみんな建替えた方が良いというこの家を建て替えとほぼ同じような費用を払ってまで、改修して住もうとする春さんはたいした人だ。昔の住宅はそれほど丁寧に造られていないので、内容はひどいものなのだが、それでも手直しすれば、苦労はするけど何とか使える。壊してしまうことは簡単だが、今は改修にも様々な部材がある。耐震補強などの方法もかなり改良されてきている。建築家といってもしょせん巨大なゴミの生産者であるわれわれは、春さんのこの行動に大いに学ぶべきであると思う。でも本当にすごい家だ。地震がある度に心配になってしまう。
2003/5/9
「建築はナンのために存在し、これからどのようになっていくのか」ということを考えてみた。様式の空洞期にある現在の建築がナンのためにあるのか。またなぜこのような状況をむかえたのか。これについて少し違う視点から考えてみる。「世の中には様々な概念が存在し、その中でより強い概念が生き残っていく。人間をふくめすべてのものがその概念によって存在させられている」という考え方がある。これに建築に対する先ほどの疑問を当てはめると「建築は生き残るために人に何をさせ、何をさせようとしているのか」ということになる。建築がまだ雨風をしのぐための道具だったころは別として、国家や宗教を定着させるための箱だった時代から比べると、産業革命後、人権の価値が格段に肥大化した時期を境に、建築の数やその傾向の数は格段に増加した。それまで、特定の事象のシンボルであった建築がこの時期を境に個人のための機能となり、また個人のためのシンボルとなった。商業建築においては、看板の様な役割を果たし、個人住宅においてはその個性や考え方を表現している。特に現在はインターネットの普及により情報が何処でも誰でも手にはいる様になり、物理的な距離というものはなくなってきている。そして、世界中の誰でもが、求める情報を簡単に探し出すことが出来るようになり、人はその理想の形というものをそれぞれ全く別の形で手に入れることが出来る。物理的な距離に阻まれることなく瞬時にある脳から他の脳へと移動できる様になった概念たちは、よりその波及力を高め、そして強いものは世界中に広がってゆく。このことは建築にとって、とても良い効果をもたらす。非先進的な地域にまでも情報が及ぶことによりその地域にも建築が建つ。そして数は増加するし、また、様々な価値観が発生することにより、しかしそれらは建築を作ることはよいことだという方向では一致しているのだが、その様式も格段に増加する。ある思念を巨大な物質として形作ることが建築の求めることだとするならば、その行動には限界がある。そこで環境問題にも考慮することを人間に求める。しかしそれでも限界はいつか来る。その先の建築が人間に何を求めるか。いや人間ではないかもしれない。物質であり続けること、つまり巨大なゴミの生産活動であり続けることに限界が到達することがわかりきっている今、建築はいつか必ずその形態をより物質的ではない方向へ変えるであろう。物質的ではないということが、具体的には、合理的な構造や、軽い材料などということにすでに現れているのかもしれない。そしてこの傾向か大きな流れとして顕著になってきたとき、それは様式として非物質主義とでも名付けられればよい。そんなことにはナンの意味もなく、われわれはただ建築のために動かされているのであり、建築だけが増殖していく。
このように考えてみても、やはり腑に落ちない。こんなへりくつをいったって、やはり建築は人間にとっての道具でしかない。人間がどのように感じるかが重要であり、どのように作るかが重要である。そこに人間らしさが欲しいし、ものすごく具体的にいえば職人さんとクライアントそして設計者のふれあいが欲しい。人間が建築に操られているなんて考えたくもないし、つまらないとも思う。しかし忘れてはいけないこと、われわれは今建築ではないかもしれないけれども何か大きな力に操られている。情報化により多様化した価値観などと言ってはいるが、確実に収束状態にあるし、この思考の過程を操作する何かは必ずある。「建築はナンのために存在し、これからどのようになっていくのか」と聞かれれば、操る側ではなく、やはり操る物への抵抗体でありたい。そして建築家の存在意義もそうだと思う。
2003/5/8
昨日に引き続き、柏の富永さんの家の見積もりを行う。15時、吉川の仮住まいにて村田さんと打ち合わせ。18時、大工さんと打ち合わせを行い20時帰社。事務所に帰ってみると、内田と石田さんの打ち合わせが行われていた。石田さんは当社が、知人の土地を販売した時にその土地を購入した方である。つまり、自発的に私たちの設計を選択したわけではなく、気に入った土地を購入する条件として私たちといっしょに家づくりをすることになってしまった人達だ。。ということは建築家の家を雑誌やテレビなどで見て、いわゆる建築家の家を建てて欲しいというクライアントとは違うので打ち合わせはいつもかなりエキサイトする。というのも、はじめの頃は、ハウスメーカーの写真を持ってきて「こういう家が欲しい」といっていたくらいなので、私たちが普段設計している家はかなり異端に思えてしまうからだ。しかし、打ち合わせを重ねていく内にだんだんと分かり合えるというか、分からない部分はたくさんあるけれども、何となく意見が収束してきた様に思う。もう少し時間をかければ、デザインもまとまるだろう。この仕事には大きな意味がある。つまりもしこの土地に出会わなければ建て売りやメーカーの家を購入していたであろう人達、つまり住宅の個性やデザインそしてこだわりや工夫された性能という物に対して無関心だった、というよりは選択するだけであった人達に対して無理矢理に考える機会を与えたということだ。「建築家が住宅をやる意味があるとすれば設計してそれを建てることだ。」と石山修武氏はいってた。そして建て売りを設計したいということもよく言っている。私も、住宅の価値を上げることに総合的に関わることが、住宅に関わる建築家の意味なのではないかと思う。今はメディアがいわゆる建築家の家を宣伝してくれるので、建築家が設計を依頼されるケースも増えただろう。しかし相対的に見ればその割合は未だ微々たる物である。マスコミに商品の様にもてはやされている建築家などいなくても住宅は作られるし、それほど困らない。建て売りはともかくとしても、ハウスメーカーの家のレベルはかなり上がってきている。値段は高いが、デザインも洗練されはじめていて、何より問題がない。その中で、建築家が、合理化・同一化という時代の、というよりは人間の進化の過程に逆らってまで存在する意味というのは、やはり自分にしかない個性的なこだわりのある家を造る機会を一生に一度か二度しか家を建てることがない人達に対して与えてそしてその作業を手伝ってあげることだと思う。そういう意味で、この仕事は真剣にやらなければならない。デザインを押しつけるつもりはない。しかし、大手メーカーに都合の良い様に作り上げられた商品イメージを信じている人の指示に、そのまま従うつもりもない。エキサイトする打ち合わせもなかなか楽しい。とことん話し合って、考えていきたいと思う。
2003/5/7
朝8時、船橋の古谷さんの家の現場に着く。内田が春さんの家の管理のために車を使用していたので、久々にラッシュの電車に揺られた。現場に着くと、伊藤基礎工業の職人さんと挨拶を交わし耐圧版工事の確認を行う。一通り作業を済ませ、12時、帰社。昼食を取ったあと、柏の富永さんの家の見積もりを開始する。途中で川越の河野鉄骨工業にて打ち合わせ。工場の中にはもう古谷さんの家の鉄骨が置かれていた。普通に管理しているとなかなか製作途中の鉄骨を見る機会というのはないものだが、なかなか面白い。いかに大きな鉄骨といえどもはじめはただの角パイプだったり、丸い棒だったりするわけで、それを切ったり溶接したりして現場に納める製品にしていく。今まさにその真っ最中というところだった。21時、山田と村田さんの家の打ち合わせ。明日の打ち合わせ資料を作成する。それにしてもようやく村田さんの家の案がまとまってきた。設計をはじめた頃は日本人にとっての日常観とか、よく分からないことを考えてしまったのだが、結局村田さんにとって一番居心地の良い家になったと思う。つまり、日本人なんてそんな大それた問題じゃなくて、そこに住む人にとって普通に過ごせる空間であることが一番ナンじゃないかという風に変わってきた。だから普通じゃない村田さんにとっては普通の家になったけれど、普通の人にとっては訳がわからない家かもしれない。こんな事を書くとまたこの日記をだれかが村田さんに報告して、それを聞いた村田さんから怒られてしまうかもしれないが、いい家を造れる予感が強くなってきたのでまあよいか。
2003/5/6
連休明け、久々の仕事。とはいえ、3連休の内最終日の昨日も入間の家の打ち合わせをしていたので休んだ様な気がしない連休だった。今日は午前中は打ち合わせや作業の手配を行った。13時、Yさん来社。奥さんとお子さんと共にわざわざ町田から来てくれた。某ハウスメーカーに勤務している方で、住宅に関してはプロ中のプロ。まだ、コスト的な困難が多く待ちかまえていそうだったが、家にとって重要な物の選択を出来る方だと思うので、うまくいきそうであった。14時、小松邸にてTV取材に立ち会う。18時、面接一人。20時、コンペ打ち合わせ。22時、終了。
2003/5/1
9時00分、船橋の藤原さんの家に到着。大工さんが来るまでの30分間、外部のリボスオイルをまだ塗っていなかったところを塗装した。9時30分、大工さん到着。アフター対応として、1階リビングの床の補修を行った。家を一軒建てると、特に毎回違った物を建てている私たちの様なスタイルでは、必ずと言って良いほどアフター対応が必要になる。今回も思いもかけない様なことがおきていてかなり苦労はした物の、何とか対応できた。その後、古谷さんの家の現場に配管施工のチェックに行く。6時、帰社。一人面接を行い、佐久間さんの家の打ち合わせを行う。10時、仕事終了。
|