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朝から、村田さんの家の図面作成、藤原さんの家の外構見積もりなどを行う。夕方6時30分、7時と新人の面接。春邸の工事準備のほうは内田が一日かけて行う。孫田と山田が進めている石田邸の計画もだいぶまとまってきた。明日は、6時に出発しなければならない。今日は10時仕事終了。
2003/4/28 昨日から始まったゴールデンウイークの影響か、朝から電話がほとんどかかってこない。普段は何か考えはじめると電話が鳴る様な状況のため、たまにはこういう静かな日があっても良いと思った。それにしても、SARSの影響か、はたまた戦争の影響か、何となく外出する気にならない連休だ。私たちの連休は、3日から5日の3日間。なにぶん忙しい状況のため、あまり長々とお休みするわけにはいかないがそれでも貴重な時間である。今年は、なかなか減っていかない枕元の本を読むこととしよう。今日は、一日中、村田さんの家の模型を造りながら、図面の訂正を行っていた。藤原さんの外構工事の見積もりもようやくあがってきた。明日には整理できそうである。
2003/4/24 今日は古谷さんの現場で型枠工事の管理を行う。いよいよ明日は、基礎のコンクリート打設。朝一番から作業着を着ていかなければならない。帰社後、昨日に引き続き古谷さんの施工図作成を行う。佐久間さんの家の図面は完成して昨日郵送できた。29日の打ち合わせで最終決定となるだろう。平行して、村田さんの家の外観の検討を行う。グレーの壁にブルーの屋根が良いと言っていたがいまいち。これは何とかしなければならない。先日、建築家と設計料についての話をした。彼の主張は設計料が安すぎるということ。そしてそのような体制を作ったのはゼネコンだということだった。確かに公共工事の様な物まで含めた大きな視点で考えればそういうことになるのかもしれない。設計料をただにしますというのは大手ゼネコンの営業上の常套手段だろう。しかし、住宅の様な小さな規模の場合ゼネコンなんか関係ないのではないか。2000万円くらいの金額で、しかもそれは一生懸命働いて貯めたお金で、小さな家を建てるのである。もし設計料が15%も取られてしまえば、建築工事費は1700万円になってしまう。消費税だってかかる。総工費が2000万円ならば100万円だ。つまり工事に使えるお金は1600万円になる。そして建設会社にも経費がかかるわけで、そこに15%を支払えば又240万円減ってしまう。そして建築の本当の費用は1360万円になってしまう。2000万円もお金をかけるのに実際には1360万円しかかかっていない。これでは悲しくなってしまう。つまり私の主張はこうだ。「住宅の様な小さな仕事で、建築家と工務店を分離する必要などない。」これは絶対に言えることだ。私が大手のゼネコンに在籍していた頃は確かにゼネコンの必要性を感じた。一日に200人以上の職人を抱え、毎日の工程管理をするだけでも何人もの監督が必要だった。しかし住宅の場合は違う。大工さんが2人くらいでこつこつと作っていくのだ。現場における細部の納まりが分かっていて、職人さんとの意思の疎通が出来れば設計者にも十分管理が可能だ。設計者が現場における管理能力をつけなければいけない時代になってきたんだと思う。つまり、昔に戻ったのでは。昔は大工さんが職人であると同時に優れたデザイナーでもあった。また、大きな寺社仏閣を造った高僧達も現場の管理、今で言えば現場所長の様なことまでおこなった。東大寺などは俊乗房重源によってお金集めまで行われた。坪100万円以上もする高級住宅ばかりを造っている建築家には関係ないかもしれない。しかし、普通の住宅をハウスメーカーよりも建て売りよりもよくするために建築家が存在するとするならば、そういった仕事をしていこうとする建築家は、そんなにお金を取ってはダメだと思う。
2003/4/22 昨日から古屋さんの家の施工図作成に没頭する。平面図上で収まらない部位などが続々と出てきて苦労するも何とか明日には目処が立ちそう。12時村田さんとの久々の打合せ.1ヶ月に及ぶ吉川でのひとり暮らしで大きな家に空虚感を感じるようになったとの気持ちを打ち明けられる.それならばと2階建てを平屋に変更することに.もう確認申請を出してしまったので,多少の手間はかかるが、まあ建ててしまう前でよかったと思う.それにしても今日、村田さんの旧家があった土地が売れてよかった.この土地が売れたお金で家を建てるという計画なので売れないことにはどうしょうもなかった.最近は土地の値段がとても下がっているが、建て売り屋さんが買ってくれた.昔の思い出から離れたいという思いを成就するには,建て売りとして区画されてしまうくらいのほうが良いと村田さんも言っていたし,私もそのほうが良いと思う.
2003/4/18 午前中は古谷さんの家の地中梁配筋検査。10時に下総中山の駅にて梅沢建築構造事務所の平岡さんと待ち合わせをして現場に向かった。現場にて、職人さんを含めて3人で配筋状況を見て回るも、問題なしとのこと。12時、帰社。3時、大宮にて個展を開いている半沢さんの木工を見に行く。半沢さんはいなかったが、無垢の木で出来た、暖かみのある家具などが置かれていた。たまたまそこにいた織物をやっているパワフルな女性と挨拶を交わしその場を去る。6時帰社。夕方、村田さんの家の見積もり集計を終える。今日はこれから滋賀県に子供達を迎えに行かなければならない。1泊2日の長いドライブだ。
2003/4/17 日本地工という緑化システムの研究をしている会社に見学に行った。場所は私の所と同じ川口市にある。元々は電柱の支持金物を作っている会社だということだが、広大な敷地に大きな建物が建ち並んでいる。その屋根のいたるところに植物が植わっているのだ。そこには、水をあげなくても育つことの出来るセダム類をはじめとして、普段ガーデニングショップで目にするとこの多いゴールドクレストやハーブなど多くの植物があった。最近では高速道路の壁や、公共施設の屋上などに結構使われているこの緑化システムだが、住宅に使おうと考えるとやはりコストに問題がある。もし採用できればその効果は間違いなく抜群だ。自然の植物を利用して断熱性がかなり向上するし、環境にも優しい。既製の高価なシステムをそのまま利用できるほど甘くはないと思うのだが、何せ材料は単純そのもの。オリジナルで安くできるはずだ。最近では、ガルバリウムなどの板金屋根を採用することが非常に多い。その理由はもちろん安くて丈夫で、かつシンプルというところにあるわけだが、この屋根に載せる方法をうまく考えることとしよう。
朝一番で古谷さんの家の現場に向かう。今日から地中梁の配筋工事である。現場に着き圧接作業や配筋作業の指示、確認。何枚かの写真を撮影して12時帰社。事務所では昨日に引き続き村田さんの家の見積もり作業を行う。すべての拾い出しが終わるまでもう一息。途中、石田さんの家の打ち合わせ。ひとつの案のプランができあがりつつあるがこのままでは予算的にかなり厳しそう。もう少し工夫する必要がありそうだ。最近山田が疲れてきている様だ。今日は早く帰ってもらおう。 変更事項の説明を終える。引き続き、村田さんの家の見積もりを行う。3時、虎ノ門病院に古谷さんの奥さんを見舞う。タイミング悪く、赤ちゃんの顔を見ることは出来なかったものの、奥さんの元気そうな顔を見れて何より。7時、昨日合いそびれた友人と王子の駅にて待ち合わせ。1時30分、自宅に戻る。又遅くなってしまった。
2003/4/13 午前7時、昨日から続く打ち合わせを終える。大室氏、山田と駅で別れた後、再び府中の佐久間さんの家に向かう。12時30分の予定だったのでまだ早すぎる。途中三鷹の駅で下車。ジブリ美術館が出来たり国立天文台があったりと昔から興味のある町だったので、しばしの時間、散策。川口の町と三鷹の町。大して変わらないと思うのだが何かが違う。いささか疲れてきたので、喫茶店にはいる。少しうとうとしながらコーヒーを飲む。徹夜明けというのは結構気分が良い。妙にさえている様に思う。12時15分、少し早いが佐久間さんの家に到着。3時頃まで打ち合わせを行う。佐久間さんの家に放置してあったジムニーに乗り、川口に向かう。途中、王子に住む友人の家により電話するも、不在。あきらめて夕方6時帰宅。
2003/4/12 朝から古谷さんの家のアンカーセットに向かう。最近の天気予報といったらはずれてばかり。よく業者さんと話をするのだが、われわれは天気予報を信じて、翌日の予定をたてる。その予報にはずれられると、結構な損害が生じるのだ。特に屋根がかかるまでは、翌日の天気は本当に気になるものだ。結局今日も雨の予報がはずれたので急遽、現場に行くことになった。古谷さんの現場での確認をおえた後、12時頃藤原さんの家に到着。少し塗り残してあった外部テラスの塗装を行った。塗装を初めて1時間くらい過ぎた頃か。なんだか雲行きが怪しい。昨日は、「土曜日は朝から雨です」といっていたのに今日の朝には「夕方からの雨です」といっていた。結局2時頃から降り出した。「まったく・・・」という感じである。4時頃帰社。5時、府中の佐久間さんの家に向かう。8時30分。予定時刻を大幅に遅れて到着。初めての道で3時間以上もかかってしまった。打ち合わせを行うも、終わる見込みがたたず。途中で中断して、深夜0時、新宿3丁目に向かう。ここで大室氏、私の事務所の山田と待ち合わせ。今度大室が設計することになった住宅についてのミーティングを開く。
2003/4/11 今日は内田が茨城県の石下町に本多さんの家の打ち合わせにいった。敷地は何もない畑のど真ん中で200坪の広さ。最高の条件だとは思うが、80m離れたところにしか水道がないとのこと。本多さんには他にも敷地があるので、計画地の変更かもしくは雨水の利用を考える。まあ80mくらいなら水道管を引いてきてもたいしたことはないので、いろいろな方向から検討を進める必要がある。予定されていた古谷さんの家の鉄骨アンカーセットは明日の雨を考えて月曜日に変更。近くに川が流れていて雨が降ると直ぐに水がたまる土地だと天候には本当に気を遣う。そういえば今日事務所に電話をしてきた人に面白い人がいた。八王子にアパートを建てたいのだが設計も、大工工事も自分でやりたいとのこと。ナンと職人さんの手配なども自分でやるという。それではなぜ電話してきたのかと聞けば、なにぶん素人なので自信がないと答えられた。わたしは何もしないでよいから一週家に一度くらい現場を見て欲しいというのだ。まだあやふやな点が多かったので、もう一度よく考えてから連絡を欲しいといったのだが、それにしてもこの現象はナンだろうか。つまり建築には関係のない素人が、設計も工事もそんなことは自分で出来るといっているのだ。確かに情報は氾濫している。それも最近はかなり整理された形の情報を誰でも無料で直ぐに手に入れることが出来る。インターネットという媒体を通じて世界は急速に狭まり、多種多様な様式や価値観に触れることが出来る。これまで、長い修行生活の結果やっと手に入れることが出来た知識や手法という物がそんなことをしなくても手にはいる。石山修武氏は開放系技術という言葉を使っているが、この現象は意識せずとも確実に浸透しているのだ。「住宅建築」の中の記事にこのような文章があった。(皮肉にもテクノロジーの産物であるコンピューターという道具の発展とも絡んで、水平方向、双方向というか、受け手が発信者となれる手段を獲得した。その段階ではジャーナリズムという概念はもう消えても良いんじゃないか。パーソナルなコミュニケーションに基盤を置く様になって、個人個人が世界の全体に対峙する。そういう方法でイマジネーションを働かせた方が良いんじゃないかと思っています。)この文章は戦後建築ジャーナリズムを問うというテーマで行われたシンポジウムの内容を掲載したものだが、つまりは戦後建築家のあり方を問うとも見てとれる。ユートピアを夢見てその生成に尽力してきた戦後世代の諸先輩方とは違い、バブル時代に育ち、崩壊後に社会に出た私たちの世代は、生まれながらにして都市のの廃墟化という物を感じていた。いやその過程と共に育ってきたと言えるだろう。今でもユートピアを夢見て建築を作り続ける人は沢山いる。しかしそのあとの世代のわれわれは、きちんと将来を見据えてこの職業に取り組まなくてはならない。この文章の最後に、前川圀男氏の言葉として(やはり建築よりも大事なのは人間だよ)という言葉が書かれている。0と1の組み合わせによって構成されている記号の組み合わせの情報は誰にでも手に入れることが出来るが、その情報をインプットするだけで3分後に建築ができあがるというまでの科学の進歩はあり得ない。将来はあるのかもしれないが、少なくともあと100年は考えられないだろう。グローバリゼーションの限界が露呈し、ユートピア生成のための活動にそれほどの夢を感じることの出来なくなった今、あらためて(やはり建築よりも大事なのは人間だよ)という言葉の重みを感じる。
2003/4/7 朝一番で村田さんからの電話を受ける。ナンと、昨日変えたばかりの建築予定地をふたたび元に戻すとのこと。こんな事を一日単位で繰り返す、生と死とぎりぎりのところにいるなと感じた。何とか早く良い家を造ってあげなければいけない。午前中は古谷さんの家の鉄骨の打ち合わせ、そして佐久間さんの家の図面の作成を行う。内田は春さんとの打ち合わせに行っている。毎週火曜日の恒例行事の様になってしまったが、ついにプランが固まったとのこと。それにしても最近は無茶なメールがよく届く。一番ひどいのになると1000万円で山手線内に30坪以上の一戸建てを建ててくれなどと言う。それも土地込みで。うーん。こんな事が可能ならワタシがするよ。しかし実際のところ、最近はずいぶんと土地の値段が落ちた。以前よりはだいぶ住宅を建てることが楽になっただろう。北春日部あたりまで行けば坪20万円ちょっとで土地が買える。土地と建物併せて2500万円もあれば十分に家を手に入れられるのだ。住むエリアさえ広げれば家は手にはいる。東京だけにこだわるのはもうやめても良いと思うのだが。そういえば先日の日曜日に、東京大丸のルネ・ラリック展に行ってきた。ラリックといえばカーマスコットや花瓶などのガラス細工で知られているが、ワタシが初めて知ったのは五木寛之氏のレッスンという小説でのことであった。海外からのプレゼントに蛙のカーマスコットを買ってくるというシーンだった様に思う。この展覧会、会場は予想通り、お年を召されたマダム達の集会場となっていた。ラリックはアールヌーボー様式の作家とされるがその制作時期はだいたい1900年台のはじめだ。ということは会場にいる方〃のお母様あたりがラリックに夢中になっていたのかもしれない。母から子に伝わる一家にひとつしかない花瓶がラリックだったりするのかもしれない。それにしても60〜70歳くらいの人々が子供の様に壁にへばりついて眺めているそのガラス製品の数々は本当にすばらしい。特に目を引かれたのが、やはり蛙のカーマスコット。ナンのことはないその形にしばし釘付けとなってしまった。そういえば旧朝香宮邸の正面玄関にもラリックがあった。高価な絵画などと違い、普通の人の生活の中にとけ込んでいるところが親しみやすい。
2003/4/6 午前中は梅沢構造研究所と古谷さんの家の鉄骨についての打ち合わせを行った。と、同時に今日からAutoCADを導入することにしたので、練習もかねて佐久間さんの家の平面図を書き直す。かなり変更箇所があったのでちょうど良い機会だった。これまでのJWとは違い機能も充実していて使いやすそう。11時、村田さんが久しぶりに来社した。設計がだいぶ進んでいたのだが、急遽方針を変更することに。ナンと敷地を変えてしまった。旧家の建っていた土地に新築するというのである。まさに鶴の一声。突然の気持ちの変化ではあるが、正直言ってワタシももその方がよいと思った。一人で何も知らない土地に住む、というのは聞こえはよいがかなり寂しい。今回の解体工事に伴う仮住まいの間にそのことを強く感じたのであろうが、それはとても良いことだったと思う。もし建築してしまっていたらそうそう引っ越しなんかは出来なくなってしまう。プランはもう一度作り直しだ。まあ時間はいくらでもあるわけで、じっくり考えたいと思う。
2003/4/4 今日は朝から事務所の改修工事を行った。ランバーコアを用いた手作りデスクを10個と下駄箱、そしてタナを造り、かなり使いやすくなったと思う。現場の管理をしていると職人さん達の作業を見ているうちに自然とやり方を覚えてしまう。逆に、自分の方が上手かななんて思うこともあったりする。それにしても今日はいささか疲れた。
2003/4/3 朝一番に古谷君の家の現場に向かう。現場にて、鉄骨のアンカーの墨だしを行う。(コンクリートの上に印を付ける作業です。)2時、錦糸町にて大島さんと待ち合わせ。秋頃から行う、改修工事についての打ち合わせを行う予定だったが世間話とお互いの自己紹介をしているうちに時間がなくなってしまった。資料を受け取ってきたので、後日連絡することに。5時、大淵さん来社。大淵さんは現在2500万円くらいの予算で家と土地を探している。セルフビルドに興味がある事や、自由な間取りを希望していることを町の不動産屋さんに伝えたところそれは難しいと言われてしまったとのことで、まさにワタシ向きの仕事になりそう。なぜか、条件が厳しい方が燃えてしまうである。それに大淵さんはジムニーに乗っていた。あんな乗りにくい車に乗っている人をワタシ以外にこのあたりで見かけることはあまりないのだが、やはり親近感を感じてしまう。といってもまずは土地探しからなので、長いおつきあいになりそう。
2003/4/2 今日は久しぶりに古谷君と打ち合わせ。10時に目黒のジョナサンにて待ち合わせ。まずはじめに佐久間さんの家について話をしたあと、古谷君の家と西井さんの家について打ち合わせを行った。夜中の3時、帰社。
2003/4/1 いよいよ4月。あっという間に時は過ぎ、桜の花も無邪気に咲いている。今日は一日中古谷さんの家の鉄骨図面をかく。いろいろ細かい点が多くてとても終わりそうにない。11時、e-carrerの木下さん来社。6時、山田君来社。山田君は明日から事務所で仕事をすることになった。8時、川口駅近くの博多っ子にて山田君の歓迎会。そこには私がまだ小学生の時に見たまんまの店長の姿があった。当時まだ小さかった私は、子供心にも小指のない大きな手ときりっとした精悍な顔立ち、そしてつり上がる目を見て近寄りがたい雰囲気を感じた。店長はもとやくざさん。強面だけど丁寧でこだわりがあって町の人気者だ。懐かしさと共に、一人の人間としてのかたくなな意志を感じ畏敬の念さえわいてくる。のれんをくぐった瞬間に響き渡る大きなかけ声。仲居さん達もアルバイトなんかではなくみんな昔ながらの常連客の顔見知りだ。表面だけが取り繕われている世の中。ここには昔ながらの日本観が感じられる。桜の花も、博多っ子の店長も変わらない。変わらないこと、心に刻む。 |