

漆喰は、消石灰と麻スサと海藻を煮出して作った糊を混ぜて作る。消石灰というのは、石灰岩を焼いて、水をかけ消化させて作るのだが、石灰岩というのは太古の昔、珊瑚や貝殻が海底に堆積して形成されたものだ。その漆喰を壁に塗りつけると、漆喰は空気中の二酸化炭素と反応して、化学的に元の石灰岩に戻っていく。貝殻などから生まれた漆喰が、人を守る住宅の壁として利用され、再び元の貝殻と同じ物質に還っていくというのは、いかにもロマンティックではないかと思う。左官の塗り壁は、こんなふうに自然界にあるものを工夫して混ぜ合わせ、作り上げてきた。
例えば土壁は、土と藁と砂と水を混ぜて作る。藁を細かく刻み、ほぐして混ぜ合わせ、微生物の力によって発酵させたものを壁に塗るのである。土塀は、強度を出すために、土だけでなく、瓦や石などを混ぜて積み上げる。写真は法隆寺の土塀だが、土の表面が洗われ、元々の層が顔を出し、一緒に積み上げられた瓦などが断面に見え出す様子はなんとも美しい風景となる。時間の流れによって作り上げられた景色が、見るものをよろこばせるのである。これは、現代住宅産業を支配する新建材では絶対に出すことのできない風情である。現代社会は住宅も、ショッピングモールも、テーマパークも、どこもかしこも新建材で溢れている。さまざまな色が施され、さまざまなテクスチャーが与えられた偽物が人々を取り囲んでいる。偽物に囲まれた人々は、それが本物であるかのような幻想を抱くしかない。でも、古びたサイディングやビニルクロスに、景色と呼べるような風情は絶対に生まれない。ただ単に汚れや剥がれが発生し、その後には取り替えるしかない欠陥となる。だから、資金のある公共の場やテーマパークは、人々の目につかないところで常にその表面が更新されている。いつも新しいピカピカの社会、それが現代社会の建築の仕上げだ。でも気がついてほしい。住宅は個人が莫大な費用を負担して自分自身のために作るものである。生産合理性によって正当化された製品に身を包む必要なはいと思う。そこには、自分自身の心をよろこばせてくれる、時と共になんとも言えない風情が生まれる左官の壁が最もふさわしいと思うのである。
